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スケッチパーク:  

 

 

戻る徒中にスッチパークがありました。  

ここに有った旧家を修復し、杏の古木も移植して、昔の風景を再現したのだそうですが、

ここでのんびりスケッチでもせよと言うことかもしれません。  

母屋は、休憩所と展示館をかねていました。  

しかし、皆さんのお目当ては、入り口にあったお土産売り場でした。

今日の昼飯は、県立歴史館の近くにある、あんずの里物産館の食堂でいただくことになりました。

食券を買って、起用は皆さんお好みの昼食です。  まずは乾杯。

食事が終わる頃にはついに雨も上がりました。 

 午後からは、雨も上がったので食堂の窓から見えていた、

向かいの山頂にある森将軍塚古墳を見学することになりました。  

古墳まで歩いて上るのはちょっと大変かと思っていましたが、

下の森将軍塚古墳館の前からバスが出ていました。

森将軍塚古墳:  

   

今日は、今年になって初めてというボランテアガイドの大久保さんが案内してくださることになりました。

ここの古墳は、長野県下では最初で最大(全長100m)の前方後円墳だそうで、

1991年に国の史跡として11年かかって完全復元したものだそうです。 

 造られたのは、4世紀の中頃でこの頃は山の上に造られたそうで、5世紀以降になると平野に造られたそうです。

古墳の形・大きさは、大和王権との関係の深さ、力の大きさで決まるそうで、

副葬品として出た三角縁神獣鏡から見てここの主はかなり大和王権と関わりの

深い人物であったと考えられるそうです。  

ここの古墳の特徴は、狭い尾根の上に造られたため後円部が折れ曲がった形をしている所だそうです。 

前方部への上り口に、4号の埴輪棺がありました。 

 5世紀代になってから埴輪を棺に再利用したものだそうです。  

前方部は、主の眠る後円部への通路であり、又儀式の場所としても使われた所だそうで

、広い玉砂利が敷き詰められた周りには、約200個もの埴輪が取り囲んでいたそうです。 

  ここの埴輪は、円筒埴輪・朝顔型埴輪・壷型埴輪・合子型埴輪の4種類だそうで、

儀礼的なものをかたどったものだそうです。   農業祭司が行われた様です。

後円部は王の棺が収められた竪穴式石室が有るそうで、(写真の囲いの所)床面積は日本最大だそうです。

後円部の先端には一段下がったところに広場がありました。  ここでも儀式が行われたそうです。

向こうの鉄塔の下には有明山将軍塚古墳があるそうです。 

   

先端広場。

将軍塚古墳という名前の所は全国で35ケ所あるそうですが、長野県にはそのうち15があるそうです。

前方部の左に3号墳がありました。 その他にもこの善光寺平の周りには、土口、倉科、川柳将軍塚古墳があるそうです。  

 6世紀後半になってから造られた、横穴式石室(何回も出入りできる)を設けた円墳がありました。 

  この頃には、前方後円墳は、馬の生産にともない飯田へと移っていったそうです。   

   
   
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