キャシー=リン


 薄暗い森の中。木の葉と木の葉の隙間から差し込む月光のみが光源。
 そんな暗い闇の中を、二つの影が疾駆する。
 一つは男。腹部に服ごと切り裂かれた傷があり、その肉と肉の隙間から臓物が垣間見えている。それほどの綺麗に開かれた傷だと言うのに、奇妙なことに血は一滴も流れていない。また、肩口も裂け、肩の骨が覗いている。よくよく見れば、全身の至る箇所がそう言った致命的な傷を負っている、にも関わらず、森の中を駆ける動きはまるで五体満足のそれのようだった。

 もう一つはそれを追う女。こちらは無傷のメイド服を翻し、軽やかに、さらに速やかな動きで男を追う。手には刃。どこにでも売っているような、刀身の短いプロードソード。メイド姿の女性が持つには不釣合いなものだが、しかし剣を持つ彼女はそれほど違和感のあるものではなかった。いや、むしろ美しい一体感すら感じさせる。

(それは認めてもいい。だけどなあ!)

 男―――クレイスは唐突に転んだ。木の根に足を取られたわけでもなく、自ら転倒したのだ。その一瞬前まで彼の首があった場所を、メイド姿の女性―――キャシーの振るった横凪ぎの斬撃が通過した。天から降り注ぐ月光が反射して、一瞬だけ三日月の残像を浮かび上がらせる。

「ガルス!」

 クレイスは倒れる寸前、衝撃の意味を持つ言葉を自分自身に向けて放つ。
 胸を突き上げるような衝撃が、倒れかけた身体を浮かし、なんとかバランスを取り直し転倒を回避。
 大きく前に跳ぶように一歩を踏み出すと即座に反転。背後から迫る殺人メイドを振り返る。

「随分と、逃げ方が上手くなりましたね」

 にこりと。
 こんな時以外では、絶対に見せることの無い微笑を浮かべて彼女は右手にブロードソードを構える。

(そりゃあ何度も殺されてれば、逃げ方だって身につくさ!)

 クレイスは心の中で愚痴りながら、なんとなく自分の胸に手をやる。心臓の鼓動は感じられない。なにしろ、心臓は止まっているのだ。感じるわけが無い。
 クレイス=ルーンクレストの身体には生命反応は無い。
 だと言うのに、こうして動き、生きているように見えるのは、クレイス自身が魔力で自分の死体を動かしているからだった。

(とんでもない外法だよな。テレスが今の僕を知ったら、気絶するだけじゃ済まないかも)

 下手をすればショック死しかねない。
 一年前。クレイスがルーンの元に弟子入りした時、彼女は真っ先にクレイスを殺した。
 ルーン=ケイリアック曰く。

『魔力で自分の魂を現世に留め、死体を動かす。最上の魔力を鍛える方法なのよねー』

 確かに彼女の言うことは間違っていない。
 逆に言えば魔力で自分の魂を現世に留めることができなくなれば死んでしまうということ。常に魔力を放出し、制御しなければならない状態で存在し続ければ、否が応でも魔力は鍛え上げられるし、さらにそれが完璧に出来たなら事実上不死の魔道士になれる。そして、今、クレイスは不死身の存在ではあった。
 最初の頃は、流石にルーンの補助が無ければすぐにでも本当に死んでしまっただろうが、現在では自分一人の魔力で存在できる。だから、致命的なダメージを受けても、変わらない動きで行動できるし、例え心臓を貫かれ、頭を潰されても死ぬことは無い。
 が、それでも死ぬのはあまり気持ちの良いものではない。
 今の自分がゾンビーと同じだと考えればなおさらだ。

「さて。それではそろそろ殺すと致しましょうか」

 にこりと笑ったまま、キャシーが物騒な言葉を告げる。
 「おしおき」が始まってから大分時間がたつが、今夜はまだ殺されてはいなかった。
 ここで言う「死」というのは、クレイスの心臓か頭部、そのどちらかが破壊された時のことだ。どちらかが潰されれば、死んだとカウントされる。前回は21回も殺された。それを考えれば、今日は大躍進と呼べる、かもしれないが。

「久方ぶりなので、楽しみが過ぎてしまいました。もうすぐ夜明けです。せめて一度くらいは死の感触を味わいませんと」

 ね? と、彼女は首をかしげる。
 同意を求められても、頷きたくない。
 その代わりに、彼は言葉を放った。

「バルス!」

 その言葉は現代の言葉ではない。
 はるか昔。古代と呼ばれる時代に大陸の共通語として使われた、「力の秘めたる言葉」。
 世界に干渉する力を持つそれら「魔道言語」と呼ばれる言葉に、魔力を込めて口に出せば、世界はその言葉に答えて力を具現させる。
 それが、このファレイス大陸と隣のフィアルディア大陸で一般に言われる「魔法」と呼ばれる力だった。

 バルスとは「打て」と言う意味の魔道言語。
 魔力の通じた言葉に従い、世界はキャシーに向かって打撃を放つ。
 その打撃は彼女の右手。剣を持った手首を狙って。
 彼女の右手が不可視の打撃によって後方に弾かれる。だが、打撃よりも先に彼女は手にした剣を指で弾くようにして左手に向かって飛ばし、持ち替えていた。

「しまったぁっ!?」

 クレイスは悲鳴。彼の狙いはキャシーの右手ではなく、ブロードソードだった。上手く武器を取り落とさせれば、逃げる隙ができるはずだった。

「甘い、ですわ」

 彼女は呟きながら、クレイスに接近。
 左手に持ち替えた剣を、躊躇うことなく彼の心臓へと突き立てた―――――――

 

 

 

 

 

 

「本当に、甘いですわね」

 森の中に、月光よりもさらに明るい光が差し込んできた。それは太陽の光。あらゆる生命を象徴するかのような輝きだった。だが、今のクレイスにとっては、その輝きこそが忌まわしい。
 胸に剣を突き立てたまま、地面に座り込んで動かないクレイスを見下ろしてキャシーはもう一度呟いた。その表情は、先ほどまでの微笑みはなく、無味乾燥の無感動。

「狙うなら顔か、或いは狙いやすい胴体を狙えば良いのです」
「・・・女の子の顔とか、お腹を殴るのは最低なやつなんだ」
「だからって、狙いにくく致命傷にもなりにくい手を狙うことも無いでしょうに。クレイス様、私は敵なのですよ」
「イーグが相手ならいくらでも狙う」

 キャシーは無表情のまま、彼を見下ろしていたが。
 やがて、別のことを聞いた。

「動けませんか?」
「ちょっと無理だ。あっさりとやられなかった分、いつもよりも疲労が激しい。せめて空が曇ってれば良かったんだがな」

 月の光は魔力を増幅させる。
 逆に、太陽の光は魔力を抑制する。魔力だけでなく、魔に属するあらゆる力を壊す光。
 だからこそ、魔物たちは昼間よりも夜のほうが活発に活動し、古来から魔道士たちは洞窟や塔等、陽の届かないように締め切った場所に好んで住み、昼に寝て夜に研究に勤しむと言う生活を送ってきた。
 魔力で生き延びているクレイスも、夜は動きやすいが昼間は辛い。

「それではクレイス様」

 彼女は屈むと、クレイスの唇に自分の唇を押し付けた。
 数十秒ほどの長いキスをしたあと、キャシーは素早く離れた。
 クレイスは自分の唇を抑え、

「・・・舌を入れるなんて、誰に教わったんだ!?」
「イーグ様に。こうするとより楽しめるのだとか。楽しめたでしょうか?」
「聞くな、そんなこと! ・・・・・全く、あの男は一体なにを考えているんだろうな!」

 顔を真っ赤にしながらクレイスは立ち上がる。
 さっきのキスは、親愛とか愛情とか、そういった類の儀式ではなく、キャシーが自分の魔力を唇を介してクレイスに移したのだ。
 激しい運動は無理だが、なんとか動くことはできる。クレイスは吐息して。

「それからわざわざキスじゃなくても、魔力の融通のしようはあるだろう!」
「ですが、接吻だと喜ばれるとフロア様が」
「・・・なにを考えてるんだ、あの人は・・・・・・」

 死体である彼は、痛みを感じない。
 だが、頭痛がするような錯覚に陥った。幻痛だと理解しながらも、自分の頭を抑える。
 そんな彼に、キャシーが小首をかしげて。

「喜ばれませんでしたか?」
「相手が可愛い女の子なら、喜んだのかもしれないけどな」
「喜んで頂き幸いです」
「ちょっと待て! 僕は可愛い女の子だと喜ぶって言ったんだぞ! どうしてお前みたいな人形に・・・」
「先ほど、クレイス様は私が女の子だから顔や胴体を狙わないと申されました」
「可愛いとは言っていないぞ!」
「日頃から、マスターに可愛い可愛いと言われてます」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 クレイスは、もうなにも言う気力も無く、とりあえず穴の開いた腹と胸、すっぱりと切れた肩を治す為、魔力を集中させた―――

 

END


 

 あとがき

 キャシー=リン。
 某「Z」やら某FFIFやら、けっこー色んなところ(つかその二つだけだけど)で出してるメイドキャラです。
 ちなみに眼鏡はかけていません。残念ですが。

 某Zでは超強力メイドさん、某FFIFでは不思議メイドさんとかと、さりげなくコンセプトを変えていたりするんですが(わからんって)。
 パニック!版キャシーは魔道人形メイドさんです。
 魔女ルーン=ケイリアックが産み出した最高傑作。生命を持ち、自我を持つ、いわゆるホムンクルスとか呼ばれるアレです。人造人間とか言った方が解りやすいかもー。

 


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