火葬戦記 〜跳梁跋扈!?〜

 

第八話

 

1945年1月。
戦況は逼迫の度合いを強めていた。
一時は停滞した米軍は再び攻勢を強め、奪取したサイパン島に総数800機のB−29を主力とした爆撃隊を配備し、太平洋艦隊は虎視眈々と決戦の時を狙っていた。
西に目を移せば、マッカーサー指揮下の南西太平洋方面軍は、完全に東南アジア全域を制圧。
さらに中国南部にまで進出し、沿岸都市部に撤退した日本陸軍を圧迫している。
成都にも米側補給線が繋がり、戦略爆撃機の増強は急速に進んでいる。
遙か彼方に目を移せば、ドイツ最期のアルデンヌ反攻作戦も、連合軍の圧倒的航空戦力と燃料不足によって頓挫。
逆に要の機甲部隊を喪失し、押しまくられていた。
東にはソ連が迫り、どんどん支配地域を浸食していく。
状況は日本より遙かに悪く、最早有効な手だては存在しない。
一縷の望みは原子爆弾だが、これも施設が空爆下とあっては、可能性はあって無いようなものだった。
日本はそれに引き替え、まだましである。
恐怖政治家東条は数次に渡る粛正を強行、より強固な支配体制を築き上げた。
完全な独裁者となった彼は、海軍から『連山』と『富嶽』、陸軍から完成間近のキ−90『泰山』とキ−83『剣風』を取り上げ、新たに『戦略空軍』を組織。
サイパン島の米軍に対し、大規模な空襲を繰り返していた…。
さらに彼は、遅蒔きながらも引き揚げてきた兵士の工場・農業復帰を行い、国力増大に務めた。
満州方面からの資材供給も軌道に乗り、ありとあらゆる工場は、次々と生産記録を塗り替えていた。
それを支える、海軍対潜哨戒部隊。
無論のこと、満州方面への兵力増強も忘れてはいない。
それだけやってもなお、人の数には余裕がある。
圧倒的不利な状況にも関わらず、来るべき時に備えて、日本はその刃を研いでいたのだ…。



「北東だ北東、大圏コース」
「いや、わかってますよ」
新たに建設された北海道・根室飛行場を飛び立ち、富嶽は進む。
低く垂れ込めた雲は細い雨を落とし、周囲は重い灰色だ。
その中を、世界最大級の巨人機は、ゆっくりと這い上がっていく。
日独連絡のついでに、アメリカ本土爆撃だ。
根室を発った後、千島、アリューシャン上空、続いてアンカレッジの上を通過し、有名なイエローストン国立公園を北を飛んで、シカゴの発電所を爆撃。
後、大西洋を横断してイギリスのエジンバラ上空を通過し、ロンドンの近くを飛んでドレスデンに着陸する予定だ。
進路上にある物だけ見ると、まるで遊覧飛行である。
帰りはきっと荷物が増えるだろうから、ソ連の上を飛ぶことになっている。
機長は航空隊隊長で、特使でもある柳井中将。
彼は爆撃照準手も兼ねる。
多忙だ。
操縦士・宮崎。
航法無電士は、新入りの草薙中佐。
陸軍航空隊上がりのベテランだ。
射手として佐藤と、戦略空軍から臨時に編入された荒川、河合、中道、小林。
彼らもやがては富嶽に乗ることになるから、研修のような意味もある。
それにしても、たったの一機に中将一人と中佐一人。
異様だ。
それと銃座の数に比べて人が少ないのは、電探連動の機銃射撃装置を持っているためだ。
これはそもそも艦載用の装置だ。
こんな物を積んでいる辺り、やはりただものではない。
「そろそろ10,000だな? ジェット気流に乗ったか?」
「はい。速度計は590を指していますが、実際には670くらい出ています」
「よ〜しよし、これで…1000km以上稼げるな。有り難いもんだ」
ちなみに最近、速度計の指針がノットからkm/hに変わった。
戦略空軍発足に伴うもののようだ。
見間違えの危険があり、少々不安なところではあるが…。
真っ昼間の空の下、富嶽は往く。
高空の空は、吸い込まれるほど青い。
下界には雲が張り付き、海はまったく見えない。
とこどころ、コブのように突き出た雲が、綿菓子のように見える。
「だ〜れも居ない空。孤独な感じもするな。宮崎、疲れたら遠慮なく言え、先は長いぞ」
「ああ、はい。ありがとうございます」
宮崎の肩を叩くと、柳井はベルトを外して立ち上がった。
後部の居住室に引っ込むのだろう。
「草薙、お前もあんまりピリピリしないで、ゆっくりしておけ」
「ふん、そんな事で戦果が挙がりますかね」
「アメリカ本土爆撃はオマケだ。まあ、早めにウチのやり方に慣れるんだな」
そう言い置いて、柳井は後方へ去っていった。
微妙に、気まずい空気が残っていた。



「異状はないか?」
「はい、順調ですが…」
今回臨時に搭乗した荒川少尉の声。
太い、頼りがいのある声だ。
「ですが?」
「慣れない装置で、少し戸惑っております」
「しょうがないな、それは。だが、快適は快適だろう?」
「それは言えてますね。やはり大きいからですか?」
「オレに聞かれても困るぞ。多分そうなんだろうが。…さて、見張りを続けてくれ」
「了解」
彼は背面二基の機銃を担当する。
当初の予定を変更し、機銃はすべて連装の30ミリ、戦闘機なら一撃で粉々になる凶器だ。
荒川は視線を風防ガラスの外に戻した。
柳井はというと、簡素なベッドに腰を下ろし、水筒からお茶を飲む。
ジュラルミン製の武骨な部屋は、太い轟音に揺られて小刻みに揺れている。
コップにも、波が立っている。
彼はお茶を一気に飲み干した。
「うまい」
一言そういって、彼は水筒をしまい、二段ベッドの下の段に転がった。
天井、要は上のベッドの底板に、下手くそな字で「世界最強」などと書かれている。
誰が書いたのかは不明だ。
突然、警報音が鳴った。
続けて放送。
『敵電探波を感知、総員警戒を強めよ。繰り返す、敵電探波を感知、見張りを強化せよ』
機長の柳井が居ないので、宮崎の声だ。
柳井は何もしない。
どのみち敵機が来たところで、高度を上げれば付いては来れない。
来てもふらふらの状態だから、防御砲火で簡単にあしらえる。
そのまま、柳井は眠りに落ちていった。



…黒々とした海。
自分の周りを飛んでいる物体。
敵機だ。
奴等はいつだって自分達より多い。
俺が、何かを叫んでいる。
毛布を被せられたように、意識がハッキリしない。
目の前で、緑色の飛行機が、火を噴く。
俺は再び叫んだ。
そうだ、俺は輸送船団攻撃のために出撃したんだ。
黄色い線条が、視界の右を掠めていく。
左へ回避しようとする本能をはねつけて、俺は右へ思い切り操縦桿を倒した。
また、一機が落とされた。
ジュラルミンの芸術品も、こうなるとあまりにも哀れだ。
―――作戦中止! 作戦は中止だ!
音が耳に入った。
誰が発したのか、自分が言ったのだ。
また、黄色い物体が、途轍もないスピードで近付いてくる。
音。
火だ。
熱い。
焼けるようだ。
無我夢中で、風防を開ける。
風が滝のようだ。
ベルトが外れない。
もの凄いG。
海面が回転しながら近付いてくる…。



「…夢か。あの時は酷かった」
富嶽は夜の領域に入ったようだ。
機内には明るさの足りないランプがともり、武骨な部屋を照らしている。
「寒いな」
柳井は上体を起こして、汗を掻いていることに気付いた。
夢のせいだろう。
ふぅ、と一息つく。
思えば何人の部下に先立たれたことか。
元々繊細な零戦に、無理矢理重たい爆弾を付けるという事自体に無理があったのは事実だ。
勿論、「ライター」などとあだ名されるほど防弾の弱い一式陸攻で、昼間強襲爆撃をやるのも、無理がある。
だからといって、彼自身に責任が無いと言うつもりはない。
それでも戦う覚悟も、その理由も柳井は固めていた。
ふと、通路の反対側を見る。
高濱が、大イビキをかいて寝ていた。
やはり老体にはキツイ飛行だろうか。
彼はお茶を飲んだ後で起き出すと、操縦室へと向かった。



「眠そうだから替わってやろうかと思ったが残念。爆撃照準手は俺だ。で、今どこだ?」
這って通れる程度でしかない通路を越えて、柳井は操縦室に顔を出した。
「カナダ領を越え、再びアメリカ領へ入りました。目標まであと1000km。左手には五大湖が見えてくるはずです」
仏頂面で草薙が答える。
柳井は地図を見た。
「ああ〜ん。とすると、2時間以内か。迎撃は何度あった?」
「あ、ダッチハーバー上空で一度受けましたけど、接触される前に離脱しました。一応、それだけです」
今度は宮崎。
「よ〜し、敵の電探波は捉えたか?」
「いいえ」
「内陸には配置してないんだな…。まあいい。しかし1000kmか。よし、しばらく俺が替わるから、少し休んでていいぞ」
「あれ? 今替わらないって言ったじゃないですか」
「…嫌ならいいんだぞ?」
「あ、いや、お願いします」
柳井は操縦席に座った。
空は真っ暗だが、下界は晴れているようで、遠方には街の灯が見える。
灯火管制、敷かれてないんだな。
そう思うと、少々腹が立つ。
こちらは時々B−29が飛来するため、灯火管制で夜は真っ暗だというのに。
もっとも、最近はB−29も滅多に飛んでこなくなったため、解除しようという話もあるようだが…。
震電が強いからではなく、発進基地のサイパンや成都が、日本戦略空軍の爆撃に曝されているためだ。



柳井はマイクを取って、言った。
「ザッキー、そろそろ爆撃するから交替してくれ」
妙に明るい声が、富嶽の機内に響き渡る。
中年のオッサンがそんな声を出すな、と機内の誰もが思った。
やがて、通路から宮崎が頭を出した。
もう、眼下は街の灯で埋め尽くされている。
アメリカ側は、まったく気付いていないようだ。
いや、実際にはあちこちで血眼になって探しているのだが、アメリカ本土が広すぎるのである。
元々内陸部にはレーダーを配置していない上、夜とあっては、どうしようもなかった。
「あの…ザッキーって呼ぶのは勘弁してください」
席を替わりながら、宮崎は言った。
「なんでだ。格好いいだろ?」
「いや、いいわけないじゃないですか!」
「なんだ…残念」
柳井に見えないようにして、宮崎は肩をすくめる。
その様子を、草薙は馬鹿でも見るような眼で見ていた。
お構いなしに、柳井は爆撃照準席に着こうとして、その前にマイクを取った。
何かを思いだしたようだ。
「佐藤! 起きてるな!?」
突然、機内に巨大な音がこだます。
返事がない。
「…あの野郎、やっぱり寝たか。草薙中佐、ご苦労だが頼むぞ」
「了解」
その2分後、大きな怒鳴り声がした後、佐藤の頬に大きなあざが出来るのだが、それは又別の話。
「爆弾庫開け」
そう言いながら、照準器に眼を当てる柳井。
どれが発電所やらわからんな。
はじめ彼はそう思った。
灯火の分布具合からして、一応、シカゴのこの辺りで間違いないはずだが。
やがて、大きな煙突らしき物が、月光と街の灯に照らされて、おぼろげに浮き上がってくる。
石油火力らしいので、多分、間違いはないだろう。
「右2度修正…行き過ぎだ、左1度…よし、そのまま」
照準器を見たまま、柳井は言う。
「…落とせ!」
その声に従って、宮崎はレバーを下げた。
20トンの凶悪な贈り物は、富嶽の腹を離れた。
黒光りする火薬の塊は、800kg。
それが25個。
一式陸攻に換算すれば、実に25機分の火力に当たる。
連山でも8機分以上だ。
不気味な音を残して、それは空を走る。
最初は前へ、後には下へ。
照準器が予測したとおりの進路で。
「爆弾庫閉じ。変針しろ、新たな針路61度」
爆弾が地面に到達する前に、柳井は言った。
「了解。針路61度」
富嶽の巨体が左に大きく傾く。
電動機の唸る音がした後、ガシャンと爆弾庫が閉まる。
新たな針路を取り終える頃、爆弾は地表へ殺到した。
パパパッと白い閃光が瞬き、続いてそれが黄色、オレンジ、やがて赤くなり、最後に黒煙になる。
この高度からだとよくわからないが、先程の煙突が傾き、煙の中に消えていくのが見える。
命中したのは確かなようだ。
「爆弾命中。変針終わったか?」
「はい、針路61度に取りました。高度上げますか?」
「いや、良い。ご苦労だったな。戻って仮眠を取れ。しばらく俺が替わるぞ」
月光に照らされ、前方に広がる五大湖の湖面が、キラキラと輝く。
席を替わった柳井は、ひととき忙しく計器類をチェックする。
5番エンジンの出力が、やや落ち気味だ。
それ以外には異状は見られない。
電探、逆探とも反応は無い。
やがて、草薙が戻ってきた。
「随分掛かったな」
「作戦中に居眠りなど言語道断。気合いの足らん証拠だ。精神力の何たるかを説いておりました」
「そうか。…大西洋に出たら、しばらく休める。それまでの辛抱だな」
相変わらずだな、と柳井は思っていた。
六発のエンジンを唸らせ、轟々と空気を掻き分けて、富嶽は往く。
その後四回、迎撃を受けた。
しかし、いずれも15,000mを飛ぶ富嶽に到達出来なかった。
誰も彼らを止めることは出来ないのだ。
その日の柳井の日誌にはこう書かれている。



―――この飛行機と、この飛行は、戦争の意味を変えた。最早全地上の如何なる者も、明確な攻撃意図を持った他者の攻撃から、確実に免れることは出来ないのだ。人は、そのような手段を、手に入れたのだ―――



それからおよそ11時間後、富嶽はドイツ・ドレスデンへと降り立った。
34時間に及ぶ、長い飛行であった。










つづく

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