一九四二年六月五日午後三時すぎ、ミッドウェー諸島北方沖。 見渡す限りの大海原は、さほど天候が良くない。 爆音が響く。 明るい灰色に塗装された飛行機が数機、飛行しているのだ。 名を『九七式三号艦上攻撃機』と『零式一号艦上戦闘機二型』という。 男は、前者に乗っていた。 大きな翼を持ち、重くて細長い、物騒な荷物を抱えた方に。 彼のはらわたは、煮えくりかえっていた。 敵の機動部隊を発見したというので、勇んで往こうと思ったそばから、僚艦に敵弾が降ってきたせいだ。 お陰で持ってきた空母4隻の内、3隻まで使えなくなってしまったのだ。 唯一、彼らの乗る空母『飛龍』だけが無傷で残り、二波に及ぶ反撃で重巡1を沈め、空母1に深手を負わせた。 さらに第三波を準備中、またしても雲の中から敵機突入である。 離陸できたのは零戦が3機と、彼の九七艦攻が一機のみ。 というわけで、彼は復讐心に燃えていた。 名を新庄将嘉。 艦攻に乗って7年の、なかなか経験のあるパイロットだ。 前方に、黒い筋が見える。 煙だ。 「よし、敵は近い。いつも通りに沈めてやろう」 彼は独り言のように言った。 「了解!」 「おう、俺達を一機でも残したら、戦艦が一隻沈むって、教えてやろうぜ!」 後方から元気な声が返ってくる。 「戦艦は居ないらしいけどな。まあ、任せろ」 明らかに大型艦と思われるシルエットが一つ、目立って浮かび上がってくる。 その上空では、10弱の小さな点が、せわしなく動き回っている。 「空母だな。あいつをやる。それと、戦闘機が居るらしい」 新庄のその声は、エンジン音に掻き消され、後部の二人には聞こえなかった。 無電が入る。 前衛の零戦隊より、敵空母ホーネットを確認、とのことだ。 翼が僅かに左へ傾き、海面上を滑るように高度が下がる。 敵空母は最大速度で攻撃をかわさんとしている。 それに向けて、巧みに機を導く新庄。 空母を狙っているのではない。 正確には、その弾薬庫を狙っているのだ。 「後方に敵機三機! 接近してくる!」 後ろで声がする。 「この野郎、あっちへ行け!」 続いて、罵声と共に弾けるような連続音。 覆い被さるような態勢で襲ってきたのは、3機のグラマン・ワイルドキャット戦闘機。 ベテランの駆る零戦の前に敵ではないが、彼の九七艦攻には十分に脅威だ。 何しろ雷撃態勢に入った艦攻は、回避行動が取れないのだから。 それにしても、鈍重と言うか、素っ気ないデザインの戦闘機だ。 銃身の焼けんばかりに、後部旋回機銃が撃ちまくる。 銃弾がハデに光を曳いて、ワイルドキャットの周りに撒き散らされる。 しかし敵もぎこちない動きながらそれをかわし、接近してくる。 本来、九七艦攻の7,7ミリ機銃は、この距離だとあまり役に立たないのだ。 ワイルドキャットはなおも突っ込んできて、いきなり機銃を発射した。 射手の原口が、とっさに首をすくませる。 銃弾は九七艦攻を外れて、海面に水列を並べた。 やはり技量は高くない。 次のヤツが緩降下で接近してくる。 バカヤロウと叫ぶ暇もなく、原口は急いで銃口を向ける。 近い。 撃たれる。 ―――と思った瞬間、突然敵機が爆発した。 その機は一気にバランスを失い、主翼をもぎ取られたまま、海面に激突した。 直後に、主翼の前縁を黄色で塗った飛行機が居た。 “太平洋の覇者”零式艦上戦闘機。 それはたちまち九七艦攻を追い抜き、先程彼らに銃撃したワイルドキャットを追撃していく。 その様は新庄からも見えた。 さながら荒鷲の如き、まったく無駄のない、鋭い、敵を倒すためだけにある飛行。 追跡を受けたワイルドキャットは、振り切ろうと激しい機動を繰り返すが、短い一連射を浴び、一撃の下に葬られてしまった。 驚異的な命中率だ。 さらにその零戦は、追ってきたもう一機を宙返りで振り切ったかと思うと、鋭く後下方に入り込み、これも一連射で爆発させた。 凄まじい練度である。 零戦隊は猛者揃いだが、それでもこれだけの達人は多くないはずだ。 ものの15秒、1銃当たりたった34発の機関砲弾で、三機を叩き落としたというのだ。 「ひゅ〜っ、戦闘機乗りの方が気楽かもなあ」 後ろからそんな声がする。 だが、新庄の精神は、目の前の空母『ホーネット』に注がれていた。 対空機銃から、光の筋が幾つか向かってくる。 だが、水面を這うように飛ぶ彼の機からは、相当に逸れている。 大きな影がぐんぐん迫る。 性能の許す最大限の運動をしようとも、弾薬庫を狙う雷撃を回避できない距離。 今日限りの運命。 必殺の魚雷は、まさに今、放たれた。 飛行甲板すれすれで衝突をかわし、左旋回上昇に移る九七艦攻。 後ろを振り向くこともなく、新庄は、軽く笑みを浮かべた。 十数秒後、魚雷は必死に逃げるホーネットの横っ腹を食い破って飛び込み、爆発した。 派手な水柱が噴き上がる。 それは新庄の計画通りに弾薬庫を誘爆させた。 爆炎はたちまち部屋を破って走り回り、航空燃料を引火させ、隔壁を吹き飛ばし、機関室を滅茶苦茶に叩き壊した。 破壊されたボイラーが大量の高熱水蒸気を噴き出し、炎と混ざってさらに艦内を暴れ狂う。 最下層を完全に舐め尽くした炎と蒸気は、さらに飛行甲板までも破って噴き出し、艦体が軋み音を伴って、膨らむように歪む。 その恐ろしい火箭が噴き出したのは、命中からほんの8秒後の事だった。 余りの衝撃に、ホーネットは一瞬跳び上がったように運動し、乗員多数が転倒した。 惰性でなおも進むが、みるみる速度が落ちる。 巨体が傾き、松明のように燃え上がる。 無数の死傷者を出しながら、米海軍の兵士達は、それでも艦を救うべく、必死の消火活動と浸水対策を開始する。 しかし止まらない。 十数分後、浸水による負荷に耐えられなくなった艦体が、悲痛な金属音と共に、真っ二つに割れ始めた。 乗員の一人は、まるで断末魔の悲鳴のようだ、と思ったが、大半はそんなことを考える余裕などとてもなかった。 甲板上の艦載機が、海にこぼれ落ちる。 何度目とも知れない爆発音が、艦内を駆けめぐる。 火災と浸水が、衝撃と共に、急速に艦全体に広がり始める。 「止むを得ん! 総員速やかに下艦せよ!」 頭から僅かに血を流した艦長が、叫ぶ。 必死の消火活動、浸水対策も最早これまで、地獄絵図の中、総員退去が開始された。 パニック状態にも近い状況で、乗員達が必死に走り、ある者は戦友に支えられて、海への出口を目指す。 容赦なく襲い掛かる水と炎が、助かる者と、そうでない者を引き裂いていく。 見る見る傾き、海面に吸い込まれていく巨体。 たった一機の艦攻の、たった一本の魚雷によって、空母ホーネットは爆沈の憂き目を見たのだった。 そして、先に大破させたヨークタウンは、後にイ−168潜の雷撃によって止めを刺される事となる。 しかし、何隻敵空母を沈めても、味方空母の代わりは無い。 圧倒的な火力を以て太平洋に君臨した“南雲機動部隊”は、最早存在していないのだ。 緒戦の勢いは、失われつつあった…。 |
火葬戦記 〜跳梁跋扈!〜
第一話
時は流れ、一九四四年七月六日。 フィリピン、クラークフィールド飛行場。 快晴の空に、絶え間なく轟音が突き抜ける。 陸軍航空隊の『飛燕』二型改戦闘機が、三機編隊で離陸していく。 今日も又、B−24が飛来したらしい。 最近この方面への空襲が激しくなりつつあり、敵の大きな作戦が近いという推測が流れている。 「バッカ、そうじゃない。ラジエータはなぁ…」 そんな日常事は気にも留めず、新米整備兵と飛燕二型改に向かい、『ハ−140』発動機のいじくり方を教えている男が居た。 柳井 槍太 海軍技術中将。 これだけで、戦況のまずさがわかるというものだ。 すなわち、海軍の人間が、陸軍のヒコーキを整備し、しかも新兵の教育までやっているというのだから。 おまけに階級が中将。 普通は後方でデスクワークのハズなのだ。 もっとも、この男がかなりの変わり者だから、という事もあるのだが…。 「わかったか? 次は…」 スパナを片手に、新兵を振り返る柳井。 まだ幼さも残る、しかし真剣な顔があった。 ハ−140のような液冷エンジンは、日本では極めて少数派だ。 故に、その整備法に熟達した整備士は少なく、この『飛燕』の他、『彗星』艦上爆撃機などは、稼働率の低下に泣いているのだ。 もっとも、『彗星』の方は、エンジン以外にも整備しにくい箇所が山ほどあったのだが。 そう言うこともあり、元は空技廠の技師だった柳井にとっては、本職の整備より、教育の方が忙しいほどであった。 空技廠と言えば、ここで設計された『銀河』も故障頻発で大不評である。 そこから来ている柳井としては、少々肩身の狭い気持ちであった。 「中将閣下!」 続けようとして、彼は呼び止められた。 「中将閣下か、良い響きだな、ふっふっふ…。それで、何だ?」 オイルまみれの作業服で、ひとしきり笑う柳井。 「転属命令です。二式大艇の用意が出来ております」 連絡将校は短くそう言い、書類を手渡した。 「転属? このくそ忙しい時期に。しかももう準備が出来ているだと。仮にも俺は中将だぞ。勝手に話を進めやがって…」 ぶつくさ言いながら、彼は書類を一瞥した。 文句は言いながらも、命令に逆らうつもりは無かった。 … 一、貴官は七月六日午後六時を以て、帝国陸軍第九九九九航空隊“凶”隊長へ転属すべし。 一、同航空隊は、最新鋭機の実用試験及び、習熟訓練を主な目的とする。 一、貴官の後任については、数日中に派遣する。 一、陸軍の承諾は得ており、これに関する特段の注意等は必要ない。 … 何だかまとまりのない命令書である。 むしろ、取って付けたような妙な物だ。 あまり知りたくもない“大人の事情”でもあるのだろうか。 「…なんで、海軍の俺が、陸軍の、しかもこんな胡散臭い部隊に飛ばされて、挙げ句の果てには指揮を執らされるんだ?」 「さあ、私にはよく解りません」 「まあ、それはそうだな。やれやれ…。二式の出発予定は?」 「二時間後です」 「早いな。…まあ、簡単になら…。俺の荷物を纏めて、積み込んでおいてくれないか?」 「はあ?」 「素人さんに倒立V型のいじり方を教えなきゃならんのだ。なあ、坊主?」 そこまで話して、柳井は先程の新兵の方に視線を移した。 「はい、ありがとう御座います!」 新米整備兵は、直立不動で答える。 「わかりました。護衛もあるので、くれぐれも遅れないでください」 「わかった。ご苦労」 一度敬礼をして、その連絡将校は走っていった。 柳井は、なかなか感じの良い奴だったな、などと思っていた。 「さて、再開だ」 B−24迎撃に向かっていた零戦隊が着陸してくる中、彼はそう言った。 日除けの麦わら帽子を触りながら。 二式大艇は順調に飛行していた。 現在のところ日本軍唯一と言っていい四発機が、この機体である。 その優美な外見が、柳井はとても気に入っていた。 ちぎれ雲が浮かぶ。 初夏の強烈な日差し。 それに照らされて輝く、護衛機・零戦の、無駄のないフォルム。 その背景となる、爽やかな蒼空。 南の青い海。 窓から外を睨む大きな機関銃が、ひどく不釣り合いだ。 これが敵B−17を撃退したこともあったそうだが。 …ところで俺は生涯独身だろうか。 突然、そんな考えも浮かんできた。 VIP席の彼は、そんな事を思いながらも、段々と眠りに落ちていった。 気付いたときには、もう夕方だった。 一度大きく伸びをして、ひょい、と下界を見てみる柳井。 「そろそろ着くのか!」 彼の目測によると、高度は300m。 非常に低空である。 「はい! 金峰山地下基地です!」 小さからぬエンジン音に負けじと、操縦士が怒鳴り返してきた。 「熊本だったな! 地下基地というと、新しく造ったのか!?」 同じく怒鳴るように続ける柳井。 「はい! そのようです! …そろそろ着水態勢に入ります! シートベルトをして下さい!」 「わかったぁ!」 ひとしきり大声で喋った後、席に戻る柳井。 「しくじるなよ!」 「お任せ下さい!」 機体は次第に高度を下げていく。 左手に雲仙、右手には宇土半島が見えているが、柳井は雲仙しか知らなかった。 夕日に染められてオレンジ色の山は、なかなかに素晴らしい眺めであった。 その中、次第にエンジン音を小さくしながら、一機の四発大型飛行艇は、東北東に進んでいく。 その機内にも、オレンジの陽光が射し込んでくる。 海が切れる。 目の前に、雲仙とは別の山が見えてきた。 金峰山である。 油圧装置の作動する音と、微かな振動。 フラップが下りたのだ。 車輪の下りる音がしないのが、飛行艇の少し違うところ。 エンジン音がさらに落ちる。 吸い寄せられるように、海面へと降下していく二式大艇。 海は穏やかだ。 緊張の時。 巨人機は、機首をやや上げた姿勢で、海面上すれすれを、滑るように行く。 そして、激しい振動と、けたたましい水の音。 確かにシートベルト無しでは、危険である。 だが、それもすぐに収まる。 水切りの良い艇体が、海水を撫でる音に。 二式大艇は、そのまま金峰山に機首を向け、海面上をゆっくりと進んでいく。 「…どこへ行くんだ?」 「地下基地ですから」 やがて、ぽっかりと開いたコンクリート製の通路が現れ、機体はそこへ呑み込まれていった。 柳井は唖然とした。 そこは、別世界であった。 すなわち、コンクリートで整形された、地下施設。 今までの常識を覆す、パイプやその他起伏のない、システマティックに整えられた外装は、薄い水色に塗装されている。 地下であることを感じさせない、煌々と輝く、しかし眩しすぎない照明たち。 そして何より、二式大艇が10機は余裕で停泊できそうな、広大な接岸施設。 奥に広がる、これまた巨大な格納庫と、付属工場と思われる施設群。 とにかく広い、新しいのだ。 新しいというのも、造られて間もないという事より、技術的に飛び抜けて最新鋭、という印象が強い。 まるっきり、SFの世界ではないか。 「こんな物を造っていたのか…しかも、陸軍が!」 溜息をもらす柳井。 疑問もある。 秘密基地というならわかるが、何故陸軍が、飛行艇用の巨大な発着場まで用意しているのか。 今度の転属と言い、上層部で何か新しい動きがあるのかも知れない。 何かが動いているという感覚を、柳井は抱いていた。 「はい、この基地は、九州全域の航空戦力の中心的拠点として、地下大本営に次ぐ優先度で、建設されました」 二式大艇はゆっくりと桟橋へ向かう。 「現在も工事は急ピッチで進められておりますが、まだ敵の本土周辺への進出はないので、我々に割り当てられたのです」 やがて二式大艇は水上に停止し、タグボートに曳航されて、ゆっくりと桟橋へ接岸した。 「しかし、こんな物を造る暇があったら、その資材を前線に回してもらいたかったんだがな」 「そうでもないですよ。連山や二式大艇、銀河といった長距離機を配備して、爆撃用、対潜哨戒用の基地としても使えます」 これは意味がある。 最近米潜の傍若無人ぶりは目に余る物があり、日本側の輸送船は相当な確率で沈められているのだ。 海上護衛本部も護衛空母を計画するなどして急遽対策に乗り出してはいるが、あまり上手く行っていないのが実状だ。 二式大艇であれば、最大航続距離は7200km。 ここを飛び立ったとしても、かなりの範囲を哨戒することが出来る。 また、ここでは触れられなかったが、急ピッチで陸海共同開発中の超重爆『富嶽』用に4000m滑走路をも備えているのだ。 ただし富嶽については、択捉島にもう一つ、米本土直接攻撃用としての大型飛行場も建設中である。 二人は機を下りる。 「それに、新鋭機を隠しておくには、絶好の場所です」 男は意味ありげに柳井に言った。 「ははは、新鋭機か。俺をガッカリさせるなよ。これでも空技廠で飛行機いじってたんだからな」 「空技廠ですか…」 「言うな。評判が悪いのは知ってる。銀河と彗星は酷いもんだったよ」 後方では一緒に運んできた希少資源の運び出しが始まっている。 「ところで、名前は?」 柳井はそれを聞いた。 考えてみれば、今まで聞かなかったのも、不自然と言えば不自然であった。 「大石渡中佐です。部隊付の連絡将校になります」 「うむ。俺はこの第9999航空隊の指揮官にされたらしい、柳井中将だ。よろしく頼むぞ」 握手を交わしながら、柳井は改めて相手を見た。 中年とは言えないが、青年と言うにはちょっと、という雰囲気であった。 「まずは、格納庫を案内しましょう」 握手の手を戻した後、大石がそう言った。 サッカーコートの倍くらいの幅を持つそれは、目の前に見えていた。 電動の巨大な扉が開くと、目の前には優美な機体をコテコテの銀色に輝かす巨人機があった。 いかにも空気抵抗の少なそうな、銃塔以外に突起の無い胴体。 四基のエンジンを備えた、細長い主翼。 Rの文字が描かれた、大きな、背ビレ付の垂直安定板。 主翼後方の胴体に堂々と居座る、巨大な星マーク。 「なんで扉を開けた途端に敵機があるんだ!?」 柳井は思わず叫んでしまった。 「我が軍の通信攪乱作戦によって、上海に誤って着陸したのです。十数機あったようですが、その内の一機ですね」 「ああ、例のアレか。これが噂の…俺らの連山よりデカイな。生意気な」 「B−29“スーパーフォートレス”ですね。二式大艇も上回っています」 『連山』は、あの富嶽の前哨『十六試大型陸上攻撃機』として、中島が完成させた物であり、与圧気密室と排気タービン付の2000馬力エンジン『誉』二四型ルを四基備え、1万mを巡航出来る、世界初の本格的高々度爆撃機だ。 加えて600km/h近い高速性能と、十分な防弾装備は、護衛無しでの突撃作戦においても、一定の生還率を約束する。 これは実戦で証明済みであり、一式陸攻の代替機として、現在量産中である。 ただし、連山は雷撃能力を持たないため、防弾ゴムを装備し、武装を強化した一式陸攻三六型の生産は続けられている。 二式大艇は川西製の大型飛行艇であるが、四発大艇中では、世界最高性能との誉れ高い。 飛行艇らしからぬ、無駄のない、シャープなスタイルは、今までとはひと味違うところを感じさせてくれる。 しかし、目の前のギンピカ巨人機を見ていると、柳井は誇りを傷つけられたような気がした。 つまり、一目で高性能が見て取れるほど、美しい機体であったのだ。 しかも一回りデカイ。 「敵はこれを2000機発注したらしいですよ」 大石の言に、柳井は吹き出した。 「桁が間違ってるんじゃないのか!?」 今までうんざりするほど敵機の蚊柱を見てきたが、こんなヤツが2000機など、それでも信じられない。 「エンジンが当てにならない代物なので、数で補うつもりらしいですね」 「なら他にもっとマシな方法があるだろうが…」 「そういう馬鹿なマネをさらっとやってのける所も、あの国の恐ろしいところなんでしょう」 「それは言えるな。奴等の発想と来たら、素直すぎるほど一直線だもんな。論理的だから、裏を掻くのは結構簡単だが…」 ドゥリットルの東京奇襲なんて、例外中の例外だ。 柳井は心底そう思った。 それにしてもこの男、敵の内情に詳しいものである。 そこから来る結論は。 「とんでもない目に遭わされる前に、停戦に漕ぎ着けたいもんだな」 半ば呆れながら、彼はそう言った。 少し考え込んでから、柳井は再び口を開いた。 「…ところで、これをどうする? 奇襲作戦に使うつもりなのか?」 「いえ、戦闘機に改造するそうです」 虚を突かれた表情で固まる柳井。 何だと? 戦闘機? こんな巨人機が? 「…何の冗談だ?」 「多座重戦闘機という触れ込みですが…。既に『連山』で同様の改造が済んでおり、先にこちらが実験される予定です」 大石は平然と語る。 柳井は思った。 連山を戦闘機にした? とんでもないところに来てしまったが、なかなかに楽しめそうだ、と。 「案内してくれ」 彼は妖しい笑みを浮かべながら、そう言った。 そうして二人は、無茶に広大な格納庫を、くまなく歩き回ったのだった。 同日深夜、帝国首都東京。 大本営地下室。 …祭壇の間(??)。 「長年に渡る研究の成果、ようやく試せるでおじゃる!」 「はは〜っ!」 一人の白装束は、周囲に居並ぶ十数人の軍服に向けて、そう言った。 彼の名は、東条 英奇。 首相兼陸軍大臣とは、すなわち帝国の指導者を意味する。 「これが成功すれば、戦争は一気に我らの勝ちでおじゃる! 私は天才でおじゃる!」 「はは〜っ!」 平身低頭する軍服たち。 この後、六時間と三十四分ほどに渡って、異様な“儀式”が執り行われるのだった。 これが如何なる意味を持つのか。 直接的効果を知る者は、限られていた。 そして、最終的な影響を知る者は、皆無だったのだ…。 歴史は評する。 その日、運命は死んだ。 と。 つづく |