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古墳を下ってきた山のふもとに科野のムラがありました。    

梅の花に誘われてムラを見学することになりました。  

このムラは古墳時代中ごろのムラを復元したものだそうです。

3世紀・弥生時代になると、千曲川両岸では稲作が始まり、多くのムラが出来てきたのだそうです。 

  代々の有力者達は高い生産力を持って、大和王権と深い関係を結ぶ様になった様です。  

そんな古の住人をしのんで、しばし散策です。

森将軍塚古墳館:

館内には森将軍塚古墳からの出土品が展示されてすます。

 二階踊り場に有った合子埴輪、かなり大きい。

3号墳のあたりから出土した大瓶も展示されていました。  

5世紀頃には大阪で焼かれたこの大瓶がここまで運ばれていた様です。  

中央には竪穴式石室の模型がありました。  こうやって見るとかなり大きくみえます。

1階に下りて、明治6年に六兵衛さんが盗掘用に作った穴から、石室の中を見ます。  

 石室はこの山から集められた、石英斑岩を葺き並べて作られているそうです。  

展示品はプラスチツクの石でした。

長野県立歴史館:

 

 

最後に訪れたのは、古墳館の隣りにある県立歴史館です。 

 二階の企画展室では、「長野県の遺跡発掘2008」という長野県埋蔵文化財センター速報展が開かれていました。

  歴史館は平成6年の開館だそうです。

今回の展示の見所の一つ、中野市の柳沢遺跡から発掘された銅戈と銅鐸。

 弥生時代の青銅器埋納坑から発見されたものだそうで、

大阪湾型6本と北九州の中細形1本と別々の場所のものが一緒に出たのは珍しいそうです。

御射山道にある茅野市・御社宮司遺跡のカワラケと鞍金具・鎌倉時代。

   

三国一の霊場・中世善光寺。  

常設館の方は、太平洋と日本海の中間の多様な文化が出来た長野県の歴史の歩みの展示がされていました。

縄文の王国、八ヶ岳山麓に開かれた縄文のムラ。

最後は、歴史館の杏に送られての帰宅となりました。  

更埴の方は雨も上がっていましたが、諏訪はまだ雨降り。

 たっぷりと、古代ロマンを味わった一日でした。

   
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