1945年4月26日 アメリカ合衆国アリゾナ州某所
澄み渡った空から降り注ぐ、凶暴なまでの陽光。
息苦しいまでの熱気。
砂漠の昼は、生命の気配など、たとえ居ても感ぜられない。
広大な荒野の片隅に、積み木細工のようなコンクリート造りの人工物が置かれている。
『15…14…13…』
そこから、くぐもった声が、スピーカーを通して流れている。
よく見ると、その素っ気ない建物の周辺に、数名の人間が居ることがわかる。
『7…6…5…』
その数名は、時折近くの者と話したりしながら、落ち着かない様子で、スピーカーの機械的な声を聞いていた。
何かが、何か恐ろしく重大な時が、近付いているかのようだ。
『3…2…1…0!』
瞬間、超自然的な閃光が、凶暴な日光をも圧倒して、ありとあらゆる物を白光色に染め上げた。
光に吹き飛ばされる錯覚を覚えるほどだ。
そして、微かな地響きが、後方に低く堪える轟音を伴って、建物の周囲にも達する。
破壊の烈風が、周囲の雲を薙ぎ払う。
TNT火薬換算で、2万トン…すなわち、富嶽1000機分の破壊力。
それは紛れもなく、史上最強のそして最悪の兵器。
人類史上、最も重大な出来事…と言って過言ではないだろう。
成層圏にまでそびえ立つ雲の柱を見て、歓声を上げる彼らは、しかし、その現象をすべて知っているわけではない。
それがもたらした、望まれざる贈り物は、人知れず砂漠へと散り始めていたのだ。
岩に、砂に、石に、植物に、動物に、化石に…。
5月1日 硫黄島沖
ペッタンコの鉄の塊が、悠々と大海原を進んでいる。
航跡の後を、カモメが飛び回る。
「良い天気だな」
航空母艦「フライヘル・リヒトホーフェン」艦長へと転属になったヨハネスは、そう言った。
帝国戦略空軍の熾烈な爆撃は、この方面の米軍に撤退を決意させるには、充分だった。
そう、既にこの海域は日本の支配下にある。
無論、空もだ。
巨人空母の防空レーダーには、機影は一つしか映っていない。
艦長の顔は、しかし、その一つの機影のために、強張っている。
勿論、それにはわけがある。
「B−29スーパーフォートレス」
対空ミサイルすら装備しているこの艦に乗っていて、何故そんな物を恐れる必要があるのか、無論理由がある。
「確かにわかるぞ。分裂爆弾(原爆のこと)とやらが無茶苦茶に強烈で、今すぐ手を打たなきゃならん事は。そして、これしか方法が無いことも。けどなあ…四発重爆を空母で運用しようなんて考え付いた奴は、どこのどいつなんだ…」
B−29の操縦室で、柳井はぼやいた。
「知りませんよ。ああ、なんでこんな部隊に…」
「…」
「は〜っ…」
そう、何処かの誰かが、B−29を空母に載せて運び、沖からアメリカの分裂爆弾(原爆)工場を攻撃しよう、と考え付いたのだ。
富嶽を使えばいいのではないか?
しかし、往復するには航続距離が足りず、片道攻撃になってしまうのである。
海に不時着して、仮に敵潜にでも回収され、アメリカにも富嶽を造られたら、面倒なことになる。
目標はロスアラモスという辺鄙な田舎だが、太平洋からも大西洋からも距離がある。
かなり以前から把握されていた情報ではあるが…。
しかし、まさか挺身隊を突入させてどうこうなどというわけには行かない。
空襲しかないのである。
大陸間弾道弾の完成は、まだ当分先なのだ(←開発している)。
であるから、最善の方法がこれだ、と結論付けられたのだった。
B−29で行くのなら、所属について混乱させることも可能だろう。
「でも、何か間違ってるよな」
眼前に迫ってくる大型空母を恨めしげに見ながら、柳井はそう言ったものだ。
奴に乗って1万kmを遠征して、3000kmを飛んで爆撃して、同じ行程を戻る。
しかも単艦作戦。
…生きて帰れるだろうか。
参加している部隊が…
○ドイツ製空母+ドイツ人乗員
○アメリカ製爆撃機
○実験空軍
という面子を見ても、実は生還の望み薄で、失っても痛くない奴を投入したのでは?
そう勘繰りたくもなる。
「畜生! 必ず生きて戻るぞ。死んだら殺す!」
矛盾など気にせずに、柳井は吼えた。
「了解ッ!」
機内が急に気合いで満ちる。
皆、同じことを考えているのだ。
…ところでこのB−29であるが、色々改造してある。
何せ堂々たる巨人爆撃機で、空母で運用できるはずもない。
だから、無理矢理ハ−54(5000馬力)に付け替えた。
当然のことであるが、巨体に対応した豪勢な着艦フック。
さらに、機体のあちこちに付けられた、補助ロケットの数々。
燃える漢の二重反転プロペラ。
主翼全域に渡る三重のファウラー・フラップと、ロールスポイラー。
推力翼端版(ウィングレットのこと)も付けた。
こんな事をしているから、五月までずれ込んでしまったわけであるが…。
「行けそうか?」
「何とか」
海面は波がやや高い。
巨人空母の甲板も、ゆったりとした周期で上下に揺れている。
加えて、重爆乗りで空母着艦など経験もない宮崎の操縦。
急ぐからと言って、訓練すらせずに、ぶっつけ本番。
つくづく、誰がこんな作戦を考えたのか、責任の一つも取ってみろと言いたくなる。
とは、柳井の心中。
はじめはゆっくり、しまいには待ってくれ、と言いたくなるほどの勢いで、飛行甲板が近付いてくる。
銀翼を小刻みに振り、宮崎は巧みに機体を導く。
皆、一様に呼吸が速くなっていく。
自然と、掌に汗が滲む。
早く済んでくれ。
その時、「ドスン!」という衝撃が床から機体に走り、続いて前に振り落とされるような強い力が、乗員を襲った。
「助かった…」
誰かのその声で、皆の力が抜ける。
無事を喜ぶ余裕もなく、しばし実験空軍の面々は、呆然としていた。
「ご苦労様です」
海軍式の敬礼が、彼らを出迎えた。
流星改を駆り、先に飛来していた新庄中尉(夫)だった。
周囲を見渡すと、見慣れない白人の乗員達だが。
「おう。いつもの無愛想じゃないんだな」
ちょっと偉ぶってみたりして、柳井は答えた。
「戦略空軍統帥本部からの連絡で、ソ連軍が満州北部へ侵入したとのことです」
柳井の皮肉は無視して、新庄はそう告げた。
「なんで戦略空軍から。…っと、おい。もう一度?」
一瞬動きを止め、まじまじと新庄を見つめながら、柳井は言った。
表情が違っている。
「ソ連軍が満州北部へ侵入したとのことです」
新庄は、言われたとおり繰り返した。
彼の目も、事の重大さを知っているようだ。
「…条約破ったのか、露助ぇっ! 覚悟しろ、釣りは高く付くぞ!!」
手すりに思い切り手を叩き付け、海に向かって柳井は吼えた。
のんびりと飛ぶカモメ。
ひろ〜い海、あお〜い空、しろ〜い雲。
どうも、馬鹿馬鹿しくなる。
彼にしては珍しい行動だが、それだけの理由はある。
「信じられませんね。下心見え見えですよ。いや、ちょっと、それは…」
「国と国との信義を踏みにじり、他人の土地を蹂躙するなど、天命に背く大罪。万死に値すると言わねばならぬ」
後ろに居た宮崎と草薙も、それぞれ不快感を露わにする。
「なお、今のところ、作戦変更命令は出ていません」
それに対して、新庄は用件だけを述べた。
しばし、沈黙。
「ちっ、許せん…。だが、俺達には特五式機動砲がある。勝ったな。…挨拶に行くぞ。案内してくれ」
「了解。あちらです」
そうして新庄が指差した先には、艦長が立っていた。
ほんの、3m先であった。
ところで、正確には、この「猫舌作戦」(…)は単艦作戦ではない。
「ぷはーっ、やっぱり、夏はビールに限る」
「まだ春ですよ。ああ…そうか」
「…なんだ?」
「春はキチガイが増えますからね」
「…海に放り出すぞ」
「合理的ですね」
沈黙。
「…貴様と付き合っていると、頭がおかしくなるな。まあいい、ビールがうまいんだぁっ!」
伊藤中佐と三上大尉は、F・リヒトホーフェンの真下で、そういう言葉を交わしていた。
イ−400潜特型、襲撃砲潜水艦。
通称「海底軍艦」。
水中排水量72,809トン。
図体だけでも十分に非常識であるが、この上射程150kmの特3式70口径41cmを搭載した、異常潜水艦である。
しかも、4連装砲。
ただ、左右にはほんの1.2度しか振れないのであるが…。
雷装は艦首に6門、61cm級魚雷を発射可能な物を備える。
さらに、水上攻撃機「晴嵐」を6機搭載できる。
そして、意味もなく潜航しているわけではない。
この艦にとっては、巡航と潜航は同義なのだ。
何故か。
聞いて驚け、原子力潜水艦だからである。
原子炉の有り余る熱で風呂を沸かしてタービンをぶん回し、豊富な電力で海水から酸素を造るわけだ。
しかも、二重反転スクリューをはじめ、凝った技術をふんだんに盛り込んでいる。
水中最大速力32ノット、最大潜航可能深度650m、一隻当たり29億4000万円…。
この原潜一隻分の予算で、八八艦隊を整備できて、しかもお釣りが付いてしまう。
当然、実験に使った費用を合わせれば、もっと大きく膨らむことになる。
しかも、二番艦を建造中。
リッチな話だ。
さすがに、全世界の60%近い経済力を誇る大日本帝国だけのことはある。
今からなのだ。
猫舌作戦に於ける任務は、「パナマ運河を砲撃し、ロスアラモス攻撃部隊から注意を逸らすこと」。
原潜を囮に使って、原爆を潰す。
何とも変な話である。
大体、何故世界初の実用原潜に巨砲を積み込んだりしたのか、そこからして理解に苦しむ。
それはともかく、日本は核エネルギーを爆弾に利用する方向には何故か走らなかった。
一気に巨大なエネルギーを放出するのは、制御が難しいと考えたのだ。
実際には逆で、暴走させるだけの爆弾の方が造りやすいのだが…。
何はともあれ、そのため、先に原子力機関が完成した。
機関用であるため、危険な燃料の使用は敬遠され、トリウム炉である。
そして、これは爆弾には使えない物質で、それ用には応用が利かないのである。
「攻撃力最優先主義である帝国海軍としては、意外である」
「しかし、海軍が開発しているわけでもないのです」
「うん、もっともだね。何でも良いんだ。お前も飲め」
「後で代金を請求したりはしませんね?」
「…それが上官に対する物言いか。さらにそれ以前! 酒の席で言うべき言葉かッ! 貴様、道を踏み外したなッ!?」
「ええ、何度も」
「ならばよろしい。飲め」
「結局そうなるんですね」
「宿命だ」
たった二隻の機動部隊は、大洋をひたすら進む。
近付く敵艦敵機一つも無し。
日本がようやく真の総力戦態勢を整え、劣勢を覆そうとしている日のエピソードであった。
同じ頃、東京・大本営
「アカ(※共産主義者を意味する蔑称。ここではソ連を指す)は予想通りでおじゃるか?」
会議室にて、その男、日本の実質的独裁支配者は部下に聞いた。
丸いメガネの奥に、不気味な笑みを浮かべて。
「はい」
別の男が席を立ち、機器を操作した。
幅6mの大スクリーンが光を宿し、そこに東アジアがその姿を現す。
「すべては予定通りに運んでおります」
立った男がさらに数度操作を加えると、赤い、太い矢印が二本、現れた。
片方は大興安嶺を越えて一直線にハルビンを直撃し、片方はウラジオストク付近から西へ向かう。
「北方の集団は102個師団、およそ130万名、チチハルは陥落しました。現在敵はハルビンを包囲攻撃中。関東軍の守備隊からは、一ヶ月は保たないとのことです」
男は棒の先端でハルビンの付近を指しながら、解説する。
関東軍主力は約70万。
現在、その殆ど全てがハルビンに展開しているが、装備・錬度共に不十分であり、苦戦の感は否めないと言う。
ソ連がこの街に拘るのは当然だ。
ここを無視して前進すれば、関東軍主力に側背面を攻撃されることになるからである。
なお、邦人については既に満州南西部への退避が完了している。
東条独裁体制確立後、直ちに実行されたのだった。
「東方の集団は60個師団で約74万名。山岳装備に優れ、直接朝鮮方面へ侵攻する可能性があります」
男は指示棒をもう一つの矢印に移した。
「現在位置は、ここです」
彼はウラジオストク・ハバロフスクの中間点付近を指した。
どうだろうか。
このまま真西に進めば、ハルビンである。
「長白山脈は見たことがないので何とも言えないのですが、山越えはしないと思います」
場に似合わない、高い声がそう言う。
テレーゼだった。
「私もそう思うでおじゃる」
東条の声に、テレーゼも頷く。
「ですが、この集団を西進させることは、好ましくありません。そこで、艦砲の援護の下、上陸作戦によってウラジオストク一帯を制圧し、輸送船団を送り込んで牽制すれば、この部隊を事実上遊兵化出来ると考えます」
「その通り、我々もそのつもりでいたのでおじゃる。そこで…」
「カール・デア・グローセは、いつでも出港できます」
「では、よろしく頼むでおじゃる。海軍軍令部と連携し、直ちに出撃して欲しいでおじゃる」
ちなみに、カール・デア・グローセとは、改名前は巨大戦艦グロースドイッチュラントと呼ばれていた艦だ。
亡命してきた集団が「偉大なるドイツ」を保有しているのは、いくらなんでも無茶だというわけである。
ともあれ、既に日本側の手筈は整っており、海軍陸戦隊の精鋭も又、室蘭で待機中。
これに戦艦の火力が加わる。
47口径50.8cmSKC/43砲は世界最強の艦載砲であり、これを16門も備えることの意味は、破滅的な破壊力である。
戦艦が一撃で鉄屑になるのだ。
通常の陸上部隊など、鎧袖一触という表現すらはばかられる。
カール・デア・グローセも室蘭にて待機中であり、この「連合艦隊特別任務部隊」は30時間前後でウラジオストクに到達できる。
「わかりました。では」
テレーゼは退室間際に及川大将に一礼し、去っていった。
こうして「隣は誰」作戦も発動された。
「…我が主力の編成は、間に合いそうでおじゃるか?」
多少の沈黙を置いて、再び東条の声。
「はい、既に7個機甲師団をはじめ、26個師団が装備転換と訓練過程を終了し、ただちに出撃できる状態にあります。主力はここです」
男―――彼も陸軍参謀総長なのだが―――は、そう言って奉天(現シェンヤン)を指した。
「この部隊のみで、敵の侵攻を阻止することは、十分に可能であります。さらに、59個師団が編成中であり、来月末までには内16個師団が投入可能になります」
その装備と錬度は、欧州戦線を戦い抜いたソ連軍ですら、相手にならないほど強力なのだ。
五式中戦車改はやや力不足であるが、主力はドイツ最強を誇ったテ式四型戦車こと「ケーニヒス・ティーガー」。
既に完成しており、最も早く戦力強化が可能であるとして重点生産されているが、本命はその次。
14cm砲を連装装備し、自動装填装置と慣性照準器、さらに充実した防御と機動性までも備えた(代わりに馬鹿でかくなったが)最新鋭の「五式砲戦車」は、総合性能で飛び抜けており、世界の如何なる戦車も敵ではない。
「奉天には30個師団を回すが、45個師団に拡充完了次第、25個師団を長春に派遣し、防衛に回すでおじゃる。空はどうか?」
「航空機は問題ありません。既に四式戦の配備数は奉天方面で4000機を越え、四式重爆はじめ、爆撃戦力も十分な数量を確保しております。しかし、これ以上の拡張は、搭乗員錬成の観点から…」
「うむ、わかっている。後継機の選定も間もなく完了する。引き続き急がせよ。海軍はどうでおじゃるか?」
「は、大魔王計画に基づき、大連にて一個戦隊の整備を目指しておりますが、なお2ヶ月ほど掛かります。海軍といたしましては、対米決戦に戦力を集中したく思いますので、これ以上は…」
海軍軍令部総長・及川大将は、簡潔に述べる。
ここでもネックは物量や質ではない。
人材の不足こそ、最大の問題である。
如何に強力な兵器を多数保有し、盤石の支援態勢を整えても、乗員が居ないのでは、それは戦力ではない。
そして、乗員はそうホイホイ育成できるものではない。
伝統もあり、層も厚い帝国海軍と雖も、限度がある。
対応策は採られているが、急速な戦力拡張の足枷となっているのは、事実なのだ。
無論、海軍に限ったことではない。
「案ずることは無い。大魔王計画さえ成就すれば、アカなど恐れるに足りぬ。物資等、不足は無いでおじゃるな?」
「すべて計画通りです」
大魔王計画…今は、その全貌を明かすときではない。
時が満ちれば、姿を現すであろう…。
「我々戦略空軍でありますが、米ソを同時に攻撃するには、機体が不足しております」
吉川大将が、やおら口を開いた。
「現在戦略空軍は三個航空師団を有し、富嶽の保有数は1000機を超え、後継機の開発も順調に進捗しておりますが、敵側の防空体制強化を鑑みれば、対米必勝量にはまだ遠く、なお拡充の必要があり、ソ連に対する大規模戦略爆撃に伴う損失等は、受け容れがたいものがあります。」
当然のことではある。
そう思いながら、彼はそう言った。
「わかっている。戦略空軍はシベリア鉄道を寸断する。であるから飛行距離も短く、必要機数も少なく、損失も大きくならないはずでおじゃる」
東条も又、それは当然のこととして受け止め、かねてよりの作戦を伝える。
「詳細は配付資料の通り…三軍ともその通りでおじゃる」
サイパン・硫黄島爆撃の完了した第二航空師団を京城(現ソウル)に移動し、牽制も兼ねるとのことだ。
なお、ウラジオストク攻略戦にも投入される予定である。
保有する富嶽は220機前後と、三師団の内最少であるが、連山が180機強、泰山も96機を装備する。
差し当たって、十分であろう。
「質問がなければ、今回は終了とするが」
東条が大きな声で言った。
返答無し。
まだ配布資料に目を通し終えていないためもある。
「では、解散」
そうして、会議は終了した。
しかし、彼の仕事は終わらない。
まだ、満州国に対する外交的問題が残っているのである。
満州は放棄しない。
自信もある。
ニヤリ、と彼は笑った。
誰も、彼を止められないのだろうか…。
つづく
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