イーグ=アルロード


 目の前の鏡に映っている自分は、人間ではなかった。
 まるでゴリラのように、全身を黒い剛毛が覆っている。辛うじて人間や猿と同じ、双腕二足の形態だが、平均的な人間の男の数倍はある体躯は、まさに怪物、モンスターと呼ぶに相応しい。

「・・・・・・・・」

 魔物の姿をした彼―――イーグ=アルロードは、ただじっと鏡を見つめ続けている。
 彼がなにを思っているのか、それは表情からは読み取れない。黒い剛毛から辛うじて見えている顔は、人間のそれとは明らかに違い、イヌ科の動物のように口と鼻を突き出し、顔を覆う皮膚はまるで岩のように、見るからに硬く鬼のような、気の弱い者なら見るだけで失神してしましそうな、恐ろしい顔―――喜怒哀楽で表せば、憤怒の表情を浮かべていた。が、「表情」と言う言い方は過ちかもしれない。硬質化した皮膚は人間の顔のように、感情に合わせて表情を変えることも無く、つまり鬼の様なその形相こそが、今の彼の顔の全てだった。

 ―――ガタッ。

 物音に振り返ると、部屋の入り口に見知った女が居た。
 金髪碧眼の女性。外見は10代の中ごろにも見えるが、実際年齢は20歳を超えていることを彼は知っていた。
 フロア=ファルコム。風の精霊を使役する、精霊士の女性。イーグの親友でもあり、また最愛の女性でもあった。

『フロア・・・』

 妙に低く響くイーグの呟き。
 人在らざるその呟きは、なにか苦しげだった。

『み、見るな・・・』
「イーグ・・・まさか、まだ」

 イーグ=アルロードは元は人間だった。
 だが、魔族の細胞を移植されてしまったことで、人間ではなくなってしまった。

『見るなフロア! こんな俺を・・・見ないでくれ・・・ッ』
「シード!」

 だっ、とフロアはかつて彼が名乗っていた―――そして今は、もう一人の親友と交換してしまった名前で叫ぶと、彼に駆け寄る。
 腕を回しても、その巨躯を抱きしめることは叶わないほど、フロアの身体は彼に比べてあまりにも小さいが、それでも彼女は必死でイーグの身体に抱きつく。

「大丈夫よ、シード。・・・あなたが、どんな姿でも、私は・・・」
『フロア、でも・・・』
「もう逃げないから。私は、ありのままの貴方を受け入れる」

 そっと、彼女は彼から離れた。
 それでも極近距離で、人とは到底思えないその顔を、しかし全く臆することなく、微笑みすら浮かべて見つめた。

『フロア・・・本当に?』

 イーグが確認するように尋ねると、彼女は小さく頷く。

「例えどんな姿でも、シードは―――じゃない、イーグはイーグだから。私はそれを知っているから」
『フロア・・・ありがとう』

 と、その瞬間、イーグの身体が縮んだ。
 化物サイズから、普通の青年のサイズへと。瞳の色も、赤から薄い緑へと変貌する。全身から剛毛が抜け落ちて、短く刈りそろえた茶色い髪の青年―――イーグ本来の姿へと戻る。

 その姿を見た瞬間、魔物の姿にも動じなかったフロアは、思いっきり悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

「―――悲鳴?」
「どーせまたイーグがフロアさんになんかしたんだろ」

 玄関に上がるなり、聞こえてきた悲鳴をキャシーが聞きとがめると、クレイスはどーでも良いように呟いた。
 つい先ほどまでキャシーと死闘(と言っても、キャシーの一方的な死闘だったが)を一晩中繰り広げた挙句、最後の最後で「殺された」クレイスとしては、もうゆっくり休みたいところだった。

「ほっとけばいい。それよりも僕はもう寝たいぞー」
「それでは私が添い寝などを」
「・・・お前は仕事があるだろうが」
「クレイス様のお世話が私の一番のお仕事です」
「その気持ちは嬉しいということにしておくが、丁重にお断りしておけ」
「はて。なにやら言葉の用法が微妙に間違っておいででは?」
「合ってるんだよ」

 クレイスが言うと、キャシーはそうですか、と頷きを返す。と。

「風は打ち叫びッ!」
「にょげぇっ!」

 玄関から続くまっすぐの廊下に面した部屋の扉が砕け、そこから一人の青年が飛び出してきた。吹き飛ばされてきた、というほうが正しいかもしれない。
 ちなみに彼は何も着ていない全裸で、砕けた木のドアの破片が肌に刺さって、血を流していたりする。

「この変態が・・・」

 ゆらり、となにか恐ろしいオーラのようなものを全身から放出し、砕けたドアの残骸を踏み越えて部屋の中から女性が現れた。
 全裸のまま、全身に刺さった木の破片から血を流すことも気にせず、彼は彼女へと手を振って必死で抗弁する。

「ちょ、ちょっとまてフロアーッ! だってお前、さっき俺がどんな姿でも受け入れるとかいってたろーがッ!」
「そりゃ別の話でしょうがッ! 淑女と書いてレディと読む、そんな私の目の前で醜いモン曝け出した罪は万死に値するわッ! むしろ億死!」
「しゅ、淑女・・・? い、いや、つーかそもそも俺が見るなっつーのに、人の裸をジロジロ見た挙句、抱きついてきたのはそっちだろ!?」
「へ・・・もしかして、さっき『見るなッ!』って叫んだのは・・・」
「そーだよ! あの姿に合う服なんてねえんだし、だからあん時って裸で・・・」
「なっ・・・ま、紛らわしい。だいたい、一年前はそんなこと気にしなかったじゃない!」
「裸とかどうとか気にする余裕なんてなかったろうがッ!」
「・・・・・それも、そうよね」

 はぁ・・・と、彼女は軽く吐息。
 話が通じたか、とイーグはほっとしかけたが。

「じゃあ、今気にするね♪」

 にこ、と外見年齢相応のぶりっこ笑顔を浮かべて彼女は言った。
 きょとん、とイーグはそんな彼女を(やっぱフロアは可愛いぜっ!)とかなんとか思いながら見上げる。

「と。ゆーわけで、淑女と書いてレディと読む私の前で、破廉恥な姿を晒しまくった罪! 一年前の分も合わせて清算してやるからねっ♪」
「な、なああああっ!?」
「風は巻き起こり・巻き起こるは暴力の力・力とは解き放つ―――」
「ちょ、ちょっと待て!」

 精霊の力を解き放つために、言葉をつむぎ始めるフロアに慌てて手を振る。

「フロア、一つだけ言わせてくれ!」
「なに?」
「お前の年齢だと、淑女ってよりも熟女って方が合って―――」
「力とは解き放つ破壊ッ!」

 ごがんっ!
 と、重い音が響いて、イーグの身体が床にめり込んだ。見えなくなるくらい、完膚なきまでに。

「・・・・・・・ふんっ!」

 フロアは鼻息荒く、クレイスたちに気がつかないまま、踵を返して廊下の向こうへと去っていく。

「タスケテクレェ〜・・・・・」

 めり込んだ廊下の奥底から、弱々しい声が聞こえてきた。
 その声はとても深い所から響いてきたようだったが。

「・・・寝よ」
「では、私は子守唄などを」
「いらんと言ってるだろーに」

 クレイスは、なにも見なかったことにして、キャシーのちょっかいを振り払いながら自分の寝室へと向かった。

END


 

あとがき

 もしかしたらパニック!SSの中で、一番綺麗にオチがついた話かもしれない(苦笑)。

 それはともかく、前回に続いてイーグ(シード)=アルロード話。
 ただし、前回は本編直後の話でしたが、今回はその一年後。
 時間的には「クレイス=ルーンクレスト」「キャシー=リン」に続く話です。

 さて。
 本編主人公のシード君(イーグ=ファルコム)が、親友の名前を取ってしまったので、シード君が二人になってしまってややこしいということで(この説明のほうがややこしいかも)、彼らも名前もとっかえてます。

 イーグ=ファルコム → シード=ラインフィー
 シード=アルロード → イーグ=アルロード
 フロア=ラインフィー → フロア=ファルコム

 と、まあこういう具合に。
 フロアさんなんか、下が自分の天敵と同じになってしまったので、色々複雑だったりしますが、まあさておき。

 それとアルロード君に関しての補足。
 彼は魔族の細胞を移植されたばかりの頃は、全く制御が出来ずに魔族の姿のまんまで人間に戻ることができませんでした。
 その後、リウラ=ファルコムの魔道技術によって、辛うじて人間に戻ることはできるようになりましたが、かなり不安定な状態でした。いつ完全に間族になってもおかしくないような、そんな状態。
 で、ルーン=ケイリアックに手術されて、完全に安定した状態になった次第でございます。

 


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