パニック!

シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」


L【弱い心】


 

 

 それから、私は暗殺者ではなくなった。

 アインダーは私のことを怒らなかった。
 シードと一緒に組織を抜け出そうとしたこと。イーグを逃がしてしまったこと。
 彼は怒らずに、私を罰することもなかった。

 組織に戻った私にアインダーは、「もう暗殺者として生きなくて良い」と言った。
 最初は凄くショックだった。もう、私は必要無いと言われたような気がしたから。
 でも、違った。
 私はアインダーのそばにいるだけでいい。そう、彼は言ってくれた。
 アインダーは私を必要としてくれてる。それが嬉しかった。

 

 それから一週間ほどがすぎた。
 その間、私はシードと会っていない。

 

 

「・・・・・駄目だ」

 

 シードに会わせて欲しい。
 私が言うと、アインダーは少し躊躇ってからそう答えた。彼が躊躇うことに珍しいと思いながら、私はさらに食い下がる。

 

「どうして!?」

「・・・奴もお前には会いたくないと思っているはずだ」

「私が、裏切った・・・から?」

「裏切った?」

 

 アインダーは可笑しそうに私の言葉を繰り返す。

 あの日から、アインダーの表情は少し豊かになってきた。
 時折、笑みを見せることもあれば、嘆いて見せることもしばしばするようになった。
 そんな顔を見せる度に「私がこんな顔を見せるのはお前だけだ」―――アインダーはそう言ってくれる。私は彼の特別だということが、とても嬉しい・・・

 

「お前は裏切ったわけじゃないだろう? お前は、元々私の味方・・・そうだろう?」

「・・・・・でも、シードにしてみれば・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 アインダーはしばし何事か思案し―――

 

「仕方がない。・・・わかった、奴に会わせてやろう」

 

 

 

 

 

 暗闇。
 その闇を切り裂く様にして、アインダーの持つランタンが闇の中を照らしだす。
 冷たい、重く重く沈んだような空気に、私は押し潰されるような錯覚に陥りながら、アインダーと一緒に地下牢の中を進む。
 地下牢、とは名ばかりで、そこは死体置き場の様だった。
 ランタンに照らし出された、幾つも並んで居る、鉄の牢獄の中には、腐敗して蛆のたかっている死体やら、風化して白骨化した死体やらが、まるで人が死んで土に帰る様子を示すかのようにしてあった。

 

「・・・ここは組織に刃向った―――あるいは不利益をもたらした人間たちを閉じ込める場所だ」

「みんな、死んでるわ・・・?」

 

 吐き気がしそうなほどの、死臭になんとか耐えながら、私はアインダーを見る。

 アインダーは私の髪を優しく撫でながら、言った。

 

「閉じ込めるだけだからな」

「・・・・・?」

「食事を与えなければ人間はやがて餓死する。当然の摂理だろう」

「・・・・・・・・・・」

 

 ・・・やがて、私たちは一番奥の牢屋へと辿り付いた。

 大きな牢屋。
 それもただの牢屋じゃない。

 

「・・・結界・・・」

「解かるか。そうだ、この牢屋は魔力結界により、魔物が逃げることは絶対に不可能」

 

 魔物・・・?
 アインダーの言葉に引っ掛かる物を感じながら、私は別のことを尋ねる。

 

「ここに、シードが・・・?」

「見えないか?」

 

 私は牢屋の中に目を凝らす。
 牢屋の隅に、大きな黒い影が蠢いている・・・ような気がした。

 シードにしては大きい・・・
 でも、私はとりあえず呼びかけてみる。

 

「・・・シード?」

『・・・・・・・・・』

「・・・ッ。シードでしょ!? ねえ、答えてシード!」

『なにしに来た・・・?』

 

 牢屋の奥から聞こえてきたその声はシードの声の様だった。

 が、やけにくぐもった声だ。

 

「会いに、来たの。シードに・・・」

『・・・来るなよ』

「怒っ・・・てるの? そうね、怒ってるわよね、憎んでるわよね? 私のこと」

 

 私は牢屋に身体を押しつけて―――結界の力で弾き飛ばされる。
 倒れそうになった私を、予測していたのだろうか、アインダーが受けとめてくれた。

 私はアインダーの腕を振り解くと、再び牢屋にかけよった。今度は結界には触れないように。

 

「でも、私、最初からシードのことを裏切るつもりはなかった。これは本当。でも・・・あの時、アインダーの姿を見たら、声を聞いたら、どうすればいいかわからなくなって・・・・!」

『・・・・』

「許してくれなくてもいい。・・・でも、これだけは信じて。私はあなたと―――」

『五月蝿ぇ、黙れ』

「・・・!」

『帰れ。お前と話すことは―――うっ』

 

 不意に、アインダーの持つランタンが、牢屋の奥まで照らしだす。

 その牢屋の中に入っていたモノを見て、私は目を疑った。

 牢屋の中には、バケモノが一匹。
 爛々と赤く光る瞳を、ランタンの光にしばたかせた、毛むくじゃらの魔物。

 

「そう邪険にするな。フロアはお前のことが心配で会いに来たのだからな」

『アインダー・・・てめぇ』

 

 アインダーの言葉に、牢の中の魔物はグルルル・・・と唸る。

 ・・・まさか、この魔物が―――シード?

 

「魔族、というものを知っているな? 魔界に住む、人間とは比べ物にならないほどの高い魔力と生命力を兼ね揃えた存在」

 

 呆然とする私に、アインダーは説明を始めた。

 

「シード=アルロードには、その魔族の肉片を移植した。肉片とはいえ、人間にしてみれば高次の存在である魔族の力は、完全にヒトの身体を侵食し―――ご覧の通り、一週間たった今では、完全に魔物と化してしまった」

「どうして・・・そんなことを・・・?」

「罪を罰するのは当然のことだ。それに―――」

「それに・・・?」

「イーグ=ファルコムを失った代わりは必要だろう」

 

 イーグの・・・代わり?

 

「そんな・・・『できねえよ』

 

 私の言葉に覆い被さるようにして、シードが宣言する。

 シードはにやりと笑っていた。魔物の顔でも、そう笑っているとわかった。
 ・・・その瞬間、私はほっとした。その場に崩れ落ちてしまいそうなほど脱力した。
 ああ、わかる。
 あの笑みをする―――それは、シード=アルロードに間違いない!

 

『イーグ=ファルコムは彼女の最高傑作だ。それの代わりなんて魔族だろうができやしない』

「貴様は不良品の代わりも出来ないと言うのか」

『不良品だと・・・!?』

「そう、不良品だ。だからこそ、リウラ=ファルコムは弟を見限って、組織を抜け出したのだ」

『ははははははははは』

 

 牢獄に、笑い声が響き渡った。
 シードが声高らかに笑っている。それを不快そうに、アインダーが見返した。

 

「なにが可笑しい」

『なにが可笑しい。だと? 可笑しいぜ。結局、お前はなにもわかっちゃいない―――いや、気付かないフリをしているのか?』

「お前が、なにを知っているというのだ」

『お前が知らないことだ。――‐一つだけ教えておいてやる。彼女はイーグをお前に預けたわけじゃない。俺にあずけたんだよ!』

 

 

 

 

 

 

 それから、私は毎日シードに会いにいった。

 会うたびに、シードは「来るな」と、私を拒絶する。
 それでも私は何度もシードに会いにいった。

 二月ほど経ったある時、初めてシードがまともに口を聞いてくれた。

 

『・・・イーグは、どうなったかな』

 

 いつも『来るな』と言う代わりに、シードはぽつりとそんなことを聞いてきた。

 

「イーグは・・・」

『知っているのか?』

「う・・・うん・・・イーグは・・・死んだ、ってアインダーが教えてくれた」

『そうか・・・』

 

 予想していたことなのか。
 シードは大してショックも見せずに―――肩を落としただけだった。

 

『なら、アインダーに伝えてやれよ。死にたくなければ彼女には手を出すな・・・ってな』

 

 それきり、シードはなにも喋ってはくれなかった。

 

 

 

 

 

 それから、さらに十ヶ月近くが経過した。
 あの日、逃げ出した日から約一年。

 私はいつもどおり、シードの所に来ていた。
 シードはいつもどおりなにも喋ってくれなくて、私はそんなシードを眺めているだけ。

 最近は、アインダーも忙しくて、私に構っていられないようだから。
 だから、私はずっとここでシードを眺めて居る毎日を送っている。
 その日も、朝から晩までシードと一緒にいて―――そろそろ牢屋をでようと思った時。

 

『・・・・・・!』

 

 いきなり、牢屋の隅でうずくまっていたシードが跳ね起きて、私の方へと突進する!
 ・・・が、結界にはじき返された。

 

「シード・・・?」

『なんだ・・・どうなってる・・・!? フロア、外がどうなってるか解かるか!?』

 

 起きあがりながら、やや混乱した口調でシードが怒鳴った。

 外・・・?
 なにが起きて―――

 

 不意に。
 地下牢の中の空気が動いた―――とシルファが教えてくれた。
 誰かがこの地下牢の中に入ってきた・・・と、考えると同じくらいに、慌しく走ってくる音が響き渡る。

 その足音の正体は・・・・

 

「アインダー・・・?」

 

 彼は、私が見たこともないような、恐怖に顔を滲ませていた。

 

「アインダー? 一体・・・」

『・・・彼女か』

 

 ぽつり、と牢屋の中でシードが呟く。
 アインダーは息を整えると、シードを見て、

 

「そうだ・・・シード、貴様に役に立ってもらうぞ!」

『・・・は?』

「あいつを・・・あの女を殺せ―――お前ならできるだろう」

『はぁ? ふざけんなよ、俺にそんな義理はねえ!』

「敵は二人だ。リウラと・・・女。強すぎる! 組織の暗殺者では全く歯が立たない・・・! あと、暫くもしないうちにここまで到達してしまうだろう・・・!」

『人の話を聞け。俺は―――』

「お前があいつを殺さなければ、私は殺される―――フロアもだ!」

 

 アインダーの言葉に、シードの動きが止まる。
 が、ゆっくりと息を吐き出すと、首を横に振った。

 

『そうか・・・よ。フロアを手元に置いたのはそれが理由か】

 

 ・・・え? どういうこと―――まさか・・・!

 

「アインダー・・・?」

「なんだ?」

「私が必要って・・・シードに言うことを聞かせるために・・・?」

「他に理由があるか?」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・うそ。

 どうして・・・

 

「どうして、どうしてそんなこと言うの!? どうして―――」

「五月蝿い!」

 

 ばんっ、とアインダーが私を殴り飛ばした。

 痛い。
 殴られた所が痛い。でも、それよりも・・・

 

「どうして・・・? 私は、アインダーのこと・・・・・」

「お前が私のことをどう思おうが関係ない。必要なのは、お前にどれだけの利用価値があるかということだ・・・!」

「アインダー・・・・・」

 

 私の呟きは、もう、届かない。

 アインダーは私を無視すると、シードへと向き直る。

 

「さあ、シード。今そこから出してやろう・・・」

『後ろだ馬鹿野郎!』

 

 シードの声に一拍遅れて、アインダーが身を捻る。
 直後に、闇の中でわずかなランタンの光を受けて煌く白刃が、アインダーの身体を掠める様に凪ぐ。

 

「まさか・・・もう、こんな所にリウラ・・・!」

 

 振り返る。
 そこには、何時の間に現れたのか、一人の女性。
 長い黒髪、長身麗句。灰色のコートを身にまとい、手には自身の身長ほどもある長い剣を地面に引きずっている。

 リウラ=ファルコムではない女性。

 

「誰だ・・・貴様」

 

 アインダーが尋ねる。
 と、女性は小首を傾げて。

 

「セイコ=リウラ・・・と、名乗っても解かるまい? これは偽名であるから、名を名乗る意味があるとは思えんが・・・」

『リウラ―――あんた、リウラ=ファルコムの・・・・・』

 

 シードの言葉に、女性―――セイコとなのった女性は唸った。

 

「・・・やはりなにごとにも意味はあるものかもしれんな。そう、この名は彼女から借りた物だ」

「セイコ、アインダーが聞きたいのは名前じゃないわよ」

 

 声は、私の背後から聞こえた。

 びくっとして振り返る。
 そこには、いつかよりも年を重ねたなりそこないの暗殺者。

 

「リウラ・・・ファルコム・・・!」

「そういう貴方はえーと、フロアちゃん・・・だったかしらね」

 

 言いながら、彼女は私の頭を撫でる。
 それを払いのけると、彼女はちょっと寂しそうな顔をして―――ふと、牢屋の方へと顔を向ける。

 

「あらー? シードじゃない。随分と男前になったわね―」

『そーゆーあんたも暫く見ない内に老けたなー。小皺見えてるぜー』

「はっはは。そういうこと言うと、思わず殺しちゃうわよー」

 

 どういう会話だろう。

 

「リウラ・・・私の元へと戻ってくる気になったか・・・?」

 

 と、アインダーがシードとリウラの間に割り込む、

 リウラはアインダーを見て首を傾げて―――それから何故か私の方へと向く。

 

「何言ってるのこの人?」

「・・・え?」

 

 いや、あの、尋ねられても困るんですけど・・・

 

「リウラ、私の元へ戻って来い。・・・悪いようにはしない」

「・・・えーと」

 

 リウラはなにか困ったような愛想笑いを浮かべてアインダーに言う。

 

「いやそんなことはどーでもいいから、イーグを返してくれない?」

「・・・君には残念だがイーグは死んだ」

「あ、そうなんだ。あーあ、折角、結婚式に出席してもらおうと思ったのに」

 

 イーグが死んだと聞いてもそんなショックではないのか、彼女は残念そうに肩を竦めただけだった。

 ・・・・・・・・

 って。結婚式?

 

『・・・なにぃっ! あんた結婚するのか!?』

「なんか。ムカつく驚き方ね」

『馬鹿な。そんな馬鹿な!? こんな爆殺女を嫁に取るようなサド男がこの世に存在するなんてッ!?』

「・・・あんた、マジで死にたいわけ・・・?」

『で、でもリウラ。あんた確か、 “自分より強い奴じゃないと結婚しない” とか言ってなかったか? それともあんたよりも強い化物がいたっていうのかよ』

「うふふー。女は恋すれば変わるモノなのよ♪ 昔の私は強い男が理想だったけど、今の私は私が愛した人が理想のオトコ♪」

『愛してる・・・・・ぐはぁ。なんつーか、あんたの口からは聞きたくなかった言葉だぜ・・・』

「・・・・・・・・いい加減、殺すわよ・・・・・・・・・・・・?」

 

 ・・・・あ。
 シードとリウラのやり取りの隣で、アインダーが怒りに震えて居るのが見えた。

 怒り。凄まじい形相でリウラを睨みつけている。

 

「リウラ・・・お前は・・・この私から逃げるというのか?」

 

 アインダーの言葉に、ピクリとリウラが反応する。

 ゆらりと、アインダーを見据えるその目は、殺人者の瞳。

 

「逃げる・・・? そうね、逃げるわ」

「何故だ!? 私はお前のことを―――」

「あんたが私のことをどう思おうと関係ないわ。だって、私、あんたのこと嫌いだし」

「なんだと・・・私の何が嫌いだというのだ・・・」

「―――超一流の暗殺者って、どういうものか解かる?」

 

 にこりと造りめいた微笑を浮かべ、フロアはアインダーに語りかける。

 

「超一流の暗殺者・・・? 決まっている、確実にターゲットを屠れる暗殺者のことだ」

「ブブー。不正解」

 

 あくまでにこやかに彼女は続ける。

 

「アインダー。貴方はね、自分以外の命を軽く見すぎている―――特に」

 

 ふっ、と彼女はシードの方へと視線を向けた。

 

「自分の息子を息子と思わないような男は反吐が出るほど、私は大ッ嫌い」

「う・・・・」

 

 ぎり・・・、きしむ音が聞こえるほど、アインダーは歯を強く噛み締める。

 

「うおおおおおおおっ!」

 

 怒りに任せ、アインダーはリウラに向かって殴りかかる―――その間に、一陣の黒い風が二人の間を遮り。

 一閃。
 白刃が煌き、次の瞬間にはアインダーは私の足元に弾き飛ばされていた。

 

「余計な事・・・だったか?」

「ううん、ありがとセイコ」

 

 黒い風―――のごとき速さでアインダーを斬り飛ばしたのは、先ほどから一言も会話に参加していなかった、黒髪の女性。

 

「ぐ、ぐおおおおおおおお!? 腕が・・・私の腕があああああ!」

 

 アインダーの右腕が、肘の所からすっぱりと無くなっていた。
 黒髪の女性セイコ=リウラに斬り飛ばされたのだろう。斬り飛ばされた腕は、闇の中にまぎれてどこに飛んだかわからない。

 と、セイコはリウラの方を振り向かずに尋ねる。

 

「リウラ。あの男・・・殺しても構わないんだったな・・・?」

「ええ」

「くっ・・・・・」

「え・・・きゃ?」

 

 ぐいっ、と私は腕を引かれる。
 私の腕をひいたのは―――アインダー!

 

「く、来るな・・・! 近づくと、こいつを殺す・・・・・!」

「あ、アインダー・・・? なにを・・・」

「フロア。この役立たずが! せめて盾くらいにはなれと言っているんだ!」

「アインダー・・・」

 

 絶望。
 目の前が、暗くなる。
 頭がくらくらして、自分が、今、立っているのか座っているのかすらわからない。

 ただ、アインダーの言葉が頭の中をぐるぐる回っている。

 この役立たずが!
 せめて、盾くらいにはなれ。

 結局、アインダーは、私のことを、そんな程度にしか思ってくれていなかった・・・・・

 

 ぬるり。

 

 暖かいものが顔にかかった。
 赤い血。
 見上げれば、アインダーの頭が無くなっていた。
 頭がついて居た場所から、びゅしゅびゅしゅと血が吹き出して、私にかかる。

 ゆっくりと視線を降ろすと、黒髪の女性が剣についた血糊をふき取る所だった。
 その剣で、彼女はアインダーを殺した。
 なのに、なんで私を、殺してくれなかったんだろう?

 もう嫌だ。
 もう嫌だ。
 私は、もう生きて居たくない。死にたい。
 でも、誰も殺してくれないのなら。

 私は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

<目を開ければ元のなんだか良くわからない空間>

 ちょっとだけぼんやりして。
 それからようやく気付く。フロア=ラインフィーの旅が終わったことに。

 

「それで、結局」

 

<シルファの姿を探す。探すまでも無くシルファは目の前に居た>

 

「フロアは結局どーなったんだよ?」

「わたしのとてもたいせつなひとはふかくきずついてしまったのです。ぜつぼうしてしまったのです。だからこそすべてからにげだしてしまったのです。じぶんがいちばんあんぜんな、じぶんのいちばんじぶんのなかへ」

「自分の中・・・?」

 

 わからん。
 通訳がなけりゃシルファ語はさっぱりだ。

<シルファはもどかしそうに見つめてくる>

 ・・・自分の言葉が伝わっていないと気付いてるのか。

<シルファは両腕を大きく広げ、泣きそうな顔で叫んだ>

 

「ここにいます。ここにいるのです!」

「―――!?」

 

<景色がぐにゃりと歪み、ねじれる>

 

「な・・・なんだッ!?」

 

<ねじれは強く強くねじれ、ついには>

 

「おいッ、無視かーッ!? なんだこりゃーッ!」

 

<ついには、崩壊、する>

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、俺は真っ暗闇の中にいた。
 夜の闇とも違う・・・俺の髪のような黒とも違う・・・
 ねっとりと、身体中に絡み付くような漆黒。

 ・・・あれ?

 なんだ? さっきまでの―――ヘンな感覚、というか、がない。
 ちゃんと目で闇を見ているし―――闇以外なにもないけど―――俺は自分の身体を見下ろす。目で、自分の身体を見ることが出来た。

 

「・・・えーと、シルファ?」

 

 さっきの少女に呼びかけてみる。
 が、返事は返って来ない。
 ・・・むーう? いないのか?

 

「・・・・・誰?」

 

 闇の奥から、声。

 と、その瞬間、闇に亀裂が入る―――ってのもなんかヘンだが、実際、そう見えて居るんだから仕方がない。
 闇はピシピシピシィ・・・と音を立てて、闇に亀裂が走り、そして。

 割れる。音も無く。

 粉々に砕け散った闇の向こうは、やっぱり闇だった。
 けど、闇だけじゃない。
 闇には一人の女性が浮かんでいた。金の髪、白い素肌―――全裸の女性が、身動き一つもせずに、闇の中に―――まるで見えない椅子でもあるかのように、腰かけていた。

 ・・・と、彼女はこちらに気付いたようだった。
 瞳をこちらに向けて、不思議そうに呟く。

 

「あなた、誰?」

「見忘れたか? イーグ=ファルコムだ―――服くらいは着とけよ、フロア」

 

 

 

 

「嘘よ」

 

 服を着た―――俺が服を着ろと言った一瞬後には、彼女は衣服を身に纏っていた―――フロアは、即座にそう言い放った。

 

「イーグは死んだはずだもの」

「実は死んでなかったんだ」

 

 肩を竦めて俺が答えると、フロアは可笑しそうに―――けれど、どこか怯えの含んだ―――笑って、もう一度繰り返す。

 

「嘘よ。アインダーが嘘をつくはずが無いもの」

「・・・アインダー=ラッツ・・・」

 

 シード―――シード=アルロードの父親。
 それから、俺の姉さんを愛した男。

 ・・・あ。
 姉さんと言えば、なんか結婚したとかどーとか・・・・・・まあ、今はどうでもいいか。

 

「・・・騙されたくせに」

「・・・・・!」

 

 俺の言葉に、フロアは物凄い目付きで睨みつけてきた。

 

「違う・・・わよ! アインダーは私のことを騙してなんかない!」

「あーはいはい。ンなことはどっちでもいい。アインダー=ラッツがお前を騙そうが騙すまいが―――だがな、今問題なのは、お前がどうしてこんな所にいるかってことだ!」

 

 そう。
 なんか、やっとやるべきことが解かった気がする。

 ミストは言った。フロアを助けて欲しいと。
 それはつまり、この暗闇から連れ出して欲しいってことだったんじゃないだろうか。

 ここがどこなのか、俺には良く解からない。
 だけど。

 

「答えろフロア! お前はどうしてここに居る?」

「・・・」

「外にはお前じゃないお前がいた。―――ああ、シルファ、だったか? そいつがお前のフリしてた」

「シルファ・・・が?」

「お前は一人でこんなところでなにをしてる!?」

「・・・あなたには、関係無いでしょ―――」

「関係大アリだ馬鹿たれぇっ!」

 

 俺はがーっ、と頭を掻き毟ると、びしぃっ! とフロアに指を付きつける。
 そのまま殴ってしまいそうな勢いで(いや殴らんけど)言葉を叩きつけた。

 

「て・め・えがこんな所に居るからミストの馬鹿が妙な駄々こねるんだろーがっ! あいつがワガママいわなきゃ、さっさと逃げ出してキンクフォートに戻ってアバリチアに帰ってまたいつもどーりの馬鹿騒ぎな日常に戻れたんだ! それをなーにが『シード君はフロアさんを助けなきゃいけない』だ! 『助けないと一生許さない』だぁ? 俺の気持ちもちったあ考えやがれあの馬鹿。シードもシードだ! 久し振りに会ったと思ったら化物になって居やがってッ! つーか、あンの馬鹿が馬鹿なこと考えなきゃ、そもそも俺はこんなところにはいねーんだ! てか、馬鹿考えるんだったら俺のいない所でやってくれ!」

 

 ぜいはあぜいはあ・・・
 息を切らせて、俺はフロアを睨み付ける。

 そーだよ。
 そもそも、俺がこんなところに居るのはあの馬鹿シードが原因じゃねーか。
 それをミストの馬鹿がややこしくして―――

 

「とゆーわけで、お前を殺す」

「・・・え?」

「え? じゃねぇ」

 

 半ば呆然としているフロアを前にして、俺はナイフを手にした。

 

「な、なんでナイフなんて持って居るのよ!? ここは、私の世界なのに―――」

「知るか馬鹿。兎に角お前を殺す。そしてシードの馬鹿も殺して、いーかげんこの話もオシマイだ!」

「な、なんで・・・殺されなきゃいけないのよ。私が」

 

 ―――約束だから。

 思わず呟きかけた言葉を、俺は飲みこむ。
 あれはシードとの約束だった。
 でも、きっと、シードが言いたかったのはそういうことだ。

 

「うるせー。お前、死にたがってたんだろ? 殺されたかったんだろ? ・・・だから、俺が望みどうりにしてやる」

「や・・・やだっ!」

「やだ・・・だあ?」

「いやよ! 私・・・死にたくない!」

 

 フロアは立ちあがると、闇の中を後ろに下がる。

 

「ああ? 死にたい死にたいって言っておいて、なにが今更・・・」

「・・・私は・・・私は―――」

「安心しな。虚空殺なら痛いと思う間も無く塵になる・・・」

「いやッ」

 

 フロアが悲鳴を上げた瞬間、フロアは闇に包まれて―――消える。

 逃げた? まあ、無駄だけど・・・

 思いながら、俺は無造作にナイフを振るった。

 ぱきぃぃぃぃ、と音を立てて周囲の闇がくだけ、さらなる闇が現れる。
 そこにフロアはいた。

 

「ひっ」

 

 フロアは俺を見ると怯えたように見を竦めた。

 それとは対照的に俺はにこやかに笑いつつ。

 

「はっは。無駄無駄」

「どうしてッ!? なんで―――」

「虚空殺はあらゆるものを塵に終わらせる。・・・いくらお前が闇の中に逃げても、その闇はすぐに塵にしてやる」

「そんな滅茶苦茶な―――」

「もちろん、お前も一瞬で塵芥♪」

「ひぃっ!?」

 

 俺に背を向けて、なおも逃げ様とするフロアの前に回り込むと、俺はその目の前にナイフの切っ先を付きつけた。

 

「逃げられねーよ。知ってるだろ? イーグ=ファルコムはリウラ=ファルコムに育てられた、最強の暗殺者だって・・・・・」

「いや・・・死にたくない。死にたくない―――」

「正直な。俺は腸が煮え繰り返ってるんだぜ」

 

 言いながら、俺はナイフを軽く上下に揺らす。
 それだけで、フロアは「ひっ」と喉の奥から搾り取ったような悲鳴を上げた。

 

「お前は、あのときシードの奴を裏切った・・・最悪の形で、だ」

「だって・・・だって・・・アインダーが・・・」

「アインダー・・・が、なんだって?」

「だって・・・アインダーが―――私を、許してくれるって・・・戻ってきて欲しいって・・・そう、言われたら私―――」

 

 ・・・いかん、本気で殺したくなってきた。

 

「アインダーアインダーってなあ! お前はあいつに裏切られたんだろーが」

「裏切ってなんか―――裏切られてなんかない!」

 

 大きく声を上げて。それから、フロアは目を伏せた。

 

「裏切ったのは、私。シードも・・・アインダーも私は裏切ってしまった」

「・・・へ? シードを裏切ったってのはわかるが・・・・・アインダー?」

「私はアインダーの役には立てなかった。アインダーの盾になることすらできなかった―――アインダーは私を必要としてくれたのに」

 

 ・・・・・頭痛ぇ。
 フツー、どんなに心酔してても、あそこまで裏切られたら憎まないか?
 現に俺は、俺を置いて組織を逃げ出した姉さんを憎んだが。

 

「だから、私はここに居るの。アインダーも死んだ。だから、私はここに居る・・・」

「・・・そーいや、ここはどこだ?」

「ここは私の世界。私の心の奥深くの底。・・・・・私だけの、誰も要らない場所」

 

 フロアの心の奥深くの底・・・
 なるほど、シルファが言ってた “じぶんのなかのじぶん” ってのはそういうことか。

 つまり、フロアは、アインダーが死んで、その現実に耐えきれなくなって、自分の心の中にひっこんだってわけかよ。
 で、その身体をシルファが動かしていた・・・そんなところか。

 

「もう、私は傷つきたくない・・・苦しみたくないの。だから私はここにいる―――」

 

 フロアは俺をキッ、と睨み付ける。

 

「だからあなたは邪魔。いらないの。でてって!」

 

 ごわっ!

 周囲の闇が俺に向かって押しかかってくるような違和感。
 ・・・いや、実際にそれは質量として、闇は俺を押し潰そうとしていた。

 が、俺はナイフを一閃させるだけで、その闇を無にする。

 

「無駄だっていってんのがわかんねーのかよ!」

「あ・・・ああ・・・」

「おいコラふざけんなよ、フロア=ラインフィー! 傷つきたくないからここにいるだぁ? てめーが、こんなところに居る間、てめーの知らないところで、どれだけの人間が傷ついて、苦しんでるのかわかんねーのかよ!」

 

 くそ、ムカつく。シードの奴、なんでこんな女に惚れてんだ!?
 そう、シード・・・アイツは―――

 

「シード=アルロードはずっとお前のことを想っていた! シルファだってずっとお前が帰ってくるのを待ってたんだ! その二人を置いて、てめーはここでなにしてるんだよ!」

 

 あー。そっか。
 激昂する一方で、俺は妙になっとくしていた。

 俺が怒ってるのは、姉さんと似てるからだ・・・
 俺を置いて組織を逃げた姉さん。シードとシルファを置いて、自分の心の底に逃げ出したフロア。

 そーか、そーなんだな。
 だとしたら、俺は殺してでもこいつを連れて帰ってやる!

 

「嘘よ! 信じない」

「嘘じゃねぇっ!」

 

 一年前のフロアの記憶を見た俺にはシードがどれだけフロアを想っていたのか解かってる。
 シルファがどれだけ必死になって、フロアを助け様としたのかも知っている。

 そしてそれは、絶対にフロア自身も気づいているはず―――

 

「嘘よ、信じない・・・信じても、裏切って―――裏切られて・・・また、傷つくだけだもの」

「信じろよ! 解かっているはずだろ、フロアにも!」

「信じない! シードも・・・シルファも・・・私のコトなんて、嫌いなハズだもの! こんな・・・私なんて・・・」

「それこそ嘘よね?」

 

 最後に響いた声は、俺の声じゃなかった。
 フロアの声でもない。

 振り返る。
 と、そこには―――

 

「やっほー、シード君。また会えたねー」

「お前、ミスト・・・・・・?」

 

 そこには、まるで亡霊の様に薄く透けていたが、確かにミストの姿があった。

 

「私はもう消えなきゃいけないって言うのに、シルファに泣きつかれてさ。―――確かに、シード君だけじゃ不安だから、来てあげたわけ」

 

 ニコニコと笑いながら、ミスト(の残留思念)は、フロアに向き直る。

 

「こんにちは、フロアさん」

「あなた・・・諦めたんじゃなかったの?」

「1度はね。・・・でも、今はシー・・・じゃない、イーグ君がいるから、今度こそ貴方をここから連れ出せる・・・!」

 

 そう言ってから、ミストはぼそっと「・・・なんか “イーグ君” って言いにくいなあ」とかぼやく。・・・うるせぇよ。

 

「フロアさん、シードさんはずっと待ってたんだよ。外の世界で」

「嘘よ!」

「嘘じゃないよ。だってシードさんって馬鹿だもの

 

 馬鹿だもの。
 大して大きくないはずのその声は、やけにはっきりと響き渡った。

 

「そう、馬鹿なのよ。だから自分よりも回り―――イーグ君やフロアさん、それからアインダーってヤツにイーグ君のお姉さんのコトばかり考えて、大切に想って、気にしてる・・・今でも」

「私やアインダーのことを大切に・・・?」

 

 フロアは首を横に振る。

 

「そんなハズないわ。だって、そうでしょう? 私やアインダーはシードを裏切ったのよ! それなのに―――――たしかにシードは馬鹿だけど」

 

 ・・・馬鹿馬鹿って・・・なんか、シードが可哀想になってきたな。

 まー、しかし、ミストの言葉には納得できる。
 あいつは・・・シード=アルロードは馬鹿みたいに優しい・・・フロアの記憶を見てきた俺にはわかる―――それを・・・フロアが気づかないはずはないんだ!

 

「フロアさん! 解かってるはずよ! シードさんの優しさを。私にだって解かったんだから、貴方が気づかないはずがない!」

「解からないわよ! 知らない!」

「・・・フロアさん・・・」

「―――もういい、ミスト、どいてろ」

 

 俺はミストを手で制すると、フロアの前に一歩出る。

 手にはナイフ。それを逆手で持つ。

 

「フロア、お前を殺してやる」

「・・・な、なによ・・・なんでよ! どうして私が殺されなきゃいけないの!? 私は、もう誰にも傷つけられたくないだけなのに・・・!」

「お前は・・・生きているだけでシードを傷つける」

「シードく・・・あ」

 

 ふっ、と。

 なにかを言いかけたまま、ミストの気配が消える。
 振り返ると、そこにミストの姿は無く、あだ暗黒がどこまでも続いて見えた。
 おそらく、限界ってやつが来たんだろう。―――いや、さっき、フロアの記憶を見る前に別れた時、あれが限界だったはずだ。
 それをムリして―――くそ。

 俺はフロアに向き直る。

 

「やっぱりてめえは殺す」

「な・・・なんでよ!?」

「お前は・・・ミストを2回も殺したッ!」

「そんな・・・そんなの、私―――」

「うるせぇ黙れ! ・・・いったろ? お前は生きているだけで誰かを傷つける・・・って。だから殺す」

「いや・・・」

 

 フロアは首を横に振る。
 そのまま動かない―――俺からは逃げられないと知っているからだろうか。先ほどのように闇の中に逃げ込もうとしない。

 

「いや・・・いやいやいやいやぁっ!」

「うるせー黙れ死ね!」

「いや―――シルファぁっ!」

 

 ごがぁっ!

 不意打ち。
 横からの一撃に、俺は思い切り吹っ飛ばされる。

 ・・・な、なんだ!?

 

「・・・ころさせません」

 

 フロアの前に一人の少女。

 ・・・シルファ?

 

「し、シルファ・・・・・?」

 

 放心したようにフロアがシルファの名を呼ぶ。と、シルファはフロアを振りかえり―――どんな表情をしたのかは俺には見えなかったが、その顔を見てフロアは、親を見つけた迷子の子供の様に安堵しきった泣き笑いの顔でシルファにすがりつく。

 

「・・・つっ・・・今のは、お前の “風” か?」

「あなたに、わたしのだいじなひとはころさせません」

 

 シルファは再び俺を睨みつける。

 ・・・こいつにも表情があったんだなァ、とちょっと意外。

 

「殺させない?」

 

 闇の中、置きあがりながら俺は手元のナイフを確認する。
 手放さず、ついでに自刃しなかった自分が素敵。

 この闇の中で放り出したら、危うく見つからん所だった。

 

「誰に言ってるかわかってるのか? 俺はイーグ=ファルコムだぜ?」

「あのひとはちがといいました。あなたはそれではありません」

 

 あの人・・・ミストのことか?

 まー、確かに今の俺はイーグ=ファルコムじゃあない。シード=ラインフィー、それが今の俺。

 

「だけどな、俺がイーグだろーと、シード=ラインフィーだろーと関係ねえ」

 

 構える。
 ナイフを構える、と言う意味じゃない。意識を構えると言う意味だ。

 

「俺はシードとフロア、お前たちのことを好きだった。けどな―――フロア、お前のことは嫌いになったみたいだ。―――躊躇いなく殺せるくらいには!」

「ころさせません!」

「ならお前も滅ぼす! 精霊だろうがなんだろうが、天空八命星は全てを終焉へと導く!」

「・・・させないッ!」

 

 びゅうおっ!

 闇色の風が巻き起こり、それが槍のようになって俺に向かって来るのが見えた。
 が。それも俺の一凪ぎで無意味に消える。

 

「無駄だ」

「―――!」

 

 シルファが次を放とうと構えた時には、俺はその懐に飛び込んでいた。

 そして。

 

「虚空殺!」

 

 俺の虚無の一撃が、シルファの身体を貫いた―――

 

 

 

 

 

 それは、言葉だけで交わされた絆。

 

 汝を知る代わりに我は力を求めるだろう
 (精霊は少女に見出され、少女は精霊を手に入れた)

 汝は意思を得る代わりに我が自由を縛るだろう
 (少女は精霊を抱きしめて、精霊には心が生まれた)

 汝は自由を失う代わりに我と共に在り続けるだろう
 (精霊は少女のものとなり、少女と精霊は運命を共同する)

 

 これは、少女が歌った歌。
 契約の歌。

 そして。

 

 我は汝
 (あなたとわたし)
 汝は我
 (わたしとあなた)
 精霊よ。風の紡ぎ手よ。世界で最も希薄で脆弱な意思よ
 (よわくあり、それいじょうにつよきもの)
 これは契約
 (くさのじゅうたんがしかれたそうげんでのじこしょうかい)
 我と汝が共に在り続けるためのもの
 (それはえいえんということ)
 これは盟約
 (とてもあかるいまっくらやみでのあくしゅ)
 我の喜びを汝の楽しみとし、汝の心を我の笑いとするためのもの
 (いつまでもともだち、だから)
 これは約束
 (であい、ということ)
 我と汝が出会えた始まりの証。他愛ない童子の指切り遊び
 (だけど、ぜったいにわすれない。わすれちゃいけないやくそく)

 

(・・・それをね、忘れてた)

 

 大人になった少女は悲しそうに笑う。

 振り返って、吐息交じりに、悲嘆交じりに言葉を吐いた。

 彼女を殺しにきた暗殺者は戸惑い―――しかし、至極真剣な表情で―――知らない間に、彼がそんな表情を見せるようになったことへ、彼女は多少驚く―――彼女を見つめていた。

 

「・・・ごめんね」

 

 謝罪の言葉は彼女のものだった。

 なにか勘違いしたのか、少年の表情が険しくなる。が、彼女にはそんな彼の表情など見えていないようだった。

 

「ごめんね、シルファ・・・」

 

 気づくのが遅すぎた、そう痛感しながらも、彼女はつぶやいた・・・

 


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