パニック!

シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」


C【シルヴァ=ファルコム】


 

「強く、なりなさい」


 ―――最も、古い記憶にある最初の言葉。

 セピア色の情景。
 どこだかわからない森の中。
 ―――パチパチと、焚き木の爆ぜる音が鳴る。
 幼い俺は―――僕は、その時から姉さんの言葉を知る。


「強くなりなさい―――負けないように強くなりなさい」


 何に負けないのか。
 姉さんは教えてくれなかった―――きっと、僕と姉さん以外の全部に負けないように、なんだろうって、僕は思った。
 ―――セピア色の情景は、暖かく燃える焚き火の赤を彩りはしなかったけど、それでも姉さんの顔を明るく照らし出している。

 ―――雫。


「私が強くしてあげる―――あなたにはその資格があるし、そうならなければならない存在―――」


 泣いている。
 姉さんは泣いていた。

 悲しみではなく、怒ったような顔をして、悔しさを堪えて。
 そうして涙を流すことが “泣いている” というのなら。
 僕の前で、確かに姉さんは泣いていた。

 ―――どうして泣いているの?
 そう、聞きたかったけれど、幼かった僕は、まだ上手く言葉を発音することができなくて。
 あーうー、と言葉にならない声だけが僕の口から漏れるだけ。

 それでも姉さんは、意味を理解したのか―――理解したと思いこんだのか、自分の瞳に溜まる涙を拭う。
 すごく悲しそうな微笑を浮かべて、僕を見下ろした。


「これから、私があなたに色々な事を教えて上げる」


 姉さんは、僕を抱き寄せると軽くほおずりしてくる。
 姉さんのほっぺたはとても柔らかかったけど、流れて乾いた涙の軌跡が僕のほっぺたを湿らせた。

 姉さんは、僕から顔を離すと、僕の顔を真正面から見つめて。
 すごく真剣に、すごく優しく、僕に語り掛ける。


「まず始めに教えるのは “お願い” 」


 ―――パチパチと、焚き木の爆ぜる音。
 ゆらゆらと、セピア色に塗られた炎の明かりが、姉さんの顔を明るく照らす。
 色あせているはずのその情景は、現実よりもリアルにと―――

 それは、あたりまえのこと。
 だって、これは、僕の―――俺の―――シード=ラインフィーではない―――イーグ=ファルコムの―――なによりも初めの記憶という―――過去なのだから。

 一瞬先は未だ不確定な未来である “現在“ よりも。
  “事実” が確定した “過去” の方がより現実に近いのは当たり前で。


「今よりも昔はいらない。あなたには私しか居ないし、私にもあなたしか居ない」


 ぎゅっと、抱きしめられる。
 ちょっと、苦しくて僕は喘いだ。


「これからずっと私が一緒に居てあげる―――だから、私を独りにしないでね? きっとよ?」


 愉悦―――楽しそうな声を耳にして、僕は何故だか哀しくなって来て。
 僕は、思った。絶対に、強くなろうって。


「よし」


 姉さんが、僕を抱擁から解放する。
 再び見た姉さんの顔は、とっても元気で、さっきの涙とか哀しさとか、そんなものは欠片も見えなかった。


「じゃあ、次に教えること―――そうね、あなたの名前を考えないとね」


 そう言って。
 セピア色に塗りつぶされた赤―――血の赤と、涙で濡らした顔に笑顔を浮かべる。

 血の色も、涙も。
 どちらも同じ、同じ色で。
 泣くことも、血を流すことも―――どちらも同じくらいに、痛くて、辛くて、哀しくて。
 流さずには居られない “事実” があったんだろうなって、僕は思った。

 でも、僕はその “事実” を知らない。
 だって、これが僕の一番初めの “記憶” で、僕の記憶の始まりの始まりだったから。
 だから、これよりも前に起こった “事実” を僕は知るコトはできなかった。

 僕にとって、その “事実” は過去じゃないから。
 僕の過去の始まりよりも、それよりも昔にある事実。
 一瞬先の未来と同じように、不明瞭で、推測することしかできない。

 だけど。
 姉さんは泣いていた。
 それは、僕の過去であり、確かな “事実” だった。



 ―――強くなりなさい。



 すごく哀しい言葉でそう言われたから。
 その事実があったから。

 僕は、誰よりも誰よりも―――姉さんのために強くなろうって思ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――嘘吐き」


 目を覚まし、呟く。
 その呟きが、自分を置いていった姉に対するものか、それとも結局 “強く” なれずに姉においていかれた自分に対するものかは判別できなかったが。


「なんだよお前、起きたのか」


 と、火の番をしていたセイが、俺の顔を覗き込むようにして、笑う。


「ああ―――すっげぇヤな夢見てな」


 どんな夢を見たのかと、興味津々で覗き込んでくるセイの顔を手を振って追い払いながら、俺は起きあがった。

 ―――汗はかいていない。
 鼓動―――心拍もだいたい平常通りだ。
 俺にとってあの夢―――記憶は始まりに過ぎずに、悪夢ではなかった。

 ―――それでも、酷く目覚めの悪い気分だが。

 どうも、このごろ昔の夢ばっかり見る。
 一年前―――アバリチアで暮らし始めてからも、何度か見た気がするけど、キンクフォートであいつらに再会してから、寝ればとりあえず見る、と言う状態。

 昨日―――いや、まだ今日か―――なんか、立て続けに白昼夢まで見るし。

 で、今のは極めつけだ。
 よりによって、赤ん坊の時の夢まで見るなんて―――どうかしてる。
 決して悪い夢じゃないが、それでもどうして素面でも思い出すことすら忘れてるような昔を、今になって夢に見なければならないんだか。

 いや、もしかしたら “今だからこそ” なのか?


「なぁに不貞腐れた顔してんだよ」

「・・・別に」


 セイから視線を外して、半ば偶然に東―――キンクフォートのある方角を見る。
 大分、距離を来た。障害物がなく、明るい昼間ならば影くらいは見えるかも知れないが、生憎と木々が視界を狭める森の中の闇夜。
 明かりと言えば、炎の赤と星の白い瞬きのみ―――もっとも、木の幹が眼前をふさいでる時点で見通すコトは不可能なんだけどな。

 ―――パチパチと焚き木の爆ぜる音。
 夢の中と同じ―――けれど、夢の中とは違って色のある現実。


 ―――赤々と、踊るように燃える焚き火の炎。


 首をめぐらせて西の方角を見る。
 ミストと―――そして、 “シード” たちが居るかもしれない西。

 ―――ライザさんとの決着の後、まず始めにしたことは、もちろんミストの行方を探すことだった。
 そこで俺とミストを文字通り “心繋ぐ” ペンダントを使い、ミストの無事を確かめは良いんだが―――その直後になにがあったのか、連絡が取れなくなってしまった。
 セイのヤツが言うには、ペンダントが壊れたか、魔道・法術的な結界に阻まれたかのどちらからしいが、通じなくなったのなら、理由がなんでも同じことだ。

 結局、わかったのはミストが無事だったこと―――少なくとも連絡を取れた時点では―――と、どうやらミストはキンクフォートの街中ではなく、キンクフォートの西に居ると言うこと。
 というわけで、俺たちはキンクフォートを出て、ザルムに乗ってひたすら西を目指してきた。

 幸い、というかなんというか、キンクフォートの西は暗黒時代の名残――― “最終聖戦” の起きた場所で、地平線まで荒野が続いている。
 建物らしい建物は存在せず、ほとんど天然の―――森やら洞穴やらがぽつりぽつりとあるだけなので、自然とヤツラが潜んでるところは限られてくるってわけだ。

 アイツラが潜みそうな、所々に点在する、森や地下洞穴を調べて―――とはいえ、それほど深く調べる必要はない、風の属性を持つザルムは、風の支配者であるフロアの存在を感知することができるとかなんとか―――いや、俺もよく判ってないんだが。
 ともあれ、ザルムはフロアが近くに居れば判るらしい―――その逆、つまりフロアもザルムの存在を知覚できるらしいが。

 ともあれ、そんなこんなでひたすら西を探し回って、日が暮れた頃にたどり着いたのが、今ここにある森。
 特に何かあったわけではないんだが、「いい加減、疲れた―」とかぼやくクレイスのワガママで、仕方なくここで野宿することにした。

 ・・・ま、焦っても仕方ない。

 「あぁ、俺はあまり寝なくても大丈夫だから」というセイに火の番をさせて、俺とクレイスは寝ることにした―――正直、かなり疲れていると自分でもわかる。
 左手と肩の骨折は、セイの使役するフェニックス “ルートゥ・メグド” の力でなんとか癒されたが、疲労までは癒されていない。
 なにより、一昨日の夜から立て続けに色んなことがありすぎて―――昨日は一日中寝ていたらしい―――心がひどく疲れている。

 だから、即座に夢の中に落ちて―――冒頭のような夢を見て、目が覚めてしまったわけだ。

 まったく、一年間―――アバリチアで一年間、過去を忘れて “シード=ラインフィー” として生きていたことのツケなのか、今になって、その “一年分” が一気に清算されているようだ。


 ―――俺の所為、なんだろーかな全部。


 なんて、思ったりもする。
 今起こってることが全部、俺の責任―――なのかもしれないのかと。

 もし、俺が “シード=ラインフィー” としてアバリチアに留まらずに “イーグ=ファルコム” として組織に戻って居れば。
 そうすれば、ミストがアイツラに誘拐される事もなかったし、アイツラ――― “シード” とフロアも、俺の知っている二人で在りつづけたかもしれない。

 考えてみる。想像してみる。
 もしも俺が、シード=ラインフィーではなくて、イーグ=ファルコムのままだった―――いや、そんな暗殺者すら存在しなかった場合―――・・・


「月が―――綺麗だな」

「―――え?」


 唐突に、セイが呟いた。
 頭に膨らみかけていた想像の “現在“ を中断し、セイの顔を見る―――と、セイは俺を見ずに天空を見上げていた。

 ―――月。
 空には、森の枝葉に幾分か隠されるようにして、真っ白い月が浮かぶ。
 本来なら、暗殺者は嫌う月の光。
 しかし、あの二人は綺麗だからと月の光を良く好んだ。

 イーグ=ファルコムも「月は姿を写すから」と二人の意見に困惑するだけだった。


 ―――綺麗でしょ? そう思ってしまうんだから仕方ないよ―――


 あの時は理解できなかったフロアの言葉。
 どうして、 “月が綺麗” なんて、そんな単純で簡単な事がわからなかったんだろう。


「赤い月」


 セイが呟く。
 白い月を見上げたまま。


「ずっと、ずっと遠くの遠くではさ、赤い月が昇るんだってさ」

「―――聞いたことないな」


 俺も月を見上げながら。
 セイがなにを言いたいのかよく判らずに、適当に相槌を返す。

 そうだろうな、とセイは言ってから、さらに続けた。


「傭兵大陸―――そう呼ばれる場所の物語」

「・・・物語?」

「ああ、赤い月が昇るとき “ハウリングムーン” って言う殺戮者が現れる、そんな、あるひとつの物語」

「なんだ、ただのお話か」


 俺なりにセイの言葉の意味を理解して、言う。
 と、セイはいいや、と声に出して否定。

 ―――月が蔭る。
 雲が、月の光を覆い隠した。
 空からの白い光が途絶え、辺りは闇と闇を赤くする炎の揺らぎ。

 視線を下ろすと、セイの顔が俺の方を向いていた。
 その青い瞳の中に、ちろちろと焚き火の火が写る。
 無表情な微笑み―――と、見えてしまうのは幻想的に周囲を映し出す炎の赤のせいかも知れない。
 赤は揺れて、同じ物を多種多様に、滞りなく変化させて映し出す。

 そんな風に、正しい “本当” を写さないから、逆にその微笑みも作りめいたようにみえて―――まるで、仮面のようで。


「現実だよ。ただし、俺達にとって見れば “お話” としてしか知ることのできない、遠い遠い、遠い場所の現実」


 ―――パチン。
 と、なにか折れた―――というか、砕けたような音。
 焔の中、くべた焚き木が赤い炭となって、弾ける。

 炎の中から、火の欠片となって外に飛び出て―――地面に落ちる。
 その赤い欠片は、地面に熱を奪われて急速に冷たくなり、瞬きを二、三度する合間に黒ずんで、地面に落ちている小石や木の屑と混ざって見失ってしまった。

 それを見送って、俺は再びセイの顔をうかがい見る。

 赤く赤く、赤く照らす。
 セイと同じように、俺もまた仮面めいた表情をしているのだろう―――そんな自分の表情がなんとなく想像できる。

 赤くゆらゆらと。
 炎。
 
 熱を目に、肌に感じながら、俺は炎を見つめた。
 ―――ひどく非現実的だな、と思う。
 一昨日の朝―――ミストがさらわれた日の朝には、まさかこんな風に炎を見つめているなんて想像できなかった。

 ―――そう言えば、あの朝はライザさんの帰りを待って、家の外で一晩明かしたんだっけか。
 妙に懐かしく感じる。あの時のあの瞬間には、まだミストがいたんだっけ・・・


「テマキズシの世界よりも遠くにあるんだな」


 なんとなく呟く。                       ア ビ
  “テマキズシ” の世界―――東の閉鎖領域にある “阿備” という島国は、行くことのできる現実に存在する。
 だから、それよりも “傭兵大陸” とやらが遠いのは当然なんだが。

 ―――と、セイがいきなり爆笑した。きっと、俺と同じようにライザさんの家の外で一晩明かしたときのやり取りを思い出したに違いない。
 なんとなく、釣られたように、俺も大笑いした。
 数秒間、二人して馬鹿みたいに笑いあう。


「あ―――はははっ。・・・ったく、ヤケに真面目ぶった顔でなに考えてると思えば―――なに考えてるんだおまえはぁ」


 べし。
 と、セイがまだ笑いながら、俺の頭を小突いた。


「ぷははっ―――お前が似合わないこと言うからだろっ」


 なんとか、笑いを納めつつ俺も言い返した。

 はー・・・

 やー、笑った笑った。
 ったく、笑ってる場合じゃないってのに、なにやってんだろーか、俺たちは。
 馬鹿丸出し。やれやれ―――


「・・・行ってみたいよなぁ」


 ひとしきり笑った後、セイが呟いた。
 え? と、聞き返すと、セイは苦笑―――


「赤い月の昇る大陸―――それだけじゃない。樹木に覆われた大陸、地上が滅び地下に世界が広がる大陸、星に導かれる大陸―――――」

「最後のは、カナ・・・リエ大陸か?」


 俺が言うと、セイは意外そうに驚いて―――ああ、と頷く。

 ―――大陸北部にある、商港都市ラズベラードが “カナリエ大陸” と呼ばれる、遥か遠方の大陸と交易があるとマスターから聞いた事がある。
 マスターが言うには、傭兵時代に海を渡ってきた船乗りと話をしたコトがあるらしい。―――その話の中に、 “ラスト・スター” と呼ばれる、運命を導く星、というのが出てきた―――・・・


「行ってみたいよ。見たことのない場所、見たことのない物語、見たことのない真実」

「・・・どうかな」


 言われても、よくわからない。
 セイの言いたいことは判る―――確かに、誰も到達していない場所、というのは魅力がある。
 もしも、その場所に辿り着ければ・・・そう、考えれば心が沸き立つものがある。

 だけど。


「俺は、行きたくないな」

「なんでだ?」


 俺の言葉に尋ね返しながら―――セイは、笑っていた。
 仮面めいた、ではなくて、いつもの皮肉めいた―――ヒトをからかってるような笑み。
 まったく、こいつは。
 きっと俺がなにを言いたいかも判ってるに違いない―――その上で、俺に言わせようとしている。

 そうは判っていても、俺は答えた。


「―――そんな遠いところに行くって言うのはさ、誰よりも遠くに行くって事だろ」

「そうだな」

「そんな場所に辿り着くには、今まで俺と一緒に居てくれた誰かを置いて行かなきゃならないかもしれない―――そんなの、俺は嫌だ」

「そうだよな―――なら」


 セイは苦笑。
 苦笑、というよりもどこか自嘲的な、虚ろな笑み。
 すっ―――と、セイの手が伸びてきて、俺の胸元を掴んだ。

 笑いながら。
 セイは続けた。


「なら、自分が居なかった “もしも” の現在なんて考えるな、シード=ラインフィー」


 鼓動。
 セイの言葉に、まるでなにか過ちを犯してしまったかのように、鼓動がどくん、と強く跳ねる。
 どうして―――と、問うよりも、セイの次の言葉の方が早かった。


「もしも自分が居なければ―――なんて過去を否定するってことはだ。過去からつながった現在に、 “今、一緒に居てくれる誰か” を裏切ってるってことだぜ」

「それは―――」

「 “出会わなければ幸せだった” なんてフザケタコト考えるなよ――― “出会えたから幸せだった” んだろーが」


 ああ。
 そこで始めて、セイのやつが怒ってるのだと気づいた。
 思わず笑みがこぼれる―――と、セイの笑みが無表情に変わる。


「・・・・・・・・・・・・」


 なにも言わず、無言。
 ・・・もしかして、本気で怒ってるんだろーかコイツは。
 だとしたら、すごく始めての気がする―――いや。

 そういえば、一度だけ、セイが怒った所を見たことがある―――その “事実” を思い出す。
 それは、半年ほど前、アバリチアにセイルーンの王族が来た時。
 セイと、出会って間もないころの―――ああ、そうか。多分、コイツは―――


「俺は、少なくともそう思うことにした―――だから俺はまだ生きてる」


 セイは俯いて。
 そんなことを呟く―――やっぱり “弟” とのことを重ね合わせてるのか。

 俺も詳しくは知らないが、セイには弟が居たらしい。
 そして、その弟がなにか――― “危険な存在” になって、それを “殺した” のがセイ自身だったと言うんだが。

 しっかし―――どうでもいいが首を離せ。


「あのな」


 と、俺はセイの手を首から剥がして、逆に指をセイの喉につきつける。

 ―――失敗。
 セイの瞳は、俺の指の軌道を追っていた―――案の定、喉を指差されたまま 「なんだよ」 と平然に見返してくる。

 相手が視認できないほどに素早く行えば、相手は自分のアゴが死角になって “何を” 喉に向けられているのか分からない―――姉さんが他人をからかう時にやっていた “遊び” 。

 第三者から見れば、喉を指で指されてるに過ぎないんだが、当人にとって見れば刃物を突き付けられているに違いないと恐怖する―――少なくとも、姉さんを良く知る人間なら。
 やや尖った爪を軽く立ててやれば、喉を刺されたくらいに錯覚する―――もっとも、姉さんなら爪で喉を掻っ切るくらいはできるだろうが。


「・・・勝手に過去形にするな」


 言ってから。
 なんか、ものすごくヘンな言葉だと思った―――くっ、セイのヤツ “なに言ってるんだこの馬鹿?” とか言う表情で俺を見てるし。
 やろー、こんちくしょー、俺をそんな目で見るな―――って、被害妄想か俺は。


「つまりだな」


 仕方無しに、説明を加えることにした―――アホだと自分でも思う。
 いやまて。説明せずに意味ありげなまま残すとか・・・どっちにしても阿呆なのは変わりねえか。


「俺は出会えたから、現在進行形で幸せなんだよ」

「・・・・・・・・・」

「・・・そりゃあ、俺が居なかったら―――とは考えたさ。今回のことも、ミストの母親が亡くなったのも、間接的には俺の責任だ。俺が居なかったら―――暗殺者じゃなかったら―――そう、何度も考えた」


 俺が居なければ、ハーンっていうマスターの友人も死なずにすんで、ミストの母親も病気で倒れることも無く、今でも親子三人で繁盛しないレストハウスを経営して―――時折、クレイスたちと馬鹿やったりして―――幸せに、本当に幸せに暮らしていたのかもしれない。


「だけど、俺は・・・シード=ラインフィーは、ミステリア=ウォーフマンに見つけられたからここに居る。―――それにな、きっと」


 ―――そう、多分。
 必ず、きっと。


「一年前・・・・俺とミストが出会わなくても―――それでも、ミストは俺を見つけてた」


 きょとん。と。
 セイが無表情から―――ひどく戸惑った表情を見せる。
 年相応の少年の、まだなにも知らない―――そして知ろうとする、少年の表情。

 夢の中で見た “イーグ=ファルコム” も、そんな顔をしていたことを、気づいて思い出す。

 そんなコトを考えながら、続けた。


「俺が暗殺者でも、そうでなくても―――ミストが幸せだろうが、なんだろうが」


 過去でも、現実でも―――未来ですらない、 “もしも” という空想に過ぎない絵空事。
 それでも、絶対にそうだって確信がある。

 運命の出会いとか、出会うべくして出会った―――なんて洒落た事を言う気は全然ない。
 それでも、理屈抜きに、結局ミストはいつか俺を見つけてたって、断言できる。

 ミストだったら「私の推理でもそんな感じがするわ!」 とでも言うだろう。
 ―――もしかしたら、アイツの性格がうつったのかもしれない。
 とか思って、俺は笑いながらセイの首を指していた指を退く。


「あいつは絶対に俺を見つけるだろうし、俺は絶対にあいつの名前を呼ぶ。今までもそうだったし、これからも絶対だ!」


 不確定な “もしも”。
 それでも、確信できるのは。
 すでに、俺がアイツに見つけられたから何だと思う。


「・・・・・・・・」


 俺が言い終わると。
 セイは哀しそうに口をつぐんだ。
 それから悔しそうに俺を睨み、呆けたように息を吐いて、怒ったように眉をひそめて―――

 いきなり、笑いながらバシバシと俺の背中を叩く―――ってぇ、こらなにすんだこいつは!?


「あーっはっはっはっはっはっはははははっはっははっはははっはっは!!!」

「き、気でも触れたかこの馬鹿―――痛い、いてーって止めろこの馬鹿!」

「はははっはっはははははー―――あー、楽しー!」


 やっと叩くのを止めたと思ったら、今度は叫びながら地面をごろごろと転がりまわる。
 「おい危ないぞ」と、焚き火の周りをひたすら転げまわるセイに言っても無視。
 ―――ナンダッテイウンダコイツワ。


「最高! 最ッ高だよお前!」

「はいはいありがとよー」


 やおら立ち上がり、俺に向かって賞賛だかなんだかわからない言葉に、テキトーに相槌を返す。
 あぁ。前々から妙なやつだとは思っていたが―――ついにあっちの世界に旅立ったか。アーメン。


「はー、 “勝手に過去形にするな” ―――そーゆー意味か。いやー、カッコ良すぎるぞお前ッ!  “勝手に過去形にするな” くー、イカスー!  “勝手に過去形にするな”」


 繰り返すな。
 とは思ったけど、なにも言い返さないでおく。
 もはや、温かい目で見守ること―――それが友として俺がしてやれる精一杯のことなんだよなー。

 そう考えていると、セイはつつつーと寄ってくる。顔には不気味な笑み。
 はっきりいって近づいてきて欲しくなかったが、邪険にするわけにも行かず、仕方無しに愛想笑いを浮かべる―――“俺をそっちの世界に引き込むな” と、心の中で呟きつつ。


「ところでシード君」

「なんだいセイ君」

「 ”それでも、ミストは俺を見つけてた” ―――て、すっげぇ恥ずかしくない?」


 ―――がっ!
 振りかぶり、上から下に叩きつけるような俺の一撃は、しかし地面を強打しただけだった。

 じゃり、と砂の粒子が拳と地面の間を微妙に転がる感触―――てゆーか、痛い。


「あいつは絶対に俺を見つけるだろうし、俺は絶対にあいつの名前を呼ぶ〜。今までもそうだったし、これからも絶対だ〜」

「てめ、待ちやがれこのぉぉぉっ!」


 ムカつくほど―――てゆか、怒りで血管がキレそうなほどに楽しそうに繰り返すセイ。
 それを捕まえようとするが、嬉しそうにひょいひょいっと逃げる。

 ああ、くそこのやろちょこまかとーっ!

 ―――――・・・ふっ。
 どうやら俺も本気にならざるを得ないよーだなっ!

 俺は、宣戦布告するようにセイをびしぃっと指差した。


「セイ=ケイリアック! てめぇは俺を怒らせすぎたッ!」

「シード=ラインフィー! お前は俺を笑わせすぎたー!」


 ぐぉ。この野郎は―――この世から分子レベルで消滅したいらしいな。
 なら、望み通りにくれてやるぜ!

 そう―――死よりも尚の死をッ!


 だん。
 と、鳴るはずの俺の踏み出しは、たん、とも鳴らずに無音。
 足音だけじゃない。心臓の鼓動も、血液の流れも、ヒトが知覚できない領域にある細胞の分裂すらも、完全に音が消失する。

 天空八命星――― “無音”
 俺という一つの存在が関連する、全ての音が完全に消滅する。


 地を蹴ると同時に地を踏む。
 地を踏むと同時に地を蹴る。
 限りなく加速する俺を中心とした現実世界―――速く速く速く。光よりも速く進み、それと同時に俺の精神世界は完全に刻が停止する。

 天空八命星――― “刻見”
 完全に停止した思考世界で、同じように動きを止めた現実世界を眺め、目標―――セイ=ケイリアックの動きを補足し、予測し―――刹那の中の一瞬後に、攻撃がないことを確認する。


 ―――暗黒。
 目の前が、目の中に黒いインクを流されたかのように真っ暗になる。
 そこに生まれる一瞬の隙。しかし、 “刻見” で攻撃がありえないことを予測している。

 天空八命星――― “虚無”
 視覚。聴覚。嗅覚。味覚。触覚―――ヒトが外部の情報を手に入れる手段である五感を無くし、外部を遮断すると同時に、外部からも俺という存在を隠蔽する。


 ―――光。
 全ての感覚が消失した中で、光と言う錯覚が見える。
 それは矛盾、ではなく俺の無意識が “光” として仮設定したに過ぎない。
 それは、直感と呼ばれる感覚。
 それは、第六感と呼ばれる錯覚。
 それを鍛え、己の五感を絶ち、それよりもさらに鋭い感覚まで上り詰めたものを “心眼” と呼ぶ。

 天空八命星――― “神眼”
 それは、存在無き存在である状態の俺が、接触するコトはありえないはずの存在有る存在であるセイの “存在” を捕らえる。


 全ての感情を廃絶し。
 誤り無く、機械の様に正確に目標を打つために―――喜びも、怒りも、悲しみも、何もかもを消失―――はしなかった。

 天空八命星――― “空情”
 は、使わずにただ怒り任せにセイに突進する。
 歓喜―――すら沸いてくる。てゆーか、アバラの一本は砕いてやるから覚悟しやがれぇぇっ!


 ―――だんっ!
 俺の踏み出した足が、地面を踏み、叩き、音を発生する。
 音の復活。
 それと同時に、俺の全ての五感が復活する!

 ―――眼前にはセイ。
 セイは、俺が不意に目の前現れた―――というよりは不意に気づいた、と言う風に驚きに眼を見開いて―――


「や。シード君♪」


 ―――セイは、驚きに眼を見開いては、いなかった。
 それどころか、待ってましたとばかりに笑みを浮かべてさえいる。


「くらいやがれ虚空掌―――って、え!?」


 ぶをん。掌が空を凪ぐ音。
 セイは、俺の虚空掌をひらりと避けると笑みを、ニタリと意地の悪い笑みに浮かべる。


「お前にコレが見切れるか?」


 そう、呟いた瞬間。
 セイの拳が光り輝いて―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――気がつけばまだ夜だった。
 目覚めが悪い。


 「なんだよお前、起きたのか」


 と、火の番をしていたセイが、俺の顔を覗き込むようにして、笑う。
 ―――汗はかいていない。
 鼓動―――心拍もだいたい平常通りだ。

 既視感。
 なにか、夢の中と同じような―――

 酷く目覚めの悪い。
 毛布を除けて、起きあがりながら頭を振る。


「どうした。なんかすごく顔色悪いけど」

「いや、別に―――ちょっと夢見が悪かっただけだ」


 やや心配そうに言ってくるセイに、俺は苦笑して答えた。

 ―――言えない。
 まさか、滅茶苦茶恥ずかしいことを口走った挙句に、セイに天空八命星を破られて、逆にノックアウトされたなんて。
 絶対に、言えるか。

 などと、心の中で思っていると、セイがほっとしたように笑う。


「なんだ。てっきり、俺の一撃で頭打ったせいかと」

「・・・え?」

「いやいや夢見が悪いだけか。良かった良かった」

「―――セイ、今なんて言った?」

「シードが無事で、これから一ヶ月間昼飯おごりで良かった良かった」


 言ってねェ。


「・・・そうじゃなくて、その前」

「俺のスターナックルで頭打ったせいかと」

「ほう。俺が。セイの。スターナックルで。頭を打った」


 スターナックル。
 セイが使う必殺技で、なんでも光の速さのパンチとかなんとか―――いや待て。
 なんか、聞き間違えた気がするぞ俺。


「・・・セイ、もう一度言ってくれ」

「シードが無事で、これから一年間昼飯おごりでラッキーハッピー」

「違う」

「・・・十年間だったっけ?」


 殴る。
 いつも通りにセイは避け、俺が睨むと「はいはいわかったよー」と、相変わらずの調子で笑う。


「だから、俺の一撃がお前にイー感じに決まっちゃったもんだから、思わず心配しちゃったわけ」

「それって、いつのことだ」


 いや、まさかなーとか思いつつ―――信じつつ、さらに尋ねる。
 しかし、セイは笑って。


「ああ、けっこーさっきだ。三十分もたってないんじゃないか?」

「・・・・・・・・・」

「怪我はメグドで癒しといてやったけど―――おい、どうした?」


 がくーっと、肩を落とす俺に、頭の上からセイの不思議そうな声。

 ・・・って、マジですか?
 この俺が?
 最強の暗殺者とか、無音の暗殺者(セイ命名)とか呼ばれた俺が、俺よりも年下のガキにKOされちゃったわけですか?
 それも、必殺の天空八命星も使って?
 てゆーか、どうしてセイに天空八命星が通じなかった?―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その一撃で終わるはずだった。
 初仕事は無事に終わり、帰れば姉が迎えてくれるはずだった。

 ―――たんっ。

 音。
 と言うには余りにも小さな音。
 しかし、すでに目の前には、執務机で書き物をしている男の背中―――初仕事、初任務のターゲットの背中。
 名前は聞いたが忘れてしまった―――もっとも、手の中に有るナイフを突き立てるだけで塵に消えてしまう男だ。
 覚えている必要はない。



 覚えている必要はない、はずだった―――



 ナイフは届かなかった。
 無慈悲な刃が男の身体に届く前に、男が振り向きざまに凪いだ腕が僕の胸を強打する。

 疑問とか不思議とか困惑とか。
 そんなものを感じることを忘れさせてくれるくらいに、そのインパクトは強かった。
 殴られた僕の身体は宙を飛んで、部屋の扉に背中から叩き付けられる。

 息をするのが苦しくて痛い。
 骨とか臓物に響くような一撃。
 ―――心を打つような、ってこういう事を言うのかなぁ?

 見れば、男は僕を殴った状態のまま暫く硬直し、やや首を傾けてから僕を振り返る―――僕を、というよりはその眼は僕が手にしているナイフに注がれていた。
 
 椅子を倒しつつ強引に立ちあがる―――机の脇に立てかけてあった剣を、鞘も抜かずに手に取ると無造作に振る。ぶをん、と音。
 それで鞘は脱げた。鞘は適当な本棚に飛んで、衝突して喧しい音を立てて床に落ちる。絨毯がクッションになったのか、床に落ちてもあまり音は立たなかった。本棚の方はというと、変わりなく分厚い背表紙がずらりと並んで無言の圧力を押しかけてくる。激突で背表紙が多少は傷ついたかもしれないけど、それでも不動不変。さっすが百科辞典だね、防御力が高いや。
 

  “それだけで理由は十分だ”


 ―――剣を手にした男は、僕のナイフを見ながらそういったような気がした。
 妄想とか幻想。というか、そもそも “理由” ってなんの理由だよ? って自分で自分に問いかける。
 けれど答える必要もない。答えられる必要もない。
 わからないのなら知る必要が無いのだし、知っているのならばわざわざ答えを求める必要はない。

  “理由” に必要性はない。理由は単なるきっかけに過ぎない。
 あるいは何かを如何にかする時の正当性の主張。実は無くても有っても良いもの―――なら気にする必要はない。

 だから気にする必要はない。
 さっきから、どくどくと、自分の中のなにかが疼く理由なんて。

 立ちあがって、ナイフを握り締める―――足は動く、ナイフを握る手も正常。
 なら、どうということはない。殺すだけ。
 天空八命星が通じなかった―――その事実は、さっきの一撃がかき消してくれた。

 いいや、違う。なにか違う。

 必殺の暗殺術が通じなかった。
 だから、僕はどうすれば良い? 何をしようとしている?
 ―――どうしてさっきから、心が疼いてる?

 気にする必要はない。気にせず、僕がやろうとしていたことをすれば良いだけ。
 目の前の男を殺す。ただそれだけの簡単なこと―――


「あ・・・・・・・は」


 違う。何か違う。
 そう思いながら、僕は笑った。考える必要はない。
 違う。何かが違う―――違う “理由” なんて、考える必要はない。だって、無くても有っても良いものだから。





 ―――何かを如何にかする時の正当性の主張?
 だったら、僕は、何を、如何にかしようとして居るのだろう―――?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眩暈。
 白昼夢ってのは、昼見るから白昼夢って言うんじゃないのかよ?
 ってゆーかっ、ハーン=ケルヴィン編(俺命名)は、ライザさんと決着つけて終わりじゃなかったんかーい!

 ―――などとか誰にと言うわけでもない文句を頭の中で叫んで嘆息。

 「大丈夫か俺の昼飯?」―――と、面倒になってきたのか段々と短絡されてきたセイの戯言を無視して、頭を振る。
 首を振り、炎に照らされた周囲を意識せずに見て―――不意に気づく。

 周囲に、俺とセイの他は誰も居ないことを。


「・・・あれ、クレイスは?」


 そーいや、さっき起きたときも居なかった気がする。
 まさか、ミストと同じように誘拐されたとか? 
 やだなー、あの馬鹿まで面倒見る気ねーぞ俺。


「―――クレイス?」


 んー、とセイは空を見て唸る。

 ―――月はまだ隠れたまま。
 セイの話を思い出して、赤く映える月を想像してみる―――あまり見たくないかも。


「あー・・・っと、クレイスの馬鹿なら、お前が最初に目を覚ますよりも早く “おしっこ” とか言って、寝ぼけつつ森の中に入っていったぞ」

「・・・森の中―――・・・って、ここも森の中だろうがよ」

「いや、もっと奥」


 と、セイは森の深まった方を指差す。
 ―――瞬間。

 弾かれた様に、俺の身体はセイの指差したほうへ駆け出していた。

「ふざけないでっ!」
これは僕の過去にない姉さんの叫び。




「シード!?」


 後ろからセイの声。
 だが、それに答えようとする気も、どうしようもなく激しい衝動にかき消される。
 森の奥。その先に、アイツが居る!


「この子は殺させない―――絶対に、殺させない!」
姉さんが言っているのは僕のこと。


 ざざざざざっ、と蹴散らすように茂みを突っ切りながら、それを目指す。
 時折、植物の刺に引っかかれるが、気にもならない。
 ただ目指して、ただ駆ける。

「私の弟なのよ! 私たちとは違うのかもしれない―――それでも私の弟なのよ!」
幼い姉の声。声しかわからない。だって、これは僕の過去じゃないから。


 武器はない。
 ナイフ一本携帯していない―――全て、野宿場所に置いてきてしまった。
 それでも駆ける―――武器なんて必要ない。結局は、殺せれば同じ。姉さんはそう言った。

「この子は、私が育てる―――だから、邪魔しないでよっ」
震える声。すごく恐怖が滲んでる。


 ざんっ。
 と、駆けぬけた先。茂みを抜けると、広く開けた場所に出た。
 まず連想したのはダンスホール。木々が円形に開けた場所。空には月のシャンデリラが釣り下がる。


「これいじょう邪魔をするのなら―――」
だって、姉さんはこれが初めてだったから。

 次に連想したのは闘技場だった―――俺たちにとって見れば、そっちの方がお似合いだ。
 月華の下。
 思った通り、ソイツはやっぱりそこに居た。

「これ以上、邪魔をするのなら―――殺す!」
哭きながら。姉さんは叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シード=アルロードでもフロア=ラインフィーでもないソイツ。
  “シード=ラインフィー” には関係のない存在―――ソイツは気絶したクレイスを肩に担いでいた。


「始めまして―――だったか?」


 月明かりの下、ソイツは俺を見て笑った。
 俺がソイツの存在に気づいたのと同じように、ソイツも気づいたのだろう―――俺が殺しに来る事を。


「いいや、違うな」


 頭を振る。
 俺は過去にコイツと出会った事実はない。
 ―――それでも、初対面じゃない。

 ソイツは笑う。


「それはおかしいな。私は貴様と会った過去は持たないのだが」

「奇遇だな―――俺も同じだ」


 武器はない。が、関係ない。
 技や型は効率良く敵を殺すために生まれた―――ならば、武器も同じこと。
 武器は道具に過ぎない。道具は便利だが、決して必要と言うわけでもない。

  “人間” という道具は、あらゆる武器よりも優れている。


「名前は?」

「名を問うなら、まずは自分から名乗るってのが流行らしいぜ」

「ほう。そうか」


 男は一つ頷くと、意地の悪い笑みを浮かべた。
 セイのそれとは違う―――言うなれば、大人が無垢な子供をからかう時に浮かべるような笑み。

 こほん、と咳払いして。
 もったいつけて、口に出す。


「私の名前はシルヴァ=ファルコム―――貴様の父親だ」

「ますます奇遇じゃねえか」


 笑う。
 俺は親指で、自分を指差した。


「俺はイーグ=ファルコム―――てめェの息子だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ・・・はあっはあっ・・・はっ―――はあっはあっ―――」


 荒い声はずっとずっと続いていた。
 不規則に乱れた呼吸―――それは、肉体の限界を知らせるためのものではなく、むしろ精神的な圧迫が強い。

 音だけしか聞こえない。
 それも、姉さんに関係する音だけ。
 それが僕の限界。

 だから、この荒い声が姉さんの声だってことだけはわかった。
 それ以外はわからないけれども。


「はあぁ―――ぁあ・・・はあっ―――はー・・・」


 ゆっくりと、呼吸を整える、音。


「・・・もう、大丈夫だからね・・・・・・・っと」


 安心させる様に呟いてから、困ったように言葉を詰まらせる。
 僕をどう呼べば良いか困ってるんだ。
 だって、僕にはまだ名前が無かったから。

 溜息。
 ふぅ、と音。ぱん、と軽く何かを叩く音。


「えっと、弟―――あ、オトウトって名前。意外と悪くないかも」


 そう言って、あははと笑い声。


「冗談よ。冗談―――ちゃんと、名前を考えて上げるから」


 ね。と、言って。


「・・・ぁ」


 音ではなく声。
 すごく小さな小さな声―――寝息。
 姉さんのではなく、僕の声だ。

 ―――眠っている、僕の声。


「あ―――」


 驚いたように。声。
 これは姉さんの声。


「ちょっと・・・まって―――今、私きっとすごく・・・すごく―――」


 僕が目覚めようとしてる。
 そう気づいた姉さんは、泡食ったように言う。


「ねえ、私とあなたは初対面なのよ。第一印象って大事だって、聞いたことがあるのよ。私、いますっごいのよ! 返り血とかベタベタで涙べちゃべちゃで、ああそれからそれから―――だから、せめて笑顔で」

「・・・んあ?」


 まくし立てる姉さんになんか気にしないというように、僕は目が覚めた。
 覚めた。といっても、まだ半分寝ぼけていて―――まだ、僕の過去は始まっていない。


「もう・・・本当に―――」


 不貞腐れたような姉さんの声。
 その声で、僕が姉さんに気づいた―――同時に広がる夜の森の風景。
 僕は姉さんを見上げている。
 姉さんは僕を見下ろしている―――血に彩られた顔で。

 見詰め合ったのは僅かの合間だけ。
 すぐに、姉さんは僕に口を開いた。


「強く、なりなさい」


 それが、始まりの言葉。
 それが、過去の始まり。

 シード=ラインフィーでもなくて。
 イーグ=ファルコムでもなかった。

 それが、僕が、誰でもなかった―――姉さんの弟というだけだった時の記憶。
 だから、僕は姉さんのために強くなろうって決めたんだ。









 ――――――――ねえ。シード=ラインフィー。

 君は、何のために強くあろうとするのかな?





 


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