1945年8月14日夜 沖縄南方沖
星一つ見えない、やや荒れ模様の空の下、彼の小隊は編隊のほぼ先陣を切って進んでいた。
31隻の空母が放った、2311機の大編隊、それを構成する4つの編隊の一つだ。
編隊は雲の下限すれすれに隠れながら、敵の居ると思しき方向へ、ひたすら進む。
『こちら先導機、敵のものと思われるレーダー波を感知した。方位真正面。ただし、レーダーは妨害されている』
「了解。引き続き索敵せよ」
ハリム中佐は、短く応答した。
レーダー妨害を受けているということは、既に探知されているということであり、通信を躊躇う理由はない。
愛機F7F−3の、ギリギリまで絞った翼端燈が、クリームのような雲を鈍く照らす。
彼のレーダーも異常なパターンを映し出しており、妨害されているのは明らかだ。
『チャーリー7より編隊長、敵機発見。4時の方向、およそ60から100機。接近してきます』
「発見されたか?」
中佐も目を凝らしたが、見つけられない。
『わかりません。なおも接近してきます』
ようやく、見えた。
夜の敵は、視野の端の方で見た方が見つけやすい。
ただし、慣れが要る。
『こちら先導機、敵艦隊と思しきもの発見。数、3…5…多数』
「先導機へ、接触を保ちつつ、妨害電波発信及びチャフを投下せよ」
そこで、彼はチャンネルを変え、自分の率いる編隊へ命令を出す。
「第4戦闘大隊、4時の敵編隊を攻撃せよ」
『第4戦闘大隊、コリンズ大尉、了解! 叩き落としてやりますよ。よし、行くぞ!』
97機のF8Fが、反転して日本機に向かう。
数では互角程度であろうが、敵艦載機の総数を考えると、あまり多くは割けない。
なお、大隊というのは、100機程度をまとめた今作戦限りの特別編成である。
接敵まで、あと20km程度だろう。
時間にして、2分強。
「雷撃隊及び降爆隊、攻撃態勢に入れ。戦闘機隊は針路を維持」
僚機もろくに見えない雲から、次々とスカイレーダーが姿を現し、乱れた編隊を組み直しながら、低空ヘと降りていく。
降爆隊は相変わらず雲の中。
同時襲撃だ。
5kmほど離れて、他の3編隊も攻撃態勢に入ったはずだ。
雷撃隊は彼らの真下に整然と居並んだ。
「雲が切れないな。急降下は…」
台風から伸びた雲は、相変わらず低く垂れ込めている。
その底は、1000mより低いかも知れない。
『こちら爆撃隊、グリーン少佐。急降下爆撃は困難である』
「どうしても無理か」
やはりか、と彼は思った。
『無理じゃないが、狙いを付けられる時間が短い。緩降下がベストだと思う』
「そうか、わかった。緩降下で行け」
『了解』
通信を終わったとき、目の前から雲を突き抜けて降りてきた一団があった。
アッという暇もなく、それは雷撃隊目掛けて突っ込んでいく。
敵機だ。
「第2戦闘大隊、攻撃せよ! 雷撃隊を守れ」
『了解! さあ、俺に付いてこい! 今日は幾らでもスコアを稼げるぞ!』
敵機と同じように、F8Fが雲を抜けて急降下していく。
およそ100機。
ドロップタンクは抱えたままだ。
その時、前方に敵艦隊と思われる筋が見えた。
下方に目を移す。
一機が火を噴いた。
「遅かったか…」
味方のスカイレーダーが、炎を上げながら海に突っ込んでいった。
破片が四散する。
この戦い、落とされたら味方の救助は望めない。
『警報! 我々の後方から敵戦闘機、多数!』
「全戦闘機隊、交戦せよ。繰り返す、各隊、各個に敵機を迎え撃て!」
彼は操縦桿を押しながら、そう指示した。
さらに、スロットルを全開まで持っていく。
彼のタイガーキャットに一瞬遅れ、一斉に米戦闘機隊が透明な大気中にその全貌を現す。
そのとき、前方からパッと無数の光の筋が伸びた。
サーチライト回廊。
「6時の敵編隊へ向かう。続け」
素早く編隊を整えた戦闘機隊は、母艦単位で分かれ、各々敵機に向かい始めた。
その間にも、「撃て!」とか「やられた!」とか意味不明な叫び声などが、騒々しく無線機を鳴らす。
180度旋回したとき、彼は自分の率いてきた編隊の大きさに、今さらながら驚いた。
双発のR−2800は強力だ。
次々とその味方機も抜き去り、最先端を敵機に突入する。
「散開!」
彼は命じた。
数秒で、4機編隊に散るはずだ。
あくまでも真っ向から挑んでくる日本機。
機種は不明だが、レーダーが無効化されたF7Fだと、恐らく条件は対等。
なお赤外線警戒器が残る有利はあるが、単発単座戦闘機とは軽快さで劣る。
彼は向かってくる一機に狙いを付けた。
照準器の中の影が、パッパッと光り、洩光弾が向かってくる。
先手を打たれた。
「…ちっ」
中佐は、闇雲に撃ちながら機体を滑らせ、射弾をかわす。
横から別の光が敵機に突っ込む。
もう一度だけ、敵機が光った。
命中弾一発、だが一発では墜ちないだろう。
単座戦闘機にしては、大きな影だ。
サム(烈風)だろうか。
「3、4番機、上昇せよ! 2番機、付いてこい」
彼は援護に2機を残し、旋回した。
次々と「了解」の応答が入る。
今や、一帯は轟音と炎、煙が支配する戦場と化していた。
航空母艦「瑞鶴」
瑞鶴は第一航空艦隊の基幹を成し、信濃の後方を進んでいた。
右舷側に第一艦隊、後方に第二艦隊、右舷後方には第二航空艦隊が、密集して突き進んでいる。
「駄目か?」
「駄目です」
菊原艦長の問に、兵士はお手上げのポーズを取った。
スクリーンには、奇怪な渦巻き模様が居座り、好き勝手に蠢いている。
確かに、まるで駄目だ。
「旗艦のは大丈夫だろうが…。電探射撃は無理か」
「旗艦より入電、間もなく敵機が高角砲射程内に入ります」
「噂をすれば。よし、光学射撃で狙え。弾種通常弾」
89式12.7糎高角砲が、次々と唸りを上げ、砲身を持ち上げる。
近接信管のお陰で、かなりの性能向上を見たが、やはり高角砲は高角砲。
まあ、仕方のないことだ。
最近は発射速度・初速とも大幅に向上し、なおかつ寿命は現状維持という新型の3式12.7糎が完成したが、まだ少ない。
「旗艦より続けて入電。雲中ノ敵機ハ我二任セヨ、とのことです」
「なるほど? アレだな」
高角砲が火を噴き、迫り来る雷装スカイレーダーを撃つ。
閃光が瞬き、煙がすぐに闇と溶ける。
その跡を、探照灯の光が舐めていく。
遠景に、ピカピカと無数の光が明滅する。
戦闘機隊の機銃だろう。
その時、突然旗艦北斗が眩く照らし出された。
北斗の艦首と艦尾が紅蓮の炎を噴き上げ、それが徐々に高さを増していく。
「あれは!?」
「旗艦がやられた!」
瑞鶴の艦橋がどよめく。
「落ち着け。あれは新装備の“艦対空誘導弾”だよ」
双眼鏡で覗けば、その炎の先に、黒い飛翔体が見えただろう。
しかし、それらは10秒と経たない内に、雲中へと消えた。
当たり前だが、北斗の艦体に炎は残っていない。
その間にも、雷撃機が接近する。
瑞鶴の左舷を併走する「照月」が弾幕を張る。
数機が火達磨となって、海面に突っ込む。
だが、なお5機ほどが、突入してくる。
「機銃及び噴進砲、やれ」
探照灯が一機を照らし出す。
3連装の新型40ミリ機関砲が、重い音を残して砲弾を撒き散らす。
さらに、28連装のロケット砲が、次々とオレンジの炎を放つ。
炎と煙が、一瞬に視界を奪う。
近接信管付ロケット弾の弾幕射撃は、全機一掃の威力を見せた。
「音探反応無し。魚雷は来ません」
「11時方向より新たな敵機! 散開して接近します!」
間断無く火と光を吐く艦隊は、期せずして敵機発見を容易にしていた。
先行する信濃が、その編隊に機関砲弾を浴びせる。
が、景気良く噴き上がる光柱は、当たっているようで命中しない。
「信濃も電探射撃は無理か。回避運動、取り舵一杯」
機関砲を乱射しながら、瑞鶴の航跡がゆっくり曲がり始める。
一弾がスカイレーダーを捉え、エンジンを吹き飛ばして撃破した。
もう一機。
信濃の左舷側を遠く外れて、爆弾と思われる水柱が噴き上がる。
「舵戻せ、最大戦速」
60度ほど旋回した瑞鶴が、増速を始める。
その時、雲が雷のように次々と光り、遠い爆発音が連続して響いた。
北斗の放った、誘導弾だった。
すぐに、雲から炎を曳く残骸が、多数墜ちてくる。
「敵機、投弾! 爆弾投下!」
「来るか、外れろ! どうだ!?」
2つの黒い物が、敵機から分離するのが、肉眼でも見て取れた。
直後、照月の高角砲弾を受け、その敵機は散った。
火災が夜空に放物線を描き、海面に突っ込んで爆発する。
手空きの者達が、固唾を呑んで見守る。
一秒、二秒、それすら長い。
「いかん、命中する。総員衝撃に備えよ!」
2発の2000ポンド(907kg)爆弾が、浅い角度で迫る。
直後、鋭い衝撃が艦を揺さぶり、わずかに遅れて腹に響く巨大な音が駆け巡った。
幸いにもう一弾は外れ、艦尾左舷側に水柱を立てるに留まった。
「被害状況報せろ!」
命中した一発は、艦尾に命中し、飛行甲板を破って、格納庫の隅で爆発していた。
艦尾から噴き上がる巨大な火箭を、多数の乗員が見た。
「敵弾は格納庫後尾で炸裂! 火災発生! 接近不能のため、詳細は確認できません!」
間もなく、電話からの大声が、艦橋中に響く。
「消火活動を開始せよ! 火を広げるな! 機関、被害は!?」
「機関、異状なし!」
既に空母としての機能は失われた。
「艦長、格納庫には魚雷が…」
「わかっている。…昇降機は使えるか」
今、瑞鶴は流星改への魚雷、爆弾搭載作業中だったのだ。
誰の頭にも、ミッドウェイの事があった。
しかし、誰も口にしない。
悪いことを口にすると、現実になるように思ったのだ。
「昇降機は無事です」
「よし、魚雷を集めて飛行甲板に上げろ。余裕があれば飛行機もだ。最優先で爆発物を火から離せ! …特殊作業車を回せ!」
「艦長、艦隊から外れます!」
「いかん、面舵一杯! 定位置に戻せ!」
艦橋と火災現場は、今や狂乱状態と化していた。
その上空で、なおも戦闘は続行中。
重厚な装軌車輌3両を乗せた昇降機が、ゆっくりと艦内へ沈んでいく。
「艦長、電探戻りました! 正常です!」
「よし、防空、電探射撃に切り替えろ」
その時、僅かな安堵を、再度の爆発音が吹き飛ばした。
一瞬にして、皆の顔が強張る。
「魚雷に誘爆しました! 火災はさらに拡大、手が付けられません!」
「昇降機は!?」
「…無事です!」
飛行甲板の一部が吹き飛んで、海に水しぶきを上げる。
めくれ上がった部分から、激しく炎が吹き出していた。
ぐちゃぐちゃになった艦尾が、無残だ。
「注水しましょう。このままでは危険です」
たまりかねて、副艦長が言った。
注水すれば鎮火の可能性は高いが、抵抗が増えて速度が落ちる。
艦隊から落伍すれば、さらなる危険が及ぶであろう。
幸いにして、魚雷の爆風は、大半が破孔から外へ逃げたようだ。
「いや、待て…。特殊作業車が行った、火災現場に残った魚雷は幾つだ?」
「…1、いや、2本です!」
「よし、彼等が何とかする。何としても延焼を食い止めろ。救助作業も忘れるな」
マリアナ沖での大鳳以来、瑞鶴も数次に渡って難燃化工事を実行してきた。
特殊作業車の搭載も、その一環だ。
それでも、1トン(2000ポンドだが)爆弾を受ければ、一撃でこうなってしまう。
「旗艦より、被害状況を報告せよ、です」
「中破。火災鎮火せず、搭載機収容不能なるも、航行に支障無し、と伝えよ」
「はっ、わかりました」
その時には、瑞鶴はようやく元の位置へと近付いていた。
視界に入る内では、瑞鶴が唯一の損傷艦のようだ。
これまで一度も命中弾を被らなかった割には、不運だ。
菊原艦長は、そう思った。
せめて、何とか持ち堪えさせ、内地に帰還させてやりたい…。
再び敵機が接近してくるが、息を吹き返した電探射撃の前に、簡単に落とされていく。
「爆発物の回収、完了しました。火災はまだ収まりませんが、延焼は食い止めました。15分で鎮火させます」
「よ〜し、よくやった。引き続き頑張ってくれ。…気合いを抜くな! まだ終わっとらん!」
艦橋内に響く安堵の声に、艦長はそう怒鳴りつけた。
もっとも、当の本人が頬を緩ませていたのでは、説得力もなかった。
この攻撃で、瑞鶴、雲龍、白鳳、阿蘇が航空機運用不能に陥り、その他、戦艦榛名など12隻が被害を受けた。
沈没は駆逐艦2隻だが、損傷艦も脱落はしていないのが幸いだ。
さらに、戦闘機276機が空戦で失われたが、敵機撃墜多数…報告を合わせると1900機にもなるが、電探情報では700機程度である。
特に雷撃隊へ与えた打撃は大きい。
個々の戦闘力もそうだが、北斗の持つ高性能電探や通信システムによる、戦闘制御機能の威力である。
この機能を有するのは、現在のところ北斗、大和の他、電波索敵飛行艇「大海」のみだが、将来的にはもっと拡張する予定だ。
そして、ネットワークとして情報を一体化し、大スクリーン上に敵味方すべての部隊を赤裸々に浮かび上がらせ、戦うのである。
極めて高度なシステムだ。
山本長官は、「我が方の損害軽微、敵航空打撃力は半減した」と結論付け、こちらからの航空攻撃準備を再開させた。
戦艦「ルイジアナ」
「読まれていた、としか言い様がないな…」
繰り出した2311の内、帰ってきたのは1584機。
それと引き替えに得た戦果は、駆逐艦2撃沈、空母3撃破、戦艦4、空母3、巡洋艦6、駆逐艦11に被害、というものだ。
もちろん、例によって4、5割は割り引いて考える必要があるだろう。
とてもではないが、効果的な一撃だったとは言えない。
そして致命的なことは、戦闘機はともかく、攻撃機が大被害を被ったことだ。
つまり、次に彼等が繰り出す一波は、破壊力で大きく劣るものとなる。
「敵も攻撃隊を出したはずです。早急に警戒を強化すべきです」
「もちろん、警戒は増した。だが、この状況をひっくり返すには、尋常な手段では駄目だ」
ニミッツ提督は考える。
敵攻撃隊を迎撃し、大損害を与えることで、再び航空優勢を確保する。
確かに、そういう考えももっともだ。
しかし、マリアナ沖では、少なからぬ日本機が、圧倒的に優勢な防空戦闘機網を破って侵入したという事実がある。
しかも、白昼堂々とである。
完全な防空など不可能であることを考えると、それは艦隊を危険に曝すことを意味する。
マリアナ沖と今回とでは、日本機動部隊の規模は、比較にならない。
この上戦艦部隊が多少以上の被害を受けたら、勝利は望めなくなるだろう。
何とか空振らせたいが…。
「提督! 高度40,000フィートで編隊が接近してきます!」
「そうか、戦略空軍のお出ましか…!」
「…300ノット弱で飛行中。高度推定40,000フィート。真っ直ぐ艦隊に向かっている」
ハリム中佐は、深刻な表情で告げた。
「護衛戦闘機と思われる機影多数。増援を要請する」
雲の上を飛ぶ敵機―――この空域に、味方の戦略爆撃機は居ないはずだ―――は、巨大な影を悠然と広げ、一面に展開している。
まるで、自分が空の王者だと言わんばかりだ。
その数およそ…少なくとも、爆撃機だけで500機は下るまい。
事前に察知した、敵の作戦通りの部隊だ。
しかし、針路が若干異なる。
艦隊を直撃するコースだ。
「繰り返す、真っ直ぐ艦隊に向かっている。既に発見されている可能性あり。警戒されたし」
放置すれば、かつてニュージャージーがやられたのは、航空機発射型の対艦ミサイルだ。
アレは無線誘導だから、雲の垂れ込めた今は有効とは言えないだろう。
しかし、彼は自国で電波源誘導、いわゆるパッシヴ・レーダー・ホーミング方式の研究が進んでいることを知っている。
戦略爆撃機など出してくるからには、そういった物を搭載している可能性も、大いにある。
むざむざ攻撃を許せば、艦隊が大きな損害を被ることは、火を見るより明らかだ。
『了解した。増援を送る。貴隊は要撃せよ。繰り返す、要撃せよ。如何なる敵機も艦隊上空に入れてはならない』
「了解。よし、聞いた通りだ。一機たりとも通すな! 行くぞッ!」
既に艦隊まで80km程しかない。
護衛戦闘機を片付けてから…などという、悠長なことは言っておれない。
たとえ、希薄な大気の中、フラフラの飛行状態であっても…。
敵編隊は正面上空。
彼は、スロットルを全開に開きながら、ゆっくりと操縦桿を引いた。
キラリと、敵編隊の一部が光る。
「敵戦闘機、来るぞ!」
戦艦を護衛する駆逐艦のような機影が、小部隊に分かれてこちらへ突っ込んでくる。
『畜生! わんさか出て来やがって!』
その数およそ100機。
彼等の編隊は、わずか24機だ。
両者とも高速。
一瞬とも言える間に、見違えるほど機影が大きくなる。
双発機だ。
屠龍、月光、キ−102…いずれもその性能から、当てはまらない。
「新型機だ! 気を付けろ!」
その時、敵機の機首が、次々と煌めいた。
サーッと、光の筋が降ってくる。
下からでは、敵と違って、まだ弾が届かない。
そう判断した中佐は、僅かに機体を滑らせ、射線をかわした。
「…墜ちろ」
間近に迫った影に、彼は実に正確に引き金を引いた。
無線機から、騒々しい声が聞こえる。
機首4連装の20ミリ機関砲が、光を宿す。
正面の敵機を、すれすれでかわす。
振り向く。
「…なんて射撃だ!」
彼が一連射を浴びせた敵機は撃墜できたようだが、付いてくる味方は、半減していた。
敵戦闘機編隊は、下方へ去った。
目前には、信じがたい巨人機の編隊が近付いてくる。
「敵はワイバーンだ! これより攻撃する!」
富嶽の事を、彼等は制式コードネームよりも、その言葉で呼んでいた。
威圧されそうなほどの巨体に、6基ものエンジンを唸らせ、彼のことなど眼中に無いかのように、相変わらず飛んでいる。
誰が付けたか知らないが、まさに飛龍(ワイバーン)だ。
高々度の薄い空気のため、緩慢な上昇角になった機を、彼はその巨人へと突き進ませる。
丁度、前下方から突き上げる形だ。
「2機、俺に付いてこい! 先頭のヤツをやる!」
『ブラック4、了解!』
『アーチャー1、一緒に行きます!』
突然、黒い巨人から、幾条もの射弾が向かってきた。
正面からではなく、隣の機も、防御砲火を放ってくる。
欧州で護衛していたB−17編隊のと比べても、明らかに濃い。
凄い火力だ、と中佐は驚いた。
しかし、彼も凡庸な腕ではない。
じりじりと機体をかわしながら、確実に詰め寄る。
味方が被弾し、火と煙を曳きながら、後落していく。
いまだ。
再び、4連装のAN−M3機関砲が、次々と弾を吐き出す。
射弾は巨人機の主翼付け根に集中し、炸裂弾の閃光が連続して瞬く。
それが見えたのも一瞬で、編隊の上へ出た。
振り返ってみる。
が、火災はおろか、煙を噴く様子もない。
わずかに破片を撒き散らして、しかし悠然と飛んでいた。
「バケモノが…!」
相変わらず、愛機の腹目掛けて、多量の機関砲弾が飛んでくる。
それを、右へ左へ、失速しないギリギリの機動で、かわす。
速度が落ちている。
付いてくる味方機は、さらに少ない。
わずかに一機だけ、敵超重爆が火災を起こしていた。
「駄目だ、これだけの機では、どうにもならん。護衛を引き剥がすぞ、付いてこい!」
上から見た敵編隊は、ほぼ満月の光を跳ね返し、冷たく輝いていた。
こんな奴等が大挙して襲ってきたら、合衆国は大丈夫なのか。
ドイツ人は、こんな気持ちで戦っていたのだろうか。
防御砲火の射程から逃れ、敵戦闘機へ降下をはじめた彼は、そう思った。
「上空へ侵入されます! 阻止できません!」
「全艦隊針路北東に取れ! 速力27ノット!」
F9Fジェット戦闘機の増援にも関わらず、重爆の大編隊は、機動部隊の頭上を占拠し始めていた。
重爆59機を撃墜していたが、なお450機前後が突入してきた。
「警報! 敵爆弾槽扉開放!」
高度は相変わらず40000フィート。
誘導爆弾を使用するであろう事は、最早確実と言っていい。
「全艦隊へ下令、指示があるまですべての電波放射を停止せよ! サーチライト点灯!」
電波誘導弾を使用される事への備え、そして、遅いとはわかっているが、爆弾を発見し、回避するためのサーチライト。
祈るのみ、だ。
「凄い音だ…」
奇妙な静寂の支配する中、悪魔の呼び声のような、恐ろしい轟音が、徐々に大きくなっていく。
敵編隊のエンジン出力は、彼の機動部隊のエンジン出力より、大きいのだ。
我々を狙っているはずがない。
爆弾など降ってこない。
そう、思いたかった。
『敵機、爆弾投下!』
味方機からの声が、淡い期待をも打ち砕いた。
「来たぞ!」
そう時間の経たない内に、サーチライト回廊に、無数の爆弾が映った。
一部の艦が、それに向けて高角砲や機関砲を撃ちかける。
命中するものではない。
しかし、次々に他の艦も真似を始める。
「祈れ…」
異常な静けさが支配するルイジアナの司令塔で、提督は静かにそう言った。
ヒューヒューという、気持ちの悪い音が、折り重なり、木霊して響く。
彼等にとって不幸なことは、この爆弾が、赤外線誘導弾である事だった…。
7000発を超える“ケ号二型爆弾”は、煙突の熱に吸い寄せられ、各々意思のあるかのように、米艦船に向かっていたのだ。
やがて時限信管が作動し、爆弾はそれぞれが800発を超える子弾に分散し、降り注ぐ。
逃れる術は、既に無かった。
各艦に、そして海上にも、無数の閃光が走り、騒音が支配した。
広大な海域が、白く泡立つ。
いずれの艦も、速度は落ちず、被害は比較的軽い。
後に彼等が「クラスター爆弾」と呼ぶ物。
だが、すべては“予定通り”だったのだ…。
夜半が過ぎた。
恐れていた敵艦隊からの航空攻撃は、あの爆撃の直後に来た。
戦闘機隊はよく戦い、敵のサム(烈風)及びジョージ(紫電改)に対し、終始優勢に戦った。
しかし、無数の小型爆弾を浴びた各艦の対空砲火は、存在しないに等しい弱さだった。
敵重爆隊の狙いは、最初から対空システムの破壊にあったのだ。
見透かしたかのように、敵雷爆撃隊は、空母を集中攻撃した。
凧のような物を曳いた魚雷は、艦底直下で炸裂。
正規空母を一撃で引き裂く破壊力を見せつけた。
善戦空しく、航空隊は母艦もろとも半減させられてしまう。
「このまま引き下がってなるものか。戦艦は健在だ」
しかしながら、それでも戦意の挫けないところが、アメリカ人だ。
ちなみに、逃走を叫ぶスプルーアンス提督は、空母サラトガで“頭部への原因不明の衝撃”のため昏睡状態にあった。
各空母の必死の復旧作業によって、半減したとは言え、まだ700機以上の戦闘機が、稼働状態にある。
艦隊は、一直線に敵主力へと向かっている。
最早、潜水艦を恐れての韜晦すらない。
後方からは英国艦隊も付いてくるが、恐らく間に合わないだろう。
「提督…!」
その時、誰かが血相を変えて入ってくるのが、皆の目に留まった。
「これが、二号、三号作戦だったという事か…」
手渡された書類を握り締めながら、ニミッツは呻いた。
「何でしょう?」
艦長が聞く。
「ダッチハーバー、サンフランシスコ、ハワイがやられた。前の二つが重爆の力押し、ハワイは空挺隊による大規模奇襲攻撃だ」
「そんな! それでは…」
いずれ劣らぬ、大海軍泊地だ。
いや、だった。
この結果、勝とうと負けようと、退路を断たれる危険性が高くなった。
ハワイは破壊されたのではなく、占領されたのだ。
兵員だけでなく、軽戦車まで投入したその意図は、明白である。
「勝てば良いのだ。艦隊さえあれば、ハワイの奪還は難しくない」
二度の航空攻撃は受けたが、彼等の艦隊は未だ健在だ。
戦艦に限れば、一隻も失われていない。
だが、勝てるのか?
誰もがそう思うが、誰も言わない。
逆の問である。
勝てなかったら、逃げるのか?
逃げたら、勝ち目は無い。
日本の物量に押しまくられ、じり貧に陥り、最後には敗退する可能性が高いのだ。
「敵艦隊、レーダーにて確認!」
その時、ひときわ強い声が、司令塔に響いた。
「よし、戦艦陣は主砲戦用意。直衛隊を除いた巡洋艦及び駆逐艦は先行し、予想される敵水雷戦隊を阻止せよ」
どちらが勝つにせよ、史上最後の大規模水上艦決戦になるだろう。
太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将の予感は、的中することになる。
戦艦「武蔵」
「流石にアメリカ海軍。それでこそ、三大海軍国の名に相応しい」
夜戦艦橋に居た有富艦長は、劣勢に関わらず挑んでくる米海軍の果敢さを讃えた。
無論、敵にも後が無いと知った上での発言だ。
41年末の就役以来、連合艦隊旗艦の栄誉を担ってきた武蔵も、今では北斗にその座を譲り、他と同じ一隻の戦艦となっていた。
戦力でも大和の他、51センチ砲搭載艦の紀伊、尾張に追い抜かれていた。
艦隊司令長官室は、空室のまま。
だが、有富艦長以下全乗員が、この戦艦が好きなのだ。
今だって、その強大な戦力に対して、弱いなどという評価はあり得ない。
「だが、我々は一切の手加減を排除するであろう」
第一艦隊戦艦陣の先頭を走る武蔵には、敵からの熾烈な砲撃が予想される。
その上、18インチ砲搭載艦を、敵が持っている可能性もある。
一航艦と二航艦は、彼等の第一艦隊の後方へと後退した。
第二艦隊は、大回りして敵側背面を突く。
さらに、特別任務部隊の超大型戦艦2隻も、真北から全速力で接近中。
武蔵には苦しい戦いとなるかも知れないが、既に勝ちはほぼ動かない。
「旗艦より命令、取り舵です」
「ふむ。敵に北への転針を強要する構えだな。わかった、取り舵」
連合艦隊の曳く白い筋が、一斉に左へと曲がり始める。
「紀伊が探照灯照射」
戦艦同士、距離は50,000m。
武蔵の後方を走る巨艦紀伊から、光の筋が4条走り、敵前衛の巡洋艦部隊を照らした。
さらに、長門と伊勢が、副砲から星弾を撃ち始める。
米艦隊も、巡洋艦から照明弾を発射した。
最初に砲火を開いたのは、重巡洋艦「高雄」であった。
歴戦の艦が持つ連装5基の203ミリ砲が、盛大に火を噴く。
直後、米巡洋艦部隊の「アラスカ」、「ハワイ」、「グアム」、「プエルト・リコ」が主砲を発射した。
金剛型に匹敵するほどの巨体に、30.5cm砲9門を載せた、巡洋戦艦的な巨大巡洋艦。
それを皮切りに、両軍の巡洋艦部隊が、一斉に砲火を開いた。
巡洋艦に、あるいは駆逐艦に、次々と巡洋艦の主砲弾が飛来する。
無数の水柱が、留まるところを知らずに噴き上がる。
上空には両軍の艦上機が入り乱れ、こちらも主導権を握らんと、炎を吐く。
敗退した方が、敵の水雷突撃を受け、戦艦部隊の隊列を乱され、総合的敗北へと繋がる。
あるいは、好き放題の航空攻撃を受け、同じく劣勢に陥る。
だから、双方とも必死であった。
紀伊、尾張の51cm砲が、火を噴いた。
今までとは比べ物にならない轟音が、雷鳴の如くに夜闇を裂く。
重巡ニューポート・ニューズが、愛宕の203ミリ砲弾を受け、爆炎を噴く。
アラスカ、ハワイの集中砲撃が、今にも高雄を捉えそうだ。
伊勢、日向の主砲が閃光を放ち、デ・モインとサレムを狙う。
殿艦を務めるルイジアナが、遂に自慢の18インチ砲を放った。
続けて、米戦艦の残る13隻が、117門の16インチ砲を発射。
山火事か何かのような炎が、水平線にずらりと並び、続けて轟音が衝撃波を伴って拡散する。
直後に、紀伊、尾張の第一撃が、米戦艦陣の先頭を走る、イリノイ付近に殺到した。
悪魔の所業の如き、途轍もない水柱が、32本、高々と噴き上がる。
が、弾着はだいぶ手前だ。
長門、陸奥、武蔵の主砲が、米戦艦陣を狙う。
117門から放たれた16インチ砲弾が、武蔵の周囲に殺到した。
一瞬にして、海水のカーテンが下から上に降り、巨大戦艦をすっぽりと隠してしまう。
最初の一撃から3発の命中弾があり、高角砲群が吹き飛ぶ。
水幕が消え去ったとき、武蔵は若干の炎と煙を出して、燃えていた。
長門、陸奥、武蔵の主砲弾が、同じくイリノイ周囲に水幕を形成する。
だが、当たらない。
「13対1とは、流石にこれは辛抱たまらんな。第二艦隊はまだか」
さすがの有富艦長も、ひきつった苦笑を浮かべた。
次を喰らったら、彼自身、生きている可能性は低そうだ。
その時突然主砲が発射され、艦橋が揺れる。
爆風の圧力で、火災は吹き消されてしまった。
「勝てそうです」
「勝たねばならん。…しかし、おかしい。敵が少なすぎる」
「別働隊で挟み撃ちにする気では? とにかく、目の前の敵を早く叩いてしまうことです」
「それもそうだな。兵力分散の愚を犯したか」
双眼鏡で覗きながら、ニミッツ提督は、ジョンストン艦長に答えた。
挟撃も上手く行けば戦法だが、片方が間に合わなかったりしたら、単なる失策に過ぎない。
ルイジアナの主砲が火を噴く。
18インチ砲の爆風は、途轍もない。
ボフォース40ミリ機関砲に、特別あつらえの防爆シールドを必要としたくらいだ。
先頭の敵戦艦に再び砲撃が集中し、噴き上がった水がゆっくり引いたとき、その艦は激しく火を噴いていた。
しかし、減速する様子は無い上、直後に主砲を斉射してくる。
「16インチでは貫徹できないのでは…?」
ジョンストン艦長が、そう言った。
「かもしれん。よし、本艦は先頭の敵戦艦を、他は後ろの4隻を狙え」
レーダー情報から、敵の2、3番艦がさらに巨大な戦艦であることは、わかっていた。
「敵巡洋艦、我が方の巡洋艦に魚雷を発射しました」
「苦し紛れか。構うな」
巡洋艦は数も質も米側が上なのだ。
本来戦艦に撃ち込みたい魚雷を、前衛の巡洋艦に撃つということは、それだけ追い込まれているという事だろう。
「左舷に新たな敵艦隊!」
「艦隊左舷より魚雷が接近! 極めて高速、従来の物ではありません!」
ルイジアナを除く戦艦部隊が、報告を掻き消すように、一斉に主砲を放つ。
イリノイが火災を起こしていたが、問題はない。
「間に合ってしまったか。面舵に切れ!」
今、戦艦陣には、わずかな直衛部隊しか付いていないのだ。
炎を曳きながら、先頭のイリノイが右へ曲がり始める。
他の戦艦も、それに追従する。
突如、前から6番目を走るインディアナが命中弾を受けた。
武蔵の放った46cm砲弾だった。
それは一番主砲塔の天蓋を貫き、砲塔後部で爆発した。
装填作業中の砲弾が誘爆し、火炎と共に砲塔上部が吹き飛んで海面に転落する。
しかし、何とか弾薬庫への誘爆は免れる。
「魚雷、針路を変えて接近してきます! 誘導魚雷のようです! 数およそ90本!」
「なにぃッ!?」
艦橋は凍り付いた。
彼等の使う魚雷が、どれほど危険な破壊力を秘めているか、それを一番知っているのは、他ならぬアメリカ海軍なのだ。
“ロング・ランス”を喰らったら、戦艦でさえも、ただでは済まない。
それが誘導魚雷だったら…。
皆一様に、血の気の引くのを感じた。
「仕方ない、各艦各個に回避せよ! 何が何でも避けきれ!」
その時、米戦艦の放った第5斉射が、再び日本戦艦群を捉えた。
先頭の敵艦に、18インチ砲弾少なくとも2発が命中。
他、5隻に合計6発が命中したようだ。
同時にルイジアナにも陸奥の放った41cm砲弾が飛来するが、3番主砲塔への命中弾は、強力な装甲板で弾き飛ばした。
しかし、イリノイに命中弾多数。
猛烈な火災を起こし、停船してしまう。
その上、遂に魚雷が来た。
大量の炸薬を抱いた巨大な魚雷が、次々と米戦艦を襲う。
アイオワ、イリノイ、ミズーリ、サウス・ダコタ、モンタナ、メイン、ニューハンプシャーが被雷し、内イリノイ、サウス・ダコタが瞬時に轟沈。
さらに、アイオワ、ミズーリ、モンタナ、メインが大破航行不能。
残りも機関に重大な損傷を受けてしまった。
これで、戦える戦艦はウィスコンシン、ケンタッキー、マサチューセッツ、オハイオ、そして旗艦のルイジアナ。
無傷の艦は、ルイジアナただ一隻のみ。
今や、米新型戦艦群の威容は、業火の中で過去の物となってしまったのだ。
前衛の巡洋艦部隊だけは、相変わらず優勢に戦っている。
「敵の新たな戦艦部隊、我が空母群を砲撃しています!」
その声も、提督の耳には入っていない。
「大変です!」
「これ以上大変なことがあるか!」
ハッとなったニミッツは、つい怒鳴りつけた。
しかし、その兵は構わず続けた。
「大統領が、亡くなられました…!」
「な…」
神は、合衆国を見捨てるというのか?
何故だ。
彼は、がっくりと椅子に座り込んだ。
夜空はどんよりと雲が垂れ込め、言われてみれば不吉だ。
…そういえば、先程から砲声が止んでいる。
全艦艇が、彼の決定を待っているのだ。
「それを受け、敵アドミラル・ヤマモトが停戦勧告を申し入れてきまして…」
「…何?」
停戦という話も驚くが、アドミラル・ヤマモト?
「彼はニューギニアで墜死したはずでは?」
謀殺と言っても良いが。
ジョンストン大佐の声に、ニミッツは心の中で補足した。
「どうしましょう。受け容れますか?」
「うむ。我々こそ、拒む理由は無かろう」
そう言いながら、彼は、上手い手だと思った。
まさか大統領の死を見越したわけでもあるまいが、我々の名誉を傷付けることもなく、最後まで抵抗する義務から解放する。
どのみち、ここまで手酷くやられたのでは、既に挽回の機会も無い。
大体、泊地も無いのに、どこへ帰ればいいのやら。
それでも、部下の一部でも生きて戻れるのなら、それも良い。
自分の失職は免れないだろうが、それでも良いのだ。
「提案を受け容れると伝えよ。そして、救難活動にかかれ」
妙にすっきりした気分で、彼は命令を下した。
ミズーリは浸水が増大し、いよいよ危険な状況だ。
モンタナも被害が大きく、とても帰れそうにはない。
こうして命令を出せる立場にあるのも、あと僅かだろう、そう思いながら…。
つづく
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