死者の双牙
帝国の南端。
片田舎。
騎士の称号を持つ俺は、親父の跡を継ぎ、ごく狭い所領の領主をやっていた。
別に楽しい仕事ではない。
帝立士官学校を主席で出た俺。
周囲の連中は、俺にいろいろと言ってきた。
羨望も、妬みもあったのだろうな。
…ひょっとすると、打算もな。
まあ、俺には関係ないし、今となってはどうでも良いことだ。
とりあえず、退屈はしていなかった。
館の玄関。
「行ってくるぞ」
石造りの館に、俺の無愛想な声が響く。
「は〜い、頑張ってね、名領主ブルートさん♪」
そして、奥の部屋から、俺のとは対照的な声が響く。
妻・ルーシア=ローゼンバッハの声だ。
息子の世話でもしているのだろう。
フッと笑みを浮かべつつ、一応槍を携え、俺は集会場へと向かった。
今日は、定期集会の日なのだ…。
「租税はいつも通りだ。全収穫量の2割…何かあるか?」
さほど広くもない部屋の中、俺の、相変わらず無愛想な声が響く。
何も無さそうだ。
まあ、そうだろう。
この二割という数字、他と比べると、異常なまでに低い。
ここの耕作システムにも秘密があるが、むしろ俺の趣味だ。
そんなにむしり取ってどうする。
雑務・防衛の代価としては、このくらいが妥当だろう。
まあ、備蓄用もあるんだが。
「他には無いのか?」
どうでもいい、いつも通りだな、と思いつつ、俺は再び皆に聞く。
皆と言っても、所詮15〜6人だが。
「西の用水路がそろそろ壊れそうですじゃ。なので…」
俺のすぐ右に座る爺さんの発言。
…そう言えば、以前そういう報告があったな。
すっかり忘れていた。
だが、それを言って、皆の機嫌を損ねても仕方ない。
「ああ、わかっている。明日にでも調べておくさ…いいか?」
まあ、二度忘れるほど俺はバカじゃないだろう…と思いつつ、返答する。
「もちろんでございます。お願いします」
さっきの爺さんとは別の若者が、言う。
感謝の意は、その表情から容易に見て取れる。
俺は苦笑いを浮かべる。
だって…そうだろ?
これが俺の仕事なんだ。
この程度で感謝されても、どう反応しろと言うんだ…。
じゃあ、終わろうか。
つまらない思考を頭から追い出し、そう言おうとしたが。
俺の勘が何かを告げる。
槍に手を伸ばした俺の前に、男が駆け込んでくる。
たしか、館の南に住む、セブルといったはずだ。
ただし、頭から血を流している。
普通に生活していて、出来るような傷ではない。
…敵襲か。
セブルが何か言う前に、俺は悟った。
「…落ち着け。敵の動きを見て、安全な場所へ逃れろ。離れるなよ、固まって移動しろ」
俺は動揺する皆に、そう指示を残し、槍を携えて表へ出た…。
館に走る。
何が狙いか判らないが、俺の館が、ここでは一番の砦だ。
ここを確保して、皆を集めて、立て籠もれれば…。
とにかく、俺は館へ走った。
そこら中を走り回る、見慣れない奴等。
みんなにも、ある程度は戦闘訓練をしておけばよかったか…。
しかも、俺とて、槍以外は装備無しに近い。
俺は、少なからぬ後悔の念を抱いていた。
正面の扉から入った途端、その姿が見えた。
顔など確認する必要はない。
軽く首を飛ばしてやる。
あの感触の後、派手に血を噴き、倒れる男。
甲冑の型からして、軍の兵士のようだ。
なぜ、軍が…?
どっちにしろ、敵対する気なら容赦は要らないな。
何かから逃れるように、こちらへ向かって走ってくる男がもう一名。
俺はそれを訓練用の標的と見なし、突く。
頭蓋骨が砕ける音。
即死だ。
もう、館はやられたのか…?
あいつは…?
息子は…?
雑念は死をもたらす、そうだったはずだ。
それを思い出しても、なお不安が沸き上がってくる。
本能に従い、螺旋階段を駆け上る。
二階の窓から、外が見える。
一人が何かを振り下ろした。
赤い物がパッと散る。
血だ。
俺は、歯ぎしりしつつ、さらに走る。
数名、俺目掛けて走ってくる。
警告の言葉すらなく、そいつらは各々の武器を振り上げ、襲い掛かってくる。
軍が、こんなところに来て何を?
解らない。
不安と疑念に囚われたまま、俺は迎え撃つ。
決着は十秒で付いた。
結果、俺は重傷、敵は全滅。
脇腹の出血は痛かった。
が、致命傷ではないはず…。
傷を押さえつつ、そのまま進む。
部屋の前には、数名の兵士が、血の海の中、事切れている。
鼓動が高鳴るのを感じつつ、それを踏みつけ、俺は扉を蹴破り、中に入った。
「あ…?」
不安が恐怖に、絶望に変わる瞬間。
十数名の兵士の死骸は、すべて見慣れぬ物。
その中、椅子に座ったまま、身動き一つしない者は…。
ポタポタと血の滴るその手のすぐ下には、同じく朱に染まった長剣。
多分、これで戦ったのだろう…。
視界に赤い物が入ってくる。
炎だ。
逃げなければ…。
逃げる…?
何故…?
何のために…。
そんな事を考えながら、俺はその場に倒れ、怒りに任せて、吼えた。
…意識が遠のく。
視界が、激しく上下に揺れつつ、高速で動き出す。
走っているのか…?
そこで、完全に理性が途切れた…。
また、視界に赤い物が入ってくる。
くどい。
いい加減にしろ。
大体、俺は何をしてるんだ…?
体が言うことを聞かない。
ただ、勝手に動いている。
遠くで声が聞こえる。
『コロセ…!』
目の前の物体が倒れる。
それが着る鎧は、さっきと同じ物…軍の兵士だ。
俺は、それに喰らい付く。
いや、俺じゃない…。
俺は、死人から血を吸ったりなんか…。
血を…?
何の話だ…?
『コイツラノオヤダマヲコロセ…テキニシヲ…』
うつろな意識の俺は、次の餌食を見つけ…。
頭がぐるぐるする。
生きているんだぞ…?
視界の外側が、霞んでいる。
現実…なのか?
『ソウスレバ…』
再び、赤い物が飛び散り、何かが倒れる。
そうすれば、何だ?
いや、答えは判っていた。
何故判ったかも判らないが…。
どうでもいい。
俺は何をしてるんだ!
今度は近くで声が聞こえる。
『正気に…』
俺は振り返り、すぐに襲い掛かる。
どうしたんだ…?
何故、攻撃する…?
俺は…何を望んでるんだ…?
…眩しい…。
それは、俺の槍を剣で弾く。
その剣筋に、心当たりがある…ような気がする。
この、特徴的なフランベルジュは…。
『戻れッ!!』
顔を確認する前に、それの膝蹴りを腹に喰らい、俺は、今日二回目の気絶を味わった…。
包帯を頭に巻いた奴の顔を見て、俺はベッドの上で跳び上がった。
「ルーシア!」
よく見ると、頭だけじゃない。
あちこち包帯を巻いている。
それに引き替え、俺は…無傷?
どうでもいいさ、そんなことは。
とりあえず、ルーシアは無事だった。
…あの時、死んだのだと思っていたが、実際は、単に座って休んでいただけだったのだろうな…。
とにかく、俺は安堵の息をついた…。
「あ…おはよう…」
どうやら、翌朝らしい。
しかし、暗い返事だ。
無理もないか…。
しかも、俺の手。
血の気が全く無い。
だるくも何ともないのに…。
「…他のみんなは!? 息子は!」
考えるより前に言葉が出たが、それだ。
俺の体のことなんかより、これが大切だ。
少し俺の顔を見て、すぐに俯くルーシア。
全滅…か。
…
ふざけるな。
クズ共が、何のつもりだ。
どう、責任を取ってくれるつもりだ。
今さら理由を説明したところで、許してもらえると思うなよ。
…
止めよう。
ここで怒りをぶちまけても…。
だが、許すわけじゃないからな…。
必ず…。
…
「…帝都に向かう」
ぶっきらぼうに俺は言い放った。
「…」
ルーシアは何も言わない。
ただ、俺の顔を見るだけだ。
だが、俺以上にストレートな性格のこいつの事だ。
反対など、あり得ない…。
俺には判る。
焼け焦げた館の中で、俺は誓った。
神なんて、最初から信じていない。
自分に、誓ったのだ。
如何なる障害があろうとも、如何に無謀であろうとも、必ず復讐を果たすと。
息子のためにも、皆のためにも…。