火葬戦記 〜跳梁跋扈!?〜
第十八話
1945年8月20日 アメリカ合衆国 ホワイトハウス 「ふん。死に損ないのジジイめが、ようやくくたばりおったか。様を見ろ」 「閣下、口にして良いことと悪いことが…」 しかも、自分もジジイじゃないか、とアイゼンハワーが思ったところから、話は始まる。 暴言を発したのは、新大統領のトルーマン。 誰をののしっているかというと、先代大統領のルーズヴェルト。 どうやら、あまり良い感情を持っていなかったようだ。 「温泉国に戦争を仕掛けるなど、言語道断である。此度の戦、合衆国史上最悪の愚挙として、歴史に永久に刻み込まれるだろう」 …つまり、温泉国である日本と戦争したから、ルーズヴェルトが嫌いだったようだ。 とんでもない男である。 それはもう、居合わせたアイゼンハワーといえども、言葉を失わざるを得ない。 彼は思った。 こんな奴に合衆国を任せていて大丈夫なのか、と。 「しかし…だ。あのトージョーという輩、気にくわん。ワシが和平交渉を持ちかけたにも関わらず、にべもなく断りよって。しかも、あれだ!」 彼は、執務室に張り出された大きな書類を、ビシッと指差した。 大きく「東京宣言」と書いてある。 これは、沖縄沖海戦終結後の9月8日、日本が連合国に向けて発信した「無条件降伏勧告」である。 内容は、挑発的にも、殆ど「ポツダム宣言」の文面にある「日本」と「連合国」を入れ替えた物と言って良い。 「仰るとおりです。我々を馬鹿にしているとしか思えません」 こればかりは、アイゼンハワーも追従した。 「ワシも合衆国大統領じゃい。責任は果たすぞ。ODSの完成は来年早々だ。厳命するぞ、アイゼンハワー君。それまで何としても戦線を持ち堪えよ。こういうふざけた事を全世界に宣言されたのでは、黙っちゃおれんわ」 「お任せ下さい」 陸軍軍人のアイゼンハワーではあるが、恭しく一礼した。 ODS。 それは、Ocean Dominance Ship(海洋支配艦)の略。 真珠湾攻撃によって見せ付けられた、空母機動部隊の破壊力。 それに対する、合衆国の最終回答が、この艦なのだ…。 「大統領、大統領! 例のWTYが明らかになりました!」 「なにっ! 見せろ」 突然、職員が駆け込んできた。 だいぶ息切れしている。 仕方ないな、と大統領は自ら冷蔵庫から飲み物を出して、彼に与えた。 「な、なんですか、これは…?」 「まむしドリンク」 「まむし…?」 「精力増強剤だ。お前、今夜は快調じゃろうな」 慣れない味に戸惑う職員に、トルーマンはサラリと言ってのけた。 唖然とした目が四つ、大統領を見た。 「バカモノ! さっさとWTYを見せんか!」 気まずい雰囲気を大統領はその叫び声でひっくり返した。 「は、はい! こちらです」 腰の強い人だ…。 アイゼンハワーは、もう一度呆れた。 この男と付き合うのは、大変だ。 「これです」 「何だ、テレビじゃないか。テレビやら、別に今さら…」 ホワイトハウス内某所にて、トルーマンは首を傾げた。 まあ、ちょっと大袈裟な、使途不明の機械が、ケーブルで繋がってはいるが、テレビはテレビだろう。 「いえ、彼等のテレビはフォーマットが異なりまして、その解析に手間取っておりました」 彼は、機器の電源を投入した。 「お、テレビですね」 遅れて、アイゼンハワーがやってくる。 「WTYっちゅうのんは、彼等の流した番組らしい」 トルーマンは、そう説明…いや、推測した。 やがて、受像器が不鮮明な映像を映しだした。 すぐにそれは落ち着く。 何だか軽薄な音楽に乗って、画面の端から、ひょこひょこと剽軽な動きで、二人組の男が入場してくる。 拍手。 「…う〜ん、戦争に関係あるっちゅう雰囲気かぁ?」 大統領はそう評した。 二人組の男が、一礼した後、大袈裟な身振り手振りを交えて、大阪弁で話し始めた。 何となく、そういうものに心当たりがあるような、無いような。 トルーマンはそう思った。 …まさか。 ハリセンが飛んだ。 景気の良い、打撃音。 「こ…こっ…これは…」 「WTYというのは、“お笑いテレビよしもと”の略らしいです」 トルーマンとアイゼンハワーの顔が、不自然な形状で硬直した。 11月10日 満州帝国長春郊外 日本陸軍第29機甲師団宿営地 「だあ〜っ、寒ぃなあ。あんなロクに暖房も効かねぇ豆タンクで、ロシア〜ンとバトるのは勘弁してくれって感じだぜ、正直」 「車長、聞こえますよ」 「ホント、俺達まで被害が来るんだから、口に気を付けてくださいよ」 仮設住宅のような建物の一室で、兵士達が雑談していた。 「ん? ああ。…ちっ、あのハゲ新田のヤローか…。いつかぶち殺してやるぜ。なあ、荒木」 「お、俺に振らないでください!」 「僕も困りますよ」 「けっ、相変わらず根性ねぇなあ…」 リーダー格の男は、五十嵐誉といい、階級は軍曹。 99式自走12糎無反動砲の車長である。 19歳という年齢は、少年兵の範疇に入るのだが…誰もこの無精髭の男を「少年兵」などとは言わないだろう。 部下は砲手の荒木と、操縦の島村。 両方とも一等兵であるが、五十嵐より年上だ。 「誰の根性が足りんのだ、五十嵐?」 そのとき、ガラリと襖が開いて、絡まるような声がした。 声の主が、新田という男だった。 「ははっ! そんな事、自分にはわかりません!」 五十嵐は即座に答えた。 馬鹿だ。 荒木と島村は、五十嵐の答えにそう思った。 「わかりませんだと、貴様…。顔を逸らすな!」 また始まりやがったよ。 五十嵐はうんざりした。 今まで平均、ビンタが25発で、腕立てが…アホらしい、なんでそんなん数えてるんだ。 「貴様はそもそも、軍人として(中略)歯を食いしばれぇっ!!」 やれやれ…嗚呼。 三時間後。 「おー、いててて…。根性ねーくせしやがって、人を痛めつける腕だけは一人前だかんな。くそ、ぜってー殺してやる。殺して、焼いて、埋めてやる」 真っ赤に腫れた頬をさすりながら、部屋に戻っていた五十嵐は一人文句を言っていた。 そう言うこの男も、三時間徹底的に絞られたにも関わらず、こんな減らず口を叩けるのは、並外れた強靱さだ。 ほとんど、人間ではない。 部下の二人は既に寝ている…否、寝たふり。 関わり合いになったら、とばっちりが来る可能性大だからだ。 「んん…?」 息巻いて怒りを一段落させ、寝ようとした彼は、宿敵が私服で宿舎の外へ歩いていくのを見た。 そのまま街の方へ行くようだ。 にたり、と彼は不吉な笑みを浮かべた。 彼は手近にあった荒木一等兵の軍刀をひっ掴み、電灯を消したまま部屋を出た。 新田曹長は、既に人の灯の届かないような所まで来ていた。 何か出そうだな。 ふと、そんな事を思ってしまう。 まさか、この20世紀の世の中に…。 彼はすぐにそれを打ち消そうとした。 「そこの男。夜中にこんな所をうろつくのは、ちょいとばかし、アブねぇんじゃねえかい?」 突然、絶妙なタイミングで、どこからともなく自分に向けられる、ドスの利いた声。 「な、何者!?」 情けないくらい、声が震えていた。 「クックックッ…」 前から聞こえたように思ったが、いつの間にか右手方向に。 「賊か! じ、自分は帝国軍人だぞ!」 「帝国軍人? そんな事はわかってんだよ。ねえ、曹長殿」 五十嵐は、最終的に新田のすぐ背後で、そう言った。 ヤバげな声だ。 「い、五十嵐!? 貴様、こんな所で一体何をしておるかッ!!」 「何をしてるって、曹長殿こそ、こんな時間に何を?」 「ん? ん〜…。いや」 言いながら、新田はハッとした。 人の気配の無い、広大な夜の大地。 目の前の男の、怪しい笑み。 私服の自分は、丸腰。 「まあ、そりゃいいんだけどよ、ちょ〜っと最近、おイタが過ぎてんじゃねぇか?」 五十嵐の手に握られた、抜き身の軍刀が、月光を反射して妖しく輝いている。 「クックックッ…。今宵の虎鉄は、血に飢えておる」 「な、何を考えてるんだ、貴様…? お、おい!」 新田は血の気の引くのを覚えた。 「うるせぇーーーーっ!! 覚悟せいや、コラァあああああああッ!?」 「うわぁああああああああ!?」 「やめろ! 貴様、軍法会議だぞ、わかってるのか!?」 「るせーっ、ハゲ! 鼻削ぐぞ、鼻ぁーーーっ!?」 「ごはあっっ! うごぉおおおっ!」 「第二ラウンドだぜコラ、南無阿弥陀仏ーーーっ!?」 「ぐぅええええええええっ!!」 まったくもって、大日本帝国陸軍は、平和である。 それから一週間後。 JS−3やJSU−152と言った、最高装備を結集したソ連軍は、遂に満州南部に布陣した日本軍へと、進撃を開始した。 大方の予想通り、ソ連軍の針路は長春とウラジオストクに集中し、計122個師団が、殺到する。 対する日本軍は、機甲師団を中心にこれを要撃せんと行動を開始していた。 その中には、海軍のあの部隊や、軍部随一の異常性を誇るあの集団の姿もあった。 「スペシャルマーキングってお前…。ほっとんどこりゃ…ヤクザ趣味じゃないか」 実験空軍指導部総長の柳井大将(最近昇進した)は、諦めとも落胆とも付かぬ声で、愛機を眺めながら、言った。 「お気に召さんかった? ん〜、気に入ると思ったとばってんな。なあ、草薙の息子よ」 「おーす。しっかり気合い入れて描いたッスけどね〜…。駄目ッスか?」 草薙(息子)と、高濱整備長が、いかにも残念そうにそう言って、不満げに柳井を見る。 「なんだ、そんな目で見るな。まあ、悪くないセンスだとは思うんだがな…これは戦争するヒコーキなんだぞ」 とは言え、やっぱり柳井は納得しない様子。 …実験空軍は、奉天に進出していたのだ。 四軍中、その名前だけでさえ異彩を放ち、しかも最高司令官が戦闘機に乗って敵中に突っ込むという、あり得ない集団である。 その、出撃を控えた大将の前には、最新鋭の三菱キ−211「荒鷲」戦闘機が停められていた。 まだ制式採用されていない、最新鋭戦闘機だ。 双発のジェットエンジンを胴体の脇に抱え、インテイクから繋がる大型の覆いで胴体との段差を無くし、インテイク脇にやや大きな上半角の付いた先尾翼と、高翼配置で大型の三角翼を備え、垂直尾翼も2枚設けるという、誰も見たことがないようなスタイリングの戦闘機。 双発のネ−47発動機は、二次燃焼機(アフターバーナーの事)使用で13.1トンという、別次元の推力を提供する。 そして、翼と胴体に最大16基もの空対空誘導弾を吊り下げ、さらに機首下面には27ミリ機関砲を備え、攻撃力は絶大。 レーダーその他支援装備も、大柄の機体故に充実し、さらに12.5トンもの爆装まで可能だ。 あらゆる意味で、突き抜けた性能である。 しかし、今問題になっているのは、それではない。 「基本的に黒だから、そんなに目立たないとは思うッスけど」 「ふ〜む、そんなもんかな」 漆黒に散る桜吹雪を背景として、右翼には昇竜、左翼には白虎が舞い、胴体上面には「龍虎乱舞」などと赤で大きく書かれている。 「荒鷲」だと言ってるのに、描いてあるのは龍と虎。 さらに、白ストライプ上の日の丸と、前縁の黄色い識別帯が、妙に映える。 垂直尾翼には旭日旗をあしらった、放射状の模様。 下面は特に何もないが、桜吹雪がことさら派手になっているようだ。 そして、細かく「必殺」とか「大和魂」とか「根性」などと、あちこちに書いてある。 「漢のヒコーキって言えば、やっぱこれくらいないと…」 「おう、隊長も漢なら! この出で立ちに相応しか戦いば見せなんたい!」 「何が、“見せなんたい!”だっ! まったく…」 彼は呆れながら、そう言えば新庄の妻の方も、愛機を真っ赤に塗って飛ばしてたな、と思い出した。 わざわざエースの存在を誇示することで、敵を威圧するか、又は敵の攻撃を引き付け、間接的に素人を守るか…。 ま、それも悪くはない。 そしてもう一つ思い出した。 海軍陸軍、戦略空軍はともかく、実験空軍には、航空機の塗装に関する規定は無い。 飛行機にどのような塗装を施し、あるいは塗装せずに出撃しても、日の丸と黄色の識別帯さえ描いてあれば、何も問題ない。 実験空軍たるもの、普通であってはいけないのだ。 不敵にも、頬が緩む。 何だかんだ言って、喜んでいることに、柳井は気付いた。 月夜、富嶽の編隊はひたすら真北へ飛ぶ。 二時間と掛からない飛行になるはずだ。 護衛は無い。 日本軍が返した最初の一撃は、ソ連各種陣地に対する大量の巡航ミサイルだった。 発射したのはV−1を少々いじっただけの物だから、巡航ミサイルなどと表現すると大袈裟かも知れない。 大袈裟なのは、名前ではなく、数なのだ。 4000基を超える数のV−1…もとい、二〇号地対地誘導弾が、満州の空へ一斉に飛び立ったわけだ。 加えて、八号(V−2改)も多数である。 欧州で英米軍が手を焼いた戦術が、この地でも実行されたのだ。 その結果、今、付近にあるソ連のレーダーサイトは殆ど全部が沈黙しており、夜間侵入する機体を効果的に阻止することは出来ない。 また、通信システムも随所で破壊されており、防空どころか、全作戦が混乱の極みにあった。 その上に、強力極まりない妨害電波の網が掛けられる。 その中、日本陸軍主力は、不気味な唸り声と共に動き始めていた。 だが、そんなことは、ハルビン突入部隊の知るところではなかった。 作戦名は、「カミソリ」だ…。 「…曹長殿、今さらですけど、いくらなんでも、こんな作戦あり得ないと思うんですよ」 「遺書は出したから、俺はもう腹括ってますよ」 「僕も」 「…うるさい。つべこべ言わずに戦って、勝てば良いんだ。いらん事は考えるな。考えるな…。考えるな……。うぅ…」 その頃、あの自走無反動砲乗り達は、富嶽五三型輸送機の中に居た。 新田曹長の顔は、四人の中で一番青い。 最低限の与圧で、椅子もなく、暖房も申し訳程度で、しかも窓が皆無、暗い照明という、典型的な軍用輸送機の格納庫内。 轟々たるエンジン音も、ずっと聞かされていれば飽きが来る。 五十嵐は、周囲を見渡した。 暗い格納庫内に、5両の豆タンク…もとい、99式自走12糎無反動砲。 暗い中、蠢く人影。 自分達の生命を保証する、各種機材。 これと似たような内容物を腹にため込んだ富嶽が、10機ほどで編隊を組んでいる…はずだ。 任務は過酷だ。 ソ連軍の兵站拠点であるハルビンに夜間奇襲で降下突入して、引っかき回せという命令だ。 上層部は、遅くとも一週間以内に本隊がハルビンを陥とすから、それまで暴れろと言う。 弾、足りんのか? 食い物は? 燃料? ついでに言うと、本当に予定通り一週間で来るのか? 不安で一杯だ。 死ねと言ってるようなもんだろう、これは。 物は富嶽が空中投下で届けてくれるらしいが…。 五十嵐は、やれやれと思った。 それ以上にヤバそうな表情をしているのは、新田。 元はと言えば、この男が、五十嵐に仕返ししてやろうというつまらない魂胆から、こういう作戦を上層部に提案してしまったのだ。 まさか通るとは思わなかった。 仕方ないから、自分は冷水をしこたま飲んで、体調不良で逃げる気だったのだが…何故か体調は万全。 自分まで行かされる展開になってしまったのである。 「はぁ…」 あの時、夜間外出したばかりに…。 ところで、事情は皆同じだったようで、来た連中は、これが極め付きの規格外れ共ばかり。 本道から外れた、まさに愚連隊であった。 「川の南側に降りるんだったな。南側…に」 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」 「おい、念仏は止めろ。死にに行く気分になるじゃないか」 どうも、落ち着かない。 そもそもエンジンの轟音からしてやかましいのだが、常に誰もが何かを喋っている。 『間もなく降下地点。2分後に後方扉を開放する。準備はどうか』 この上に、ガンガン頭に鳴り響くような、うるさいスピーカーの音。 「一号車、準備ヨシ」 「二号車、よし」 次々と、準備ヨシの声が返る。 「ロシアの娘は美人だぜ。もし捕虜になったら、脱走してシベリア暮らしも良いかもな」 「でも、その内三倍に巨大化するんですよね。あ、そもそもロシア語なんて…」 「愛さえあれば、そんなもんは…」 「ダマレ、黙れ、だまれッ!」 無駄口もそこが最後だ。 電動機の唸る音がして、富嶽五三型の後部ドアがバックリと開く。 途端に、乱入が機内を暴れ狂う。 無駄話どころではない。 四角く覗く下界は、高速で飛びすぎていく。 けたたましい音と共に、5両の自走無反動砲がレール上を滑り、開いた口からこぼれ落ちていく。 続けて、重機材群。 「さて、行くぜ!」 目の前のランプが赤から緑に変わったのを確認して、五十嵐は一思いに飛び降りた。 「…!!」 顔の肉が“はためく”程の烈風。 空挺降下なんて、訓練で一度やったきりだ。 やっとの思いで赤い紐を掴んで、思い切り引っ張る。 「うぶぅ!?」 巨大な空気抵抗が直撃して、彼の身体を上下に引き伸ばした。 痛い。 だが、それは一瞬のこと。 格好いいぜ…! 広がる大地は、自分の下だ。 下、見渡す限りの土地を征服した気分になり、嬉しくなる。 上機嫌のまま、自走無反動砲と重機材の方へ、パラシュートを操る。 「…??」 いや、操ったつもりだったが、なかなか言うことを聞かない。 「くそ、ノータリンが、言うこと聞けこのヤロー!」 彼は怒りに任せて滅茶苦茶に引っ張った。 その度に、身体はあらぬ方向へ流される。 「だーっ、どうなってんだ! 畜生、誰が造ったんだよ、こんな不良品!」 どんどん街の方へ流されていく。 大きな川の、南側に広がった街。 月明かりで朧気に浮かび上がるハルビンには、今のところ大戦車部隊のような物は見えない。 「ああ、俺だけ迷子かよ…」 どんどん地面が近付く。 誰も聞いていない泣き言を漏らしながら、五十嵐は敵地へと降りた。 ドカッと来る衝撃で、情けなく転倒。 さらに、覆い被さるパラシュートに慌てふためく。 「さってと…」 パラシュートから抜け出して、ようやく立ち上がった彼は、周囲を見渡した。 上から見るのとは違って、なだらかな丘陵は意外と視界を妨げる。 味方の姿は、見えなかった。 「確か、南西側だ。とっとと合流しねーと」 パラシュートをごそごそ集めて、無理矢理袋にねじ込んで、彼はそそくさと走り去った。 くそ重たい背嚢と、四式機関小銃。 彼等の長い、長い一週間の幕開けである。 そしてそれは、日本が連合国軍に対して決定的優位を築きうるか否かの、運命の一週間でもある。 晩秋の冷え冷えとした空の下で、突入部隊は、それぞれせわしなく動き始めていた。 つづく |