パニック!

シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」


H【フロア=ラインフィー】


 

 

 ―――撃。
 その一撃は強烈な風圧と共に向かってきた。
 シード―――獣人となったシード=アルロードの、跳躍と同時の拳の一撃。
 それは、射程距離外だと言うのに、旋風を巻き起こす。

 押し潰されるような風に、半ば押されるようにしながら飛んで回避―――!


『ガアアッ!』


 獣の唸り声。
 それがシード=アルロードの発した物と気付いた時には、その獣人の姿は迫りすぎるほどに接近していた。

 速い。が。


『ガッ―――ァッ!?』


 シードの拳を上段から振り下ろしての一撃は、しかし俺には当らない。
 ―――天空八命星・虚無。
 一瞬、俺の五感が消失し、目に光が戻った時にはシード=アルロードの拳は、俺の目の前を、下に吸い込まれる様に振り下ろされて行った。だが。


『―――ぐっ!?』


 風圧。
 圧倒的な狂風が、俺の身体を吹き飛ばした。
 ちっ。と、舌打ちしながら空中でバランスを取り、片膝を突いて危なげなく着地。

 まずいな・・・。
 シードのヤツ、かなり本気だ。
 まだ “俺を殺すこと” にわずかな迷い―――躊躇いを感じられるが、それでも気を抜けばアイツの豪腕は、俺の身体をあっさりと砕くだろう。
 今のも、俺が “虚無” を使わず、アイツが俺の存在を見失わなければ、外すことはなかった。

 さっきまでとは違う―――いや。変らず、アイツは俺に殺されることを望んで居る。
 だけど。


 ―――時間が無いんだ。


 時間がない? 一体、どういう意味だ!?
 マジで時限爆弾かなんかを設置してあるんじゃ無いだろうな!?


「お前が死にたがるのは勝手だけどな! だったらせめて―――」

『ガアアアアッ!』

「げ」


 声は、届かない。
 俺の声を無視して、シード=アルロードは再び突進。
 馬鹿の一つ覚えみたいな攻撃だが、一番有効だからこそ、繰り返し突進して来る。
 その巨体と力によって生み出される突進を、マトモに受けてみる気は起こらない。そんなことすれば、たった一撃で良ければ全身複雑骨折。悪ければ即死だ。

 くそったれ―――


「せめてテメエの死にたがる理由を言いやがれよ!」

 ―――天空八命星!
 シード=アルロードの突進を、再び “虚無” を使って避ける。
 が、このままじゃ埒があかない。

 かといって、野生の獣の如く、俊敏さも兼ね揃えたその突進を、凌ぐのはかなり厳しい。
 こちらも馬鹿の一つ覚えみたいに、虚無で俺の存在を見失わせ、その隙に逃げるしかない。

 或いは。


「殺すしかない。のか?」

『ちょこまかとッ!』

 

 俺の “存在” を見失い、見当違いの方へと突進していったシードは、俺を素早く振りかえる。
 その赤い二対の瞳は爛々と燃え、本気で怒り狂っているようだった。

 ―――あれ?
 ちょっと待て。なにか、違う。
 さっきまでのコイツとは明らかに、違いすぎる―――!?


『とっとと死ねよッ!』

「!」


 速い。
 気がつけば、すでに目の前にシード=アルロードの巨体が。
  “虚無” を使う暇も無く、俺の身体は低く吹っ飛ばされて、部屋の壁―――俺がいた所から、大体10メートルほどはあっただろうか―――に打ちつけられた。

 そして。ブラックアウト。

 

 

 

 

 

 

 ―――眠っていたのはそんなに長い間じゃないと思う。
 夢も見なかったし―――最も、俺はいつも夢なんて見ないけど―――、なんか、まだ、俺は生きてるみたいだし。

 少なくとも。
 死んじまったヤツよりは、早く目覚めただろう。

 覚醒した。
 そう、自覚した瞬間、全身に激痛が衝撃となって襲いかかってきた。
 全身がバラバラになりそうな衝撃。
 もしかすると、本当に腕や首や足などの、俺の身体を形成するパーツがバラバラになっているのかもしれない。
 などとぼんやり考えつつ、自分の身体を見下ろす。

 ・・・・良かった。腕や足はちゃんとついてる。
 目じゃ見えないケド、首もちゃんとくっついてるに違いない―――


「げほっ!」


 咳。
 あれ。風邪でもひいたかな、と、思いながら口を拭う。


「・・・・あ。血」


 拭った手を見てみれば、真赤なぬるりとした血が、俺の手を染め上げていた。
 それが、吐血した物だと気付いて、「ああ」となんとなく頷く。

 ・・・もしかしたら、どこか内臓でも傷つけたのかもしれない。


『まだ。生きてるのか』


 声。
 未だ手についた血を眺めていた俺は、顔を上げる。
 そこには、赤い瞳を爛々と光らせ、ゆっくりとこちらに歩む、獣のバケモノ。

 殺される。と、直感した。
 このままだと、俺は殺される―――


「・・・・は」

『うぜェんだよッ。弱っちぃ身体してる癖に―――とっとと死にやがれ!」


 確定した。
 このバケモノは俺に対して殺意を持っている。
 必ず殺される。
 一言でまとめるなら “必殺” とかそういうようなもの。


「・・・・・・ぃ・・ゃ・・・・」


 身体が震える。
 恐怖に、身体が震えて―――止まらない。

 怖い。


「いやだ・・・・」


 思わず、口に出た言葉は明確な否定の意味。
 そう。俺は。


「死にたくない!」


 俺は、死にたくない!


「うわああああああああああああああああああああっ!」


 手にはナイフ。
 いつも俺が使っていた、馴染みのあるナイフ。
 これで、俺は何度も敵を屠ってきた。

 だから今度もこれで殺す!
 殺さなきゃ殺される―――これは、そういう相手だ!

 バラバラになりそうな激痛を押し殺して、痛みと恐怖でガタガタ震えている身体を奮い立たせて、俺はもたれてた壁を背筋を使い、背で突き飛ばし、その反動で起きあがる。

 痛い。
 さっきのダメージはかなり酷いようだった。
 どこか、骨にヒビが―――下手をすれば、砕けてるのかも知れない。
 まともに、戦える状態でもない。

 だけど。


『死ね』


 声は目の前から。
 気がついた時には既に――――俺の身体が反応している。

 倒れ付すように身を屈めた俺の背中の上を、ぶぅんっと空気を砕くような音を立て、バケモノの腕が通りすぎる。
 風。
 その横薙ぎの一撃を持って生まれた疾風に、流されるようにして、俺はそのまま跳躍。

 激痛―――腰と、左肩からなにか破滅的なイメージを連想させるような痛みが響いて来る。
 もしかすると、その痛みだけでショック死してしまうんじゃ無いだろうかと思うほどの。
 思う一方で、そんな風に思えるだけの余裕がまだあると、自分に言い聞かせる。まだ、動けると。

 獣人の舌打ちが聞こえた。
 その瞬間に、俺は跳躍から着地。
 肩と腰―――不思議と、腰ではなく肩の方からの痛みが酷かった。まだ、骨は砕けてはいないだろうケド、すくなくともヒビは入ってる。多分。


『ガアアアアアアアッ!』


 突進。
 バケモノがこっちに向かって飛びかかって来る。
 マトモに食らえば死ぬ、と頭のどこかで判断する。
 身体はマトモには動かない。完全に回避することは不可能だと、なんとなく直感が告げる。

 死にたくない。
 死にたくない。死ぬのは嫌だ! 生きたい―――――ッ!

 痛む腰を我慢して低くして、低姿勢で構える。
 右手にナイフ。いつも片手で振るっていたそれに、左手を軽く添える。


「死んで・たまる・かーっ!」


 叫びは思わず声となった。
 その声は、不思議と、俺の力となった。
 手に、手が握るナイフに、力が―――俺の中に実在する “力” が収縮される。

  “天空八命星”

 名前が、頭に浮かぶ。
 最強の暗殺術―――いいや、違う。

 時を統べる者たちの総称。
 時を越える者たちの称号。
 そして―――時の中に埋もれてしまった者たちの名前。

 どくん。

 目の前の、バケモノの動きが停滞した。

 どくん。どくん。

 ―――いいや、違う。
 時、そのものが停滞しているのだ。

 どくん。どくん。どくん。

 俺は、一歩だけ足を踏み出す。

 どくん。どくん。どくん。どくん。

 時の停滞した中。足音は立たずに、俺の身体は進む。バケモノへ向かって。

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 バケモノの前まで進み、俺は、手にしたナイフを、

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん!

 バケモノの身体の中心―――胸の中心へと、突刺した!

 

 時が、再開する。

 

 

 

 

 

 

「――――くっ」


 目が眩む。
 立ったまま寝ていて、夢の中からいきなり叩き起こされたような感じ。


『ガアアアアアアアアアア―――――アアアアアッ!?』


 目の前を、胸からナイフの柄を生やした―――ナイフを突きたてられた、シード=アルロードが突進して行く。
 俺の目の前を通りすぎ、そのまま無様に転倒。
 足がもつれた、ワケではなく、俺がいるべきはずの場所にいなかったことの不意打ちと、己の胸につきたったナイフのせいだ。


『ガアアアアアアアアアアアッ!』


 鋭く咆哮して、吐血。
 何が起こったのか解らない、と言いたげに、自分の胸に突き刺さったナイフを抜きとって、床に叩きつけ、俺の姿をにらみつけた。
 どくどくと、胸の傷から血が流れ出て来る。赤い血。
 ・・・ホンモノのバケモノの様に、緑色の血が出てきたらどうしようかと思った。


『キ・サ・マァァァァァッ! 何をしたあああああああっ!?』


 問われて、俺は肩を竦める。


「さあな」


 ―――壁に叩きつけられたしで記憶が混乱している時に、ちょっと時間を止めてみました。
 ・・・・・なんて言ったら、コイツはどんな顔をするだろうか?
 多分、からかわれたとでも思って、激しく激昂するんだろうなぁ―――俺自身、「時を止めた」なんて理解に苦しんでいる。キンクフォートに来てから多発している白昼夢とでも思ったほうが、まだ実感がある気がする。
 それにしても危なかった。一歩間違えば、シードの望みを成就してやる所だったぜ。
 まったくなんでもありだな、くそ。天空八命星ってのは。

 と、俺は心の中で毒づきながら、ナイフを抜き放つ。
 シードがどう考えようと、何を求めようと、俺が望むのはどちらかが―――或いは両方が倒れることなんかじゃない。絶対に違う!


『ア・ア・ア・ア・アアアアアアアアアアアァァァァッ!!』


 悲鳴のような咆哮。
 ナイフの突き立てられた傷口を両腕で掻き毟り―――その傷口からは、すでに血が止まっていた―――狂わんばかりに吼え続ける。
 ・・・はっきり言って、五月蝿い。
 余程、口に出して言ってやろうかと思ったが、それよりも早く。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 シード=アルロードの突進。
 石畳を浅く砕きつつ爆走してくる―――が。


 ―――さっきよりも、遅い。


「そらよッと」

『―――ゥ!?』


 難無く避けると、5歩分ほど―――大体、俺の8〜10歩分か?―――行き過ぎてから、こちらを振り返る。
 振りかえるその姿は、片手で傷口を抑えている。
 血は既に止まっていても、やはりそれなりのダメージはあるようだ、動きの悪さがそれを証明している。
 傷を庇うような行動は、おそらくは無意識にだろう。意識―――殺意は、はっきりとこちらへと向けられているからだ。

 殺意。
 それから、 “敵意” 。

 違和感があった。
 先刻、俺に殺されて終わりたいと叫んだシード=アルロードと比べての違和感がそれだった。
 さっきまでのシード=アルロードの “殺意” は上辺だけだった―――が、今のコイツからは心の底から俺を殺したいと思ってるように感じられる。

  “本気になった” という意味でもなく、殺したくて殺したくてたまらない。そう、思っているのか・・・?


『畜生がッ』


 罵声を吐きつつ、シードは再び突撃して来る。
 俺は、その突進の動きを把握し、難無く避け―――――ようとした瞬間!


 だんッ!


「なっ!?」


 不意に。
 シード=アルロードの動きが加速した。
 予測外のスピードに、俺は戸惑い、反応が一瞬遅れる。

 剛毛に覆われた獣人の身体。
 それが目の前に迫り、避けることも、ガードすることもままならないまま、俺の身体は容赦なく吹っ飛ばされ―――

 視界が滅茶苦茶になったと思ったら、衝撃。
 背中を強かに打ち、肺から空気を絞り出されるように強制的に吐き出す。
 続いての瞬間、目の前が薄暗くなる。


『油断したな―――悪いが俺の身体は特別制でな、アレくらいのダメージならすぐ回復すンだよ』


 シード=アルロードが俺に覆い被さるようにして立ち、俺の腹を片足で踏みつける。
 補充したばかりの空気をまたもや強制的に吐き出され、苦しくて頭がぼんやりとする。
 やばい。
 ぼんやりとする思考が、そんな危機警告を発し、ぼやけた視界の先でシード=アルロードが拳を振り上げるのが見えた。

 あれが、俺に振り下ろされればたぶん死ぬ。いや、絶対に死ぬ。

 そう、思った瞬間、俺の意識が急速に鮮明さを取り戻す―――が、逃げようにも、身体を足で抑えられて逃げられない。くそったれ、ビクともしやしないぞこの足ッ!


『足掻くんじゃねェ!』

「か・・・はっ!?」


 シードの足に力がこめられる。
 ズン、とまるで巨石が俺の上に落ちてきたような圧迫感。圧倒的なまでのその力に、もはや身体を動かすことすらできなかった。

 と、シード=アルロードは一転して、優しげな瞳―――というのは俺の幻覚か―――で、俺を見下ろし。


『一撃で身体も、意識も、命もフッ飛ばしてやるから安心しな!』
 

 安心できるか!
 思わず怒鳴り返しかけたが、すでに声すらも上げられない。
 ただ、ひゅーひゅーとかすれたような吐息が漏れただけだった。

 くそ、まずい。
 どうしようもない。
 まさしく絶体絶命のピンチってやつだ―――くそ、どうにもならないか!?

 ・・・・・・・・
 ならないな。


「・・・・・・・・・・・」

『ふン・・・? 観念したか』


 悪いかよ。
 もはや声も出せない俺は、心の中で言い返す。
 結局、俺なんてこんなもんだ。
 姉さんが出て行った時も、ただ泣いて居ただけだった。
 シードやフロアと一緒に組織を脱走した時も “俺が二人を守るんだ” なんて思って、助けられたのは俺の方だった。
 死んだと思ってたその二人も、この1年間、俺の知らない過去を歩んで生きていた。

 そして。

 森でミストに見つけて貰わなければ、あのままくたばってた。
 アバリチアじゃ “カオス” とかゆー魔族の王子に全然、歯が立たなかった。
 キンクフォートじゃ、あっさりミストをさらわれて―――

 結局、俺が助け出すまでもなくミストは無事で居て、助けてあげてとか頼まれたシード=アルロード相手にここでこうして殺される一歩手前。
 こんなもんだ、俺の存在なんて。


『さて。お前の顔にも見飽きた・・・そろそろ死ね』


 ぶん、とシードの右手が振り上げられる。
 あれが振り下ろされた時に俺は死ぬ。

 ・・・・・・・なんでかな。
 なんだか、妙な気分だ。
 なんか、ヤな気分。

 1年前から何度か、死にかけた経験があった。
 ・・・いや、そういえば一回死んだんだっけか? まあ、さておき。
 その時は、なんだかとっても―――ラクに・・・というか、別に嫌な気分じゃなかった。

 だって。
 シードとフロアが待っていてくれると思ったから・・・?
 うん。もしかしたら俺は、死にたがってたのかもしれない。死んだら、きっとラクになれるって信じてた。

 でも今は?
 今は、シードもフロアも生きている。
 死んでも誰も待っていてくれないから嫌な気分・・・・なのか?

 なんだろう。違うな?
 死ぬのが怖いとか、死にたくないとか、死ぬのが嫌とか・・・なんか、それとは違う気がする。

 むしろ、今もまだ死ぬのを望んで居るような気もする。
 シード=アルロードとフロア=ラインフィーを助けることができなかったのが俺の罪で、今ここで殺されるのがその罰。
 そうだ。俺はシードとフロアに償わなければならない―――だから、シード=アルロードに殺されるのは俺の義務だ。

 そう。俺の心は死ぬことを納得している。

 じゃあなんだろう?
 なにが嫌なんだ? 俺は、なにを感じている?
 俺は―――!?

 

 ―――――――――シード君!

 

 心に思い浮かんだのは誰かの泣き顔。
 それはいつかも見た―――現実には見たことのない、あいつの泣き顔。
 推理とか、悩むまでも無く、多分、きっと、俺が死ねばあいつは泣く。泣いてくれる。

 それが、俺はたまらなく嫌なんだ!


『―――死ね』


 死にたくない!
 俺は、死ねない!

「うわああああああっ!?」


 振り下ろされる一撃を――――


「ああああああああああああああああああああああああああ―――――あああああああッッッ!!」


 ジャッ!

 と、俺の右手が、その手に握り締めたナイフが凪いだ!


『なっ―――!?』


 シード=アルロードの、俺の頭を砕くはずだった拳は、あっさりと塵なって―――消える。


 天空八命星・虚空殺。


 ―――って、通じた、のか?
 キンクフォートじゃ通じなかったのに―――なんで?


『なあああああああああっ!?』


 シード=アルロードは、悲鳴を上げ、泡を食ったように俺の身体から飛び離れた。
 一瞬、思いっきり腹に荷重がかかって、完全に呼吸が停止したが、すぐさま新鮮な空気を肺に取り込んだ。


「げほっ、げほっ―――はぁ・・・はぁ・・・・・はぁ―――――――し、死ぬかと思ったぜ」

『俺の手が―――手があああああああああああッ!?』

「喧しい」


 喚くシード=アルロードを半眼で見やりながら、俺はゆっくりと起きあがった。
 う・・・背中が痛い。
 さっきまで感じなかった痛みが、じわじわと響くように感じる。

 と、俺を鋭い殺気が貫く。
 シード=アルロード。
 目を向けると、消失した右手首から先を反対の手で抱え込むようにしながら、赤い瞳を鋭く尖らせてこちらを睨みつけていた。


『殺す』

「死ねとか殺すとか物騒だね、お前」


 わざとらしく吐息。とかしてみる。
 すると、シードはさらに瞳を赤く爛々と炎が燃えるように輝かせて。


『殺す―――殺す殺す殺すッ!』


 突進。
 速い。
 避けられない―――――が。


「・・・・・・・」

『! ・・・・・くっ!』


 俺が、ナイフを構えるフリをすると、シードは慌てて突進する角度を変え、自ら俺を避ける。
 俺の脇を通り過ぎて行ったシードを振りかえると、シードは間合いを十分に取って、こちらを振り返る所だった。


『てめぇ・・・・・・』

「なんだ」


 笑う。


「怖いのか」

『くっ・・・』


 シードはまた自分の消失した手を押さえ、うめく。
 そりゃ怖いだろうな。
 斬られた訳でも砕かれた訳でも無いのに、ただ “消された” んだから。
 俺がやろうと思えば、その身体を全部塵にすることができる―――それを、シード=アルロードは知っている。

 いや、 “思い出した” か。


「そうだな。 “思い出した” んだ、お前は。俺がどういう存在なのかを」


 ぽつり、と呟いて、前へと一歩。
 それに合わせるように、ビクッとわずかに震え、シード=アルロードは後退する。
 そこには、明らかな怯えがあった。

 天空八命星。

 死よりも尚の死を与える存在。

 それは死と言う “絶対” の恐怖。

 それはイーグ=ファルコムという名前の死の具現。


『―――馬鹿な』


 うん?
 思わず、といった感じで漏らしたシード=アルロードの呟きを、俺は聞きとがめる。


『馬鹿な―――俺には、天空八命星は通用しないはず―――』


 ・・・どっからの情報だそれは。
 いや、確かにキンクフォートじゃ通用しなかったが。
 あれそういえばなんでだろうな? 魔族の力を持ってるからだとか思ってたけど、よくよく考えてみればその魔族を天空八命星で倒してるし俺。


「・・・怖いなら逃げろよ」


 とりあえず、降伏勧告。
 すると、シード=アルロードは恐怖を引っ込めて、ギラリとこちらを睨みつけてきた。
 構わず、続ける。


「正直、俺はお前を殺したくない―――が、お前を殺さなけりゃ生きられないって言うなら、仕方ない」


 吐息。
 ナイフの柄を、ぎゅっと握りなおす。
 扱いなれたナイフが、酷く重く感じる。


「本気でさ。さっきまで死んでもいいとは思ってたんだ。お前に殺されるなら、悪くないと思ってた」


 それは真実。
 嘘、偽りのない俺の本音だ。

 だけど、死を覚悟するたびに、俺の心に出て来るヤツがいる。
 そいつのためにも俺は死ねない。

 思えば。
 1年前。
 森の中で、月下の闇の中で、俺が死ぬところを邪魔したのもあいつだった。
 それを思い出して苦笑。


『なにが・・・可笑しい?』

「ん? いや、こっちの話」


 いちいち過敏に反応するなよ、と思いながら、俺は苦笑を止めてシード=アルロードに意識を向ける。


「さて、と。どうする―――死にたくないなら、逃げるかかかってこいよ」

『グ―――ガアアアアアアッ!』


 咆哮。
 そしてシード=アルロードは俺に向かって飛びかかって来る!

 ―――違和感。
 その動きには、あきらかな怯えがあった。
 死にたくないと、生き続けることを望む想いがあった。

 さっき、殺して欲しいと望んだシード=アルロードとは明らかに違う。


『ガアッ!』


 俺のナイフの射程外に、シード=アルロードは着地し、身を低く低くと俺の腰ほどに身を沈める―――瞬間、ダンッッと力強く、床を蹴る。
 飛ぶ。
 その動きは俺に向かってではなく、真上に向かって!


「ちっ!? フェイントかっ!?」


 吊られた。というワケではないが、俺もシード=アルロードの動きを追い、上を見上げる―――足首に、なにか掴まれるような感触。


「!?」

『かかった!』


 シード=アルロードの歓喜の声と同時に、下を見下ろすとそこには俺の足首を掴む “影” の腕。
 ちっ―――そういえば影使いだってことをすっかり忘れてた!

 舌打ち、したその直後、その影の腕に足を取られて、俺の身体は無様に石畳の上に転倒する。


『くっくっく―――ハハハハッ! 終わりだイーグッ!』


 笑い声は天井から。
 見れば、シード=アルロードは天井の鍾乳石に片腕でぶら下がっていた。
 ・・・・なんつー人外なジャンプ力だ。
 石畳から天井まで、4、5メートルはあるぞオイ。

 とか思ってると、シード=アルロードは鍾乳石から手を離し、天井を蹴って急降下する。
 ―――無論、俺に向かって。


『死ねええええッ!』


 俺に向かって獣人の巨体が迫って来る。
 うわ、ビジュアル的に全く美しくないって言うかむさくるしくて勘弁願いたい構図ーッ!

 心の中で悲鳴を上げつつ俺は、意識を足首掴む “影” に集中する。
 あっさりと、影は塵―――霧散して消える。


『なに――――!?』


 驚愕するシード=アルロードを無視して、俺はゴロゴロと石畳を転がって、シード=アルロード落下予測地点から退避。
 直後、物凄い音が部屋の中に響き渡った。具体的に言うと「どごぉんぉん」とか、矢鱈と響きのある轟音。

 ゴロゴロと転がったせいか、軽く目を回しながらなんとか立ちあがる。
 振りかえる、と砂埃を立てた中央に、石畳に身体全身をめり込ませているシード=アルロードの姿があった。
 ・・・隕石でも落ちたかのように、石畳がちょっとしたクレーターになってやがる。あのボディプレスまともに受けたら即死だったなー、俺。


「大丈夫かー?」

『ぐ・・・が・・・・・・』


 ・・・お、なんか大丈夫みたいだ。しぶとい。
 けっこうダメージはあるようだが、それでも不屈の闘志と言うかそんな感じに起きあがる。
 
 よろよろと頼りなげに立ちあがりつつ、ギラリと瞳だけはこちらを睨みつけて。


『虚空殺は・・・対象にナイフで傷をつけなければならないんじゃなかったか―――――?』

「物理的なモノはな。魔力の類なら、 “力” を直にぶつけるだけで消せるんだよ」


 ナイフで傷をつける理由は、 “肉体” という殻の向こうにある “存在” へと干渉するため。
  “存在” とは、肉体でも精神でもない。その物自体の本質。どういう時間を潜り抜け、どういった意味で “ここに有るのか” という結果。
 因果。という言葉がある。
 物事には原因があり、それから結果がある――― “存在” とは、その因果の結果。
 虚空殺は、その存在へと干渉し、天空八命星を原因として、 “終わり” を結果として残す技。

 魔力や―――他にもゴーストなどの、実体を持たない “存在” は、肉体などの “殻” で存在を覆って無いため、接触するだけで “終わらせられる” 。

 以前、アバリチアで暴走しかけたテレスの魔力を “終わらせた” のは、テレスの中で制御できず暴走寸前に膨れ上がった魔力を、テレスの口を通して、内部から “終わらせた” のだけど、それが出来たのはテレスの魔力が制御不能だったから。
 もしも、完全に制御されていていれば、肉体という殻によって守られている魔力を消すコトなんてできはしなかった。
  それはさておき
 閑話休題。


「じゃあ、そろそろ本気で―――」


 俺は、まだ倒れ伏したままのシード=アルロードへ向かって構え。


「―――殺すぞ」


 言葉。
 と、同時に己の心を “殺す” 。


 ―――天空八命星・空情

 じょう から
 情を空として、殺すことへの躊躇いを無くす。
 厳密に言えば、これは本来の天空八命星ではなく、姉さん―――リウラ=ファルコムに叩き込まれた、自分の感情をコントロールするその究極。
 暗殺時に、邪魔になるかもしれない感情を消す、のだが、俺は実はコレが苦手だったりする。

 ほんの暫く――― “天空八命星” を行使する僅かな時間のみしか持続せず、そのためにキンクフォートの聖騎士団副団長を暗殺する時には、天空八命星の “殺意” に呑まれた。

 ・・・その結果が、何故か姉さんは組織と俺の前から姿を消したわけだが―――――まあ、ンなことは今は関係ない。

 ―――すっ、と世界が冷たく冷えるような錯覚。
 夢の中、のように目に見える全てのものから “現実味” というものが失われ。

 ナイフを、握る。
 もはや何度と、何百度、何千度と繰り返した行動。
 シード=アルロードを殺す。これは、そのための意味。握るのは、そのための武器。


『くっ・・・』


 俺の視線だけで殺意が伝わったのか。
 シード=アルロードは、威押された様に、やや後退する。

 それに合わせるようにして、俺は、地面を蹴った。
 シード=アルロードを殺す。ただそれだけを目的として、駆ける―――――


「じゃすともーめんとぉっ!」


 コケた。
 なんか、こう、容赦ない感じに転倒する。素っ転ぶ。倒れる。無様。
 出足を挫かれる、というのはこういう事を言うんだな、と妙に納得しながら、地面を蹴った運動エネルギーの限り石畳の上を仰向けに滑る。

 イタイ。
 身体よりも精神的にやたらと痛かった。
 より具体的に説明するならば、頭が痛い。それも、1年前からずっと付き合ってきた頭痛。


「ちょっと待ったァッ! ―――と、おや? どうしたのシード君。なんか、スパイクレシーブを必死で受けたような格好して」

「・・・・・・」


 同じ意味の言葉を2度続けて叫ぶ声に、無言で顔を上げる。
 まず初めに、あっけに取られているシード=アルロードの姿が見えた。―――別に、俺の “スパイクレシーブを必死で受けたような格好” を見てあっけに取られてるわけじゃない。
 俺は、ゆっくりとシード=アルロードの視線の先を追う。そして、やるせない気持ちで口を開く。


「・・・・・お前。実は俺をからかって楽しんでるだろう?」


 俺の視線の先。
 何処から現れたか知らないが―――ともかく、唐突に出現した少女二人を半ば睨むようにして呟く。

 すると、二人のうち一方は大げさな身振りで首を傾げて、

「ううむ。私の推理によると、それは被害妄想ってやつね!」

「推理じゃねえし、その結論も間違ってるッ!」


 闇色のローブ。その上に浮かぶようにしてある金の髪と蒼い虚ろな両眼の少女、フロア=ラインフィー――――に、抱き抱えられるようにして現れたのは勿論。


「ミストッ。お前、捕まってるのかいないのかハッキリしとけぇっ!」


 ふよふよと、床と天井の中間くらいの空中に、フロアと一緒に浮かんでいるミストに向かって、俺は立ちあがりながら思いっきり怒鳴った。

 全く、俺の周りには感情を抜きにしては付き合えない人間が多すぎる。
 だから “空情” は苦手なんだ。クソ。

 

 

 

『フロアッ! どういうつもりだ!?』


 シード=アルロードが、空中のフロアに向かって怒鳴りつける。
 フロアは怯えたように身を竦ませ、ミストを抱きかかえたまま、ゆっくりと地面に降りて行く。

 そして、顔を上げて―――ミストの方をちらっと見て。


「わたしには、このひとにさからうことができません」

「そーゆーこと! 悪いけど、バッドエンドは趣味じゃないのよねッ!」


 なにか誇らしげに胸を張りつつ、ミストは笑う。
 バッドエンド? なにいってるんだかコイツは。


『・・・・・・・・・』


 おや?
 シード=アルロードは、じっとミストの方を見て。

 笑う?


『丁度良い・・・』


 一言。
 その、言葉の響きは―――なにか、胸がざわつくような嫌な響き。
 この状況―――まさか!?

 俺は、ハッとしてミストの方へと叫ぶ。


「ミスト! 逃げろッ!」

『フロアッ、やれッ!』


 俺の言葉とシードの言葉。
 俺の方が早かったが―――言ってから舌打ちする。
 出入口のない部屋だ。ここからどうやって逃げろと言うんだろう。おそらく、ミストが現れたのだって、フロアに運ばれてきたに違いない。

 と、俺とシード=アルロードの言葉に、ミストとフロアは互いに顔を見合わせる。
 一方はきょとんとした表情で、一方は怯えを含んだ表情で。


『フロア。何をしている? 早くその女を―――』

「できないのです!」


 ぶんぶん、と怯えを滲ませたままフロアは首を横に振る。
 その行為に、シード=アルロードは、ギリ・・・と、フロアを睨みつけた。


『俺を裏切るのか!? フロア』

「―――!」


 びくっ、と反応してフロアは身を竦ませる。
 ・・・・・何度、1年前のフロアと重ねてみても、全くの別人に見える。
 やはりコイツは―――っと。

 違う。
 今は、そんなコトを考えている場合じゃない!


「シード、テメェ、なんのつもりだ!?」

「そーよ! この子は、フロアさんじゃなくて、シルファっていうちゃんとした名前があるんだからねっ!」


 俺の言葉に続くようにして、ミストがよく解らないコトを言う。
 ・・・って、待て。シルファ? それじゃあやっぱり―――

 風。
 俺がミストにその “名前” を問い返そうとした瞬間、風が、吹いた。
 風のない洞窟の中で、吹くはずのない風。

 風、じゃない?
 そう、それは風ではなく、 “言葉” だった。


 ―――ごめんなさい。


「「え?」」


 思わず、という形で声を漏らしたのは俺だけではなかった。
 偶然に、俺とミストの声が唱和する。
 そして、その視線はフロアへと注がれて―――瞬間。


「きゃ―――――――」

「ミスト!?」


 唐突に。
 ミストの身体が硬直する―――いや?


「浮いてる!?」


 そう。
 見れば、ミストの足は床とは僅かに離れ、浮遊していた。


「――――――!」


 ミストは浮遊しつつ、もがく様に自らの身体を振りまわして、パクパクと必死の形相で口を開閉している。―――まるで、酸素の足りない金魚のようだ・・・・って、まさか!?

 俺は、フロア、そしてシード=アルロードを睨みつけた。
 すると、返すようにシード=アルロードが「にぃ」と笑う。獣と化して、よく表情の解らない顔だが、その笑みははっきりと感じ取れた。


『周囲の空気を固定させた。つまりどういうことか解るか?』


 空気を固定させる。というのがどういう状態かは、上手く想像できなかったが、ミストのもがく姿を見ればなんとなく解る。
 息ができない。
 その結果、ミストに待っているのは、窒息死!?


「くそっ!」

『おっと』

「―――ガッ!?」


 ミストの元に駆け寄ろうとした瞬間、シード=アルロードの横手からの一撃に吹っ飛ばされる。
 ミストに気が向いていたための不意打ち。
 馬鹿だ。
 と、自嘲。いくらなんでもマトモに喰うか自分ッ!?

 心の中で自分自身を罵りながら、床に激突。
 なんとか、すぐに起きあがるコトができた。―――いや。

 手加減された。

 シード=アルロードの獣人となったその豪腕ならば、下手すれば今の一撃で、即死していてもおかしくないはずだった。


『クク・・・形勢逆転・・・てか?』

「ぐっっ・・・がはっ・・・」


 死んでない。が、ダメージは矢鱈と深い。
 身動きができない。
 石畳の上に、両膝をつき、腕をついて、伏せた状態のまま、コレ以上動くコトができそうになかった。


『見ろよ』

「・・・っ!」


 ぐい、と髪の毛を掴まれ、強引に顔を上げさせられる。
 強制的に視線を転じさせられた先は、シード=アルロードの姿ではなく、フロアと―――その隣りで呼吸する事を封じられたミストの姿。

 ミストは、両手で喉を押さえ、立ち膝の状態で、表情を歪めている。
 と、愉悦の混じったシード=アルロードの声が、俺の神経を逆なでするのが目的の様に、耳元で囁かれる。


『見えるか? 汚らしいよなぁ・・・顔を歪めて、涎を醜く垂らしてるのがよ!』


 見えねェよ。
 思いながらも、しかし反射的に注視してしまう。
 なにか叫ぶように、吼えるように大きく開けられたミストの口からは涎が溢れ、一本の筋となって口元を伝い、顎の先からポタポタと石畳の上に水滴となって落ちて行く。

 ・・・?

 ふと、ミストが、俺の方を見た。
 俺の方を見て、なにか、叫んでいる―――――


『ホラ。お前に助けを求めているぜ』


 シード=アルロードが、嘲笑とともに言う。
 言外に “お前にはなにもできないがな” という響きを含ませて。

 だが。
 そのシード=アルロードの言葉で、俺は理解する。
 求めている。
 求めている。
 ミストが、俺に、求めているものを。


『・・・・・・ん?』


 怪訝そうな声。
 俺は構わず、身体に力を込めた。
  “動け” と。


『なんだ、震えてるのか? 恐怖か? それとも、自分自身の無力に対する自己嫌悪か?』


 馬鹿が耳元でなにか言っているが無視。
 俺は構わず、身体に念じた。
  ”動け” と。


『くっくっく・・・なんとか言ってみろよ。泣き言を聞かせてみろ』

「五月蝿い」


 声。
 俺のその声を聞いて、シード=アルロードは満足の気配を見せる。
 それは、言う事しかできない俺への嘲りという優越感。

 声。
 俺のその声は力だった。俺は、声を出すように、その声を引金として、全身の力を一つの動作に込めて。
 解放する。


「らああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 叫ぶ。
 力が逃げないように、集中させた力が分散しないように。
 動く。
 俺の、右腕が、右手が、わずかな力を持って、動く。

 掴まれたままの髪の毛を力の起点として、その反動で、俺は右腕を全力で振りまわす。
 右腕の先、遠心力が生まれた右手の中にはナイフ。

 狙いはミスト。


『何をしやがる!』


 ナイフを投擲した直後、シード=アルロードに突き飛ばされ、俺は力無く床に転がった。
 三回ほど床を転がり、仰向けになって止まる。
 顎を上げ、その視線の先には。


「――――ッ!」


 ミストが、床に落ちた―――どうやら力が足りずに届かなかったらしい―――ナイフに飛びつく。
 そして、無理矢理両手で柄を握ると、右腰の下から自分の頭上へとナイフを振り上げた。


『は? 何の真似だ―――』


 小馬鹿にするようなシード=アルロードの声。
 だが。


「―――はぁっ! はー、はー、はー・・・っ!」

『なんだと!?』


 突然、呼吸を再開したミストに、シード=アルロードの驚愕が部屋の中に響く。
 俺の視線の先では、ミストの向こう側で、フロアもまた目を見開いてミストを凝視していた。


「・・・・・・ふっ」


 やがて、十分に酸素を取り込み、息を整え終わると、ミストは不敵に笑う。


「天空八命星・虚空殺!」

『―――って、嘘こけぇぇっ!』

「嘘じゃないもん。本当だもん」


 即座に否定するシード=アルロードに、ミストは我侭を言う子供の様に、ぶんぶんと首を振る。

 いや、まあ、俺も信じられない所があるんだが。

 ―――――以前、ミストは “虚空殺” を使ってる。
 あの時は、俺と “繋がっている” 状態だったから使えたんだろうが、今は違う。

 だが―――と、俺は一つ仮説。
 つい最近まで気付かなかったが、天空八命星は技術じゃない。
 俺の中に “天空八命星” という存在があるからこそ、俺が使えるわけで、言ってしまえば生まれつきの能力であるわけだ。
 極端に言ってしまえば、髪の毛が金髪だったり、黒だったり、瞳の色が蒼かったりするのと同じこと。

 で、本来使えないはずの力を、俺を通して使ってしまった時に、身体が “天空八命星” というものを知り、今、ミストが危機に陥った時、防衛本能として “虚空殺” という力が呼び覚まされたのではないのだろうかと。


「駄目かな」

『・・・なにがだ』

「おわあっ!?」


 独り言にツッコまれ、思わず―――――身を竦ませようとして、身体が動かない。とりあえず吃驚してみる。

 視線を、目の動きの分だけ変える。
 首は動かない。
 というか、さっきので力使い果たしたみたいで、できると言ったら瞬きと口を動かすことくらいだ。

 視界の端。
 辛うじて、傍らに立つシード=アルロードの姿が見えた。
 シード=アルロードは、俺ではなく、別の方―――ミストとフロアがいる方向を向いて、吐息。


『ったく、なんなんだあの女は? 捕まっても泣き言一つ言わねェは、フロアを手なずけるは、挙句の果てには天空八命星だと?』

「・・・はは」


 笑うしかない。
 とゆーか、俺も聞きたい。全く、ミステリア=ウォーフマンという存在はなんなのか。

 ―――そんな問題提起は置いといて、とりあえず今は―――


『ま。いい。じゃあ、そろそろ終わりにするぜ』


 と、シード=アルロードはこちらを見下ろし、にぃ・・・と獰猛な笑みを見せる。
 鋭く尖った大きな犬歯を口の端から出す―――肉食だなぁ、などと思ってみたり。

 色々な意味で疲れたのか、シード=アルロードは吐息をもう一度すると、無言で俺に向かって拳を振り下ろす――――――って。ヤバイ。マズイ。動けない。―――死ぬ!?


「シード君ッ!」


 ミストの悲痛な叫び声。
 が、耳に届く。
 しかし、もう、完全に力を使い果たした状態で、身体が動かない。
 今度こそ、どうしようもない。

 周囲の時間がひどくゆっくりとしたものに変わる。

 俺の動きも。
 振り下ろされる、シード=アルロードの巨大な拳も。
 響く、ミストの悲鳴も。

 全てがゆっくりとして。

 コマ送りのように、段々と俺の身体に吸い込まれる様にして落ちて行く破壊の拳を眺めながら、反射的に、俺は動けない身体で逃げようと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 え?
 と、思った瞬間には、破壊音。
 砕く、ではなく潰れる、という意味の音。
 重々しい、重く、腹の底から響くような重い音。

 身体の反射が、意識を凌駕する瞬間。
 無意識。と呼ばれる領域の行動で、俺は、シード=アルロードから間合いを取った状態で、何時のまにか立っていた。


「・・・・・あれ?」


 気が付けば、身体のダメージは無くなっていた。
 違和感。
 まるで、夢だったかの様に、身体は活発に。

 動いている。


『法術!?』


 叫ぶ。
 シード=アルロードは、石畳を殴り潰した拳を上げ、身体を起こし、俺―――ではなくまたもやミストを見る。


「へ?」


 と、俺も吊られてミストの姿を見やる。
 見れば、ミストもまた、おそらくは俺が浮かべてる表情と、同じ様に呆けたような表情をしていた。

 ふと、俺とミストの視線が合う。


「シード君・・・? 生きてる」

「見たいだ」


 よく解らない。
 いつもなら “生きてちゃ悪いか” とか軽口たたく所だが、俺自身何が起こったのかさっぱりで、思わず素で受け答えしてしまう。


『くそが! 天空八命星の次は回復の法術だと!?』


 一人、シード=アルロードが苛立ちをあらわに叫んでいる。
 ・・・かいふくのほうじゅつ?
 回復の法術って言えば、教会の神父やらシスターやらが使う―――――

 そこで、気付く。
 反射的にミストの方を見ると、ミストも俺と同じことを思い浮かべたのか、こちらを見ていた。


「おかあ・・・さん?」


 そのミストの呟きを、この場で理解できたのは俺だけだろう。
 ―――以前、ミストの母親は、教会の娘だったと聞いたことがある。それも、かなり腕の良い法術使いだったと。
 なんでも、傭兵だったマスターの怪我を治療したことから、二人は知り合って以下略。

 その話を聞いたとき、ミストは “自分は術を使えない” と言っていたが、この土壇場で使えるようになったって言うのか!?


「・・・うわ、すっげー奇跡」

『くっ! なんだ・・・なんだ貴様はぁぁぁっ!』


 火でも吹きそうな勢いで、シード=アルロードはミストに怒鳴り付ける。


『貴様が現れてから、全てが狂い通しだ! ―――本来なら、キンクフォートのあの晩に全てが終わっているはずだった!』


 あー。そう言えば、あの時もミストが乱入したんだっけか。
 と、思い出す。


「私に言われても知らないわよ」


 ふんっ、とミストは勢い良く胸を張る。
 その行動はさらに、シード=アルロードの神経を逆撫でたようだった。
 シード=アルロードは、自分の硬質感のある剛毛をガリガリと掻いて。


『フロア! その女を殺せッ!』


 シード=アルロードの言葉に、それまで黙っていたフロアがびくっと身を震わせる。
  “躊躇い” を見せるフロアに対し、シード=アルロードはさらに怒鳴る。


『早く殺れ! もはや人質の意味もない! 今すぐに殺してしまえ!』

 ―――シード=アルロードは気付いていないのだろうか。
 フロアが怯えてしまっていることに。なによりも、誰よりもシード=アルロードを恐怖していることに。


「ごめん・・・なさい」


 謝罪の言葉。
 それと同時に、風が巻き起こり―――――


「シルファッ!」


 ミストが叫ぶ。
 すると、フロアは怯えたようにミストを見る。構わず、ミストは続けた。

「汝は風の精霊―――世界に在らず人々の幻想の中にさまよう者!
 地上で最も弱き意思にして人の意思なくして存在することのできない亡霊よ! 幻よ!
 フロア=ラインフィーの名を持つヒトによって見出された喜びよ!」


 それは、歌だった。
 ミストをとりまく風の音を旋律とする、唱歌。


「汝を知る代わりに我は力を求めるだろう
 汝は意思を得る代わりに我が自由を縛るだろう
 汝は自由を失う代わりに我と共に在り続けるだろう」


 風は勢いをまし、それはさらなる旋律を生み出す。
 風は風と共に流れ、風と風がぶつかり合い、それは拍子となる。

 旋律。
 拍子。
 唱歌。

 その三つに魅了され、俺は―――俺と、シード=アルロード、そしてフロアはその場に立ち尽くす。


「我は汝。
 汝は我。
 精霊よ。風の紡ぎ手よ。世界で最も希薄で脆弱な意思よ
 これは契約
 我と汝が共に在り続けるためのもの
 これは盟約
 我の喜びを汝の楽しみとし、汝の心を我の笑いとするためのもの
 これは約束
 我と汝が出会えた始まりの証。他愛ない童子の指切り遊び―――――――」


 気付く。
 フロアが、何故か泣いていることに。

 そのことに疑問を思う間もなく歌が止む。
 歌、だけだ。
 風は吹き続け、旋律と拍子はまだ続く。


「これは」


 ミストの口から紡がれたそれは “言葉” だった。
 旋律も、拍子も、無視された言葉。

 ミストは何時の間にか瞳を閉じていた。
 まるで、なにか自分の記憶の中から思い出そうとするかのように。


「これは、フロア=ラインフィーの歌。名も無き風の精霊と巡り合えた時の歌」


 と。
 フロアはこくこくと、涙を流しながらミストの言葉に頷いている。


「私はそれを知っている―――だから」


 すっ―――と、ミストは瞳を開け、顔を上げ、それからフロアを振りかえった。
 フロアはもう怯えずに、ただ真っ直ぐにミストの顔を見返す。

 暫しの無言。
 風の音だけが、その印象を残そうとするかのように、強く、激しく、騒がしく吹き続ける。


「だから。貴方に問うわ! シルファ、貴方の望みを答えなさい!」

「・・・・わたし・・・・の・・・・・・のぞみ・・・・・・・」


 ミストの言葉を反芻するように、フロアは言葉を繰り返す。
 と。


『―――フロア、何をしている! さっさとその女を殺せ!』

「シードッ!」


 我に返ったシード=アルロードが怒鳴る。
 と、フロアはびくっとまたもや震え。
 そして、ミストを取り囲む風が勢いを増す!


「ミスト―――」

「シルファ! 貴方には望みがあるでしょう! それは貴方の誰も冒すことのできない “意思” よ!」


 俺の叫びは、風と、ミスト自身の叫びによって掻き消されたようだった。
 フロアは不安げな表情で、ミストを見る。


『フロア!』

「―――!」


 シード=アルロードの再度の声に、風がさらに勢いを増した。


「うくっ!」


 唐突に、ミストの頬が切れ、血飛沫が舞う。
 風が、カマイタチとなって、ミストを切り刻もうとしている!?


「ミスト! 虚空殺を―――」

「シルファァッ!」


 またもや俺の声は無視される。
 なにやってんだアイツはっ!

 俺は、ミストに向かって駆け出そうとして―――――横に飛ぶ!

 一瞬前まで俺の居た場所の空気を砕くようにして、シード=アルロードの一撃が振るわれた。


『―――ち。流石に2度は上手く行かないかよ!』

「邪魔だ! どけ!」

『どかねぇよ!』


 くそ―――
 シード=アルロードは、俺とミストを遮るように立ちはだかる。

 その巨体の向こうからは、尚もミストの呼びかけが続いていた。


「シルファ! 答えなさい! 叫びなさい! 思いなさい! 怒鳴りなさい!」

「・・・・・・・・・」

「貴方が望むこと! 貴方が大切な人のことを!」

「わたしは―――わたしはせいれいなのです。わたしはそんざいするかわりに―――ここにあるかわりに―――ひとにのぞまれるのです―――だから――――――」

「だから望まないの!? だから貴方は従うの!? 貴方を縛る束縛も、閉じ込めるものもなにもないのに!」

「これはけいやくなのです―――わたしがありつづけるために、ひとののぞみにしたがうのです」

「その契約は貴方と “誰が” 在り続けるものなの?」

「めいやくなのです―――わたしがこころをもつための、そくばくなのです」

「その盟約は貴方と “誰の“ 心を繋ぐためのものなの?」

「やくそくなのです―――わたしがはじまったときからの、のがれられないやくそくなのです」

「その約束は貴方が “誰と” 始まった時の約束なの!?」

「わたしは―――――」

「シルファ! 貴方は望んだハズよ! 私の中で。求めたハズよ! 私の心の中で!」

「わたしは―――――――――わたしは!」

「聞いてあげるから。応えてあげるから―――叫びなさい!」

「わたしは―――わたしは、もどってきてほしいのです。わたしが、わたしをみつけてくれて、わたしをだいすきになってくれただいすきなひとがもどってきてほしいのです!」

「だったら望み続けなさい。信じなさい! ―――――きっと、絶対、なにもかも上手く行くって!」


 ミストのその声と共に。
 風が止んだ。

 俺と対峙していたシード=アルロードが、風の音が消失したことに気付いて後ろを振り向く。

 その脇から、俺もミスト達の方を見る。


『フロア! なんのつもりだ!』


 シード=アルロードが怒鳴るその先。
 フロアは、俯いていた。
 首をしたに垂らし、肩を震わせ、ボロボロと涙を零し―――――泣いていた。


「わたし・・・は」


 涙を堪え。


「わたしはっ」


 想いを。


「わたしはっ。わたしは、のぞみます! あのひとがかえってきてくれることを!」


 強く、強く、叫ぶ。


「しんじます! しんじるのです! あのひとを、とりもどしてくれることを!」

「うん!」


 頷いたのはミストだった。
 笑顔で。
 俺が、見たことないような眩しい笑顔で、フロアを見て、それから―――


「え?」


 思わず、俺の口から、疑問の音が零れ出る。
 ミストは、こっちを見て軽くウィンクすると、再びフロアに向き直って。


「シード君!」


 俺の名前を叫ぶと同時、ミストはフロアに向かって、何時の間にか手に握っていた赤い粉を振りまく。
 キラキラと、それはまるで自ら光を放つように、幾つもの細かい輝きを放ち、フロアの周囲を煌びやかに飾る。

 刹那。

 反射的に、俺は自分のズボンのポケットに手を突っ込むと、そこにある物を握り締めた!


「後は、任せたからね!」


 ミストの声に頷いて、俺は握る手に力を込めた。
 そして。

 いつしか、俺の目の前を “蒼” が覆い尽し―――――

 


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