火葬戦記 〜跳梁跋扈!?〜
第三話「大量虐殺」
1944年7月18日、正午過ぎ。 「あ〜、やっぱ夏はラーメンが旨いな。なあ、爺さん」 「誰が爺さんか。ワシはまだジジイ呼ばわりさるっほど老けとらん!」 整備長の高濱と、隊長の柳井。 いい歳したオッサン二人組は、基地の出口脇で、ラーメンをすすっていた。 熊本ラーメンは、脂ぎった豚骨の濃厚な味わいである。 シャワシャワというクマゼミの合唱と、とてもよく似合う味だ。 夏の強烈な日差しと、抜け渡る力強い青空。 生命力溢れる、木々の緑。 梅雨は中休みだ。 「確かに気合いがあるよな、爺さんは。…しかし、病み付きになるな、この味!」 「ほぅ、また言いよるね。まあ良かたい」 麦わら帽子など被った二人組は、豪快に笑いを飛ばした。 玉のような汗が光っていた。 遠雷のような音がする。 一つの黒い影が、滑るように舞い降りてくる。 「お〜し、戻って来たな。出番だ整備長。ご苦労だが頼むぞ」 「ああ、ワシに任せろ」 黒い影は大きくなってきた。 四つの心臓を持つそれは、他ならぬ連山改だった。 濃緑と灰に塗装された飛行機が、ゆっくりと格納庫へ滑っていく。 幅150m、長さ4000mを誇る地下滑走路は、連山改ではゆるゆるだ。 なお、地下滑走路といっても、もちろん端は地上に出ているが。 「調子はどうだ? 意外と乗りやすい飛行機だっただろう」 柳井の大きな声。 やがてエンジン音は停止し、プロペラも最後にガクンという衝撃を残して、静止する。 「ええ、やはり鈍い感じは拭えませんが、変な癖も無く、悪くはないです」 その返事が返ってきた後、扉が開いて、一人の人間が現れた。 新庄少佐(妻の方)だった。 彼女はそのまま軽々とはしごを下りる。 人員不足もあって、射手は一人も乗せていない。 彼女はフードを取って、長い黒髪を整えながら、言った。 「しかし、火力の方は一度見てみたいですね」 「それは同感だな。よし、連れ合いの方はもう戻ってるから、一時間ほど休息にして、午後の訓練に入ろう」 「了解」 柳井はポン、と手を叩き、そう告げた。 彼が真っ先に向かったのは、風呂場だった。 ちなみに、震電のテストは既に終了。 心配した冷却問題も、実用上はそれほど気にする必要はない、という結論であった。 まずは結構な滑り出しだ。 十数分後。 『緊急電、B−29およそ60機、東シナ海より接近中。推定位置、北九州市西方およそ400km』 突然、基地内に大きな音が響いた。 続いて、耳障りなサイレンの音。 「くっそぉ〜…。俺の大事な休憩時間を…」 柳井はそれを風呂桶の中で、苦々しい思いと共に聞いた。 彼はもっとゆっくり浸っていたい、という誘惑を振り払うと、バスタオルを手にして、風呂場を出る。 冷房のひんやりした空気が、火照った体を心地よく包む。 素早く着替え、彼は基地内電話を取った。 最新鋭のテレビ電話だ。 「柳井だ。詳細な状況を教えてくれ」 専用線はすぐに繋がり、小さな画面に防空管制室の暗い部屋が映し出される。 暗いのは、レーダースクリーン上の輝点を見逃さないためだ。 すぐに、防空室長の井口が出る。 「はい、上海方面からの通報です。敵はB−29およそ60機、護衛は無し。高度11,000mで通過したため、邀撃の機を逃したそうです」 大陸方面に高々度戦闘機は配備されていない。 「何時だ?」 「10分ほど前に上海北方を通過。進路は九州北部ですから、推定位置は今放送した通りとなります。一時間以内に我々の電探で探知出来るでしょう」 高々度の目標は、当然地平線の陰に入りにくくなるから、その分遠くから発見できる。 レーダーでも目視でも同じことだ。 「なるほど。よし、命令を出す。俺と新庄少佐と宮崎が連山改で直ちに出撃する。残りは震電にて、いつでも出撃できるよう待機させる」 「了解しました」 「よし。他方面の各部隊には通達したか?」 電話で話しながら、柳井はようやく着替え終わった。 「現在連絡を取り、確認しようとしているところです」 「うん。よし…連山改は電探の装備がある。うちの部隊の指示は、俺が直接執ることになるかもしれんぞ。その辺は予め頼む」 「了解。異存はありません」 こくりと頷くと、柳井はテレビ電話を切った。 「さて、ヤツの威力を試す時が来たか。…クックックッ…」 ニヤリと笑みを浮かべた後、柳井は再び表情を引き締め、格納庫へ駆けていった。 「一番ヨシ、二番、三番、四番すべてヨシ。離れ! 離陸体勢に入る。新庄、宮崎、良いか?」 整備は済んでいないが、弾薬は満載して、連山改が今や遅しとエンジンを唸らせ、滑走路脇に待機している。 整備が済んでいないと言っても、特に問題はない。 「こちら新庄少佐、問題ありません」 「宮崎です、大丈夫です」 「よ〜し、地上作業員は安全な場所に退避しろ。これより出撃、敵機を攻撃する。良いか、日本の空を侵犯する奴は、一匹たりとも生かして帰すな! 行くぞぉッ!!」 吼える柳井。 十分な返事も帰ってくる。 頼りになりそうな奴等だ、と高濱も思う。 気合いの声と共に、鋼の心臓が突然激しく鼓動し、四枚のプロペラが猛然と大気を掻き回す。 プロペラ後流が、広大な空間に飛び散る。 ブレーキを緩めれば、ジュラルミンの翼は、ゆっくりと前に進み始める。 右翼後方に宮崎の、左翼後方に新庄(妻)の連山改が付いてくる。 3機いっぺんに編隊離陸だ。 柳井の乗る、赤一色で塗り固められた機体が、突然猛烈に加速を始める。 続き、普通の塗装が施された、2機の連山改も、離陸滑走に入る。 タイヤが摩擦熱で煙を上げる。 シャッターは既に開放されており、その先には、初夏の蒼空が覗く。 それが、ずんずん大きくなってくる。 速度計は220km/hを越している。 背もたれに押し付けられる、心地よいGを感じながら、柳井は心持ち操縦輪を引いた。 余裕を持って、軽々と機体は浮いた。 そのまま低空を這うように突き進む。 迂闊に機首を上げると、天井に激突だ。 閉ざされた空が、解き放たれるとき。 そのまぶしさに、柳井は少し目を細めた。 と共に、さらに操縦輪を引く。 彼の連山改は、20度の上昇角を付けて、空を這い上がり…いや、駆け上がり始めた。 後方の2機も、付かず離れず付いてくる。 「よし、隊形を維持。このまま12,000まで上昇する」 「「了解」」 ぐんぐん小さくなる熊本平野を視界に見てか否か、3機は左旋回しつつ、まだ見ぬ敵機に突き進み始めた。 大量の爆薬を抱えて…。 「あ〜…」 柳井は手鏡を左手に、電動ヒゲソリで髭を剃っていた。 振動が顎を揺らす。 そんな奴が編隊長をしているとも知らず、二機はひたすら付いてくる。 既に編隊は水平飛行に移っており、つまり12,000mの高々度まで上昇している。 高空に特有の、深く、濃い青空が広がっている。 水平線下に広がる大海原と、その境が溶け合っているようだ。 雲一つない。 ピカピカ輝き、しかも派手な飛行機雲を曳くB−29なら、すぐに見つけられるだろう。 「やっぱ、ちょっと調子悪いな…。アメリカ野郎が、こんな時に攻めてこなけりゃ、こんな所でヒゲソリなんて事にゃならんかったんだが…」 もっとも、ヒゲソリなんてやっていれば、見つけられるわけはない。 『柳井中将』 「おわっ!?」 やましいところもある柳井は、突然の無線に驚き、ヒゲソリを落とした。 「ああ、くそっ。手が届かん。後回し」 スイッチが入ったままの電動ヒゲソリは、ぶんぶん唸りながら勝手に床を這い回っている。 「何だ?」 それを無視して、柳井は無線を取った。 『井口です。電探にて敵と思われる編隊を探知。そちらから真西です。距離およそ20km』 「近いな。変態か…。変態は絶対に殺す」 『は…?』 相手の困惑を余所に、電探の電源を入れる柳井。 果たして、それらしき機影が映っていた。 正面である。 長崎市の50kmほど沖か。 「ああ、いや。震電隊を離陸させろ。誘導は任せる。以上だ」 シートベルトを外しながら、柳井はそう言った。 『了解』 無線は切れる。 「やれやれ、このバカタレちゃんめ…よし」 一方柳井は、フットバーの隙間に入り込んだ電動ヒゲソリを掴み、電源を切って、ポケットに収めた。 髭は左半分剃り残しているが、そんな事を言っている場合ではない。 そして、再びしっかりとシートベルトを締めると、隊内電話で冗談を放った。 「バンデッド、12オクロック。ユー・アー・クリア・トゥ・エンゲイジ。フォロー・ミー・アンド・デストロイ・オール・エネミー・エアクラフツ」 「隊長、日本語で話してください」 「ああ、敵機を発見。12時の方向だ。攻撃態勢に入る。各機500mにてロケット全弾発射、編隊を乱せ。後各個に攻撃せよ」 実は英語版と日本語版で言っていることが違うのだが、新庄は何も言わない。 宮崎は英語が分からなかった。 「高度を下げるぞ。真正面から浴びせる」 そう言い、返事も聞かずに柳井は操縦輪を押した。 ガクン、と機首が下を向く。 敵編隊は高度およそ9000m。 もうハッキリと確認できるが、ゆっくりと上昇中だ。 恐らく、味方の迎撃を避けるため、高々度で進入するつもりだろう。 だが、俺達の方が一枚上手だ。 スロットルはさほど開いていないが、降下で速度が付き、450km/h。 「神経質に狙わなくていい。撒き散らして驚かせろ」 そう言いつつ、彼は自機を敵一番機に向けた。 距離、推定2000m。 史上初めて、四発機同士の空中戦が行われようとしている。 距離500m。 「撃てぇーーーッ!!」 柳井は大声と共に、ロケット弾トリガーを全部引いた。 翼下に吊られた、12連装×8=96発のロケット弾が、今日は運もあって、全部正常に切り離された。 すぐにそれらは折り畳まれていた翼を広げ、真っ白い煙を曳いて、編隊に突き進む。 3機合わせて、300発近いロケット弾の豪雨だ。 数え切れない白線が、矢のような速度で青空に描かれる。 爆撃機だとたかをくくっていた米編隊も、その異様な攻撃に驚き、機首を下げて逃れようとする。 B−29は素直な操縦特性を持つが、大きさ故に、俊敏とは間違っても言えない。 二発のロケット弾が一番機に飛び込んだ。 一発は風防ガラスを破って操縦席に飛び込み、無電盤に激突して爆発した。 機首がもげ飛ぶ。 もう一発は左主翼を直撃。 外側のエンジンを吹き飛ばし、銀色に輝く主翼を引き裂いた。 最早飛行機ではない。 炎と黒煙、破片を撒き散らして、米編隊の一番機が落下していく。 そして、爆弾倉に引火したらしく、突然大爆発を起こし、砕け散った。 この一撃で、他に5機が爆発と共に砕け散り、4機が大被害を受けて墜落していく。 爆炎と鉄片の満ちる中、編隊は大いに乱れていた。 「こいつは凄い…」 柳井はしばし、茫然とした。 その彼の機を掠めて、別の連山改が、補助ロケットの炎を曳きながら突進していく。 新庄機だった。 「…よし」 明鏡止水の中で、彼女は引き金を引いた。 ハンマーで殴るような、荒々しい衝撃を残して、弾き出されるは75ミリの牙が4本。 その牙は狙い違わず敵機を捉え、噛み砕いた。 優美な巨人機が炎に包まれ、それがクラッカーか何かで出来ているかのように、木っ端微塵になる。 下を見やれば、白い花が咲くように、パラシュート降下する米兵の姿。 この高度だと、脱出しても苦しいだろう。 すぐに視線を戻し、再び75ミリ砲を発射。 また一機、バラバラになる。 今や編隊はパニックと狂乱が支配し、四基のエンジンを備えたバケモノ戦闘機が、我が物顔で破壊の限りを尽くしていた。 そして、震電が到着することによって、その虐殺ショーはますます熾烈を極めたのだ。 結局、逃げ帰ったB−29は24機。50%以上の損失。 無敵を期して投入した“超空の要塞”があっさり敗北するという衝撃は、米軍にとって、想像以上のものだった…。 「ふ〜、奴等に同情したくなるくらいだったな」 二時間後、欲望を満たした乳児のような表情で、柳井は基地に戻っていた。 「もの凄い火力でしたね。敵に回したくはないです」 今日、たった一回の出撃で12機もの大量撃墜を記録した、エース新庄(妻)が答えた。 こちらは喜びを通り越して、苦笑を浮かべている。 今までB−29の撃墜数は4。 何度か戦ったことはあるが、その度に手強いと感じてきた。 それがかくも簡単に撃ち落とせてしまうとは。 「何だか…。自分も爆撃機乗りなんで、結構複雑です」 「オレ、逆に怖かったッス」 宮崎と佐藤の声。 「まあ、そうだろうなあ…」 同じく複雑な表情になる柳井。 「ばってんが、ちょっと整備が厄介になりそうばい」 高濱もそう言うが、表情は満面の笑み。 「…宴会にするつもりですか?」 藤崎の声。 震電で参戦した彼は、そこまで暴れ回ったわけではないが、それでも2機を落としている。 「当たり前だろうが。これは、日本の空を守った最初の戦いということで、とても意義深いんだぞ。それに、どうせ今からうちのカバー範囲に攻めてくる奴は居ないだろう。祝杯だ! 佐藤、酒を集めてこい!」 「了解ぃーーーッス!!」 皆が意気揚々とした雰囲気で、宴の準備は整っていった。 残念ながら、防空管制室の連中は、参加できなかった。 日はすっかり沈んだ。 酔いが回り、熱唱から始まって、枕投げ戦争にまで至った宴を抜け出して。 「あなた、どうしたんですか。一人で」 「いや…。ちょっとな」 新庄夫妻は、外の空気に触れていた。 いや、夫の方がいつの間にか出ていて、妻の方が後から気付いて見に来た、というわけだが。 「何か、悩みがあるんですね」 虫たちの合唱が聞こえる。 夫・将嘉の隣に座る、妻・礼華。 「ああ…。ああいうのを見ているとな、あいつらを思い出すんだ。違うか?」 将嘉は天を仰いだ。 空母飛龍の仲間達。 今日のように、飲んで騒いだ大馬鹿野郎共。 我が家のような艦が、炎に包まれたときの事。 同じ機に乗っていた原口も、井坂も、もう居ない。 病院で意識が戻り、彼らの戦死を聞いたときの気分。 永久に、戻ってこない。 「そうですね…」 礼華にとってみても、同じことだ。 むしろ、負傷によるブランクが無く、ずっと前線で戦い続けてきただけに、彼女の方が辛かったかも知れない。 目尻に光るものがある。 「正直怖い。俺自身が死ぬとは想像出来ないが、奴等も居なくなるんじゃないか、なんて思うとな。情けないだろ?」 「いいえ、お互い様です。皆怖いんですよ、きっと…」 永久に克服できない悩みかも知れない。 何と理不尽なことがあるんだろう。 それが戦争なのか。 美しい星空を眺めながら、二人はそう思った。 「…それでも、俺は、お前と居られるだけ…いや」 将嘉の言葉。 途切れたその続きも、礼華にはよくわかった。 「私もですよ」 頷く将嘉は、そして言った。 「…よし、戻ろう」 悩みは何も解決しないが、少しだけ気が楽になったような気がした。 つづく |