1944年2月16日 横須賀
「はぁッ!」
「オラァ!!」
勇ましい吼え声の後に、鋭い金属音が轟く。
二人の人影は、切っ先を収めて即座に飛び退く。
閃光が優美な軌跡を残し、一瞬にして背景へと消える。
「少しはやるじゃないですか」
「るせぇ、殺すぞ!」
正宗を居合に構え直し、橘川が怒鳴る。
改装工事中の大和の前甲板は、殺気に満ちた剣戟で、周囲を圧倒していた。
しかし、工事は変わらず進捗中。
電気溶接の火花が、あちこちで眩く輝いている。
「殺す?」
こちらも伝家の宝刀ディムシュトルクを正眼に構え直す。
テレーゼだったが、いつもの朗らかな笑顔は影を潜め、今は触れれば切れるような視線を橘川へ飛ばしている。
それは橘川も同様だ。
事情があるのである。
「冗談はそれくらいにしましょう」
ゆっくりと、彼女の身長ほどはある大剣が、光を曳いて半円を描く。
「はっ、しゃきしゃき掛かって来いや」
顎をしゃくって挑発の表情を見せる橘川。
テレーゼの大剣が、一直線に天を指向して静止する。
「…よし」
一瞬の間を置いて、彼女は走った。
5m近い間合いが、即座に零となる。
再び剣身が光を曳き、なだらかなカーブを描いて橘川へと疾駆。
あらゆる獲物を一撃の下に屠り去る破壊力を秘めた、必殺の牙だ。
金属音。
斜めに受け止められた大剣は、そのまま目標を外れて、滑り落ちていく。
かに見えた。
橘川が刀を突き付け、終了を宣告しようと思い立ったとき、テレーゼは力任せに大剣の動きを制し、横薙ぎへと軌道をねじ曲げた。
「ぶっ、マジか」
大きな力で正宗を引っ張られるのを感じて、橘川も驚く。
飛び退いた彼の、ちょうど胸のあった辺りを、閃光を残して大剣が通り過ぎていった。
「いつだって本気ですよ」
その横薙ぎも力任せに止めて、踏み込みながら今度は逆向きの横薙ぎ。
剣の返しが鮮やかだ。
力なら負けない。
そう思った橘川も、真っ向から正宗をぶち当てに出る。
再び、過激な金属音。
直角に噛み合った、極めて強靱な二つの刃が、寸土の攻防に火花を散らす。
「けっ、可愛い顔して乱暴なお姫様だぜ!」
「侯爵です! ほら、謝る気になりましたか!」
「バカヤロウ、そもそもお前が始めたんじゃねぇか! ナメンナよ!?」
「ここまで来てまだ言うんですか!」
力と技の高度さに比べて、その会話は極めて幼稚だ。
テレーゼ21歳。
こちらはまあ、仕方ないかも知れない。
問題は橘川、32歳にもなって、この言い争いはどうかというところだ。
「何をやってるんだ? 大の大人がクラシックな武器を振り回して」
少しずつ熱の冷めかかってきた場に、老年に片足を突っ込んだような声が割り込んだ。
いや、実際に初老なのだ。
歌上中将は、呆れた表情でその鍔迫り合いを見ていた。
「おわ、提督!? いや、この怖いネーチャンが…」
「バカモン! さっさとその刀をしまえ!」
慌てる橘川に、中将の怒鳴り声が飛び掛かる。
「え、いや、しかし…」
戸惑う橘川を見ながら、フン、とばかりに大剣を鞘に収めるテレーゼ。
そこへ、さらに怒号が飛んだ。
「ひとぉつ! 軍人は礼節を尽くすを本分とすベし! ご婦人に手を挙げるなど、帝国海軍軍人として、言語道断である! わかったら返事ぃいいいッ!!」
「は、ははぁっ!!」
雷鳴は巨大なドックを100回ほど跳ね返り、派手な唸りとなって一帯を支配した。
しばらく、工事は中断したという。
「貴女も、艦隊を一つ統べる身であるなら、あのような単細胞の挑発に乗ってはいかんよ」
「は、はい。つい…ですね」
思えば何をやっていたのやら。
正気に戻るとガッカリしてしまうテレーゼ。
しかし、そういう人間ばかりではない。
「けっ、な〜にが単細胞だコラ、ジジイが…。何でぇ、何でぇ、この扱いの違いはよぉ。ちっ、け〜〜っ! どうせ下心が…」
「何か言ったかね、橘川くん?」
「ははっ、ただ今の戦闘で甲板に損傷が無いか調べておりました!」
この有様である。
和冦の末裔が橘川だ。
行儀の悪いのは仕方が無い、と言えば、その通りなのかもしれないが、しかし。
「なに笑ってんだコラァ! はったおすぞテメェら!」
ギャラリーに八つ当たりする始末であった。
人だかりは蜘蛛の子を散らすように消え去っていく。
「馬鹿が。どうしようもないな、ほんとに…」
橘川の何もわかっていない行動に、顔を覆う中将。
「あ、時間が…」
一方、腕時計を見て慌てるテレーゼ。
ヴェルナー・フォン=ブラウン博士らと宇宙開発について打ち合わせがあるのだ。
「では、大変失礼しま…」
取り敢えず謝って場を収めようとするが、しかし。
両手の中指を起てて、途轍もなく挑発的な顔をしている橘川を見て、彼女は考えを改めた。
「…前言撤回。勝負はお預けにしましょう。さよなら」
眉間にしわを寄せ、そう言い残して、彼女は去っていった。
「ああ、先が思いやられる。この先共同作戦もあろうに…。この大バカタレがぁっ!!」
「うぇええっ、俺っすか!?」
「当たり前だ!」
独逸代表に対する狼藉。
苦悩は中将個人に留まらないだろう。
「夜露死苦作戦発動命令が下ったぞ〜」
金峰山基地の放送室で、柳井は変な声を出した。
「…誰がそんな名前を付けるんだ…」
「トージョー閣下だぞ〜」
新庄(夫)の質問に、同じ調子で答える柳井。
「…その声、止めてくれ…」
「うっ、いかん。マイクが入ったまんまだ。お前が余計なこと言うからだぞ」
「知るか…」
マイクを切る柳井。
「ったく、どいつもこいつも上官に対する態度がなっとらん。特にあの高濱のジジイが酷いな。なあ新庄?」
「知らないね。俺は準備に入る」
そのまま、新庄将嘉は部屋を出ていった。
入れ替わりに、オッサンが入ってくる。
柳井とは同い年くらい。
「作戦ですか。お互い大変ですな」
空色の真新しい軍服は、新設立の戦略空軍のものである。
「お、吉川さん。いやいや、変な作戦ばっかり回ってくるんですよ。俺が変人だからですかね? ハハハ」
吉川と呼ばれたオッサンは、軽く笑いながら椅子に腰掛けた。
「いや、実験空軍だからでしょう」
実験空軍。
最近設立された、陸軍、海軍、戦略空軍に続く第四の軍である。
もっとも、この基地に展開する部隊がすべてだったりするが。
要するに陸軍凶部隊を配属替えしただけ。
一方、戦略空軍。
こちらはもっと本質的だ。
遠距離爆撃機と護衛戦闘機を主体とし、それを以て敵重要拠点への戦略爆撃を敢行することを主たる目的とするのである。
現在、基地は三箇所。
この金峰山基地と、択捉島に一つ、あとは東京、丁度中島三鷹研究所の真北にあるやつである。
いや、他にもあるのだが、富嶽を扱える設備はこの三箇所のみ。
現在は250機前後の連山が主体だが、これを扱えるのもこの三箇所に限られるのだ。
さらに大連郊外にも新しいのが設定(注:飛行場を建設すること)中である。
「硫黄島が陥とされたせいで、仕事が増えた。うちからもだいぶ引き抜かれてね」
とは、金峰山基地配属・戦略空軍第一航空師団司令官である吉川大将の言である。
硫黄島とサイパン島の爆撃は、第二航空師団の仕事。
作戦はそれなりに順調で、米軍もとうとう取ってから一回も本土空襲を繰り出せない状況である。
これはB−29の整備性が悪いことにも起因する。
もちろん、もっと扱いにくいB−30などは論外だ。
「で、ここで俺達がハワイにちょっかい出せば、ますます連中の作戦が遅れるだろう、というところか」
柳井は言った。
「ほう、ハワイを叩きますか。しかし、そちらの富嶽は一機だけでしょう?」
「ん〜、そうなんだ。だから“空襲したこと”が重要で、戦果を求めているわけではない、と言いたいんだろうなあ、と」
「アメさんのやった、空母に陸上機載せて東京を襲ったアレみたいなものですかな」
「近いかもしれんです。ハワイに単機突入となると…」
もちろん、手は打ってある。
それを吉川大将に言う必要は無い。
お互いにわかっていることだ。
「じゃあ、俺も準備があるので、よろしゅうに」
「ああ、また会いましょう」
やがて、柳井も席を後にする。
「また会いましょう…か。それが最期のセリフになった奴も居たな。まあいい」
ふと、昔を思い出しながら、彼は歩く。
そうなる度に、遺族宛に手紙を書かなければならないのだ。
どんな内容かには、敢えて触れるまい。
しかし、今回は違う。
一式陸攻でも零戦爆でもない。
空中戦艦富嶽で行く。
きっと、大丈夫だ。
よし、と彼は気合いを入れ、まずは着替えに向かった。
2月20日の夕暮れ時
「グリーンフラッシュというんだ。幸運の象徴だぞ。今日は作戦成功間違い無しだな」
たった今、富嶽の機上でも日が暮れた。
太陽が去り際に残した一瞬の緑閃光。
船乗りでさえも、一生に一度、お目に掛かれるか、という現象である。
そして、彼らの間では、柳井の言ったとおり、幸運の象徴として知られている。
『隊長! 感激でありま〜す!』
「黙ってしっかり見張れ!」
『了解ッ!』
伝声管を通して操縦室に響く尾部射手・佐藤の声に、草薙中佐の怒声が返る。
もう、いつものことだ。
佐藤の方も、さほど怖がった様子の無い声である。
…まあ、後で殴られるのだが。
「相変わらず、気合いだな。うちも変な奴が多いから、お前のような奴は貴重だぞ」
「どいつもこいつも、たるんどるんですよ」
操縦輪を握る柳井の声に、諦めにも似た声で、草薙は応えた。
南へと進む機内も、急速に夜の闇が迫り始める。
暗さを検知し、自動的に蛍光灯がともる。
このギミックは、整備士の一人が趣味で追加した。
上は空、下は海。
雲は無し。
何も無し。
陸の上を飛べば、発見される恐れがある。
航路の上を飛んでも、同上。
退屈ではあるが、何も無いのは良いことだ。
「つまらんなあ」
しかし、何もせずに我慢できるものでもない。
手鏡を操縦輪にくくりつけ、歯磨きを始める柳井。
「隊長ーッ! やる気あるんですか!」
草薙の抗議が聞こえる。
「バッカ、紳士たるもの、身だしなみは大切にせねばならん…。うっ、しまった!」
その時機体が揺れ、コップがひっくり返る。
唾液と歯磨き粉の混じった水が、柳井のズボンに撒き散らされた。
慌てて機体を立て直す柳井。
その隙に、水分はどんどん染み込んでいく。
「うえ〜っ、冷て〜っ! お前が話し掛けるからだぞ! タオル、タオル!」
「ふ〜…」
そう、頑固な草薙も、この馬鹿については諦めていた。
この隊に来たのが、運の尽きだったのだ、と。
「機位、予定通り」
タオルを振り回して泡を食っている柳井の横で、彼は天測を終え、異状なしを告げた。
しかし、それは機長の耳に入っていなかった。
「よ〜し、針路このまま高度このまま、地形探査電探起動、これより突撃だ。速力250km/h」
夜の闇の中、巨人機があり得ないほどの低空を、這うようにして突き進んでくる。
蛍光灯の光も弱まり、必要最小限度の照度に落ちた。
ハワイ島ヒロ市へ向け、海上から富嶽は迫る。
高度計の指針が、突然大きく触れる。
気圧高度計から、電探による絶対高度計に切り替わったためだ。
さらに、今まで沈黙していたスクリーンに、ハワイ島の地形が鮮明に浮かび上がる。
ただし、二次元だ。
しかし、こういったハイテク機器は必要なかった。
目標のヒロ市は灯火管制も敷かれず、煌々と光を放っていたからだ。
全幅と大差ない超低高度を、巨人機が奔る。
3万馬力の怪力が、地響きさえ伴って、市街地まで届く。
目標、あと10km。
「もう気付かれたろうな。対空捜索電探起動、各銃座、警戒を強めろ。高度300に取れ。妨害電波、発信停止」
操縦席によりかかったまま、柳井は指示を飛ばす。
各所から「了解」の声を聞く。
現在、緊張の面もちで操縦輪を握っているのは、宮崎だ。
街の灯が、徐々に大きくなる。
巨体が唸りをあげ、徐々に闇の中を這い上がっていく。
戦闘機はオアフ島だ。
今から慌てて出たところで、もう間に合わない。
巨人機にあるまじき超低空飛行と、ハイテクな妨害電波で、レーダーを避けたのである。
これで、戦いの次元は見張りの活躍した時代にまで遡らされるわけだ。
「爆弾庫開放」
自分で操作しながら、柳井は言った。
照準器の端から、ヒロ市の灯が、滑り込んでくる。
柳井はニヤリと笑った。
「BGMオン・星条旗よ永遠なれ」
「了解」
異常な命令にも関わらず、宮崎は冷静にトグルスイッチを跳ね上げた。
途端、エンジン音を圧倒するほどの巨大さで、底抜けに陽気な音楽が流れ始めた。
「ん〜、このどこかアホっぽい旋律がナイス…。投下、続けてマイク・オン」
柳井は投下レバーを引いた。
瞬間、バックリと開いた巨人機の腹から、無数の紙吹雪が宙に舞った。
宣伝ビラだ。
そう、たった一機で爆弾撒きに行くくらいなら、とビラを積んできたのだ。
どんなビラか。
見る人はこちら。
「ヘイ・ユー! マイ・ディア・ハワイアン・ピープル! マイ・ネーム・イズ・アドミラル・ヤナイ! ウィ・アー・インペリアル・ジャパニーズ・エクスペリメンタル・エア・フォース!」
奇妙なほど明るい声が、拡声器を通して海の彼方まで響く。
自分でも言っているが、柳井の声だ。
しかしながら、異様に流暢な英語は、それが日本人の声であることを忘れさせかねないほどだ。
「ハウ・アー・ユー? アイム・グレイト! トゥデイ! ノー…、トゥナイト! ウィ・ハブ・ゴーン・トゥ・プレゼント・フォ・ユー・ザット・イズ・ヴェリー・ファンタスティック・アンド・ハートフル・アイテム・ノット・ボム!」
ヒロ市民も呆れているだろうが、機内の部下達も驚愕の表情を隠せない。
「トゥ・アーリー・バット・ウィ・ハフ・トゥ・ゴー・ホーム・ライト・ナウ。プリーズ・エンジョイ! シー・ユー・アゲイン! グッド・ラック・トゥ・ユア・フューチャー!」
そこまで一気にまくし立てて、アドミラル・ヤナイ…もとい柳井中将は、マイクを切った。
「ミッション・アカンプリシュメント! …ほら、ぼさっとするな。針路真北、高度15000、速力最大! 怖い奴が来るぞ!」
呆然とした機内に、叱咤の声が飛ぶ。
瞬間、一同魂を取り戻した。
「さらに警戒を強めろ! 見つけ次第叩き落とせ!」
さらに叱咤の声。
『佐藤です。尾部異状なし!』
その報告が入ったとき、機体は大きく右へバンクし、旋回に入った。
6基のエンジンが、目を覚ましたように吼え始め、巨大なプロペラをこれでもかと振り回す。
風切り音も、明らかに変わった。
ヒロ市の上空で悠然と旋回して、富嶽の巨体は北へと帰り始めた。
「で、結局逃げられたわけか。そういうふざけた真似をさせておいて。大失態だな、こりゃ」
「は…」
電話口で、ニミッツ長官が固くなっていた。
「まあいーわい。しかし、アドミラル・ヤナイか…。クックックッ…気が合いそうじゃの〜。ケッケッケッケ…」
別の意味で、固くなるニミッツ。
「ほいじゃ、ま…ああ、減給処分は避けられんだろうが、それで収まるよう手は打っておくよ」
「は、ありがとう御座います。…しかし、こうなると本土の防空も…?」
「おお、考えんといかんわい。まあ、その内指示するさ。ではな、ニンジャ〜!」
電話は切れた。
もちろん、トルーマン副大統領だった。
どっかりとソファーに伸びるニミッツ。
色んな意味で、彼はこの戦争の早い終結を願っていた。
つづく
|