パニック!
シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」
J【一年前の記憶 2】
「・・・・・」
「なぁに? 私の顔になにか付いてる?」
そう、私が尋ねると、さっきからじーっと見つめていたイーグはブンブンと首を横に振って「なんでもない」と手まで振る。
それ以上を追求せず、私が再び “作業” に戻ると、それをまたイーグがじーっと見つめてくる。私は吐息して、折り畳み式の手鏡を片手で閉じるとイーグの方へとしっかり向き直った。
「・・・どうかしたの?」
「えーと・・・」
困ったように、イーグ。
私は苦笑―――を堪えて、私も困ったような表情を作りながら、
「そんなに、ヘンかなぁ・・・?」
「え!? いや、そんなコトないって! とっても綺麗だと思う・・・」
イーグは私の顔―――主に朱色の口紅が塗られた唇を注視している。
真っ正直に “綺麗” と言われると、照れるようなムズムズするような―――ヘンな感じ。
「ありがと」
一応、礼だけ述べて、軽く口元をナプキンで拭く。
化粧なんて、あまりやったことないけども、一応それなりに仕込まれてはいる。
勿論、 “仕事用” にだ。・・・だから、こんな風に自分を化粧したコトなんて殆ど―――いいや、全くない。
イーグが気にするのもよくわかる。
私自身、表には出さないだけで、かなり戸惑ってるのだから。
「・・・・・・・あのさ」
「ん? なに?」
「・・・シードは、悪いやつじゃないと思う」
神妙な眼差しで、イーグは私をじっと見つめてくる
・・・なにが言いたいんだろ?
シードが悪いやつじゃない。そんなことは解かりきっている。知っている。―――おそらく、私が一番、他の誰よりも知っている。
少なくとも “人を殺す” という “悪いこと” が出来ないくらいには “悪くないやつ” だ。
「シードはフロアのこと好きなんだ・・・・・・愛してるんだよ」
自分で自分の台詞に照れているのか、イーグの顔は真っ赤っかだった。
茹でたタコと勝負できるんじゃないかってくらいに真っ赤。私は苦笑して―――なんと応えたものかと考えながら、とりあえずイーグの瞳を見返した。
「・・・えーと?」
「だからッ!」
私が理解できていなことへの苛立ちか、それとも照れているせいか―――おそらく校舎―――顔を真っ赤にしたまま、イーグは怒鳴る。
「シードはフロアのこと好きなんだ。だから、いつもふざけて・・・ちょっかい出して――――だから」
「だから?」
「・・・だから、シードには悪気がないんだよ! ただフロアのこと好きだから、愛してるから、だからマジメに接することが出来ないんだ!」
そんなに好きだの愛だの連呼しないで欲しいんだけど。部屋の外を通りかかった人がいたらどーするの。
とかそんなことを思いながら、なんとーく、イーグの言いたいことは解った気がする。私は吐息して。
それから笑みを―――自分でも何処かひきつっている笑みだと自覚しながらも―――浮かべて、
「イーグ、私のこと誤解してる・・・・・」
「・・・え?」
「えーと。イーグ? 私の “この格好” を見てどう思ったのかなぁ?」
私は、私の数少ない服の中でも、まだ一度しか着た事のない “とっておき” の余所行き用の服を指し示す。
「私が、シードとデートすることについてどう思ったのか―――私、とぉっても気になるの♪」
「う・・・なんかフロア・・・笑顔が怖い」
「そう―――私が怖いことしに行くと思ったのね?」
「あ・・・う・・・でも、俺は―――俺は、シードがフロアに殺されるなんて、そんなのいやだ・・・・ッ!」
誰が殺すかッ!
叫びそうになりながら、しかしなんとか笑顔を保ち続ける。
・・・が、イーグの青ざめた表情を見る限りでは、上手く “笑顔” を作れたかどうか酷く疑問。
「・・・な・ん・で、私がシードを殺さなければならないのかなぁ?」
「うう。だって、フロア・・・毎度毎度のシードのセクハラに、とうとうキレちゃったんじゃないかと・・・」
「デート、なんだけど」
「だから、だって! 今までシードに対して容赦無くトゲ付き鉄球でブチのめして来たフロアが、急にシードとデートだなんて! ・・・これは、もしかしたら何か巧妙な暗殺計画としか思えないじゃないか!」
「・・・・・・・・」
認めよう。
確かに、モーニングスター振りまわして人間一人を血達磨にするのは、子供の情操教育に悪いと思う。
けど。
なんだっていきなり暗殺計画なのよ? そりゃ私達は暗殺者だけど、いくらなんでも今まで殺さなかったヤツを、今頃になって殺そうとなんて――――――きっかけがあれば話は別だけど―――――――――流石にこの前、人のパンツかぶって悦に入ってたのを見たときは真剣に殺意を覚えたけど――――――――・・・・・・・・・・・・ま、まあ。
イーグが勘違いするのもわからないではないかもしれないわね。
「あのね、イーグ。心配しなくても、これは正真証明! 本当の、ただのデートだから」
「・・・・・・・・・」
納得行かないようなイーグの顔。
・・・私って、そんなにシードを殺したがっているように見えるのかな? なんとなくショックかも。
とか、ちょっと落ち込みモードに入ってると、
「あのさ」
「ん、なに? イーグ」
「・・・ただのデートなら、その腰に下げているものは必要ないとおもうんだけど・・・・・」
イーグが私の腰を―――腰に釣り下げられたモーニングスターを指差しながら呟く。
私はてへっ、と舌をぺろっと出して。
「これはね、乙女の身だしなみってやつだからいーの」
「・・・・・・・・」
「や、やだなぁ。もう、そんな顔しないで。・・・そうねぇ、イーグももう少し大人になったら解かると思うよ♪」
「絶対、わからないと思う・・・」
「あ、あはは・・・そ、それにしても意外だね」
「・・・え?」
「イーグって、そういうことをあまり気にしないって思ってた」
「そういうこと・・・って?」
全くわからない―――さっきの私もこんな感じだったんだろうか―――って表情で、イーグが私を見る。
「私がシードを殺すとか、シードが殺すのがいやだとか」
「・・・俺をなんだと思ってるんだ・・・」
「あー。あはは、ごめんって。―――イーグ流に言うなら、悪気はないってことだよ。ただ、そう思っただけ。イーグってさ、 “殺す” ってことにもっと無頓着って言うか・・・なんか、目の前で誰が殺されようと気にしないように見えるじゃない」
「・・・・・・あのなぁ」
「だからごめんって―――でも、そう思わせるだけのことはしてるんだよ。暗殺者くん」
「え・・・?」
私の言葉に、何故かイーグは呆けた声を返す。
「暗殺者・・・?」
「・・・寝惚けてる? もう昼でしょ? ・・・それとも自覚ないなんて怖いこと言わないでよ」
「いや・・・はは、ヘンだな。なんか寝惚けてたみたいだ。うん、大丈夫。―――そうだ、僕は暗殺者だ」
ん? “僕” ?
なんか久し振りに聞いたのかもしれない。最近はずっとシードの真似してるのか “俺” だったし・・・なんとなく心に引っ掛かったが、すぐ気にならなくなる。
「でも、暗殺者だって言うならフロアやシードだってそうじゃないか」
「うん、けどね、イーグは別格だよ。天空八命星を操る最強の暗殺者―――きっと、イーグが殺そうと思って殺せないものはないんだろうね?」
「・・・・・・!」
「? どうしたの?」
イーグは私の言葉に酷く驚いたようだった。
驚いた・・・というか、傷ついた・・・? ―――なんか、あの馬鹿みたいに “傷ついた” 様子で―――しかし、すぐに首を振って「なんでもない」と答える。
「それよりも、もうそろそろ待合わせの時間だろ? シードはもう三時間も前から待ってるはずだから、早く行ってあげないと」
「三時間? そういえば朝から姿が見えないと思ってたけど・・・なんで」
「ひたすら待ち続けた後に “いつから待ってたの” “今来たばかりだよ” ってニヒルに笑うのが醍醐味なんだって」
「・・・んじゃあ、すっごくゆっくりいこっと」
「うわ、ひどッ」
「酷くない酷くない。男の醍醐味なんでしょ?」
ぱちっと、ウィンク一つ残して、私は部屋を出た。
一人残された部屋。
デートに行くフロアを見送った後、俺はとりあえずシードのベッドに腰掛けた。・・・しかし、それにしてもフロアとシードがデート。
一昨日、シードが “いつものように” 「デートしようぜッ♪」とか誘って、フロアが “いつものようではなく” 「うん、いいよ」と頷いた。
俺もその場にいてもの凄く驚いたが、多分、一番驚いたのはシードだろうな、と思う。あの時のシードの表情、今思い返しても笑えるくらいに笑えた。
喜びは無く、ただただ驚きに満ちた表情。まるで、驚き以外の表情を忘れてしまったかのような。どうしたの? ってフロアが聞いた途端に我に返って、次の瞬間には歓喜の叫びをあげながらそこらへんを飛び回って、フロアのモーニングスターに叩きのめされて静かになったけど。
その時のこと、思い出して俺は笑った。俺はあの二人が好きだ。姉さんと同じくらいに。
・・・ちょっと違うかも知れない。
姉さんは、俺の親変わりだったけど、アイツラは俺の―――なんだろう?
フロア=ラインフィーは優しくて、時々怖い―――ああそうだ、姉さんにちょっと似てる―――姉のような存在。
そばにいると、なんだか暖かくなる。・・・いつもぽわぽわ〜ってしてるけど、本当は触れるだけで切れてしまうような―――鋭いナイフのような一面も、俺は知ってる。
何度か、シードのことに関してそういった顔を見せているのに、俺は気づいてた。何故だかは知らない。けれど。
でも、それでもフロアは暖かくて、いるだけでほっとできる。シード=アルロードは・・・・・・・なんだろ。こいつは良くわからない。
「本当に暗殺者なのか!?」って疑いたくなるくらいに、いつもふざけてて―――そういえばシードがマジメな顔してるところって見たことないな―――飄々としてる、っていうのかな。いっつもフロアにちょっかいかけては殴られてる。
シードの噂は、出会う前から耳にした記憶がある。女の尻に敷かれてる、とか、いつも仕事を失敗ばかりしてる、とか。情けない噂しか聞いたことがなくて、実際、会ってからもその通りだって再確認しただけだったけど。
でも・・・そういえば、シードはいつもふざけて笑ってる。楽しそうに。そういうのは、もしかしたら、強いってことなのかもしれない。
シードだって、自分がどんなこと言われているのか気がついてないわけじゃないだろう。だいたい、陰口だけじゃない。直に言われた事だってなんどもあった。
・・・でも、シードはそれでもふざけつづけて笑ってた。怒りもせず、泣きもせず・・・・逃げもせずに。
俺は、それが情けないとは感じなかった。
そういうのは、きっと、強い。この頃、なんとなく思う。
シードみたいに笑い続けて生きることができたなら、すごく楽しいんじゃないかって。
二人とも、俺が大好きな―――かけがえのない親友。
だから、あの二人が好きあって、結婚とかして、幸せになってくれたなら。
きっと、すごく嬉しいこと何だろうなって・・・・・・・・
―――きっと、イーグが殺そうと思って殺せないものはないんだろうね?
ずきん! と、
不意に胸に締めつけられるように苦しくなった。
フロアは、さっきそう言った、俺に殺せないものは・・・ないと。考えるな。
そう頭で考えて、俺の思考は加速する。―――イーグ=ファルコムに殺せない物は存在しない。
天空八命星に殺せない物は存在しない。考えるな! 考えるな!
思考は、止まらない。俺は何でも殺せる。そう―――
俺は、気付いてしまった。
考えたくない、認めたくない事実を。きっと、俺は。
あの二人でさえも、殺すことができる。
街はいい天気だった。
雲一つない晴天―――ではなく、曇り空というわけじゃないけど青い空を背景にして、色んな形をした白い雲が適度に浮かんでいる。
私が一番好きな空の顔。
正直、 “雲一つない青空” というのはあまり好きじゃない。雲一つ無い、深い青の空を見上げていると、そのまま吸い込まれて―――なんというか、空へと落ちて行ってしまう錯覚に陥る。私はそれが好きじゃない。
「本当にいい天気ー♪ デート日和ってやつかなーっと♪」
んー。と、歩きながら軽く伸びをする。最近は北の方から冷たい風が吹いてたもんだけど、今日は久し振りにぽかぽかした陽気で、自然と顔がにんまり笑顔になってしまう。
これで邪魔者が居なければ、お相手がシードでも楽しい時間を過ごせそうなものだけどねぇ。
ふぉん。
と、柔らかな風が私の耳元をかすめるように過ぎ去っていく。
―――もとい、風が私の耳元に “囁き” を残して通り過ぎて行った。・・・ふぅん、尾行は三人か―――たかだか監視にしては大げさ過ぎると思うんだけどね。
笑顔のまま、他人には解からないように吐息。
口の中だけで “ありがと” と呟くと、風が嬉しそうに私の身体を愛撫する。ついで、とばかりに彼女はもう一つ教えてくれた。
「・・・・・へえ」
思わず足を止める。
怒り、を覆い隠すようにして無理に笑顔を形作る。
さらに思いっきり声を立てて笑い声をあげた。
「あっはっはははははははーっはっはっは!」
私は怒鳴るように笑い、脚を脱力。かくん―――と、身体を支えて居た膝が折れ、私の身体は低く沈んだ。
「人は地の道を! 風は空の道を!」
地面に倒れる。直前に私は全身の力を脚力に変えて地面を蹴った。バネのように宙に跳びだし、その私の背中に強風が叩きつけられる!
風に吹き飛ばされるようにして私は加速。
尾行者たちの慌てる様を風は中継してくれたが無視。意識を全て加速へと集中させる。
まさに疾風のごとき速度で駆けぬける私を通行人が振りかえるが、私の姿を捉えられたのはそのうちの二割にも満たないだろう。風の精霊の力を借りなければ、人外とも言える速度で私は待合わせの公園へと飛び込んだ。比較的大きい公園。しかし、この公園を作った人物は開放的な公園を作りたかったらしく、噴水と小さな時計搭、幾つかのベンチ。それから植林が少しあるだけの公園。端から端までどこからでも見渡せることができる。
だから、私の待合わせの相手の姿もすぐに発見できた。おまけに、その隣には学校の帰りだろうか、イーグと同年代の女学生が一人。私は確認すると同時、自分の手の中にモーニングスターを握り締めて居ることに気付く。何時の間に―――? と自分でも一瞬驚いたが、気を取りなおした。私の無意識ってすごい。自分で自分に感心しながら、待合わせの相手に突進する。
「シードッ!」
「・・・ん? フロア―――!?」
めきょ。
シードが完全に振り向くよりも早く、私の振りまわしたトゲ付き鉄球が、砕くでも打つでもなくただ “めりこんだ” 音を響かせてシードの顔面に付きささった。
「どぐぉぅっ!? 脳味噌が吹っ飛ばされたようにイタィィィィィッ!?」
「そのままあの世まで吹っ飛んでしまいなさいッ!」
「あ、あのなあフロア、幾らその鉄球がゴム製でも思いっきりブン回されりゃそのうち死ぬぞ!?」
「そうね、そしたら歴史に残るような医者になれたかもね」
「・・・馬鹿は死んでもなおらないんだぞ」
私の言いたいことを先じてシードは苦い顔で呟く。
「もしかしたら治るかも知れないじゃないの」
「治るかーッ!」
「・・・あのさ、シード。さっきから自分のことを思いきり “馬鹿です” って叫んでることに気付いてる?」
「うっ・・・!? いやまあそれはさておき―――」
「そ、それじゃあアタシはこれで・・・」
シードがなおも何かを言いかけようとするよりも早く、しばし呆然と私達のやりとりを眺めていた女学生が後ろむきにお辞儀しながら走るという器用なことをしつつ去っていく。
「あ・・・」とシードが声をあげた時にはすでに、彼女は公園から出るところだった。
「はううっ、あと少しで住所を聞き出せたのにー!」
「聞き出してどうするつもりよ?」
「は。愚問だな。もちろん――――――」
はた、とシードは動きを止める。
しばし十秒ほど、シードは言葉を止めたまま自分の時間も止めてしまったように動きを止めて。
「・・・どうするつもりなんだろう?」
「いや私に聞かれても」
「あ、そーだ。きっとアレだ。ラブレター」
「ラブレター?」
「 “あなたが好きです” とか百万回くらい書いた手紙を―――」
「それ、単なる嫌がらせ」
「・・・・・一千万回の方が良いか? だがしかし、流石の俺もそこまでは・・・・・」
と、シードは額に手を当てて苦悩。
百万回だったらやるんだろうか?・・・じゃなくて。
「ところでシード。デートする前にナンパとは・・・なかなかマメねぇ」
「ナ、ナンパなんかじゃないって。ちょっと道を聞かれてたから答えて居ただけさ。なんか彼女、この街に引っ越して来たばかりで道を知らないらしくって・・・」
「そうね、道を教えた後に改めてナンパしたんだものね」
「な、何故それを―――ってはぁっ!?」
失言に気付き、シードは自分で自分の口を塞ぐ。もちろん遅いけど。
「・・・・・・」
「はっはっは。いやなにちょっとした時間潰しなんだってばだよ。何故だかものすごくプレッシャーを感じるんで、そんな笑顔で僕を見ないで欲しいなー、とか」
「・・・・・・・・・・・」
「えーと、無表情だとさらに怖いです止めてくださいすいませんでした」
吐息。
まあ、こいつがこういうヤツだとは解かってるつもりだったけど。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ。やっぱ帰ろうかな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! チャンスを・・・もう一度だけチャンスくれ!」
シードの言葉に私はちょっと考えて―――
それからシードに背を向けて歩き出す。
もちろん、公園の外へと向かって。
「あうー・・・」
背中の方で、シードが情けない声をあげた。
はあ、とまた吐息して、私はシードを振りかえった。振りかえったシードの顔は、声以上に情けなかった。
「なにしてるのかな? デートするんじゃないの?」
「え」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当に帰ろっかな」
「ああっ、待て待て待て待てッ!」
物凄い勢いでシードが突進して来る。
思わず私は身構えたが、シードは私の眼前でピタリと急停止。あまった勢いで両手を私の両肩に沿える。
「する! デートしますって!」
「・・・わかったから、手を離してくれないかな」
私の言葉にシードは素直に肩から手を離して―――すぐに、私の横に並ぶと片手を肩に回して来る。
「いやー、驚かせるなよもう人が悪いぞフロアー」
「・・・手を離してって言わなかったっけ?」
「いいじゃん、肩くらい。―――あー、それにしても本気で泣きそうになったぞさっきの」
「・・・・・・・手」
「では行こうか! めくるめく官能と肉欲の世界へと!」
「そーゆー場所にいくつもりはカケラも無いんだけど・・・・・」
私は無理矢理に肩からシードの手を引き剥がそうとして。
やめる。・・・ま、いっか。
・・・・とりあえず、暗殺の可能性はないようだった。
暗殺、というか、ともかくシードが殺される可能性。それにしてもシードのやつ、どーしてフロアとの待ち合わせ前に他の女の子に声をかけたりするんだろう。
見つかればフロアが怒るってわかりきってんのに。
・・・・・・まさか、わざと怒らせてるワケじゃないだろーに。何気なく考えながら、俺はベンチから腰をあげた。
顔を隠すために目深に被った帽子の唾を軽くあげて、公園を出ようとする二人の背中を見送りつつ、俺はさっきまでシードが立っていた場所へと移動する。辿りつくと、なんとなく青空を見上げ―――俺は抜けるような青空、っていうのが好きなんだけど、残念ながら白い雲は幾つか浮かんで居た―――それからシード達が出ていった公園の入り口を振りかえった。
すると、公園で一休みでもしていたのか、訪問販売員らしき黒いトランクを抱えたおっさんが、公園をでようとするところだった。――――フロアの後を追いかけた時に一人。それからフロアを先回りして、公園に入ろうとした時に一人。で、今出て行ったのは最初の二人のうちどちらでもない一人。
三人。
俺は指折り数えて首を傾げた。
「なにそれ?」
街の雑踏を適当に歩きながら、尾行者に気取られないように自分の身体をブラインドにして、私は指を折って “3” をシードに示す。
しかし、シードは首を傾げただけだった。私はシードの顔をまじまじと見つめ。
「・・・きづいてないの?」
「なにが?」
・・・頭が痛くなってきた。
が、私は頭痛を振り払う様に首を振ると、シードの腕に強引に抱きついて引っ張る。「わ」とどこか戸惑ったような嬉しそうなシードの声を耳にしながら、シードの耳へとそっと囁く。
「尾行」
「・・・あー。なるほど」
ようやく納得がいった、とシードは頷く。
私はシードから腕を離そうとして―――しかしシードが私の肩を抱くようにして離さない。
立ち止まってシードの顔を見上げた。シードは特有のにやにや笑いを浮かべていた。
「・・・・・この格好、歩きにくいんだけど」
「俺は気にしないぜ?」
「・・・・・恥ずかしいんだけど」
「それも気にしない」
私は気にする。
言葉に出さずに私は文句を言った。
もちろん、シードには届かない。無言を承諾の意と思ったのか、肩を抱く力をちょっと弱めてそのまま歩きだす。
「ところで」
一言前置いて、シードは空いているほうの手で私に “4” を示す。
・・・4?
理解できず、再び私はシードの顔を見上げた。シードは「あれ?」ときょとんとした顔で私を見返していた。
「・・・気付いてないのか?」
「なにが?」
問いと疑問を発する人間が逆なだけのさっきと同じ会話。
しかし、さっきとは違い、シードは説明もせずに「どうでもいいか」とだけ呟く。
少し気にはなったが、まあシードが “どうでもいい” 言ったことをこちらから尋ねるのはなにか悔しい気がして、私も気にしないことにする。・・・・本当はすごく気になったけど。それから、しばらくたわいない雑談。
と、大きな通りに差し掛かったところでシードがわざとらしく大きく声をあげた。
「にしてもあれだよなー。人がデートしてるってのに、邪魔が多いよなー!」
「・・・!?」
ぎょっとする私に、シードはストリートの方を指差した。釣られて私もそちらを見やる。
「昔の人も言ったっけか? “人の恋路を邪魔するやつは馬車に曳かれて死んじまえ” 」
シードの指差した先、ストリートの右手から馬車が走ってくるのが見えた。瞬間、シードは私の肩から手を離すと、私の腕を掴んで走り出す。
抗議の声を上げることもできず、私はシードに引っ張られる形で通りを横断した―――その私のすぐ後ろで、ガラガラと馬車が石畳を蹴立てていく音が響く。
「もうちょっと走るぞ」
止まらずに、シードはさらに駆ける。
小さな脇道に飛び込むと、さらに小さな脇道―――道、というよりは建物と建物の間に出来た間隔の間をすり抜け、さらには見知らぬ家の勝手口に飛び込むと、そのまま窓を飛び出して庭に出て垣根を飛び越えて―――気が付けば、私達は最初の公園へと戻ってきていた。
どこをどういう経路で辿りついたのか全然わからない。ただ私は息を切らせ、シードに引っ張られるまま走ってきただけだった。
「ぜぇ・・ぜぇ・・・」
「楽しかったろ?」
息を切らす私の前で、平然とシードは言った。
流石に女と男では体力も違う。シードも多少は息を切らせていたけど、それでも普通に話せる余裕はあるようだった。
「なにが・・・はぁ・・・楽しい・・・ひぃ・・・」
「まー、いいじゃん。三人ほどお邪魔な人間を撒くことができたし」
「・・・あのねぇ、アレが・・・なんだか・・・わかってるの!?」
・・・やっと息が整ってきた。
軽く深呼吸して、私はシードを睨み付ける。
「あの尾行してたの、組織の―――」
「組織の? まさか」
「まさかじゃない! 組織の尾行者を撒くなんて―――下手をすれば、反逆行為でしょ!」
「ンな大げさな・・・・しかし、なんで組織の人間が俺たちのデートを邪魔するんだ? いや、そもそもどうしてお前はアレが組織の尾行者だってわかった?」
「それは・・・シルファが教えてくれたから」
「シルファ・・・って、お前が使役してるって精霊のことだっけ。あ! だから俺がナンパ―――じゃなくて、道を教えていたのが解かったのか。・・・でもさ」
にや、とシードはいつもの笑みを見せる。
「アレが組織の人間か、フツーはわからないよな?」
「え?」
「尾行者がいることは気配でなんとなくわかった。でも、それが何処の誰でなんの目的で俺達を付けまわしているのかはわからねーだろ?」
「でも、シルファが―――・・・なるほど、確かにわからないか」
シードの意図を察し、私は苦笑した。
つまり、彼はこう言っているのだ。自分たちは尾行者が組織の人間だと気付かずに撒いた、と。
尾行者を撒いたことによって詰問されれば “後を尾けられたから逃げただけ” と言えばいい。さらに問い詰められたら逆に、組織の人間が何故自分達を尾行するのか聞き返すだけだ。
「・・・しかし、わからないんだが。なんで組織が俺達を尾けまわそうとする? 外出届は出してあるだろ?」
「・・・・・・・・・・」
「フロア?」
「え!? なに!?」
「・・・・・・・いや、なんで尾行されてるのかって・・・・・」
「え、いや・・・なんでかしらね・・・」
「・・・どうでもいいか。ま、邪魔者も三人、居なくなったことだし、デートデートォ!」
「・・・恥ずかしいから黙って欲しいなぁ・・・」
腕をブンブンと振りまわすシードに、私は周囲の目腺を気にしながらつぶやいた。
・・・私はシードの疑問の理由を知っていた。
シードは、気付いていない。
自分がどれだけ重要な立場にいるかということを。
そして私はそれを伝えることはできない―――伝えられない。伝えてしまえば、私は―――
それから私とシードはデートした。
・・・といってもさっきと大して変わらず、街中を適当に散策しただけだけど。
なにせ娯楽の少ない辺境の田舎町だ。デートと言ってもなにもすることがない。―――考えて見れば、私はそういうことをしたことがない。
「一緒に外でて楽しいって思えりゃそれでデートさ」
百戦錬磨のシードはそんなことを嘯く。
その言葉に不覚にも説得力を感じてしまい―――不覚にも、シードのことが頼もしいと感じてしまった。
「俺は今、めっちゃ楽しいぜ。フロアは?」
楽しい? と尋ねた私に、はっきりと即答。
尋ね返されて、私は言葉では答えずに、少しだけ、頷いた。別になにをしているわけでもない。
普通に街中を二人で歩いて、普通に会話しているだけだ。
シードのコトだから、なんか色々といやらしいことしたり、いきなり路上に押し倒される―――なんてことされるのかと思ってたけど。
そんなことは全くなくて、ただ普通に。いつもどおりとはちょっと違った “普通” に、私とシードの時間が過ぎていった。
「おー。夕焼けー」
感嘆。
と、シードは西の地平線に沈もうとする真っ赤な夕焼けを眺めた。再三、私達は公園に戻ってきていた。
もうすで日も落ちようとしているためか、昼間ほど人はいない。人がいないだけでこんなにも雰囲気が違うものなのか。
静寂、静謐に包まれ真っ赤に染め上げられた公園は、まるで昼間とは別世界に思えた。
・・・苦笑する。
いつもの私ならきっとこんなことは思わない。今の私だからこそ感じる別世界。
「綺麗ね・・・・・・」
呟いて、はっとする。
・・・自分らしくない台詞。今まで、夕焼けを綺麗に思ったコトなんかなかった。
夕焼けの色は赤。
人が流す鮮血も赤。
夕焼けの赤と人の流す赤は違うと人は言うかも知れない。けれど。私は知っていた。夕焼けに照らされた赤い川のことを。
私の記憶、そのもっとも古い部分にある情景。
赤は美しくなどない。
ただ、証を残すだけ。
血の赤は、人が生まれ、生きて、そして死んだ証。
夕焼けの赤は、朝を迎え、昼が過ぎ、そして赤い証を残して夜になる。
どちらも跡には残らない。それでも、人の心に鮮烈に焼き付けられる。夕焼けの赤を綺麗と思ってしまうことは、それは死の赤を美しいと思ってしまうこと。
人を殺すコトにはなれてしまった。
私の手は花を摘むよりも、編物をするよりも、料理を作るよりも、なによりも人を殺すコトに適してしまった。それでも、私は死を美しいと―――芸術だとは思えない。
“闇の宴” は暗殺組織だ。
しかし、暗殺を生業としているという組織ではない。
いかに人を “芸術” として殺せるか。それを求めた暗殺者達の集団。
おそらく、シードは知らない。イーグは姉から聞いているかも知れない―――それでもその意味を理解しているとは思えない。シードは知らない。―――いや、解からない。シードは “人殺し” を嫌悪している。だからこそ、どうやって殺されるかを知らない。見えていない。だから、尾行者の意味が解らなかった。
シードは気付いていない。私とシード、イーグだけが “違う” ということ。
もしかしたらシードは気付いて居るのかもしれない。でもきっと、イーグと同じ。理解してはいない。人を殺せない、優しすぎる暗殺者―――シード=アルロードが組織にとってどういう意味で必要であるかと言うことを。
「・・・どうした? いきなり渋い顔して」
「え・・・? 私、ヘンな顔してた?」
こちらの顔を覗き込んでくるシードに、顔を反らしながら尋ね返す。
「・・・なにか、悩み事でもあるのか?」
「ないよ」
「嘘吐きー」
「・・・そうね、嘘よ」
苦笑。
私は頷くと、シードの顔を見返した。
「でも、あなたには話せない」
「―――でも、親父には話せるのか?」
「・・・・!」
親父。
一瞬、シードが誰のコトを言ったのか理解できなかった。
が―――すぐにそれが、アインダー―――シードの実父だと気付く。
「・・・・・め、珍しいじゃない。・・・ううん、初めて聞いた。シードがアインダーのコトを “親父” って呼ぶの」
「久々に感謝したくなったからさ」
「・・・え?」
「俺がここにいることに。―――あいつがいなけりゃ俺は生まれてない」
「・・・なんで、感謝?」
―――勿論、君と出会えたからだよマイハニー。
などと、馬鹿な笑顔を浮かべながら言って来るのかと思ったけど。シードは私を真剣な眼差しで見返してきた。
「解かったから。色々と」
「・・・え?」
そっ・・・と、シードは私の頬に手を添える。
「綺麗だ、フロア」
「・・・・・」
どきり、とした。
私の意思に関係なく顔に血が集まる。夕焼けがなければ、ゆでだこみたいに真っ赤になっていたのがわかっただろう。
が、しかし。
次のシードの言葉で、私は逆に青ざめた。
「あの時も同じように化粧していたな」
「・・・・・・・!」
「そ。俺が組織に引き取られる前―――正確には、俺のお袋が殺される直前。出会ってたんだよな、俺達は」
答えられない。
気が遠くなる。
まるで、夢の中の様に手足の感覚がなくなり、立っているのかそれとも地面にへたり込んで居るのかどうかすら確証が持てない。そう。
私とシードは出会っていた。組織で出会うよりも前に。私の初仕事にして、シードの母親を・・・・・・・殺す前に。
ターゲットの家―――つまり、シードの家の下調べのために、外から家を眺めていた時、偶然、家の外に出たシードと鉢合わせした。
もっとも、その時、私は化粧をしていた。変装、というよりは・・・どちらかといえば外出の身だしなみと言う意味で。
「つくづく感心するぜ。女って化けるもんだよなー。というか、お袋が殺されたショックで今まで俺が忘れてただけなんだけど」
「・・・・・・・・」
「その化粧がきっかけで思い出せた―――そして解かったんだ」
私は、なにも答えない。
シードはそんな私に向かって、一言。
「お前が、俺のお袋を殺したんだな?」
「・・・・・・・・そうよ」
「何故?」
「見せしめのため」
「見せしめ?」
「アインダー=ラッツへの見せしめ。当時、アインダーは組織にとってなくてはならない―――今もだけど―――存在だった。超人的な記憶力を持ち、組織のあらゆるデータを記憶し、さらに演算能力に優れている。・・・彼のコトを神の半身だと言った人間もいるくらい」
「あいつの自慢話なら勘弁してくれ」
「黙って聞いて。―――だけど、そこで彼女が現れた」
「・・・リウラ=ファルコム?」
「そう。彼女は暗殺者としては三流だったけど、それは “暗殺” が不向きと言うだけであって、戦闘能力は組織でも―――大陸でもトップクラスの人間だった。そして、それ以上に育成能力に優れていた」
私が知るだけでも、リウラ=ファルコムは三人の “最強” の暗殺者を育てている。
ホーリィ
≪聖別の≫レイグ=ガーランド
デ ス ト ロ イ
≪絶対殺人者≫諏訪 響子
デ ス テ ィ ニ ー
≪天空八命星≫イーグ=ファルコムイーグを除くレイグと響子の二人は、リウラ=ファルコムが組織を抜け出した時に、同じように行方不明になっている。
「・・・問題は、アインダーが彼女、リウラ=ファルコムを愛してしまったこと」
「はぁ?」
「神のような頭脳を持ったアインダーと、三人の強力な暗殺者を教え子に持ち、自身の戦闘能力も凄まじいリウラ=ファルコム。個人個人ならまだしも、その二人が手を結べば組織にとって脅威になる―――そう判断したの」
「・・・それで、俺のお袋を・・・」
「リウラ=ファルコムには弟が居た。・・・しかしそっちに手をだそうにも、リウラは四六時中、弟と行動を共にしていた。アインダーには自分が暗殺者だと言うことを隠して結婚した妻と、その息子がいた。―――だから妻を殺して見せしめにし、息子を引き取って人質にした。・・・シード、あなたを迎えに来たのはアインダーではなかったはずよ?」
「・・・ああ、そうだ」
「これが私の知っている全てよ」
「一つ、聞かせてくれ―――どうして、お前は俺のお袋を殺した?」
問われて、言葉に詰る。
が、すぐに口を開いた。
「私は・・・アインダーに拾われた。その私がアインダーの妻を殺せば、アインダーに大きなダメージを与えられる・・・そう、組織は判断したの。でもね」
自棄、だった。
これ以上言えば、まず間違いなくシードは怒り狂うだろう。
少なくとも、私を・・・・・・・好きだとは2度といってくれなくなる。でも。もしかしたら、シードは私の願いを叶えてくれるかもしれない。
私を、殺してくれるのかも知れない。
一度捨てたはずの願望。私は、今、またそれを感じていた。
「私はね、アインダーが欲しかったの。彼を、愛してたから・・・振り向いて欲しかったから―――だから」
愛情じゃなくても良い。
憎悪・・・憎しみでもいいから、彼に私のことを見続けていてほしかった。
だから、彼の愛する対象を殺すことに、なんの躊躇いもなかった・・・
「だから殺したの! でも、彼は振り向いてくれなかった!」
「嘘だね」
躊躇いはなかった・・・はず、なのに。
「なにが・・・嘘?」
「・・・色々と。一言で言うなら・・・・お前の気持ち、かな」
シードは、笑っていた。
夕焼けを背景にして、赤い逆光で良く見えなったけど、確かに。
いつものにやにや笑いではない。ほっとするような、なんだろう・・・暖かい、微笑み。
「怖かったんだろ」
「・・・・!?」
不意に、抱きしめられる。
気が付けば、私の頭はシードの胸に抱かれていた。
「親父・・・アインダーを取られるのが、怖かったんだろ? きっと、あの馬鹿はお前の気持ちなんか考えないで、俺やお袋の話をお前にしたんだろ。それが、お前には自分の大好きな人間を取られてるようで・・・・・」
「違う! 私は、アインダーを愛してたから―――彼が欲しかったから、だから」
「似たようなもんだろ。・・・それに、俺がお前の言うような気持ちだったら、お袋よりもまずリウラ=ファルコムを殺す」
「・・・彼女は殺せないわ。誰にも」
「そんなことは問題じゃない。本気でアインダーを欲しいというなら、リウラ=ファルコムを殺さなければならない。けれど」
「違う!」
「違うかよ。リウラ=ファルコムのことをお前は知っていた。でも、俺やお袋のことをお前は知らなかった。それが」
「違う! 違う違う違う! 違うッ!」
「それが、お前には溜まらなく怖かったんだ。アインダーに自分の知らない部分があるということが」
「違う――――!」
「でもな、お前は一つだけ間違えてる。アインダーは・・・あのクソ親父は、なによりもお前が大切なんだ」
「嘘よ! そんなことない。あるわけない!」
私はシードの胸を付き飛ばすと顔を上げて、シードの瞳を睨みつける。
そんな私の頭を、シードはぽんと叩いて。
「じゃあ、フロア。お前はなんでまだ生きてるんだ?」
「・・・・・・・それは」
「もう一度だけ言うぞ。あのクソ馬鹿親父はお袋や俺、リウラ=ファルコムよりもお前のことを大切に思ってる」
「なんで、あんたにそんなことがわかるのよ!?」
「・・・まー、親子だしな。或いは―――」
にや、とシードはいつものように笑って、
「同じ女に惚れた者同士ってのほーがいいかもな」
「・・・・・・・・・・・・・・・シードは、どうなの?」
「なにが?」
「私は、あんたの母親を殺した―――それを聞いて、どうも思わないの?」
「・・・がびーん、ショックー」
「ふざけないでっ!」
「―――正直、よくわからん。これが、例えばイーグがやったっていうなら、まず間違いなく半殺しくらいにはしてるんだろうが」
シードは肩を竦めた。
「お前相手なら怒りも失せる。事情も事情だ。―――俺が殺意を覚えるとしたら、親父に対してだが―――そんなものはずっと前から胸に抱いてる。し、事実を知った今じゃああの馬鹿を殺す気もなくなった」
「・・・どうして?」
「なにが」
「どうして、私を殺してくれないの!? アインダーも・・・あなたも! 私を殺して・・・殺してよッ!」
いつかアインダーにやったように、シードの胸元を掴んで揺する。
涙でぼやけた視界の向こうで、シードが驚きに目を見開くのが見えた気がした。
「・・・お前、死にたいのか?」
「そうよ!」
「ならイーグに頼めよ。あいつなら、多分、殺してくれる」
「私は、あなたに殺して欲しいのよ!」
「・・・女の子の頼み、特に惚れた女のだったらどんなんでも引き受けたいもんだがな―――そりゃできねーよ」
「どうしてッ」
「・・・俺は人を殺さない」
「―――臆病者ッ!」
私はイーグを突き飛ばすと、そのまま公園を飛び出した。
どくん、どくんと胸がなってる。
手は、自然にズボンのポケットに突っ込んであるナイフをまさぐっていた―――気がついて慌てて手を離す。
―――私を殺してッ・・・殺してよ!
この公園に戻ってきて、シードとフロアの二人が何を話していたのか―――良く、聞こえなかったけど。
フロアのその絶叫だけは聞こえた。
それを聞いてから、心臓の音がやけに五月蝿く感じていた。
「・・・なんだ、お前か」
「シード・・・」
何時の間に近づいてきたのか、目の前にシードがいた。
「四人目が誰かと思ったら―――オマエな、覗きなんかしてるとそのうち俺みたいになるぞ」
「シード・・・俺・・・」
「・・・なんだよ、どうした―――って、おい!?」
気が付けば、僕は泣いていた。
もう陽は落ちかかってはいたが、それでも公園の中にはまだ人が居た。だけど構わずに―――そんなことを気にする余裕もなく、僕は泣きじゃくっていた。
「なんつーか。女の子に泣かれるならまだしも、野郎に泣かれてもなぁ・・・」
自分の泣き声の向こうで、シードの声が聞こえた。
不意に、頭の上に手を置かれる。
「ほら、泣くな」
「俺・・・殺してしまうかも知れない」
「・・・は?」
「シードとフロアを殺してしまうかも知れない」
「なんでだよ?」
「僕は・・・気付いたんだ。シードとフロアを殺すことができるって―――でも、そんなこと絶対にあるわけないって思ってた。でも」
覚えがある感覚。
自分の奥底にある例えようのない殺意の衝動。それは、覚えがあった。確かに。
「フロアが―――フロアが叫んだのを聞いたとき、僕はフロアを殺そうとした。僕じゃない僕は、フロアを・・・シードを殺したがってる!」
覚えがあった。初めて、殺した時の感触を。僕は忘れることはできないから。
そう。
この感覚はあの時と同じ。カール=ケルヴィンを殺したときにあった衝動。あの時、僕は暗殺者ではなかった。ただの殺人鬼。
「どうしよう・・・僕は・・・どうすればいい?」
「よくわからんが」
と、シードは僕の頭を軽く小突いた。
ちょっと痛い。
僕は泣くのを止めて、シードの顔を見上げる。シードは、にや、といつもどおりの笑みを浮かべていた。
その笑みが、シード=アルロードである証だと僕は思った。シードだけが出来る、不敵な笑み。僕は、それを強いといつも思う。
「安心しろ。お前が―――お前じゃなくなった時、俺が殺してやる」
あまり、安心できるような言葉じゃなかったけど。
僕は、何故か安心できた。
自然と、笑みが、浮かぶ。
「シードなんかに殺されるわけないだろ?」
「じゃあ、少なくともお前を止めてくらいは見せるさ」
「・・・うん」
それは、約束だった。
血と同じ、赤い情景での約束。その約束は、やがて、忘れ去られる。
何故なら、イーグ=ファルコムはもういないから―――