パニック!
シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」
I【シルファ】
彼女と精霊は最初から一緒だった。
彼女が物心ついたときに精霊は生まれた。だから、彼女にとっては最初からずっと一緒だった。
彼女と精霊には出会いがなかった。
最初から一緒だったから出会いはなかった。
風の吹く草原。
星が煌めく夜空。
闇と風。それから草の臭いと星の瞬きがある場所と時間。
彼女は精霊と出会った。
彼女と精霊はすでに一緒に居たのだけど、彼女と精霊はまだ出会っていなかったから。
出会いに必要なのは名前。それから握手。
精霊には名前がなかった。
だから彼女が名前を作った。
精霊には握手できる手がなかった。
だけど母が我が子を抱く腕のように。
風が彼女を優しく、優しく抱いた。
そうして、彼女と精霊は出会った。
<青いような灰色なような色の空間。その中に浮かぶ、大小様々な形の白。それが上下左右、早く遅く流れていく。空間、という以外に形容のしようのない、なにもない空間。なにもない。本当に何もない。建物などの人工物も、木々などの自然も。ただ、大小様々な球体が幾つも浮かんでいるだけ。―――その球体と同じように、俺も浮かんでいた>
・・・てっ、なんだ!? ここ何処だよ!?
呼吸は出来るから水の中じゃないはずだが・・・なんだって俺はこんな所でぷかぷか浮かんでるんだ?
ついさっきまで洞窟の中でシード・・・シード=アルロードと殺し合ってたはずなんだが。
えーと、状況整理状況整理。
確か、シードと殺り合ってたら、何故かミストがフロアと出てきてフロアはフロアじゃなくてミストが虚空殺使って赤い粉をフロアに振り撒いて、俺は―――・・・落ちつこう。
ミストがフロアに向かって振り撒いたあの粉。あれはきっと、例のペンダントの慣れの果てだろ。ここに来る前、ミストと交心の最中に多分、ああいう風に粉々に砕かれたから通じなくなった・・・と、なんとなく推測してみる。で。ここは何処だ・・・・・!?
・・・・・
・・・・・
っだああああっ! わからねぇぇぇっ!?
「ここはね、フロアさんの心の中だよ、シード君」
「・・・・・え?」
<声。懐かしい声に振り返ると、そこには赤毛の少女が独り、流れる白に紛れて浮かんでいた>
「ミスト・・・!」
「正確には、私はミストであってミストじゃないよ。ミステリア=ウォーフマンがシルファに預けた、自分自身の残留思念」
「??」
「今、この心の外にいる―――現実に在るミストとは別の存在だってこと」
<そう言ってミストでないミストは笑った>
・・・さっきからこりゃなんだ?
なんか、目で見た物が、頭の中に言葉でずらずら並べ立てられているような・・・感覚?
というか、実際にはなにも見えてない。
でも頭の中には情景が伝わって来るような・・・・?試しに目を閉じてみる。
<目を閉じるという概念は存在しない>
うわ!?
な、なんだ? 目を閉じることが出来ない? 概念??
「ここはね」
<声。見れば、ミストが苦笑している>
「ここは、概念のみが支配する心の世界。物理存在はなにも無い、思念のフィールド」
「思念の、フィールド・・・?」
「ここでは心が全てを決める。心が “在る” と念じればそれは在るし、 “無い” と念じれば無い。そういう世界」
「・・・・・・」
「今、この世界を支配しているのは人間じゃない。フロア=ラインフィーという人間では無くて、シルファという風の精霊。世界に在らざりし、架空の概念」
「シルファ・・・・」
って、さっきもなんかミストが―――現実のミストが叫んでいたような・・・・・
「だから、ここでは人間の概念はほとんど通用しない―――とはいえ、私のオリジナルが色々とシルファに教えてあげたんだけどね」
「それで。お前は俺になにをさせたいんだよ?」
なんとなく、解かっているような気はしている。
やらなきゃいけないこと。アイツラを助けること。
・・・それは、多分。イーグ=ファルコムに課せられた使命。だけど。俺は―――シード=ラインフィーは、ただミステリア=ウォーフマンを助けだしたいだけなのに。
「もちろんフロアさんを助けるに決まってるじゃない」
<迷いなく、きっぱりと答えるミストに苦笑>
当の本人は、俺の助けなんて必要としないほどに、強い。
自分よりも他人のことを優先させられるほどに強い。でもそれは優しさなんかじゃなくて、きっと。
「なあ」
<ミストの顔から視線を反らし、笑いを堪えながら、尋ねる>
「どうして、そんなにアイツラを助けたいんだ?」
「へ?」
<きょとん、と。困惑したようにミストは目を丸くする>
「アイツラのことは―――お前には関係ないはずだろ? どうしてそこまで・・・」
「シード君は助けたくないの?」
「俺は・・・シード=ラインフィーも、もうアイツラとは関係ない」
「それ、本音?」
「本音。・・・一年ってのは長すぎた。もう、俺も、アイツラも絆を失うほどに変わり過ぎて―――」
「―――殴るよ?」
<ミストを見る。と、ミストは俺を真剣に睨みつけていた。真剣に怒っていた。思わず、その気迫に圧倒されるほど、ミストは激怒していた>
<思わず自分の頬を―――頬という概念は存在しない―――さっきミストに殴られた所を抑える―――押さえるという概念は存在しない>痛かった。
あの一撃は、今までの生涯の中で、一番痛い一撃だった。
「わかってる、はずじゃない・・・」
「え?」
「わかってるはずでしょ! 大切なヒトを失うってことを! その哀しみを、嘆きを、シード君は味わったでしょ!」
「それを味わったのは俺じゃない! イーグ=ファルコムという暗殺者だ!」
「名前に逃げないでよ! ・・・フロアさんたちにとっては、シード君は今も “イーグ=ファルコム” だって気付いているはずよ!」
「俺は・・・」
どうして、伝わらないんだろう。
今、一番俺が大切なのはお前だってことが。
失いたくないのが、守りたいのがミステリア=ウォーフマンだってことが!
「私は・・・二年前に大切なヒトを失った」
サレナ=ウォーフマン。
確か、そんな名前だったことを思い出す。
マスターの妻で、ミストの母親。・・・直接的にではないにしろ、その死因には俺が原因とも言える。
「大好きだった。すごく大好きだった。お父さんがいなくても、お母さんがいられたから私は、私でいられた」
ズキ・・・と心が痛む。
その「お父さんがいない」というのは、俺のせいだったから・・・
「お母さんが病気で倒れた時、世界が壊れたような気がした。―――だけどね!」
<キッとミストは睨みつけてくる。その視線を反らすことすら出来ないほど、威圧されている>
「私は、私たちは頑張ったよ。最後の最後まであきらめなかった―――クレイスやテレス、トレンやカリストだって私を助けてくれた。クレイスたちのお陰で、魔法薬だって手に入った・・・・・・結局、間に合わなかったけど」
クレイス達のお陰・・・
そう聞くとちょっと悔しい。ミストの過去に俺がいないことが。
「だから、言うよ。シード君はまだ間に合う。助けられる可能性がある。あるのに、助けようともしないのなら」
「俺は・・・」
「私は、貴方を一生許さない!」
「俺は・・・それでも俺は、アイツラよりもお前を守りたい!」
<言い返す。と、ミストは悲しそうに肩を落して吐息>
「・・・シード君の、わからず屋・・・」
「でも、な」
<吐息>
「俺はお前が望むなら、アイツラも助けてやる」
それが今の俺の―――シード=ラインフィーの精一杯の妥協。
もう、俺はイーグ=ファルコムじゃない。だからアイツラを助けることはできない―――だけど。ミストが望むなら、俺は、なんだってやってやる!
「・・・・・馬鹿だなー」
<何時の間にか、ミストは眼前に居た。言葉を吐きながら苦笑。ぎゅ、と腰に―――腰と言う概念は―――存在する!―――腰に手を―――手と言う概念は―――存在する!―――手を回して抱きついて来る>
「私は、シード君の大切なヒト達だから、助けてあげたいと思うんだよ? シード君なら助けられるって、そう信じられるから」
<ミストは顔を上げ、顔を覗き込むように>
「私を、何度も助けてくれたように、助けてくれるはずだから」
「俺はお前を助けたことなんて一度もない―――逆に、いつも助けられ―――」
<眼前にミストの顔>
<唇を唇で塞がれている>
<一瞬後、唇は離されてミストの顔は遠ざかっていく>
「なっ―――なんあっ!? おまっ!?」
<頭に血が昇る―――血が昇るという概念は存在しない―――それでも頭が熱くなって、思考が吹っ飛ぶ>
<目の前ではミストが悪戯っぽく笑っている>
「やっぱ精神世界じゃキスの感触なんてないねー」
「いっ―――いきなり何をしやがるんだっ!?」
「概念を持ち込もうにも、キスの感触なんてまだよくわからないし」
「・・・うう」
<頭を抱える>
「シード君はいつも私を助けてくれてるよ―――1年前、出会った時からずっと・・・」
<あまり聞いたことのない穏かなミストの声>
それは嘘だ。
1年前、瀕死の俺を助けてくれたのはミストだったし、それからも俺はこいつを助けられたコトなんて・・・ない。
「俺は、誰も助けられない―――1年前だって! 俺はあいつらを助けられなかった!」
「助けることができなかった時のことが怖い?」
「・・・俺は、助けられるはずだった。俺には力があった! 自惚れかもしれないけど・・・俺にはあいつらを助けられる力があったはずなんだ!」
「それでも助けられなかった―――それが裏切りだと思ってる?」
「・・・裏切り・・・?」
「助けられるはずだったのに、助けることができなかった。それは裏切ってしまったことだと思ってるんじゃないかな?」
「・・・・・・・・・・」
「だから、また助けられないかもしれないということが、裏切ってしまうかもしれないと言うことが・・・怖い?」
「そう・・・なのかもな」
<吐息>
一年前に助けられなかった事。この一年間、それをずっと悔やんで来た。
そして、今・・・ミストは俺なら助けられると言った。だけど・・・だからこそ。助けられない事が、怖い。
<手と手が触れる。ミストが手を、自分の両手で包む>
「大丈夫だよ」
<に、と笑う>
「今度は大丈夫だから」
「根拠は?」
「私」
<ミストは自分自身を指差した>
「私は、絶対大丈夫だって信じてるもん。だから大丈夫」
「うわ、すっげぇ当てにならねー根拠」
「でも何も根拠がないよりマシでしょ?」
「・・・何も根拠が無い方がマシかもな」
「ぶぅ」
<ミストは頬―――頬と言う概念は存在しない―――膨らませて、むくれる>
「ま。いいさ、やるだけやって見る―――それで、いいんだろ?」
「うん」
<一瞬で機嫌を直し、嬉しそうにミストは頷いた>
「それで、俺は何をすれば良い?」
「そのままで・・・」
<ミストが呟くと同時、 “白” が周囲を包み込む>
なんだ、これ・・・
雲?
『―――イーグ=ファルコムだ』
・・・声?
<どこかで聞いた事のあるような声とともに、頭の中に情景が浮かんで来る>
<それは懐かしい情景>
<未だ自分が自分でなかった時の過去>
黒い髪に黒い瞳―――とりあえず、この辺りの国の人間ではないと見等つける。
もっとも、“ここ”にはあらゆる人種が集まっているために、どこの国の人間だろうと、あまり意味はないのかもしれない。
<しかし、これは―――>
俺の記憶ではなく、誰か、別の―――!?
「うわ、ボサボサ」
声に、わずかだけ首を振り返る。
と、私の視線の先では、短く刈った茶色い髪の毛を揺らし、部屋に一つだけある机で書き物をしていたシードが振り返るところだった。
シード・・・?
・・・確かに、そうだ。
“俺” が振りかえった先に居たのはシード。シード=アルロード。それから。
さっき紹介されたの―――アレが俺が?
「これはね」
< “過去” の向こうからミストの声が届く>
「これは、フロアさんの記憶。シルファが大切に持っていた彼女の記憶」
「フロアの、記憶・・・?」
「まずはそれを知って。彼女がどんな事を考えて、どんな傷みを抱えていたか。まずはそれから」
ミストの声が続く中、 “過去” は途切れることなく進行していく。
それは、俺が知りながらも気がつかなかったフロアの過去。
「あぐっ、あぐっ、あぐぅぅぅぅっ!」
「オラ死ね早よ死ねとっとと死ねっ!」
あ、シードが蹴り入れてる。
その男子トイレとか体育館の裏とか橋の下とかな雰囲気に、私は思わず微笑みかけて。
「ほらほらシード。それ以上やると、可哀想だよ」
「あぁ? 俺のフロア(未来予想図)に容赦ないスキンシップしやがった野郎のどこが可哀想―――って、うわあフロアァァッ!?」
「お、お、お姉ちゃん!? その妙に馬鹿でかいモーニングスター一体何時何処から出したの!?」
酷く、懐かしく。それでいて―――
殺されると恐怖して。
殺されると期待した。
なぜならば。
アインダ=ラッツの妻を殺したのは、この私で。
それをこの男は知っていたのだから。
・・・けれど私は、まだ生きている。
知らなかったフロアの心。
それを知ってしまうのは、なんとなく後ろめたかったが。
ぽふっ。
なんとも軽快な―――重い音。
見れば、シードが自分のベッドの枕に顔をうずめているところだった。
―――殺したくなってくる。
「・・・イーグなら、無事に帰ってくるよ」
そんな言葉をシードに語りかけながら、心の中では殺意が膨れ上がってくる。
私はシードが枕の中に埋めた表情がなんであるか判っている。
その心で、何を思い、何を叫んでいるかわかっている。
―――だから、今すぐ、殺してしまいたくなる。
「無事に帰ってくるだろうさ! 相手を殺してな!」
くぐもった叫び声。
吐き気がする。今すぐ殺してしまいたい。今すぐ排除するべきだ。
意識下において、私は精霊に命ずる。
風の刃を持って・目の前で泣き叫ぶ・クズを殺せと。
「だって、それが私たちの仕事だよ」
ゆらり。
私の言葉とともに吐き出された呼気が、眼前で歪む。
そして、風は一振りのナイフと形作る。
後ろめたさよりも、しかし。
俺が気づかなかった―――気付けなかった、フロアの心の闇、それを知るごとに感じる驚きの方が遥かに強かった。
赤く染まった情景。
泣きじゃくる僕の頭を、シードはぐりぐりと拳を押しつけて来る。
痛い。
泣くのを止めて、傷みを抗議するようにシードを睨みあげると、シードはにやりと笑う。
この笑い方、を見ると、やっぱりコイツは “シード=アルロード” だと痛感する。
とても不敵な笑顔。
どんな時でも、どんなに苦しい時でも、悲しい時でも、こいつはこうやって笑うのだろう。そんな気がする。「安心しろ。お前が―――お前じゃなくなった時、俺が殺してやる」
それは約束だった。
・・・え?
なんだ、今・・・ッ!?
今、なにか、違う―――別の―――!?
「殺してッ! 今すぐ私を殺してッ! でないと私が貴方を殺すわ!」
アインダーの胸倉をつかみ、その首を絞めるように上へと突き上げる。
彼の部屋。
私と彼しかいない広い部屋。
無限とすら錯覚してしまう、広い部屋の中に私の声だけが響く。
「どうにかなってしまいそうなのよ! 狂いそうなの!」
一瞬の違和感。
それも、すぐにフロアの激情に流されて消える。殺してくれと、彼女は叫んだ。
彼女は、死ぬ事を望んでいたのだろうか・・・?―――違うような気がする。
死にたいのなら、どうして今、生きているのだろう?
『あなたは私が嫌い?』
彼女が私に問い掛ける。
ちょっとあごを引く癖のある、“何もかもが素晴らしく楽しくてたまらないっ”と言っているかのような笑顔を浮かべて私を見る。
それが何よりも憎くて。
私の、まだ10歳にも満たない幼い手は、大した力がないと知っていたけど。
それでもこの手で彼女の首を絞めて殺したい―――そんな衝動に駆られる。
『嫌いよ。殺したいほど大嫌い』
キッパリと答えると、彼女は笑った。
楽しそうな笑みから、実に楽しそうに笑った。
嬉しそう、だった。
それが私の憎悪をさらに肥大化させる。
『何がそんなに嬉しいの?』
『さあね? なんとなく楽しいじゃない、そういうの』
理解不能。
憎悪は嫌悪に変わり、殺意は恐怖に変わる。
一体、この人は何を言っているのだろう―――・・・?
・・・これって・・・
姉さん・・・・・・!?かなり古い記憶。
俺がフロア達と出会うよりもずっと前。
まだ、フロアがかなり幼かった時。フロア、姉さんと会った事があるのか・・・?
けれど、それはおかしいような気がする。
リウラ=ファルコムは暗殺者ではあったが、暗殺者にはなりきれなかった。
ただの、最強の殺人者、だった。彼女が―――姉さんが、死を望む人間前にして殺さなかったのは酷く疑問が残る。
俺ははっきりと覚えている。姉さんの事を。
姉さんは、死人を酷く憎んでいる。何も出来ない、無力な死者を。
自ら死を望む人間―――それは死者と同じ事だと。
『―――ぅ!?』
いつのまにか眼前に、彼女の端整な顔立ちがある。
笑みはなく。笑いはなく。無表情で。
鋭く、ネコのように細められた目から放たれる視線が、私の視線とかみ合う。
チクリとした痛みが喉に触る。
ナイフが突きつけられている―――!
『怖い?』
怖い。
聞かれて、私は怖いのだと気づいた。
『泣き出しそうなほど怖いのね?』
泣き出しそうなほど怖い。
『・・・・なんだ』
どこか失望したような呟きとともに、彼女は私を“開放”した。
瞬間、私の体はその場に崩れ落ちた。
目を見開いて、私に恐怖を与えたその存在を凝視する。ことしかできずに。
彼女は―――何も持っていなかった。ナイフはおろか、武器は何も。
私の喉に突きつけられたのが、彼女の爪だったと気づいたとき、私は泣き出した。
『これなら、アインダーの息子のほうが楽しめたわね』
アインダー・・・アインダー=ラッツの息子・・・?
・・・あいつ、息子なんていたのか? ちょっと意外。
「起きたか」
「・・・夢を見ていたわ」
「そうか」
と、言ったっきりアインダーはなにも尋ねない。
アインダー=ラッツとはこういう男だ。
私は苦笑して、言葉を加えた。
「貴方がこの世で最も愛して、手に入らなかった人の夢」
「―――リウラ=ファルコム、か」
彼が口に出したのは、彼の妻の名前ではなかった。
私が現在に至る過去の中で、最も恐怖した存在。
悪夢の中に在る存在。
でも何故だろう。
彼女の夢を、なによりも恐怖した過去を見たというのに。
私が怯えていないのは。
「・・・ぁ」
そっと、彼が私の肩を抱いた。
少しだけ驚いて、私はそっと彼に身を預ける。
身も、心も。
「ねえ、アインダー」
なんとなく、答えてくれるような気がして。
「あなたは、どうして私にシードを―――あなたの息子を預けたの?」
いつも問い掛けていた問い。
いつも答えてくれなかった答え。
「・・・ただの気まぐれだ」
そう嘘をついて、彼は笑った。
・・・・・・・・は?
シードって―――俺じゃないよな、勿論。
とゆーことは・・・・・まさか・・・・・アインダーの息子が、シード=アルロード!?
初耳だぞ! そんなの!
私がいつも恐怖していたあの笑み。
私がいつも殺されると期待したあの笑み。
けれど、それはただの錯覚だったと始めて気づいた。
彼の微笑みは、死の概念なんて存在せずに。
それはただの私の思い込みに過ぎなかった。
「俺は、リウラに頼まれて弟を預かった」
唐突に言われて、唐突に理解する。
成るほど、リウラ=ファルコムの脱走には、彼も一枚噛んでいたという訳か。
けれど、だから何がいいたいのだろう?
「俺も同じだ」
・・・ああ。
そうなんだ。そうだったんだ。
アインダー、あなたは私を必要としていてくれたのね。
もしかしたら馬鹿な勘違いかもしれない。
もしかしたら都合の良い思い込みかもしれない。
でも、今の私にはそれで十分。
「あのね、アインダー。あなたに言っておかなければならないコトがあるの」
不思議と、目の端に涙が滲んで。
だけど、なにか嬉しくて顔を上げて、私はアインダーの顔を見た。
アインダーは、いつもの無表情で。
だけど、ちゃんと私を受け止めてくれている。
「私はね、あなたの大切な人を殺したわ」
「そうか」
それだけ応えて、彼は私の涙をぬぐってくれた―――・・・・・
・・・整理しよう。
えーと。
まず。アインダー=ラッツとシード=アルロードは親子だった。
アインダーの大切な人―――妻を殺したのがフロアらしい。
フロアは俺の姉さん、リウラ=ファルコムと面識がある。・・・えーと?
結局、これはなんなんだろう?
「フロアさんはね。きっと、この現実が大嫌いだったんじゃないかな」
<気がつけば過去は終わり、目の前にはミストが存在していた>
「だから、この世界から逃げ出したくて―――死んでしまいたくて―――でも、彼女は暗殺者だったから。他人を殺す事は出来ても、自分で死ぬ事はできなかった。―――それは、自分と言う概念を破壊してしまう事だから」
「・・・だから、他人に殺して欲しかった?」
「自分を殺してくれる人間を求めたの―――でも、違った」
「違う?」
「彼女は、自分が求めて―――その上で、自分を必要としてくれる人間を求めた」
「矛盾してるぜ。自分を殺してくれる人間を求めて、その人間に必要とされる事を望むなんて。・・・必要としないから殺すんだろ?」
「だからね、幻想だったの。彼女は、誰かに自分を殺してもらう事を幻想として望んでいたの。本当はね、彼女自身でさえ気付いていないかもしれないけど・・・彼女は、誰かに自分を必要としてくれる事だけを望んでいた」
「・・・・・・」
「殺される事を望んだのは、自分という存在を強く、なによりも強く想って欲しいという気持ちが捻じ曲がって生まれた感情。・・・わかるでしょ? シード君」
「・・・まあな」
人は。
自分が殺した人間の事を忘れることはできない。
よく死んだ人間は、生きている者の心の中で永遠に生き続けるというが、あながち間違いではないのかもしれない。殺された人間は、殺した人間の心の中で、亡霊の如く生き続ける。・・・元はと言えば、今回の一連の出来事は俺があの男―――カール=ケルヴィンを殺したから始まってしまったともいえる。
殺され、死んでしまった人間は、亡霊の如く殺人者の中で生き続ける。
俺もまた、カール=ケルヴィンという亡霊に、とりつかれているのかもしれない。
「だから、彼女は自分を殺してもらう事を望んだ。でもね、それは幻想。彼女は死を望んではいない」
「ただ、自分を必要として、絶対に忘れないでくれる事を望んだ・・・・・?」
「なによりも自分の事を強く想ってくれる存在を望んだのよ」
「それって・・・さ」
「そうだよ」
<口篭もった自分に、ミストはにこりと微笑んだ>
「フロア=ラインフィーは、自分が愛して、自分を愛してくれる人を望んだの」
「シード・・・シード=アルロードはフロアにベタ惚れだったような気がするけど」
「でも・・・フロアさんは、彼を求められなかった―――何故か解かる?」
なんとなく、わかるような気もする。
きっと、それは。
「それは・・・シード=アルロードの母親を殺したのがフロアだったから?」
「そう。そして、その事を彼女は彼に伝える事は出来なかったから―――知られてしまう事を恐れていたから」
<ミストの表情が霞んだ>
―――!? なんだ!? いきなり・・・
<ミストの身体の色がすっ・・・っと、薄くなっていく>
<だんだんと、周囲の青と灰色の空間に溶けていくように>
<消えていく>
「ミスト!?」
「そろそろタイムリミットみたいね」
<消えながらミストは呟く>
「残留思念だからね。もうすぐ “私” は消える・・・」
「・・・なんだと!?」
「あはは。怖い顔しないでよ。心配し無くても消えるのは “私” であって、ミステリア=ウォーフマンじゃないから」
<気がつけばミストの身体は、もう、腰から下が消え失せていた>
「ミストッ!」
「 “私” は、ミステリア=ウォーフマンの残留思念に過ぎない存在。ホンモノのミストは、 “外” に居るから、シード君はなにも心配しないでくれていいんだよ」
「・・・・・」
残留思念。
だからといって、目の前でミストが消えていく―――あまり気持ちの良いもんじゃない。<こちらのそんな心に気付いたのか、 “ミスト” は少しだけ寂しそうに笑う>
「ホントに馬鹿だねーシード君は。哀しみも、傷みも、なにも感じる必要はないのに」
「そんなの・・・俺の勝手だろ!」
「・・・シード君は、フロアさんの正反対なんだね」
「え・・・?」
「ねえ! シード君!」
<すでに胸から上しか残っていないミストは、一際強くこちらを呼ぶ>
「もしも、シード君が・・・ “私” が消える事を傷んで、哀しんでくれるんだったらさ―――」
「・・・わかってる。フロアは意地でも助けてやるよ」
<こちらの言葉に、ミストは一瞬驚いたように目を見開いて>
<そして>
<微笑を浮かべて>
<完全に消失した>
彼女と精霊は出会いに一つの契約を交わした。
それは契約という名の盟約。
盟約という名の約束。
約束という名の契約。ありとあらゆる種類の絆であり “枷” であった。
それはあまたある絆であり、枷であり、契りでありながら―――
たった一つの意味にして、その他全ては無意味とするもの。彼女が見つけたからこそ精霊は存在した。
故に、精霊は彼女と共に有り続ける。
それは契約。精霊が居るからこそ彼女は生き続けることができた。
故に、彼女は精霊と共に有り続ける。
それは盟約。彼女と精霊は共に有り続けることを、契約として、盟約として交わした。
故に、二人は有り続ける。
それは約束。しかし。
契約は破られようとしていた。彼女が精霊の姿を見失ってしまったために。
盟約は破棄されようとしていた。精霊が彼女に否定されたがために。
約束は、もう、守られない。
「シルファ、とか言ったな」
<虚空。で、呟いた声は自分以外の何物にも聞かれることなく消える>
「フロアではなく、シルファだとミストは言った」
・・・とゆーか。そもそも、フロアは今どんな状態なんだ?
助ける、助けないの前に、俺はなにをすればいい?
―――確かに、 “あの” フロアは俺の知るフロア=ラインフィーじゃなかった。ミストの言葉を借りるなら、彼女は “シルファ” だ―――良く解らんが―――なら、 “フロア” は何処に居る?それから。
シード。シード=アルロードは普通の人間だった。少なくとも俺の知る限り。
あいつは、魔族でも獣男でもなく普通の人間だった。
じゃあ、あいつに何が起きた? なんであいつは魔族になった?
―――そもそも、俺としてはあの二人が生きていたこと自体が疑問だ。暗殺組織を抜け出して、捕まって、そして一年も経つのにまだ生きている。あいつらに―――あいつらが組織に捕まってから何が起きた―――・・・・
あれ?
待てよ?
「・・・そーいや、なんで俺達は組織を抜け出そうと考えたんだっけ?」
想わず声に出して呟いても誰も答えてはくれない。
<虚空に発された声は虚空に帰る>
あー。はいはいわかったってば。
・・・いやともかく、今まで全く疑問に思わなかったが・・・思っちまえばすごく疑問だな。
どうして俺達は組織を逃げ出した?あそこは―――俺にとって居心地の悪い場所じゃなかったように思う。
人を殺せば生きられる。 “天空八命星” しか能のない俺にとって、あそこはむしろ居心地が良かったんじゃないか?
それなのに、俺はどうしてあそこを逃げ出そうと思ったんだろう?・・・って、俺に理由が無いなら他に理由は一つしかない、か。
あいつら。
フロアとシードが逃げようって言ったから。
“僕” にはあの二人を助けられる自身があったから。
姉さんがくれた “天空八命星” があったから。
僕はあの二人と一緒に組織を抜け出そうとしたんだ。そこでもう一つ疑問が生まれてくる。
どうしてあいつらは組織を抜け出そうとしたのか?
「それはやさしかったからなのです」
<声>
<ミストとは違う声が虚空に響き渡った>
<首だけ振り返れば、そこには一人の少女>
「やさしかったからなのです。やさしかったから、そのやさしさがくつうになってしまったから。だから」
「・・・誰だ、お前?」
「あなたはしっているはずです。きいているはずです。わたしのなまえを。そして。そしてあっているはずです。わたしと」
<少女は拙い口調で、しかし一生懸命に語る>
喋る事に慣れて無いのか・・・?
頭の片隅で思いつつ、考える。
俺が・・・知っている?<少女は透明な色をしていた。若干、髪の毛が水色であるようだったが、肌は全て透明色。向こうまで透き通っていた。そんな透明色の身体に、空色のワンピースを身につけている>
透明色・・・って、透明なのに色ってのもなんかヘンなような気も・・・
まあ、ンなことはどうでもいい。
「で。誰なんだ、お前は?」
「あなたはしっているんです」
「知らない。知らないから聞いているんだろうがよ!」
少々きつめに言って見る。
<少女はビク、と身を震わせて怯えたような表情でこちらを凝視した>
・・・あ。しまった。
「あー。いや、スマン、つい・・・」
「みつけて・・・」
「ん?」
「みつけてください。みつけてくれないとわたしはそんざいできないのです」
至極意味不明。
いやまあ、約すと “名前を思い出してくれるまで口聞いてあげません” とかそういう意味だとは思うけど。
・・・っても、俺はこんな子見たことないぞ。<少女。外見から察するに、10歳くらいの歳だろうか>
テレスやセイよりも年下だとは思うが。
・・・ますます、わかんなくなって来た。
自分より年下の人間関係ってテレスとセイ、それからセイルーンのお姫様くらいだったとおもうが・・・
「やっぱりわからん」
「・・・・・・・」
<少女は、今度は泣きそうな顔でこちらを見る>
「うわ泣くなぁ。泣かれてもわからないものはわかんねーし。・・・ヒントとかないか?」
「あなたはしってるはずなのです」
いやだから知らないって―――待てよ?
なんか、この口調・・・どっかで聞き覚えが・・・?しかもつい最近―――あ!
「わたしは―――――――――わたしは!」
「聞いてあげるから。応えてあげるから―――叫びなさい!」
「わたしは―――わたしは、もどってきてほしいのです。
わたしが、わたしをみつけてくれて、わたしをだいすきになってくれただいすきなひとがもどってきてほしいのです!」
思い出した! もしかしてこいつは!
「お前! フロア―――じゃなかった・・・えーとシルフィ!」
「ちがいます」
え? あれ、シルフィじゃなかったっけ・・・?
えーと。シル・・・は合ってたような気がする。
えーと。シルビア・・・いや違うな。シルル・・・ってこれも違う・・・・・・えーと・・・
―――シルファだよ。
シルファ・・・?
ああ、そうだ。確か、そうだった。
「シルファ」
「はい。シルファ。それがわたしのなまえなのです」
<透明色の少女は本当に嬉しそうに笑う>
自分の名前、好きなのか?
・・・あっさりと自分の名前を捨てちまった俺にはピンと来ないが。ともあれ。
「で。シルファ。聞きたい事が一つある―――」
言いかけて、止まる。
聞きたいこと。
名前は解かったが君は何物なのか。
フロアとシードは一体どうしたのか?
優しかったからってどういうことか。
そもそも一体全体なにがどうなってるのか。聞きたいこと。
・・・考えて見れば山ほどあるなあ。そういうわけで言い直す。
「シルファ、聞きたい事が山ほどあるんだが」
「わたしはしることをおしえることはできません。それはむずかしいことなのです」
「は?」
「だからあなたにはしってもらいます。わたしのたいせつでだいすきなひとになにがおこったか。やさしさにきづついおたことを、くるしんでしまったことを」
「・・・えーと」
「そしてたすけてください。わたしのたいせつでだいすきなひとを」
「君の大切で大好きな人・・・フロアのことか?」
<少女は頷く>
「つよい、つよいあのひとにはむりでした。あなたならたすけられるとあのひとはいいました。だからわたしはあなたにたのみます。おねがいです。わたしのたいせつでだいすきなひとをたすけてください」
「あのひと・・・?」
「あなたがいちばんたいせつにおもってるひとです」
「・・・・・・」
ミストの顔が頭に浮かんで、なんとなく頭を掻く。
<頭を掻くという概念は存在しない>
掻けなかった。
<掻けなかったという概念は存在しない>
・・・なんだこの世界。すごく変だぞおい。
まあいいや。
「じゃあ、シルファ。さっさと見せてもらおうかフロア達になにが起こったかを―――」
「はい」
<シルファが手を振り上げると、虚空を漂っていた “白” が―――その中でも一際に大きい “白” が降りてきて>
ふと。頭の中に違和感がかすめた。
<先ほどと同じように周囲が “白” で満たされる>
―――シルファだよ。
さっき、聞こえた声.あれは―――<完全に白で満たされ―――そして、意識も白で埋まる>
あれは―――
俺の思考はそこで途絶えた。