2."雪菜"

 

 それから三時間目、四時間目と何事もなく過ぎ去っていった。
 四時間目が終わり、昼休みになると私は食堂に向かった。弁当持参しているので、普段は学食へ行く必要はないのだが、今日は昨日貰ったジャガイモのお礼代わりに、今朝作ったジャガイモとベーコンの炒め物をお返しのつもりでタッパーに詰めてきた。
 ・・・食堂のお姉さんは、以前は私とは限りなく縁遠いような高級料理店を何軒も渡り歩いて修行してきたらしく、私なんかの素人料理がお返しになるとは思えないけど、まあ礼儀として。
 お姉さんは忙しいにも関わらず、笑顔で私のタッパーを受け取ってくれた。

「ありがと。一息ついたらいただくわね。貴方の味付け、とっても好きなの」

 そう言って喜んでくれた。まあ、最後の一言はお世辞だとは思う。お世辞だとは思うけど、本職の人にお世辞でも言われると凄く嬉しくて困る。
 これじゃお返しをしたのか、貰ったのか解らないなあ、なんてにやけながら教室に戻る―――と。

「あ、ゲッカさん」

 セツナが私の机に座って待ち受けていた。それを見て、私は即座に回れ右をする。

「あれ、どうかしたんですか? ゲッカさーん!」

 その名前で私を呼ぶなあああああああっ!
 心の中で絶叫―――今日で何度目だろう―――しながら、私はセツナの元へ足早に駆け寄ると、その腕を取って強引に立たせる。
 そのまま腕を引っ張って、教室を飛び出す。

「何処に行くんですかー?」
「誰もいないところ!」

 手を引かれるまま尋ねてくるセツナに、私が応えるとセツナが唐突にブレーキをかけた。
 腕を引っ張っていた私も、逆に彼女に引っ張られるようにして、前につんのめって歩みを止める。

「いきなり、何!?」

 私がセツナを振り返って叫ぶと、彼女は天井を指さして告げた。

「だったら良いところがありますよ」

 

 

******

 

 

「ここ、お気に入りの場所なんですよー!」

 屋上に出て、セツナは外の空気を身に受けるように、両腕を広げて私を振り返る。
 私はと言えば、おずおずと屋上に出て、あまり音を立てないようにして扉を閉めた。
 昨今の学校なら、殆ど何処でもそうだと思うんだけど、この学園の屋上は安全のために生徒立ち入り禁止である。当然、屋上の扉は施錠されているのだが、雪菜は当たり前のようにポケットから鍵を取り出して扉を開けた。

「ここなら人が居ませんよね?」

 当たり前である。
 鍵が掛っていたし、掛っていなくてもこんなところに入り込んだとばれたら、どれだけ説教されるかわかりゃしない。
 ・・・まあでも。こういう立ち入り禁止の場所に入るってそれだけで特別感があるなあ、なんて不安半分ワクワク半分で、屋上を見回す。
 校舎が広いので、自然と屋上も広くなる。そんな広い場所を使わないのは勿体ないとでも思ったのか、屋上には給水塔やら変電施設やら、そんな施設が幾つかあった。そしてそれらを見守る十数台の監視カメラ―――・・・・・・って、ちょっと待てええええっ!

「ちょっ、セツナ! あれ!」

 私は監視カメラの一つを指さして叫ぶ。
 するとセツナは「あー」と呟いた後、私に向かってにっこりと微笑んだ。

「あれは監視カメラです。だれかが屋上に進入してイタズラしないように見張ってるんですよ」
「そんな事見れば解るっての! ちょっと、早く屋上を出るよ! ・・・もう果てしなく手遅れの気がするけど」
「屋上から校舎内に移動する時って、 “出る” っていうのか “入る” っていうのか疑問ですよね」
「そんなんのんびり話してる場合じゃないでしょ!」

 私は叫ぶ、がセツナは全く動ぜずに「大丈夫ですよー」と穏やかに言うと、屋上の端っこの方まで移動する。当然、そこには落下防止用のフェンスがあり、セツナはフェンスのところにちょこんと腰掛けた。
 全く気後れしていない様子のセツナに、私は段々と冷静になってきた。私もセツナと同じように、彼女の隣りに並んで腰掛ける。

「あの、セツナ。もしもこの事が先生達にばれて、怒られそうになったらセツナの名前を出していい?」
「良いですよ」
「・・・・・・」

 セツナの余裕ぶった態度を見て私は確信した。
 さっき、先生がセツナをスルーしたのも、桜坂の取り巻きの様子に違和感があったことも全て頷ける。

「ねえ、セツナ」
「なに?」
「セツナって、名字は “龍皇” だったりしない?」
「当たり。あれ? 言ってないですよね?」

 あっさり答えやがった。
 まあ、隠す理由も無いだろうけど。

「やっぱりねー。桜坂以上の資産家―――龍皇家の人間なら、好き勝手やっても誰も咎めることが出来ないよね」

 うんうん、と私は納得して頷いて、それからセツナの方を伺うと、彼女は微妙な笑みを浮かべていた。

「・・・どうしたの?」
「いや、その・・・なんというか」
「何? ・・・あ、もしかして私が言ったこと、気にした? “好き勝手やり放題” っていうの」

 ちょっと嫌味っぽかったかも知れない。
 だけどまあ、こういう事はビシッと言って上げた方が本人のためだし。

「でもね、セツナ。私が言えるような立場じゃないかもしれないけど、いくら権力を持ってるからって自分勝手なことをするのは間違ってると思うよ? いくらこの学園を創った一族の人間だからって、入学した以上は一介の生徒に過ぎないんだから、立場をわきまえないと」

 あ、今のちょっと偉そうだったな。
 でもまあ、やっぱり誰かが言ってやらなきゃいけないことだと思う。ただ、私は誰彼構わずにこんな偉そうなことを言うつもりはない。
 セツナは私の髪を褒めてくれた子だから。だからこそ逆に、言わなければならないことは言って上げなければならないと思った。それで嫌われて、桜坂みたいに嫌悪されるというのならそれも仕方がない。
 なんて私が思っていると、セツナは難しい顔をしてなにやら考え込んでいたようだった。しばし悩み、それから顔を上げて、にぱーっと笑う。

「うん、じゃあ、それで良いです!」
「は?」

 意味が解らない。

「ちゃんと生徒らしくしろって事ですよね?」
「え? うん、そういうことだけど・・・」
「はい、じゃあ改めまして」

 セツナは立ち上がり、私の目の前に回り込むと恭しく一礼。

「私は龍皇 雪菜。雪に菜っ葉の菜で “セツナ” って読みます。ちょっと面白いでしょ?」

 自分の名前が好きなのか、セツナ―――もとい、雪菜はそう言ってはにかむ。さっきから思ってたけど、笑顔が可愛い子だな。
 雪菜は自分の胸元にあるリボンタイを確認してから続ける。

「えっと、高等部の一年です。よろしくお願いしますね、妖怪さん♪」
「あ、うん、よろしく―――じゃなくてっ!」

 素直に返事をしてから私はハッとする。だから私は妖怪なんかじゃなくて―――と、言おうとして思わず口ごもる。私は実は妖怪ではない、なんて言うのは簡単だ。でもそうなると昨晩のことを説明しなければならない。
 この白い髪のことで、色々と言われることには慣れてるけれど、 “妄想にとりつかれた痛い人” と思われるのは嫌すぎる!

「あの、ゲッカさん?」

 押し黙ってしまった私に、不安そうに雪菜が呼びかける。

「やっぱり、私なんかと友達になるのは嫌ですか?」
「え、友達?」

 友達。って、まさか―――

「まさか、雪菜は私と友達になりたいの?」
「はい」

 即答。
 いやいやいや、ちょっと待って!

「雪菜、私のことを何も知らないの?」
「? 妖怪のゲッカさんですよね?」

 きょとんとする雪菜に私は信じられない気分で雪菜を見返す。
 嫌な自惚れ方だと自分でも思うけど、私の知名度は割と高いと思っていた。この白い髪と桜坂のお陰で、少なくとも同学年の人間は知らないはずはないと思っていた。
 ・・・あー、でもまあ、私も雪菜のこと知らなかったし。龍皇の人間で、しかもこんな美少女ならいくらなんでも噂くらいは耳にしてそうだけど、私は全く知らなかったしなあ。

「あのね、雪菜。私と友達になんかならない方がいいよ?」
「どうしてですか?」
「ど、どうしてって・・・」

 なんと説明したものか。
 まあ龍皇の人間なら桜坂の事なんて気にしなくても良いかも知れない。けれど雪菜は「綺麗」と言ってくれたけど、私の白い髪は人の目を集めてしまう。悪い意味で。
 今までにも何人か友達になってくれる子は居た。けれど、私の傍にいると一緒に奇異の視線で見られたり、イジメの対象になったりもした。そしてそれが耐えきれず、自然とみんな離れていってしまうのだ。
 親しくなってくれた友達が離れていくのは辛いことで。けれど、なによりも友達になってくれた子達が私のせいで傷つくことが一番辛い。私のような人間と友達になってくれる様な子というのは、みんなとっても優しい子達だったから。だから離れた後も、私と目があったりするととても気まずそうな顔になる。そんな風に、私のせいで嫌な想いをされるくらいなら、友達なんか最初からいない方がいい。
 ・・・まあ、今は奈津子さんとか学食のお姉さんとか、あと他にも友達と呼べない人が居ないわけでもないけれど。

「私と居ると、雪菜が気分悪くすると思う」
「悪くないですよ?」
「いや、今じゃなくて・・・」

 あー、どうやって説明したもんかなあ。
 ちゃんと理由を説明すると、逆に同情されそうだし。
 どうしたもんかと悩んでいると午後の授業の予鈴が鳴り響いてきた。

「あ、予鈴ですよ。早く教室に戻らないと!」

 さっき私が言ったことを受け取ってか、さっきの休み時間とは違い、雪菜は忙しない様子で私を促す。その表情は、なぜだかとても楽しそうに笑っていたが。
 私も立ち上がり、雪菜と一緒に屋上を出る。・・・雪菜も言ってたけど、屋上からなら “入る” って方が正しいのかなあ、なんてどうでも良いことを考えつつ教室に到着。教室の前で別れ際雪菜は、

「それじゃあ、また放課後!」

 そんなことを言って立ち去っていく。

「・・・って放課後? 私は反省文書かなきゃならないんだけど・・・」

 まあ、いっか、と席に着いてからあることに気がついた。

「・・・お弁当、食べ損ねた・・・」

 

 

******

 

 

 その放課後。
 なんと珍しい事に説教はものの1分で終了し、反省文も免除された。
 説教の内容も「次からは気をつけるように」といった程度のもので、いつものネチネチとした嫌味だか言いがかりだか解らないような説教ではなかった。
 理由は解っている。それは私の隣でにっこにこと笑いながら廊下を一緒に歩いているヤツのお陰だ。

「意外と早く終わっちゃいましたね。ゲッカさんは二時間くらいはかかるって言ったのに」
「そうだねー」

 適当に答えながら、龍皇の権力は絶大だなー、とか心の中で思ってみる。
 授業が終わり、当然のように担任から呼び出しを受けて反省室(というのがこの学園にはある)に行く途中で雪菜が現れた。
 「一緒に帰りませんか」なんて言ってくる雪菜に、これから説教&反省文で二時間以上はかかると説明したが、それでも「それなら待ってます」と一緒に反省室へ向かうことになった。で、雪菜の姿を見た担任がどういう事なのかと私に必死すぎる顔で理由を聞いてきて、正直に話したら―――以上の通り。
 なんか屋上で言った事、的はずれだったかなあ。雪菜が権力振りかざさなくても、周りが勝手に平伏してる。そーいや、桜坂もそんな感じだっけ―――あいつは色々 “計算” 入ってるぽいけど。

「・・・んで、こっちは天然っと」
「はい?」
「なんでもない」

 などといううちに玄関に辿り着く。
 クラス毎に別れている下駄箱で靴を履き替えて外に出た―――と、いつの間にか雪菜の姿が無い。まさかお嬢様だから一人じゃ靴を履けない、なんて事はないでしょうねと冗談交じりに下駄箱の方を見回すが、雪菜の姿はどこにも見あたらない。

「どうしたんですか?」
「うわっ!?」

 突然背後から声をかけられて、私は心臓を抑えながら振り返る。するとそこに雪菜の姿があった。

「ど、どこに行ってたの?」
「え? 普通に靴を履き替えて外に出ただけですよ?」
「そ、そう・・・」

 今、玄関から出てきたかな・・・?

「で、ゲッカさん。これからどうします? もし宜しければ、一緒にお茶かお食事でもしませんか? そのっ、お、お友達記念に」

 今、すっごい恥ずかしい単語を耳にした気がする。
 見れば、言った本人も恥ずかしいのか顔を真っ赤にしていた。ていうかホント可愛いな、この子。
 ・・・じゃなくて。
 思わず流しそうになったけど、普通に友達にされてる気が。

「あのさ、雪菜。悪いんだけど私は今日は図書館で勉強しようかなって」

 正確には今日 “は” 、ではなく今日 “も” が正しい。
 基本的に、私は毎日その日の授業の復習に図書館に通っている。なにせ桜坂の影響で、授業中の私の質問を先生達は受け付けてくれない。なので図書館に行って解らないところを調べながら復習する必要があった。奈津子さんの手が空いていれば勉強を見てもらえるし(あの人、小説を書いているからってわけじゃないだろうけど、実は凄く頭が良い)、それに食堂のお姉さんも仕事終わりに図書館に寄ってお裾分けをしてくれることもある―――いやまあ、別にそれを期待して行く訳じゃないけど。

「そうですか。じゃあ、これは無駄になりましたね・・・」

 はあ、と、何処かがっかりとした様子で、雪菜はポケットから折りたたまれた書類を取り出す。

「何それ?」
「外出許可証と、龍皇ライナーの乗車許可証です」
「ぶっ」

 思わず吹いた。

「って、お茶って街に出るつもりだったの!?」
「ええ、そうですよ? 私、良い店を知ってるんです」

 なんでも無いことのように言う雪菜に、私は唖然とするしかなかった。
 この学園内にも、ちょっとしたお店はある―――が、流石に山奥ではそんなに色々あるわけではない。先に述べたように娯楽施設も一切無い。だから遊ぶとしたら街にまで出る必要がある。しかしそこはお嬢様学校、学園の外に出るためには一々許可証が必要で、そこには自分の名前から始まって生年月日や血液型、さらには保護者の名前や連絡先、職業などその他諸々のパーソナルデータを書いた挙句、外出の目的と行き先、スケジュールまで全て書かなければならない。しかもワープロやコピー不可。つまり、外出の度につらつらと書かなければならないわけである。
 ちなみに龍皇ライナーというのは、学園から街まで直通の私用電車であり、通常なら近くの街まで車やバスで一時間以上かかるんだけど、その龍皇ライナーなら二十分かからないらしい。特別料金がかかるので一度も乗ったことが無いから良く知らないけど。

「ていうかその許可証、私の分まで? 雪菜が書いたの?」
「そうですよ? でないと一緒に行けないじゃないですか」
「・・・・・・」

 私も何度か書いたことがあるからよく解る。どうしてここまで書かなきゃいけないんだと思うほど細々と書かされ、しかも少しでも誤字脱字があると修正不可で一からやり直し。奈津子さんが言うには、生徒が軽々しく外へ遊びに行こうとするのを抑制するためだとか言うけど、やりすぎだろうと本気で思う。
 少なくとも、他人の分まで書いて上げようと思う気にはなれないが、奈津子さんから聞いた話に寄ると代筆をバイト代わりに請け負っている生徒もいるとかなんとか。

「でも予定があったのなら仕方ありませんね。それではまたの機会に―――」
「わあっ、待って待って!」

 許可証を破ろうとする雪菜を、私は押しとどめる。
 流石にそれを無駄にするのはもったいなさすぎる!

「え、でもこれ、今使わなければ無効になりますし」
「わかった! わかったから! 行く、行きます! 行かせてください!」
「ホントですか!? 良かったあ・・・」

 ほーっ、と安堵したように喜ぶ雪菜。
 ・・・ていうか、ホント。強要せずに我が意を通そうとするところが桜坂と似通ってるなあ。計算か天然かの違いはあるけど。お嬢様って言うのはみんなそうなんだろうか。

「じゃあ、早速行きましょう!」
「・・・はいはい」

 やったら元気良くなった雪菜に腕を引かれ、私はライナーの停車場へと向かった―――

 

 

******

 

 

 龍皇ライナーは滅茶苦茶速かった。本気で速かった。
 なんでも、学園から麓まで山の中をトンネルぶち抜いてほぼ一直線で走るらしい。そりゃ速いわ。環境保護団体とかに文句言われなかったんだろうか。
 それはさておき。
 麓の街は、小さいながらも色んな店舗が所狭しと並んでいる。それもお嬢様御用達と言った、私のような貧乏人が値段を見れば目が潰れてしまいそうな店だ。
 で、当然、龍皇のお嬢様が知っているという “良い店” とやらもその中の一つでっていうかなんでここのメニュー英語で書かれてるんだろう。ここ日本ですよね?

「ここ、小さくて目立たないけれど、紅茶がとても美味しいんですよ♪」

 確かにこの喫茶店、大きなレストランとブティックだかの間に挟まれているような形で、下手すると隣の店の勝手口かと思うくらいに目立たない。看板も控えめに、ドアの上にちょこんと掲げられているだけで、店があると知らなければ普通に通り過ぎてしまうだろう。

「お値段もお手頃ですしね」

 はは、お手頃でございますか。私の目がおかしくなってないのなら、ここのメニューにはお値段が三桁以下のものが一つも存在しないんですが。

「どうかしました? 怖い目でメニューをじっと見つめて」
「い、いやあ、ここ初めてだから何頼んで良いか解らなくて」

 ぎこちなく言いつつも、頼むモノは決まっている。
 できれば水だけで済ませたいところだが、それは雪菜に対してある意味嫌味だ。だから一番安いアイスティー(1100円)だ。しかし、一食分の―――いや、上手くすれば二食、頑張れば三食分以上にできる夏目さんを、たかだか一杯のお茶で引き渡す踏ん切りがつかないというか。
 私が夏目さんを差し出すか差し出すまいか、真剣に悩んでいると雪菜がまた声をかけてくる。

「決まらないのなら、私と一緒のものでいいですか?」
「ああ、うん・・・」

 悩むことに集中していた私は、何気なく答えて―――はっと気づいた。
 しかし「あ」と思った時にはもう遅い。

「すいませーん、いつものを二つお願いしますー!」

 わあ、 “いつもの” って通っぽい頼み方ですね。
 ・・・じゃなくてっ!

「あ・・・あの、雪菜? ちょっと今日、持ち合わせが少なくて」
「今日は私が出しますよ。私が強引に連れてきたようなものですし」

 強引に連れてきたという自覚はあるんですね。
 うーん、奢りかあ。奢りなら別にいーかなー・・・なんて思いながら、私は観念して苦笑する。

「気持ちは嬉しいけど、後でレシート見せてくれる? 後で払うから」
「えっ、でも・・・」
「 “友達” 同士で、いきなり最初っから借りとか作りたくないじゃない」
「ゲッカさん、それじゃあ」

 ぱあああっ、と雪菜の表情が明るく輝く。あー、なんかもー、完全に引き返せなくなったかなー。・・・まあでも、この子の性格なら変な目で見られても気にしなさそうだし。それに考えてみれば、この子は “あの人” と同じ龍皇の人間だ。私の髪を “綺麗だ” と言ってくれた龍皇の―――

 

 

******

 

 

 中学二年の時に母が交通事故にあった。
 母は病院に運び込まれ、それから三日間意識を取り戻さなかった。
 私は母が入院してからずっと、病院に泊まり込んだ。特に連休中だったと言うこともなく、学校は休んだ。行く気になんかなれなかった。
 生まれた時から父の顔を知らず、それまでずっと母一人に育てられてきた私にとって、母は全てであった。だからその時の私は、母以外の事なんて考えることもできなかった。

「お、おじゃま、します・・・」

 病室のドアがコンコンとノックされ、見知った顔が部屋に入ってきた。
 ベッドの傍の椅子に座っていた私は、そいつの顔を見た瞬間、カッと頭に血が昇るのを感じた。
 そいつは私がその時通っていた中学の同級生。私のことを、この白い髪のことでいつも苛めてくれた男子だった。
 そして、母さんが交通事故に会う原因となった馬鹿野郎だ。

「このお・・・っ!」

 私は涙混じりにそいつに向かって跳びかかる。
 そいつは足を挫いていて、松葉杖をついていた。構わずに、私はそいつを突き飛ばすと、そいつは簡単に吹っ飛んで病室の床に倒れる。

「お前のせいで母さんがっ!」

 そもそもの原因はこいつが信号無視をしたせいだった。友人と歩いていて、信号が赤だったのに車がないと思って渡り、あろうことか車道の真ん中で立ち止まり、他の友人達に「早く来いよ」とか促していた。そこへ、近くの角を猛スピードで車が曲がってきて、それに誰よりも早く気がついた母が、咄嗟に飛び出してこいつを突き飛ばした。
 突き飛ばされたこいつは、足を挫いただけで済んだけど、母さんは車に跳ねられてそのまま意識不明となってしまった。

「なんであんたの代わりに母さんが跳ねられなきゃなんないのっ!」
「う・・・・・・」

 そいつは私に突き飛ばされ、罵倒され、泣きそうな顔をしていた。そんなことには構わずに、私はさらに続ける。

「死ねよっ! あんたがあのまま死ねば良かったんだっ!」
「う、うああああああ・・・」

 溜まらずにそいつは泣き出した。ふざけんな、泣きたいのはこっちの方だと、私はさらに何かを怒鳴りつけようとして―――

「――――――」

 ふと、名前を呼ばれた気がした。
 はっとして振り返る―――と、呼吸器をつけたままベッドに寝かされていた母が、うっすらと目を開けて私の方を向いていた。

「母さん・・・? 目を覚ましたの・・・!?」

 みっともなく床に尻餅をついて泣いている馬鹿のことは放っておいて、私は母に駆け寄った。

「母さん、大丈夫?」

 私がベッドに眠る母にすがりつくと、母は力無く布団の下から手をあげる。手を握って欲しいのかと、私は両手でそれを握る―――が、母は弱々しく、しかしはっきりとそれをふりほどく仕草をしたので慌てて離す。何をしたいのか解らず、私がじっと母の手を見つめていると、その手はゆっくりと私の頬にぺち、と添えられた。

「・・・だめ・・・よ?」
「だ・・・め? 駄目って、なにが?」
「お友達に・・・そんなこと・・・いっては、だめ・・・」

 そこでようやく気がついた。今のは私の頬を叩いたつもりなのだと。私の頬にある母の手を握りしめ、私は背後を振り返る。そこには、もう泣きやんでいたが、床に座り込んだままの馬鹿野郎が居た。

「あやまり・・・なさい・・・」
「なんで!?」

 理解出来ず、私は母を振り返る。

「あいつのせいで母さんがこんな目にあったんだよ!? どうしてそんなヤツに謝らなければならないのっ!?」
「いいから・・・・・・あやまり、なさい」
「いやだよっ! わかんないよっ!」

 とてもじゃないけれど納得出来るものではなかった。
 母が事故にあった原因を作ったヤツに、学校で私の髪を “妖怪みたい” だの言って、髪を引っ張ったりして苛めてきたこんなヤツに、どうして私が謝らなければならないのか。
 私は絶対に謝る気はなかった。謝りたくなんかなかった。だけど―――

「お願い、だから・・・・・・」

 母は顔を歪め、尚も私に言う。とても苦しそうな母を見て、私の頭の中がぐちゃぐちゃになる。母の嘆願と、私の感情が頭の中でぐるぐるまわって、どうしたらいいか、どうするべきなのか何も解らなくなって。

「・・・ごめん、なさい」

 気がつくと、私は泣きながら尻餅をついたままの同級生に謝っていた。
 その時、どんな気持ちでその言葉を言ったか、私は良く覚えていない。ただ、突き飛ばしたことを悪いと思ったわけじゃないだろう。納得なんか絶対にできない。けれど謝らなければ、母は強情に私へ謝罪を強要するだろう。苦しそうな、哀しそうな表情のまま。私はそれが何よりも嫌だったから、だから仕方なく謝ったのだと思う。
 謝ってから母を振り返れば、母は微笑んだ―――ように思えた。これも上手く覚えていない。何故なら、その時私は泣きじゃくっていて、視界は涙でぼやけていたはずで、母の表情をはっきりと見えたはずはないからだ。
 ただ、その時に耳にした言葉を今でもはっきりと覚えている。

「よいこ、ね・・・・・・えらかった、わ、よ・・・・・・ほん、とに・・・あなたは、わたしの・・・じまんの・・・むすめ―――」

 ―――それが、私が最後に聞いた、母の言葉だった。
 それからすぐに母はまた意識を失い、それから二日後に亡くなってしまった。
 医師が言うには、母の命は保った方だという。意識を取り戻したことすら奇跡だったらしい―――きっと、私のために頑張ってくれたのだろう。
 母の葬儀には意外な程、多くの人が来てくれた。髪と肌が真っ白な私達親子のことを、周囲の人間は薄気味悪く思っていたはずなのに、それでも式に参列してくれて、母のために泣いてくれた。
 そんな中でも、一際強く嘆いてくれた人が居た。それは60歳は越えているお爺さんで、式の間中ずっと泣き叫んでいた。それは母の死を悼んでいるだけではなく、なにかを激しく悔やんでいるようにも見えた。
 式の後、他の人達が帰った後も、その人だけは残っていた。

「・・・君が彼女の娘かね?」

 真っ赤に泣きはらした目を向け、問いかけてきた言葉に私は頷く。
 すると、彼は悲しみに暮れていた表情を少しだけほころばせる。

「やはりね。彼女に良く似ている」

 良く似ているもなにも、髪の色を見れば血が繋がっていることは一目でわかるだろう。ちょっと間の抜けたお爺さんだなあと思いながら、私は逆に問い返した。

「あの、あなたは誰ですか?」

 見覚えのない人だった。近所の人でも、母が働いていたパート先の人でもない。問いかけられ、彼は少々困ったような顔をして、気まずそうに視線を反らした。

「あー・・・私は・・・彼女の・・・・・・そう、彼女に昔世話になった者です」

 思いっきりバレバレの嘘だった。けれど、警戒感はまるで沸かなかった。ちょっと間が抜けているせいか不思議と憎めない老人で、それに葬式の間中流していた涙は本物だと思ったからだ。少なくとも、母や私に悪い感情を持っている人間ではないと思った。

「名前を名乗っていなかったね。私は龍皇 浩一郎という。龍皇という名前は聞いたことあるかね?」

 りゅうおう、という名前には心当たりがあったので頷く。確か、学校で男子が話していた中にあった気がする。

「昔のドラクエのラスボスですよね」
「違います」

 ・・・当時の私は―――今もだけど―――あまり世間の事を気にしていなかった。貧しかったこともあって、あまりテレビを見なかったし、頑張って働いて学費を稼いでくれている母のために、友達ともあまり遊ばず(それ以前に、友達なんて居なかったけど)勉強ばかりしていた―――これも今もか。

「簡単に言うとお金持ちなんだ。そういうわけで、私は彼女に昔受けた恩を、彼女の代わりに君に返したいと思う」
「私、に?」
「そう。具体的には君の生活の世話をしたいのだ」
「・・・・・・」

 その申し出は有り難いものだった。中学生の―――しかもこんな髪をした私では、ロクに働き口も見つからないだろう。頼れるような親族もいないし、お金持ちの人が助けてくれるというのなら、これほど有り難いことはない。けれど。

「有り難いですが、それはお断りします」
「・・・何故だね?」

 不思議そうに問い返すお爺さんに、私は自分の髪の毛を指で梳く。

「私の髪、ヘンじゃないですか。こんな変な子を引き取ったら、そちらに迷惑がかかります」

 絶対に誤解されたくないことだが、私はこの髪の色を嫌だと思ったことはない。これが原因で、変な目で見られたり、苛められたりしてきたが、それでもこの髪を染めてしまおうとは思わない。何故ならこれは、私が最も敬愛する母譲りの色であり、この髪の色は私が母の娘であることの証明だからだ。
 だけど周囲から見れば不気味でしかないということも解っている。この髪が普通の人とは違うことも認めてる。私はこの髪を誇りに思うけれど、だからこそ、このせいで誰かが不幸になることを望まない。
 私の返事を聞いて、老人は苦笑を浮かべた。

「似ているのは外見だけでなく、内面もかね」
「え?」
「いや、なんでもない―――それよりも申し訳ないことだが、実は君に拒否権はないんだ」
「・・・は?」

 私がきょとんとすると、彼はイタズラっぽく笑って続ける。

「君が拒否しようと関係ない。私は君が幸せになるために、全力で君の世話をすると決めたのだ」
「あの、意味が解らないんですが」
「さしあたっては私が経営する学園に転校してもらう。そこでなら最高の教育をうけられるだろう―――どうしても離れたくないクラスメイトが居るというのなら、一緒に転校させるが」
「いや私は友達なんていないから・・・じゃなくて転校!?」

 いきなり急転直下の話を振られ、私は御霊前だというのに思わず叫んだ。

「あのっ、困ります!」
「困るとは何がだね?」
「えっ・・・」

 普通に問い返されて、私は言葉に詰まった。
 困る・・・困るって何がだろう? 別に今の学校に愛着があるってわけでもないし、転校したってなにも問題は―――じゃなくてっ!

「あの、私はあなたにそんなことをしてもらう必要はなくて―――」
「君になくとも私にはある。いいかね? 私は君の母には非常に世話になったのだ」
「それ嘘でしょう!?」
「う、嘘じゃないぞ! 或る意味嘘じゃないっ!」

 私のツッコミにあからさまに動揺する龍皇浩一郎氏。っていうか “或る意味” とか言ってる時点で嘘だと白状しているようなもんだ。

「とにかく、私は彼女に恩を返さなければならんのだが、その彼女が亡くなってしまった以上、娘の君に恩を返さなければならん!」
「それが意味わからないんですけど!」
「大丈夫だ! 意味解らなくても関係ないから!」

 なにが大丈夫だああああああああっ!
 心の中で全力でツッコミ入れてから、感情を必死で抑え込んで愛想笑いを浮かべて言う。

「あ、あの、お気持ちは嬉しいんですが、えーと・・・そう、このアパート! 母との大切な想い出が詰まったこの部屋を失いたくはないというか」
「大丈夫だ! そういうと思って、このアパートごと買い取ってある。もちろん君の名義だ。だから彼女と君の過ごしたこの部屋を永久保存出来るぞ!」

 お爺ちゃんとっても良い笑顔。金持ちらしい力業に、ちょっと気が遠くなりかけたけど、なんとか踏みとどまってさらに反論する。

「あ、えと、だからその、部屋を出たくないというか。ずっとここで暮していたというか・・・」
「それでも大丈夫だ! 君がそう望むならば、このアパートを丸ごと学園内に移転しよう!」
「・・・・・・」

 だんだんとうんざりしてきた私は、愛想笑いを浮かべたままきっぱりと告げた。

「迷惑です」
「わかっておる。いきなり出てきた見知らぬ人にあれこれされるのは、気分の良いものではないだろうな」
「解ってるんだったらやめてください」
「やめんよ。言っただろう、君に拒否権はないと」
「・・・・・・っ」

 ムカッとした。
 母とどんな関係にあったかは知らないが、悪い人ではないと思ったから今まで話に付き合ってきたけれど。こうも一方的にあれこれやられればいい加減腹も立つ。

「・・・お金持ちって、他人の気持ちがわからないって本当ですね!」

 腹いせ混じりにそう呟く。どうせそんなこと言っても、この “お金持ち” さんは全く動じないだろうけど―――と、私は思っていたが、意外な反応が返ってきた。

「ならば君は私の気持ちがわかるかね?」

 その声は、さっきまでよりも小さく、低く、なにか苦い響きがあった。
 えっ? と思ってみれば、老人の哀しげな瞳が見えた。続いて思い出すのは、式の間中嘆いていたこの人の哀しみと―――悔やみ。

「いきなり現れた私が、あれこれすることが君にとって迷惑だとは解っている。けれど、私はこれ以外に彼女に償う方法が解らない」

 償う、と言う言葉が気になったが、それを問い返すよりも早く、次の言葉が来た。

「だからせめて君が中学を卒業するまで―――いや、一年間だけでもいい。私に世話させてくれないだろうか? もしも一年経って、それでも君が私を厭うならば、それからは一切君に干渉しないことを誓う。だから、頼む」

 そこまで懇願されれば、私はもうなにも反論することはできなかった。

「解りました。貴方の世話になることにします」
「そうかね! 有り難い!」

 ぱっ、と表情を輝かせる相手に、私は苦笑する。

「ただし一年間だけです。それと、一年経たなくてもいつでも追い出してくれて構いませんよ? こんな気味の悪い髪の娘に厭気がさしたら、ね」

 少し自嘲気味に言うと、龍皇のお爺さんはきょとんとした表情を見せた。

「気味悪い? 私には綺麗な髪だとしか見えないよ」
「えっ・・・」

 素直にそう返されて、私は顔がかあっと熱くなるのを感じた。照れる私に対して、彼はにやりと笑う。

「どうしたのかね? 顔が真っ赤だが」
「へ、変なこと言うからです! その、綺麗だとか、言われたの初めてで・・・っ」
「ふむふむなるほど―――いやあ君の髪は綺麗だ。とても綺麗だ。素敵に綺麗で美しい」
「・・・繰り返し言われると、ありがたみ無くなりますね」

 ―――それが私と、龍皇の “元” 当主との出会いだった。
 母の葬式から三日と経たず、私は龍皇女学園の学生寮に引っ越した。龍皇の当主となれば忙しいのか、それ以降はあまり干渉されず(無理矢理に携帯電話を持たされて毎日メールが来たり、一ヶ月に最低一度は顔を見せに来たが)、あっと言う間に一年近く経ってしまった。

「来月、彼女の命日だが、一緒に墓参りにでもいかんかね」

 母の命日の一ヶ月前、浩一郎氏は私の部屋を尋ねてきて、そんなことを提案してきた。

「私に拒否権はないんでしょう?」

 と、嫌味っぽく言うと、浩一郎氏は渋い顔を返す。

「嫌だというなら強制する気はないが」
「別に構いませんよ」
「本当かね!」

 浩一郎氏は嬉しそうに目を輝かせた後―――ふと、表情を曇らせる。

「それで、その・・・結局、どうかね?」
「どう、とは?」
「だから、もうすぐ一年だが―――これから君はどうするのかね?」

 約束の一年が過ぎる。私はこのまま学園に残って龍皇の世話になるのか、それとも学園を出て龍皇とは一切縁を切るのかと聞いているのだ。

「そうですね・・・」

 私は少し考えた後、言う。

「それは今度の墓参りの時に答えますよ」
「・・・別に今答えても問題ないだろう」
「墓参りの時でも問題ないでしょう?」
「むう・・・・・・ちなみに良い返事か悪い返事かだけでも聞いて言いかね?」
「それ、答えるのと同じじゃないですか」

 本当にどこか惚けたお爺さんだなあと私は笑った。笑いながら、私は彼への感謝の気持ちで一杯だった。一流の女子校で世話してくれたこともそうだが、なによりもその存在が暖かく、頼もしく、有り難かった。もしも彼が現れなければ私はどうなっていたかは解らない。母という支えを失い、自暴自棄となっていたかもしれない。確実に言えるのは、今より幸せにはなっていなかったということ。
 その感謝の気持ちを、墓参りの時に伝えたいと思った。母への報告を兼ねて。
 私は今、幸せに生きています―――と。

 

 

******

 

 

 けれど。
 けれども、そんな約束をしてからしばらくして、お爺さんからのメールは突然途絶えた。
 日本でも随一の資産家である龍皇家の当主、 “龍皇 浩一郎” が突然の病で亡くなったと聞いたのは、約束した墓参りの直前だった。
 一緒に墓参りに行くと言う約束は、永遠に果たされることはなくなってしまった―――

 

 

******

 

 

「ん・・・」

 と、雪菜は口元を備え付けのナプキンで上品に拭う。こう言うところは普通にお嬢様だなあと思いつつ、私も残っていた紅茶を飲み干した。

「どうでした? お口に合いましたか?」
「あー、うん、美味しかった」

 尋ねてくる雪菜に、私は素直に答えた。
 そーいえば私、昼食抜いてたんだよね。一食くらい抜いても平気だけど、やっぱりお腹はすいてたわけで。・・・でもお腹に染み渡るほど美味しかったけど、実際に味はお値段分の価値があったかというと微妙かなあ。いや、本当に美味しかったんだけど、これならコンビニのケーキをお値段分食べた方が良かったとか考えてしまう。
 そんなことを考えていると、私の態度にぎこちなさを感じたのか、雪菜は表情を曇らせる。

「・・・合いませんでしたか?」
「う・・・」

 問いつめられ、私はすぐに返答出来なかった。
 もの凄い勢いで表情を暗くしていく雪菜に、私は慌てて言った。

「いやごめん、考えないようにしてたんだけど、どーしてもお値段が気になって。お腹もすいてたし、全然味わえなかったというか。あは」

 セコイなーと自分でも思うんだけど仕方ない。恥ずかしいけど、ヘンに誤解されるよりはマシだ。

「お値段?」
「そう。雪菜にはなんでもない金額かも知れないけど、私にとってはお高いというか・・・」

 言ってて今度は私の方がへこんでくる。
 なんかもの凄く情けないこと言ってるな、私。

「高いって、これくらいは問題なく支払えるくらいのお金は貰ってるはずですよね?」
「ああ、うん、そうなんだけど・・・」

 ていうか私が “龍皇” の世話になっていること、やっぱり知ってるのか。まあ同じ “龍皇” なんだから知っていてもおかしくないけどね。或いは、外出許可証を書く時にでも調べて、その時に知ったのかも知れないけど。
 雪菜の言ったとおり、私は生活費として預金通帳とキャッシュカードをもらっていた。それは私名義で作られた口座で、中を見ると宝くじとかでしか見ないような額が振り込まれていた。何考えてるんだと思って、浩一郎氏に突き返そうとしたが、例の如くに押し切られてしまった。それを使えば、ここの支払いくらい、むしろ私がおごったって良いくらいなんだけど。

「頂いたお金なんだから大切に使わないといけないと思って―――なんて、単なる貧乏性ってだけなんだけどね」

 ぺろりと舌を出しつつ、私は少しだけ嘘を吐いた。
 実は私はお金は返す気でいた。だから毎日自炊したりして、できる限り倹約している。今までに使わせて貰った分もちゃんと記録して、社会人になったら少しずつでも返していこうと決めていた。雪菜に言えばそんな必要は無いと言うだろうし、ひょっとしたら “龍皇” にしてみれば私が貰った程度のお金は、返して貰おうと貰うまいとどうでも良い額なのかも知れない。単なる私の自己満足に過ぎないかもしれないが、それでもケジメはつけたかった。

「ゲッカさんって偉い妖怪さんですね」
「いや、そんなこと無いって・・・・・・ちょっと待って」

 ふと、私は気がついた。
 外出許可証を私の分まで書いたと言うことは、私の本名だって知ってるわけで―――というかそもそも妖怪なんかじゃないって解るんじゃないか!?

「あ、あのさ、雪菜は私の分まで外出許可証を書いてくれたんだよね?」
「はい! 書きました!」
「うん、ありがとう。でさ、それなら知ってるはずだよね、私の名前」
「はい。 “月下の妖怪” のゲッカさんですよね!」
「・・・・・・・・・」

 言葉を失う。これ、私をからかってるのか天然なのかどっちなんだろう。前者の方が私としてはやりやすいんだけど、なんか後者っぽい気がするなあ。

「1回失敗しちゃいました。本名欄に “月下の妖怪” って書いちゃって。ゲッカさんが妖怪だって事は秘密だってこと、うっかりしてて慌てて偽名で書き直しました」

 偽名て。すいません、それが私の本名なんですが。

「・・・雪菜って、 “月下の妖怪” がなんのことか知ってる?」
「? ゲッカさんの事ですよね?」
「そうじゃなくて、本とか」
「本?」

 不思議そうに首を傾げる雪菜。なんか本当に “月下の妖怪” のことは知らないように見える。そもそも、私の今の保護者は色々あって奈津子さんになってたりする。で、さっきも述べたように外出許可証は保護者の名前や職業まで書かなきゃいけない。もしもあの本の読者なら、そこで気づくかなにか反応するはずなんだけど。
 ・・・ってことは “セツナ” ってのはただの偶然かな? まあ、珍しい名前だとは思うけど、全くないってわけじゃないだろうし、それに小説の “セツナ” は漢字はなくてカタカナのままだ。

「ゲッカさん、門限もありますし、そろそろ出ましょうか」
「あ、うん」

 となると逆に困るなー。どうやって誤解を解いたら良いんだろう。できれば私が小説の真似事をしていたという痛い説明はしたくないんだけどと思いつつ、私は会計を済ませた雪菜と一緒に外に出る。

「・・・あ、レシート」

 あとでお金を返すために、レシートを貰おうとしたのだが、雪菜は首を横に振った。

「いえ、やっぱりここは奢らせてください。元々、私が強引に連れてきましたから」
「でも・・・」
「私、嬉しかったんです」

 と、本当に嬉しそうに屈託のない笑顔を私に向けてくる。

「ゲッカさんが妖怪で、そんなゲッカさんとお友達になれたことが本当に嬉しいんです」
「・・・・・・」

 なんだろう。
 何か違和感があるような気がしてならない。
 多分きっと、彼女は私のことを本当に “妖怪” だと思い込んでいる。それが私には理解出来ない。最初は単なる天然だと思ったんだけど、それにしたってただ “私は妖怪” などと名乗っただけの電波な人(自分で言ってなんだけど、傍から見ればそうだよなあ)を素直に妖怪だと思い込むのはおかしすぎる。
 私のこの “白い髪” を見て妖怪と思った可能性もあるけど―――ともあれ、ただ一つ言えることは、もしも私が「実は妖怪じゃないの」とか言えば、この子はひどく落胆するに違いない。

「あー、もう、本当にどうしたもんかなー!」
「どうかしました? ゲッカさん?」

 いきなり喚く私に、雪菜が心配そうに声をかける。
 私は「なんでもない」と言いつつ、私達は家路についた―――

 

 


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