鼬が飛び込めば、そこには少女がいた。
パッと見では、二十歳前後。身軽な服装に身を包んでいて、ここにいると言うことは、つまりはアレなのだろう。
彼女が敵であるかはわからないし、しかし味方である可能性も捨てきれないわけだが、とにかく。
自分は闇葛に置いても魂入霊歌に置いても、誰も知らない。兎と一角獣。そして狼以外は。
故に、狼が彼女に声をかけたときは、少なからず安心できたと言える。もし敵ならば、自分でも反吐が出そうなほど−−−まぁ、抑えが効かなくなる。
「梓さん?」
突然の訪問者をを驚いた様子で見ていた梓は、ああ、と笑みを浮かべる。
「狼牙クン」
「お久しぶりです」
そして、兎を紹介した。いつものごとく、自分−−−鼬を紹介することはないし、それは自分が紹介されるのを拒み続けているからでもあった。
鼬を狼が紹介しなかったことに疑問を感じる物はいなかった。そこだけが疑問であったが、なんにせよ不都合はなかったのだから。
「梓さん、なんでここに? 来てるのはイクリプスと−−−」
狼牙が疑問をかけると、梓は。
「あぁ、私、ね。イクリプスなのよ。今」
「え? イクリプスって一人じゃ−−−」
「少し前まではね」
少しと言っても何時間か前だけど、と梓は苦笑して。
「雑魚はあらかた片づけたから、あとはエージェントと−−−イレギュラー、ね」
「え?」
梓はピク、と反応すると、口から漏れた言葉をうち消すように笑った。
「なんでもない。だから後はエージェントクラスだけよ。結構簡単だったわ。魂入霊歌も、昔の栄華に頼りすぎたのかしら」
魂入霊歌には一つ大きな伝説がある。伝説と言っても、それは数ヶ月前のことであり、それが伝説になったのも、その主人公−−−秀吾がいなくなったためであるから。
「だから、後は木賊の居場所を突き止めて、助けるだけよ」
「え?」
狼牙はチラ、と兎を見ると、梓の耳に口を寄せた。
「僕は−−−僕たちは『魂入霊歌壊滅』の指令を受けてます」
あぁ、そうだったな。鼬がうなずく。狼牙が言ったことは漏れれば大変な事になるし・・・本当は信用できる相手でも話す内容ではない。
梓は目を丸くして、その言葉を口の中で反芻していた。
「兎さん」
「なに?」
兎と呼ばれた少女は、多分わかっているにも関わらず、狼牙に聞き返した。
「梓さんと一緒に行動してください。僕たちは、する事があります」
梓が「・・・僕たち?」と呟いたが、そうだ。サクリファイス以外の人間はどうも自分たちの人数を誤解しているようだ。
サクリファイスは五人。狼、鼬、兎、一角獣、そして蝿。
不思議そうな梓を残して、狼牙と鼬−−−羅閃は走り出した。魂入霊歌の奥の奥の奥へ。
MISSION FOR IRREGULARS
9「どちらを選んでも−−−彼らに残されるのは絶望でしかない」
「楸!」
ゴゥッと風が斬った。
楸は瞬時にして立ち止まった。慣性を後少しでも残していたら体が輪切りになっていたところだ。
しかも−−−拳風。
冷や汗が流れるのを感じ、楸は右手を見た。
「誰だ?」
「わかるだろう。時間がない、俺はお前には問いだけを残す!」
「−−−なん」
口を開こうとした楸に向かって、男−−−秀吾は、指を二本突きつけた。
「大切な物を救って死ぬのと、救わずに死ぬのとどちらだ!」
楸の体が跳ねた。秀吾に向かって猛烈な蹴りを放つ。
その蹴りが秀吾に当たる直前−−−秀吾の左腕がフォンと動いた。
パン
軽い音がして、そして−−−楸の体が一回転した。
床に衝撃と共に打ち付けられ、しかし楸は跳ね起きる。さらに加檄を−−−
「止まれ!」
秀吾がそう言って、右ストレートを楸の頬に当てた。
−−−歯が一本折れた。
楸は3メートル程吹っ飛んで、床にこすりつけられた。
「激高するのはわかる。俺は今まで『イレギュラー』達を見てきたからな。だが、それとこれとは関係ない」
「・・・ふざけるな」
「ふざけてなどいない。俺はお前に問うた。答えるのは少し後だ」
「・・・」
「わかったか。救って死ぬか−−−見捨てて死ぬか、だ」
楸がその言葉を聞きながら、砕けた歯を吐き出すと、
目を上げれば、そこに秀吾はいなかった。
「・・・ふざけるな・・・」
「真−−−さて、一番わからん男だ」
「そうでしょうか?」
秀吾と真は、魂入霊歌の最奥一歩手前、その廊下に向かい合って立っていた。
実を言うと真は、この廊下の壁に寄っかかって自分を待っていたと思われる男を最初、無視しようとした。
相手が敵であったとして、それでも最優先は梓の相棒の木賊だ。
それに、戦いたくはない。偽善者と呼ばれようと、戦うのは自分の意志ではしたくない。
ただ、相手の意志に自分の意志で従うのか、といわれれば、反論ができないのも事実ではあったが。
「僕としては、どうして貴方が僕の名前を知っているのかが疑問ですが」
「興信所に頼んだんだ」
「貴方は−−−そんなシャレを言う人でしたか?」
「おいおい、俺はまだ十七だぜ? 青春真っ盛りだよ」
「時間がないんです。手短に、僕は貴方からは無駄な話を聞きたくない」
「・・・あぁ、わかったよ。じゃ、お前も手短にな」
秀吾は指を二本立てた。
「助けて死ぬか、助けずに死ぬか。どっちがいい?」
「え・・・? それはもちろん−−−」
「おっと」
秀吾は、答えようとした真の口を塞ぐように手を突きだした。
「今はまだ答えを言うときじゃない。そのときが来たら、俺はまたお前の前に現れるだろう。つか−−−俺が現れたときは、もぅお前の答えは決まっている。俺は導いてやろう、お前の行く道を」
なお真は問おうとしたが−−−風が一陣、通り抜けたかと思うと、秀吾の姿は消えていた。
濁は走った。走って走って−−−そして、途中でぶつかりそうになって。
「あ、ま、待ちなさい! あんた魂入霊歌の人間でしょう!」
それは梓の声であり、濁も一瞬反応したが−−−無視。自分の答えを見つけるために、見つけようとするために、今は木賊の−−−? じゃない。芹菜の所へ−−−
自分が一番長くいたのは芹菜だと思った。本当はそんなはずはないのだけれど、それでも。
今は一番近いに違いない。
その彼女に訊けば、何かわかるかもしれない。そうかもしれない。それは非常にあやふやで曖昧模糊としていたが、濁はソレを振り払うように走った。
後ろからさっきの女と、もうひとり知らない男が追いかけてくる。
ヲヤ? あいつは同じ高校の人間じゃなかったか?
一瞬そう思ったが−−−勘違いだ。
「闇腐っ!」
「くそおおおぉっ! なんでお前がいるんだよっ!」
「お前こそ何でいるんだ! えぇ!?」
くそ、くそくそくそ! 大体あの狼牙が能力を持ってたなんて話は聞かなかった。
理不尽な。
「お前のせいだっ! 俺がここにいるのもなんもかんも!」
「責任転嫁だなっ!? いいともさ、僕がここにいるのもお前のせいだっ!」
もはや何を言っているかもよくわからない。しかし濁は走り続けた。
とにかく、嫌な予感がする。他の者と一緒でひどく曖昧だが、とにかく。
「お前らくるなぁっ! 敵つれてってどーすんだよっ!」
濁は叫んだ。もし追いつかれたら、自分は狼牙と戦わねばなるまい。そして狼牙は、自分には勝てないだろう。
だから来るな。友人を殺すのには多分の抵抗がある。
そう、そうだ。扉が見えた。そこを内側から閉めればあるいは−−−能力者には開けられないようにできる。自分の能力なら。
「芹菜っ!」
濁は力一杯叫び、扉を開けた。
皓也と九牙が彼らを見つけたのは、その彼らがまさに臨戦態勢に入ろうとしているときだった。
途中で回り道をして泰志を挟もうとした楸と、そして瞬がいない3人組。
つまり泰志と奇伊奈が一触即発の時。
「・・・あれぇ?」
魂入霊歌の団員はどこに行った? まさかすでにやられている?
ということは、敵はこのどちらかの他にもいっぱいいる?
「・・・ちと、やばいかも。あの人数がこのスピードでいなくなるっての」
「危機?」
「かもねぇ」
自分でも意識せず、間延びした口調。別に意味はない。
ただ、皓也らの出現で、男の方、つまり泰志が舌打ちしたのは確かだった。
「チィ・・・っ」
そして体を振るように一回転したかと思うと−−−
キイイイイイィィィッ!
「ぎゃー!」
皓也が悲鳴を上げた。誰もが−−−とくに皓也の大嫌いな、窓ガラスを擦る音がしたので。
その皓也の悲鳴に九牙はしかし、特に反応も見せずに飛び出した。
彼女にとってその音は確かに不快ではあったが、別にどうと言うこともなく、そしてその男を倒すことも、どうと言うことではなかった。
ただ彼女は動きを止めざるを得なかくなった。なぜならそこに−−−九牙と泰志の対角線上に、唐突に一人の男が出現したため。
「まとめて3人。奇伊奈、九牙。そして皓也」
その男はひとしきり3人を見回して、
「俺は秀吾だ」
そう言った。
反応したのは泰志だけだった。というか九牙にはそう言うことはどうと言うこともなかったし、彼女はその「どうと言うこともない」ということに関しては、妙に徹底していたから。
奇伊奈は彼の名前を聞く機会はなかったし、そもそも皓也は聞いてもすぐ忘れる。
泰志が驚いたのは、彼が伝説であると言うこと以外に、一度手合わせしたことがある。そしてしばらくの間−−−手をくんでいた男が、さらには行方不明になっていた男が唐突に眼前に出現したためであった。
「泰志・・・お前、邪魔だな」
「は?」
ザムッ!
泰志の鳩尾に、一瞬にして拳が食い込んだ。
強烈な踏み込み音と共に、泰志は後ろに吹っ飛んだ。壁に衝突する。
溜めていた息を吐き出すと秀吾は、何事もなかったかのように3人に向き直った。
薄ら笑いを浮かべて、3人を見回す。
「さて、しゃべり場の時間だ」
「・・・・?」
今の一連の出来事を目の当たりにした3人は、もちろん呆けたような顔で突っ立っていた。
たとえ秀吾のセリフが多少なりとも理解できたとしても、その本当の意味までは多分、わからなかっただろう。故に、上記の理由とあわせて答えることができなかったと言うことである。
秀吾は3人を見回すとため息をついて、手を二回、パンパンと鳴らした。
「はい、はい。今から皆さんに殺して貰いたい人がいます」
「・・・え?」
秀吾は皓也を向いて、
「お前には遥」
ビク、と奇伊奈の体が震えた。
次に九牙に向かって、
「君には昇太郎」
皓也が。
「奇伊奈。君には茉莉を」
最後に九牙が。
「・・・てめぇ」
皓也の顔が険しくなった。
「まぁ待て。今のは冗談だ」
「・・・は?」
秀吾は手を大仰に振ると。
「例えばそうなったとしたらだ。お前達は標的を殺すのと、自分の大切な人が殺されないように守ってやるのとどちらを優先させる?」
問いかけた。3人にとってこの問いかけは即答できるモノだったが、秀吾は。
「それじゃ足りないんだ」
まるで3人の答えを見透かしたような言葉を放った。
「最後のイレギュラーを止めるにはそれじゃ足りない。だからといって他の人間に任せることはできない」
「最後・・・?」
「お前達は『存在しない者』だ。在らざる者、と言った方がいいか?」
「在らざる者は『イレギュラー』と呼ばれ、この組織・・・魂入霊歌と、闇葛が必至に追いかけ回している」
「・・・何故?」
「『最後のイレギュラー』は並大抵の力じゃ召喚することはできない。お前達は『在るべき者』の存在を消去した力で召喚できたが、最後のイレギュラーを召喚するには、相応の媒体がいる」
「・・まさか?」
「察しがいいな」
「覚醒者だ」
「今からじゃ時間がない。お前らはこの奥に向かえ・・・多分、ヤバイ者が待ってる」
「芹菜っ!」
濁がその扉を開けたとき。
覚醒者−−−木賊の入っていたカプセルが、盛大に破裂した。
中の淡い緑色の液体が放射状に広がり、さらにガラスの破片などもあらゆる方向へと跳んだ。
「なっ!? せっ・・・芹菜っ!」
「ここにいるわよ! ちょっと!」
見えた。辺り一面が緑色だが、その中でも芹菜は確認できた。
「どーなってやがんだ!? おいっ、覚醒者は!!」
「さっぱり分かんないわよ! それより逃げるのよ!」
「逃げる? −−−どうして」
濁の声は次第に小さくなっていった。なぜならそこには・・・人がいたから。倒れている木賊の傍らに、ひとりの少女が。いや、少女というには少し歳が高いか。
二十歳を超えるか超えないかの少女には−−−羽が、六つ。
神々しいまでの輝きを放つ羽が、六枚ついていた。
「・・・なに?」
「−−−我は神。全ての世界の『贄』を司る神」
有のイレギュラー。
固有名詞はなく、強いてあげればそれは−−−
『生贄神』
「・・・うぅ」
「え?」
突如現れた神に見入っていた芹菜は、それを生み出した少年の声を聞いた。
「僕は−−−僕はっ!」
ズン
それは、少年が空高く跳んだ音。天上すれすれまで飛び上がった音。
「生贄神よ! その姿は下界に現す物にあらず!」
生贄神は聞いていたようだがしかし−−−答えはしなかった。
「帰られよ、ここは貴女の居るべき所ではない!」
「−−−断る」
少年の顔が驚きに染まった。
「−−−何?」
「断るといった。我を召喚した者以外の命は受けぬ」
「貴女は−−−神だ!」
「然り」
「矮小なる一個の人間などに従属すべき者ではない!」
「然り。否、我は一個の人間に召喚されたにあらず」
ばさ、と神は羽を広げた。
「我を超える存在だ。故に我は従属し、命を傍受する」
「・・・なんてことだ」
少年は肩を落とした。下唇をかむように顔を震わせる。
神は早々に少年に背を向けた。すると少年は−−−濁を向いた。
「僕にできることは−−−これで、一つしか無くなりました」
「−−−なんだって?」
「今は目的は同じです。だけど−−−次にあうときは、きっと僕はあなた達の敵方にいる」
「−−−そのときは僕を、殺してください」
その日、太田市の都市中心部で大規模な爆発が起こった。付近3・は消し炭と化し、もちろん、その範囲内に生存者は居なかった。
前部・終
あとがきっぽく
うぁ、嫌な終わり方。しかもこれで区切られてしまった。
えぇ、そうです。これ三部作の予定です。
前部、中部、後部。さて、終わるのはいつですかねぃ(滅)。
唐突ですが、ここで募集をうち切ります。ここから増えても絶対に活躍できないと保証します。
ので、ご了承ください。
さてさて、次回は−−−誰で行くかなー(考えてないのか)。
多分、真ですかねぇ。いやでも、うーむ・・・
それでは。
ろう・ふぁみりあの勝手な戯言〜
おお、神よ。
「生贄神」で噴出してしまったオイラをお許しください。
・・・いや、でも。それは反則でしょう?(爆笑)
まあ、さて置いておいて。
うー。大切なものを助けて死ぬか。それとも助けずに死ぬか。
大概の人は前者と答えると思いますが。たぶん。
とはいえ、個人的には「誰がために人は死ぬか」で書いたとおり、必ずしも「誰かを助けて死ぬ」なんてコトが尊い、とは考えたくないんですよね。
やはり、答えは「大切なものを助けて、自分も生きる」―――そう、上手くいかないのが世の中というモノでしょうが。
さて、第一部・完ってトコですね。
第二部はどんな展開になっていくのか―――楽しみですッ! 頑張ってくださいねー。