パニック!

シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」


K【一年前の記憶 3】


 

「逃げるぞ」

 

 帰って来た途端、シードはそう宣言した。

 

「寝てる時間はねーぜ。決行は今夜! とりあえず目標は自由都市アバリチア! あそこなら出入もそれほど難しくないし、大きい街だから潜伏し易い。で、暫く落ちついたら隣のファレイス大陸に渡っちまえば、もー安全」

 

 そんなことを言いながら、シードは部屋でベッドに突っ伏していた私を、無理矢理にベッドから引き剥がした。
 ・・・恥ずかしい話、私はまだ泣いていた。最近、涙腺が緩みすぎているような気がする。まるで、幼い頃に戻ったみたいだ。

 

「・・・な、なに? なに、いってるの・・・?」

「だから脱走だって。人のデートに尾行つけるよーな組織にゃもう付き合いきれねー」

「・・・正気?」

「あたりき」

「正気じゃないわよ! 組織を逃げ出す? 自分の立場、さっき教えたばかりでしょ!? 暗殺者の集団に追いかけられるわよ!」

「こっちには最強の暗殺者が一人居るだろ?」

 

 その言葉で反射的に頭に単語が浮かぶ。
 天空八命星。

 と、気付いた。
 部屋の中を見まわしても、イーグの姿が見えない。

 

「・・・イーグ=ファルコムが私達の監視役だという可能性は考えないの?」

 

 私が言うと、シードは驚いたような目で私を見る。
 それから、はぁ、と吐息。

 

「なんだお前、イーグのやつを疑ってるのか?」

「・・・どうして信じられるの? イーグが来た時、おかしいとは思わなかった? アインダーが最年少にして組織内、最強の暗殺者をどうして私達に預けたか」

「アインダー=ラッツを信じる必要はねーさ。でも、イーグのことは信じてやれ。そうでなけりゃ、アイツが可哀想だ」

「信じられないわ」

「じゃあ、俺を信じろよ」

「貴方だって・・・私は―――私は、誰も信じられない」

「じゃあ自分を信じろ。で、その自分に惚れた男のことを信じて見ろよ」

「・・・滅茶苦茶な理屈」

「いーじゃんか、滅茶苦茶でも。盲信しろとはいわねーけどな、信じたフリでもしなきゃなんにもできない」

「どうして?」

 

 疑問。何故、シードは今になって脱走しようだなんて言い出すんだろう?

 

「どうして、逃げようだなんて・・・」

「さっきも言ったろ。人のデートをつけるようなヤボな組織、つきあいきれねー・・・」

「真面目に答えて!」

「限りなく俺は真面目なつもりだが」

「・・・なら私はいかない。そんな馬鹿げた理由で逃げ出して、暗殺者に命を狙われるなんて・・・ッ」

「そうか、それは残念」

「なんで・・・?」

 

 シードは肩を竦めると、私に背中を向ける。

 戸惑う私の目の前で、シードは部屋の中の自分の私物を漁り始めた。
 ・・・荷造りをしているつもりらしい。

 

「仕方ない。じゃあ、俺とイーグの二人だけで逃げることにする。―――なるべくお前には迷惑かからないようにするつもりだから安心し―――」

「待って!」

 

 思わず、私は声を上げていた。・・・声を出したことに気づいて、自分の口を塞ぐように軽く手をそえる。

 シードは荷造りを止め、驚いたように肩越しに私を振りかえっていたが・・・すぐに作業に戻る。

 

「待てない」

「・・・理由を、教えて」

「さっきの理由じゃ不満かよ?」

「嘘を付いている人間を、どうして信用しろって!?」

「信じられないならついてこなければいい。それだけだ」

 

 ・・・。

 私は、ベッドから離れると、そっとシードの背中に寄り添った。

 

「・・・信用、させて?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「お願い・・・」

 

 背中を通して、シードの心音が聞こえて来るような気がした。
 シードは振り向かなかったが、それでも作業は止まり、凍りついたように動きを止めていた。

 しばし、静寂。

 やがて。
 ぽつり、とシードが漏らした。

 

「・・・色んなことに気付いたからさ」

「え・・・?」

「気付いたんだ、お前のこと、イーグのこと、アインダーやお袋、・・・それから、俺自身のこと」

「気付いたって・・・なにを?」

 

 シードは、私の方を振りかえった。
 身体ごと向きを変えて、どこか照れたように天井に顔を向ける。

 

「お前達は、こんな所にいちゃいけないってことだよ」

「・・・・?」

「お前や・・・イーグは、きっと、暗殺者なんかやってちゃいけないんだ」

「なに、言ってるの・・・?」

「フロア、お前に人は殺せない」

「! ・・・なに言ってるのよ! 私は暗殺者よ? 現に、今までだって・・・・・!」

「後悔、してるだろ?」

「な、なにを?」

「俺のお袋を殺したこと」

「・・・・・・それは」

 

 後悔・・・してないと言えば嘘になる。

 けど、あれは・・・私は―――

 

「そうやって、人を殺すたびに後悔して―――自分を傷つけていけば、きっとそのうち壊れちまう」

「・・・なんで、そんなことをあなたに心配されなきゃならないのよ! 人を殺せない・・・って、それはあなたのことでしょう!?」

 

 人を殺せない暗殺者。
 シード=アルロードはそれだった。
 何回か仕事をやったが、一度も人を殺すことができなかった。

 今では、シードに回って来る仕事はない。
 それでも彼を組織が飼っているのは、アインダー=ラッツに対しての人質と言う意味でしかない。

 

「それに、私は・・・何度も言うけど、あなたの母親を殺した―――どうして・・・そこまで・・・」

 

 と、シードは天井へと向けていた顔を下ろし、私へと向ける。

 

「ああ、それは間違いだ」

「・・・間違い?」

「俺のお袋を殺したのはお前じゃない。俺だ」

 

 シードは自分自身を指差す。

 ・・・え?

 

「どういう、こと? 私は確かに―――」

「多分、初仕事だったんだろ? ・・・・・お前の一撃は急所を外れてたんだよ」

 

 そう、シードの母親を殺す。
 それが私の初仕事だった。だけど・・・

 

「俺がお袋を発見した時にはまだ生きてた。瀕死だったがな。・・・もしも俺が応急手当のやり方を覚えてて、手当てすることができたのなら、お袋は死なずに済んだのかも知れない。けど」

「どうして・・・?」

「怖かったんだ」

「・・・怖かった・・・?」

「真っ赤な血をどばどば流して、それでも呪祖のように呻き声をあげながら生きている人間・・・俺の目には、それがお袋じゃなくて、なにか未知のバケモノに見えたんだ」

「だから・・・殺した?」

「近くにあった果物ナイフで一突き。・・・素人で、急所の位置も満足にわからないハズなのに、正確に急所を綺麗に一突き。まるで芸術的な切り口だとさ」

 

 そう言って、可笑しそうにシードは笑う。

 私は・・・とてもじゃないけど、笑えるような気分にはなれなかった。

 

「人を殺す素質があるらしいぜ、俺は。・・・かのリウラ=ファルコムにそう言われた」

「・・・彼女が?」

「すごいだろ?」

「・・・そのこと―――あなたが殺したって・・・アインダーは知っているの?」

「知ってるだろうな。だから、俺は組織に引き取られた―――本当は俺を何処かの施設にでも押し込むつもりだったらしいけどな」

「でも・・・でも! あなた人を殺すコトなんて・・・!」

「できねーよ」

 

 私が言おうとしたことを、先じてシードは肯定する。
 それから、堪えきれないっ、とでもいうかのように含み笑いをしながら。

 

「お袋の姿がちらついてさ。・・・俺は、人を殺せない――――――笑えるだろ? 殺人の素質を見せつけたことがきっかけで、俺は人を殺せない無能な暗殺者になっちまった」

「・・・・・・・・」

 

 笑う余裕もなく、私はただじっとシードの言葉を聞いていた。

 聞きながら、色んなことに納得していた。
 アインダーが私を殺さなかったこと。
 リウラ=ファルコムがシードのことを評したこと。

 それから・・・人が死ぬたび、シードが苦しんだ理由を。

 

「罪と・・・罰?」

「ん?」

「なんでもない」

 

 私の呟きを聞きとがめて首を傾げるシードに、私は軽く手を振った。

 罪と罰。
 シードが、この組織にいるのは・・・もしかしたら、それが罰だと感じているからだろうか?
 人が殺されるたびに、シードは自分の母親が殺される。
 この組織に居る限り、シードの母親は殺されつづける・・・

 確認するつもりはない。でも、私にはそう思えて仕方がなかった。

 だから、私は一つ頷いて、

 

「・・・わかった。逃げだそう、三人で。こんな場所・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宵闇。
 振りかえれば綺麗な丸い月が浮かんで居る。
 冷たい高地の風が吹いて、私は足を止めて息をつく。
 拭うたびに涌き出るように流れる汗は、すぐに熱を失って、顎を伝って地面に落ちる。
 ・・・高地の風は冷たいが、私の身体は熱く火照っていた。だから、風がとても気持ちいい。

 組織を脱走して四日。
 私達は山を越えてようとしていた。

 脱走行は、以外と平穏だった。
 昼に潜み、夜に動くという隠密行動を取っていたが、追っ手の姿はなかった。
 ・・・だからこそ、シードにも余裕が出来たのかもしれない。
 そうでなければ、わざわざ山を―――アンディット山を越えようだなんていわないはずだ。
 確かにこの山を越えればアバリチアは目と鼻の先だが、山を迂回して街道を行ったほうが絶対に速い。

 アンディット山。
 大陸最大の山であり、大陸中の登山家の聖地でもある。
 この山を一年に一回は登らなければ、登山家とは呼べないとかどうとか。
 もっとも近年は、山道も整備され、途中まで馬車で登ることができるために、観光地然としてきているが。

 ・・・・・・・が、今、私達が登ってるのは整備された登山道ではなく、獣道同然の道だった。
 ふと、後ろを振りかえる。
 が、なにも見えない。

 シードは夜目が効くし、イーグには天空八命星がある。私にはシルファ―――風が周囲の情景を伝えてくれるから、真っ暗闇でも歩くのには困らない。
 だけど・・・

 

「はあ・・・」

 

 闇の中、それもうっそうと木や植物が生い茂る山道―――さらに加えれば、人ではなく獣が通る道だ―――を歩きつづければ流石にバテる。

 

「フロア?」

 

 私の前をあるいていたイーグが振り返った。
 ・・・それで、自分が立ち止まっているのに気付いた。

 

「お? どーした?」

 

 続いて闇の向こうで、先頭を歩いていたシードの声。
 しばらく歩いてから、私のことに気がついたのか、ざっざっと戻ってくる足音が響く。

 

「フロア、疲れたのか」

「・・・・・」

 

 私は答えなかった―――答える気力も無い。
 疲れない方がどうかしてるのよ!―――と、喋る代わりに心の中で思いきり毒づいた。

 

「やっぱりムリだと思うんだが」

 

 ぽつり、イーグが呟いた。

 

「地図もなくて、1度も登ったことのない山を―――夜に越えるなんて」

「安心しろ、俺は1度のぼったことあるし」

 

 にや。シードはそう笑って胸を張る。

 だけど、イーグは「むう」と唸ると、

 

「そう。俺もそれで1度は安心した―――が、シード、お前がこの山登ったのって、普通の登山道じゃないのか?」

 

 繰り返して言うけど、今、私達が歩いているのは登山道ではない。
 獣道同然の道なき道だ。

 

「俺を甘く見るなよ? 普通の登山道なんかで満足出来るわけないだろう!」

「・・・満足して欲しい。お願いだから」

「イーグ! 一言人生に付いて語っといてやろう!」

 

 シードはびしぃっ! とイーグに指を付きつける。

 

「急がば迷え!」

「・・・ “まわれ” じゃなかったか―――って、まさか! 迷ってるとかいわないだろうな!?」

「実は遭難だ」

「なにぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 イーグの絶叫。
 なんでこんなに元気なんだろうと、半ば呆れ、半ば羨ましく思う。

 ひゅう、と風が吹いた。

 お節介な風が、私の耳に囁いた。
 それを聞いて、私は笑う。それから頭を抱えているイーグに向かって、

 

「・・・イーグ、迷ってないから安心して」

「「へ?」」

 

 シードとイーグ、異口同音に疑問の音。

 

「何故に解かった!?」

 

 やたらと悔しそうにシードが地面を何度も踏みつける。
 それを、イーグが半眼で見つめ、

 

「嘘・・・なのか?」

「気の利いたジョークと言ってくれ」

「どこが気ぃ効いてるんだよ!? 心臓止まるかと思ったろ!?」

「ふふふふふ・・・俺は暗殺者だからな」

 

 ―――人を殺すことが出来ないくせに。

 にやり、と笑うシードに、私は苦笑。
 以前の私なら、黒い衝動―――嫌悪―――殺意とよばれるものを感じたはずの、シードの台詞。だけど、今はもうなにも感じはしない。
 そのことに気付くと、自分が、まるで生まれ変わったかのように感じる・・・嬉しく思う。

 そう、考えると、何時の間にか疲れも吹き飛んでしまった様だった。
 私はやいのやいの言い合っているシードとイーグのわきをすり抜けて、一歩、先を進んで振りかえる。

 

「ほら、早く行こ。アバリチアまでもうすぐそこなんだから―――」

 

 私の言葉が終わるか終わらないかのうちに―――

 

 ―――かっ。

 

 周囲。生い茂る木々ごと私達を、

 白い、閃光が灼いた。

 

 

 

 

 

「ちぃっ!?」

 

 光に照らされない木々の闇の向こうから、無数の矢が飛来する。

 ―――先ほどの閃光の正体は、私達の周囲に浮かんでいる三つの光球だった。
 閃光球、と呼ばれるその球は、魔道士の初歩的な術であり、周囲の闇を照らす光源に過ぎない。

 追っ手の中に魔道を扱える人間が居る・・・
 そのことに心の中で舌打ちしながらも、私は反射的に叫んでいた。

 

「盾よ!」

 

 私の言葉に応え、風が矢を反らす。

 ・・・私が普通の精霊使いならば、魔道士の力量によってはこの風を封じられるかもしれないけど、私は精霊士。
 風に対して絶対的な支配力を持つ私には、どんな高位の―――例えるなら、かのルーンクレストの学園長でも、私の風を封じることはできない。
 私と同じ、風の精霊士が居るなら話は別だけど―――そうそう精霊士なんてものが存在するわけがない。

 

「盾は嵐・嵐は鎧・全てをなぎ払う荒々しき武装!」

 

 さらに強くなった風が、続けて飛んでくる矢を叩き落していく。

 それを眺めながら、私はさらに叫んだ。

 

「虚空には風霊・風霊は空を渡る・渡る道はいずこ?」

 

 風の盾の数カ所が、揺らぐ。
 それは標。
 風が教えてくれる、その揺らぎの先に標的が居ると言うこと。

 

「シード! 見える!?」

「スカートじゃないから見えない」

 

 私は二日前に小さな村の行商人から買った旅装束を身に纏っていた。
 女性物だけど、当然、スカートなんかじゃない。足元まですっぽりと覆われている巻頭衣だ。

 ・・・って、違う。

 

「シード・・・!」

「わかってるって!」

 

 怒鳴ろうとするよりも早く、速く、シードは自慢のスリングショットを構えていた。
 風の揺らぎに向かって。

 ―――風の盾とか、表現しているけれど、当然、風を目で見ることなんかできやしない。
 もちろん、精霊士である私は風の流れを “見る” ことはできるけど、魔道士ですらないシードが風の揺らぎを見ることはできるはずがない。

 ・・・ないのだけど、シードには見えるらしい。いや感じる、と言ったほうが正しいのかも。
 ずっと私の傍に居る影響か、それとも精霊使いの素質があるのかもしれない。
 ともかく、シードは私の風を見る―――というか “感じる” ことができる。

 

「食らいなッ! サイレント・ドリームッ!」

 

 シードのスリングショットから、白い弾丸が発射された。
 それは、的確に風の “揺らぎ” を貫いて、木々の闇の中に消えていく。

 悲鳴は、聞こえない。

 が、風が教えてくれる。
 その弾丸が、追っ手の一人に命中し、その追っ手が眠ったことを。

 

「・・・眠り薬・・・・・?」

「ただの眠り薬じゃないぜ、なんとノンレム睡眠な眠り薬だ!」

「・・・なんだそれ」

 

 私の呟きにシードがにやりと笑い、イーグが首を傾げる。

 ・・・こんな時でも、シードは人を殺せないらしい。
 私は、シードの手持ちには猛毒の弾丸もあることを知っている。
 けど、シードはそれを使わない―――少なくとも、自分に余裕のあるうちは・・・

 

「サイレントッ、ドリームッ!」

 

 シードは次々に “揺らぎ” に向かって弾丸を撃ちつづける。
 揺らぎを弾丸が貫くたび、飛んでくる矢の数は減って行き―――やがて。

 

「止んだ・・・?」

「ってぇことは・・・・・」

 

 風の囁きに、私は身を強張らせた。

 

「攻撃魔法が来る!」

 

 私が叫ぶと同時に、閃光球とは別の―――赤い、炎の光が眼前の闇に膨れ上がる。
 風で凌ぎきれるか―――!?
 炎に対して風は相性が悪い。風は炎を煽り、その勢いを増す。火炎の魔法に対して、風は反らすことは出来ても防ぎきることは出来ない。
 ましてや周囲を木々で囲まれた場所では、周囲を炎で囲まれる可能性が高い!

 半ば絶望を感じながら私は風を―――

 

「天空八命星―――」

 

 私の風を突き破り、イーグが前に出た。
 手には一振りの変哲のないナイフだ。

 シードが何かを叫ぼうとした瞬間、イーグの目の前に炎の塊が出現する。そして。

 

「―――虚空殺!」

 

 音もなく。炎は消えた。

 

「・・・な・・・!?」

 

 私の耳もとに、シードが驚きに息を飲む音が聞こえた。
 どうやらシードは天空八命星を見るのは初めてらしい。
 ・・・驚いているのは私も同じ。
 天空八命星がどんなものかは知っていたつもりだけど、火炎球をナイフの一振りで消滅させるなんて・・・・・

 今の火炎魔法で木々の焦げた匂いが漂う。
 幸い、木に火はつかなかったようだった。

 

「―――来る」

「え?」

 

 シードの呟き。
 私が聞き返すと同時に、イーグが動いた。私の方へと。

 

「殺ッ!」

「・・・うしろっ!?」

 

 何時の間に接近されたのか、背中に殺気が膨れあがる。

 ―――狙撃手や魔道士に気を取られすぎていた・・・っ。

 振り向けば、全身を黒い戦闘服で身を固めた暗殺者が、反りのあるやや長めの短剣を手に迫っていた。

 

「風は叫び!」

 

 風が暗殺者を抑えつけ、その動きを鈍くする。
 そこへ―――

 

「おおおおおおおおおおおッ!」

 

 ナイフの一撃が、暗殺者の頚動脈を貫いた。
 噴水のように血が吹き出す。

 今のは・・・イーグじゃない!?

 

「あ・・・はあ・・・・ああ・・・はあッ―――」

 

 紅に染まったナイフを逆手に握り、呆然と立ち尽くして居るのは・・・・シード。

 シードが、暗殺者を殺した・・・・!?

 

「・・・シード!」

「はぁ・・っは・・あ・・・・」

 

 

 返り血を全身に浴びて、シードは呆然と立ち尽くしていた。

 シードが人を殺した。
 ・・・酷く、現実のみの無い・・・まるで夢幻のように私は感じた。
 ああ。
 今にして気付く。
 私は、シードが人を殺すところなんて見たくなかった・・・!

 

「次、来るぞ!」

 

 イーグの声に、シードはびくっと身を振るわせた。

 森の中から現れたのは三人。
 どれも見覚えのある―――組織でみかけたことのある、腕のいい暗殺者たち。
 長くは無いが、鋭利な刃物の付け爪をつけた白髪の青年。片目が潰れ、片腕の肘から先が無くなっている壮年の男。それから、黒いフードで顔から全身からを隠した魔道士。
  ウォルフクロー             ポイズン                 ヒ ド ラ
  “ 狼 爪 ” ロッキング=ロック、 “毒性” ブリズ=チェックメイト、 “火竜” イディア・・・

 三人とも一流の暗殺者であり―――たかが、脱走者三人を連れ戻すにしては大仰過ぎるような気がする。

 ・・・いや。
 こっちにイーグ=ファルコムがいるなら、これでちょうどいいくらいだと考えて居るのかもしれない。

 

「・・・抵抗するな。抵抗しなければ、命だけは助けてやらんでも無い・・・」

 

 イディアがフードのしたからか細く、しかし遠く響き渡るような声で言う。

 ・・・なにを。
 弓矢を射かけて、問答無用で殺そうとしたくせに・・・・・!

 

「・・・シード、イーグ、逃げるわよ・・・」

「・・・・・」

「シード・・・?」

 

 ふと、私はシードの異変に気付いた。
 シードは、さっきから呆然とした状態のまま―――ゆっくり、ゆっくりと三人の暗殺者を見上げて。

 その姿が消えた。

 ―――え?

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 シードの雄叫び。
 振りかえると、シードがナイフをロッキングの胸に付きたてる所だった。
 反応すらできずに、ロッキングは命を閉ざす。
 その身体が地面に伏すよりも速く、シードの蹴りがブリズのこめかみを捕らえた。

 

「―――ッァ!?」

 

 くぐもった悲鳴を上げて、コマのように回転して吹っ飛ぶブリズ、その額を正確にシードの撃ち出した弾丸―――――いや、鋭く先の尖った太い鉄針が貫く。

 

「なんだと・・・!?」

「死ね」

 

 困惑するイディアに、シードは簡潔に呟くと、その急所を正確に、深々とナイフを付きたてた。

 

「なにもの・・・だ、きさま・・・・・・・」

 

 イディアは即死では無く、声と同じようにか細く息を吐いたあと、がくりと首を立てて動かなくなる。
 シードがナイフを引きぬくと、イディアの身体は他の二人と同じように地面に落ちた。

 

「はあっ・・・はあ・・・・・・・ああ・・アアアアアアアアアアッ」

 

 イディアを地面に落したシードはそのまま泣くように天に顔を上げて叫ぶ。

 

「シー・・・・・!」

 

 シードに声をかけようとした瞬間、私たちを照らす光の中に、さらに数人、暗殺者が飛び込んでくる!

 

「風は叫び!」

 

 私の解き放った風の一撃が、暗殺者の一群を踏みとどませる。
 その一瞬の隙をついて、イーグが私の操る風にも劣らぬ速さで駆け抜け、次々に血の華を咲かせていく。

 赤い、赤い、赤い情景。
 一瞬、私はこの状況を、彩られる赤を美しいと感じてしまった。

 最初の一群が全滅した刹那、また闇の中から暗殺者たちが出現する。

 

「無駄だって、どうしてわからないんだろーな」

 

 軽く肩を落とし、イーグが消失―――いや、イーグの存在が消失する。

 天空八命星・虚無。
 己の存在を零にまで薄め、この世界そのものから隠れるという。
 実際、イーグはそこに居て、見えているはずなのだが、それを誰も知覚できない。

 

「・・・無駄だろ? 意味なんか無い」

 

 イーグの存在が出現した瞬間、暗殺者の第ニ陣もまた、なにもできないウチに全滅していた。

 ・・・次の瞬間には、再び現れる暗殺者たち。
 イーグは顔を歪め、荒く息を吐き出すと、刺々しく怒鳴りつける。

 

「くそこいつら・・・結構、疲れるんだぞ! ふざけんな!」

「イーグ!」

 

 三度暗殺者たちと向き合ったイーグに、シードの声が飛ぶ。
 ・・・気が付けば、シードの絶叫は、止まっていた。

 シードは、身体中を赤く染め、無表情に―――しかし、瞳だけはぎらぎらと見開いてイーグを睨みつけていた。

 

「イーグ・・・フロアを連れて逃げろ」

「・・・え?」

「早くしろ!」

 

 シードの声に、イーグはびくっと震えて二度頷くと、私の手をとった―――イーグが私の手を握ったと気がついたのは、イーグに引っ張られて闇の中へと飛び込む寸前だった。

 それまで、私は―――いや暗殺者たちを含むその場の全員が、シードの一喝に威圧されていた。

 

「シード!」

 

 首だけ後ろを振り向いて叫ぶ。

 シードの姿は見えず、シードを取り囲んだ暗殺者たちの黒い装束だけが目に焼きついていた―――・・・

 

 

 

 

 

「虚空殺!」

 

 シードの一撃が、追ってきた暗殺者の一人を屠る。

 ・・・遠く、下の方で川の流れる音が聞こえる。
 どうやら、イーグは川沿いに進んで居るらしい。そんなことをぼんやりと思いながら、私は走り続ける。

 

「・・・しまった!」

 

 イーグの声。
 ふと周囲を見渡せば、背後を崖にして暗殺者たちに取り囲まれて居た。

 

「・・・大人しくしろ! そうすれば女の方だけは助けてやる・・・」

 

 ・・・どうやら私は助けてくれるつもりらしい。
 それを聞いて私は心の中で笑った。
 笑いながら、私はイーグを振り返った。イーグは沈痛な面持ちで、

 

「ここまでだな・・・」

「・・・あなた一人なら、生きられる」

「なに?」

 

 驚いたように私を見返すイーグ。
 そんなイーグの身体を軽く押しながら、私は叫んだ。

 

「風よ!」

 

 風に包まれて、イーグの身体が崖の中へと押し出される。

 

「フロアーッ!」

 

 崖の下からイーグの声が僅かに響く。

 ・・・これで、いい。
 風の加護とイーグの身体能力があれば、生き残る可能性は大きい。

 これで、いい。
 死ぬのは、私とシードだけで。
 イーグにまで付き合わせる必要はない。

 自分が死ぬことを望む暗殺者と、人を殺せない暗殺者。
 できそこないの暗殺者は、例え生まれ変わろうとしてもできそこないだ。

 だから、私はシードと共に死ぬことを望む。

 

「・・・ちっ、一人逃がした―――」

「いや、この崖だ。生きちゃいないだろう・・・」

「ま、命令は女を生け捕りにしろ、だったしな―――さあ、大人しく」

「邪魔よ」

 

 私の周囲を取り囲んだ暗殺者たちを風の一撃が薙ぎ倒す。

 

「風は空の道を! 誰も見切れぬ虚空の道を!」

 

 風が私を包み込む。
 例えるなら風の弾丸。
 風になり、夜の山を、密度の高い木々の合間をすり抜けて、私は飛翔する。シードの元へと。

 私は死ぬことを望む。
 でも、ただで死ぬのは嫌。
 だからイーグ、あなただけは生き延びて。私とシードが生きた証として・・・・・!

 

 

 

 

 

 ばさばさばさっ!

 

「―――!」

 

 眼前に鳥の翼―――梟かなにか―――思いっきり正面衝突し、強引に鳥をはじき返したものの、バランスを崩して地面に墜落する。
 なんとか受身をとって起きあがった瞬間、私はあまりの眩しさに瞳を閉じた。
 網膜を焼きつける白い光に抵抗しながら、ゆっくりとまぶたを開けていく。

 ・・・そこには。

 

「・・・フロア! なんでだ!」

 

 驚いと怒り、それから嘆きをごちゃまぜにしたような表情を浮かべたシードがいた。
 ・・・さっき、暗殺者に襲撃を受けた場所。
 おそらくは術者であるイディアが死んだと言うのに、閃光の球はまだ周囲を照らしつづけていた。

 その閃光の中には人影が二人。他は全て死体。
 死体の数は、私とイーグが逃げる前よりも増えているようだった。

 そして二つの人影のうち、一人はシード。そしてもう一人は・・・

 

「アインダー・・・・・・」

「ようやく・・・みつけた、フロア・・・!」

 

 私の姿を見て、アインダーはぎこちない微笑を浮かべた。
 ・・・あまりみたことのない、アインダーの微笑みに、私の心臓が高鳴った。

 

「フロア、なにしてる逃げろ―――!」

「そうはいかんな」

 

 ぱちん、とアインダーが指を鳴らす。
 と、闇の中から数人の暗殺者が現れて、私の身体を拘束する。

 

「フロア!」

「さあ・・・シード。どうする?」

「・・・てめぇ」

 

 シードはアインダーを睨みつけ―――ナイフを構えた。
 アインダーは無表情に、それを冷たく見やり、

 

「・・・それが、答えか?」

「俺はお前のことは嫌いじゃなかった」

「だから殺せなかった・・・と?」

「―――お前を否定することができなかった。今なら、俺はお前を消すことができる」

「・・・フロアと共に私の元に戻れ、シード。今なら許してやる」

 

 笑う。

 笑ったのはシード。

 声を高らかに、馬鹿見たいに笑い出した。

 

「哀しいやつだなアインダー=ラッツ。憐れだよ、お前は」

「・・・なに?」

「リウラ=ファルコムがどうしてお前を見捨てたかわからないか? どうしてイーグをお前に預けたかを」

 

 イーグはそこまで言うと、ナイフを逆手に持ち、身を低く構える。

 

「それがわからないから憐れだというんだよ!」

「黙れ・・・!」

 

 動いたのはアインダーが先だった。
 それに呼応するように、シードの身体が跳ねる。

 アインダーの拳とシードのナイフがぶつかり合い、ぎゃりっ、と金属同士がこすり合う音が響いた。

 見ると、アインダーの手には鉄の輪が握り込まれて居た。

 

「もうちょっと暗殺者らしい武器を使えよ。殴り殺すのは手間だろう・・・?」

 

 シードが皮肉げに笑う。アインダーは答えずに、シードへと飛びかかった。

 アインダーの攻撃を、シードが受け流し、シードの反撃をアインダーはかすらせもせずに回避する。
 そんな攻防がししばらく続く。

 その間、私は二人の闘いを眺めることしかできなかった。
 風を呼ぶことも忘れ、ただ二人の―――親子の闘いをぼうっと眺めているだけだった。

 

「この・・・ッ」

「・・・貴様の動きは見切っている―――もはや当たらん!」

 

 シードの一撃はアインダーにかすりもしない。

 逆に、アインダーの攻撃は徐々にシードを追い詰めているようだった。

 あらゆる物を “数字” で見ることが出来、その数字を “計算” することにより、あらゆる事象を予測してしまうアインダーの能力・・・
 そして、あらゆる武術を記憶している頭脳。
 そんなアインダーを倒すコトなんて・・・できない。

 

「くそおおおっ!」

 

 自棄になったような声を上げて、ぶん、とシードが大振りにナイフを振るう。しかし、それをアインダーは難無くかわした。
 大きく空振りをしたシードは態勢を崩して、そのまま地面に倒れ込む。
 仰向けに倒れたシードの腹を脚で抑えつけて、アインダーは冷ややかにシードを見下ろした。

 

「・・・終わりだ」

「どっちがだ・・・?」

 

 にやり、とシードはアインダーを見返し―――

 

「・・・な、に・・・?」

 

 狼狽したようにアインダーは目を見開いて、ニ、三歩後ずさる。
 そして、自分の胸に突き立ったナイフの柄に手を沿えて―――

 ・・・・・え?

 

「馬鹿な・・・こんな・・・何時のまに・・・・・・?」

 

 ごぼっ、と血を吐きながら、アインダーは胸のナイフを引きぬいた。
 シードはゆっくりと立ちあがる。にやりと、笑みを浮かべたままに。

 

「・・・リウラ=ファルコムが育てた暗殺者は、三人じゃなくて四人だった・・・って言ったら笑うか?」

 

 シードの言葉にアインダーははっとする。

 

「まさか・・・・・・そんな、馬鹿な・・・・・!」

「そうだよ。馬鹿な話だ。
 ≪聖別の≫レイグ=ガーランドは精神の消殺を。
 ≪絶対殺人者≫諏訪 響子は肉体の完殺を。
 ≪天空八命星≫イーグ=ファルコムは虚空の暗殺を―――そして」

 

 シードは自分を親指で指差す。
 アインダーや他の暗殺者―――そして、私自身、半ば呆然としながらシードの言葉を待つ。

 

「そして・・・≪千里眼≫シード=アルロードには、 “万能の瞬殺” を叩き込んだ。いつ、いかなる時、どんな状況であっても、誰にも見えないほどの “速さ” で人を殺すその意味を!」

「・・・戯言を」

 

 アインダーが口元の血を拭いながら、シードを恐ろしい形相で睨み付ける。

 

「お前がッ、彼女と接触したことがあるはずがない―――」

「あるんだなぁ、これが」

 

 そう。
 私は知っている、シードがリウラ=ファルコムと会っていたことを。

 

 

 ―――――これなら、アインダーの息子の方が楽しめたわね。

 

 

 彼女は、私にそう言った。
 彼女は知っていた。シードに、 “人を殺す” その素質があることを。

 

「ぐぁッ―――!?」

 

 アインダーが悲鳴を上げる。
 巨躯とは呼べなくても、それほど小さく無い身体が地面に崩れ落ちた。
 ―――肩を抑えている。万能の瞬殺。見ることも出来無いほどの速撃は、今度はアインダーの右肩を貫いて居た。

 

「・・・も一つ教えておいてやる。リウラ=ファルコムは、あんたを殺すために、俺に “瞬殺” を叩き込んだ・・・」

「馬鹿な―――彼女が私を・・・」

「信じたくなけりゃ信じなくてもいいさ。だが―――事実だ」

 

 シードはカチリ、と腕のスリングショット内臓のポーチに、なにかをセット―――おそらくは致命傷を与えうる弾丸―――しながら、ゆっくりと地面に膝をついたアインダーへと歩み寄る。

 アインダーは脂汗を浮かべて、それを見上げていたが―――口の端をわずかに持ち上げたのが見えた。

 

「かかれッ」

「―――!」

 

 アインダーの号令に、周囲の木々の影に隠れて居た暗殺者たちが一斉にシードに向かって飛びかかる!

 

「シード!」

 

 ―――風ッ!
 シードの名を叫びつつ、私は風を呼んで、私を拘束している暗殺者たちを弾き飛ばす―――が。

 ―――間に合わない!?

 

「・・・残念」

 

 にやり、シードは笑う。
 次の瞬間、地面に倒れていたのは奇襲をかけた暗殺者たちのほうだった。

 

「―――言ったろ? ≪千里眼≫シード=アルロードって・・・俺は周囲の気配を完全に読み取ることができる。俺に伏兵は通用し・・・・・」

「風よッ!」

 

 ごうっ、と。
 突風が巻き起こり、シードの身体を風が押さえつけた。

 

「・・・なッ!?」

 

 ・・・シードには精霊使いの素質があるかも知れない。・・・けれど、シードは精霊使いではないし、魔道士でもない。
 風を振りほどくことはできない・・・・・

 

「なんで・・・ッ!?」

 

 シードは地面に抑えつけられながらも、なんとか首を動かして私の方を見る。泣きそうな、悔しそうな、哀しそうな顔で。
 そう。
 今、シードを抑えつけて居る風は、私の風だった。

 

「・・・伏兵は通用しないのでは無かったか・・・?」

「アインダー・・・てめぇッ!」

 

 アインダーの嘲笑に、シードは哀しみを消して代わりに怒りを露わにして睨みつける。

 しかしアインダーはそれを無視し、私の目の前まで歩み寄る。
 私は、彼に上目遣いで尋ねる。

 

「・・・これで、良かった・・・のよね?」

「勿論だ」

「―――お願いが、あるの・・・・・シードを、殺さないで・・・・お願い・・・・・」

 

 私がアインダーにすがりつく。
 血の匂いが香る。そういえば、アインダーは腹と肩に傷を負っていたはずだけど・・・・

 しかしアインダーは痛がるそぶりすら見せずに、答える。

 

「・・・アレでも私の息子だ―――それに、リウラ=ファルコムの技術を受けついだ貴重な人間だからな。・・・利用価値はある」

 

 


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