火葬戦記 〜跳梁跋扈!?〜

 

第十五話

 

1945年8月14日 沖縄西方沖

宇宙を思わせる深い高空の青を背景に、鋭い金属音が過ぎる。
『こちらフジ、敵機は推定250機。内100機は護衛機と思われる』
「了解、針路はこのままで良いか?」
『針路、高度共にそのままで接敵できる』
「了解した。編隊長機を叩き、混乱を誘発する。残りは後続に任せたい」
『わかった。生きて戻れ。以上』
管制室からの答えを聞き、藤崎は通信を終えた。
ちなみに、「フジ」とは那覇に置かれた防空管制室の事だ。
2基のネ−36の放つ甲高い轟音が、小刻みな振動と混じって彼を揺さぶる。
後方には2機、新庄(妻)機と、草薙(子)機が付いてくる。
なかなか、鋭く精悍なスタイリングだ。
Ta183“フッケバイン”の血を引く、先鋭な後退翼は、超音速性能を保証する。
彼は、九号空対空誘導弾と、ホ−2005−11(MG213C)機関砲の安全装置を解除した。
火器管制を兼ねる空11号電探も、正常に動作するようだ。
敵機の姿は映っていないが、40kmほど後方に震電二四型の編隊が続くのが確認できる。
再び、安全装置を入れる。
接敵まで、あと2分弱。
高速巡航速度990km/hで、実験空軍の派遣した丙戦闘機「召雷」一一型は、薄く煤煙を曳いて、高空を駆け抜けていく。
鋭い金属音が、その後塵を拝する。
やがて、明らかに敵と思われる機影が、レーダースクリーンに映り始めた。
受像器の示す距離は、65km。
『敵機、発見!』
最初にそれを報じたのは、やはり新庄だった。
重爆の大編隊は、100km以上先から視認された例もあり、この距離での発見は、特別に凄いわけではない。
戦闘機乗りとしては。
「よし。迂回しながら後方に回り込む。一撃を加えた後は、編隊を解き、各自の判断で攻撃せよ。ただし、無理をする必要はない。それから草薙隼人少尉、召雷は速度を落とさない限り捕捉されない。如何なる場合にも、減速してはならない」
『了解』
『了解。わかってます』
藤崎は“わかっているつもり”では困る、と言いかけたが、状況を考えて止めた。
編隊は緩く左旋回しながら、高度を上げていく。
主翼下に釣り下げられた4本の矢―――九号空対空誘導弾「烈火」―――が、不気味に陽光を反射する。
最も原始的な航法である純粋追尾航法を用い、しかも太陽が目標から10°以内にあると、それを目標と誤認する欠点がある。
しかしながら、航続距離3000mの対空ミサイルとなれば、その価値は計り知れない…はずだ。
今日、その真価が試されるのだ。
編隊は旋回を左に切り替えた。
今や、敵編隊の全貌は、白日の下にさらけ出された。
「ショッキングなデザインだぜ…」
草薙(子)がそう評した大型爆撃機は、B−35フライングウィングという。
確かに、幅広のブーメランのような機体は、ショッキングと評しうる。
宇宙人の乗り物みたいだ、と誰かが言っていた。
その後方やや上空に、異形の双子機P−82ツインムスタングが続く。
数はおよそ100。
P−82の直下には、B−30デヴィルアロー。
普通のカタチをした飛行機が一機もない。
新庄と草薙は、少々呆れた。
しかし、すぐに気を引き締める。
どれを取っても、侮れない高性能機だと言われているのだ。
「エイ・エイチ・オウ・1よりフジ、敵はB−35、B−30及びP−82。ただし、詳細な型及び錬度は不明」
藤崎は、このエイ・エイチ・オウ・1という呼出符号が大嫌いだった。
AHO…つまり、「アホ」である。
こういう符号を決めたのは、もちろん隊長の柳井。
長すぎるという致命的な欠点もあるのに…。
だが、今や彼の頭には、そんな事を考えていたという事実は、欠片ほども残っていない。
海軍流の迷彩を施された召雷戦闘機は、鋭い旋回を見せて、ピタリとB−35編隊の後上方に占位する。
上に被されば、ミサイルが間違って太陽目掛けて飛んでいくこともない。
「私が編隊長機をやる。新庄はその右、草薙は左の機を狙え。後は単機で自由に戦って良い。ただし、燃料に気を付けろ」
指示を出しながら、藤崎は慌ただしく安全装置を解除し、“烈火”の発射準備を整える。
6つのスイッチ、レバーを正しく操作する作業は、少々慣れが要る。
『了解』
『了解、さぁ…はじまるか』
後方を見る。
レーダーの示すとおり、P−82の編隊は、まだかなり後方だ。
何をやっているのか、といったところだが、ありがたい。
実際には、B−35編隊も500km/hを超す高速で飛行しているため、俊足のP−82といえども、容易には追いつけないのである。
スロットルを徐々に開きながら、じりじりと距離を詰めていく。
不規則な機械音が、徐々に高い音に遷移していくのがわかる。
“烈火”の熱を見る“目”は、発射以前には、真正面に一番近いモノに反応するように出来ている。
やがて、先程から聞こえてきた機械音は、ビーという高い音に達し、安定した。
“目”が目標を完全に捉えたという合図だ。
藤崎は、スロットルに取り付けられたボタンを押した。
機体に軽い振動を残して、オレンジの炎が、白煙を曳いて踊り出した。
続いてもう一度。
まったく同じように、2基目の誘導弾も飛び掛かっていく。
脇から、別の白い筋が、同じように伸びていく。
藤崎は針路をそのままに保った。
別に命中するまで目標を捉えておく必要は無いが、最初と言うこともあるから、しっかり見届けなければならない。
キラキラと輝く、銀色の群。
後方の2機は、旋回しつつ飛び去っていく。
赤い火の玉が、巨大なブーメランを思わせる敵機に沸き起こった。
続けてもう一度、14kgの高性能爆薬が起こす、熱と光の地獄。
その脇の2機にも爆発。
巨人爆撃機の運動性では、かわしようもない。
近接信管の必要すらない、完全な直撃だ。
彼の撃った編隊長機は、炎に包まれたまま2つに割れ、破片を撒きながら墜ちていく。
さらに、撃たれた残りの2機がぐらりと傾くのを見て、彼は基地に報せた。
「誘導弾は全弾命中。極めて有効であることを確認」
黒煙を曳いて墜ちていくB−35の真上を過ぎた。
1基命中するだけで、撃墜は不可能であるようだが、しかし作戦遂行が不可能となる損傷を与えられるようだ。
僚機2機から1基ずつの命中弾を受けた2機のB−35は、ゆっくりと高度を下げながら、編隊を脱落していく。
藤崎は軽快なジェット戦闘機をゆるやかに左旋回させつつ、重力の3倍ほどのGの中で、周囲を見渡した。
護衛のP−82編隊が近付いてくる。
700km/h以上出ているようだ。
しかし、彼の機は900km/hを軽く超えている。
初の実戦試験となるが、戦闘機相手にもやった方が良いだろうと彼は思った。
もう一度見渡す。
草薙機が、誘導弾を発射した。
他に、1機のB−35が、黒煙の中に赤い光をちらつかせながら、高度を下げていくのが見える。
防御砲火を完全に無視して…まるで演習だ。
いつもこうだと良い、いや、誘導弾の数が揃えば、それが普通になってくれる。
藤崎はそう思った。
新庄機は、彼と同様にP−82に挑むようだ。
彼女の方が、接触は先だ。
その正面のP−82編隊が、パッと小さな群になって散った。
統制の取れた4機小隊。
錬度はかなり高いようだ。
「…よし」
適当な小隊に狙いを付けて、彼も機体を導く。
方や2式戦、方や零戦で大量撃墜を記録したエース同士。
たとえ100対2という、暴力的なまでの数の差があっても、その機体性能と腕の前には、物の数ではない。
見る見る迫る4機編隊が、今度は2機ずつに分かれた。
2機が彼の後方に周り、撃つというやつだ。
しかし藤崎は、構わず誘導弾の発射ボタンに手を掛けた。
B−35を屠ったときと同様、ビーという音を確認する。
固体燃料ロケットの残した白い雲が、前方の双胴機を目指してずんずん伸びていく。
すぐさま彼はもう一機に狙いを付け、最後の1基を発射した。
そして、操縦桿を思い切り押す。
時速1000km/hを超えた機体が、苦しげな呻き声を上げながら、60度の急降下に移った。
さらに速度が付く。
視野の端に彼は見た。
鋭く雲を曳く翼端が、“はためいて”いた。
次元の違う高速の前に、後方に付いてきた2機のツインムスタングが、あっという間に置いてきぼりにされる。
やがて諦めたのか、その2機は機首を上げ、去っていった。
速度計の指針が、ふらふらと狂い始める。
音速が近いと判断した彼は、ゆっくりと機首を引き起こした。
2条の雲が、鋭く、しかし単純なカーブを描き、それは上へ抜けていく。
レーダーを見れば、バラバラに散った輝点の中に、3つの編隊があった。
2つの大きな編隊と反航するのは、海軍航空隊の震電24型。
彼は、遙か頭上で、それが襲撃態勢に入るのを見た。
B−35の編隊は、かなり陣形を乱していた。
攻撃しやすくなれば良いが、と彼は一瞬だけ震電隊の心配をした。
燃料計を見れば、間もなく半分を割りそうというところ。
大空には幾つかの黒い筋が流れている。
「エイ・エイチ・オウ1より2及び3へ。帰りの燃料が少なくなってきた。これより帰還する。直ちに戦闘空域を離脱し、各自帰還せよ。繰り返す、各自帰還せよ」
『了解』
『私の方は、燃料は充分です。まだ戦えます』
「新庄、帰還だ」
『了解しました』
上昇から水平に戻し、機首を東南東に向けながら、彼は通信を終えた。
配下の2機は、いずれ劣らぬベテラン。
まして、召雷は巡航速度でも900km/hを上回り、米軍のプロペラ機で追撃することは不可能である。
わざわざ編隊に戻る必要は無い、という判断は、この機に対する軍共通の見解であった。
震電隊が襲撃を開始し、そこかしこで光と黒煙が瞬きはじめる。
そんな中で、彼らを追いかけてくる物好きは、居ないようだ。
それを十分に警戒しながら、3機の新鋭戦闘機は、意気揚々と引き揚げていった。







「そろそろ出迎えが来るぞ。各機に通達。目視での警戒も怠るな!」
いつになく気合いの入った声で、柳井は吼えた。
米爆撃隊と同様、深い青の支配する高々度15,000mを、大きな赤丸を描き込んだ編隊が、20本ほどの飛行機雲を曳いていた。
編隊の要に位置する、空飛ぶ巡洋艦の如き超大型飛行艇に、彼は居た。
それに付き従う機体も又、6基ものエンジンを誇らしげに唸らせる超大型機・富嶽。
数こそ少ないが、その編隊には、空の帝王と呼ぶに相応しい風格があった。
眼下は4割ほど雲が覆っている。
「雲が多いな。心配だ」
機体に相応しい、豪快に大きな操縦席で、柳井は呟いた。
「大丈夫でしょう。天候が悪ければ爆撃は難しくなりますが、敵も飛行が困難になります」
機首銃座の荒川が答えた。
「しかし、飛べないほどの大荒れでも無さそうだぞ」
彼らは知らなかったが、この時フィリピン東北東沖には大型台風があり、海戦が想定される海域は、大時化だったのである。
『第3大隊、離れます!』
その時、尾部銃座から報告が入った。
編隊は幾つかに分かれ、別々にフィリピン全域、特に大型爆撃機を運用できる大飛行場を狙う手筈になっている。
飛行場は多いが、大型爆撃機を運用でき、しかも爆弾の集積されている飛行場は、限られている。
戦略空軍のキ−74が事前に偵察を行っており、それに基づくものだ。
集積された爆弾を吹き飛ばしてしまえば、少なくとも2度目の空襲は阻止できる。
「よし、幸運を祈ると伝えておけ」
「了解」
草薙(父)が、無線機をいじりはじめる。
柳井にとっては、魔法の手。
最近、ハイテクが次々に侵略してくるお陰で、サッパリわからない。
その彼の手には、くすねてきたレーザーポインターが握られていた。
ちなみに、B−35編隊に挑んだ戦闘機乗りの草薙は、彼の息子だ。
巨人機の編隊が、悠然とバンクしながら離れていく。
「電探に反応あり。350度の方向、350ノット、高度7500m。推定30機…訂正、50機」
「おいでなすったか。繰り返すぞ、目視での警戒を強めさせろ。それと荒川、防空射撃装置を起動しろ」
「了解」
荒川は、目の前にあるトグルスイッチを倒した。
電源を得た機器が、次々と立ち上がる。
そして、スクリーンに異状なしが表示された。
「起動しました」
「よ〜し、使わないで済むに越したことはないが…気合いを入れろ、投下する前にやられるわけにはいかないぞ」
編隊は、なおも進む。







午後6時40分過ぎ、戦艦「ルイジアナ」

「何だ」
司令長官室から昼戦艦橋に出ていたニミッツは、言った。
その艦橋が揺れる。
艦隊は台風を抜けてきたが、この海域に至ってもなお、その影響は収まっていない。
「はい、報告します。我が方のF7Fが、グレース(流星改のコードネーム)と接触しました」
「なるほど、場所は?」
「…ここです」
地図を広げながら、兵は一点を指差す。
「くさいですね。敵主力の偵察機では?」
暗号解読によって判明した連合艦隊主力の針路上を指す一点に、艦長ジョンストンも声を出す。
「そうだな…」
これで接触は4度目となる。
「なお、敵機は撃墜したとのことです」
艦隊は既に沖縄の真南およそ700kmに到達する。
彼は、しばし逡巡した後、命令を発した。
「進路を真東に取れ。計画通り、攻撃隊を出撃させろ。艦隊速力27ノットに増速。ああ、スプルーアンスが何か言ってきたら、命令に従えと答えてくれ」
「了解」
大艦隊が、航跡をカーブさせながら加速する。
夜の帳が降り始めた海原に、優美な曲線を描く白い筋が映える。
雄大な落日に背を向け、大艦隊の艦船が、アンテナや砲身を東へと振り翳す。
ニミッツ機動部隊も又、連合艦隊に負けない大勢力だ。
正規空母は戦前完成組に加え、エセックス級が25隻、さらに新鋭空母ミッドウェイが加わり、総勢31隻。
戦艦は、ノース・カロライナが先頭を行く。
そしてアラバマを除くサウス・ダコタ級3隻、ニュージャージーを除くアイオワ級5隻、さらに巨大戦艦モンタナ級5隻と続く。
これら戦艦は2つの単縦陣を取り、空母の両脇を固める。
その周囲を、そう、数える気にもならないほどの巡洋艦、駆逐艦が護衛し、粛々と進む。
さらに後方には、戦艦3、空母4を基幹とした英国東洋艦隊が続く。
飛行甲板では、所狭しと並べられた艦載機群が、次々とエンジンを始動していく。
2000機を軽く上回る航空機のエンジン音が、旗艦ルイジアナにも折り重なって届く。
「報告します。昼の空戦結果がまとまりました」
歴戦の空母サラトガから1機目が飛び立ったとき、その声が掛かった。
「聞こう」
「沖縄への爆撃は、完全に阻止されました。出撃した戦略空軍の航空隊は、90%以上を失って壊滅状態です」
「なぜだ…」
ニミッツは天を仰いだ。
あまり上手く行かないのではないか、という予感はあった。しかし…。
「敵邀撃機の数には恐るべきものがあり、空が敵機で真っ黒に染まるほどだったそうです…。さらに想定外の事は、長距離地対空ミサイルが想像以上に多数配備されており、防空戦闘機網を突破した機も、これによって次々と墜とされたとのことです」
B−29、B−30、B−35など900機もの重爆編隊に、700機以上の護衛戦闘機が付いていて、なぜ…。
「信じられん…」
「私もです。…今の今まで、彼らにそのような物量があるとは、信じてはいませんでした。いえ、今でも信じられないのかも知れません」
放心したようなニミッツの言葉に、艦長が深刻な口調で同意した。
大陸から飛び立った部隊はともかく、フィリピン方面からの航空隊が全滅するとは、流石の彼らも予想外だったのだ。
「敵のミサイルは“フンリュウMk.4mod3”、“No.16”及び“No.7”で、今回の戦闘で、いずれも50km以上、場合によっては100kmを超える射程を有する事が判明しました。他に、少数の空対空ミサイルが使用されていたようです」
兵士は不安な表情で報告を続けたが、その部分は最早どうでも良かった。
「何にせよ、沖縄への空襲は不可能ということだな…。モンスター狩りは?」
モンスター戦艦、すなわち大和を狙って、5.5トン爆弾搭載の重爆300機以上が出撃していた。
もう期待してはいなかったが、ニミッツは結果を聞いた。
「敵を見る前に、全滅しました。防空戦闘機の傘の下でした」
「…そうか」
「提督、我々は…」
ニミッツは、皆の視線が自分に集まっていることに気付いた。
「何を考えている。空軍の連中はどうだか知らないが、我々の艦隊は無傷だ。一発の機銃弾さえ撃っていない。逃げ帰るつもりか? 全国民に石を投げられることになるぞ。安心しろ、艦の質の差は、そんなに無いはずだ。数なら我々が勝る。それに…」
そこで、彼は一息ついた。
「今戦わずして、いつ戦う? 待てば待つほど勝機は遠ざかる。我々は逃げない。今、戦って、勝つのだ!」
さもなくば、合衆国は、いや、連合国は、ことごとく滅び去るだろう…と思ったが、彼は言わなかった。
艦橋は沸き返るが、それ故に、彼の心は晴れなかった。
空襲は通用しない。
原爆も無い。
恐らく、この海戦で今までのように勝てると考えるのも、愚かなことなのだろう。
しかし、他に方法は無い。
「ミッドウェイより、全機発艦完了とのことです」
「よし、頼むぞ」
艦隊から放たれた槍は、彼らの熱い期待を乗せ、夕暮れの曇天へと消えていった。
守りにわずか100機強を残すだけの、乾坤一擲の大勝負。
槍の穂先は、急降下も出来るパワフル雷撃機、ダグラスBT2Dスカイレーダー。
R−3350“デュプレックス・サイクロン”の新型に物を言わせ、合計3トンを超える爆装が可能な恐るべき艦攻だ。
さらに、格闘戦でゼロに勝てる事を謳った、グラマンF8Fベアキャット。
これらをレーダーで指揮管制する、異端の双発艦戦グラマンF7Fタイガーキャット。
そして切り札、ジェット戦闘機グラマンF9Fクーガーが、少数ながら加わる。
「…時間だ。針路0−9−0、真南に取れ」
しばらくして、彼はそう命令を下した。
最早、生きて合衆国の大地を踏むことはないかも知れない。
自分だけではない、ここに居る部下達も。
…いつだって、戦いとはそうしたものであったはずだ。
しかし、今日は、ことさら鮮明に感ぜられた。
「…しばらく、部屋に戻る。何かあったら、遠慮なく呼んでくれ」
そう言い残して、彼はその場を去った。







同時刻 軽巡洋艦「北斗」

―――捕虜は必要ない。一兵卒に至るまで殺害せよ。米国の弱点はその人口であり、1.4億は我が国の人口1億に比し、さほど大きいとは言えない。然るに、人材の大消耗は彼の国に致命的な打撃となるであろう。捕虜を養う食料という観点からも、望ましい、
山本長官は、そう書かれた紙を握り潰した。
「…それが皇軍の考えることか」
「何でしょう?」
「いや…。気象情報だ」
彼は、この命令を無かったものとすることにした。
北斗の設備を考えるなら、それが通らないのは明らかだ。
しかし、炎に追われ、やっとの事で海に逃れ出た、既に戦力にならない者達に向けて、機関砲を…。
従う気には、なれない。
幸いにして、統合戦闘制御室は、各種受像器を鮮明に見るため、照明が暗い。
お陰で表情を部下に読まれることもない。
彼は顔を上げ、正面の壁にある地図を見た。
索敵範囲内が明るくなって表示され、連合艦隊の西方およそ700kmに、多数の敵艦艇が映っていた。
機影もあるようだが、縮尺のためによくわからない。
「拡大しろ」
「了解」
巨大なスクリーンに映し出された地図が、敵艦隊に焦点を合わせ、拡大される。
そのわずか前方に、敵の吐き出したと思われる、極めて多数の機影が映っていた。
機種“未確認”の文字もある。
「見込みで出したか…。先制の一撃に賭けたな」
「この様子だと、殆どの機をこちらに差し向けているようです。反撃しますか?」
「…いや。まずは全力で迎撃する。戦略空軍が下ならしをする予定だ。早まった行動は連携を水泡に帰す」
じわりじわりと、敵編隊が東へ進むのが、画面上に描写される。
「それにしても、察知されるのが早過ぎる。まるで、我々を最初から狙っていたかのようだ。…ああ、縮尺戻せ」
地図が元に戻る。
確かに、敵艦隊の行動は、仮に電波索敵機が無ければ、特別任務部隊、戦略空軍の攻撃を共に回避し、先制の一撃を連合艦隊主力に加え得るものだ。
そして、仮に連合艦隊主力が1年前の水準であれば、恐らくそれで勝敗は決していたであろう。
敵の戦略空軍は、その目眩ましか…?
「つまり…?」
「そうだ。…作戦が、漏れている可能性がある」
「確かに、無いとは言い切れませんが…」
国内の諜報員は、かなりの数が摘発されたと聞いている。
それでも、まだ居るのか。
「潜水艦辺りが待ち伏せしているのかも知れん」
「しかし、仮に潜水艦が居たとしても、空からの警戒は、厳重に行っております。必ずや、発見できるものと考えられます」
「確かに、そうだ。敵の位置も完全に掴めており、これ以上敵大型艦の存在する可能性は、殆ど無い。が…」
それでも、長官は考える目だ。
何か、罠を張っているのではあるまいか。
潜水艦なら対処できるし、水上艦ということは考えにくい。
第一、これほどの艦隊を撃滅できる潜水艦部隊とは、一体ナニモノなのだ。
そんな物は存在しないのだ。
フィリピン及び大陸方面の航空戦力は判っているし、それがほぼ壊滅したことも判っている。
恐らく、飛んで来うるとしたら、戦略爆撃機しかないだろうが、こういった物が多数集結すれば、隠し仰せるものではない。
この作戦に当たって、特に増強された様子は無いのである。
となると、あまり大きな数が飛んでくることも無い。
それならば、艦載機と対空火器で、十分に対処できる。
…いや、漏洩という可能性自体が、杞憂なのかも知れない。
「考え過ぎか。だが、それを以て作戦漏洩の可能性を否定することは出来ない」
最終的に、そう、彼は考えた。
仮に可能性が肯定だとすれば、大いなる不安材料だ。
滅三号作戦などは、もし漏れていれば、失敗…いや、全滅を免れないであろう。
「直ちに大本営へ報告。作戦が漏れている可能性が考えられると、本官の私見として伝えよ。根拠は敵艦隊の挙動だ」
「わかりました」
「…いかにテクノロジーを駆使しても、敵の頭の中は読めんものだな」
敵艦隊の動静は、逐一大本営に伝えられているから、総合的な判断は向こうに委ねることが出来る。
暗号無電が、目に見えない内に、東京へと飛ぶ。
しかしながら、誰も、暗号が破られている事には、気付いていなかったのだ…。














つづく


付属資料 きわめて大雑把な作戦計画図(日本側のもの)

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