彼の目の前で少女は塵に変わった。
本当なら彼を滅ぼすはずだった、必殺の刃を少女が受け、その刃の力は少女をなんの名残もなく一瞬で塵と化す。
その一撃を放った親友は、呆然と立ち尽くす。
振り向けば、少女を抑えていたはずのもう一人の親友は、年齢の割にはまだあどけなさの残る表情を暗く沈ませていた。それで悟る。自分は、また、こうなのだと。誰も救えず、誰も守れず、逆に自分の大切な物が傷つき、失うことを見守ることしか出来ない。母親が死んだときも―――彼が殺したときもそうだった。最愛の親友の心が失われたときも同じ。
人を殺す素質に望まれ、最強の殺人者リウラ=ファルコムに見込まれるほどの力がありながら、結局なにもできない無力な存在。それがシード=アルロードと言う自分だと、彼は思い知る。『ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおッ』
自分自身に対する憤りが、化け物として変質してしまった声に出る。
人ならざる物の咆哮は、洞窟内に魔道の力によって産み出された巨大な部屋の中に轟き、そして。「だあああああっ!?」
悲鳴が、天井から聞こえた。
なんだ、とその悲鳴の元を見上げるよりも早く。がつん!
脳天に、重いハンマーでも打ち下ろされたかのような衝撃。普段なら耐えられたかもしれないが、親友との死闘で力を使い果たし、無理矢理身体に移植された魔族の細胞のせいで、意識が薄れかかっていた彼は、至極あっさりと気絶した――――――
パニック!
シード=アルロード
目が覚めると見知らぬ天井だった。
「・・・・・え?」
シードは毛布を跳ね除けて、半身を起こす―――と、自分がベッドに寝かされていたことに気づく。
(なんだ、ここ?)
見回す。見知らぬ部屋。なんだか小ぢんまりとした小さな部屋だ。
親友二人と三人で共同生活していた部屋も大分狭かったが、この部屋はさらに狭い。ベッドの他には古ぼけた木の勉強机が置いてあるだけだが、それだけで部屋の面積の八割近くを占領している。
扉はあるが窓はない。小さくて窓がなく、だから随分と息苦しく感じる。(なんだ・・・っけ? あれ、今まで俺は洞窟で―――まさか今までのは夢? でも・・・)
なんとなく自分の手を見る。
見慣れた、なんの変哲もない人間の手だった。剛毛の生えた獣の手ではない。
自分が、魔物ではなく、元の人間の身体に戻っていると言うことは目覚めた瞬間に気づいた。魔族の身体と人間のそれでは、感覚が全く違う。だから、すぐに解った。(夢・・・だったってのか? 今までのが、全部?)
もう二度と戻ることは叶わないと思っていた人間の身体。その指をゆっくりと折り曲げて、手を拳に形作る。きゅ、とやや強く握り締めた。
どくどくん、と胸がうるさく高鳴る。期待が膨れ上がり、まさか、という不安がそれを押さえつけて、そんな二つの意志がぶつかり合い、鼓動が早くなる。もしも、今までの全てがただの夢だったなら、どんなに素晴しいだろう―――がちゃ。
部屋の扉の開く音に、シードはびくりと身体を強張らせた。随分と混乱していたらしい、部屋の扉が開くまで誰かが部屋の外にいることが気づけなかったなんて、普段なら考えられなかったことだった。
「シード! 目が覚めたの!?」
部屋に入ってきたのは見知った顔だった。フロア=ラインフィー。風の精霊士の女性。一応実年齢は18歳のシードよりも上のはずだが、外見はシードよりも随分と幼く見えた。
彼女は部屋に入るなり、シードが起きているのを見ると、涙を目の端に溜めて飛びついてきた。「フロア・・・?」
いきなり抱きついてきた最愛の親友に、シードは戸惑う。
「良かった・・・シード、もう二度とこんなふうに・・・・・・・・」
「フ、フロア? いやなんつーか俺的にはすっげえ嬉しいけど一体全体なにがどうなって―――ああ、そうか」唐突にシードは納得した。
そうだ、そうなのだ。
今までのは全部夢だったのだ。
暗殺者だとかリウラ=ファルコムだとか闇の宴だとか魔族の細胞だとかイーグと殺しあったりだとか、そういうのは全部夢の中の出来事で、現実のシード=アルロードはフロア=ラインフィーとらぶらぶな関係で、同棲とかしちゃったりしてて、そんでもってなんか事故があってシード君ってば哀れにも植物人間。フロアはそれを愛を持って(←ここ重要)一心に最愛のシード君を介護して、その介あって今まさに愛の戦士シード=アルロード大復活。そして今まさに二人の愛は成就され―――「うおおおおおおっ! フロアッ! 俺はッ、俺はもうっ!」
「って、こらシードなにいきなりトチ狂って―――風は唸り風は唸り風は唸りぃぃぃっ!」ごうんっ!
フロアの叫びに、部屋の中に唐突に旋風が巻き起こり、風は唸りを上げてフロアからシードを引き剥がすと、天井に向かって放り投げ―――激突。目覚めたばかりのシードは、あっさりとまた意識を失った。
「つまり。色々と丸く収まったってことか?」
目を覚まし、今までの事情を聞いてシードが言うと、フロアは小さく頷いた。
ちなみに目が冷たい。
シードは苦笑。それから自分の手を見て。「でもまさかまた元に戻れるなんて・・・これこそ夢みたいだぜ」
「夢じゃないって。それとも、この魔女の腕が信じられない?」部屋の中にはシードとフロアのほかにもう一人居た。
黒いローブに身を包んだ女性。フードを頭の上から口元まですっぽりと被っているため、顔はわからないがなんとなく美女だとシードは察知した。こと女性に関しての勘は自信があった。「いやいや。そうじゃなくてさ・・・・・あんときゃ、色々と覚悟してたしな。だから、今こうして自分が・・・なにもかもが嘘だったみたいに、元に戻れているって言うのが信じられないだけでさ・・・」
「馬鹿ね、と彼女はきっと言うだろうね」フードの女性。この家の主であり、シードの身体を直した魔女ルーン=ケイリアックの言葉に、シードは首をかしげる。彼女、というのが誰か解らなかったのだ。その疑問が通じたのか、ルーンは付け足した。
「彼女って言うのはミステリア=ウォーフマンのこと。当事者たちの誰もが諦めて覚悟した中で、彼女だけが往生際悪く諦めずに、ただご都合的な結末、当事者たちが幸せになれる結末を信じた。そしてその通りになった。ただそれだけのことで、だというのにあんたがまだ信じられない、なんていうから馬鹿だというのよ」
「俺たちが信じなかったこと、だからこの結末が未だに信じられない―――ああ、そうだな。確かに馬鹿かもしれない」信じればよかったんだ。彼女のように。
なんとかなる、絶対に何とかなる、と彼女は言った。それを自分たちも信じられれば、もっと簡単に救われたかもしれない。(だが、俺は信じられなかった。俺自身を信じることが出来なかった。俺は誰も救えないと、誰も守れないと、俺は無力だと思い込んで―――・・・)
「あーあ。すっげえ遠回りしたのかもなー」
「そうかもね」ルーンは素っ気無く呟くと、別のことを聞いてきた。
「身体の具合はどう? 違和感とかはないかな?」
「いいや。調子良いぜ・・・っていうか、なんか今までで一番調子が良いかも」
「当たり前でしょ。私が改造したんだから」一瞬、時が止まった。
少なくとも、シードにはそんなように感じられた。「・・・・・はえ?」
ルーンが口に出した「改造」と言う言葉の意味を理解できず、彼は魔女ではなく親友の方を見る。魔女に聞き返せばあっさりと答えてくれるだろうが―――だからこそ、聞きたくなく、とりあえず親友に答えを・・・というかむしろ救いを求めた。
だが、彼女はシードと目を合わせると、空々しくそっぽを向いた。「あれ、言ってなかったっけ?」
軽い調子で魔女は言う。
シードの予測どおりに、あっさりと、破滅の言葉を。「あんたの身体、魔族の細胞が強引に移植されてたからさー、私がちゃんと上手い具合にやってあげたの。身体の調子良いでしょ? それはね、魔族の細胞が完全に馴染んだからだと思うわよ」
くらっ、と来た。
また意識を失いそうになって、それでもギリギリ意識の淵で踏みとどまる。「ちょっと待て! じゃあ、なにか!? 俺はまだ化け物に―――」
「なれるよ。ちなみに変身の呪文とかポーズとか欲しい? だったらもう一回手術するけど」
「に、普通の人間に戻ったんじゃないのか!? 俺は!?」
「はあ? そんなの面白くないじゃん。―――ああ、でも安心して。前みたいに魔族の細胞に身体と意識をのっとられる事はないから」
「魔族なんぞの細胞が身体に埋め込まれてて、なんの安心ができるかああああああっ!」シードの絶叫。
その咆哮は獣ではなく、人のそれであったが、小さな部屋の中に轟き響いた―――
END
あとがき
なんだかんだで三つ目。
そろそろ本格的に連載ってことにしてしまおーかなとか。
シード=アルロード
パニック!本編のラストで、封印されたままルーンの元に送られて―――その結末が今回。
ルーンじゃないけど、普通に人間に戻るのは面白くないって事で、こんな形に。
でも今回の終わりでこそ、絶叫してたりもするけど、そのうちまあいっか的な結論になると思います彼は。考え方が楽天家、というか、幼い頃からの経験で、どんな辛いことも楽に考えるようにクセが出来てしまっているので。
で。多分、次はフロア=ラインフィー。
すんげえ短いショートショートにするつもりです。はい。