パニック!

シード編・第三章+α
「フロア=ラインフィー」


A【二年前の出会い】


 

 ・・・出会ったのは、二年前の―――何時の頃だか正確には思い出せない。
 寒くもなく暑くもない日の夜だったってコトだけ覚えているけど、出会った時が何時だなんて私たちには意味のないコトだった。

 ただ、その時のことはハッキリと覚えている。





「―――イーグ=ファルコムだ」


 二人部屋のベッドに腰掛け、読んでいた本のページを人差し指に挟んで閉じると、私はアインダーに紹介された彼をなんとはなしに観察してみた。

 黒い髪に黒い瞳―――とりあえず、この辺りの国の人間ではないと見等つける。
 もっとも、“ここ”にはあらゆる人種が集まっているために、どこの国の人間だろうと、あまり意味はないのかもしれない。
 私自身、どこの国の人間かわかったもんじゃない。シードは、私の金色の髪を見て大陸の出身じゃないか、と言っていたけれど・・・まあ、それこそどうでもいい事だと思う。


「うわ、ボサボサ」


 声に、わずかだけ首を振り返る。
 と、私の視線の先では、短く刈った茶色い髪の毛を揺らし、部屋に一つだけある机で書き物をしていたシードが振り返るところだった。

 シード=アルロード。一応、不可解にも私と同室で暮らしている男。
 特徴としては、短く刈られた茶色の髪の他に、右の耳たぶがすっぱり切れている―――と、始めて顔を合わせたときに、自分からわざわざ丁寧に教えてくれたコトを思い出す。なぜ切れているのかわからないけれど、どうせたいした理由じゃないと思う。

 すくなくとも、こんなところに、いる人間にとっては、さして驚くことはありえない理由には違いない。

 シードは机の上でなにやら手紙を書いていたようで―――また、実らないラブレターか、ペットの餌についての談判状なのだろうけど―――ペン先をインク壷に突っ込んだまま、半身だけ振り返って“イーグ=ファルコム”を見ていた。

 確かに、シードが言うとおりにイーグ=ファルコムの髪の毛は目を軽く覆うほどに伸びて、何日もシャワーを浴びていないのか、頭髪からは不潔感が漂ってた。

 けれど、私は髪よりもその瞳が気になっていたのだけど。

 漆黒の瞳。
 そこに光は無く、ただただ暗く淀んでいた。
 その濁った黒の瞳は、ぼんやりと私達の部屋の中を見つめて。


「イーグ。ここが今日からお前の部屋となる。―――その二人は、お前の同居人となるシード=アルロードとフロア=ラインフィー」


 アインダー―――アインダー=ラッツ。
 一応、私達二人の“教官”であり“保護者”でもある暗殺者―――は、ぼんやりと部屋の中を見るイーグ=ファルコムの背を軽く押す。

 よろ・・・っと、危なっかしい足取りで、イーグは部屋の中へと入ってきた。


「―――ちょっと待て! アインダー、今なんか不可解なことを言わなかったか?」

「言っていない」


 シードの憮然とした問いに、何をだ? とも聞きかえさずにアインダーは否定した。
 ぐっ・・・と一瞬だけ詰ったものの、シードは気を取り直したように椅子から立ち上がって、半ば放心したように部屋の中でたち尽くすイーグを指差す。

 指差されたほうのイーグ=ファルコムという少年は、ふとしたようにシードの方に顔を向ける。


「なんか、こいつとオレらが同居する、とか言ったように聞こえたんだけどな?」

「正解だ。意外だが、お前の耳は正常に機能しているということだな」

「何が意外だコラ。俺が言いたいのは、この部屋は二人部屋ってコトだッ!」

「“大人”二人部屋だ。子供のお前達なら、十分に生活できる」

「くぁ・・・いつまでもガキ扱いするんじゃねーよっ! ・・・大体、なんでこんなヤツと一緒に暮らさなきゃいけないんだ!? コイツ、確か組織を抜け出した裏切り者の弟―――」


 刹那。
 シードの身体がはじけ飛んだ。
 腹部を打ち抜かれ、身体を“く”の字に折り曲げて背後へと飛ばされる。
 がんっ、と机の角に激しく抱きとめられ、それでもなおかつ勢いは止まらずにそのまま壁に張り付くように衝突する。


「あ・・・づ・・・・・」


 ずる・・・っと机の上に乗っていたペン立てやらインク壷やらを盛大に倒しつつ、その上にへたり込んでシードは気絶したようだった。


「・・・許さない」


 声。
 その怒りに満ちた、声変わり前だというのにひどく重い声に振り返る。
 そこには、シードに拳打を放ったままのポーズで立つ、イーグの姿があった。

 ―――鳥肌が立った。


「姉さんの悪口は・・・許さない・・・」


 子供じみた言葉とは裏腹に、その言葉に宿る“殺気”は濃密。
 噂に聞く“邪眼”ではないかと思うほどに、その憎しみの秘められた瞳を前に、ヘビに睨まれたカエルよろしく身動き一つ出来なくなる私。
 その瞳は、私ではなくシードに向けられていると言うのに。

 イーグ=ファルコム
 ・・・その名前を思い出したのは、その恐怖を感じたその時だった。

 この、私たちが所属する暗殺組織『闇の宴』の高位の女幹部の弟。
 そして、私やシード・・・或いは他の『組織に拾われた子供』とは違い、その姉である女幹部によって育て上げられている―――いや、育てられて“いた”こと。
 そして―――これは本当かどうかすら怪しい“噂”でしかないのだけれど―――数十人の一級暗殺者を、たった一人で全滅させたという名前。

 すでに暗殺者として働き、キンクフォートの聖騎士団副団長、そしてラナクスの暗殺集団“黒の帳”を壊滅させた実績を持ち、私たちよりも3歳年下、弱冠14歳にして『最強』と冠された暗殺者。
 狙われた標的は、塵としか残らない―――などと、その存在はすでに生きた伝説とまで上り詰めている。

 まさか、実物をこんな形で目にするとは思わなかったけど―――・・・・・


「許さない・・・姉さんの悪口はゆるさ―――姉さん? 姉さん、どこに居るの?」


 ―――!?
 “イーグ=ファルコム”について思い起こしていた私は、その当人の声に我に返り―――すぐに異変に気づいた。
 先ほどまでの“殺気”は霧散したように消えうせ、代わりにおどおどと頼りなく周囲を何かを探すように見回している。

 ―――何か、ではなく誰か。


「どこに居るの。ねえ、どこ? どこ―――置いてかないで。置いていかないでおねえちゃん!」

「お前の姉はここに居ない」


 冷淡。とも受け取れるほどに冷静なアインダーの声。
 イーグはびくっ、っと一瞬電撃が走ったかのように痙攣し、おそるおそると入り口に立ったままのアインダーの長身を振り返る。


「おねえちゃん、ここに居ないの?」

「いない。もはやお前のそばには存在しない」

「嘘だ!」


 アインダーの言葉に、イーグは我侭な子供がいやいやするように首を横に振り、アインダーに詰め寄った。こちらからでは表情を見ることは出来ないけれど、おおむね想像は出来る。


「居ないものは居ない。あの女は組織を抜け出した」

「嘘だ! 僕を置いて逃げるもんか―――そうだ! お前だな? お前がおねえちゃんを隠したんだ!」

「・・・そうだ。と言ったら如何する?」

「殺す」


 ―――普段、聞きなれているはずのその一言が、何故か生まれて初めてのように響いた。
 イーグ=ファルコムの口から聞いたその単語はとても自然で、そして純粋な―――本当に純粋で、他意の混じらない完全なる意思で満たされていたからかもしれない。

 だから私は直感した。
 アインダーは死ぬ、と。


「・・・えっ!?」


 気がついたときには、肉と肉とがぶつかる重い衝撃音。
 イーグ=ファルコムの一撃に、屈強なアインダーの身体は吹っ飛び、廊下まで叩き出された。
 私はその瞬間を見逃した・・・いや!?
 なにか、違和感がある。見逃した、わけじゃない。

 見逃した、ではなくて気が付かなかった!?

 そう。
 確かに、私はイーグ=ファルコムが動き、アインダーの腹部へと拳を突き入れる瞬間を目撃していた。その光景は目に写り、記憶にある。
 だが、その瞬間、イーグ=ファルコムの存在を知覚していなかった。

 “気が付かなかった”
 それが一番ピタリと来る表現だった。

 ―――そういえば。
 イーグ=ファルコム、彼と彼の姉は、古のとある暗殺技術を研究―――


「うあああああああああああああああああっ!」


 イーグ=ファルコムの咆哮に、私の思考は中断する。
 咆哮と共に、イーグはアインダーを追って廊下に飛び出した。

 どうしようか、と逡巡して一秒後。

 さきほどよりも激しい衝突音と共に―――イーグ=ファルコムの身体が、再び部屋の中へと飛び込んできた。
 部屋の中央で一度バウンドし、それでも感性は殺しきれず、シードがだらしなく気絶している書き物机に衝突して、倒れる。


「・・・天空八命星―――か。とんでもない置き土産をしてくれる」


 続いてアインダーが、苦笑を表情に含みながら―――とても、珍しいことだけれど―――部屋の中へと入ってくる。
 片手は腹部を抑え、しかし痛みは顔には全く出さずに部屋の床に寝そべるイーグを見下ろして。


「・・・死んだ、かな?」

「ああ」


 私の一言に、アインダーは短く答えた。
 死んだ―――というのはイーグ=ファルコムのことじゃない。アインダーのこと。

 先ほどのイーグの放った不可解な一撃。
 素手だからこそアインダーは致命傷を負わなかったが、しかしナイフの一本でも持っていたなら、アインダーはこの世にはいない。

 何故ならば、私同様にアインダーもまた、イーグ=ファルコムの一撃を知覚できなかったのだから。

 アインダーは無表情に―――というよりは無情に、激痛のためか机の脚に背を持たれたまま身動き取れないイーグの肩をつかんで仰向けに転がすと、流れるような動作で鳩尾に当身を一撃。
 それで、イーグ=ファルコムの意識は完全に闇に沈んだ。


「イーグ=ファルコムとはこういう男だ―――よろしく頼む」


 イーグ=ファルコムの肩をつかんでいた手を離し、身を起こして私を見ずに、アインダーはそう言い残し、部屋を去った。
 “頼む”と言葉を吐くことは珍しいが、しかしつまるところはただの命令と変わりない。
 私たち―――私とシードにとって、アインダーの言葉は絶対で、拒否することはそのまま“死”を意味するのだから。
 ・・・もっとも、だからといって彼が無茶な命令を出したことは一度もないのだけど。

 私は、気絶したままのイーグ=ファルコムを見下ろしてどうしようかと思い悩む。
 このままにしておくのも可哀想だけれど、だからといっていつ暴走するかわからないような人間に触れたいとは思わない。


「・・・くっ。・・・・・・あああああっ!? なんか眼が覚めたら俺の二時間ほどの誠意が込められたラブレターに真っ黒なインク花がぁぁっ!?」

「・・・・・・・」


 机の上で気絶していた、シードが目を覚ました声を聞いて、私はもう一度だけため息をついた。



 イーグ=ファルコム。
 その名前を持つその少年との出会いは、そういうものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えーと。

 とりあえず困ってみる。
 んでもってさらに悩んでみる。
 ついでに唸ってみた。うーんむ。

 ええと。
 私は。

 私は、ミスト。ミステリア=ウォーフマン。
 アバリチアの南地区グリフィス通りに面したレストハウス“スモレアー”括弧朝のモーニングランチとすでに酒場と化している夜でなんとか稼いでいるのが本来のレストハウスとゆー名前から逸脱しているのがなんかなーと言う感じ括弧閉じる経営しているスモレアー=ウォーフマン括弧元傭兵括弧閉じるの娘で母はすでに他界して今は裏バジリス通りの名物オンボロアパートに父とシード君と三人暮らし―――

 ・・・うん、まー、頭がどうかなったわけじゃないわね。

 じゃあ。
 じゃあ、いったい、これは、なんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうするんだよ?」
「オヤスミナサイ」


 いまだ気絶しているイーグ=ファルコムの身体を見下ろし、シードが殴られた腹部を痛そうに抑えて聞いてくるのに対し、私は簡潔に答えた。
 本当にそろそろ眠い。今までシードのラブレターを書くのに付き合っていたけれど、まさかまたもう一度書き直す気力は残っていないだろうし。
 私は、読みかけの本に枝折《しおり》を挟むと、ベッドの傍らに置いて毛布の中に滑り込んだ。


「おいおい、コイツはどうするんだ?」


 シードの声。
 私は、毛布の中に顔をうずめたまま何も考えずに応える。


「そのままでいいんじゃないかな。 ―――それともシード、添い寝する?」

「だっ、だれがっ―――あ、でもフロアの添い寝なら喜んでしてやるぞ。コイツを俺のベッドに寝かせて、一緒に夢の世界に旅立とうではないかマイハニー」


 いつもどおりのシードの戯言を、私は無視。
 瞳を閉じ、自分の意識を自分の中のもっとも深い底へと押し込むようにして、強引に眠りに付いた。





 ――――――――――――・・・・・・・・





 そして、夢を見ることもなく翌日。


「・・・ん」


 目が覚めた瞬間の、気だるげな虚脱感。
 私はどうにも低血圧で、朝とは生まれたときから通算して圧倒的に負け越していたりする。
 だというのに、その日の朝は、妙に早くに目が覚めた。

 ベッドの上で半身だけ身を起こし、軽く伸びをしてみる。
 まだ半ばほど意識がぼうっとしているけど、軽く頭を振って強制的に意識を覚醒。
 ・・・しようとしても、まだ眠い。


「んがぁ・・・・・ミフェラちゃん、シーバスちゃん、カエリアちゃん、マリアちゃん・・・・・」


 普段、私よりも早くに起きているはずのシードが、聞き覚えのあるなしが半々の女性の名前を寝言で呟いている。さぞかしいい夢を見ていることだろう。
 無論、そんないい夢を邪魔するほどに私は無粋でも野暮でもない。
 むしろ、一生起きずに、そのまま安らかに死んだように眠り続けていてくれれば静かなのになー、とすら思ってしまう。

 心の中で思ってから連想する。「じゃあキミが目覚めの口付けをしてくれるのかい?」―――実際に口走ればそんな台詞が返ってくるだろう。まったく。


「・・・・・・・・・・・フロア」


 ぴくっ。
 聞きなれた、この世で一番親しみのある名前に思わず反応する。


「俺、昔からお前のことが―――」


 昔、か。
 出会ってからすでに四年・・・というところかな?
 だというのにシードの印象は出会った時からまったく変わっていないような気がするんだけど。
 ・・・もしかしたら成長という言葉を知らないのかもしれない。

 それにしても、私は夢の中でどうゆう配役なんだろうか?
 そう、考えて嘆息。断りもなく人を勝手に自分の夢に出演させないでほしい。


「―――えっ? なに? マジ? お前も俺のことが!? そーかそーか、いやそうじゃないかと思ったんだ!」


 ・・・と。そこで私は気づいた。

 唐突だけど。
 私は精霊師である。

 火・水・風・土など万物の精霊を繰る精霊使い―――シャーマンとは違い、精霊師とは一つの精霊と『契約』を交わし、その精霊の力を魔道技術で引き出すことのできる魔法使いのこと。

 精霊使いは精霊たちの絆―――平たく言えば、どれだけ精霊たちに愛されているかによって、精霊たちが力を貸してくれる度合いが決まる。つまるところ術士としての技量よりも、天性によるところが大きい。
 が、それは精霊のもつ力の上限を上回るものではなく、またその精霊が存在しない場所―――風の吹かない洞窟などには風の精霊は居ないし、空気までもが乾いた砂漠には水の精霊は存在しない―――では、当然ながらその精霊から力を借りることはできない。

 しかし、精霊師は術者の力量によって、精霊がもつ力を完全に引き出して、なおかつそれ以上の力を生み出すこともできる。
 また、『契約』した精霊は常に契約者のそばに存在するために、魔法的な特殊結界。またはそれに類じるもの以外の場所ならば、いつでも力を行使させることができる。
 『契約』できるのは単一の精霊のみなので、そこが精霊使いに劣るところだけど。

 さて。


「いつも飛んでくる鉄拳やらテンプルヒットな回し蹴りとかにもなんつーか、愛がこもってる気がしてたしな!」


 ・・・などと熱っぽく馬鹿を口走るシードに目を向ける。
 まったく、どーしてこの男はこーゆーことしか考えないんだろうか。


「さァ、早くお前の口付けで俺を夢の眠りから覚ましてくれジュデーム」


 ほぅ。
 と、私はため息。

 一拍おいてから、改めて口を開く。


「自由は天に・天は際限なくと無限・無限は吹き渡る疾風―――」


 私の口から漏れ出でるのは、シードにではなく精霊に語りかける言葉。
 呪文のような、棒読みの言葉に、周囲の空気がうねり、ゆらめき、蠢く。
 揺らいだ空気は、湖に小石を落としたかのように波紋となり、それは風となる。

 精霊使い・精霊士に区別なく、私たちが精霊の力を行使するとき、基本的に呪文は必要としない。
 “精霊”という存在は、本来ならば“意思”などという概念の存在しない、自然現象の中にある意思であり、ヒトの概念が生み出したもの。

 ・・・と、説明してもわからないか、普通は。
 だいたい私は誰に説明してるんだろうか?

 ともかく、精霊たちに命令するには術者が頭の中で考えるだけで事足りる・・・が、言葉に出したほうが術者自身のイメージが高まり、精霊により強い概念を与えることができる。

 ―――イコール、それは術の効果に直結する。


「・・・っ」


 ぴく、と。
 言葉を聞いてシードが反応する。

 やっぱり起きていたか。

 でも、もう遅い。


「いやえーとお姫様のキッスでなくても、やさしく『ねぇ、起きて・・・朝よ』とかちょっと艶っぽく言ってくれるだけでも俺は満足・・・・」


 この期に及んで寝たフリをしながらも、あせりながら口早にまくし立てる。

 が、キッパリと私は無視すると、さらに言葉を連ね重ねる。


「疾風は走り駆けて飛び・飛び行くは“蒼”の視えざる弾丸」


 私の周囲に生まれた風は、二本の紐を捻り合わせて綱とするように、ある一点を中心として捩れ、一つの形に収束する。


「弾は撃ち・撃ち砕くは我が視線に貫かれし―――」


 と、そこまで唱えて私は少し言葉を思案する。
 が、すぐにちょうどいい言葉を思い浮かべ、呪文を言い直した。


「―――我が視線に貫かれし愚者」


 ドンッ。と。部屋中に重い音を響かせて。
 私の風を―――というよりは空気を凝縮した弾丸は、シードの頭に向かって正確無比に飛ぶ。それこそ、銃弾のように、否、それよりも速く。

 しかし、シードはさらにそれよりも速くに動く。
 空気の弾丸がその脳天を貫く寸前。
 いつも朝目覚めたらそうする、というかのようにひょいっと、身を起こす。
 その一秒にも満たない直後、シードが直前まで頭を預けていた枕を、風の弾丸が打ち抜いた!


「よっ・・・と。まったく愚者まで言うか!?」


 シードは砕け散った枕の破片を集めながら、私に苦笑して見せた。

 私は、あー・・・と未だ寝ぼけている頭を軽く振って、ちょっと言葉を考えて口に出す。
 音が出る前に欠伸が出た。


「ふぁ・・・―――“馬鹿”でもいいんだけど、それじゃカッコがつかないでしょう?」

「うむ。確かに。でも欲を言うならハンサム野郎エーックス! くらいは言ってほしいケド」

「検討しとく―――ぅん?」


 もぞっ、と。私の腰のあたりで何かが動く。
 見下ろしてみると、そこには。


「ねえ、さん・・・」

「とか言いながらフロアの腰にナニ抱きついてるかテメェはっ!」


 ぼすっ。
 という音をたてて、シードの投げた枕の比較的大きい破片が、私の腰に抱きついているイーグ=ファルコムの頭を埋めるようにして落ちる。

 ・・・あ、そうか。
 もしかしたら私が早く起きたのって・・・コレが原因かも。

 想いながら、ぎゅっと私の腰に抱きついている昨晩の少年を見下ろして―――


「あぅ〜、苦しいよ暗いよ怖いよお姉ちゃん〜」

「って、いい加減にしなさい!」


 がすっ。
 という音を立てて、私の膝がイーグ=ファルコムの腹部のいートコロにHITする。
 そのままイーグは私のベッドから転げ落ちて悶絶。


「あぐっ、あぐっ、あぐぅぅぅぅっ!」

「オラ死ね早よ死ねとっとと死ねっ!」


 あ、シードが蹴り入れてる。
 その男子トイレとか体育館の裏とか橋の下とかな雰囲気に、私は思わず微笑みかけて。


「ほらほらシード。それ以上やると、可哀想だよ」

「あぁ? 俺のフロア(未来予想図)に容赦ないスキンシップしやがった野郎のどこが可哀想―――って、うわあフロアァァッ!?」

「お、お、お姉ちゃん!? その妙に馬鹿でかいモーニングスター一体何時何処から出したの!?」


 乙女の身だしなみである、直径一メートルのモーニングスターを振りかざす私に、シードとイーグの二人が馬鹿兄弟よろしく騒ぎ立てる。

 その二人に向かって、私は手に持った “をとめのはぢらい♪” と白いチョークで書かれた漆黒のトゲ付鉄球を二人に向かって何度か振り下ろした―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢かな?
 夢の中でこれが夢だと思ったことはいまだかつてないけどってゆーか今までに夢なんてあまり見たことないし私。

 うー、と。一月に二、三度かな。
 母さんが死んだときに、一生分の悪夢を見たいせいかもしれない。

 そーいえば夢ってのはすべからくして悪夢だとか聞いた記憶があるなぁ。悪夢は悪夢だし、どんなに良い夢だって終わってしまえば全て消えてしまう悪夢。ってぇ、なんだかわからないじゃない誰が言ったんだかこれ。

 まー。
 なんていうか。

 とりあえずは見る以上になにもできないみたいだし、ボーッと見てれば目が覚めるでしょ。

 多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ばんっ、と執務机の上を平手で叩きつけ、私は目の前の人物をにらみつけた。

 無骨、だとか無愛想だとかの言葉がピタリと合いそうな顔―――何を言っても徒労と終わるような気がして、向き合ってから数十秒。すでに酷く疲れているような気がする。


「―――なにが言いたいのだ?」

「―――なにがしたいのか教えてほしいの」


 組織の最高幹部の一人である、 “記憶者”アインダー=ラッツの私室は嫌になるほど広い。
 私はこの部屋にくると、自分の生活しているちっぽけな部屋と見比べてやるせない気持ちになってしまう。

 ・・・というわけではなく。

 やたらと広いこの部屋。
 ちょっとした貴族の館の大広間くらいはある面積に、私とシードの部屋よりも家具が少ない―――言い切ってしまえば、私の目の前でアインダーが頬杖をついている執務机しかない部屋。

 彼の背後にある馬鹿にでかい大窓からは、眩しくて目が眩むほどの陽光が降り注いできているが、その窓にもカーテンの一つ存在しない。

 今までの私の半生分の付き合いがあるアインダー=ラッツという人間は、決して無欲というわけではない。倹約家というわけでもない。
 強いて言うならば、綺麗好きというコトだろうか。不必要なものはまとめて不燃物処理場に叩き込む性格。

 ・・・そして、それは人間でも同じこと。


「私にシード=アルロードを預けて四年になるわ。そうして、今度はイーグ=ファルコム?
死から逃避する男と、死よりも尚の死を与える少年―――そんな二人の相手を、なんで私が面倒見なければならないのかしら?」


 意識して私は声を抑えて――‐一息に、言い放つ。

 対してアインダーは、ゆっくりとした動作で頬杖を解き、執務机とセットになっているようなアームチェアに背中を預ける。

 きぃ、と音が鳴った。

 笑う。


「死よりも尚の死を与える―――か、なかなか面白い表現だ」

「ご、誤魔化さないで欲しいわね」


 いつもは表情を弛緩させているかのように、無表情なアインダーの頬が緩むのを確実に確認し、私は固い言葉を返す。

 足が震えた。

 アインダー=ラッツのこの笑みを、私は一度だけ見たことがある。
 彼の妻が殺されたと私が報告した時だ。

 その時、私は初めて死というものを直感した。
 現実にある「死」ではない。
 概念的な「死」だ。

 殺されると恐怖して。
 殺されると期待した。

 なぜならば。
 アインダ=ラッツの妻を殺したのは、この私で。
 それをこの男は知っていたのだから。

 ・・・けれど私は、まだ生きている。


「誤魔化すつもりはない。が、お前はイーグ=ファルコムが何を持っているか知っているのだな」 

「イーグ=ファルコムという名前は知らなかったわ。ただ、リウラ=ファルコムが何をしているかを知っていただけよ」


 リウラ=ファルコム。
 アインダーと同じ最高幹部の一人であり、幹部の中で唯一、二つ名を持たなかった女性。
 イーグ=ファルコムの姉であり、“カタナ”と呼ばれる東方の武器を振るい、大魔道師クラスの術を行使する、組織内では無敵の戦闘能力を誇っていた女。

 性格か、それともその能力ゆえなのか隠密行動・暗殺技術は最低ランクの暗殺者にも劣るが、暗殺者の育成能力は不思議とズバ抜けていた。

 それが何を思ったか、唯一の肉親である弟を残し、数日前に失踪。

 現在、大陸で五本の指に入る暗殺者のうち三人が、彼女の育てられた人間であり、内の一人であり、最高傑作とも呼ばれている己の弟には、魔法にも似た古の暗殺技術を叩き込んだ。

 それが、“天空八命星”―――・・・
 ナイフなどで相手を傷つけ、その傷から相手の内部へ直に、“消滅”という概念を叩き込むことによって、文字通りに相手を塵と変える“虚空殺”を必殺とする暗殺術。

 かつて時の流れすら読んだと言われる、神々の血を引いた一族が使ったといわれ、本来ならば相手の存在そのものを時の流れから消滅させてしまうものらしいが。

 ふと、私が関連する情報を、記憶から引っ張り出していると、アインダーが口を開く。


「フロア=ラインフィー。私が何故、お前を生かしているか解るか?」

「・・・!」


 鼓動が跳ね上がる。
 ぞくり、とした恐怖。
 口の中が一瞬にして干上がり、喉がカラカラに渇く。
 目が痛くなるほどに充血して、赤い光がチカチカと視界を乱舞していた。

 赤い視界の中で、アインダーは、彼は何もせずに何も動かずに私を殺そうとしている。

 ふぉん・・・と風が流れた。
 主の危険を察知したのか、私の使役している風の精霊が私を守るように、私とアインダーの間に空気を凝結させた壁を作り出した。

 が、そんなものは一枚の紙ほどにも役には立たないことを私は知っている。


 アインダー=ラッツが「死ね」というだけで私は死ぬだろう。
 その死は現実なものではなく、呪言師でもないアインダーの言葉だけで、私が死ぬことはありえない。

 その死は現実的なものではなく、あくまでも概念的なもの。

 アインダーが「死ね」と言い放つだけで、私は死を感受する。


「そういうことだ、フロア=ラインフィー」


 違った。
 アインダー=ラッツは私が望む言葉を口には出さなかった。

 空気の壁のせいか、ややくぐもった彼の声が私の耳に届き、落胆する。

 そういうことだ? そう言われても私には何がなんだかわからない!
 そんな分からないことはどうでもいい! 私が望むのは!


「シード=アルロードは死を恐れている。
イーグ=ファルコムは死を望んでいる。
―――ならばフロア=ラインフィー。お前はどうだ?」

「・・・わからないわ」


 いつのまにか、風の壁は消えていた。
 はっきりと、アインダーの声を聞いて、私は首を横に振る。

 ・・・先刻までの狂おしいほどの欲求は収まっていた―――


「・・・でも、私に拒否権はないのよね?」

「拒否するのならば構わない。お前にこだわる必要もない」


 皮肉交じりに問うた私の言葉は、アインダーの感情を僅かとも動かすには至らなかったようだった。
 
 ただ静か。
 彼の中で、私の存在は“現在”という記録にしか過ぎないのだろう。

 記録とは揺ぎ無い確固たるもので、かつあやふやであるもの。なかった事にすることも、別の事実に書き換えることも可能なのだ。
 けれど、記録が現実に干渉することは許されない。

 私と、アインダー=ラッツという男の関係は、つまりはそれと同じだった。

 解っていた事だが―――解っていた事だからこそ、苛立つ。


「―――拒否できないって、解っててッ!」


 最後に激昂を含んだ言葉を彼に浴びせると、そのまま部屋を退室した。




 なぜだろう?

 結局のところ、私はまだ生きている―――・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フロアって名前には聞き覚えがあるなぁ。
 確か、シード君の昔の親友だったっけ? そゆ話を前に聞いたことあるし。

 んー、でもこの夢に出てくるシードってシード君じゃないよね。
 むしろ、フロアって人の腰に抱きついていたスケコマシ少年のほーがシード君っぽいし。

 とゆーことはこの夢って、シード君がなんたらって組織にいたときの話?
 あれおっかしーな。なんで私がこんな夢見てるんだろう。
 しかもこの夢って私じゃなくて、このフロアって人が主人公っぽいし。

 どーゆーことだか責任者でてこーいっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻ってみると、ジト目の二乗で迎えられたりして。


「お帰り、フロア」

「お帰り、お姉ちゃん」


 シードとイーグ=ファルコムが二人して部屋の中央にしゃがみ込み、下から睨み上げるようにして、部屋の入り口で立ち尽くす私を見つめていた。

 えーっと。

 もしかしたら、二人の頭部に巻かれた、痛々しい包帯が原因の一端かもしれない。
 あくまでも推論に過ぎないけれど。


「あはっ」


 私は重苦しい空気を振り払うようにして、きゃぴっ☆ と笑う。
 そうして二人の包帯を交互に指差して。


「ペアルックだね。仲良しさんなんだねっ♪」

「言うことはそれだけかぁっ!」


 立ち上がりつつ、シードが怒鳴る。
 私は、ひくっと身を震わせて、微妙に目をそらしつつ。

 握った両手を口元に当てて、かわいぶりっこしてみる。


「やんっ。シーちゃん怒らないでよぅ」

「誰がシーちゃんかぁぁぁっ! ちょっと嬉しいじゃねえかっ!」


 そんな戯言を呟くシードの肩を、呆れたようにイーグ=ファルコムが叩いた。


「シード、それ、なんか違う・・・」

「はっ、そ、そーだっ! なんでこのクソガキはともかく、俺まで殴られなきゃいけないんだよっ!」

「それも違うッ。って、お前、それで怒ってたのか!?」

「ったりめーだッ! フロアに抱きついて至高の感触を味わった上で撲殺されるなら本望だが、そんな役得もナシにただ殴られるだけってのはなんか納得いかねえぞコラ。だから乳でも尻でもいいから触らせ―――」

「風は叫び・風は叫び・風は叫び!」


 シードの言葉を最後まで言わせずに、私は風の精霊を瞬間開放!
 物理力すら伴った風がシードに向かって飛ぶ!

 が。


「甘いっ!」


 にぃっ、とシードは笑い、何時の間につけていたのが、右の腕に腕時計よろしくつけていたポーチをこちらへ向ける。

 シードが得意とするのは射撃。
 あのポーチの中には、 “ショット・スリング” とシードが呼んでいる、超小型のボウガンとスリングを掛け合わせたようなのが仕込まれていて、そこから矢とか鉄球など、様々なものを打ち出すことができる。

 が、いつもシードが扱っている鉄の矢程度ではこの風には対抗できないハズなのに―――


「喰らいなっ! フレイ・スマッシャァァッ!」


 え?
 ポーチの射出用の穴から飛び出してきたのは、矢ではなくて―――


「銃弾ッ!?」


 そう叫んだのはイーグだった。
 が、その叫びの余韻をかき消すようにして。

 爆音。


 圧倒的な量の音が支配する中。

 赤と赤と赤が、私の前の空間を踊り狂い。

 私は思わず魅せられた。


 ・・・ああ。

 なんて、きれいな、あか。


 でも。
 私は知っている。知っていた。知ろうとしている。

 何よりも鮮やかで、美しく、私が求め欲する赤を―――


「何事だっ!?」

「なんでもないですっ!」


 ぐいっ・・・って、え?

 いつのまにか。
 踊り狂う赤―――爆炎は収まっていた。

 音を聞きつけた誰かが走ってきて、シードが慌てて私の腕を掴み、部屋の中に押し込むように引くと、続けて部屋のドアを少し乱暴に閉める。

 ばんっ、と音。の後にかちゃりと鍵を閉めて、さらにドンドンと扉をたたく音。


『今度はなんだぁっ!』

「いつものコトでっ!」

『ちっ、いい加減にしとけよ、あたふた夫婦ッ!』


 だんっ!
 と、締めくくりに強くドアが殴られ、やってきた誰かは去っていったようだ・・・って、誰が「あたふた夫婦」!? 勝手にヘンな名前を付けないでほしいわね。

 まあ、声は覚えたし―――あの声は、“破砕者”ガフー=ジェイ教官の所の、クラックだったかな。
 報復は改めてあとで考えるとして・・・今は。

 と、私はシードを見る。
 扉の向こうに向かって愛想笑いを浮かべていたシードは、自分のベッドに座―――ろうとして、すでにイーグが腰掛けてるのに気づき、とりあえずその場に立ち尽くして、肩をすくめる。


「いやぁ・・・怒られちまったな」

「シード。顔がニヤついてるぞ」

「え? そーか? いや別に俺はフロアと夫婦呼ばわりされて、うっしゃあッこれで既成事実完了! とか思ってるわけではなく―――――だから、そんな根も葉もない呼び方は、止めさせるように呼びかけることをここに誓います」

「うん。いい返事だね」


 にっこり。
 と、微笑んで、私は振り上げていたモーニングスターを床に降ろした。

 それにしても、シードに対しては、“精霊”よりも物理的手段の方が良く効き目があるのは何故なんだろう?
 精霊士である私にとって、ちょとへこむ事実だなあ。


「火薬?」


 イーグの声に、シードが振り返る。
 私は、自分のベッドに腰掛けながら、二人のやり取りを眺める。

 唐突なイーグの言葉に、シードはやや首をかしげ困惑していたが、やがて質問の意味に気づいたのか、親指で鼻をぬぐうと得意そうに笑った。


「そ。銃弾型の爆弾。
拳銃なんかから打ち出そうとしても暴発するのがオチだが、俺のスリングから撃つ分にゃその危険性もないからな」


 と。シードとイーグが話しているのを見て、私は納得する。
 なるほど、風の一撃に対して爆風で対抗したわけらしい。
 まあ、長年の付き合いではあるし、対抗策やらを編み出してきたということか。
 一応、成長しているみたいではある。えらいえらい。


「でもそれってさ、わざわざ弾丸の形にしなくてもいいんじゃないか?」

「いろいろ試した結果、この形が一番真っ直ぐに飛びやすいんだ」

「ふぅん」


 シードがポーチから取り出した、赤い色―――先刻の爆炎とよく似た緋色をした弾丸を、受け取り、子細に眺めつつ、どこか感心したようなため息を漏らす。

 この二人、いつの間に仲良くなったんだろう。
 こうして見ていると、本当の兄弟みたいな気がする。

 私は自分のベッドに腰掛けて、仲良く楽しげな二人のやりとりを、私もまた楽しんで―――ほんの少しだけ嫉妬して―――眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢っていうのは、自分の過去に体験した出来事・記憶を元に構成されている“ありえない事実” だってなんかで読んだ記憶がある。

 あれは、確か・・・ちょっと古い推理小説で、人殺しの夢を見ていた探偵の周囲で、夢と同じような殺人事件が起きるって話だったか。
 その犯人が、実は探偵の双子の弟で、双子ってゆーのはなんかどっかで繋がってるモンだから、弟が体験したコトを兄である探偵が夢で見たとか何とかしょーもないオチだったけれども。


 ふむ。
 なんとなく仮説を一つ。

 これは、フロア=ラインフィーって人が体験したことだろう。多分。
 でも、ミステリア=ウォーフマンである私も同じ夢を見ている。

 なるほど! わかっちゃったっ♪
 つまり、フロアって人は私の生き別れの双子―――って言うには歳が離れすぎてるか。
 ええっと、生き別れのお姉さんだったのねっ!

 ああ、今明かされる真実〜
 とゆかお父さん一体ドコでいつのまにっ!?
 草葉の陰でお母さんが泣いてるわよッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん」

「・・・あのね、そのお姉ちゃんっていうのはやめてほしいなあ」

「え? でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんだし―――」

「だって私、キミと同い年だよ」

「そ、そうだったの!?」

「って、フロア。そりゃサバの読み過ぎってモン―――ぐげぇっ!?」

「だから、フロアって呼び捨てでいいんだよ」

「う、うん・・・わ、わかった、フロア」





 イーグ=ファルコムを加えて、一月ほどたって、けっこう私たちは上手くやっていた。

 シードにしても弟のような親友のような存在ができて、いつもイーグを苛めては遊んでいた。





「あれ、この箱なんだ―――って、サ、サソリ!?」

「あ、イーグ。人の箱を勝手に開けるなよ」

「ちょっ、ちょっ、シードッ! これっ、サソリがっ!?」

「俺のペットのアーちゃんだ。可愛いだろう」

「可愛くないっていうか怖い―――」


 ぷすっ。


「うわあああっ!? さ、刺されたあああっ!?」





 意外とそれは、悪くない日常。
 だけど私は知っていた。

 それは偽りの日々だということを。
 どんなに楽しかろうと、どんなに仲良くなろうと。

 私たち三人は、決して相容れることのできない存在同士。


 私は知っていた。

 シード=アルロードも気づいていたのかもしれない。

 でもイーグ=ファルコムは知らなかった。


 イーグは何も解らず、シードが気づかない振りをし続けていたから。
 この日常は続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしはなんとかしようとおもっているのです。でもわたしにはめいれいされたこといじょうのことはできません。それがわたしという、そんざいとしてはあまりにもきはくで、それでもたしかにそんざいあるものが、こうやって、こうしていろいろできることのるーるなのですから」


 なんだか聞き取りにくいわよ―――って、え?
 あれ? ここどこ?


<私が見回すと、そこはなんだか青っぽい空に、白っぽい光がぽつぽつと雲のように浮かんでいる。寒くもなくて暑くもなくて、風もないのに大気が揺れる。なにかヘンな感じ>


 ・・・って、なに!?
 なんだかワケがわかんないってばぁっ!?


「ここではひとのごかんはやくにたたないので、ひとのごかんがかんじるとしたらどうであるかを、わたしがつたえているのです」


 ごかん?
 ・・・ああ、語感か。


<私が頷くと、私の目の前にいる―――いつのまにかいた、透明色の小さな少女が困ったように、ふるふると否定する。否定しているようだ>


「ちがうんです。みたりきいたりかんじたりすることです」


 ハイハイ五感ね。ちょっとボケただけよ。
 それで? 私はいったいどうなってるわけ?


<私はもう一度、周囲をめぐらせて見た。青っぽくて白っぽいぽつぽつが、絵の具でぐちゃぐちゃに混ぜた見たいになって流れていく―――その中で、一際白く輝くぽつぽつに気づいた>


「それがあなたがいままでみていたものです。わたしがたいせつにたいせつにほかんしているきおくというきろくなのです」


 ンなことはどーでもいいのっ!
 それよりも、私は、ミステリア=ウォーフマンは、いったいどうなってるのよ!?


「あなたのこころと、わたしがあなたがどうかしているのです。いっしょなのです。あなたがでいりぐちをもっていてくれたから、こうしてつながることができました」


 はあ?


「わたしはつたえることがむずかしいのです。わたしがあることじたいがむずかしいので、わたしがあるとつたえることはさらにむずかしいのです。わたしはないけれどあるそんざいで、あってもないそんざいですから。ほんらいならばなくてもながれるのに、いしとしてのほうこうせいをもってしまったのがわたしなのです」


 っがー! ぜんっぜんワケわかんねーわよそれぇっ!
 いい加減にしないと怒るわよっ。


「おこってください。あなたはおこることもかなしむこともなくして、わらうこともよろこぶこともやめてしまったのですから」


<透明色の少女は、なんだか懇願しているようにも見えた>


 懇願されよーが、ナニいってるか意味不明じゃどうしようもナイでしょうがぁっ!
 クレイスやシードの馬鹿だってもう少しマシなこと言うわよ!

 ・・・あれ?
 今なんか、私、ヘンなこと口走ったような?


「あなたはあなたといっしょなのです。だから、あなたはあなたで、あなたもあなたなのです。だから、どうか、おねがいっ!」


 だからシルファ! もうちょっと解り易いように言ってってば!
 あ・・・あれ? シルファって―――あなたのこと?


<私が訪ねると、少女は嬉しそうにコクンと頷いた>


 ちょ・・・っと、待ってよ。
 なんで私があんたの名前なんか知ってるわけ?
 あれ。なにか、ヘンだ。私? 私って―――・・・


「あなたは、わたしがもとめているあなたです」


 私はミステリア=ウォーフマンよ!
 他の誰でもないわっ!


「ちがいます。いまのあなたはあなたであるとどうじにあなたであるのです。だから、あなたじしんをとりもどしてください。あなたをおもいだしてください」


 なに・・・なんなの!?
 きもちわるい・・・・しこうが、ぐらぐらゆれる・・・?


<私は額を抑えようとして―――額という概念は存在しない>


 なに・・・よっ!?
 なんなのよっ!? やめなさい! 私はっ!

 やだ・・・これやだぁ!?
 じぶんが、わからなくなっていく!?


<私という私が希薄になっていく。私という私が希薄になっていく。私という概念が消えていく。私という概念が消えていく>


 なに・・・冗談じゃないわっ!
 私は消えないっ! 私の名前はミスト―――


<ミストという概念は存在しない>


 はうぅっ・・・
 じゃあ・・・じゃあ、わたしはいったいだれ?
 ここで、こうして、ここにいるわたしはだれなの?


「おもいだして。おもいだして・・・あなたをおもいだして」


 わたしの、なまえは、


<ここは記憶が浮かぶ蒼い黄昏>
<故にここに在る者は記憶にあるもの>
<記憶の中にミステリア=ウォーフマンという概念は存在しない>


 きおくに、ある、なまえ。


<私はぼうっとその場に佇んだ。私は私を求めている>


 ・・・きおく。


<先刻に見た記憶を思い出す。そこには誰がいたか>


 ふ―――


「あとすこしであなたはあなたにもどれます。おねがいします。おもいだしてください」


<記憶の中にある名前が私という存在>
 ちがう、とわたしはおもった。


<記憶の中にある概念が私という概念>
 ちがう、とわたしはおもった。


<フロア=ラインフィーという名前が私>
 その名前は知っている。けれども。


 シード=アルロードという名前も知っている。
<その名前は私じゃない>


 イーグ=ファルコムという名前が在る。
<けれど、私はその名前を知っていない>


 シード=ラインフィーという彼を知っている!
<シード=ラインフィーという概念は存在しない>


 それでも私は彼を知っているっ!
 私は知っているのよ!


<その概念は―――>


 うるさいわ! 黙りなさいっ!


<私は叫び少女を見た/叫ぶという概念は存在しない>


 ふっ・・・・・・ふっ・・・・ふっ・・・・・


<それでも私はさらに叫び、怒鳴る/その概念は存在しない>


 ・・・ふッ―――ふざけるんじゃないわよっ!


「え―――?」


 私は私ッ!
 ミステリア=ウォーフマン。それ以外の何者でもありえないわっ!


<私は目の前の少女を睨み付ける>
<少女は怯えたように私を見た>
<私は口元に笑みを浮かべる>
<少女は困惑したように私を見た>
<私は息を吐く。強く強く強く。息を吐く>
<息という概念はここには存在しない故にそれは意味がない>
<それでも私は吐息を繰り返す>
<白い息が吐き出され、私は鼓動を落ち着けた>
<鼓動という概念は存在しない!>
<それでも私の鼓動は収まり、気は静まった>
<少女は驚いたように目を見開いて、私を見つめた>


 ―――少女は驚いたように目を見開いて、私を見つめた。
 私は自分の“瞳”を開いて、彼女を見返す。


<瞳という概念は存在しない>


 無視。

 透明色の少女は、泣き出しそうな顔で、大きく口を開けて叫ぶ。
 叫ぶ。
 すでに“叫ぶ”という概念は存在するから。

「おかしいです。ここではにんげんのかんかくはいみをなさないはずなのに。にんげんのこころというかんじょうしかそんざいできないはずなのに。おもいというがいねんしかありえないはずなのに」

「思いと言う概念があるなら、私が“在る”と思えば“在る”のよ」

「わかんないですわかんないです! あなたはいったいだれなんですか? どうしてあなたになってくれないんですか!? もとにもどってくれないとわたしはこまってしまうんです!」


 叫びながら。
 泣きながら。
 泣き叫びながら、透明色の少女―――シルファは私に向かって突進してきた。


「おっと」


 私は彼女の小さい体を受け止めて、あたりを見回す。

 成る程、確かにぼやけた空みたいに青っぽい空間に、所々に白っぽいぽつぽつ―――なにやらシルファが言うには“記憶”らしいが。

 一応、彼女の情景描写は正直だったわけだ。


「だめなんですだめなんです! せっかく、でいりぐちがあってなかにはいれたのに! もとにもどってくれなければこまるんです!」


 私の胸の中で、シルファが泣き叫んでいる。
 あー、やれやれ。そう言われてもなぁ・・・


「あのね・・・シルファ」

「どうしてあなたはきえてくれないんですか!? どうしてあなたはなくならないんですか!? わたしはいっしょうけんめいあなたをあなたにしようとおもったのに!」


 涙に濡れた顔で、私を見上げてくる。
 ちなみにこの涙、というのは私が持ち込んだ概念で、私の中から“悲しいときに流すものだ”と知ったのだろう。

 ここは現実の常識のある世界ではなくて。
 楽しい、とか悲しい―――とか、そんな感情・・・心だけがある世界。

 私の心の中の世界って言うのかな。一番近いのは夢の世界かもしれない。

 ただ、自分の記憶の全てのモノがありうる夢とは違って、“思う”ということしかありえない、なんともシンプルな世界。

 本当に何もない世界だから、普段、自分の体の感覚―――寒いとか暑いとかお腹減ったなー、とかで心の在り方を決めている私たち人間がここにくると、何がなんだかわかんなくなって、どうしていいかわからなくなって、確かだったはずの私自身がなんともあやふやとなってしまう。

 それがさっきの私状態。
 ああ、まったく。人間ってのは身体と心が離れちゃいけないモノみたいだ。
 そうしないと、なにがなんだかイミフメーゼッタイゼツメーだ。

 夢がいい例。
 身体は動かないのに、意識だけが見ているものだから、なんとも荒唐無稽な物語を、自分自身かどうかも怪しい自分が主人公となって駆け回る。

 私の胸の中で―――もちろん、“私の身体”という概念もまた、私が生み出したものだ―――泣く少女は、そんなあやふやな世界に連れ込んで、私を別の誰かにしようとしていたらしい。

 ったく、夢を見て、目が覚めたら別の誰かでした〜・・・なんて、ゾッとしない話よね。


「おねがいします! あなたをすててください、わすれてください! そうすればあなたがかえってくるから、またわらってくれるから―――」

「シルファ、あなたが言っている“あなた”というのはフロア=ラインフィーって人のコトなのね?」


 私の言葉にハッ、となってシルフィは私を見て・・・頷く。
 そんな彼女を眺めながら、私はフロア=ラインフィーという少女のことを思い返していた。

 今さっき見た彼女ではなく、現実にキンクフォートで見た彼女。

 虚ろに夜の闇に浮かんでいた彼女。


 それはまるで、彼女は心のない人形のようで。


 思い浮かべながら。
 涙を瞳に浮かべたまま、不安そうに私を見上げてくる彼女に、私は尋ねる。


「ならシルファ、あなたが知ることを私に教えなさい」

「え・・・?」

「そうして、あなたがやりたいことを私に教えなさい―――話によっては手を貸して上げてもいいわ」


 シード君―――私が知っている、シード=ラインフィーの大切な人に関わっていることなら、力になってあげたいと思う。
 それで、幾らかでもシード君の苦しみが和らぐのなら。


「しーど=らいんふぃー」


 突然シルファが、私が心に浮かべていた名前を言葉に出す。
 戸惑う私に、彼女は小さく微笑んだ。


「そのなまえが、あなたというがいねんをつなぎとめたそんざい」

「・・・いや、えーと」


 なんとゆーか、そう言われると恥ずかしいモノがあるんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死にたくない、と彼は言った。
 殺したくない、と彼は言った。

 そう聞いたとき、反吐が出るような思いで「それは、キミが優しいからだよ」と彼を慰めた。





 殺してやるさ、と彼は笑った。
 死んでもいい、と彼は笑った。

 そう聞いたとき、吐き気を感じながら「それは、とても苦しいことだよ」と彼を嗜めた。






 殺してほしい、と私は思った。
 死にたくない、と私は思った。

 そう思っているから、彼は私を殺さない。





 ああ、なんて。

 なんて馬鹿みたいな話だろう―――・・・

 


INDEX

NEXT STORY