パニック!

シード編・第二章
「ミステリア=ウォーフマン」


C【魔皇蠢動】


 

「ふ…いつ来ても、せまっくるしい家だな」
「じゃ、帰れよ」

偉そうに部屋の中を見回すクレイスに、俺は半眼で冷たく言った。
…とりあえず、飯を食い。情報交換をした。…まぁ情報交換といってもただ単に『リセス姫はいなかった』という言葉を交わしただけだが。
漁業組合の事は伏せておいた。何故かというと、面倒くさいからである。

…あぁそうそう、クレイスたちがいた理由だが、ただ単に探索中にテレスたちが遭遇しただけらしい。それで、手分けした結果、中央区だけでなく、北区まで探索を終えたという(もっとも、宿や泊まれそうな所を捜しただけらしいが)。

と、いうわけで、あしたは西区にいってみる事になったところで、解散となり、トレンとカリストは家に帰り、クレイスが『帰るのが面倒だ』と駄々をこね、『お兄さんが泊まるなら』とテレスがもうしわけなさそうに続き、『ならあたしもいい?』とレナが続いて、『これで宿代浮くなぁ』と、やたら嬉しそうにセイが勝手についてきた。
よっぽど、「宿代請求してやろうか」と言い出しそうになったが、何処はそれ。一晩だけだし、俺もけちではないし、なによりも俺は居候なのだ。

「安心しろ、シード。俺様は心が世界よりも広い」
「あーはいはい」
「ム、なんだその言い方は。せっかくこの俺様が泊まってやると言っているのに」
「誰が泊まってくれと頼んだよ」
「尊大すぎて頼めないだろうから俺様自らが泊まってやると言っているのだ」
「こ、こいつは…」
「じゃ、あたしとテレスとルナはあたしの部屋ね。じゃ、お休み」

テキパキとミストが言うと、早々に部屋に引っ込んでしまった。

「なら俺様は一人部屋だな。というわけでお前等はそこら辺の床に寝ろ」
「『寝ろ』って、お前は何様だ? クレイス」
「俺様」
「ほほう、面白いな面白い冗談だ」
「はっは、別に冗談で言ったわけではないぞ」
「ならここでお前の存在を消してやる」
「あ、あ、人殺しは死刑なんだぞ。極刑だぞ。死ぬんだぞ」
「……」

一転してだだっこになるクレイスに俺はため息をついた。

「……おい、セイ。お前も…」

なにか言ってやれ。といおうとと思ったら、

「あれ? いない…」

思わずきょろきょろと首を巡らせて探す…が、いない。

「トイレだろ」

クレイスがそうつぶやいた瞬間、

「キャーッ」
「痴漢っ!」
「でてけっ!」

三人娘の悲鳴が聞こえ、ミスト部屋からセイが転がり出てきた。

「いてて…なにも殴るこたぁないだろに…」
「おまえは…」
「とりあえず死刑だな」

冷淡な声に振り向くと、クレイスが包丁を片手に握り締めていた。

「お、おい、クレイス?」

目を見る。

「……」

正気じゃない。

「今だ俺様ですら見た事のない、ミストの―――」
「はいぃぃ?」

俺は思わず聞き返した。と、我に返ったように、クレイスは口をつぐむ。

「とにかく死刑だ!」
「あ、あのなぁ…」

セイが頭をさすりながら立ち上がる。

「キレかけてるとこ悪いけど、俺にゃぁ人の裸を鑑賞する趣味はねえの」

言いながら、一枚の紙を俺達に見せた。

「それは?」
「脅迫状だ。セイルーンへのな。ルナが持ち出してたらしい」
「へえ、ところでなんでルナがこれを持っている事を知ってたんだ?」

俺が聞くと、セイは肩をすくめて。

「別に。ただ、なんか手がかりを持ってないかと思っただけさ」
「手がかりねぇ…」
「ああ。…なんかやな予感がするんだよ」
「いつから?」
「漁業組合に襲われてから」
「はぁ? まさかなにか関わりがあると思ってるんじゃないだろうな?」

あきれて俺が聞き返すと、セイは手を振って、

「まさか。ただ、あーいう意味のないトラブルが起きたときってなんか起きるんだよなー俺の人生経験からして」
「お前何歳だ?」

クレイスが尋ねると、セイはにやりと笑って答えた。

「十三」
「…立派な人生経験だな」
「そんな事よりも、その脅迫状なんかが手がかりになるのか?」
「んー…筆跡ぐらいは分かるかな…ぐらいの気持ちだったんだけど…」

セイは顔をひきつらせてため息をついた。

「ビンゴ当たりだ、まったく俺の予感ってのは当たらなくていい時も当たるからなぁ…」
「なんだ? なにがわかったんだ?」

セイは無言で俺のほうに脅迫状をなげてよこした。
クレイスと一緒に覗き込んでみる。

「これは…」
「まさか…」

俺とクレイスは息を呑んだ。

「…へえ、わかったか」

感心したようなセイの声に俺は重々しく肯いた。

「とんでもなく汚い字だな」
「だあ」

セイは仰向けに後ろに倒れる。
あきれたようにクレイスが鼻で笑い、

「馬鹿かお前は?」

…どうしてだろうか? こいつに馬鹿にされると他の誰に見下されるよりも悔しい。

「ぐええ、ぐる、じぃ…」

はっ、
ふと気がつくと俺はクレイスの首を絞めていた。

「ぎざま…ぼ、ぼうりょぐしかふるえんのかあ…」
「うるさい! ならお前はなんかわかったのか!」

俺が悔し紛れに言うと、クレイスは大きく肯いた。

「当然だ、貴様のような愚民とは違うのだからな」

…こいつ、あのエイクとか言う奴の影響を受けてるな…

「ほう…なら聞いてやろうじゃないか」
「注目すべき点は、脅迫状の文章でも筆跡でもない。紙だ」
「紙?」

俺は、脅迫状をまじまじと見た。普通の紙に見える…いや、なんか少し…重いか?

「この紙の原料は地上の物ではない。名前は忘れたが、魔界のある植物だ」
「魔界の植物…?」

俺がつぶやくと、セイがにやりと肯いた。

「そ。この紙は地上の物ではなく、魔界の…魔族がよく使う紙だ。当然、普通ならば地上に在るはずのない物だ」

どうでもいいけど、何でこいつらこんな事知ってるんだ? 普通知らないぞ。

「魔族のねえ…と、待てよ! という事は!」

まさか、魔族が関わってるって言うのか?

「ぴんぽーん、多分お前が今思った通りの事さ。はっきりいってやば過ぎる」
「魔人クラスならお爺さまでも何とか倒せると思うが…魔王クラスとなると四聖剣の勇者でも連れて来ないと…」

深刻そうにクレイスが言うのを見て、俺は思い出した。

「そういやお前って、ルーンクレスト院長の孫だったっけ?」
「…なにを今更」
「だからか、魔界の植物云々の事を知ってたのは…」
「はっはっはそのとおり!」
「…でもなんでお前が気づいて、テレスや院長が気づかないんだ?」

セイの疑問に俺は思い当たる事が在った。

「…ただ単に見てないだけじゃないか? ルナの話じゃ、脅迫状が来た時セイルーン王はすぐに捨てたっていってたから」
「ルナはそれを拾って、手がかりとして持ってたわけか…」
「しかし魔族かぁ…なんかぴんと来ないよな」

俺は『魔族』という単語を頭に浮かばせながらつぶやいた。

「あん?」
「だってそーだろ。俺、見た事すらないぞ」
「はっはっは、所詮は庶民というところか!」
「…じゃあ、お前は見た事あるのか?」
「ない」
「……」
「とうぜんセイ! 貴様もないだろう?」
「ふ…」

セイはにやりと笑うと、俺達を見た。

「甘いな!」
「な、なにぃ」
「まさか!?」

なにが甘いのかようわからんが、とりあえず俺達は驚いた。

「おまえ、見た事あるのか?」

俺がおそるおそる尋ねると、セイはにやりと笑って、

「ある」
「どこで」
「ふ、実はな」

セイは人差し指を立てた。

「俺の姉ちゃんの知り合いに…」
「そればっかかあっ!」
「っるさぁいっ!」

俺が思わず大声で突っ込むと、ミストの部屋から苦情が来た。
ばんっ、と乱暴にドアが開かれて、ミストが顔を出す。

「人が疲れて寝てるっていうのに、うるさいわよ、シード君!」

俺はその気迫に気おされる様にして身をひいた。

…お前の声のほうが数倍うるさいぞ。

と思ったが、もちろん言わなかった。

「え、いあやでもあよの…セイがあの、えと…」

何とかセイに責任転嫁しようと口を開いたが、うまく口が回らない。

「セイ? セイならもう寝てるじゃない」
「え?」

ミストの視線の先を見ると、確かにセイが寝ている。出した記憶もないのに、毛布にくるまってだ。
ついでにクレイスの姿も探すが、何処にも見当たらない。いつのまにか俺とおっさんの部屋の戸が半開きになっているところを見ると、いつのまにか避難したらしい。

くそ、こいつら…

「ったく、奇声を発するのは勝手だけど、あたしたちの迷惑にならないところでやってよね! おやすみ!」
「あ、お…」

返事する間も与えてくれずに、ミストはさっさと部屋に引っ込んだ。

「……」
「ふぅ、災難だったな」
「…おまえは」

怒りを押し殺して俺は唸った。

「まぁまぁ、怒るなよ」
「…まあいい。ところで本当なのか? お前の姉が魔族と知り合いって」
「ああ。姉ちゃんがどういう経緯で知り合ったかはしらねーが、なんか友達らしい」
「へぇ…」

あきれながらも、今更ながらに俺はこいつに不気味な物を感じていた。
…一体、こいつは何者だ?
そう言えば、汚れた血とか弟がどうのこうのいってたような…

「なあセイ。さっきの事だけど…」
「あん?」

なんか聞きにくいな。

「あのな…あー…さっきあの王子様が言ってた、『汚れた血』ってどういう事だ?」

思いきって聞くと、セイの顔が真剣になり、ふーっと息を吐き出す。

「そのことか…別にたいしたことじゃないさ。俺の祖先がな、この星の人間じゃなかったんだと」
「はい?」

俺は戸惑った
この星の人間じゃない? なにってるんだこいつは…
そんな俺の様子を見て、セイは苦笑しながら

「あ、信じてねーだろ。まあ俺も信じられないけど。…でもな、本当らしい」
「『らしい』ってなぁ…」
「証人もいるんだぜ。ファレイス大陸最強最古の種族の竜人がいってるんだ」
「ああそう」

なんだかもう俺はよくわかんなくなって、虚ろに返事を返した。

「つまりお前は…」

頭の中で適切な単語を思い浮かべ、言葉に出した。

「宇宙人だったってわけだな」
「んなみもふたもない言い方…」
「じゃあどう言えばいいんだ?」

俺が聞くと、セイはふんぞり返ってポーズを決めた。

「まぁ、『星の王子様』かな」
「言ってろよ」

俺はため息をつくと、立ち上がりクレイスが寝ている部屋に入り、毛布をいちまい引っ張ってくる。もちろん、クレイスの頭を殴る事も忘れない。

「さてと、寝るか…ところでセイ」

毛布にくるまりながら俺は最後の疑問を尋ねた。

「弟って…」

言いかけた瞬間、すさまじい殺気をセイのほうから感じた。が、すぐに消える。

「……」
「あ、いや、言いたくないんだったら言わなくてもいいぞ。誰にだって嫌な思い出はある」

おまえも、俺もな。
しばらく張り詰めたような沈黙があって、やがてセイがぼつりといった。

「……別に」
「へ?」
「べつに隠すほどの事じゃない」

静かに言って、セイは話し始めた。

「さっき言った通り、俺の血って言うのは特殊なんだ。そのせいか、生まれてくる者は強い特殊な力を持っているんだ」
「強い特殊な力? 瞬間移動みたいな?」

俺がふと思い出して尋ねると、セイは苦々しく笑い、

「あれは…その…不幸な過去って奴さ…」
「ほう」

その過去とやらを聞いてみたいような気がしないでもなかったが、さっきいった手前、とりあえず黙っていた。

「で、俺の弟…シオンって名前だったんだけど、とんでもなく強い魔力を持って生まれたんだ」

何で過去形なんだ? まさか…
俺の心を読んだかのごとく、セイは答えた。

「死んだんだ。五年前…五才の時に。いや、正確には殺されたって言うべきだな」
「殺された? 誰に」

暗殺者だったら、俺の知ってる奴かもしれない。
だが、セイは悲しく苦笑して、

「俺さ」
「え…?」

俺は言葉に詰まった。
いつものセイの調子だったら、冗談だと言い捨てるところだ。
だが、今のセイは冗談をいうような雰囲気じゃない。

「…冗談だろ?」

ポツリと一応聞く。
セイの答は簡潔な物だった。

「ああ」

一言。

「…」
「…」
「お前はーっ!」

思わず叫んでから口を押さえる。
だが、すでに寝てしまったのか、苦情は来なかった。

「冗談言っていい時と悪い時が…」
「俺が殺したんじゃない、俺の『力』が殺したんだ」

あくまでも静かなセイの声に、俺は今度こそわけが分からなくなった。

「どういうことだよ」
「さっきいったろ、特殊な強い力を持って生まれるって。俺もシオンももちろん例外じゃなかった」

そこでセイはにやりと笑い、

「シオンの魔力がどれくらいすごいかというとだな。俺のスターガーディアン…ほら、フェニックスやらドラゴンの事だが…それを創ったのがシオンだぜ」
「ほうほう…ってぇっ!?」

まてよ…五才の時に死んだって言うなら、シオンって奴は―――

「とんでもなく幼いころにドラゴンとか創ったっていうのかよ?」
「そーだよ」
「って、いくらなんでもすごすぎるぞ、それ」

魔法に疎い俺でも、魔獣を『創る』事が初級魔導師がろうそくほどの火を生み出すのとは天と地ほどの差があるのはわかる。

「そうだよ。すごすぎたんだ、あいつは」

噛み締めるように俺の言葉を繰り返すセイを見て、俺は何も言えなくなった。
そんな俺を見てセイは苦笑。

「…やれやれ、湿っぽくなっちまったねえ。寝ようぜ」

 

 

 

 

 

「―――! フロアを、たのむ…!」

後ろから聞こえるシードの声を振り切る様にして俺はフロアの手をひき、走る。

「シード!」

フロアの声に、戻されるような気がして俺は感情を消した…

「くっ!?」

フロアの苦悶の声。
振り返ると、フロアは足を斬られ、場にうずくまっている。

「ごめん…あたしはここまでみたい。あなただけでも先に行って…」

抗議するよりもはやく、風が俺を取り巻き、フロアと俺を引き離そうとする―――
ごん。
いきなり顔面に痛打をくらい、俺は跳ね起きた―――

 

 

 

 

 

「いって…」

鼻の頭をさすりさすり、俺は隣を見た。
セイが安らかに眠っている。
セイの片方の手は毛布の中に、もう片方の手は俺が飛び起きた時の反動で、俺の顔の上から落ちて今俺の足の上にある。

…こいつか、こいつが俺を起こしたのか。

蹴り起こそう思ったが、止めておいてやった。見てた夢があまり思い出したくなかった過去の夢だったからだ。

「…今回だけは許しておいてやる」

つぶやき立ち上がる。
窓の外を見る。真っ暗。
夢の事を思い出してため息をつく。

…シード…フロア…

どうやら今夜はもう眠れそうにないな。夜風にでもあたって―――あれ?

外に出ようとして俺は気づいた。
ミストの靴がない。
俺はしばし考えた後、靴を履いて外に出た。

 

 

 

 

 

外はまだ真っ暗で、日の光もまだ出ていない。月の光がただ一つの光源だった。
もう寒くはない。アバリチアは温暖だからだ。
ミストの姿はあたりにはない。

「…べつに、ミストの姿を探す必要はないんだよな、うん」

自分で肯きながら通りに出る。

「いないな…」

って、なに探してるんだ俺は。

「なにやってんの?」
「おぉうわぁっ!」

いきなり後ろから声を掛けられ、俺は体をひねらせながら飛び、間合いを取る。

「…近所迷惑よ」
「なんだミストか」

まったく、驚かせないでほしいもんだ。
…しかしミストの接近に気づかないとは…不覚。

「ねぇ、こんなところでなにしてるの?」
「なにって…セイに起こされて、外に出ただけだが」
「? よくわかんないわね」
「俺の事なんかどうでもいいだろ。お前こそなにやってるんだ?」

まさか、俺を脅かすために隠れてたわけじゃあるまい。

「あたし? あたしは井戸で顔を洗ってただけだけど」
「あぁ…なるほど」

答えられて俺は気が抜けた。
ちなみに井戸はアパートの裏手にある。
俺の様子に、ミストは猫がおもちゃを与えられたような顔をした。

「なに? シード君はどう思ったわけ?」
「え? いや、べつに…」
「もしかして…」

不意に、空が曇り、月が隠れてあたりが完全な闇になる。

「―――もしかして、どっかで死んじゃうかと思った?」
「な…!」

こいつ、まだ…
俺はこめかみを押え、空を見上げた。空を覆う暗雲は俺の心かミストの心か…
どう答えていいかわからずに、俺は―――
やおら、月が顔を出した。
とりあえず何か答えようと俺はミストを見た。

「あれ?」

目の前にいたはずのミストがいない。

「どうしたの、早く来なさいよ」
「はい?」

いつのまにかミストはアパートの脇に移動していた。
手招きしているので、とりあえず俺は行ってみる。

「どこへ行くんだ?」
「別に―――来たくなければ来なくてもいいよ」

言いながらミストは裏木戸を開けて裏路地に出る。

「我が侭な奴だな」
俺はため息をつくと、ミストの後を追った。

 

 

 

 

 

「ここは…」

連れて来られたところは教会だった。
結構大きな教会で、定時になると鳴り出す、<時の鐘>もある。
どうも教会は苦手だ。
職業上、ここに人間を送り込むのが俺の仕事だったから。
…まさかこいつ、俺にここで懺悔しろとかいうんじゃないだろうな。

「こっち」

ミストが指し示したところは、教会の入り口ではなく、教会の脇の、時の鐘に登るための螺旋階段だった。もっとも、子供がいたずらしない様に鉄製の扉があって、かぎが掛けられているが。

「登るのか? 鍵がかかってるぞ」

だがミストは俺の疑問などお構いなしに、ふところをごそごそとやると何かを取り出した。くらいせいで何かはわからないが。
かちゃり
すぐに鍵が開いた。どうやらさっきのはここの鍵だったらしい。

「…って、どうしてお前が持ってるんだよ?」
「ひ・み・つ」

何が秘密だか…
でもま、大丈夫そうだな。さっきのミストの言葉からして、もしかしたら上に登って飛び降りるつもりかとも思ったが、俺を連れてきたならそれはないだろう。まさか、自殺する所を見届けてくれというわけでもあるまい。

「なにぼっとしてるの? いくよ」

不機嫌そうにミストは言い捨てると同時に鉄の階段を駆け登って行った。カンカンカンとリズム良く音が響く。

「おい、そんなに早く駆け上ったらつまずくぞ」

俺もぐるぐる螺旋階段を駆け上りながら注意した。階段は黒い鉄で、夜目が利く俺でさえ見えにくいのだ。

「大丈夫だいじょ…あっ!」

ミストの悲鳴が聞こえ、上から激突音が聞こえた。

「だから言ったろが、大丈夫か?」
「痛いぃ…」
「当たり前だ馬鹿」

見たところ、膝を擦り剥いただけのようだ。膝を抱えてうずくまっている。

「立てるか? ほら」

手を貸してやる。が、ミストはそれを無視して、側の手すりにつかまり、立ち上がった。

「痛ぁ」
「おぶってってやろうか?」
「…いい」

やれやれ…
俺はしばらくよろよろと登っていくミストを眺めた。

「本当に大丈夫か?」
「大丈夫」
「……」

ったく、仕方ないな。
俺はミストを強引に抱き上げると、駆け足で階段を上った。

「ちょ、ちょっと!?」
「怪我人は静かにしてろ」
「大丈夫だってば」
「大丈夫であろうとなかろうと、あのペースで行ったら、登り切る頃には日も登ってるぞ」
「でも…」

ミストはなにか言いかけて口をつぐんだ。なぜなら、頂上に着いたからだ。
そこは、四本の柱で支えられている部屋だった。
いや、部屋とは少し違うかもしれない。なにせ四本の柱だけで壁がないからだ。
ちょっとした広場ぐらいの大きさだが、その真ん中に巨大な鐘があるせいで狭く感じる。

「へえ…」

俺はミストを降ろして、感嘆のため息をついた。

「やっぱり近くで見ると大きいな」

『時の鐘』の大きさは、俺の背丈とは比べ物にならないくらい大きかった。
下手すれば、アパートの個室よりも大きいかもしれないな。
これがゼンマイ仕掛けで動くのか…
理論は教えられて知ってるが、実物を初めて見たせいか、ちょっと信じられない。

「で、ミスト。お前こんなところに俺を連れてきて…」

いない。

周りを見回すがいない。というよりも、それほど広くはない。
隠れたのかともおもったが、隠れる場所といえば、鐘の中か陰だけだ。
そして、今まで俺は鐘を見ていた。わからないはずがない。
天空八命星を使えば可能だが、ミストが使えるわけがない。
階段を降りたかもしれないが、それにしては階段から音が聞こえなかった。
と、いうことは。

「!」

一つの結論に辿り着き、俺は部屋の縁に駆け寄って下を見る。
さすがに防護用の柵があるが、簡単に越えれる高さだ。

「……いない」

俺は安堵のため息をつき、柵にもたれかかった。

「なにしてんの?」

声は上から降ってきた。

「お前こそ」

俺は落ちていきそうなほど脱力した身体を何とか上に向かせてきいた。

「あたしは。この場所が好きだからここにきただけだよ」
「ああそうかい」

俺は虚ろに答えると、左右の柱を見た。右側の柱に梯子が埋め込んである。どうやらこれであそこまで登ったようだ。

「それでシード君は何してるの?」

俺はため息をつくと、下を見下ろして言った。

「人生について考えていたのさ」

 

 

 

 

 

梯子を登ると、そこはこのアバリチア北区で最も高い場所―――大教会の屋根の上だった。

「気持ちいーねぇ」

夜風を顔に受けながら伸びをする。
俺はその隣でため息をついた。

「そうかぁ? ちょっと寒いぞ」

さっきも言ったように、ここは温暖ではあるが、さすがにここまでくると肌寒く感じる。

「…少しくらい寒いほうが、涼しいってもんでしょ」

頬を膨らませてミストが不機嫌そうに言う。
俺はミストから視線を外し、

「俺は寒いのは苦手なんだ」
「あらそう、悪かったわね、寒いところに連れてきて」
「まったくだ」
「…なによ」
「なんだよ」

俺は明後日の方向を向きながら、密かに心の中で動揺していた。
何故か知らないが、こいつのことになると心が騒ぐ。
こいつに命を助けられて、恩を感じてるからか?
だけど、助けられたからといって、昔の俺なら…
って、こういってる時点で俺が変わったことを認めてるようなもんだな…

「おかしいよな、やっぱり…」
「なにが?」
「…べつに」
「そう」

会話が途切れ、俺はなんとなくミストの横顔を眺めた。さっきとはうってかわって、感情が消えたかのように無表情で闇に染まっている町を見下ろしている。
…こいつもこいつでおかしな奴だよな。血まみれで瀕死の俺を助けたり、暗殺者だと知っても怖がらなかったり…死んでもいいとかいったり、笑ったり、怒ったり…泣いたり―――って、俺はなに考えてるんだ? 思考が混乱してる。…やっぱりおかしいな、俺。

「ここね」

不意にミストの口が開いた。

「ここ…父さんと母さんがよくあってた場所なの」
「…へえ、マスターと奥さんの思い出の―――」

言いかけて俺はつぐんだ。しまった。『奥さんの』とか『おもいで』とかってこういう場合禁句だよな。

「そうよ」

だが、ミストはさらりと受け流した。思わず心の中で安堵する。
って、何で俺が気を遣わなくちゃなんないんだ。

「…父さんは、昔傭兵だったの」
「ああ知ってる。結構強い傭兵だったらしいな」
「そう。『ブラスター』と言えば、大陸では知らない者はないってくらい―――って、どうしたの? 自殺でもしたいの?
「聞いてないぞ! そんな事!」

俺は驚きの余り屋根から落ち掛けた所を必死でふんばった。

「傭兵で『ブラスター』って言えば、万人殺しだろ!? 嘘かほんとか知らないが、一万の軍勢を一人で全滅させたって言う」
「よく知ってるわねー。もっとも、一万人って言うのは単なる噂だけど」
「なんだそうなのか?」
「本当は五千人だって」
「十分すごいわっ!」

こ、こわすぎる。俺はそんな人間の下で働いてるのか? いや、それよりも…
ふと、初めてアバリチアにきた夜の事を思い出す。
…斬りかかられて、良く死ななかったな、俺。

「それで、母さんはここの教会の前に捨てられてたんだって」
「は? そーなのか?」

それは初耳だな。

「うん。それで、母さんの父さん…おじいちゃんが、拾って育ててたの。そしてある時、父さんとであって…おじいちゃんはものすごく反対したらしいの、卑しくも聖職者の娘が血なまぐさい傭兵と一緒にさせられるかっ! ってね」
「ほお、で、どうなったんだ」
「結局、母さんに押し切られてしぶしぶ認めたんだって」

なんとなく…想像できる。

「でも、それから大変だったらしいよ。母さんの弟…覚えてるでしょ?」
「ああ、あのスレイって奴か」

ふと、少し昔の事を思い出す。奴が再び復讐にくる時はあるのだろうか?

「もっとも、義理の兄弟だったらしいけどね。母さんとは別におじいちゃんに拾われたって母さんは言ってた」
「はぁ…義弟だったのか。どうりで…」

いやにミストの母親の事を想ってたと思ったら、ただのシスコンじゃなかったわけか。

「で、母さんが結婚して、スレイさんが家出しちゃったんだって。それから、おじいちゃんもあたしが三才の頃に亡くなって…」
「…」
「それでね、母さんと父さんはね。おじいちゃんに反対されてた時、ここで、こっそり会ってたんだって」
「秘密の逢い引きの場所ってわけか」
「そうよ。…この鍵…母さんの形見の一つなんだ」

ミストの横顔が、ふとかなしげに、寂しげに見えた。

「え、ええと、あーあー…そういえば、マスターと奥さんってどうやって出会ったんだ?」
教会の娘と傭兵って…前々接点ない様な気がするし」

大嘘である。
傭兵だって信仰する神はあるだろうし、特に困難な仕事の前にはお祈りに来たりもするだろう。たとえ神を信じない無信心者であっても、冒険者まがいのことをやっていれば対アンデット用の護符や聖水を買ったり、深く傷ついた時には、教会と言うところは有料で癒しの術をかけてくれたりもするのだ。
と、まあ、知ってはいたが、とにかくミストの思考をそらさなければと思い…って、だからなんで俺が気を遣わなきゃいけないんだ?

「たしか…父さんが大怪我をした時に、母さんが助けたって」
「なんだ、やっぱり」
「やっぱり?」
「あ、いや。…で、どうしてマスターは大怪我したんだ?」

俺が聞くと、ミストは首を横に振った。

「知らない。でも、すごかったらしいよ。なんか右腕なんかもがれてて全身骨折で出血多量…生きてるのが不思議だったほどだって」

まあ、あの『ブラスト』なら…って、右腕がもがれてた?
マスターの右腕をおもい起こしてみる。
別に義手でも、ぎこちない動きでもなかったような気がするが…
その事を俺が指摘すると、ミストは軽く肯いて、

「うん、全部母さんが治したって聞いたけど…」
「…まさかお前の母親って、高位の術が使えたのか?」

『蘇生』の術は最高位の術法である。噂では、一度死んだ者すら生き返らせる事かできると言う…

「うん…母さんはすごい腕のいい法術使いだったんだ」
「もしかして、お前も術が使えるとか?」

ほとんど冗談で言った俺の言葉に、ミストはぴくっと反応して、かなしげに笑う。

「あたしは…だめだよ…父さんの血を濃く継いだらしくて…でも、もしあたしが術を使えたら…」

不意に、ミストの声がくぐもった。

「ミスト?」
「あ、あたし…あたしが…あたしが術を使えたら、母さんだって死ななかったかもしれないのに…あたし…」

俺はミストから視線を逸らして、空を見上げた。
…何で俺の前で泣くんだよ。
ミストは泣いていた。
最初は啜り泣きだったのが、だんだんと激しい鳴咽に変わる。
俺はただひたすらにミストの背を撫でていた。

「……気は済んだか?」

やがて泣き終わる頃に俺は口を開いた。

「……うん」

小さく、言葉が返ってくる。

「…じゃ、帰ろうか。もう日が登るぞ」

東の空がうっすらと明るくなっていた。

「…うん」

そのまま無言で俺達は梯子を降りた。

「そう言えばさ…」

『時の鐘』の前にきた時、俺は前々から疑問に思ってたことを口にして見た。

「あのさ…どうして、俺をこの街に引き止めたんだ?」
「え? どういう事?」

きょとんとしたようにミストが聞き返す。

「ふつうさ、血まみれで倒れてる少年を助けて、その少年が実は暗殺者だったりしたら、普通は怖がって追い払うもんだ。 と、いうか俺ならそうする」
「それは…借金が…」

言いかけてミストは口をつぐんだ。
首を静かに横に振る。

「…そうね。もしかしたらあたしは…」

ためらうようにうつむく。そしてはずみをつけるように顔を上げた。

「あたしは、さ―――」

ミストが言いかけたところで、隣で鐘が鳴った。

がら〜ん ごろ〜ん がら〜ん ごろ〜ん

「―――! ―――――!」

やめろ! うるさいっ! と俺は叫んだ。

「――――――!」

ミストもなにか悲鳴を上げる。

「―――――!」
「――――――――!」

こ、鼓膜が破けるっ!
声が掻き消されるような大音声の中、俺達は互いに肯き会うと、耳を塞ぎながら全速力で階段を駆け降りた。

 

 

 

 

 

「うぅ〜まだ耳の奥ががんがんいってるぅ…」
「…おまえなぁ、鐘が鳴る時間知らなかったのか? いった事あるんだろ?」
「ひさしぶりだったから忘れてたのよ」
「でもなぁ…」
「なによぉ…」

などと言い合いしているうちにアパートについた。
あ、そう言えばミストの奴、あのとき結局なんて言おうとしたんだ?

「なぁミスト、お前あの時…」
「さぁて、もう一眠りしよっと、眠くてかなわないわ」

俺が言いかけると、ミストは駆け足でアパートに向かった。
…ま、いいか。

「俺も寝るかなぁ」

 

 

 

 

 

アパートの中に入り、台所までくるとセイはまだ気持ちよさそうに寝ていた。
俺も横になろうと毛布を引っ張って―――ふいにある考えに気づいた。
セイの顔を覗きこむ。
静かな寝息を立てている。
…様に思えた。

「……」

俺は無言で立ちあがると、セイの顔を踏み潰そうとした。
だんっ
俺の脚が踏み潰したのは、しかしセイの顔ではなく、床だった。
セイは寝返りをうったかのように横にかわしている。

「水でもぶっかけてやろうか?」
「ひどいなぁ…俺が何したって言うんだ?」

にやにやと―――いつもの事だが―――セイがこちらを見て言ってくる。
俺はそれを無視して毛布にくるまった。

「わざとらしいんだよ。やり返さなかっただけありがたいと思え」

 

 

 

 

 

「さて! ルーンクレスト捜索隊、出撃だな!」
「いつからそういう名前がついた?」

朝食をとった後、やけに強く宣言するクレイスに俺は半眼で言った。

「何を言うか。この俺様が参加した時から―――」
「さてと、セイいくか」
「おう」
「話を聞けぇっ!」

あーうるさい。

「あたし、西区ってあまり行った事ないんだよね」
「私は初めてです」
「冒険者の巣窟って聞いたけど…なら、お姉さまがいる可能性も大ってわけね」

女三人組の会話を聞いて俺はふと疑問に思った。

「…もしかして、お前等も来るのか?」
『当然』

いや、声をそろえて言われても…

「ちょっと待てよ。危険だぞ、危ないんだぞ」

何故かセイが必死で説得する。

「危なかろうがどうだろうがあたしたちも行くわよ。だいたい、あんたたちは良くてあたしたちはだめって理由でもある?」
「だってそりゃあ…女だし…」
「そういうのを差別って言うのよ。だいたい、あんたのほうが歳下でしょうが!」
「う…」

思わずセイが詰まる。
しかし…こいつらまで面倒見切れないぞ。
こうなったら…

「セイ」
「ああ」

俺達は互いに肯き会うと、唐突に駆け出した。

「あっ!」
「まってください」
「待ちなさいよ!」

待ってられるか!
目標は西区入り口。
西区は他の区と隔離されていて、入るところも一個所しかない。当然列車もとうってないので、そこから入るしかない。

西区にはこの街の地下に埋もれている、遺跡の入り口がたくさん口を開けていて、魔物とかがたまに遺跡から出てきて、洒落抜きで危ないところなのである。
だから、一般人は立ち入り禁止になっているのだ。
いかにルーンクレスト学院長の孫とはいえ、通り抜ける事は不可能ってわけだ!

ん? 俺達? 俺達なら…ほら、天空八命星とか瞬間移動があるからそれでこっそり入れば…
そこまで考えた時、聞こえたくない音が聞こえて来た。

…ダカラッガラガラダカラガラガラッダカラッガラガラ

「……」
「なあシード。なんか競走馬が荷車をひいてるような音が後ろから聞こえてきたんだが…」
「きのせいだ」

俺は断言すると、スピードを上げた。

「……」
「なぁ…なんか馬車がすさまじい勢いで―――」
「気のせいだっ!」

俺は悲鳴を上げた。
そう、俺は悲鳴を上げた。それがなんなのかわかっていたから。

「セイ! 全力で走れ! でないと…」

だが、無情にも俺達は馬車に追いつかれ、馬車は俺たちと並走する。

「よおにいちゃん、ひさし―――」
「うわあああああああああああああっ!」

俺は幻聴を大声で叫んで振り払うと、さらにスピードを上げた。
さすがに息がきれ、体中が沸騰するかのごとく熱い。熱い割りには身体のどこかが冷えてくような感覚もあったが。

「あたしたちを置いてこうなんて、そうは―――」
「聞こえない! 俺には聞こえない!」

くそっ! 普通の馬車の三倍の速度で走る馬車がいるか! 
三倍の速度で走りながら余裕の表情で「よお相棒」「ブヒヒン」なんて会話できる御者と馬がいるかっ! 
大陸が砕けそうなぐらいの地震のような振動の中、まともに喋れる女がいてたまるかぁぁっ!

「シード。あきらめて、お前も乗ったらどうだ?」

セイ! お前はいつのまにどうやってそれに乗ったあっ!?

「裏切り者がっ! 幻想という夢の産物に乗りやがって!」

ああもう、何をいってるか自分でも分からなくなってきた。もう俺はこのまま逝ってしまうのか?

「くそぉ…シード、フロア…力を…」

俺は必死で念じると、意識を集中させて、一瞬だけ更にスピードを上げた。
少しだけ…一日取り分ぐらい馬車と差が開く。

―――ここだ!

俺は一気にブレーキをかけると、横路地へと直角に曲がる。

「はぁはぁ…これで…振り切れた…か」

このスピードでは馬車では曲がりきれないだろう。曲がろうとして転倒するのが…

「あまい! 秘技! ハイパードリフトぉっ!」
「ひひーんっ!」
「んなああっ!?」

何と、馬はブレーキをかけ、蹄を滑らせながら曲がって来る!
馬車も車輪を滑らせて同じように曲がってきた!

「非常識だ! ぜったいおかしい!」

悲鳴を上げながら、俺は再び駆け始める。と…

「ここいらできめるぜぃ! いくぜ相棒! 必殺! ペガサスジャーンプ!」
「ぶひひーん!」

馬の嘶きとともに、不意に暗くなって俺は思わず上を見上げた。
跳んでいた。馬が。馬車が。
逆光を浴びて天を横切るその姿はまさしく…

「ペガサス…」

その瞬間がいやに永く思えて―――
上を見上げていた俺は石に躓きまともに転倒した。

「う、うう…」

何とか立ち上がる。そして
ずしゃあっ!
俺の前に馬車が着地した。
二メートル以上の高さは跳んだというのに、完全無欠に無事な姿で。

「ふ…兄ちゃん。ギブアップかい?」

御者のおっさんがニヒルにいって来る。

「お、俺の…」

がくりと俺は膝をついた。

「ま、負け…です」

そして俺は地面に突っ伏して、果てた…

 

 

 

 

 

―――――完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って、終われるかぁっ!」

俺はがばっと起き上がった。
すでに俺達は西区の入り口に来ている。いや、連れ去られたというほうが適切か。
とにかく、連れ去られた俺達は、馬車のダメージを癒すべく街道脇の草原に倒れこんでいた。非常識な二人を除いて。
西区の入り口のほうを見ると、簡単な関所になっていて、たっている衛兵二人がさっきから俺達のほうを気にする様に見ていた。
復活した俺にセイが気づいて、いつも通りにやにやといって来る。

「大丈夫か? シード」

ああ大丈夫だよ。セイ、お前に心配されるまでもなくまだ大丈夫だ…多分な。
ミストが伸びをしながらあたりで果てているテレスたちを見下ろして、

「まったく、みんなだらしがないわね…」

お前がおかしすぎるんだと思うぞ。

「ああ、まったくだ。あの程度の振動で…」

お前も同類だ、セイ。

「う…うぅ…気持ち悪いです…」
「く、くそぉ…この俺様が…」
「妹よ…おじいちゃんに会って来るからな…」
「は、吐けるかぁ! 今日の朝食は僕の大好きなベーコンエッグ…」
「うう…お姉さま…あたしがんばるから…」

死々累々…

「さて、と、さくぅっといきましょうか」
「で、どうやってはいるんだ? 確か一般人は立ち入り禁止だろ?」

やったら元気なミストにセイが冷静に突っ込む。
俺は何も言う気力もなくて、ただ二人の会話を聞くだけである。

「大丈夫。実はあそこの関所の衛兵長―――カイルって言う人なんだけど、あたしの父さんの剣術の弟子で…」

そこからもう聞かなくてもいいと思った俺は再び草に突っ伏した。

 

 

 

 

 

「と、言うわけで無事西区に侵入できたわけだけど…」
「どこが無事だ!?:」
「無事なのはお前とセイだけだろうが!」
「まだ気持ち悪いです…」
「ああ…おじいちゃん…」
「うう…ベーコンエッグ…」
「……お姉さま…私、負けないわ!」

口々に俺達は文句を言う…が、ミストはどこふく顔で、

「さあて、これからどうするかが問題よね。遺跡に潜るわけにもいかないし…」
「遺跡だなんて、絶対駄目ですよ」

ミストが何気なくつぶやいたその一言にカイルさんは即座に反論した。
…説明してなかったな。関所を抜ける時に、おめつけ役としてついてきたのだ。
まだ若く、二十代の前半といったところだろう。
気の弱そうな人ではあるが、剣の腕はなかなかのものらしい。

「遺跡の中には危険な魔物がまだたくさんいるんですからね!」
「でもさ、もうほとんど荒らされた後なんでしょ?」
「確かに、罠とかはほとんど解除されていますが、魔物はまだいるんです。それにまだ最深部は踏み入れてないので…」
「ふーん…そお」

言いながらミストの目がきらきらしていくのを俺ははっきりと認識できた。
こいつ、縄でもつけてたほうがいいかも知れない。

「お姉さま!」

唐突にせっぱ詰まった声でテレスが叫んだ。

「な、なに!? 別に話を聞いて入りたくなったとか思ってないわよ」

思ってるだろ。
だが、テレスは首を振って、

「違います! いつのまにかセイさんとお兄様達がいなくなってるんです!」

おお、ホントだ。どうりで静かだと思った。

「な、何だって!?」

カインさんが狼狽してあたりを見回す。

「危険だってあれほどいったのに」

そういう事理解できるような奴等なら俺はため息ばかりついてない。
ミストは渋い顔で舌打ちする。

「ちっ、先を越されたか…」
「…ミストさん?」

半眼で、カインさんがミストを睨む。が、それを無視してミストは拳を握り締めた。

「こうしちゃいられないわ! テレス、ルナ! いくわよ!」
「って、いかないで下さい! ここらへんは本当に危険で…」
「カインさん。頭の上に毛虫が乗ってるわよ」
「う、うげげっ! ほんとですかぁっ、とってくださいょぉっ!」

情けない悲鳴を上げ、カインさんは青ざめた顔で頭を振る。

「いくわよ!」
「待ってください」
「お姉さま…見つかるかしら…」

その隙にミスト達三人は近くの人込みに紛れ込む。
そして俺は…

「どうしたもんかな…」
とりあえず呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

「ふぅう…死ぬかと思いました…」
「…そんな大袈裟な…」

あの後、しばらく失神しそうなほど青ざめて悲鳴を上げるカインさんを見ていたが、さすがにかわいそうなきがしたので毛虫なんぞ乗っていないと指摘してやった。

「はやく、ミストさんたちを探さないと…」
「そうだな…」

上の空で俺は返事を返す。
実際のところどうでも良くなってたのかもしれない。
セイやクレイスのほうはまるっきし心配してないし、ミスト達女三人組のほうも、神術使いのお姫様やら、大陸最高の魔導師の弟子とか、はたまた暴走馬車に乗って平然としている女とか…ああ、まださっきの後遺症が残ってるようだ。
実はそれが俺がいまいち乗れない原因なのかもしれない。

「…って、聞いてるかい? シード君」
「あ、ああ…はい、聞いてませんでしたよ」
「……」

何故、カインさんが俺の名前を知ってるかというと、俺がさっき自己紹介したからで、何で俺が聞いてなかったかというと考え事をしてたからで…だめだ、なんか頭がおかしい。
疲れてるんだろうな、俺。
このごろ、変な風にシリアスして頭を張り詰めてるから…
ミストの涙、セイの怒り、俺の苦悩…
なんかキャラクターにあってないキャラを演じられると…

「どうしていいかわかんなくて疲れるよな…」
「あの…シード君?」
「はい?」
「ミストさんたちを探しにいきたいんだけど…」
「ああそうですか」

人にはそれぞれ想いがある。
昔があり…今がある。

セイの過去は…幼い頃に弟を失ったらしい。セイは自分で殺したと…いや、自分の『力』が殺したといっていた。それで弟の事に触れられると今でも心が騒ぐようだ。その事はセイの遥か昔の祖先から継がれた血の力にも関係があるらしい。

ミストの過去は…一年ほどまえ母親を病気で失ったらしい。そのとき父親…マスターはいなかったらしい。それには俺のせいでもあるんだが…ミストの母親は高位の神官だったらしい。それが血に汚れた傭兵と一緒になったのだから皮肉といえば皮肉かもしれない。いかに高位の神官といえども、やはり自分の病気は自分では治せなかったらしい。自分にも母親のような力があれば良かったのに…と、ミストは泣いていた。

俺は…俺の過去は…少し前まで俺はシード=ラインフィーじゃなかった。一人の暗殺者だった。その暗殺者は幾人ものの命を闇から殺めてきた。まだ少年といえるぐらいの歳から。彼には昔捨てられた…いや、捨てられたと思った思い出があった。彼には姉がいて同じ暗殺者の組織の一員だったが、ある時逃げたのだ。まだまわりを見る事ができない少年を置いて。彼はさみしかった。だがしばらくして友達が二人もできた。最初彼は二人を否定していたが、やがて二人をうけいれるようになった。彼は暗殺者だったが、二人の前では少年に戻れた。しかし悲劇は起こり―――彼か暗殺者をやめ、彼は彼である事を止めた。何故彼は彼である事を止めたのか。それは、彼が信じられるものは自分自身と親友二人だけでなければならなかったから。そうしないと彼は自分を否定する事になってしまうから。だから彼は自分自身である事を止めて、別の人間―――シードラインフィーになった。

なんてね。
なかなか面白いじゃないか。
別に冗談で考えてたわけじゃない。全部本当の事だ。それを適当にならべてっただけなのだが、意外と面白い。第三者の―――シード=ラインフィーの視点から見れば。
俺って結構文才あるのかな。今度作家でも目指そうか。

「カインさん、今まで俺色々と考えていたんだけど…あれ?」

なんとなく誰かに聞いてもらいたくて、身近な人に話しかけた…のだが、どこにもいない。

「どこいったんだ? ミストたちでも探しにいったのかな?」

たぶんそうだろう。そういえば、さっきそんな事を言ってたような気がする。

「しかたない、そこら辺をぶらぶらしてみるか」

と一人つぶやいた時…

「!」

なんだ!?
なにか胸騒ぎを感じて俺は思わず駆け出した。

 

 

 

 

 

なんだ? なんだ? なんだ?
わけが分からず、どんどんと高鳴っていく胸騒ぎに焦れながら俺は何かに導かれるように人込みをすり抜け、路地を曲がり、駆けていた。
どぅおおんっ!
路地を何度か曲がった時に、爆音が聞こえ、同時に、

「くっ!」

爆風が来て俺は一瞬立ち止まった。

「なんだ?」

みると、数人の冒険者風の大人達が倒れている。
そしてその向こうには…

「ミスト! テレス!」

ミストとテレスが黒衣の青年と、黒いラフな格好をした、俺ぐらいの男と対峙していた。そして、あれは…

「ルナに…エイク!?」

黒衣の青年の上に、ルナとエイクが薄い蒼の球体の中で身動き一つせずに目を閉じていた。俺は魔法の事に詳しくないからわよくわからないが、十中八九、閉じ込められていると見ていいだろう。

「シード様! エイク様が引き連れてたその二人組に、エイク様が捉えられてるな様も捉えられて―――」
「いわれてもわけわかんないぞ! 説明は後で聞く!」
「ほお…仲間か…」

黒衣の青年が俺のほうを向いて、つぶやく。
うっ…なんだ? この威圧感は!?

「お、お前は…何者だ?」

プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、俺は何とか言葉を出す。

「はっ! てめえのような人間が、口に出すのもおこがましいようなお方よ!」
もう一方の男がタンカをきる。

「お前には聞いてない」

こいつは雑魚だな。もっとも、あの黒衣の奴に比べればの話だが。

「な、なんだと!?」

すぐに怒る…単細胞っと…

「よせ、羅刹。その人間ただ者ではない…」

馬鹿の名前は羅刹か…

「おそらくお前と同等…いや、それ以上の力を持っているかもな」
「い、いくらなんでも人間以下はひどいですぜ、カオス様」
「なにっ!」

じょ、冗談だろ? カオスって言えば、『聖戦』の時の―――

「そ、そんな…まさか…」

テレスも青ざめた顔で諤諤と震えている。そしてミストは―――

「カオスって、誰?」

 

――――――

 

一瞬空気が止まった。
羅刹とやらは顎を外し、カオスなんぞは顔をものすごくひきつらせて美形をだいなしにしている。魔界の王の息子をひきつらせるとは、やるな、ミスト。

「どーして知らないんですかぁっ!」

もはや嘆きに近い声でテレスが叫ぶ。
当の本人は困惑顔で、

「え? え? も、もしかしてすごい有名人?」
「いや有名人ていうか…」
「てめえ!」

羅刹がミストに指を差して怒鳴る。

「カオス様の名をしらねえとはふてえ野郎だ!」
「誰が野郎よ。あたしは女の子なんだからね!」

…なんか論点がすれ違ってるような…

「羅刹。下がれ」
「は、しかし…」
「ふ…昔の私なら激怒していただろうが…私も人間から学んだのだ。言いたい奴には言わせておけばいいと」
「流石はカオス様。我らとは一味違いますねぇ」
「ふっ、まあな」

何わけのわからない事言ってるんだか…
だが。奴等は油断している。やるなら今だ!
俺は意識を集中させて、空間に意識と存在を溶け込ませた。
感情を消し、音が消え、存在が消え…
俺は駆ける。
目標が、迫る。
俺はナイフを懐から抜き放ち、意識を込める。
目標が俺に気づく、が、遅い。
俺はナイフを一閃させ―――

「くっ! はぁっ!」

存在が戻り、音が復活し、表情が現れた時、俺は苦痛にうめき腹を押さえた。

「ふふ…今のをかわすとはな…」

薄ら笑いを浮かべ、カオスがゆっくりと俺のほうを振り返る。

「え? 何が起きたんですか?」

少し遅れて羅刹も振り返った。

「く…そ…」

激痛が走る。
すれ違いざま、何かを俺の身体に打ち込まれたのだ。
寸前で気づき、何とか直撃は避けたが致死ダメージを避けただけで、ほとんど致命傷に近い。
くそ、空間に意識を溶け込ませる『神眼』を使っても寸前に気づくのがやっとだった…というよりも、寸前まで予備動作がまったくなかった。
これが…魔族か。だが、
俺は痛みに耐えながらも、カオスの顔を見てにやりと笑う。
一本の赤い筋がカオスの顔にひかれている。俺がナイフでつけた傷だ。
『虚空殺』は決まった、後少しでカオスの頭は全て塵に変わる…ミストたちにはあまり見せたくない光景だけどな。

「か、カオス様。お顔が…」
「ああ、これか?」

羅刹に指摘され、カオスが思い出したように傷に手をやる。
瞬間、傷が消えた。
おかしい…なんでこいつは塵にならないんだ…?

「ふん…恐ろしい技を使うな…『力』を込めたナイフで傷つけて、それの傷を媒体に『力』を開いてのなかに叩き込み、内部を崩壊させて塵にかえる…と言ったところか…人間相手になら聞いたかもしれないがな。私にはきかんよ」
「く…そぉ…」
「だが、それよりも恐ろしいのは、油断していたとはいえ、寸前まで私に接近を気づかせなかった事だ。そのせいで、単純な攻撃しかできなかったな」

単純って…それで、この威力かよ…
あ、ああだめだ…激痛で意識が朦朧としてきた…

「…く…そぉ…」

そして俺は地面に倒れ、意識が途絶えた。
最後に、ミストの悲しそうに俺の名を呼ぶ悲鳴が聞こえたような気がした…

 


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D【繋がる心】