パニック!

シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」


G【殺意の衝動】


 

「じゃあお前帰れ」

「・・・は?」


 俺が言うと、クレイスは疑問形の単音を返す。
 ―――ミストが影の中に消えて、数秒後。
 このまま、ここでじっとしていても始らないので、とりあえずミストを助けに―――それから、旧友を二人助けに行くことにする。

 そこで、きっと、ていうか絶対に邪魔になりそうなヤツを帰らせようとしたのだが。


「いやだから帰れ、お前」

「・・・はぁぁ?」


 また単音。さっきよりも少々長め。
 なんで意味が通じないんだろうか。言葉が解らないってわけでもあるまいに。


「だから、こっからは俺一人で行くから、お前は帰れってコト」

「・・・どうやって帰れと言うんだよ?」


 ・・・・・・・・・
 あぁ。
 そういえば、入り口は登れないほどの急斜面になってて、帰るに帰れないんだったっけか。

 困ったな。
 こいつを連れてっても邪魔だし。
 仕方無い、ここで待たせておくか。


「んじゃ、ここで待ってろ」

「なんでだ」

「邪魔だから」

「なんだと!? このクレイス=ルーンクレストを捕まえて邪魔とはなんだーっ!」


 ・・・・・・考えてみれば、だ。
 なんか言うだけ無駄だったなー。むぅ。

 仕方ない。
 無理にでも待っていてもらうとするか。


「許せ、クレイス」

「へっ?」


 きょとん、とするクレイスの懐に、素早く滑り込むようにして飛び込むと、鳩尾に強打。
 クレイスは「うっ!」と呻き声をあげて、


「なにすんだこらああああっ!」


 叫び。くわんくわんと、クレイスの怒声が部屋の中に響き渡る。
 洞窟内の、それも小さな部屋だ。かなり、五月蝿い。

 ・・・あれ、おかしいな?
 フツーこうやったら気絶するんじゃないのか? あれ?

 とか思ってると。いきなりクレイスの不意打ち。

 げし。
 殴り返される。


「いてーなっ! そっちこそナニしやがるっ!?」


 殴られた頬を押さえつつクレイスを睨み返す。
 睨んだ先でクレイスは、ルーンクレストソードマークIIだかなんだかを振りまわしつつ、怒鳴る。


「こっちの方が痛かったぞ! くそっ、まさか貴様、僕をこっそり暗殺する気だったろ―ッ!」


 文法滅茶苦茶。
 だいたい、「こっそり暗殺」ってなんだか。「堂々と暗殺」ってあったら見てみたいもんだ。

 ・・・と、ふと気付く。


「クレイス、お前って何時、俺が暗殺者だって知ったんだ?」


 確か、こいつだけは気付いてなかったはず。
 いや、なんか俺が暗殺者だって言ったら 「それはトリックだろう」 とか、某ミステリアのようなコト抜かしたような記憶がある。

 俺の問いに、クレイスは「はぁ?」とまた疑問。


「暗殺なんてお前がいつも考えてそうなことだろーがっ! ナニを今更いっている?」

「・・・・・・いつも考えて・・・って、なんでだオイ」


 うっわー、こいつの言ってることわからねー。
 この頃、ミストの考えはなんとなく解るようになって来たつもりだが、コイツはまるっきし理解できん。

 てゆか、ミストが生きてると知ったらコレかよ。
 やっぱシリアスバージョンとギャップがありすぎる。
 ミストが居なけりゃ、こいつとはトモダチくらいにはなれたかも知れないな。と思う。

 と、馬鹿モードのクレイスは「ふんっ」といつもの様に大仰に胸を張る。


「下等な下民が、高貴である僕に殺意を沸くのは至極当然のコトだろうっ!」

「あっそ。じゃあ今すぐ殺していいか? いやマジで」


 素早く、ナイフを取り出す。
 それを見た瞬間、クレイスはブンブンッと首を横に振りつつ暴れつつ。


「ちょっ。ちょっとまてーっ! 僕を殺しちゃいけないんだぞー! 法律で決められてるんだぁっ! 王立憲法第792条第三項 “クレイス=ルーンクレスト刺殺禁止法” って明記されてるんだぞー!」

「じゃあ、絞殺ならいいのか?」

「それは第二項に禁止法が定められてるんだっ!」

「・・・どーでもいいが、アバリチアは自治都市だろ」

「ここらへん一帯はエルラルド王国の領地に入るから、王立憲法が適用されるんだッ!」

「妙な所で理論的なやつだなー」


 苦笑しつつナイフを納める。

 エルラルド王国。
 キンクフォートを中心とした、フィアルディア大陸最大の国家。
 ・・・とはいえ、実を言うと “エルラルド” という名前の知名度は極めて低い。
  “エルラルド王国” というよりも “王都キンクフォート” と言うほうが、この大陸の人間にはピンと来るだろう。

 その原因は、ついニ十年ほど前にあった “最終聖戦” に原因がある。

 長く続いた “暗黒時代” を終わらせた “最終聖戦” 。
 今では、ほとんど御伽噺のようなモンで語られてるが、実際に歴史に存在した人と魔の戦争であり、現実は御伽噺なんぞよりも凄惨で悲惨なものだったらしい。
 もっとも、当然俺は生まれていなかったから、どれほどのものか実際には知らない。

 ま、ともかく。
 エルラルド王国という名前が人々の間にあまり知られないのは、その最終聖戦で国と国との境界が、ほぼ消失したからなんだが。
 つまり、どう言うコトかといえば。 “最終聖戦” は文字通り、フィアルディア大陸に住まう人間の総力戦であったという。国を越え、民族同士の誇りや諍いを超えて、大陸全土の人間が剣を合わせ、同じ盾を掲げた。

 で、結果として国同士の関係、というか境界線があやふやになってしまったわけだ。
 同じ釜の飯を食った者同士。人類皆兄弟。とかそーゆー感じで。

 解り易く居えば、大陸が一つの国家。となってしまったようなもの。
 特に統一したとかそーゆーことはなかったんだが、気がついたら、エルラルド王国を中心として色んな国が一つにまとまってる状態。
  “王都” と呼ぶコトのできる都市は幾つかこの大陸に存在するが、この大陸で “王都” といえば “キンクフォート” になるのはそういうワケがあり、 “エルラルド” という国名に、知名度がないのもそういう理由がある。

 ・・・と。


『・・・お前ら、いつまでダベってやがるっ!?』


 唐突に、 “声” が響いた。
 周囲を見まわす。
 が、部屋の中に声が反響して、声の元が特定できない。

 ・・・だが、この声はッ!?


「・・・シードか」

『・・・久し振りだな。シード=ラインフィー・・・約束通り、王族の首は用意できたか?』

「おい、そこの影だ!」


 !?
 クレイスが指差す先。
 部屋の中のベッドの脇に、黒い影が・・・・・蠢いている!

 俺は、その影に近づいて。


「てりゃ」


 とりあえず、足で踏み潰してみる。


『・・・なんのつもりだ?』

「あれ?」

『なにをしようとしてたんだ、お前は?』


 いやなんとなく。
 やってみただけなんだけどな。


「シード、そいつは “影使い” だ。影を媒介にして、別の所から声を送ってるに過ぎない」

「お。シリアスクレイス復活?」

「なんだよそれ」


 文字通り言葉通り。
 シリアス臭いクレイスのこと。
 ちなみに、通常クレイスよりも役に立つ。

 とか、馬鹿なコトを思ってると、苛立つように影。


『お前らヤル気あるのかコラァッ! シード=ラインフィー、王族の首はどうした!』

「あ。それなら、約束通り全員滅殺。今じゃ、キンクフォートの街中じゃ盛大な葬式やってると思うぞ」

『嘘つけ』

「嘘じゃないって。なぁ、クレイス」

「はぁ? なんで、キンクフォートで葬式なんかするんだ?」


 ・・・・・・・
 馬鹿だコイツ。


『やっぱ嘘じゃねェかコラァッ!』

「ちっ。この馬鹿クレイスッ。上手くいきゃラクにミストを取り返せたのかもしれないのに!」

『騙せるか阿呆ッ! ・・・だいたい、もしも本当にテメェが約束守ったとしても、こっちは約束を守る気なんかサラサラなかったんだよっ! テメェの女は殺すつもりだったんだ! ザマーミロ』


 へへーんだっ。とゆーような影からの声。
 その声にそういえば、と思い出す。


「・・・でもミスト生きてるじゃんか」

『・・・・・・・・・・うっ』

「そーいや、約束つーか脅迫の期日から一日過ぎてるハズだよな? なのにどうして、ミストって生かされてるんだ?」

「いやいやシード。だからコイツは “約束を守らなかった” んだろうが」

「おぅ。そーか。成る程、よく解った」

『て、てめぇらッ。俺のこと馬鹿にしてるだろッ!?』


 馬鹿だし。


「いやそんなコトはないさ」

『ああっ!? なんかちょっと嘲りの響きがあったぞコラ』

「それは被害妄想ってヤツだな」

『だぁぁっ! もうなんでもいいからとっとと来やがれッ! 早くしないとマジで女を死なすぞ殺すぞヤっちゃうぞッ!』

『・・・・・これで、馬鹿にするなって方が無理よねェ』


 と、ミストの声。

『あ。こら、女ッ。お前は引っ込んで―――フロアッ、しっかり抑えつけてろッ!』

『わたしにはそのひとをおさえつけることはできないのです。わたしのいしがかすんでしまうほどのつよいいしを―――』


 今度はフロアの―――フロアではない誰かの声。

『風で抑えつけることならできるだろうがッ』

『・・・・・・』

『って、きゃあああっ!?』


 あ。なんかミストの声がドップラー。


『いいかっ! 早く来いよっ! 来なきゃ凄いぞ!』


 と、シード。シード=アルロードの声を最後にして。
 影からの声は途絶えた。

 影を踏んでいた足を上げる―――と、そこにはすでに影は跡も残さず消えていた。
 いや、まあ、影なんだし、跡なんか残るわきゃないけど。


「・・・なんて不親切なヤツだ! 来い来い言って、どこに来いと言うんだか」


 腕を組みつつクレイスが尊大な態度で憤慨。
 まァ・・・行き先はわかってる。
 ここに来る途中にあった、分かれ道。そのもう一方の先。

 しかし、それよりも・・・・・・


「来なかったらなにが凄いんだろう・・・・・」


 思わず俺は呟いた。
 その言葉を聞いて、何故だかクレイスが顔を赤らめる。

 ・・・・ヘンなヤツ。

 

 

 

 

 分岐路まで戻って来るのはそれほど苦労はなかった。
 特に妨害も無く―――まあ「来い」と言ってるのに、わざわざ邪魔するような真似はしないだろうが―――元の道まで戻りつく。


「さて、と。マジな話・・・クレイス、お前どっかに隠れてろ」

「イヤだ」


 頑固一徹。
 ぷい、と顔を背けて否定するクレイスに俺は苦笑。
 ったく、どーして俺の周りの人間は、俺の言うことを聞いてくれないんだろう?


「あのなぁ。シード―――ミストをさらったヤツが、何を考えて居るのか解らないが、命の保証はできないんだぞ?」

「保証なんていらない。僕に今必要なのは、勇気と英断!」

「・・・意味不明だ馬鹿」


 ・・・と、口でいいつつも、なんとなく言いたいことは解るような気がする。
 む。ちょっと生長したのかも俺。

 ――― “染まっただけ” とか言わない様に。


「力づくでも止めるぞオイ」

「やるならやってみ―――」


 「ろ」 とクレイスが発音した瞬間、クレイスの額を目掛けて掌底。
 この一撃が入れば、上手くすれば気絶。少なくとも、脳震盪で暫くはまともに歩くことも出来ないはず。

 ハズ、だったが―――!?


「うわああっ!?」

「―――避けたッ!?」


 クレイスは俺の一撃を、仰け反るようにして回避。
 そのままバランスを崩して、その場に尻餅を付く。

 腕を突き出した状態で、俺は硬直。
 冗談抜きで、今の一撃はかなり本気で放った一撃だった―――それを回避されたことへの驚愕。


「いて・・・」

「チッ。クレイスの癖にややこしい真似をするんじゃねェッ!」

「いてて・・・ややこしいってなんだーっ!?」


 十分、ややこしいだろうが!
 今の一撃でサクッと終わってたはずなのに、わざわざ避けやがってッ!

 俺は、打ったらしい腰をさすりながら、地面に座ったままじわじわと後退して行くクレイスに、半歩で追いつくと、その腹部に向かって拳の一撃を打ち下ろす。
 今度は絶対に回避不可能!

 だが、クレイスはそれを防ごうとはせずに、逆に俺の方へ向かって右腕を突きあげる。
 カウンターでも狙うつもりか? 届くか馬鹿がッ!


「 “ファイ” !」

「な―――」


 2度目の驚愕。
 クレイスの突き出した掌から、炎が噴出して、俺は思わず身を引く。
 それでも拳を振り下ろした勢いは消えず、俺の一撃がクレイスの腹に浅く入り、クレイスの生み出した炎が俺の頬を軽く撫でた。


「あちーっ!?」


 慌てて飛びのく。
  “熱さ” を払うように、クレイスを睨みつけながら、炎で炙られた頬を洞窟の壁に押し付ける。
  ・・・あ。ひんやりとして気持ち良い。

 とかやってると、クレイスは服の砂埃を払いながらゆっくりと立ち上がる。


「・・・魔法、使えたのか!?」


 反撃を受けた、ということよりも、クレイスが魔法を使えたことによる驚きが大きい。
 俺の言葉に、クレイスは不機嫌そうに「フン」と鼻を鳴らす。


「僕を誰だと思ってるんだ? かつての四聖剣の勇者や、 “剣王” と一緒に最終聖戦を戦いぬいた、カルファ=ルーンクレストの孫だぞ」


 ・・・・そういえば、前から疑問に思っていた。
 テレスは魔法を使えるのに、どーしてコイツは使えないんだろうか、と。

 つまるところ、「使えない」んじゃなくて、「使わない」だけだったのか?
 でも・・・なんで?

 疑問。
 しかし、それを悩む暇もなく、クレイスが叫ぶ。


「僕だってやれるんだ! お前の足手纏いなんかにはならないんだからな!」

「阿呆。足手纏いとかそーゆー以前に、これは俺の問題なんだよっ! てめェは関係ないッ!」

「ミストが捕まってるなら、僕にだって関係はあるんだよっ!」


 そう言って、クレイスはわずかに腰を落とす。


「力づくでも付いてってやるからなっ!」


 はっきりとした戦闘意思。
 魔法を放つのに、構えは必要ないだろうが、一種の気構えと言うやつだろう。

 ったく。
 このやろう、本気でやりあう気か?

 肩を竦めて嘆息。
 して、俺はクレイスに告げる。


「やめとけクレイス。俺が、お前が連れてきた魔道士や、テレスの魔法を無効化したのを知ってるだろ?」

「知ってるからやれるのさ!」


 軽く。
 威圧感。
 それは、クレイスが魔法を放つために、魔力を集中しているからだと感覚で判断する。

 クレイスは僅かに唇の端を持ち上げる。
 笑み、を作ろうとしているのか、しかしその表情はぎこちない。

 ―――なんだ。
 良く見てみると、クレイスの足は小刻みに震えていた。
 戦いが怖いのか? それとも、その敵である俺が怖いのか?


「いくぞ・・・・ “ファイ・ゴウ” 」


 クレイスの掌から炎。
 炎は、真っ直ぐに俺へと目掛けて飛んで来る。

 俺はそれを手にしたナイフで切りつけ、力を放つ。
 瞬間、炎はあっさりと、余韻も残さずに霧散する。


「 “ガル・ゴウ” 」


 霧散した炎を無視して、今度は風を解き放つ。
 風、といっても僅かに身体が押し戻されるくらいの風。フロアの力ほどに強くない。

 ナイフで風を裂く。
 あっさりと風の抵抗は無くなり、無風状態になる。


「無駄だって―――」

「 “ライ・ゴウ” 」


 俺の言葉を遮るように、今度は雷。
 とはいえ、電光石火と言うわけではなく、速いが捉えられない速度じゃない。
 俺は、雷をナイフで受け、消滅させる。


「 “リーズ・バル・ゴウ” 」

 雷を消したと同時、今度は雹―――いや、それよりも数倍は大きい氷の礫が飛んで来る。
 しかし、それもナイフで―――


「 “ファイ・バル・ゴウ” !」


 ―――なにっ!?
 俺のナイフが氷を斬るよりも速く、クレイスの生み出した炎が氷を溶かし、視界を水蒸気が覆う。
 目眩まし。
 と、気がついた瞬間に、目の前に踏み込んで来る気配。


「チッ」


 舌打ちを一つして、 “神眼” を発動。
 蒸気の中を突っ切って、飛び込んで来るクレイスの姿をはっきりと “感じる” 。

 不意にー――
 だんっ!


「なッ・・・?」


 踏み込みの大きな音が聞こえてきたのは前からではなく、背後から。
 反射的に俺は後ろを振り返る―――が、そこには誰も、なにも存在してない。
 ただ、どこからともなく有る光によって、照らされる鍾乳洞がぼんやりと続いているだけ―――


「しまったッ!?」

「―――遅い!」


 慌てて向きを戻す。が、クレイスに告げられた言葉通り、遅かった。
 横腹に手の当る感触。
 それが、クレイスの手だと察知した瞬間。


「 “ガルス” !」


 クレイスの手から生まれた “衝撃” が、俺の身体を貫いた。
 衝撃、といってもそれ程、強くもない。
 やや強めに肩を押された程度のもので、多少よろめいただけで、体勢を立て直す。


「やってくれるじゃないかよ、クレイス」


 クレイスの方を振り向かないまま、苦笑。
 少しだけ、悔しさ。
 だけど、それを上回る驚き。
 正直、この馬鹿が、ここまでやってくれるとは思わなかった。

 最初、無意味に炎やら雷やらの魔法を撃っていたのは―――
 おそらく、フェイントを兼ねた発声練習のような物。そして。
 

 ―――魔法ってモンを、常識で考えないほうが良いぞ。反響なんて誤魔化す方法は幾らでもある。

 くそったれッ!
 さっきクレイスに言われていたってのに、 “音” に引っ掛かった自分に死ぬ程腹が立つ!


「・・・僕だって、やれるんだ・・・」


 はぁ・・・・と、ゆっくりと吐息。
 良く見れば、クレイスの身体は小刻みに震えていた。
 息も小さい呼吸を速いテンポで繰り返し続けている。

 魔法を連発したことによる疲労、だろうか?
 それも有るだろうケド、それ以上になにかがあるような気がしてならない。
 それはきっと、俺が知る由もない、クレイスが心に持って居る “何か” の理由。過去。思い出という記憶。

 魔法、か。

 世界に数多ある “力” の中で、最も人間が馴染み深い力。
 かつ、人間が人間以上の存在を容易く超えることのできる力。
 その力は、山を砕き海を割り、また天候を操り疑似生命をも創り出すことができる。

 まさに、人間が手にし得る、万物なる力。
 魔道を極めた者に、不可能はないとまで言われている―――が。


 ―――魔法なんて力は無力に過ぎないんだ。


 クレイスの言葉。
 魔法を無力たらしめる言葉。
 大陸最高位の魔道士、カルファ=ルーンクレストの孫であるコイツは、魔法に何を見て、なにを体験してきたのだろう。

 また、過去がある。
 俺の知らない―――知る由もない過去。

 クレイスの過去だけじゃない。
 ミストやセイ、フロアにシード。シード=アルロードの “過去” も。

 ミストは過去に母親を失っている。
 そのせいで、ずっと塞ぎ込んでいた時があったらしい―――全然、想像できないけど。

 セイは過去に弟を殺している。
 自分の肉親を―――憎んでもない弟を自分の手にかけるというのはどういうことなのだろう?

 フロアとシード。
 俺がこの二人に出会う前の二人の過去は知らない。この二人は俺が会う前から、二人だった。
 そして、1年前に別れてからの二人も知らない。結局、俺はなにも知らない。

 過去がある。
 俺の知らない、知る由もない過去。
 結局、俺はなにも知らない。


「まいっ・・・・たな」


 声に出して吐息。クレイスが、妙な面持ちでこちらを見てくるが、無視。
 今頃、そんなことに気付いた自分に苦笑する。
 結局、俺はなにも知ってはいなかった!

 俺だけが、何も知らず、ここに居る。

 こんな俺が。誰の過去を知ることも、解ることもできない俺が、どうしてあの二人を救えるって言うんだか。
 全く、ミストのヤツは毎度毎度、ムリな注文ばっかり頼んでくれる。


「おい、なにぼっとしてるんだよ!」


 軽く。
 肩を叩かれる。見れば、クレイスがやや苛立ちを滲ませた表情でこちらを睨んでいた。
 既に、呼吸は平常に戻っている。
 先ほどの息切れは、体力的な物というよりも、精神。心への圧力が原因なんだろう。

 魔法を使ったことに対する、心へのプレッシャー。
 なんで、そんなものを感じてしまうのか、俺はわからないけど。

 今までだったらきっと、そんなことはどうでも良いと思うに違いない。
 クレイスの過去なんか、どうせ大した物でもないだろうし。

 だけど。


「―――そういや、結局俺は何も知らないんだよな」


 呟きが勝手に俺の口から漏れた。
 確認するように、というよりは確定するように。

 クレイスは首を傾げて―――その表情に浮かぶ苛立ちは、さらに増大している―――「なにが?」と、問い返して来る。

 少しだけ、ムカついた。
 だから、殴る。


「いてっ! ・・・なにをする!」

「・・・お前らのことをだよ!」


 抗議の悲鳴を上げるクレイスに、怒鳴って答える。
 今更に気付く。
 アバリチアで生活して1年弱。
 その僅かな期間の間でしか、俺はミストやクレイスたちのことを知らない。

 ほんのちょっと前。
 キンクフォートへ来る前だったら、そんなこと知らなくたってどうでも良かったのに。

 何故だろう。今、俺はとても知りたがってる―――知らないことが、なにか、悔しい。


「アバリチアに帰ったら、色々聞かせろよな」

「・・・・・なにを?」


 俺の言葉に、殴られた頭をさすりながら、苛立ちにさらに不機嫌を合わせて、クレイスが尋ね返す。


「色々を、だ」


 言葉にして。
 それから、俺は鍾乳洞の奥―――ミストとシード=アルロードたちが居るはずの方を向く。
 吐息。
 うっすらと、灯り照らされる、闇のない洞窟の奥を睨みつけて、もう一度吐息。

 刹那だけクレイスの顔に視線を移し、再度洞窟の奥を向いて短く一言。


「そろそろ行くとするか」


 「え?」と、いうクレイスの声を後ろに聞いて。
 俺は、地面を強く蹴ると、さらにもう一方の足で力強く地面を再ど蹴り放ち、加速。

 加速。加速。加速。加速加速加速加速!
 滑り易い洞窟の地面を、足腰の筋力と平衡感覚で踏み外さないように制御して駆ける。

 ・・・・・やがて、気がついたようにクレイスが怒声を上げる頃には、すでに俺の身体はその怒鳴り声もかすかにしか聞こえないくらいの距離を駆け抜けていた。

 

 

 

 

 

 

 薄闇。
 というよりはもう少しばかり明るい闇。
 大草原の星の灯火と、不夜城の朝まで消えることのない人工の灯り。その間くらいの明るさの闇。

 精霊だか魔法だか、俺には良く解らない灯りに満ちた闇の中は、普通に歩く程度なら苦にはならないだろうが、全速力で走るとなると、大分神経を使う。

 ・・・・・そろそろいいか。

 と、俺は地面を蹴る足を徐々に弱め、走行から歩行へとスピードを緩めて行く。

 首だけ後ろを振り返る。
 クレイスが追って来る姿も、洞窟を駆けて来る足音の反響音も聞こえない。
 十分に引き離せたようだ。
 俺ならともかくとして、クレイスがこの滑りやすい洞窟の中を走って来るのは、大分苦労するだろうし。

 あとはゆっくり―――


「ゆっくり―――するわけにはいかないか?」


 苦笑。
 しながら、闇の先へと顔を向ける。
 その先には中肉中背の―――俺よりも、少し背の高い一人の男。
 闇の中で、色を見分けることは難しいが、茶色の短く刈った髪。スパッと切れた右の耳朶。
 その薄い緑色の双眸は、軽く細くして睨むように、こちらを見つめている。

 瞳と瞳、その視線を交わしていると、やおらその男―――シード=アルロードが口を開いた。


「ああ。そろそろ時間がない」

「・・・・・?」


 時間がない?
 と、そう行ったシード=アルロードの表情は、俺が目にした中でも、一番真剣な表情だった。
 冗談を、許されない気迫。


「時限爆弾でも仕掛けてあるのか?」


 で。相手の雰囲気を無視して、笑いながらあえて冗談を口に出すお茶目な俺。
 時限爆弾―――言ってみて考えてみれば、ありがちな展開かもしれない。特に、ミストが好きそうな展開だしな。


「・・・・・・」


 無言。俺の言葉にたいして、シード=アルロードの返事は無言だった。
 ・・・まったく。少なくとも俺が知るシード=アルロードは、こんな馬鹿みたいに真剣になるようなヤツじゃなかったハズなんだがな。

 1年間。
 俺がいなかった “過去” で、コイツになにがあったんだろう?


「時間がない。行くぞ」


 シード=アルロードに宣言された言葉。
 思わず俺は身構えて―――下!?

  “嫌な” 気配が、唐突に足元から感じる。
 素早く見下ろせば、蠢く闇―――いや、影か!


「ぢぃっ!?」


 ぬるり、とした感触が俺の右足を掴む。
 慌てて足を引き抜こうとして、踏ん張った左足がずるりと沈んだ。――― 一瞬前までは硬い地面だったハズの場所が、まるで底無し沼の様に、沈んでいく。
 続いて、右足も同じ様に。

 抵抗の仕様も無く “沈んでいく” 両足を見れば、沈んでいるのは地面ではなかった。


「・・・影!」

 
 さっき、洞窟の小さな部屋で、ミストを飲み込んだように、俺の身体も飲み込まれようとしていた。
 ずぶずぶと、抗いようも無く沈んでいく―――って、ふざけんなっ!

「なめるな―――ッ」


 すでに俺のはナイフを抜き放っている。
 その切っ先を、もう腰ほどまで俺の身体を飲み込んだ影に向かって振り下ろし―――

「止めとけよ。地面に埋まりたくなければよ」

「・・・うっ」


 シード=アルロードの言葉に、つい振り下ろそうとした腕が、空中で止まる。
 いやもしかしたらなー、と一瞬思ったケド、やっぱこの状態で影に虚空殺使えば、そーなるのか!?

 つい、硬直している間に、俺の身体は胸まで沈んでいる。
 ・・・このままじゃ、どうしようもないまま終わる・・・!?


「くそったれっ!」

「大人しく沈んじまいな」


 冷笑。
 ―――すでに、首元まで影の中に沈み、ナイフを握り締めた手も影の中に沈んでしまった俺は、そのシード=アルロードの浮かべる冷笑を、睨み返すことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――はっ!?

 気が付く。
 気が付けば、俺は広い空間の部屋に倒れていた。
 仰向けで倒れている。視線は床と反対―――天井へと向けていて、視界一杯に鍾乳石がずらりとこちらに向かって垂れている。

 身を起こす。身を起こして、足元を確認する。石畳。

 ・・・・・・・・・石畳?


「あれ?」


 見れば、1辺が1メートルほどの正方形の石畳が―――ええと、数えきれないほど床にびっしりと並べられていた。
 周囲を見まわしてみれば、学校の体育館ほどの空間。

 壁や、鍾乳石が垂れて居る天井などを見る限り、ここも洞窟の中なんだろうが、さっきまでの場所が魔法などの手が加えられていたことを除けば天然の鍾乳洞だったのに対して、こちらは完全に人工的に作られた空間。


「これも魔法、かな・・・?」


 なんとなく、思い、呟いて見る。
 声は、ちょっとした反響を俺の耳に残して、消える。

 これだけの空間。
 屋外ならともかく、洞窟の中に作り上げ、しかも石畳を敷き詰めるというのは途方もない労力だろう。
 空間は、天然として洞窟があったのかもしれないが、それを綺麗に整地して、かつ石畳を運び込むというのは・・・

 この辺りには、人の住んで居る場所はテリュートしかない。
 最終聖戦以前はどうだったか知らないが、少なくとも今はそうだ。最終聖戦以前にも、それほど大きな街は―――少なくとも、俺が知る限りでは、ない。

 テリュートを除けば、一番近い街はやはりキンクフォートになるんだろうが、キンクフォートからこれだけの加工した石を運んで来ると言うのはかなり難しいんじゃ無いだろうか?

 なにより、足元の石畳は結構、新しかった。
 まだ、作られてから1年―――いや、半年いないだろうか?
 石の年齢など読めはしないが、それでもそれほどの歴史がないことは解る。

 解る?

 いや、感じる。

 

―――そう。感じる。

 

 時が。
 過去が。
 この石の。石たちの。

 

 ―――石は意思。その姿は寡黙。だが意思を秘める。

 

 

「そうか」


 頷く。
 頷いたのは、誰に対してでもない。自分自身に対して。
 自分の、自分の中に眠る、 “天空八命星” という力に対して。

 時を統べる力。
 その力が、今、石の過去を遡って、その意思の断片を、記憶を読んだ。

 ・・・か。なるほどな。

 天空八命星。
 自分の中に眠るその力。
 テリュートで、はっきりと “感じて“ ―――それまでは、漠然と力を使ってると言う感覚しかなかった―――から、だんだんとその力の意味が解ってきたような気がする。

 今までは、今みたいに “過去を見る” なんてことはできなかった―――いや、無意識のうちにやっていたのかもしれないが。
 ・・・・とはいえ、今もまだ、自分の意識でそういう力を使うことはできない見たいだけどな。
 今だって、石畳に触れたら、勝手に向こうから流れ込んできた―――正確には、俺の中の天空八命星が呼び込んだ、か?―――だけで、読もうとして読んだ訳じゃない。

 試しに、もう一度石に触れてみる。
 ・・・が、今度はなにも感じなかった。
 ただ、体温よりも冷たい、ひんやりとした石の感触が、指先に伝わって来る。


「気に入ったか?」


 声。
 方向は真正面。石を見つめていた視線を上げる。

 シード=アルロード。

 やや赤みがかった茶色い髪の青年―――さっきとは違い、はっきりと色が判別できるのは、先ほどの場所よりも明るいせいだ。
 だいたい、昼間の木陰くらいの明るさ。

 殺し合うには、申し分ない明るさ。それと、広さだ。


「・・・ナンパした相手を連れ込むには最悪の場所だな」


 俺の目の先で、皮肉げに口の端を吊り上げて、奇妙な笑みを見せる男に応えながら、立ち上がる。

 ―――ふと。違和感。

 良く見てみれば、シード=アルロードがキンクフォートでは装備していたはずの、“ショット・スリング” のポーチが見当たらない。
 と、俺の視線でそれを察したのか、シード=アルロードは軽く肩を竦めて。


「思わず獣化しちまったもんだからな。俺の愛しの相棒は、キンクフォートの城の中庭に落ちてるハズだぜ」


 成る程。
 俺は、あの晩のことを思い出す。
 あの晩―――シード=アルロードが人間から獣人へと変化したとき、その体格の変化から身につけてる物、全てが外れてしまったんだろう。
 そういえば、服なんか当然ビリビリだったしなぁ。

 などと、思い出しながら、軽く目の動きだけで周囲を再確認。
 とりあえず退路は確保しておきたいと思う―――んだが。ない。
 先ほど確認したことだが、この部屋には出入口と言うものがない。
 俺がどこから入れられて、シード=アルロードがどこから入って来たのか―――疑問ではあるが、そんなことよりも。

 今は、目の前の男を、どうやって殺すか考えるのが先決だ――――――!?


「・・・・・・ッ!?」


 頭を振り払う。
 なんだと? 俺は今、何を考えてた?

 殺意。

 おれは、シードを殺す気なんて、ない。
 あるはずが、ない。

 殺すことが目的。
 ただ殺し、殺して、殺し尽くすこと。
 それが、お前の存在意義。

 記憶ニある殺イ。
 覚えてイル。キンクフォートで。俺を殺ソうとしタ男ト女にモ感じた殺イ。

 思い出せ。呼び覚ませ。お前の中の本質を!
 殺意を解き放て! 殺せ! お前の敵を! お前が前に或る統べてを殺せ!

 ―――ナイフは手ニ何時ノ間にかアった。

 あトは、コの切っ先ヲ、男の首筋に突き立てルだケ。


「―――ァッ!」


 どくどくどくんと、鼓動が跳ねる。
 その身体の奥底からの脈動に導かれるようにして、俺の体は跳ね、石畳を蹴り、目の前の男に向かって突進する!


「・・・・・・・・馬鹿が」


 何かを、オとこは呟いた。気がした。
 興味なイ。
 ナイフの切っ先を、男ノ首筋に振りオロス。


「―――え?」


 いナイ。
 ナイフを振り下ろしタ先に男は居ナカッた。
 瞬間。
 目の前が真っ暗になッテ―――俺の顔が大きな手で掴マレたと気付イタ。
 硬い、毛の生エタ巨大ナ手。


「死ね」


 一言。
 俺の顔を掴んだ巨大な手ハ、ソの言葉の後に、俺の身体を顔を掴んダダけで軽々と持ち上げて。
 床に、叩きツけル。

 ソシて、暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・だんだんと、解ってきたな」

「―――ッ!?」


 俺の声にやたらと驚いた仕草で、こちらを振り返るシード=アルロードを半眼で見やり、吐息。
 右腕を、剛毛に覆われた、巨大な腕―――キンクフォートで、獣となったその腕だ―――と化したシード=アルロードは、目を見開くことで驚愕を表し、そのまま俺と、さっき地面に叩きつけたはずの “俺” ―――が、居るはずの床を見下ろす。

 が。シード=アルロードが見下ろした先に、俺はいない。
 当然だ。
 俺は、ここに居る。

 シード=アルロードが床に叩きつけた俺は、俺が生み出した仮存在。
 ・・・もっとも、仮存在を生み出すと同時に、俺自身の存在の時間軸をズラしていたのだから、その仮存在こそが俺と言う存在にはなっていたのだけど。
 同一の存在は、唯一つ。
 だからこそ、俺が生み出した “俺” という存在は、仮存在に過ぎず、俺と言う存在がその時間から消えてしまえば、仮存在が本物の俺となる。

 と。自分でも半ば理解できない情報が頭の中に流れる。
 少々気持ち悪いが、ま、今は便利だと思っておこう。


「まったく・・・」


 なにに対してか自分でもよく解らない気分で―――きっと、色々と或る、考えるだけで疲れるような事に対してだ―――呟きながら、シード=アルロードから、石畳4枚分ほど離れた場所に立ち、俺はナイフを抜く。


「なにか、おかしいとは思ってたんだ」


 殺意。
 真赤な、危険な、衝動。

 キンクフォート、そしてテリュートで感じた赤い激情。

 さっきまで、アレは―――アレこそが、俺の本質だと思っていた。
 人を殺す。それが俺。
 イーグ=ファルコムの本質だと。

 けれど。それは違って。


「なにが、可笑しい?」

「・・・は?」


 唐突に、問われる。
 そして、何気に口元に手をやると、俺が笑って―――苦笑して居ることに気付いた。

 酷く奇妙な笑み。
 俺はその笑みを誤魔化すように、頭を振った。
 それから、シード=アルロードの顔を見据えて、尋ねる。


「・・・・・お前らの目的はなんなんだ?」


 俺の言葉に、シード=アルロードはやや虚を突かれたような表情をして―――それから、すぐに激昂したように怒鳴る。


「裏切り者のお前を殺すことだ」

「嘘だね」


 断言。
 すると、シード=アルロードはなおも憎憎しげに俺を睨みつけた。


「何が嘘だってんだ! お前は・・・お前は、俺たちが地獄を見ている間、一人幸せに暮らしやがって!」


 地獄ねえ・・・
 シードとフロア。二人がどうやってこの1年を過ごしたのか俺は知らない。
 だから。


「―――俺は」


 吐息。
 過去の回想。
 1年前のシード=アルロードと、今現在のシード=アルロードの姿を重ね合わせて続ける。


「俺は、この1年間のお前達を知らない。だから、俺は1年前のお前―――シード=アルロードだと思って言うぞ?」

「あぁ? 俺を1年前の俺だと―――」


 シードの言葉が止まる。
 それは俺が一歩前へ、シードの方へと踏み出したからだった。


「勿論。今のお前が、1年前と同じだとは思えない」


 さらに、数歩。
 歩きながら、さらに続ける。


「だが、俺はお前達の過去を知らないんだ。だから―――」


 俺は、シードの目の前まで歩くと立ち止まる。
 至近距離で、なにか苛立つように―――焦る様に、シードは俺を睨みつけていた。


「シード、教えてくれ。お前達になにがあった?」

「ふっ―――ふざけるなよ! 今更、そんなことッ、お前なんかに・・・」


 顔を背けて。シードは拒否する。


「お前に、言ってやる義理はねぇッ!!」

「・・・そうかよ。なら殺せ」

「なっ・・・・・」


 俺の一言に、シードはぎょっとして再び俺を見た。
 ―――いや、上背はシードの方が高いから、やや “見下ろした” 形になっているが。
 それを俺は見上げる形で見返す。


「俺を殺したいんだろ? だったら今すぐ殺せばいい」

「・・・・ぐっ」


 俺の視線を受けとめ、自らの視線を反らしてシード=アルロードは呻き声を上げる。
 ―――やれやれ。

 結局、シード=アルロードは何も変っていない―――変る事ができない。
 少なくとも、俺の目の前にいるコイツは、俺が良く知る男に違いない。

 俺の知らない “過去” に何があったのかはわからない。
 それを知る術も―――権利すらないのかもしれない。
 だが、それでも俺の目の前に居るのは、シード=アルロードに違いない。

 ・・・・・そう、気付いたのはついさっき。
 俺が影に呑まれた時、殺すなりなんなりのしようがあったハズなのに、コイツは何もしなかった。
 ただ、この場所に放り込まれただけ。
 それが意味するのは―――


「シード・・・お前は、殺されたいのか?」


 そう、俺は言葉に表した。
 対してシードはハッとして俺を再び見下ろす―――が、即座にその表情を怒りに染めて。


「なんだと・・・?」

 ぎりっ・・・と、奥歯を噛みしめ、憤怒を凝縮したような声。
 ―――と、本人はそのつもりだろうが、先ほどまでに比べて、明らかに声に力がない。

 明らかだ。
 コイツは―――シード=アルロードは、イーグ=ファルコムに殺されることを望んでいる。

 どくん。
 どくん、どくんと心臓が早鐘の様に激しく蠢く。
 自分の中から、さっきと同じ殺意が沸きあがって来る。


「望むなら―――」


 ナイフを、抜く。


「殺してやるよ」


 一閃。
 俺が薙いだナイフの斬撃を、しかしシードは人間とは思えないほどの素早さで、後ろに飛びのいて回避。
 いや、すでに人じゃないか。
 と、思いながら、俺はナイフを振り回した反動で。

 前に。


「ガアアアアアアッ!」


 咆哮。
 俺が前に踏み出したのに一瞬だけ遅れ、シード=アルロードもまたこちらへ踏み込んで来る。
 今だ獣化が解けていない右腕を振りかざし、突進して来る。

 構わない。

 俺は、さらに足を踏み出し跳躍。


「らああああああああっ!!」


 叫びは俺の口から勝手に迸った。
 何の叫びか。
 悲鳴か。怒号か。それとも歓喜か。

 そのどれでもなく、どれでもある。

 と。俺は兎に角叫びながら、前に前に前に飛び込むように跳躍。

 俺の手の中にはナイフ。
 シード=アルロードや、ミストテリア=ウォーフマン。それに姉さん―――リウラ=ラインフィーよりも、付き合いが長い俺の “相棒“ 。
 コイツを、シード=アルロードの懐に飛び込んで、その心臓に突きたてれば俺の勝ちだ。だがしかし。
 巨腕。
 俺が射程距離に達するよりも早く、シード=アルロードの右腕が俺に向かって振り下ろされた。

 確実に、避けられない。

 が。

 

 轟音。

 

 シード=アルロードの獣腕が、石畳を叩き砕いた音が、跳躍中の俺の耳に追いついて来る。
 俺を真っ赤に熟れたトマトみたいに、簡単に潰すことができる腕は、しかし俺の上には振り下ろされなかった。

 振り下ろされなかった。
 避けるまでも無く。外された。

 前を見る。


「・・・・・・・・・・・・」


 目の前のシード=アルロードの表情は、すでに眼前に迫り。
 その表情は “しまった!” という、悔恨を形どりながらも、口元には安らかな安堵。

 ・・・演技が下手だよ、シード君。

 シード=アルロードの懐に飛び込んだ俺は、問答無用に。
 その胸に一撃。


「天空八命星・虚空掌―――!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹っ飛んだ。
 いや結構派手に。
 むしろ愉快げに。

 独楽みたいにくるくる回りながらではなかったが、それでもなかなかの吹っ飛びっぷりだった。
 今度、クレイスを相手に吹っ飛ばしの美学とか追求してみようと言う気になるほどの。

 で。
 ごんっ。とか、もの凄く痛そうな音を立てて、頭から墜落する。


「うごおっ!? もの凄く痛ぇぇぇぇっ!?」


 ああ。やっぱり、もの凄く痛いんだ。
 打った頭を抑えながら、ゴロゴロと床を転げ回るシード=アルロードを眺めながら、そんなことをしみじみと思う。
 ふと疑問。


「なあなあ。打った頭と、俺が打った胸、どっちの方が痛かったんだ?」

「どっちも痛いわボケェッ!」


 ボケ言われるし。


「この野郎―――やってくれちゃったりしてくれちゃったりやがってくれたなあっ!」


 何語だそれは。

 と、シード=アルロードは、頭を抑えながらも、ようやく転げまわるのを止めて立ち上がる。
 ちなみに、ショックのせいか知らないが、獣と化した腕は元に戻っている。もっとも、服まではやっぱり戻らないらしく、肩口から裾がちぎれて無くなっているが。

 いやしかしそれにしても。


「なんか、頭の方が痛そうに見えるな」

「〜〜〜〜〜〜ッ!」


 俺の冷静な観察に、シード=アルロードはなにかに耐えるように歯を食いしばる。
 ん。やっぱ、どっちも痛いのかもしれない。

 と。俺が見て居ると、地団太を踏んだり、首を振り回したり、髪の毛を激しくかいたりして中々面白い。


「お前。ストリートパフォーマーとして生きていけそうだな」

「喧しいわっ!」

「一応いっておくけど、褒めてるんだぞ」

「だああああああああああああっ!」


 ひとしきり咆哮。
 それから、やおら俺の方―――俺のもっているナイフを指差して。


「イーグッ! そのナイフはどうしたァッ! 殺る気あんのかコラァッ!」

「ねェよ」


 簡潔な俺の答えに、シード=アルロードの動きがピタリと止まる。
 それに対して俺は吐息。
 してから、続ける。


「シード・・・聞かせてくれ。この1年間、お前たちに何があった?」

「何度も言わせるな! お前にそのことを言うつもりはないっ!」

「・・・じゃあなんで俺に殺される事を望む!」


 う。と、声。
 シードは一瞬、俺の手にするナイフに目をやってから―――首を横にふる。


「は―――俺がお前に殺されたいってか? それは単なる妄想だ」


 馬鹿だ。
 なんだか馬鹿みたいだ。
 いい加減にしろ、と俺の心が叫んでる。

 殺される事を望まないのなら、お前はイーグ=ファルコムという暗殺者に何を望む?
 殺す事を求めないのなら、お前はシード=ラインフィーという人間に何を求める。

 馬鹿だ。
 酷く、この状況が、馬鹿みたいに思えてくる。

 シード=アルロードは俺を殺す気は無いらしい。
 俺もシード=アルロードを殺す気はない。
 しかし、どちらかが死ななければ、結局の所は堂々巡り。


「・・・シード=アルロード。お前は何がやりたいんだ?」

「だからっ! お前を殺す―――」

「なら殺せば良いだろ。さっさと」

「・・・〜〜〜〜ッ!」


 唸る。
 本気で馬鹿みたいだなーコイツ。
 やっていることが支離滅裂だ。

 自分の言動に矛盾があるって気付いてないんだろうか?

 だんだんと。
 可笑しさがこみ上げて来る。
 笑う。
 心の奥底から爆笑したくなってきた。それは抗い難い衝動。


「お前ッ、なにが可笑しいんだよっ!」


 お前がに決まってるだろうがこの馬鹿シード。
 ったく。
 考えてみれば、結構、色々なことを覚悟してここまで来たってのに。

 やって来てみれば、なにも変わって居ない親友との再会だった。


「シード。もう一度聞く。この1年間になにがあった?」

「そ、それは・・・・・・」


 先ほどとは違う、迷い。
 シードの方も、このままじゃ埒があかないと思い始めているんだろう。
 言うべきか言わざるべきか、やや迷って。


「お前には、言えねェよ」


 その声の響きは “拒絶” じゃなかった。
 はあ、と。吐息して、俺は言葉を吐く。


「そう、か」

「―――時間がないんだ」


 俺の言葉と同時に、シードが呟く。
 「え?」と、聞き返すと同時、シードの顔を見上げると、苦渋に満ちた表情。

 そこに、すでに憎しみはなかった。


「・・・・・キンクフォートで、本当は、終わるはずだった」

「・・・? それは、どういう―――」

「 “殺意” の赴くままに殺しまくって―――それから、死んじまうつもりだった。・・・雑踏の中で、お前の姿を見るまでは」


 言われて、思い出す。
 キンクフォートで、コイツの姿を見つけた時の事を。
 確かに、あの時は、殺意を感じてはいなかった。

 シードは、俺を見て苦笑する。


「チクショウ。お前のせいだぞ。お前が生きてるって知ったから―――だから、お前に」


 吐息。
 ふと、シードの眼の端が滲んでいることに気付く―――――涙?


「お前に、殺されて終わりたいと思っちまった!」

「・・・シード」

 悲鳴のような声を、俺は耳に留める。
 やっぱり。というかなんというか。
 コイツは、俺に殺されることを望んでいたのか。

 だけど。


「駄目だ。シード、俺にお前を殺すコトなんてできやしない」

「・・・・・時間が無いんだ。イーグ」


 ・・・?
 時間が無い?


「さっきもそんなことを言ったが、どういう事だ!?」

「―――――これからは本気だ。本気でお前を殺す―――死にたくなければ、俺を殺して見せろ!」


 俺の問いかけを無視して、シード=アルロードは叫び。そして。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 咆哮。
 ついで、シードの身体に変化が起きる!

 ぐんっ!
 と、シード=アルロードの筋肉が脈動し、震え、僅かに収縮されたと思った瞬間、その身体がビクリと跳ねる。


「うごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 もがき、苦しむかのように身体をかきむしり、思いきり胸を反らした瞬間、ビクンッ! ともう一度だけ身体が跳ねて―――!?


「巨大化、した?」


 思わず呟く。
 シードの身体は、一瞬で二周りほど大きくなっていた。
 巨大化した体は服を突き破り、そしてすぐに服の変わりというわけではないだろうが、全身を剛毛が覆い尽くす。

 ゾ ア ン ト ロ ピー
 獣人化現象。
 キンクフォートのあの晩、そう光矢が叫んでいたことを思い出す。

 見れば、シードはすでに人間とはかけ離れた異形の姿となって、赤く爛々と輝かせた瞳を俺に向けていた。


『さあ』


 シードが、両手を広げ、誘うように呟く。
 その声は、さっきまでの人間だった時の声とは違い、妙に響きのある―――犬の咆哮をむりやり人の言葉に直したような声。


『殺し合うとするか』


 妄想だろうか?
 その声には、静かな悲しみが秘められていることを。
 俺は、感じられずにはいられなかった―――

 

 

 


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