火葬戦記 〜跳梁跋扈!?〜

 

第七話

 

深夜 東京都内某所

そこは、地上光の全く届かぬ所。
代わりに辺りを照らすのは、ゆらゆらと揺らめく、ロウソクの炎。
一段高くなった、そう、丁度“祭壇”とでも呼べそうな場所に、背の低い男が居た。
座っていた。
そして、もう一人、人間が居る。
その軍服を纏った男は、直立不動の姿勢で言った。
「交戦結果を報告いたします」
男は紙を取り出し、それに時々目をやりながら言い始めた。
「我が方の損害でありますが、まず小沢艦隊の艦載機でありますが、艦戦77機、艦偵2機の損失であります」
これは、特に艦上戦闘機については、殆ど全滅に近い損害である。
大和の上空直援に出したものだが、米側艦載機によってやられたのだ。
数の問題もあるが、練度の問題もあった。
やはり、時間が必要である。
「続けるでおじゃる」
祭壇のような椅子に座った男・東条首相は答えた。
「は。山本艦隊、すなわち連合艦隊主力の損害ですが、武蔵が大破、長門が中破、重巡2、駆逐6が沈没です。その他中破以上が8隻であります」
大きな損害とは言えないが、さりとて小さくもない。
武蔵の損害復旧には、4ヶ月ほど掛かるだろう。
「大和の損害ですが、これはそれほど大きなものではありません」
「しかし、大改装工事に着手したのでおじゃる」
首相は危険な笑みを浮かべた。
ということで、しばらく大和の出番は無い。
軍服の男も頷いた。
「地上部隊の損害ですが、これは決戦回避・撤収の指示により、ほぼ皆無と言って良いものです。撤収も無事に進んでおります」
「空襲部隊はどうでおじゃるか」
「は…。ルソン島に展開する我が航空部隊は圧倒的な敵航空戦力の圧迫を受けており、その損害は少なからぬものがあります」
「数で答えよ」
「展開総数416機の内、184機が全損とされております。ただし、既に彼らも台湾方面へ撤退済みであります」
艦隊決戦は夜戦となり、しかも各種の妨害活動が功を奏し、制空権の問題も回避されたが、いつでもそうではないということだ。
撤収した陸軍部隊については、内地で生産中の四式戦車、及びこの発展型や新型銃器などの装備を調え、再編成後に大陸方面へ転戦する予定である。
本土上陸は、連合艦隊健在につき、当分はあり得ないとされている。
「その損害と引き替えに、どのような戦果を挙げたでおじゃるか」
「はい。戦果は輝かしい物があります」
首相の妙な語尾に戸惑いつつも、軍服の男は続ける。
「まず、ルソン島東方沖海戦に於いて、大和は敵一個空母群を完全に撃砕。さらに敵空母一隻を拿捕、艦載機200機以上を撃墜しました」
誇張ではない。
45万トンの戦艦だからこそ、出来る芸当である。
首相もご満悦の様子だ。
報告する男は安堵した。
首相の許へ行ったきり、帰ってこない人間が多いからだ。
他にも、首相の周囲で変死者が異様に多い、しかも反抗的な輩ばかりとか、あやしげな噂は後を絶たないのである…。
「さらに、陸軍実験隊の航空機が奇襲攻撃を行ったようで、新型爆弾を以て敵ハルゼーの座乗する戦艦ニュージャージーを大破せしめ、よって敵の指揮系統に著しい混乱を発生させ、作戦の円滑な進行に貢献したとのことです」
これは軍隊にあるまじき命令違反行為なのだが、首相は結果オーライという事にした。
ただし、後で文書による訓戒を行うつもりだが。
「次にスリガオ海峡沖夜戦では、敵旧式戦艦4を撃沈、さらに残る2隻を大破させ、援護に現れた新型戦艦4隻の内、1隻を大破させる戦果を挙げております。旧式戦艦6を基幹とする約40隻の敵艦隊はほぼ壊滅、山本艦隊は損害の増大を恐れ、午前零時30分頃に撤収しました」
「新型戦艦が援護に来たというのは、どういうことでおじゃるか」
「は…。どうやら、我々の予定外の部隊だったようであります。武蔵の有富艦長によれば、敵新型戦艦は、16インチ砲12門を備えた大型戦艦で、すべて同型艦とのことであります」
考え込む首相。
一個空母群を沈め、さらに戦艦部隊を壊滅させたのは素晴らしいのだが、新たに新型戦艦が4隻も出てくるのでは、話が違ってくる。
火力はともかく、規模としては武蔵に匹敵する大型戦艦。
つくづく、敵の工業力は信じがたい程だ。
しかしながら、負けるわけには行かないのだ。
「…また、基地航空隊も夜間の低空爆撃でレイテ島の敵上陸部隊を襲い、撤収までに計7回の爆撃を行っております。しかしながら、夜間の攻撃であったため、戦果はハッキリとしません」
夜間に低空で攻撃を掛けたのは、言うまでもなく損害を減らすためだ。
だがこれでも、燃えやすい一式陸攻や、同じく防御力の低い九七重爆では、損害は避けられなかった。
連山隊も加わってはいたのだが、高性能潤滑油の不足から整備が進まず、その数は極めて限られていた。
「撤収作戦はまったく予定通りに進行しております。待望の戦略物資についても、1gも欠けることなく内地まで届きました」
以後、南方地域からの補給は全く無くなるだろう。
一応既に手は打ってあるのだが、あとは満州から調達してくるしかない。
開発は今も急ピッチで進行中だ。
ソ連さえ防げれば、まだ何とかなるだろう。
勿論、来るべき対ソ戦への備えも整いつつある。
それも、半端でない備えが…。
「わかった。作戦は成功でおじゃる。下がって良い!」
「ははっ! 失礼いたします!」
軍服の男は、心底胸をなで下ろして、外面ではピシッと敬礼をした後、去っていった。
一人になった暗い部屋で、首相は妖しげな言葉を綴った。
「…多分、来年の五月頃でおじゃるな。クックックッ…」
ロウソクの炎が彼の顔を不気味に染め上げる。
その口元に浮かぶ、異様な笑み。
その真意を知る者は無い…。







時は流れ、1944年11月15日 東京 立川飛行場。
空は抜けるように青く、そのまま宇宙にまで突き抜けていきそうだ。
少し肌寒いほどの空気が、また爽やかだ。
その空気の下、ざわざわと100人ほどが集っている。
柳井中将もその中にいた。
「これは凄い…!」
4300mに拡張された滑走路に、轟々たるエンジン音を振りまいて、一機の飛行機が現れた。
大きい。
途轍もなく巨きい。
滑走路の横幅一杯を使いそうな、喩えて言えば…、いや、喩えることすら不可能な程、巨大な翼。
その翼に六つもの心臓を備える。
それは160トンの巨体を、地上から15kmの高さまで持ち上げ、地球の反対側まで、20トンもの爆弾を抱え、戦闘機を振り切る速度で引っ張っていくという、途方もないパワーを約束する。
その馬力は、かつての戦艦『河内』を上回るのだ。
彼の名は、『富嶽』
紛う事なき、世界最強の爆撃機、“空中戦艦”だ。
「大所長、とうとうやりましたね。ワシは、正直んとこ、こがん早う完成すったぁ思っとらんかったですよ」
圧倒される柳井の横で、整備長高濱が、一人の男に言った。
「そうだな。我々の底力は計り知れんものがある。しかし敵にしても同じだろう。問題はどちらが早いかだよ」
羽織のよく似合う、貫禄のある男は答えた。
その双眸は、遙か先を見ているようにも思える。
「…戦争が終わったら、富嶽は旅客機になるんだ。世界一周の旅客機だぞ」
「ほ〜、なるほど。爆撃機ですけん、多分数ば造りすぎっでしょから、良かアイデアですな〜…」
凄いことを考える人だ、と思いながら、高濱は笑った。
今さら性能のことなど論じる事もない。
誰もが知っているからだ。
その間にも、富嶽の圧倒的な威容が、二重反転プロペラで大気を掻き回しながら、近付いてくる。
「高濱ぁ〜! そろそろ行くぞ!」
柳井の声が、少し小さくなったとは言え辺りを支配する轟音に混じって、高濱に向けられた。
「ああ? おお…んじゃ大所長、今後もどうかお元気で」
高濱は帽子を取って一礼すると、老体を無理させない程度に駆けだした。
これから日本で最も設備の整った金峰山基地に運んで、念入りにテストするのだ。
何と言っても、この途轍もない大馬力エンジン。
空冷星形二重複列で都合四列、36気筒で5000馬力、これだけで零戦の5倍という怪力を出すエンジンが大丈夫かどうか、それが一番気がかりなのだ。
やがて富嶽は予め用意されたタラップに近付き、次にそのタラップが伸びる。
燃料を満載した主翼は、目に見えて垂れ下がっている。
“柔らかい主翼”はこの巨人機の目玉の一つでもある。
すなわち、しならせることによって、軽量強固な構造を実現した。
真新しい操縦席は、パイプや床板、計器類などもピカピカだ。
「…で、これですね。大体の構成は連山と同じになります」
「うむ、そんな感じだな」
機体専属の整備士に付き添ってもらって、柳井は計器類の見方を教わっている。
5000馬力エンジン『ハ−54』を装備して臨むのは初めてだが、3300馬力『ハ−50』でのテスト飛行は済んでいる。
飛行に変な癖はなく、特性も連山によく似ているとあって、いきなり柳井が操縦席に座ることになっていた。
当の本人にとっては、その巨大さと責任の重大さに少々不安なものの、それより嬉しい思いが強い。
表情も緩みがちになるが、努めて真剣に説明を受けている。
彼がふと窓の外を見ると、操縦席が随分と高い事を知る。
少し残念そうな顔で、こちらを見ている女も見えた。
新庄少佐だが、行きに使った連山改を操縦することになっているため、富嶽には乗れないわけである。
その連山改も準備は整っているようで、誰かに声を掛けられると、彼女もまたどこかへ走り去っていった。
すぐ、彼のよりだいぶ小さな大型機で、追いかけてくることになるだろう。
これは護衛も兼ねている。
「どうだ爺さん、この飛行機」
計器類をいじりながら、柳井は後ろに立った男に言った。
「はぁ、凄か。参ったばい」
「ああ、俺も興奮の極みだな。たまらんぞ、このロマン!」
何か爆発しそうな感情を抱えつつ、よし、とセッティングを終わる柳井。
対米必勝法の要が、この巨人爆撃機だからだ。
いずれはこの富嶽を大量生産して、アメリカ中のありとあらゆる産業設備を破壊し尽くすのである。
強力な装甲と、並の戦闘機を上回る700km/hの高速、同じく並の戦闘機では到達不可能な高度15,000mを飛行する能力、そして強力な防御火器を備えた富嶽の大群を阻止することは、世界中の如何なる兵器、如何なる手段を以てしても、現時点では不可能だ。
そう、不可能なのだ…。
「飛ぶぞ。離れ!」
そのまま、彼は無線機で叫んだ。
その旨は管制塔に伝わって、拡声器で飛行場全体に伝達されるはずだ。
事実そうなって、だんだんと人が散っていく。
5000馬力の怪物が唸りを上げ、二重反転プロペラが、再び空気を切り裂き、空中戦艦を引っ張る。
下から見上げると山のような機体が、再びゆっくりと動き出し、滑走路の端へ向かっていく。
コンクリートの継ぎ目を越える度、ガタンガタンという振動が伝わってくる。
柳井は知らないが、後方から連山改も姿を現し、距離を置いて追従している。
並べてしまうと親子ほどもサイズが違う。
同じ大型戦略爆撃機であっても(連山“改”は戦闘機だが)、こうまで違う。
幅で言えば、倍も違う。
重さなら5倍以上。
滑走路の端に、富嶽一一型一号機は停止した。
吹き流しは殆ど垂れ下がっている。
ほぼ無風ということだ。
管制塔の指示に従って、柳井はスロットルを徐々に上げて、ゆっくりとエンジンを全開に持っていく。
壊さないようにだ。
そしてブレーキを外せば、巨人機は意外と早い加速を見せる。
心地よい、シートに押し付けられるGの感覚。
500mラインを越えた。
1000m、さらに2000mを越える。
圧倒的な爆音を飛行場全体に被せながら、空中戦艦が走る。
対気速度計が270km/hを越えた辺りで、柳井は心持ち操縦輪を引いた。
重々しく、ゆっくりと前輪が浮く。
それよりは短時間に、主輪も地面を離れた。
エンジン排気管から、時折炎が吹き出す。
6つの二重反転プロペラが、パワフルに晩秋の空気を掻き分ける。
連山改の離陸を待たずに、地上は歓声に包まれていた。



「心配なさそうだな。宮崎! 替わってみるか?」
離陸してから一時間。
眼下には大阪湾が見えている
高度は12,000m。
後続の連山改を考えると、無茶に上げるわけには行かないが、とにかく高々度での問題は無いようだ。
まあ、与圧も排気タービンも、連山の時点で既にクリアしているわけだから、特に驚くには当たらない。
「呼びましたか?」
通路からひょっこりと宮崎の顔が覗いた。
「おお、お前もちょっと触ってみるか、これ」
「え、いや、ちょっと自分は、ちゃんと勉強してからにしたいです」
「そうか? ん〜…まあいい。真面目なことだな」
「は…。じゃあ、失礼します」
「お〜」
再び宮崎は後部へ消えていった。
面白くない奴だな、などと柳井は思ったが、すぐに、堅実で良い心掛けだ、に思い直した。
しかしそれにしても、この高さから見ると、日本は狭く感じる。
今は淀川河口の真上辺りだろうが、軽く大阪湾全体が一望できてしまう。
逆に考えてみれば、人間もとんでもない物を創ったものである。
普段果てしなく遠くに感じる物が、狭く感じられるほどの高さに上れるのだ。
そう、他に飛べる生物が殆ど居ない高さだ。
「大したもんだよ」
腕を組んで、柳井はそう言った。
6基のエンジンは、相変わらず快調に轟音を上げていた。



「日独連絡飛行か…。爺さんも来るか?」
早々に飛行に飽きた柳井は、書類を広げていた。
しかも、また髭を剃りながらである。
こういうとき、機内の広い富嶽は都合が良い。
「なんや?」
計器類を調べていた高濱は、声の方を向き直った。
エンジン音は大きく、怒鳴るような調子になるのは仕方ない。
髭剃りの音なんて、無いようなものだ。
「爺さんよお、俺は一応上官だぞ? “なんや”は無いだろうが」
「な〜ん、男が細かか事ば気にするもんじゃなかばい。で、なんや?」
ノギスを片手に、高濱は操縦席の横に立った。
柳井はそれ以上追求するのは止めにした。
意味が無さそうだと思ったのだ。
が、それよりも髭剃りに集中したいからでもあった。
「こいつでドイツに行くことになった」
「ドイツか! あ〜そこは、なかなか面白かトコばい?」
行ったことがあるらしい。
トントン、と髭剃りに溜まった髭を落としながら、柳井はそう思った。
「ほ〜ん? たとえばどんなだ?」
「凝り性だけんな、奴等は。感心するごたる機械ん山ほどある。呆るっごたるとも多かばってんな。人間も割と良かけん、あの国は。ばってんな、そら技術研修で行くわけじゃなかっだろ?」
高濱は柳井の持っている書類を指差した。
「そうだなあ。何せ連合軍は既に大陸に上陸してるんだ。こっちも余裕は無いが、多分戦争計画の事になると思うぞ」
そう言って、柳井は剃った髭をゴミ袋に放り込んで、ページをめくる。
多分、そういうことが書いてあるのだろう、と思いながら。
「だいぶ先だからなあ。それまで持ってると良いけどな」
ふ〜っ、と一息つく柳井。
飛行試験が十分に済んでからだから、訪独は1月に予定してある。
この頃になれば、試験結果に基づく改良も済み、量産態勢も整っているだろう、との認識だ。
多少スケジュールには余裕を持たせてあるが、これはそれだけ富嶽が重要だということである。
それにしても、現実を見据えると、辛くなる。
それは高濱も同じだ。
余所の心配などしている場合ではない。
こちらとて、米軍の力技で押しまくられ、とうとうフィリピンやサイパンまで手放すハメになったのだ。
既に開戦前より支配地域は狭まっている。
フィリピン諸島近海海戦での勝利と、B−29空襲作戦中止によって、まだ状況はマシなのだが、良いとはまったく言えない。
これをひっくり返せるかどうかは、現在多数開発中の、10年以上は進んだとんでもない新兵器群にすがるしかない。
いずれそれらは姿を現すだろう。
富嶽はその先鋒だ。
しかし、味方が造れば敵も造る。
B−35とB−36という巨大な爆撃機をアメリカが開発中であることは、既に日本側も察知している。
こちらと違って、向こうは競争試作だ。
つくづく金持ちな奴等。
しかも、実はもう一つほど実用化間近の強力な爆撃機があるのだ。
一応、こちらも富嶽とは別に、陸軍の遠距離爆撃機として三菱キ−90『泰山』、川崎キ−91が開発中ではあるが…。
富嶽の後継機も二種ほど既に開発が進んではいるが、量の勝負になったらどうだろうか。
果たして将来はどうなるのだろう。
全く先の読めない世界。
晴れない気持ちの柳井は、徐々に富嶽を降下させ、着陸態勢に入れていった…。












つづく

INDEX