3."廊下の妖怪"

 

 一週間が経った。
 雪菜が友人となってから毎日、彼女は休み時間のたびに私の元へ訪れた。他愛もない話をしたり、お昼は一緒にお弁当を食べたり(意外というと悪いが、雪菜も自分でお弁当を作ってきた。しかも私よりも美味い)。
 放課後、雪菜は割と忙しいらしく、街に出て以来二度ほどしか付き合えなかった。しかもどこかに遊びに行った訳ではなく、私の部屋で勉強会しただけだ(その後、一緒にお料理して晩ご飯を食べたりもしたけど)。
 一週間ほど雪菜と付き合って解ったことだけど、彼女は割となんでもできる人だった。最初はただの天然でちょっと世間知らずなお嬢様といった印象(失礼だとは思うけど事実だ)だったけれど、まるで知らないことは無いくらい色々知っていて話題も豊富。どんな話を振っても受け答えてくれるし、知識をひけらかしたりもしない。料理もプロ級で、私もそれなりに料理はできる方だと思っていたけど、足下にも及ばない。頭も良くて、しかも教えるのが上手い。勉強会の時は、一方的に私が教えてもらう形で、学校なんか行かなくても雪菜に勉強を教えてもらったほうが良いと思うくらいだった。
 性格も、最初はちょっと強引だったけれど、最近はそうでもない。いつでも自分よりもこっちの気を使ってくれて、私に合わせてくれる(放課後、雪菜の都合が良かった時に勉強会になったのは私の希望だ)。
 最初はどうなることかと不安だったけれど、一週間過ぎる頃には、私は雪菜と友人になれたことがとても喜ばしいと思うようになっていた。
 けれど一つ不満がある。
 それは周囲の反応だ。雪菜と友人になってから、私への悪意が減った。今まで難癖つけてきた担任も、桜坂の取り巻きも、ここ一週間ほど特にちょっかいを出してこない。それどころか、腫れ物でも扱うかのように触れないようにしている。私の存在を無視していた桜坂も少し様子が変で、気がつけば私のことを見ていたりと、何故か気にしている様子だった(それが私の自意識過剰でなければだけど)。
 おそらくそれは雪菜が―――龍皇の人間が友人になったことが影響しているのだろう。龍皇は桜坂よりも強い影響力を持っている。その友人に対して下手にちょっかいかけにくいというのは納得出来る話だ。
 まあ、それはいい。
 私が不満なのは、どういうわけか周囲の連中が雪菜に対して過敏になっていることだ。それも悪い意味で。何故か雪菜が教室に入ってくると、一斉に静まりかえる。最初は龍皇の人間だからかと思ったが、それにしては以上に怯えているようにも見えた。雪菜が現れても平然としているのは私の他には桜坂くらいで、他のクラスメイトは皆一様に押し黙り、遠巻きに私達を眺めている。その雰囲気には心当たりがあった。自分たちとは違う存在が目の前にある不安。かつて、私の髪を不気味そうに眺めていたのと同じ視線だ。それが雪菜に対して向けられている。
 私が変な目で見られるのは耐えられる。けれど大切な友人がそんな風に見られるのは、心がざわつく。まあ当の本人は慣れているのか気づいていないのか、まるで気にした様子はなかったが。

 

 

******

 

 

 昼休み。屋上で私は雪菜のお弁当を食べていた。
 この屋上は本気で雪菜にとって “お気に入り” の場所らしい。私が説教した後、時間はちゃんと守るようになったけど、この場所だけは譲らなかった。

「これくらいは構いませんよね?」

 などと不安そうにお伺いを立ててくる雪菜に、私は「絶対ダメ!」なんて言えるはずもなかった。
 そんなわけで、お昼休みになれば、私はこの屋上で雪菜と一緒にお弁当を食べるようになった。最初は普通に自分の作ってきた弁当を食べていたのだが、三日ほど前から「お弁当を交換してみませんか?」などと雪菜が言い始めた。

「お互いのためにお弁当を作り合うって、そのっ、仲良しっぽくていいと思うんです!」

 照れながら言う雪菜にこっちも照れる。信じがたいことだけど、雪菜には友人がいないらしい。だから、 “友達” とか “仲良し” とかそう言った話題になると軽く緊張する。
 さて、お弁当交換の提案だが、それは私にとっては悪い提案ではなかった。何度かつまませて貰ったが、前述の通りに雪菜の料理の腕は最高で、それが毎日食べられるなら彼女と結婚したって良いくらいだ。というか “龍皇” というのを抜きにしても、彼女の夫となる幸運な男は羨ましすぎる。
 けれど、そんな彼女に私のお弁当を差し上げる、というのは気後れする。さて、どうしたもんかと悩んでいると、雪菜は不安そうに私の顔を覗き込んでくる。

「ダメ、ですか?」

 ちょっと不安そうに怯えながら言う雪菜。これ、反則すぎると思う。雪菜は身長が低く、当然座高も低い。背の高い私とは、どうしても下から覗き込まれる形となって、まるで小動物を相手にしているような気分になってくる。ぶっちゃけ断りづらい。
 仕方なく私は了承した。まあ私の料理の腕だって満更でもない。雪菜には遠く及ばないにしても、不味かったりはしないはずだ。

「ありがとうございます! 嬉しいですっ!」

 不安そうな表情から一転、雪菜は太陽のように笑顔を輝かせる。まあ、この表情を見れただけでも承諾した甲斐があったというものだ。そんなわけで、その日から私達は互いにお弁当を作るようになった。

「・・・しっかし、こう言うのは偏見だけどさ。お嬢様ってもっと料理とかできないもんだと思ってた」

 雪菜の作っただし巻き卵(お弁当の定番!)を口に運びつつ私は言う。このだし巻き卵も、冷めているくせにふんわりとしていて味も、なんというかジューシィ(って使い方合ってるのか不安だけど)で、特に高価な材料を使っているわけじゃないのに、どうしてこんな味が出せるんだろうか。今度聞いてみよう。

「そ、そんなことはないですよっ。私なんてゲッカさんに比べればまだまだで」
「おい、それは謙遜を通り越して嫌味だぞ」
「そんなことないですっ! ゲッカさんのお弁当、とっても美味しくて愛情がこもってて!」

 うわ、なに恥ずかしいこといってんだこの小動物! ちゃんと愛情は込めたけどさ。

「いやいや、雪菜のお弁当だって愛情たっぷり篭もってるし」
「そ、そうですか?」

 見れば雪菜の顔がトマトのように真っ赤になっている。多分、私も同じような状態だ。・・・ていうか何やってるんだ私たちゃ。

「まあ愛情はともかく、同じお嬢様でも桜坂とはえらい違いだね」
「桜坂?」

 きょとんとする雪菜に、私は「あれ?」と首を傾げた。

「桜坂だよ。桜坂みつき。知らない?」

 龍皇と桜坂は割と深い関係にある。クラスは違っても、同学年だったら雪菜が知らないはずはないと思ったんだけど。

「みつき・・・あっ、あの子ですか! 覚えてます覚えてます」

  “思い出して” ぽん、と手を叩く雪菜に私は妙な違和感を覚える。なんだろう、なんか微妙に反応がおかしいような気がする。まあ、雪菜の反応に微妙に違和感を感じるのはこれが初めてではない。友達になってお茶しに街に出た時もそうだし、それ以降もなんとなく言いようのない違和感を感じていた。きっと “お嬢様” としての感覚のズレかなんかかなーと思うんだけど。

「そう言えば、ゲッカさんと同じクラスでしたよね。お友達ですか?」
「・・・うーん」

 問われて、私は即答出来なかった。
 いや、友達かどうかと聞かれれば、間違いなく違うだろう。少なくとも向こうは友達どころか、クラスメイトとすら認識していない。
 けれど。

「元、友達ってところかな」

 私は苦笑して応える。
 あいつは多分、私のことを嫌いなんだろうと思う。あいつにとって私はプライド的に認められない存在で、だからこそあいつは私を拒絶する。
 でも私はあいつを嫌いにはなれない。嫌なヤツ、とは思うけれど決定的に憎む事なんて出来ない。何故ならあいつは―――桜坂みつきは、私がこの学園にきて初めて友達となってくれたやつだからだ。

「元、ですか」

 うん、と私は頷く。
 この学園に来た当初、やっぱり、というか当たり前というか、私のこの白い肌と髪は気味悪がれた。生徒だけではなく、教師も同様で、誰もが私のことを眉をひそめて見ていた。けれど、そんな中で桜坂だけは違った。あいつはこの学園に不案内だった私を色々と教えてくれた。代わりってわけじゃないけれど、私もあいつの面倒を見たりした。桜坂はお嬢様だからなのか―――というのは偏見だって最近知ったけど―――身の回りのことがあまりできない。部屋は散らかりっぱなしだし、料理も洗濯もできやしない。だから食事は昼は学食で、朝と夜は毎日デリバリーを取り(と言っても普通にあるピザ屋とか安っぽいじゃなくて、一流シェフの出張サービスとかそんなんだ)、洗濯はクリーニング業者(この学園内に存在する)に全て一任していた。さらに桜坂はひどい低血圧で、寝起きが悪い。この前も遅刻していたが、実は常習者だったりする(遅刻するたびになんだかんだと言い訳して、反省文を書いたことはないようだが)。
 そんなわけで、私は毎日部屋まで行って(以前は私の寮と桜坂の寮は近かった)、桜坂を叩き起こして朝食を作り一緒に学校に行き、放課後も桜坂の部屋に行って部屋を片づけ、洗濯もして、晩ご飯を作ったりしていた。

「通い妻、というヤツですね!」

 私の話を聞いて、雪菜が何故か嬉しそうに言った。そうはっきり言われると妙に恥ずかしいけど正にその通りで、後の方になってくるとルームシェア状態で、殆ど桜坂の部屋で寝泊まりしていた様な気がする。・・・今にして思えば、なんでそこまでやったのかと自分でも思うが、多分きっと嬉しかったんだと思う。私の髪を初めて見て、普通に接してくれた人はおそらく桜坂が初めてだったから。

「お二人は仲良しなんですね」

 ・・・だからハッキリ言われると恥ずかしいんだってば。それに。

「元、って言ったでしょ。今は絶交状態」

 私が言うと、雪菜は表情を暗く曇らせる。

「それは・・・やっぱり “妖怪” だからですか?」

 だから私は妖怪なんかじゃない―――って、言おうとして口をつぐんだ。雪菜が今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。まるで、私の代わりに哀しんでくれているみたいで、私は彼女の頭を撫でた。

「そうだね。 “妖怪” だからかもしれない―――あれは春休みだから・・・もう三ヶ月前になるのかな。高校に上がる直前の春休みに、あいつは実家に帰省してたんだけど・・・」

 帰省から桜坂が戻ってきた時から妙に私に対して余所余所しくなった。段々と私を避けるようになって、春休みが終わる頃には寮も離れたところに引っ越し、学校が始まっても口を聞いてくれなくなった。実家で何かあったのかなと思い、それでも積極的に話しかけたり、寮に尋ねていったりもしたけれど無視され、最終的には「馴れ馴れしくしないで」と冷たく拒絶された。
 青天の霹靂に何がなんだか解らず、そうこうしているうちに私に対して、桜坂の取り巻き達がちょっかいをかけてくるようになった。その時に言われたのが。

「アンタみたいな気味悪い髪の “妖怪” に付きまとわれて、桜坂様は迷惑してたんだ!」
「私達でさえ畏れ多くて近寄りがたいって言うのに〜」
「・・・だいたい、桜坂様を呼ぶ時はちゃんと “様” を付けなさい」

 つまりあれだ。桜坂は、妖怪じみた白い髪をしている私が馴れ馴れしく “桜坂” と呼ぶのが気に食わないのだと。桜坂に直接言われたわけではないが、私はそう解釈した。なんでいきなり桜坂がそんな風に思ったのかは解らない。実家で何かあったのか、それとも最初っからそう思っていて我慢していたのか。ともあれ、それからずっと私は桜坂とは絶交状態だ。桜坂は私を完璧に無視―――視界にすら入れないようにしているし、下手に声かけても無視された挙句、取り巻き共にぎゃあぎゃあ言われるだけなので、私も自然と桜坂に関わらないようになった。

「そんなわけで今では絶交状態。ま、元々が相容れないやつだったってだけなのかもしれないけど」
「ゲッカさん・・・」

 なんでもない事のフリをして笑い飛ばす私に、しかし雪菜は私をぎゅっと抱きしめてくる。・・・いや、体格差があるんで “抱きしめる” というよりは “すがりつく” 様な体勢だけど。

「せ、雪菜?」
「辛かったでしょうね・・・」

 雪菜は泣いていた。涙を零し、まるで私の代わりにとでもいうかのように哀しんでいる。

「ちょっと雪菜、別にそんな大した話じゃないんだから」

 嘘だ。桜坂に拒絶された時、どれだけ辛かったか。私にしてみれば今までで誰よりも仲良くなった友達だった。初めての親友と言ってもいい。少なくとも私はそう思っていた。だから―――流石に母や浩一郎氏が亡くなった時ほどではなかったけれど、それに追随するくらいにショックだった。

「解るんです、私にも」

 雪菜は涙を拭いながら、私から離れてぽつりと呟く。

「私も仲が良かった人間のお友達に突然拒絶されたことがあるんです」
「雪菜・・・」
「だから解るんです! ゲッカさんがどんな気持ちなのか、どれほど傷ついているのか!」

 また泣き出しそうな雪菜に、私は「ありがとう」と呟いた。

「うん、雪菜の言うとおりにさ、すごく辛くて苦しくって哀しかったけど、でも今は大丈夫」

 私は雪菜に笑いかけて続けた。

「だって、今は雪菜っていう友達がいるもん」

 言ってからかーっと顔が熱で火照るのを感じた。うっわー、なに恥ずかしいこと言っちゃってるんだ私ー! これ、私が言われたら笑っちゃうね、笑い飛ばすね絶対!
 けれど雪菜は感激したように涙目のまま表情を明るく輝かせる。

「そうですね! 私にもゲッカさんというお友達がいますしね!」

 恥ずかしい言葉で返された。なんか凄く照れるって言うか、雪菜の顔がまともに見れないというか。
 ・・・でも意外だなあ。雪菜みたいな可愛くて良い子を絶交するようなヤツが居るなんて。きっと人間とは思えないくらいに性格がとてつもなくねじ曲がってるに違いない―――

「・・・あれ?」

 ふと、何かが引っかかる。さっき雪菜は “人間のお友達に” とか言ってなかったか? いちいち “人間の” とつけたのが妙に気になる。・・・いや多分きっと、それは妖怪―――だと思い込まれてる私と対比して言ったのかも知れないけど。

「あ、ゲッカさん、そろそろ休み時間が終わりますよ?」

 様子を伺ってくる雪菜に、私は今感じた疑問を口にしようとした時、雪菜がそう言って手早くお弁当を片づけて立ち上がる。
 「行きましょう」と言ってくる雪菜に、頷いて私も立ち上がる。疑問は―――まあいいか、と呑み込んだ。単に言い回しが気になっただけだし。
 けれど、私は後で後悔することになる。今、その疑問を口にしなかったことを―――

 

 

******

 

 

 放課後の図書館はいつもそれなりに人が入っている。この学園内には生活するに不自由しない程度の施設が揃っているが、娯楽施設だけは存在しない。だから自然と、放課後の生徒達は学園内にある喫茶店やレストランか、この図書館に集まることになる。
 図書館内は、基本的には騒ぐのは禁止だけど、防音された談話室もあり、そこでなら多少騒いでも構わないことになっている。
 さて。この図書館に来る目的と言えば、本を読むか借りるか、勉強するか。もしくは談話室で友達とお喋りするかのどれか―――だけではなく、もう一つあったりする。

「・・・今日も盛況だなー」

 私は司書室へと向かう長蛇の列を眺めて苦笑した。
 図書館に来るもう一つの理由、それは奈津子さんのカウンセリング(のようなもの)だった。奈津子さんは無愛想ではあるけれど、どんな話を聞いても小馬鹿にしたり笑ったりしない。また、絶対に誰にも言わないで、と約束すれば本当にどんなことがあっても他に喋ったりしない。だから放課後になれば、人には言えない何か愚痴りに来る生徒達が集まるのだ。
 ・・・まあ、そのうちの何割かは、奈津子さんに告白しに来る生徒達だったりするんだけど。

「やっぱり、奈津子さんに会えるのは閉館間際になるかな」

 列の長さを見て溜息を吐く。放課後、雪菜は用事があると言い、私の方は特に用事もなかったので、なんとなく奈津子さんに会いに来た。以前、約束した文庫本もまだもらってないし。
 一旦、寮に戻ろうかなー、なんて思っていたその時だ。「失礼いたしました」という聞き覚えのある声と共に司書室から生徒が一人退室してくる。

「・・・あ」
「・・・・・・」

 私はそいつを見て思わず声を上げ、向こうもこちらに気がついて―――しかしすぐに視線を反らすと、さっさと図書館を出て行ってしまった。
 司書室から出てきたのは言うまでもなく桜坂みつきだった。珍しいな、と思う。あいつが奈津子さんに愚痴りにくるなんて想像したことすらなかった―――もしかしたら、単に奈津子さんに個人的な用事があっただけかもしれないけど。
 ・・・・・・・・・個人的な用事、と考えて、ふと一週間前に奈津子さんに告りに来た上級生を思い出すっていやまさかそんなねえ。
 頭に思い浮かんだ妄想を振り払いつつ、私は結局寮には戻らずに、明日の授業の予習でもしながら待つことにした。

「ん、来てたのか」

 閉館間際になって、ようやく最後の一人が帰り、奈津子さんが司書室から出てきた。いつもの黒ずくめの格好だ。
 ずっと生徒達の愚痴を聞いてたはずだが、まるで疲弊した様子はない。どんだけタフなんだこの人。

「久しぶりだな。今日は雪菜と一緒じゃないのか」

 最近はあまり図書館には来ていなかった―――何故か雪菜と友達になってから、先生達も私を無視することがなくなり、授業中の質問にも答えてくれるようになったし、雪菜も休み時間にちょこちょこ教えてくれたりするので、放課後になってから図書館で解らないところを調べながら自習する必要がなかった。

「ええ、なんか用事があるとかで―――って、やっぱり奈津子さんは雪菜のこと知ってるんだ」

 生徒達の愚痴を聞いてるもんだから、奈津子さんは学園内の事に異常に詳しい。特に雪菜は龍皇の人間だ。奈津子さんが知らない方がおかしいだろう。

「まあな。お前と友達になったって言うのは、さっきみつきから聞いたばかりだけど」
「みつき・・・って誰ですか、それ?」
「絶交したからってその反応は酷くないか?」

 奈津子さんが眉をひそめながら言うのを見て、私は一瞬思考が停止する。

「うえ!? みつきって、桜坂みつき!?」
「それ以外に誰が居る?」
「いや、えっと、他の私の知らない某みつきさんかと」

 びっくりした。私と雪菜―――というか私の事を桜坂が話題にするなんて思えなかったから、素で同じ名前の別人かと思った。

「桜坂が奈津子さんに会いに来たのは知ってましたけど・・・な、何を話したんですか?」
「それは言えない」

 つまり、桜坂は口止めしたわけだ。当たり前だろうけど。
 ・・・うう、なんだかとてつもなく気になる。けど、奈津子さんは絶対に言わないだろうしなあ。

「ところで今日はなんの用だ?」
「暇だったんで、奈津子さんとお喋りしに」
「・・・もう閉館なんだが」
「ですよねー。ああ、あと約束していた小説を貰いに来ました」
「お、忘れてたわけじゃなかったんだな」

 どこか嬉しそうに言って、奈津子さんは司書室に戻って文庫本を持ってくる。

「ほら―――サインもつけようか?」
「要りません」

 きっぱりと断ると、奈津子さんは寂しそうな顔をする。それを無視して、私はパラパラっと文庫本をめくった。と、挿絵のページが開かれる。セツナが村の田んぼの仕事をして、それをゲッカが手伝っているシーンだ。上手くできないセツナに対し、ゲッカは手際よく稲を植えていく。

「 “セツナ” の名前って雪菜から取ったんですか?」

 ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみれば、奈津子さんはあっさり頷いた。偶然ってわけじゃなかったらしい。

「でも雪菜はこの小説のことを知らないみたいでしたよ? 私の時みたいに、名前を使うことを断わらなかったんですか?」
「いや、一応小説で使うとだけは言った。・・・そう言えばタイトルは教えてなかったかも」
「・・・だから “月下の妖怪” のこと、知らなかったのか」
「小説に使うっていっても、名前とビジュアルイメージ借りただけだしな。お前の場合は “妖怪” 扱いだからちょっと気を使ったけど」

 確かに挿絵や本文の外観的な描写は、セツナのイメージは雪菜とダブる。ちなみに私とゲッカが似ていると聞かれれば、髪と肌の色くらいで、ゲッカの方が見目麗しく描かれている。あと胸大きすぎ。

「さて、と。いい加減に図書館を閉めないとな―――閉館作業を手伝ってくれたら、晩飯奢るぞ」

 奈津子さんに言われ、私は喜んでそれに応じた。ただで一方的に奢られるのは居心地悪いが、何かの代償に奢られるのは大歓迎だ。
 二人で閉館の片付けを手早く終わらせ、奈津子さん行きつけの高級居酒屋(原則生徒は禁止だが、教職員のためにお酒が飲める所も学園内に何軒かある)で御馳走してもらって、上機嫌で寮に戻った。

 

 

******

 

 

 胸が苦しい。
 心が酷くざわめいて、他のことに集中出来ない。

「あの、ゲッカさん?」
「・・・ん? なに、雪菜」

 昼休み。いつものように雪菜と一緒に屋上でお弁当を食べていると、雪菜が心配そうに私の名前―――なんかこの名前で呼ばれるのも慣れちゃったなあ―――を呼んだ。

「その、なにか表情が優れませんけど・・・」
「ああ・・・うん、ちょっとね」
「なにか思い悩むような事があるのでしょうか? それなら相談に乗りますよ―――と、友達として」

 最後の一言で、雪菜は照れたように顔を赤く染める。本当に良い子なんだよなあ、雪菜は。そんな雪菜に、私は胸がズキリと痛むのを感じた。確かに思い悩んでることはある。けれど、それは絶対に雪菜には言えないことだった。何故ならばその原因は彼女なのだから。
 とりあえずその場は「なんでもない、大丈夫」と誤魔化して(誤魔化せなかったとは思うけど)、お弁当を食べ終えた私達は屋上を出て教室の前で別れる―――別れる間際、雪菜は申し訳なさそうな顔をして。

「すいません。明日はちょっと用事がありまして、学校には居ないんです」

 だから、と雪菜は私に鍵を一つ差し出した。私に顔を近づけ、周囲には聞こえないように小声で囁く。

「屋上のスペアキーです。もし、私が居ない時に屋上を使いたかったらどうぞ」

 ありがとう、と受け取りながらも、心の中では絶対に使わないだろうなー、と思っていた。
 流石に雪菜の居ない時に、あんな監視カメラの設置された立ち入り禁止区域に踏み込む度胸はない。

「それではまた明後日に」

 と、ぺこりと一礼する雪菜に「うん」と頷き返し、ブレザーの内ポケットに屋上の鍵を入れて、教室の中に入った―――

 

 

******

 

 

 次の日、雪菜が言ったとおり学校には居ないのか、休み時間にも雪菜が姿を現わすことはなかった。久しぶりに一人ぼっちで過ごすのは寂しかったが、一方で気持ちが楽でもあった。・・・なんて雪菜に言ったら哀しむだろうか。
 雪菜のことを考えただけで胸が苦しく、痛くなる。彼女はとても良い子で、私には勿体ないほどの “友達” だ。だからこそ、余計に辛い。
 今、私の胸を占めているのは “罪悪感” だった。友達を騙している罪悪感。雪菜は私のことを未だに “妖怪” だと思い込んでいて、私は本当のことを言い出せないでいる。もしも私が髪が白いだけの、ただの人間だと解ったら、雪菜は離れて行ってしまうんじゃないかと。

「・・・いっそのこと、本当に妖怪だったらいいのに」

 昼休み。やっぱり屋上に行く気にはなれなかった私は、久しぶりに教室でお弁当を食べる。一人で食べたせいか、妙に早く食べ終えてしまった後、私は呟きながら自分の白い髪を掬ってみる。散々不気味だの妖怪だの言われてきた髪の毛だ。霊的な力とかそういうものが宿っていてもいいのになー、なんて思いつつ、私は鞄から文庫本をとりだした。 “月下の妖怪” もう四回は読み直している。雪菜が居ないので、暇潰しに持ってきたのだけど、それを読む気力も無い。しばらく机の上に置いて、表紙に描かれている “ゲッカ” をじっと見つめた後、私は溜息と共に文庫本を鞄に戻す。
 わかってる。きっと雪菜は私が妖怪じゃないからって、友達の縁を切ったりしないって。あの子はそんな子じゃないって解ってる―――けど、やっぱり正直に言うのは怖い。
 こんな情けない人間だったっけ、私―――なんて自分の机で悶々としていると。

「ねえ、ちょっと」

 誰かが私の机の傍にやってきて声をかけてくる。振り返れば、クラスメイトが四人。いつも一緒に行動している仲良しグループで、例の桜坂の取り巻きのようにいつもちょっかいかけてくるわけではないけれど、何度かいきなり背中を押されたり、足を引っかけられたりと直接的に仕掛けられた事はある。特にテスト期間前後に多い。それというのもグループのリーダー格の高崎ってヤツが、いつもテストで三番目以下の順位だからだ。ちなみに一位と二位は私か桜坂のどちらかで争っている。桜坂のお嬢様ならともかく、髪が真っ白の気味悪い女に負けるのはムカつくらしい。

「今日はあの子、居ないの?」
「あの子・・・って、雪菜のこと? なにか用事で学校には居ないってさ」

 ははあ、なるほど今日は雪菜が居ないから久しぶりにちょっかい出しに来たってわけか。丁度良い、自己嫌悪にひたるよりもこんな連中の相手でもしていたほうがずっとマシだ。予鈴が鳴るまで十数分。今の私は割と暇だから、蹴りだろうと平手だろうと罵詈雑言だろうと、何が飛んできても見事に受けきってやろうじゃないか!
 ・・・なーんて心の中で身構えていたが、飛んできたのは意外な変化球だった。

「あの・・・あの子、やっぱり妖怪なの?」

 ・・・・・・は?
 高崎の言った言葉の意味が解らずに、私は思わず呆然とした。

「妖怪って・・・誰が?」
「だからあの子。雪菜って言ったっけ? 休み時間の度に貴女に会いに来る子」

 雪菜が妖怪? いやいやいや、私だったらともかく、なんで雪菜が妖怪になるんだろうか。

「もしかして、知らないの?  “廊下の妖怪” の事」

 ロウカノヨウカイ。
 それは聞き覚えのある単語ではあった―――けれど、それがどういう者なのかは心当たりがない。私が何も答えられずにいると、連中は頼んでもないのに説明し始める。

「去年卒業した私のお姉ちゃんから聞いた話なんだけど、この学園には一人の妖怪が住み着いてるんだって」
「私達と同じ制服で、授業中に廊下を通りかかっては授業を受ける生徒を眺めて立ち去るだけの妖怪」
「害はないからって、先生達は黙認しているらしいけれど。ええと、ほらあれ、座敷わらしみたいなもの?」

 そんな話を聞きながら、私は未だに混乱していた。ていうか雪菜が妖怪? いやでも彼女は龍皇の人間で―――ああ、でもちゃんと確認したわけじゃないか。私が勝手に推測して尋ねて肯定されただけ。

「で、でも、あれはどう見ても人間だって。普通に見えるし、触れることだってできるし」
「それは幽霊とかの話じゃない? 妖怪だったら普通に触れるのよ」
「そ、そういうもんなのかな―――って、ちょっと待って、それじゃあ人間も妖怪も区別出来ないってだけじゃない。雪菜が妖怪って証拠はなにもないでしょーが!」

 精一杯反論してみるが、 “そんな反論は予測済み” とでも言いたげに高崎はにやにやと笑みを浮かべる。もしかしたらいつもテストで負けてる私を追いつめているのが楽しいのかも知れない。

「あの雪菜って妖怪、リボンタイからして一年生のはずでしょう? けどね、一学年に “セツナ” なんて名前の子は一人も居ないのよ!」
「えっ・・・」
「これは間違いないわ。ちゃんと名簿を借りて端から端まで調べたもの」

 そんな馬鹿な―――と、言おうとして、しかし私は何も言えなかった。
 考えてみれば、私は雪菜のクラスがどこなのかすら知らない。それに雪菜との会話の中で、授業やクラスに関する話は一回も無かった。それはクラスから孤立している私に合わせてくれたのかと思っていたのだけど。
 と、絶句してしまった私に、連中は好奇心に目をキラキラさせて詰め寄ってくる。

「で、で? あの妖怪とはいつもどんな話してるの?」
「いつも昼も一緒に食べてるんだよね? 妖怪ってどんなもの食べるの?」
「っていうかあの妖怪って、いつもどんなところに住んでるとか知ってる? 校舎の何処かと思うんだけど」
「そもそも、妖怪とどうやって知り合ったの? やっぱアンタも妖怪みたいな真っ白い髪だから?」

 矢継ぎ早に飛んでくる質問に対し、混乱したままの私は何も答えることが出来ない―――というか答えたくなかった。連中は面白がっているだけだ。そうでなくとも、雪菜のことを小馬鹿にしたように “妖怪” と連呼するのには腹が立つ。

「おい、何黙ってんだよ!」

 唐突に高崎が私の胸ぐらを掴み上げる。同時、他の三人が私の席の周りを取り囲む。逃がさないように、というよりは心理的にプレッシャーをかけるためだろう。素晴らしいチームワークだ。気の弱い子だったらあっさり屈服するところだ―――けど。

「答える事は何もないって言ってんだよ!」

 私は胸元を掴んでいる高崎の手を握り返すと、椅子を蹴って立ち上がる。あんまり自慢することでもないけど、私の背はクラスで一番高い。対して高崎はどちらかというと低い方だ。自然、普通に立てば私が高崎を見下ろす形になる。

「・・・・・・」
「・・・・・・っ」

 じろりと睨み下ろすと、高崎は一歩後ずさった。だがそこは腐っても一グループのリーダーだ。気圧されたのは最初だけで、すぐに私を睨み上げてくる。

「何見下ろしてるんだよデカブツ!」

 お前が小さいからだよチビ! とでも言い返してやろうかと思ったが、単なる罵り合いになれば数で劣る私の方が不利だ。そもそも罵倒されるのには慣れてるが、逆は慣れていない。だから何も言わず、無言で圧力をかけるために一歩踏み出す。

「・・・こ、この・・・っ」

 一歩迫られ、高崎が少し怯む。ふふん、背の高い相手に無言で迫られるのはちょっと怖いだろう。私も昔、奈津子さんに同じ事をやられたからよく解る。さてもう一歩踏み出すか―――と思ったところで、両腕と胴を誰かに掴まれた。振り向けば、高崎の仲間達が私にしがみついている。

「な、なにしてるのよ!」

 高崎ズの一人が抗議の声を上げる。何って、単に高崎に向かって前進しただけだっつーの、なんて親切な説明はしてやらない。代わりに私はそいつにターゲット変更する。

「ひ、ひいっ」

 上から軽く睨み下ろしただけで、そいつは悲鳴をあげてあっさりと手を離した。うん、まあ、狙ってやったことなんだけど、こうも怖がられるとちょっとへこむ。ともあれ、他の二人も軽く睨んでやるとあっさりと離れた。ゴジラかなんかの大怪獣か私は。
 さて高崎は―――と振り向けば、彼女は少し離れた場所に退避していた。追撃してやろうかとも思ったが、やりすぎてもあとあと面倒になりそうだと思ったので、私は自分の席に戻る。

「な・・・ナメてんじゃねえよっ!」

 席に座ったところで、また高崎が詰め寄ってくる。っていうかお前どこのヤンキーだよ?(女の子の場合はレディースって言うんだっけ?) 一応ここに通ってるのはお嬢様な方々のはずなんですけどねえ。
 まあいいや、相手して欲しいって言うなら何度だって相手してやろうじゃんか―――と、私が席を立ちかけたその時だ。

「そこの四人。そろそろ予鈴が鳴りますよ」

 凛、とした声が教室内に響き渡る。その声に振り向けば、桜坂が冷めた視線で高崎を見つめていた。高崎は一瞬、桜坂の方をにらみ返したが、すぐに視線を反らし、軽く舌打ちして自分の席に戻る。いくらなんでも天下の桜坂様に逆らう気は起きないらしい。高崎の仲間達も同様で、大人しく自分の席に戻っていく。

「さっすが桜坂様!」
「一触即発の場面を見事お納めになられましたわ〜」
「・・・それにしてもあいつ、助けられたんだから礼の一つでも言えばいいのに」

 事の成り行きを見ていた桜坂の取り巻きが口々に言う。・・・今の助けられたことになるのか、私? なんて疑問したところで予鈴がなる。
 まあ、あのまま続いていたら予鈴が鳴って、すぐに先生が来て喧嘩しているところを見つかったりすれば、また面倒くさいことになっていただろうけど。

「・・・・・・」

 桜坂の方を見るといつものすました表情で私の事は完全無視。まあこいつに私を助けるつもりなんて毛頭無いとは思うけど。

「・・・ありがと」

 小さく呟いて、私は次の授業の準備を始めた―――

 

 

******

 

 

「はい、私も “妖怪” ですよ♪」

 次の日の昼休み。一昨日までと変わらずにやってきた雪菜と一緒にお弁当を食べて終わってから、思い切って「雪菜って妖怪?」なんて尋ねてみたらあっさり肯定された。

「言ってませんでしたか?」
「聞いてませんでしたよ」

 そうかあ、雪菜ってやっぱり妖怪なのかあ。じゃあ、クラスの連中が雪菜を見て怯えたりしてたのはそれが原因かあ。なるほどなー、あっはっは―――どうしよう。
 苦笑いを浮かべている私に対し、雪菜はとても嬉しそうに顔をほころばせている。

「私、今とっても幸せです。こうしてゲッカさんという妖怪さんとお友達になれて」
「あ、うん、そうだね。私も雪菜と友達になれて嬉しいよ」
「本当ですか!」

 私の言葉に、雪菜はさらに笑顔を輝かせる。うわあー、眩しすぎるこの表情。どうしよう、罪悪感がさっきから半端ないんですが。
 ・・・うーん、良心は痛むけれど、やっぱり本当の事は言わない方が良いかなー。もしも私が “ただの人間” でお仲間じゃないって知ったらひたすら落ち込むような気がする。うん、まあ私だってこの髪で “妖怪みたい” って言われたこともあるし、あながち嘘でもないって事で!
 ・・・なんて、自分自身を無理矢理納得させていると、雪菜がぽつりと呟いた。

「・・・前にも言いましたよね。私、昔は人間のお友達が居たんです」

 私が桜坂の事を話した時に言ってた事か。

「とってもとっても仲良しだったんです。・・・少なくとも、私はそのつもりでした」

 微笑みを浮かべていた表情が、少し陰る。その “友達” とやらに絶交された時のことを思い返しているのだろうか。

「でも、ある時突然、拒絶されたんです。何が原因なのか、理由も解らずに」

 ・・・私の時と同じだな。突然、桜坂に拒絶された時と同じ。

「私の何がいけないのか、何か悪いことをしてしまったのかと、何度も聞いたんです。そしたら返ってきた言葉が・・・」
「・・・『妖怪だから』って?」

 言葉を詰まらせた雪菜に代わりに、私が言うと彼女は頷いた。しばらく押し黙った後、雪菜は顔を上げて私を見る。その表情には、また笑顔が浮かんでいた。・・・少し、寂しそうな笑顔だったけど。

「だから、嬉しいんです。私は人間の子とは友達になれないから。妖怪である貴女と出会えて―――」
「ごめん」

 雪菜の言葉を遮るように、私は言葉を発していた。言ってから後悔する。そして、これから言う言葉も後悔することになるだろう―――けれど、止める気はなかった。
 「え・・・?」と、突然謝られた事に困惑する雪菜に向けて、私は本当のことを口にした。

「私は妖怪じゃないんだ」
「・・・どういうことですか?」

 信じられない、というように、雪菜は笑顔を表情に張り付かせたまま呟く。

「言ったとおりだよ。私は妖怪なんかじゃなくて、ただの人間なの」

 一言一言発するたび、心臓を鉄の釘で打ち付けられているような気分だった。雪菜の硬直してしまった笑顔を見て、罪悪感と後悔が心を切り刻む。今すぐ「うっそぴょーん」とか誤魔化して無かった事にしたい気分になる。でも、言わなきゃならないと思った。私は人間で、そして妖怪だろうと何だろうと、人間と友達になれるんだってことを伝えたかった。

「で、でもゲッカさん、最初に会った時に妖怪だって・・・」
「・・・・・・」

 私は黙ってブレザーのポケットから文庫本を取り出して、雪菜の目の前に差し出す。

「 “月下の妖怪”・・・この作者の人、ゲッカさんの保護者の―――」
「そう。図書館の司書さんが書いた本」
「・・・えっ?  “黒木奈津子” って、ナツさんの事なんですか・・・?」

 ・・・? ナツさん? ・・・・・・まあ、今はそんなことどうでもいいや。

「その小説の “ゲッカ” って妖怪、私をモデルにしてくれたんだって。それで読ませて貰ったんだけど、つい面白くて感情移入しちゃって―――冒頭のシーン、私と雪菜が初めて出会った時と状況が合ってるでしょ?」

 雪菜はぱらぱらと文庫本をめくり、冒頭部分を読んで―――段々と、その表情が青ざめていく。やがて、ぱたんと本を閉じると、私に本を返して呆然と呟く。

「じゃあ・・・ゲッカさんは」
「そう。あの時の私は、小説のキャラクターになりきっていただけのお調子者ってこと」

 あっはっはー、と明るく笑い飛ばす。っていうか、改めて自分でいうと凄く恥ずかしいな。
 ・・・けれど、その恥ずかしさも次の瞬間には吹っ飛んだ。

「・・・・・・」

 無言のまま雪菜は立ち上がり、そのまま足早に屋上の出口へ向かおうとする。

「雪菜!? ちょっと待って!」

 反射的に私も立ち上がり、雪菜の腕を掴む。

「ごめん! 今まで嘘ついてたことは謝る! けど、私は人間で妖怪じゃないけど、それでも雪菜と友達で―――」

 友達でいたい。そう言おうとした私の言葉が止まる。
 腕を掴まれ、振り返った雪菜はまるで表情なく私を振り返ったからだ。いつもにこにこと太陽のように笑っていたその笑顔は片鱗もなく、幽鬼の如く青白い様相で私を見つめていた。

「駄目なんです」

 言い放たれた言葉に、私は息を止める。自然と、雪菜を掴んでいた手からも力が抜ける。

「もう、貴女とは居ることが出来ません。・・・ごめんなさい」

 はっきりとした拒絶の言葉。それに対し私は抗する気力を打ち砕かれ、背を向けて立ち去っていく雪菜を見送ることしかできなかった―――

 


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