リウラ=ファルコム
「―――この先は私有地です。お引取りください」
ルーン=ケイリアックが住まう、大森林の中央にひっそりと建てられた小屋の前。
青と暗い赤を基調としたメイド服に身を包んだキャシーは、木々を5つほど挟んで対峙する黒髪の女性に宣告した。まだ若い、20前後の女性だ。
黒く長い髪を無造作に背に垂らしている。その瞳も黒く、その漆黒の瞳は暗く、光を灯すことなくキャシーの姿を捉えている。
皮のジャンバーを羽織り、その下は白いシャツを着ていた。履いている物はジャンバーと同じ皮のジーンズだ。両方とも赤く染め上げられていて、ジャンバーの下のシャツの白が際立っている。
靴は普通のスニーカーだった。着ている物全てが男物で、つまりそれだけ成人男子の体格に近いということだった。同年代の平均的な女性よりも一回りほど大きい。だが、その顔は決して男のものとは思えぬほど美しい。
その端正な顔がなければ、彼女を女性とは思えなかっただろう―――逆に言えば、その顔に彼女の “女性” が凝縮している。その女性の体格に対してキャシーの方は小柄だった。
こちらは平均的な女性の体躯よりも一回りほど小さい。
二人を比べると、まるで大人と子供。だが、キャシーは自分よりも大きい相手に気圧されることなく背筋を伸ばし、「お引き取りください」
二度目の通告。対して、女性のほうは口の端を少し持ち上げる。
笑った。
その笑みは表情だけだった。軽く首を引いてやや上目遣いに。声を立てることなく、顔を笑みの形に作り上げる。
それはまるで、肉食獣が獲物を前にした時の雰囲気のようだとキャシーは思った。(―――たかが獣が笑うことがあるのかどうか存じませんが)
「貴女、いいわね」
女性が声を出した。
風貌に反して、大分高い声だ。アルトよりも高い、メゾソプラノに近いメゾ。
彼女は猫が気持ち良さそうにするように目を細めて、「この私を前にして平然と立つ。それは、とてもステキなことよね?」
「さあ、どうでしょうか。私には判断が付きません」律儀に返答しながら、キャシーは別の判断を下す。
二度の退避通告に応じなかった。再三告げても無意味だろう。
最早、疑うまでもない。目の前の彼女はマスターであるルーン=ケイリアックの “領域” に不法侵入しようとしている。
ならば、その従者たる彼女が取る行動は一つ。「貴女は我が主の客人ではありません」
「ええ、その通りよ」女性はあっさりと頷いて、それから枯葉や木屑の覆う森の地面を、一歩踏み出す。
「それ以上の進入は “領域” への不法侵入と見なし―――」
キャシーも女性に向かって一歩を踏み出した。
それは加速と跳躍の前兆。森を形成する木々から零れ落ちた葉や木屑を蹴立てた、踏み出した反動で前方へと身体を加速。一歩だけでできうる加速の最大まで達した瞬間、今度は上へ跳躍した。一度の踏み込みだけで、キャシーの身体は軽やかに、そして華麗に木々の中を大跳躍。その一度の跳躍でキャシーの身体は女性の元へと届く。「―――排除します」
キャシーの手にはすでにブロード・ソードが握られている。対して女性は軽く俯いて何事か呟いただけだった。
相手の寸前に着地するのと同時、キャシーは手にした剣を容赦なく、躊躇いもなく叩きつける。女性の身体はその剣にあっさりと縦に切り裂かれ、「台詞はありきたりねぇ」
声は、上から降ってきた。
キャシーは怪訝に目の前の女性を見る―――確かに斬った。肉を切り裂いた感触もある。間違いなく致命的な一撃―――切り裂かれたはずの女性は、確かに頭の上から股間まで、身体の中心を切り裂かれていた。切り裂かれたまま平然と立って―――(違うッ!?)
縦に真っ二つに切られた女性の身体がぼやけると消え失せた。
キャシーは消え失せるのを見ずに先程声が聞こえてきた上方へと意識を向けて―――しかし、顔を向けるよりも早くに衝撃が来た。首元にがん、という衝撃。拳で殴られたのだと判断し―――キャシーはそのままバランスを崩して、枯葉の中に身を倒す。「魔道人形か・・・これほど人間っぽいのは初めてみるわね」
女性の声が上から降ってくる。
その声を聞きながら、キャシーは冷静に思考する。(今のは体技ではなく魔法。斬りかかる寸前に呟いたのは呪文。幻影魔法と同時に瞬間移動で上に逃げた―――反応が遅れてしまったのは良くできた幻影だったから。肉を切り裂く感触まで再現されていた―――だから、幻影だと気付くのが遅れた―――私の、ミス)
キャシーは頭部にある魔道人形の思考を司る “本” で思考を走らせながら、立ち上がろうとする―――が、動けない。
(身体が・・・反応しない?)
「無理よ。殴ると同時に私の魔力を叩き込んで、貴女の身体の中の魔力を滅茶苦茶に乱してやったから―――ああ、でもまだ意識はあるんだ。 “本” に対するプロテクトは過保護なくらい徹底してあるのね・・・ふふ、貴女の製作者の人間像が段々見えてきたわね」
キャシーはなんとか動こうともがく―――いや、もがくことすらできない。
「私とは正反対の魔道士だわ。多分、下手に付き合えば殺し合いじゃすまないタイプ―――」
(危険・・・この存在は危険。マスター、お逃げください・・・ッ!)
最早、心の中で悲鳴をあげて、親愛なる己の主に警告を伝えることしか出来ない。
と、そんなキャシーの心の焦りでも目に見えたのか、女性は穏やかな声で告げた。「安心しなさい。今日は貴女の主人を殺しに来たわけじゃないから―――ただ、不肖の弟子の具合を見に来ただけなのよ。・・・ねぇ、シード?」
リウラ=ファルコムがシードの名を呼んだ瞬間、フロアは反射的にイーグの腕を掴んでいた。
もしかしたらイーグが、この小さくて広くて薄気味悪くて―――でも居心地の良い森の中の小屋を飛び出して、リウラの元へと帰ってしまうような気がして。
そう、帰るのだ。
イーグ―――シード=アルロードの本質を見抜いた唯一の人間。シード=アルロードを育て上げた女性。おそらく彼女は、彼の父だったアインダーやイーグ、フロアよりも誰よりもシード=アルロードのことを解ってやれる存在だから。「フロア。大丈夫だから」
彼は、フロアに向けて穏やかに笑みを見せると―――その笑みを消して、鋭く険しい表情でリウラを見やる。
「なんの用だよ?」
イーグの視線の先、木々の間の向こうに見覚えのある―――二度と見たくもなかった―――そして一生忘れることは出来ない女性の姿があった。
リウラ=ファルコム。
隣のフィアルディア大陸最低の暗殺者にして最強の殺人者。人を殺す、という作業を誰よりも上手にこなすことのできる天才。
その足元で、キャシーが倒れている。倒れたまま動かない―――まさか、死んだということはないだろうが。動かない。キャシー=リンの戦闘能力はフロアも良く知っている。大魔道士ルーン=ケイリアックが造り上げた魔道人形。クレイスは毎度のように殺されているし、一度だけフロアが手を合わせた時は手加減された上で負けた。イーグも “魔族化” した時の身体制御の訓練をした時にキャシーが相手をしていたが、目にも止まらない獣のようなイーグの動きを、キャシーは簡単にいなしていた。
それが、彼女の足元で倒れたまま動かない。
ルーンの言葉で彼女が来たと知ったのがほんの数分前だ。その時にすでにキャシーと彼女が戦闘状態にあったとしても、ものの五分と経っていない。その僅かな時間で、キャシーは倒れたまま動かない!「あー。これ?」
フロアの視線に気付いたのだろう。彼女もキャシーを見下ろして、少し笑う。彼女の癖だ。顎を少し引いて、声を出さずに表情だけで笑う。
「まあ、半分は不意打ち見たいなものだったしね。私がどういうモノか解っていたならもう少し楽しめたと思うけど―――死んではいないよ。いや実は殺すつもりではあったけど死ななかった。頑丈だね、脳ミソが」
「質問に答えてねーな」
「アンタの質問には答えたでしょう。アンタが質問する前にさ」少しだけ機嫌悪そうになって、彼女は髪を掻き揚げた。
「アンタの具合を見に来たのよ。心配でね」
「心配? うっわ、今の最高に面白い冗談だな。呆れるほど笑えるぜ」
「信じてない? 信じてよ、これでも私はアンタの事は認めているんだ―――本気で心配だったわよ。折角私が育て上げたモノがブッ壊れていやしないかってね」ふん、と彼女は苛立たしげに吐息。
「全く、アインダーもクソくだらないことをしてくれた! アンタに魔族の細胞なんてモン埋め込んで、アンタの半分をブッ壊してしまったんだから。あの時、覚えてる? セイコがアインダーを殺した時。あの時、私はあいつ如きどうでも良かった。別に見逃してやっても良かったんだけど―――アイツがアンタに馬鹿なことしたから、私はセイコが殺すのを止めなかったのよ」
泣き出したくなる。いつもだ、とフロアは思った。
いつもリウラ=ファルコムと遭遇する時、みっともなく泣き出したくなる。恐怖に。無様に泣き喚いて、幼い子供のように泣き喚いて、いっそのこと赤子のようになにも知らないまま解らずに泣いていたい。
多分、誰でも―――人間だけじゃなくてあらゆる生物には “天敵” というものがあるのだろう。そしてフロアの天敵はリウラだった。
フロアにとってリウラは恐怖そのものだった。決して抗うことのできない恐怖―――抗うということすらできない恐怖だ。リウラ=ファルコムの存在はフロアを恐怖させる。その表情も、言葉も、行動も、フロアを恐怖させる。
リウラの顔はフロアの恐怖を見通しているように笑い、その言葉はフロアの大切なものを否定し、その行動はフロアの特別を破壊してきた。
アインダー=ラッツも、シード=アルロードも、フロア=ラインフィー自身ですら、リウラ=ファルコムに “殺されて” きた。だから、今現れたリウラ=ファルコムもまたなにか殺していくのだろう。フロアのなにかを殺していくのだろう。
それが、フロアのリウラに対する恐怖だった。「それで、どうなの? アンタは元に戻った? それともブッ壊れたままなのかしらね?」
リウラは足元のキャシーの身体を踏み越えると、ゆっくりイーグとフロアの元へと歩んでいく。
「もしもブッ壊れたまんまだっていうなら―――無様だから殺すわよ」
「フロア、逃げろッ!」イーグは叫ぶなり駆け出す。リウラに向かって全速力で。
叫ばれたフロアは動けない。動けるはずがない。リウラ=ファルコムから逃れることなど出来ないのだから。「喰らいやがれッ」
イーグはリウラに手が届く距離になる寸前に、足元の木屑を蹴り飛ばした。それと同時に右手に飛ぶ。単純な目隠し&フェイント。そんなものに引っ掛かるとは思えなかった―――が。
「・・・え?」
リウラは立ち止まっていた。しかもイーグの方を向いていない。撒き散らせた木屑を片腕で払い、そのままイーグのに気付かないかのようにもう片方の腕を前方に突き出す―――その先にあるのはフロアの姿。
「 “ウィグド・バル・ゴウ” !」
リウラが高らかに呪文を唱え、呪文は力となって彼女の手から解き放たれる。その正体は風だった。風の弾丸がフロアに向かって飛ぶ。
『フロアァァァァッ!』
イーグの身体は一瞬で “魔族化” 。身体が巨大化し、全身を黒い剛毛が覆う。毛の間から覗く瞳の色は深紅。
獣のような俊敏さで、イーグはフロアを庇おうとするが、風のほうが速い!
風の弾丸が立ちすくむフロアの身体を、容赦なく打ち抜こうとした―――その瞬間。ぱぁん。
と、小気味良い音を立てて、風の弾丸は容易く弾けた。
『―――え? あ、そうかシルファが・・・』
「そう。風の精霊士であるフロアに風の力は通用しない」声は、イーグの背後から。
『!』
慌てて振り返ろうとする、だがそれよりも早く、リウラの手が軽くイーグの右腕に触れた。
ぽん、と軽く触れた、ただそれだけで。『ぐぁあああああああっ!?』
イーグの右腕に激痛が走る。
激痛に耐えながら体制を直し、真正面からリウラを睨みつける。『なにを、しやがった・・・!?』
「うわ、やりにくいわねえ。魔族の身体か・・・ほんとーにやりにくいわ」はあ、と彼女は吐息。
それから、気だるそうに半眼でイーグを見上げる。女性にしては大柄なほうだが、それでもリウラより魔族化したイーグの方がはるかに巨大だ。「私の魔力をアンタの中に叩き込んだのよ。それでアンタの中の魔力をぐっちゃぐちゃに掻き回してやった訳。―――普通の人間にやればこれ、体内の魔力が暴走して、上手くいけば弾けて四肢が飛び散ったりするんだけど」
と、彼女は右腕の痛みに堪えているイーグを眺めて。
「やりにくいったらないわね。あっちの魔道人形は上手くできた造りだし、魔族には人間の魔力そのものが通じにくい―――まあ、あの金髪のガキよりは通じるけど」
『金髪の・・・セイのことか?』
「そそ。セイ=ケイリアックって言ったっけ? 一年前、アンタの “復讐” に手を貸してやったとき。私がアイツの相手をしてやったのは覚えているでしょ? あの時も、アンタと同じように身体に魔力を叩き込んで掻き回してやったんだけど―――」その時のことを思い出したのか、彼女はクスりと―――音を立てて笑うのは、非常に珍しい。それほど愉快だということなのか―――笑った。
「アイツ、私がぐちゃぐちゃにしてやった体内の魔力をすぐに正調化しやがって! そんなの私ですら無理なのに!」
自分は無理だと言い切りながらも、その表情は残念そうだったり悔しそうではない。むしろ嬉しくて嬉しくてたまらない、と言った具合だ。そんな彼女の様子を見て、イーグは思い出す。そうだ、こいつはこういう女だった、と。
嬉しそうな笑顔から、しかし彼女は一転してつまらなそうにイーグを見やる。
「だけどイーグ。アンタは駄目ね。ダメダメよ」
『ダメダメか』
「そうダメダメ。自分の惚れた女が狙われただけで判断間違うなんて最低ね。・・・というか寝ぼけてるんじゃない? アンタこの一年で色々と鈍りすぎてるのよ」はあ、と彼女は肩を竦める。
それから、まあ、と付け足して。「でもブッ壊れてるわけじゃないから安心したわ。その状態、自在に変身できるんでしょ?」
『ああ』
「なら “万能の瞬殺” は使えるわけだ」
『この状態じゃ無理だがな―――だが!』言うなり、イーグの身体が元の人間に戻っていく―――が。
「んぐっ!? なんだ!?」
イーグの右腕だけが魔族のままだった。
その腕の重さに、イーグはバランスを崩してその場に倒れこむ。
それを見下ろし、リウラは「あー」と呆れたように、「右腕、私がかき回しちゃったからねェ。っていうか、アンタ今元に戻ったらフルチンよ? いーから魔族に戻っときなさい」
『う、うぐ・・・』言われたとおりに素直に魔族化するイーグ。
それを彼女は満足そうに見て頷く。「どうやら本当に “直った” 見たいね」
『満足か? ならとっとと帰れ』
「でも、ヌルいわ」彼女は再び軽くイーグの、今度は左腕を叩く。
右腕と同じ激痛が左腕を襲う。『ぐえええええっ!?』
「そのまんまでいいわ。ヌルくなったアンタを、ちょっと叩き直してあげる」言ってから、彼女はウィンクして付け加える。
「全力で行くから死なないでね」
あとがき
姉、襲来。
最高の魔女であるルーン=ケイリアックに対して、こちらは最強の魔女。
ルーンとの違いは、やはり戦闘能力。
さて、連作も第6弾。
次回で一応の一区切りです。
そしたら次は、魔法学院編か “シード編”
の最後で言ってた竜王編をやろうかと思ってます。
相変わらずの連作形式で(連載にして終わらなかったらヤだし。ってかFFIFを書かなければー!)。
04/09/22