パニック!
シード編・第四章
「イーグ=ファルコム」
B【ライザ=ケルヴィン】
煌、と照明が付けられた。寸前まで真っ暗闇だったせいか、目の前で赤い光がチカチカと明滅する。
目が眩む。
その光は “終わり“ の光だった。
―――見渡せば、赤の光景。
赤く赤く。
赤い花園。咲き乱れて。その香りが辺りを満たす。
それにしても疲れた。
これならいつもの仕事のほうが何倍もラクだ。
一体、こんなことをしてどんな意味があるのだろう。
考えて。
考えるのも面倒だと、思考を閉じる。
どうせ終わったし。でも、またこんなことあったらやだなぁ。
―――見渡せば、赤の光景。
赤く赤く。
赤い花園。咲き乱れて。その香りが辺りを満たす。
気分が悪い。
どうして俺はこんな夢を見ているのだろう。
吐き気がする。混乱する。
悪夢。これは悪夢か?
―――どうして?
ただの昔の思い出だよ。
過去の、最後の最後の夢の始まり。
見渡せば―――
気分が悪い・・・
―――赤の光景。
吐きそうだ!
赤い花園。咲き乱れて。・・・・・むせるような血の匂いが辺りを満たす。
切り刻まれ,砕かれ、壊れたヒトの身体が、赤く赤く。赤い花を百花繚乱と咲かせている。
まるで、赤い花園のように・・・
―――さあ、アンタはここには存在しない。
ここは僕がいた場所なのだから。
―――確かに。俺はここにいなかった。
だから、わからなかった。
―――見渡せば赤の光景。
その白い肌と銀の髪に、少しも赤を彩らずにフロアがいた。
呆然。と、目を見開いて立っている。
その視線は僕ではなくて、別の誰かを。
―――わからなかった。
わからなかったんだ、俺は!
―――見渡せば赤の光景。
フロアの視線の立つ先には一人。
シードが、よくわからない奇声をあげて泣き叫んでいた。
僕は、シードが、なんで、そんなに、泣き叫んでいたのか。
結局、最後の最後まで分かることはなかったんだ―――・・・・・・
「・・・うっ?」
目が眩む。
その光は外の光だった。暗い室内にいたせいか、光に目が慣れずに目が眩む。
「おい、大丈夫か?」
と、セイが隣で不安気に聞いてくる。
セイ=ケイリアック―――ちょっと見れば、好青年といった顔立ちをしてるけど、よくよく見れば皮肉と悪戯に塗れた表情。俺が大都市アバリチアで知り合った行商人。・・・だが、なんか色々あって商品が全て駄目になったらしいので、現在はアバリチアでバイト生活を送っているようだ。
金髪、碧眼というここらへんではあまり珍しくない。ただ、ちょっと金髪が薄汚れたようにくすんでいるが―――。
その碧眼が、キョロリと俺の瞳を覗き込んでくる。
不安・・・というよりは、ヘンなものでも見るような目つきだ。
「なんだよ、その目は」
「お前、さっきからおかしいぞ」
と、答えたのはセイではない。
俺を挟んでセイとは逆隣のクレイスだった。
セイと同じく金髪碧眼だが、こちらは幾分か小奇麗な格好をしている。
「ぼーっとしまくって。熱でもあるのか?」
「なんでもない―――それより急ぐぞ」
と、背後の音を感じて俺は促した。
「てめユーイティ! そこどきやがれッ!」「剣を納めるのはお前だジーク! これ以上戦うというのならばこの閃光の光矢が―――」「光矢も兄さんも、どうして暗殺者の味方につくのですかっ」「「だって、面白そうジャン」」「「ハモらすなあああああっ」」―――とか俺たちの背後―――女神アテナの神殿とやらの中では、四聖剣の勇者(ウチ三人)とユーイティが互いに剣を交えている。
逃げるならば今がチャンス。
なのだが。
壁の向こうは外。
天気は良く、青空に雲が幾つか浮かんでいる。
日の上り具合から見て、昼近くだろうか?
この神殿は、どうやら街の郊外に立てられているらしく、辺りに人の気配は―――1つしかなかった。
俺は目の前に立ちふさがる人物を認めて愛想笑いを浮かべる。
「そこ、通してくれませんか?」
「さぁ。立場上、そう言うわけにはいかないのよね」
目の前には一人の女性。
長い金の髪を微風に揺らし、蒼い眼光を持って俺を見つめている。
手には剣。長くも無く短くも無く、その重力に逆らわずに下げられている剣は、どうやら彼女にとって最良の相性である武器のようだった。その構えからなんとなく、判る。
キンクフォート自警団六番隊の隊長。
そして、俺が始めて殺した男――― “ハーン=ケルヴィン” の娘。
ライザ=ケルヴィン。
彼女一人―――どういうわけだか、他の警備団員の姿は見えない。
それが何を意味するか―――
「なにぃっ。貴様、このクレイス=ルーンクレストに断りも無くいつどーやって現れた!?」
「待ち伏せてたんだよ。気づけって」
クレイスが馬鹿を叫び、セイが説明する。
―――白昼夢を見ていたせいか、俺もすぐにはその存在に気づけなかった。
が、居ると気づいてもそれほど驚くことも無かった。なんとなく―――なんとなくだけど―――・・・
「それに、君は父の仇でもあるしね」
「俺はシード=ラインフィーです」
やっぱり、か。
と、俺は嘆息。彼女が、ここに一人で現れた理由。
警備団の隊長ではなく、ライザ=ケルヴィンという一人の復讐者として。
わずかな殺意。
それを受け流して、あやふやに否定しながらナイフを構える。
戦いは避けられない。
―――なんとなく、だけど。
ジークと戦ったときから、予感はしていた気がする。
決着はつけなきゃいけない。
シード=ラインフィーではなく、イーグ=ファルコムとしての決着を。
俺が死ぬ。それ以外の方法で決着をつけなきゃいけない。
「シード=ラインフィーだろうが、名も知らぬ暗殺者だろうが私には同じコトよ―――君が父を殺した事実は変わらない」
「そうですね」
それでも俺はイーグ=ファルコムではなく、シード=ラインフィーなんだから。
一年前ではない現在。
もうすでに、俺がイーグ=ファルコムのために死ぬことは許されない。
「俺は行きますよ。先約がある」
「それは―――君の都合」
だんっ。
と、そこでライザさんは踏み込んでくる。
「なっ、ななななっ!?」
「おわっと!?」
突然のアクションに、俺の両隣でセイとクレイスが驚き―――ちっ、と舌打ちして俺はクレイスを蹴りつつ回避する。
「痛いぞ―」とかクレイスが抗議をしてくるが無視。
がっ―――だっ!
ライザさんは二度目の踏み込みで直進してきた勢いを制動する。
その勢いの半分を真横に転化させると、三度目の踏み込み―――二度目の斬撃が俺の首を狙う。
慌てて俺は地面に転がった。「ぎえ」と、クレイスの目の前を銀色の残光が凪いで、悲鳴を放つ。
「惜しいっ」
「どーゆー意味だそれはぁっ!」
俺が冗談を言うと、クレイスは半泣きになって怒鳴ってくる。
相当怖かったらしいな―――まあ、一歩間違えていたら死んでたんだし、当然と言えば当然かもしれない。
「殺す前に」
ライザさんが、神殿を背にして俺に向かって言う。
「君の名前を教えてくれない? 貴方が父の仇で、天空八命星を使う少年―――それくらいしか知らないの」
「こ、こ、殺す!? シード、付き合いは相手を選んだほうがいいぞ!」
クレイスの戯言は無視。
彼女が話しているのはシード=ラインフィーではなくて、イーグ=ファルコムのようだ。
やれやれと思いながら―――
「なにものだ?」
剣の主。
男は、だらりと右手に剣を下げて僕に問い掛けてきた。
答える必要はない。
けれど、何故か可笑しくて楽しくて。僕は自分の正体を口に出した。
「―――イーグ=ファルコム。それがあんたの父親を殺した名前だ」
「そう」
俺の答えに、ライザ=ケルヴィンは簡潔に頷いた。
その後ろで、会話の意味が理解できていないのか、セイとクレイスが呆けた顔でやりとりを見ている。
きっと、この二人とライザ=ケルヴィンが見る俺は違うんだろうな、なんて思う。
セイやクレイスにとってはシード=ラインフィーでも、彼女にとってはイーグ=ファルコムなんだろう。
―――名前が違うだけじゃないの。シードだろうがイーグだろうが、シード君はシード君じゃない。
なんて、きっとあいつは言うんだろう―――思い込みかも。
本当は、そんな洒落たコトは言わずに、推理だのトリックだの犯人だの言うに違いない。
なんにせよ、あいつは、きっと。
俺がシードでも、イーグでも、他の違う名前でも。
変わらずに、俺の名前を呼んでくれる。そんな気がする。
「ありがとう―――その名前、君の首と一緒に父の墓に添えさせてもらう」
「冗談じゃねーな」
軽口を叩きながら、だんっと踏み込んでくるライザさんの斬撃を真後ろに飛んで回避。
続けて、だんっともう一度踏み込み。と、ともに下から掬い上げるような斬撃―――ここらへん、ジークとパターンが似ている。
きっと、この人もハーン=ケルヴィンから剣を習ったんだろうな、と理解する。
二度目の斬撃も、サイドステップで回避すると、ライザさんの真横に回りこもうとして。
だんっ。
―――え?
いきなり、蹴りが来た。
大分無理な態勢からの、ライザさんの回し蹴りが俺の腹部に叩きこまれた。
「がほっ!」
腹。肺の空気を強制的に吐き出されながら、身体が重力に反してわずかに浮く。
それでも、なんとか空中で体制を整えて、両足で着地。身体の制御法を身体自身が覚えていてくれた。
腹のダメージに、少々むせる―――時には、すでにライザさんが目の前に居る!
「ぢぃっ!」
「あっけないよ、暗殺者!」
斬。
と、凪がれる剣に対して、俺は逆に飛び込む。
身を低くして、頭上に刃をやり過ごすと、ライザさんの足元に抱きつくように飛びついた。少し、勢いあまって顔を地面にぶつける―――神殿の周りは、石畳がひかれていないらしい。土の風味が口の中に伝わった。
「きゃー、シード君えっちぃ」とかセイの声が聞こえたが無視。てゆか助けろお前。
やっぱ、昼飯をおごる約束はナシだ―――と、思いながら上に目をやる。
青空。
浮かぶ白い太陽に上―――後ろから照らされ、逆光で影となったライザさんの顔が俺を見下ろす。
その口元には確かに笑みが浮かんでいた。
「終わりなさいよ!」
「終わらないっての!」
剣を逆手に持ち替えて、俺にその切っ先を落とそうとするライザさんの足を、強引に刈る。
無様に転倒こそしなかったが、それでも多少のバランスを崩し、振り下ろされた刃は狙いを外れて、わずかに俺のほほを浅く切っただけで地面に突き立った。
その隙に、ライザさんから飛び離れる。
俺も立ちあがりつつ、口の中にわずかに混じった砂をぺっ、と吐き捨てて。
「・・・あんた、実はかなり強いだろ!?」
詐欺だ。
と、半ば思いながら、俺は剣を軽くはたいて土を落とす引き抜くライザさんに向かって叫んだ。
戦闘技術に関して言えば、はっきり言ってジークよりも強いぞこの人。
ジークが、きっちりと剣技の ”型” というのを持っているのに対して、ライザさんはそれがない。
“型“ というのは、言いかえれば “手段“ だ。敵の様様な攻撃・状況・自分の状態によって、対応する “型“ というものが存在する。真っ向から切り付けてきた場合にそれを受ける “型“ 。逆に、敵の攻撃を流して反撃するのに適した “型“。
“構え“ をさらに意味目的を明確化した “型“ というのは、各剣術流派が長年に渡って研究し、編み出した、手法・手段。
一般に、その “型“ を使いこなすことが、百余りある大陸剣術の “免許皆伝” と言われているのだが。
ライザさんにはその “型“ がない。
踏み込みは、ジークと同じく二度の踏み込みによる二連斬撃を基本としてハーン=ケルヴィンから学んでいるようだけど、ライザさんのはそれからさらに変化する。
型がないというコトは常套手段がないということ。はっきり言って、行動が読みにくい。
逆を示せば型がない。ということは、それだけ独創性・創造力・瞬間の状況判断が優れているということなんだが―――
殺し合いというのはただの単純な繰り返し作業。
相手の攻撃をいかに食らわずに、逆に自分の攻撃を当てるか。それを幾度も繰り返す。
そんなふうに効率良く相手を殺すために、技や型が生まれた。ただそれだけ。
―――あ?
気がつけば眼前に刃の切っ先。
それを回避できたのは、自分でも良くわからない。もっとも陳腐な言葉で言い表すのならば “奇跡” というヤツだろうか―――
等と思っていると二度目の斬撃がきた。
鋼は俺の胸元を鋭く刻みつけ、その衝撃は俺の身体をふっ飛ばした。
そして、意識が過去へと戻る―――
「暗殺者は芸術家のようなもの」
そう、姉さんは僕に言った。
姉さんは、よく僕にそんな言葉を語り掛けてくる。
僕は姉さんの “一つの理想の具現” なのだから、姉さんの理想を知る必要があるのだって、姉さんは言っていた。
だから、よく判らなくても僕はしっかりと集中して姉さんの言葉を聞いた。「どんなに手間をかけても、どんなに犠牲があっても、どんな困難があっても」
魔法使いの姉さんが語る言葉は魔法の呪文みたいで。
不思議と、聞いてるだけで僕という僕が強くなっていくような気がする。
現に、僕は姉さんの言うとおりに生きてきたから、こんなに強くなれた。「どんな障害があっても―――最終的に “完璧“ を成さなければならない」
姉さんの言う “完璧“ が、 “完璧な暗殺” だと言うコトは即座に判った。
誰にも気づかれず―――殺された当人ですら、死んだと気づくことのない完璧な暗殺。
僕は、それを成すために、姉さんから天空八命星を教え込まれた。「暗殺は芸術よ。自分の持てる技術、全てを総動員して、自らの表現の “最高” を演出する
―――芸術は魅せるために、暗殺は魅せないために、と方向性が真逆ではあるのだけど」姉さんは、そう言ってから僕に微笑んだ。
微笑。というよりは、苦笑に近いような気もする。
そっと、姉さんの大理石のような滑らかな手が、僕の首元に触れる。
―――胸騒ぎがした。
なにか、どうしようもなく、逃げ出したくなる。「それから、これは貴方には関係ない―――関係ないと思いたいことなんだけど」
嫌な予感がする。
なんだろう。目の前で微笑む姉さんが、姉さんじゃない気がした。
僕の知っている姉さんじゃない。気がした。「殺し合い。の場合、事情が異なるわ」
鼓動が止まらない。
耳煩いほどに鳴る鼓動が、姉さんに聞こえないかと心配になる。
―――聞こえてしまったらどうなるんだろうと、怖くなる。「殺し合いに芸術は必要無いわ。型も、技も、蛇足に過ぎない。
必要なのは結果、相手を殺すこと」わずか、僕の首に触れる姉さんの手に力が入る。
姉さんの瞳が、怪しく揺れる―――それが喜びだと知ったとき。
僕は、そこで初めて恐怖を感じた。「いかに相手を効率良く殺せるか、そのために “型“ が生まれただけ
―――いかに相手を確実に殺せるか、そのために技が生まれたに過ぎない」逃げなきゃ行けない。
逃げなければ僕は殺される。
それが錯覚だとしても。
今の姉さんには、そう錯覚させるだけの “殺気” が滲み出ている。「結果として殺せればいいの。
技を駆使する必要も、自分の全てを表現する必要もない
―――人間なんて、赤ん坊の頭くらいの大きさの石で頭を殴られるだけで死んでしまう、
とても脆弱な生命体なのだから」殺される。
と、確実な未来を見た。
いくら暗殺者として優れていようとも関係ない。
天空八命星も無意味に等しい。
目の前の―――リウラ=ファルコムという殺意の前で、僕という生命体は、なんて脆弱なのだろう。「イーグ、あなたは誰よりも優れた芸術家となりなさい。野蛮に殺し合うことをしては駄目」
軽く。
喉元に爪を立てられる。
―――それだけで、心臓にナイフをつきたてられたような恐怖を覚えた。「もしも、あなたが―――」
そこから先の台詞を、姉さんは口には出さなかった。
けれど、僕にはなんとなくわかった。
今までの僕にはわからなかった台詞。姉さんに、初めて恐怖を感じてしまった僕にはわかる。
もしも、あなたが殺し合うことに目覚めてしまえば。
私が、あなたを殺したくなる―――
白昼夢は一瞬だった。
赤く焼けた鉄棒を胸に押し付けられたような痛み。
激痛に、ぼやけていた意識が瞬時に覚醒する。
その覚醒は、さらに痛みを明確化するものであったけど。
地面に両膝を立てたまま、僕はその痛みを感受した。
見下ろせば、血。
赤い血が、僕の胸元から服をびしょびしょに濡らしていた。
このままだと、絶対に出血多量で死んじゃうな。なんて、他人事のように思う。
痛い。
今だ出血しているようで、だんだんと身体から力が抜けていくようだった。
「・・・その程度なの?」
声に見上げれば、ライザ=ケルヴィンが立っていた。
血に濡れた―――僕の血だ―――赤の混じった鋼の剣を下げて、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
―――力が抜ける。
胸からどくどくと、赤が流れだす。痛い。
痛い痛い痛い痛い。痛くて痛くて気が狂いそうなのに、だけど平然と、僕が僕でいられるのは。
きっとすでに、狂ってるからなんだろうね。と、理解した。
「さてね」
ライザへの返答か、それとも無意識の呟きなのか。
自分でも判別できない音を漏らすと、立ちあがった。立ちあがってみる。
案外、簡単に立ちあがれた。
おかしい、自分でもそう思う。
胸を見下ろせば赤。
あったかくて、あつくて、冷めてしまえば冷たい赤が、どくどくと流れている。
かなりの深手のはずなのに、致命傷、と言ってもいいほどの傷なのに。
なんとも、平然と、普通に、僕の意識と体は動いてくれた。
胸に手を当ててみる。
べちょ、と何とも不快な感触。、ぬるっとして、べたべたして、気持ち悪い。
「・・・ヘンね、手応えは合ったはずだけど」
「あった。たぶん、普通の人間なら死んでた」
我ながらおかしな事を口走る。
それなら、これで死なない自分はなんなのだろう。
―――不意に、炎が僕を包む。
「シード! なぁにやってんだよ、とっとと急ぐぞ」
セイ=ケイリアックが、ライザさんの後ろから大声で叫んでくる。
この炎は彼のフェニックスの炎だ。熱くない。
熱くない癒しの炎に包まれて、目の前が赤く染まる―――炎の赤。
赤色に彩られたライザ=ケルヴィンが、だんっ、と踏み出すのが見えた。
「らあああああっ」
裂帛。
気を込めた声と共に、銀の鋼が視界に飛び込んでくる。
それを、ゆっくりと立ちあがりながら―――
ひゅんっ。
と、鋭く頭を割るようにして振り下ろされたそれを、右に避けて、一歩だけライザ=ケルヴィンに向かって踏み出した。
「なにっ」
相手の驚愕。
胸と胸が接触しそうなほどの間合い。
この状態で、二度踏み込むのは不可能だ。
―――僕の身体から炎が消える。
胸の傷は癒されたようだけど、おそらく傷跡くらいは残ってるだろう。
少しだけ視界がぐらつく。傷は癒されても、失った血は戻らないようだ。
ライザ=ケルヴィンの顔が、赤いフィルターを取り除かれたように、本来の色を取り戻す。
それと、同時。
ライザ=ケルヴィンは背後へと飛びのいた。
逃がすか―――と、間合いを詰めようとして足がよろめいた。
貧血が原因だろうか。
たまらずに、僕は地面に膝をついた。
ヤバイなぁ、とどこか他人事のように思う自分が居る。
なんか死にかけ。下手すると多分死ぬ。
視界がぼやけている。
そんな瞳で前を見れば、ライザ=ケルヴィンらしい人影が、僕に向かって踏み込んでくるところだった。
鋼が、振り下ろされる。
反射的に避けようと身体が動くが、立ちあがることさえままならない。
剣が寸分の狂い無く、僕の頭頂部に振り下ろされる瞬間。
奇妙な既視感を感じていた。
鋼が、振り下ろされる。
反射的に避けようと身体が動くが、立ちあがることさえままならない。
剣が寸分の狂い無く、僕の頭頂部に振り下ろされる瞬間。
死、を僕は感じた。
死ぬ。
ということは、あまりにも僕の中で漠然としていた。
目の前の鋼が、僕の脳天を割れば迎えることのできるもの―――それくらいは理解していたけれど。
それでも、死ぬということの意味はあまりにも僕の中で漠然としていて。
死んだ後、僕という存在は永久に消えてしまうのか。
それとも、なにかの怨念を残して永劫とありつづけるか。
あるいは待ったく別の―――永久の消滅でも、永劫の不滅でもない別の何かになるのだろうか。
そんなことを、僕は考えていた。
ぴたり。
そんなことを考えていると、刃は僕の眼前で止まる。
疑問。
命が助かった、という安堵感も無く、僕は疑問を僕から遠ざかる鋼の剣に投げかけていた。
「なにものだ?」
剣の主。
男は、だらりと右手に剣を下げて僕に問い掛けてくる。
―――暗い部屋の中。
蝋燭の明かりだけが、細々と灯る部屋の中―――どうやら、書斎のようだったが。
初めて発した男の声は、予想していたよりも、酷く老いていた。
外見からすると、30代か40代か―――大人の年齢はよく判らないが、それでも青年と呼べる時代は過ぎ去っているだろう。
が、今までのやり取りの中で見せた男の動きは、まだまだ若く―――だからこそ、僕は深手を負って、死と隣り合わせの状態になってるんだけど。
「イーグ=ファルコム―――暗殺者だよ」
答えてから、すごくお腹が痛いと思った。
声を出すために、肺を振り絞って、喉を響かせる―――それだけで、傷口が疼いた。痛い。
ほんとーに泣きそうなほど痛い。みっともなく泣いてしまいたい。でも、泣かない。
きっと、泣いて喚けばもっと傷は痛くなって、もっと泣きたくなる。
だから僕は、痛むお腹に力をこめて我慢した。力をこめるとさらに痛くなる。けれど我慢。
「あんたを殺しにきたんだ」
痛い。
我慢しても痛いものは痛い。
それなのに、見上げた先に立つ男は無傷で平然と僕を見下ろしている。
絶対にどこも痛くないはずだ。少なくとも僕よりかは痛くない。不公平だ。
本当は一撃で終わるはずだった。
のに、どうしてか、どうなってか、僕はこうして深手を負って、相手は無傷で立っている。
不公平だ。と、もう一度思った。
相手のロングソードは僕の腹部を切裂いたのに、僕のナイフは相手にかすりもしない。
リーチの差? そんなものは関係無い。
書斎といっても、大きな本棚が空間の半分を占めていて、斬り合いをするには狭すぎる。
こんな限定された狭い空間内なら、ロングソードなんて振り回すことは難しくて、むしろ僕のナイフの方が有利なはずなのに。
でも、現実は僕は死にそうな深手を負っている。
きっとそれは、僕が暗殺者だからだ。
斬り合いなんて、そんなの暗殺者がやることじゃない。
暗殺者って言うのは、一方的な殺人という意味の芸術。
これはもう、殺し合いって言う野蛮な命の削りあいだ。
「こんな子供が・・・か。見くびられたものだな」
睥睨し、男はどこか呆れたように呟いた。
たちの悪い冗談―――とでも思っているに違いない。でも、これは冗談でも、間違いでもない。
だから、僕は首を横に振った。
「逆だよ」
ふと、余裕を持っている自分に気づいた。
激痛が、泣きたいほどの激痛を身体は感じているのに、その痛みを感じることにさえ余裕がある。
余裕。
余裕?
いいや、違う。これはきっと・・・
「きっと、誇って良いと思うよ―――僕に殺されることを」
立ちあがる。
意外と身体は素直に言うことを聞いてくれた―――お腹の激痛が、身体全体を軋ませる様に響くけど、それでも僕の身体は立ちあがる。
立ちあがった僕を見て男は構えた。
といっても、身構えたわけじゃない。
剣はだらんと下げたままで、気、というか雰囲気、意識が僕に対して集中する。
この人に型はない。あってもそれは見せかけ。
―――ひどく詐欺じみた男。
本来なら室内では不利な筈のロングソードを、まるで大草原の只中で在るかのように自由に振るうし、僕のつけられた傷だって、右足の踏み込みでタイミングを図っていたところを、左足の踏み込みで狂わされて―――不意を突かれて傷つけられた。
加えて言えば、外見からして裏切ってる。髪の色はすっかり抜け落ちて、壮年と言うのがピッタリな白髪なのに、その動きには躍動感―――若さがあふれてる。くせに、声は酷く疲れたような響きがあって、まるでお爺さんだ。
「ならば貴様も誇るが良い」
相手の男は言い返してくる。
なんか、大人気ないなぁ。ていうかもしかして僕の真似?
・・・ああ、なんかはしゃいでる。
信じられないけど、僕はこの状況を楽しんでいた。
歓喜。というべきなんだろうか、今すぐ飛び回って楽しさを全身で表現したい衝動。
でも、何かを待つように僕の身体はじっと動かない。
何か。
なんて、決まりきってる。それは始まりの合図だ。
「このハーン=ケルヴィンに敗北する。その事実をな!」
それが合図だった。
楽しい時間の始まり。
楽しい時間の始まり。
楽しい、殺し合いの時間。
今、思えば。
きっと、それが、終わりの始まりだったのかもしれない―――・・・・・・
身体は存外に―――なんの障害も無く動いた。
ぉんっ、と空を凪ぐ音が耳に届く。
過去とは違って、その鋼の一撃は容赦無く振り下ろされた。
―――地面に。
「てっきり、もう動けないと思ったんだけど」
剣を振り下ろした彼女は、それを持ち上げて通常姿勢に戻りながら、多少困惑げに僕を見た。
内心では結構、驚いてるんだろう―――僕も驚いてる。
いや、驚く必要は無いか。
だって、一つ、事実に気づいてしまったのだし。
「今ふと思ったんだが」
と、僕―――俺。俺は、まだ少しふらつく身体を、なんとかバランス保ちつつ、目の前のライザさんに向かって言葉を吐く。
正直、声を出すだけでツライ。軽く息切れするし、眩暈もするし吐き気もする。
それでも、身体の調子は良好だった。
目の前の女一人を殺すくらいなら苦も無くやり遂げられる。
「これは、もしかして、殺し合いなんだろうか?」
だからこそ、俺は彼女に問い掛けた。
余裕がある。
白昼夢―――いや、いつかあった過去と同じだ。
何故だか、酷く、楽しい。
これから始まる事に期待して。
ワクワクが止まらない。
なんとなく。
もしもここにアイツ―――ミステリア=ウォーフマンが居たら、なんと言うだろうか。
僕を―――俺だ、俺を見て、なんと思うんだろう?
なんて、あまり関係の無いことを考えた。
「今更ッ!」
斬。
と、ライザ=ケルヴィンの答えはその一撃だった。
一度目の踏み込み、それと共にの一撃。
一度目の踏み込み。
それは、ほぼ全力に近い斬撃だ。
が、力が入りすぎているせいか、少々遅い―――もっとも、一撃目を受け止められれば二撃目は無い、だからこそ速さよりも力に比重を置いているのだろうけど。
考えながら後方へ飛ぶ。考えられるだけの余裕がある。
とん、と地面に落とされる、空気を一刀両断する鋼の軌跡を見送りながら着地。した瞬間、身体がよろめいた。貧血。
無論、のこと。
その瞬間を、ライザ=ケルヴィンは見逃さなかった。
地面に鋼が激しく叩き付けられ、ぐわん、と鋼と地面が衝突して―――鋼が、跳ね上がる。
どうやら、地面に落ちる寸前に手首を返してわずかに剣の角度を変えたらしい。刃と剣の腹の中間部あたりが衝突したせいで、地面にめり込むことなく、跳ねたのだろうけど。
なんつー滅茶苦茶な。下手すりゃ手首と剣の両方が壊れるってのに。
「りゃあああああっ!」
鋭い。
閃光とも思えるようなその一撃が、俺の足元から振り上げられる。
―――それを、ナイフで受け止めた。
がぎぃんっ、と鋼同士がぶつかり合う音。
と、同時に跳ぶ。
ナイフで受け止めた剣に押されるようにして、俺の身体は宙に浮く。
少々、後ろへと身体が流れて、着地。
ライザ=ケルヴィンの二度目の踏み込み―――斬撃は、一度目のそれよりも軽い。
威力よりも速さ。当然、一度の踏み込みよりも、二度の踏み込みの方が勢いもある。
だから避けることは難しいが、ナイフで受け止めることならばなんとかできた―――
間合いが開く。
ライザ=ケルヴィンは舌打ちしてから、さらに踏み込んでくる。
一方、どんっと俺の背中に何かがぶつかる―――壁だ。
四角い、無愛想な灰色の石をいくつも積み上げられた神殿の壁をちらりと眺めて、そのごつごつした石肌に触れる。
特に意味はない。
冷たい感覚が、触れた指先から伝わり、ざらざらと表面。
前を向いた。
目の前には、迫り来る女戦士。
「ぜぇあっ!」
斬。
と、振り下ろされた一撃。を、横に動いて避ける。
「じゃああッ!」
いきなり蹴りが来た。
がぎぃぃっ、という鋼と石が激突する音を耳にしながら、僕の股間を狙ったライザ=ケルヴィンの一撃を、どうにか両手で受け止める。
激しい衝撃。背中を壁につけているために、それを受け流す事もできない。
激しい衝撃。両腕から、全身に満遍なく伝わってきた。
―――左手の指が何本か折れた。
「鉄の靴!?」
「特注品だよ。良いでしょ」
女の子が自分の服を見せびらかすような口調で言われて苦笑。
まさか、鉄の靴を履いているとは思わなかった―――正確には、つま先などの蹴打部分を鉄甲で補強してある靴。さらに、鉛でも入っているのか、女性の蹴りにしてはやたらと重い。
がらん、と。
ライザ=ケルヴィンの手から剣が落ちた。
石の壁に全力で打ちつけたんだ。手くらいは痺れるだろ。
僕の左手も、中指と人差し指がヘンな方向に曲がっていた―――さっきの蹴りが、これくらいで済んで幸運ではあるけど、それでもこの左手はもう使えないなー、と思いながら。
とん。
と、今度は僕が踏み込んだ。
折れた左手の痛みも、受け止めた両手を通して伝わったはずの衝撃も感じない。
右手にナイフ。
それを彼女の心臓に突きたてるだけで、僕の勝ちだ。
彼女が死んで僕が勝つ―――なんて脆弱な生命だろう、人間って言うのは。
「まだまだぁっ!」
ライザ=ケルヴィンは、僕の突き出したナイフを身を捩って回避。
だけど、甘い。
僕は、手首を返すと、ナイフを彼女の横腹に突き立て―――
「シード=ラインフィー!」
不意に、誰かが叫んだ。
俺の名前を。
その名前を聞いたとたん、身体が動かなくなる。
ズキン、と左手に激痛。
身体中がバラバラになりそうなほどの痛みが走った。
―――気にならなかった痛みが、衝撃が、今ごろになって―――古ぼけた記憶を思い出すかのように―――蘇る。
夢の中から現実に引き戻されたような気分だ。
刺されても斬られても蹴られても―――たとえ殺されたって、夢の中ならば痛くないし、死にもしない。
まるで、夢から覚めずに現実に戻ったような―――眠らずに夢を見ていたような―――
「 “エル・ディ・ゴウ・バウト” !」
「―――あ? きゃあああああっ!?」
不意の呪文。
そして、轟と風の塊―――なんとなくそんな感じの風が、ライザ=ケルヴィンの身体を弾き飛ばした。
「シード様ッ!」
「テレス!?」
振り返れば、そこには大小一つずつの人影。
その小さい方―――神殿の大部屋の入り口で、騎士たちに押さえつけられていたはずのテレスは、どうやってか逃げ足してきたのか、杖を俺たちの方に突き出し―――つまり、魔法を放った直後の状態で居た。
そして大きい方―――その男には見覚えがあった。
いや、シード=ラインフィーという記憶の中では、もっとも馴染みのある顔の一つ―――
「マスター!?」
「叔父さん!?」
異口異音。
ただし、言葉の意味が重なる叫びを、俺と態勢を立て直したライザ=ケルヴィンが放った。
神殿の外周を回ってきたのだろうか。
そこに現れた男は、やや息を整えている。
と、そこに。
「―――おっさん、遅すぎー」
「黙れ。まったく、若いモンが先走りおって」
セイの軽口にスモレアー=ウォーフマン―――マスターが、渋い顔をする。
それをそのままライザさんに向けて。
「これは、何事だ?」
重みのある声。
「それ、きっと気のせいよ。もしくは気の迷い―――ええい、大サービスで聞き間違いって言うのはどう!?」―――俺の頭の中でミストが喚く。
―――苦笑。
何をやってるんだろうな、俺は。
自分の手の中のナイフを見下ろす。
シード=ラインフィーは、こんなもので何をしようと思っていたのだろうか?
問い掛けられたライザさんは、答えず、無表情にマスターを見返した。
―――本来ならば、俺と言う同じ仇を追う同士。
そのマスターに対して、ライザさんは何を思っているのだろう。
暫く、静寂。
やがて。
「はーっはっはー! 答えられぬのならば、この僕が答えてやろう!」
「おー、カッコいーぞクレイスー。ひゅーひゅー」
「 “ザイン・ディル・ゴウ” 」
壁の穴に立って胸を張るクレイス。それを囃し立てるセイ。そんな二人に、テレスの魔法が飛んだ。
杖から放たれた、蒼い衝撃波は、クレイスをあっさり打ち倒す。
セイは―――あ、いつのまにか近くに生えていた木の影に隠れてる。
クレイスは即座に立ちあがると、がーっと剣を振り回しながら。
「なんのつもりだテレス!」
「お兄様は黙ってなさい! 今、いいところなんですっっ」
・・・いや。
その言い方は何か違うと思うぞテレス。
唖然とする俺たちに、テレスは「えへへ」とか愛想笑いして。
「さぁ、皆様、続きをお願いします」
「テレス、お前も黙っていろ」
疲れたように “伝説の傭兵“ 。
なんか、緊迫した場を一気にぶち壊しにされて、さっきとは全く質の異なる静寂が場を支配する。
いわゆる “白けた“ ってやつだ。
「早い話が、お姫様の救出に向かうシード君を、野暮で無粋なヤツらが邪魔してるってワケだ。で、俺たちは王子様を助ける正義の魔法使いとかそーゆー感じ」
「ええ!? 僕は魔法使いよりも、剣士がいいぞ!」
隠れていたセイが、外から首だけ出してそんなことを言う。それに対してクレイスが抗議。
・・・お前らはただ単に面白がってるだけだろうが!
「いいえ。私は “シード=ラインフィー” を邪魔する気は無いわ」
と、セイの言葉で、ライザさんが動いた。
酷く淡白な苦笑を浮かべ、ライザさんはマスターに向き直る。
「ならば、行かせてやってくれ―――ハーンの仇はすでに取っただろう?」
「私にとって仇はまだ取れてない」
マスターの言う “仇“ とはイーグ=ファルコムという個人ではなく、闇の宴という暗殺組織なのだろう。
それは、ある意味間違っていなくて、ある意味間違っている。
広い視点で見れば、確かにハーン=ケルヴィンを殺したのは組織だ。
けれど、ライザ=ケルヴィンという個人にしてみれば、自分の父親を殺したのはイーグ=ファルコムという個人。
マスターも、俺と出会う前はそうだったはず。
だから、ライザさんに言われて、マスターは押し黙る。
「おいクレイス、なにがなんだか分からないんだけど」
「はン。馬鹿め、わからんか。あれはただの暗号だ」
なんか、わざと聞こえるように大声でひそひそ話―――矛盾してるような気がするけど、まあそんな感じ―――をするセイとクレイス。だから黙ってろよオマエラ。
・・・でも、俺はこの二人に助けられたんだっけか―――うう、ヤだなぁ。 ”人生の汚点” って言葉、きっとこう言う時に使うんだろうな。
「本当は―――逃がしても良いと思っていた」
ぽつり。
と、ライザ=ケルヴィンは独り言のように呟く。
その声には、戸惑いが含まれているようにも感じる。きっと、彼女自身迷っているんだろうな―――俺を許すか、許せないか。
ライザさんは、俺の方を見つめ、どうしようもなくさびしいような、悲しい顔で。
「シード君。君に初めて会った時、許せると思った―――叔父さんが許せたのなら、私も許せるんだと、そう思った」
―――だが、それはお前に向けられる憎しみではない。―――そういう意味では…あいつもお前のことを許しているだろう。
墓参りの帰り、許してくれたんだろうか? と問い掛ける俺に、マスターは許せない、と答えてからそう付け足した。
きっと、それがマスターのイーグ=ファルコムに対する決着なんだろう。
でも、ライザ=ケルヴィンは―――
「―――何も無ければ良かった。何も無くて、そのまま君が帰ってくれれば」
「でも、事件が起きてしまった、んだよな」
「そうね。そうして君は、組織の仲間の所へ行こうとしている―――目的がなんであれ、それは私たちにとっては見逃せない事」
静かな嘆き。
そこに、イーグ=ファルコムに対する憎しみも、怒りも無いように思えた。
―――きっと、彼女にとってイーグ=ファルコムへの決着と言うのは、忘れることだったんだろう。
イーグという暗殺者はもう居ない―――そう思って、一生思い出さない。
それが彼女にとっての決着。だけど。
「私は君を殺してでも止めなければならない―――それは、逆を言えば殺す理由があるということ」
「俺が止まるなら話は別だけどな」
言いながら、止まるつもりは全くない。
俺はミステリア=ウォーフマンを助け出す。
―――自分の手の中のナイフを見下ろす。
シード=ラインフィーは、こんなもので何をしようと思っていたのだろうか?―――
さっき感じた奇妙な疑問。
そんなことは始めから決まってる。
決まりきっている。
やりたいこと。やらなきゃならないこと―――決まっていること。
ただ、俺の中のイーグ=ファルコムが邪魔していただけだ。
暗殺者が他人を救う。
なんて、馬鹿みたいな冗談に過ぎないから。―――姉さんは、そんな不良品は作らない。
・・・シスコン?
なんて思って心の中で苦笑。
「憎しみも、怒りも、もう終わったと思っていたのに」
泣いているような、そんな声。
初めて。
ライザさんは剣を構えた―――とは言っても、“型“ と呼べるほどのものではなく、ただ単に初撃を振るいやすくするために、若干持ち上げただけに過ぎない。
「けれど、私は君を殺さなければならなくなってしまった―――だから」
「―――いいよ。決着をつけようか」
ナイフを握り締める。
ちかっ、と一瞬だけ目の前が白く眩み、いつかあった過去がフィードバックする―――
殺し合うことがこんなに快感だとは思わなかった。
相手の攻撃をなんとか避けて、逆に自分の攻撃を相手に当てようとする。
ただその二つだけを繰り返す、なんとも単純な作業。
その作業の手順を僅かでも手違えば、死んでしまう―――そんなスリルが脳を直撃する。ライザさんの一撃目。
横凪ぎの一撃を、ナイフで受け止める―――受け止めきれずに、自ら飛ぶ。
吹っ飛ばされる形になって、身体が宙を舞う。
が、なんなく態勢を立て直し、地面に着地―――慣性を完全に殺すことはできず、ずざざっと滑って、クレイスに背中から衝突して止まる。
クレイスがなんか言って来るが、ライザさんの二撃目にかき消された。
喚く馬鹿の頭を蹴りつつ、その反動で振り下ろされた一撃を回避。剣は、俺とクレイスの間を割るように地面に落ちた。傷が疼く。
痛くて痛くて痛くて―――でもあまり気になら無くなっていた。
出血は止まっていない。全力で動けばすぐに死ぬ。不公平だと思うほどに、僕の方が分が悪い。
早々と決着をつけなければならない―――
そんな焦りがスリルをさらに育て、何とも言えない快楽に酔う。蹴り。
が、ライザさんの蹴りは、俺を狙ったものではなく、地面の石を蹴り上げたものだった。
砂と共に、拳ほどの石が俺に向かって飛ぶ。
―――それはナイフで叩き落した。
直後、ライザさんが踏み込んでくる。右足で。
―――足のタイミングは図らないことにした。ジークと同様、絶妙の場面で裏切られるのが落ちだ。
唸りを上げて、右から斜めに斬り上げてくる剣。
ナイフで受け止めず、地面に倒れこむギリギリまで身体を傾斜させて回避。
次いで、ライザさんの二度目の踏み込みと同時に身体を傾けた方向へ、地面を蹴った。
俺を追うように、切り上げられた剣が袈裟切りにと山を描く。
ぎぃんっ、とその一撃にナイフを叩きつけ、無理矢理軌道をそらした。
間合いが開く。天空八命星。
―――は、どう言うわけだか通じない。
正確には、己の存在を仮消滅させる “虚無” が通じない。
ならばどうすればいい!?
姉さんから教わったのは “暗殺“ けれど、殺し合いの方法は教わっていない。
天空八命星は通じない。
正確には “虚無“ が通じない―――!?
そこで、ふと思いついた。
やったことは無いけれど、多分、なんとなく、今ならば。
できるような気がした。「―――ハーン=ケルヴィンは強かった」
「知っているよ―――私よりも、誰よりも、強かった!」
答えながらライザさんはさらに踏み込む―――今度は初撃に蹴りが来た。
踏み込み、跳躍しての飛び蹴り。
不意を突かれて、その一撃を左肩に食らう。
激痛。
だが、完全に痛みを無視する。
衝撃を、なんとかこらえて、足を踏ん張り、ライザさんがさらに踏み込んでくるよりも先に、こちらから踏み込んだ。
ナイフを逆手に持ち、斬りつける。
ライザさんの下腹部を斬るが―――浅い、皮一枚ってところか。
さらにと連撃―――を、ライザさんが剣の柄を俺の左肩に打ちつけた。
鈍痛。
もはや神経が麻痺してるのか、鈍い重さしか感じない―――が、それで俺の身体がよろめいた。
その隙で、ライザさんは近接状態から離脱する。
再び間合いが開いて、一息。
してから、俺は笑う。
「見せてやるよ。ハーン=ケルヴィンを殺した技を」「―――っ!?」
不意に横手に現れた “僕” に、ハーンは素早く切りつける。
その一撃で、 “僕“ はあっさりと殺された。
「なん、だと!?」
困惑したような、ハーン=ケルヴィンの声。
―――そのときには、“僕“ は、ハーンの背後に存在していた。
疑問より先に、反射的、本能的にハーンは振り向きざま、 “僕“ の頭部を剣の柄で殴りつける。
音も無く、頭部を砕かれて絶命する “僕“ ―――
「なんだ、これはぁぁぁ!?」
絶叫。
初めて、僕の目の前でハーン=ケルヴィンは恐怖に怯えた。
“僕” は、ハーンの横や後ろ、前に “存在” する。
「貴様ッ、何を―――」
「さようなら、ハーン=ケルヴィン。僕はあんたと戦った恐怖を、一生忘れない」斬。
と、ライザさんの背後に存在した “俺” が斬られた。
「え―――?」
ライザが、戸惑ったように俺を振り向く。
瞬間、 “俺“ がライザさんの真横に存在する―――
悲鳴に似た呻き声を上げながら、ライザさんは “俺“ の首を跳ね飛ばした。
「な、なに!? 錯覚―――幻術―――!? でも、そんなッ!?」
叫びながら、次々と “存在“ する “俺“ を斬り捨てていく。
が、斬っても斬っても俺という “存在“ は際限無く生まれていく。
「―――ど、どういうことです!? シード様がいっぱい居て―――でも居なくて―――ええ!?」
テレスの困惑した声。
他の面々も、似たような顔で次々に出現する存在に惑っている。
確かに “俺“ が現れる―――のに、それは視覚には写らない―――が、それでも “俺” がそこに居る。
気が狂いそうな錯覚。
自分の感覚に裏切られてるような異常な状態。
―――天空八命星 “無影”
そう名づけた “これ” は、俺という存在を一時的に消滅させる “虚無” とは正反対の意味を持つ。
存在を消すのではなく、俺と全く同じような “仮存在“ を生み出す――― “暗殺者” が使う必要の無い技。
―――殺し合い、のための技。
「こんな―――これって―――」
「さあ決着だ、ライザ=ケルヴィン」
「なっ―――!?」
とん。と。
僕は、軽くハーンの心臓にナイフを突きたてた―――
「天空八命星・虚空殺―――」
それから一秒と立たずに、ハーン=ケルヴィンの身体は塵と消滅した。
だん。と。
俺は、強くライザさんに一撃を叩きこむ!
「天空八命星―――虚空掌ッ!」
僕の一撃に、ライザさんの身体が飛んだ。
そのまま、地面に背中から激突する。
「ぐっ―――あっ―――」
完全に不意の一撃だ。
受身すら取れずに、頭も多少は打った筈だ。しばらくの間は立ちあがれないはず。
「きゃー、シード君ってば非道! 女性を殴るなんて、しんじられなーい」
「なんて男の風上にも置けないヤツだ! これはくすぐり悶絶地獄の刑だな。ちなみに二時間だ」
「シード様、酷いです!」
「やっかましいわお前等―――づっ」
ブーイングの嵐に一喝する。
と、忘れていた痛みが蘇る。すっげぇ痛い。
なんかなんで生きてられるんだろうなー、とかホントに疑問。
「ライザ―――大丈夫か」
マスターが、ライザさんを助け起こす。
ライザさんは、脳震盪を起こしているのか、眩むように目を細めて俺を見た。
「なんで・・・殺さなかったの?」
無視。
いや、なんかそーゆーこと言われる気がしたけど。
ま、自分で考えてわからないのなら、また殺しにくればいいさ―――黙って殺される気は無いけどな。
痛む身体を支えながら、俺はセイを振り向いた。
俺が言うよりも早く、セイは頷く。
「ザルムッ!」
『・・・何か用か?』
ふをん。
と、緩やかな旋風とともに、セイの身体から蒼い獣が現れる。
「聞いてただろ―――頼むぜ」
『ふん・・・』
無愛想に、ザルムは唸ると、軽く身体を震わせる―――と、膨張したようにその体が大きくなる。
その背に、ひらりとセイが飛び乗って、俺も―――ずきっ、と身体が痛む―――が、堪えて、セイの後ろに飛び乗った。
「ちょっとまてお前等。どこに行く気だ―」
と、クレイスが駆け寄ってくる。
・・・ンなの決まってるだろうが。
「ミストを助けに行く」
「それなら僕も行く!」
そう言って、止める暇も無く俺の後ろに―――って、くをらクレイス、肩に触るなぁぁぁっ!
「ぐ・・・ぎぎぎ・・・」
「おう? なんだシード、僕が行くのが涙出るほど嬉しいのか?」
クレイスのふんぞり返ったような声。
言い返そうとして―――けれど、あまりの激痛になにも言えない。
「シード様―――絶対に、ミステリアお姉様を助けてくださいね!」
テレスの声に、俺は痛みを堪えて頷いた。
それから、と俺の後ろのクレイスを見て、何か言いたそうにして―――嘆息。
「お兄様、シード様に迷惑かけないようにしてくださいね」
「妹とはいえ失礼な。僕がいつシードに迷惑をかけた」
しょっちゅうだろうが。
それにしても、テレスはクレイスを止める気は無いようだ。
―――止めても無駄だと思ってるのかもしれない。
「・・・シード」
と、マスター。
ライザさんについたまま―――そのライザさんも、俺の方を向いている。
ライザさんは、なにか訴えるように俺を見ているけど。
結局、なにも語らない。
代わりに、というわけでもないだろうが、マスターが俺を見て頷いて。
「お前はシード=ラインフィーだ。ワシにとっても、ミストにとってもな」
「・・・ありがと」
頷いて。
「よし、行くぜっ!」
「オーケー! ザルムッ!」
『承知』
セイの言葉に、ザルムは地面を蹴る。
そうして、まさに疾風のような速さで、俺たちはキンクフォートの街を飛び出した―――・・・