パニック!
シード編・第二章
「ミステリア=ウォーフマン」
A【心の奥底に眠る激情】
『スモレアー』の中を静寂が支配する…
皆が俺の次の行動に注目している。
俺は目を閉じ、自分の手の内を確認する。
俺は静かに目を開けた。
これですべてが決まる!
俺は静かにクレイスの方に手を伸ばした。
狙いは…真ん中の札。
「ふっ…」
静かにクレイスが笑った。
俺はいやな予感を覚え、標的を変更した。
「あっ…」
クレイスがうめく。俺はにやりと笑うと、一気に札をひきぬいた―――
札はジョーカーだった。
「っだあああああっ!」
俺はテーブルの上にカードを叩き付けた。
「はっはっは! 貴様なぞ所詮その程度よ!」
クレイスの哄笑が聞こえ、俺はダイヤのエースをクレイスに投げつけた。
びゅっ、と空気を切り裂き、次いでクレイスの髪を切り裂いて天井にささる。
クレイスの哄笑が凍り付いたように止まった。
「わあ! シード君、すごぉい」
と、ミストが馬鹿みたいにぱちぱちと手を叩いた。
「さて…」
俺はカードを一つにまとめて、よくきった。
「…もう一度勝負だ」
俺の台詞に硬直していたクレイスはやれやれと手を振って、
「はっは、またか? 何度やれば諦めが…」
びゅっ、と今度はクラブの2を飛ばした。
再びクレイスが硬直する。俺はきっぱりと言い放った。
「俺が勝つまでだ」
今度はクレイスの髪はきり裂けなかったが、代わりに天井に刺さっていたダイヤのエースに当たり、二枚そろってひらひらと落ちてくる。
「トレン…拾ってくれ」
「あ、はい」
俺が静かに頼むと、トレンは素早く拾ってきてくれた。
「ありがとう」
俺は礼をいって二枚のカードを受け取った。
「さて…と、今度はなにしようか」
「神経衰弱やらない? あたし強いよ」
ミストの提案に俺はしばし考えた。
なぜかしらないが、俺はカードゲームという奴が弱い。
なぜかしらないが、クレイスは異様にカードゲームが強い。
ポーカーでは俺がスリーカード出したらクレイスはフォーカードだったし、七並べじゃえげつない止められかたされて完敗。さっきのババ抜きにいたっては、クレイスの術中に完全にはまり込む始末。
はっきりいってクレイスごときに負けるのはとことん悔しい。
神経衰弱ならば、記憶力とカンの勝負だ。記憶力とカンには自信がある。
俺は肯いた。
「よし。神経衰弱をやろう。ミストお前もやるか?」
「うん」
ミストはあっさり肯いた。
よしよし。
「じゃあ俺は一番最後でいいや…いいよな」
謙虚に俺が一番最後をとると、何故かクレイスは冷や汗たらして肯いた。
「じゃあ、あたしが一番でいい?」
ミストが聞いてきたので、俺は肯いた。クレイスも肯く。
馬鹿な女だ。神経衰弱というのは一番が不利なのだ。
俺は胸中でほくそえむと、テーブルの上にカードを並べた。
「じゃあ始めていいね」
ミストが尋ねつつ、一枚目のカードをひっくり返した。
一枚目のカードはハートの3だった。
数分後…
「え〜と、これかな? あっ、あったりいっ」
「……」
「……」
ミストがはしゃぐ中、俺とクレイスはただただ無言でミストがひっくり返すカードを見るだけだった。
クラブの2とダイヤの2。
その二枚をミストは嬉しそうに自分の山におく。
俺は残りの場の枚数を見た。
四枚
あと四枚である。
「ええと…」
適当にミストがカードをめくる。ダイヤのK。
「それじゃ…これかな?」
ミストの手がカードをめくる。ハートのK。
「わぁ、あたったぁ」
「……」
「……」
ゲームが終了したようなので、俺は自分の枚数を見てみる。
見るまでもない。0枚だ。
クレイスの枚数も見てみる。0枚。
うつろな目でミストの山を見る。
残りの全部のカードをミストは山の上に置く。
一枚一枚数えたわけじゃないが、多分正確だろう。52枚。
俺は自分の手を見た。カードを一枚も触れる事ができなかった手。
「きゃは。勝っちゃった」
「なんでだぁぁっ!?」
俺は絶叫し、0枚のカードを床に叩き付けるふりをした。
「どーしてカンだけで、全部取れるんだよ!」
俺はミストに虚空殺を放ちたい衝動を押さえつつ詰め寄った。
ミストはちっちっちと指を振り、
「あたしの推理能力を駆使すればたやすい事!」
「なっとくいくかっ! おし! もう一度勝負だ!」
「ふっ、望むところよ!」
と、今まで朽ち果てていたクレイスがやおら不敵な笑みを浮かべた。
「くっくっく…今度こそ僕の実力を見せてやる―――という事でカリスト!」
「はっ!」
「お前が一番だ」
「はい?」
聞き返すカリストは無視して、クレイスはトレンの方を向く。
「トレン、お前は二番だ」
「はあ…」
そして自分を指差していう。
「で、僕は三番」
クレイスの言葉に俺は深く頷いた。
「ということで俺は四番だ」
「ちょっと」
ミストが不満そうな声を上げる。
「じゃああたしは五番?」
「ちがう」
クレイスは首を横に振った。その意味を察し、俺は続ける。
「五番はカリスト2。以下、トレン2、クレイス2、俺2と続いて九番目にお前」
「ええ〜、なにそれ」
「うるさい! カンだけで全部取れるような奴とまともにやれるか!」
「そのとおり! はっきりいって反則だ!」
俺の意見にクレイスは肯いた。
…こいつとこんなに意見が合うなんて今日ぐらいなものだろうな。
と、その時、一日に数えるほどしか開かない『スモレアー』の扉が開いた。
からん、と扉についている鐘が鳴る。
「いらっしゃい」
おっさん…おっと、マスターが皿を拭きつつ、姿も見ずに言う。
…しかし『マスター』って、もろ酒場の亭主って感じだよな。風貌もそうだし。ま、そう呼べっていってるのはむこうだし、俺はどうでもいいけど。
「久しぶりじゃの、スモレアー」
そう言いつつ入ってきたのは豊かに白いひげを生やした身なりのいい老人だった。
手には大きな杖を持っているが、背がしゃんと真っ直ぐになっているところを見ると、おそらく魔術用の杖だろう。
「お。久しぶりですな」
老人の声にマスターは顔を上げて、にこやかにいった。
と、その後ろから一人の少女がついて入ってきた…って、あれは!?
隠れようとした時には遅く、少女はすでに俺達に気づいていた。嬉しそうに笑顔で駆けよってくる。
「シード様!」
「…やあ、テレス」
俺はひきつった笑顔を返した。
「お久しぶりですわ。シード様。貴方に会えなかったこの二ヶ月、私はとても寂しくて…」
と、瞳を潤ませて詰め寄ってくる。
「ああ、そう」
俺はテレスが詰め寄ってきたぶんだけ椅子ごと後退した。
「何故、私が二ヶ月も会えなかったかといいますと、実はその間ずっとおじい様に魔法を教わっていましたの」
さすがにはしたないと思ったのか、テレスは詰め寄るのを止め、ミストの隣の椅子に座る。
「ふうん」
俺は返事をしながら、元の位置まで戻った。
「兄貴とは違ってまじめなもんだ」
俺は素直に感想を述べた。
「失礼な!」
ほんとの事を言われて気に障ったのか、クレイスががたんと椅子を蹴飛ばし立ちあがった。
「僕だって、学校に行って勉強してるんだぞ!」
怒鳴るクレイスに俺は静かに尋ねた。
「そういやテレス。お前の『おじい様』ってルーンクレスト学院の院長だよな」
「はい」
「人の話を聞けぇっ!」
ったく、うるさいな…
「聞いてる。ただ、反応するのが面倒だったから聞き流しただけだ」
「聞き流すなっ!」
「あーうるせい。…だいたい、お前の嘘は聞き飽きたんだよ。学校行って勉強してるって? 毎日ここに遊びに来てるじゃないか」
「ふっふっふ、僕のような天才は週に一度学校に行くだけでも事足りるのだ」
「へえ、大陸最高の魔導師に師事してるってわけか」
「はい、そうなんです」
「無視するなあぁっ!」
クレイスの声が耳に響く。だが、俺は決然と無視してミストに聞いた。
「そういやミスト。お前は学校行かないのか?」
そうすれば、お前がいない時間俺はのびのびできるのに。
「行けるわけないでしょ。そんなに裕福でもないんだから」
「嘘です。おじい様が援助してくれるって言うのに、ミステリアお姉様は断ったんですよ」
と、すぐさまテレスが切り返す。
「え? じゃあなんで学校に行かないんだ?」
行けるんだったら素直に援助受けて学校行ってろ!
…などと心に思った事はおくびにも出さずに俺はミストに尋ねた。
「だって、自分の自由な時間が無くなるの嫌じゃない? キンクフォートとかと違って、アバリチアには義務教育制度なんて無いんだから、別に行かなくたっていいでしょ」
「え〜、お姉様ぁ。そんな事言わずに一緒に学校行きましょうよぉ」
「そうだぞ。若いうちに学校で学んだ知識は大人になって必ず役に立つんだ。行っておいて損はないぞ。っていうか、行け」
「…シード君。なんでそんなにあたしを学校に行かせたいわけ?」
ぎく。
「い、いやぁ、俺はお前の事を思ってだな」
思わずミストの冷たい視線から目をそらした。
「…ふぅん…そうだ!」
なにか思い付いたらしく、ミストはパンっと両手を叩いた。
「シード君も一緒ならあたし、学校行ってもいーよ」
「なに!?」
「あっ、それいいですね」
テレスもにっこり笑って賛成した。
「シード様やお姉様もいくなら、私も行きます」
「へ? お前は学校行ってるんじゃないのか?」
テレスの台詞に俺は聞き返す。
テレスは首を横に振って、
「いえ、おじい様のもとで魔法を教わってるだけです」
「あれ? だってさっきミストと学校がどうの…」
「あれは、お姉様が行くなら私も行くって意味です」
「あっそ…」
ということは、下手すりゃほとんど毎日、ミストとクレイスの他に、テレスの相手までしなけりゃいけない可能性もあるって事か。
…うう、やっぱさっさと暗殺者に戻ってりゃ良かった。
「ねえねえシード君、いい考えだと思わない?」
「どこが。俺は借金かかえてるんだぞ。勉学に励む時間なんて無い」
「ええ〜。じゃあ、あたしも行かない」
「じゃあ私も行きません」
…こいつら。
「シード」
不意に学院長と話をしていたマスターが俺を呼んだ。
「なんですか? マスター」
「悪いが、今から大事な話するもんでな。店閉めるから、ミストたちを連れてどっか行っててくれないか?」
「あー、父さんその言い方はなによ。まるでシード君があたしたちの保護者みたいな言い方じゃない」
その通りだろうが。
「テレス。お前もつれてってもらいなさい。ちょっと話が長引きそうなのでな」
「はい、おじい様」
テレスの返事に学院長は肯くと、俺の方に近寄ってきて懐から財布を出す。
「それからこれは小遣いじゃ、これでなにか食べなさい」
と言って金貨2枚俺に差し出してきた。
「え? いいんですか? …ありがとうございます」
俺は遠慮なく受け取ると、ポケットに突っ込んだ。
間違っても『いえ、そんな、悪いです、いただけません』とは言わない。遠慮してたら、金貨千枚という借金は返せないのだ。
もちろんこの金貨は俺が受け取ったのだから、俺の物であって、俺の物だから、別に何にも使わずに、俺の借金の返済に当ててもいいわけだ。
…ううっ、なんか自分がものすごく金に意地汚い守銭奴に思えてきた。
ちくしょー! みんな貧乏のせいだ! 貧乏が悪い!
…と待てよ? 考えてみれば、俺を貧乏にしたのは、ミストの奴じゃないか。つまり、全部ミストが悪い!
などとミストに責任転嫁をしてたら、そのミストが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「なに独りでぶつぶつ言ってるの? シード君」
「別に」
俺は憮然と言い返した。
「変なシード君。…さ! 街に繰り出すわよ! ほらほらクレイスも、そんなところで暗くなってないでいくわよ!」
と、ミストは隅で壁に向かって体操すわりをしていたクレイスの背中を蹴った。
…クレイスのやつ、静かだと思ったらそんなところにいたのか。
「ところで、どこに行くんですか?」
と、テレスが聞いてきた。
「んーそうだな…東区にでも行って見るか。俺、あんまり言った事ないし」
アバリチア東区―――
南のブール湖から流れるルブール大河が町中に流れるこの交易区は、さすがに南区とは違い活気が溢れすぎるほどに溢れかえっていた。
「ここはアバリチアの基盤となったところで、まずルブール大河の周りにこの東区ができて、それからアバリチアは発展してきたんですよ」
「へえーそうなの」
テレスの説明に、ミストが感心したように声を上げる。
「へえーそうなの。って、ミスト。何でお前が感心するんだよ」
「始めて知ったからに決まってるじゃない」
胸はって言う事か?
と、クレイスも肯いて、
「ふっ、自慢じゃないが僕も知らなかったぞ!」
「本当に自慢じゃありませんね…」
カリストが小声でつぶやくのが聞こえたが、クレイスの耳には届かなかったようだ。
「ところでおなか減ったわねー。シード君、なんか食べようよ」
「別にかまわんが…自分の分は自分で出せよ」
「なんでよー、さっき院長さんからもらったお金は?」
「はあ? あれは俺がもらったんだぞ。俺の事以外のために使わなきゃ行けないんだ?」
「どけちー」
ふっ、何とでも言え。元はといえば俺に借金させたお前がいけないんだからな。
「…守銭奴」
「…大貧民」
トレンとカリストがつぶやくのがかすかに聞こえたが、俺は完全に無視した。
…一流の暗殺者というのは、目的のためには手段をとわないのだ。
「ふっ、貴様の底が見えたな! おそらくさっき大富豪をやっていれば、貴様は大貧民になっていたに違いない!」
俺は無言でクレイスの足を払う。
狙いどうり、クレイスはあっさりこけ、後頭部を落ちていた大き目の石にぶつけた。
「っっごぉおおっ!?」
後頭部を押さえてクレイスは地面をのた打ち回る。
その様子を見て、俺は一つの事実に思い当たった。
「危ないな。南区と違って舗装されてないから、こけたりすると、偶然でっぱってた石に後頭部をぶつけたりするわけか」
「住宅区の南区と違って、ここは港中心の商業区ですからね、そんなに舗装する必要はないんですよ。…もっとも、他の区につながる輸送路なんかはきちっと整備してますけど」
「ほうほう」
「おまえはぁ〜」
地面を転げまわっていたクレイスが呪詛でも唱えるように言いながら立ち上がってきた。
「いきなりなにをする!」
「うるせえっ! なんかお前に馬鹿にされるとむかつくんだ! ついでに、カードの話もするな! 余計にむかついてくるんだよ!」
「はっ! 口論で負けたからって暴力で返す暴力魔が! 我がクレイス騎士団の制裁を受けるがいい!」
クレイスはざっと後ろに飛び、ポーズをつけて叫ぶ。
「行け! 左将軍カリスト! 右将軍トレン!」
『はっ』
カリストとトレンが構え、俺に殺気を向けた。
と、ふと俺は思い返して、
「…カリストが右将軍じゃなかったけ?」
「はーっはっは、余迷いごとを!」
「いや、でも確かに…」
「問答無用! いけっ!」
『はっ』
カリストとトレンが答える。が、
「……どうした? いけっ!」
『はっ』
答えるだけで動かない。
「いけっ」
『はっ』
「いけったらいけっ」
『はっ』
「いけぇぇぇぇっ!」
『はっ』
「…一生やってろ」
俺はくるりと振り返ると、再び歩き出した。
「あれ?」
二つの通りが十字に交差しているところまで来た時、ミストが立ち止まった。
ちなみにクレイスたちはいない。あのまま先に行ったら、そのままはぐれてしまった。
「どうした、ミスト?」
尋ねつつ、ミストの目線を追った。
『潮風亭』と書かれた看板の宿屋の前に人だかりができている。
「なんでしょうね」
「行ってみよ」
俺達が近づくと、いきなり人込みが歓声を上げた。
「わっ、びっくりしたあ」
「なにやってるんだ?」
「手品ショーですかねぇ」
見ようにも、前が詰まってて見えない。
「ふむ…」
俺は少し思案すると、俺の目の前で背伸びをしているおっさんの肩に手をかけた。
「え?」
おっさんが振り向くと同時に、俺は飛び上がりおっさんの肩を踏み台にして人込みの前へと飛んだ。
「あーっ、シード君、ずるぅい」
ミストの声にちらと振り向くと、踏み台にしたおっさんはよろけて地面に尻餅をついていた。
…誰だか知らないが、悪い。
心の中で謝りながら、俺は地面に無事着地した。
周りから再び歓声。
「兄ちゃんすごいねえ」
いきなり前から聞こえて来た子供の声に前を見ると、一人の少年がにやにや笑っていた。
浮浪児…というわけでもないだろうが、みすぼらしい旅の格好をしていて、薄汚れた金髪、真っ黒に汚れた顔。
歳は俺より上という事はないだろう。
どこからどう見ても、『天涯孤独な哀れな孤児』といったところだ。
目、以外は。
…別に、目の色が魔族や魔獣みたいに真っ赤だとか、片方の目がえぐられているとか、変な触手が生えているというような事ではない。
普通のどこにでもいるような碧眼である。
ただ、目の奥に潜む光がただの少年の持つ物じゃない。
そいつの目を見た時、俺の直感が警告を発した。
こいつは…俺と同じ側の人間だと。
おもわずじっと見詰めていたら、少年の肩に乗っている金色の動物と目が合った。
「ガァ?」
「あ? こいつがそんなに珍しい?」
少年がそのトカゲのような動物を撫でながら勘違いして言う。
「あ、ああ、珍しい動物だとおもっ…てぇっ!?」
不意に気づく。その動物、サイズこそ大人の頭ほどだが、紛れもなくその姿は―――
「ド、ドラゴンっ!?」
そう、地上最強の肉体を持つドラゴンである。
「そうそう、兄ちゃん見た事あるかい?」
あるわけねーだろ!
どうやら、さっきの歓声はこいつが原因らしい。
「きゃ! すごい、かわいい、ドラゴン」
「わぁ、私ドラゴンなんて初めてみますよぉ」
いつのまにか隣に立っていたミストたちが歓声を上げた。
「ミスト、テレス! お前等いつのまに…」
俺が尋ねると、ミストは得意げに胸を張って、
「テレスの魔法で空飛んできたのよ!」
何故それでお前が偉そうに言う?
「ほう、『飛行』の魔法まで使えるのか、中級の魔法だろ? すごいじゃんか」
感心して俺が言うと、テレスは顔を赤らめた。
「えへへ、そんな事ないですよ」
「さあて! かわいいお子様方も加わったところで次の出し物!」
少年が声を張り上げていう。
「…お子様って、あんたの方がよっぽどお子様じゃない」
ミストのつっこみを少年はあっさりと無視して、続けた。
「炎吹き出す火口の中に巣を作ると言われている、伝説の不死鳥フェニックスの召喚でございます!」
「フェニックスの召喚ですって?」
「へえ、すごいねえ。ねえ、テレス。院長さんにもできるかな?」
ミストの問いに、テレスはぶんぶんと首を振った。
「そんな! できるはずないですよ。下級の魔物ならともかく、そこまですごいのになると、魔獣との契約は不可欠ですから」
「じゃあ、あの子どもはフェニックスとの契約を結んだって事か?」
俺の問いにテレスは答えなかった。ただ、固唾を呑んで少年の動きに注目していた。
「ではうまく召喚できたら拍手喝采、失敗したら…笑って許して」
にっこり笑っていう少年に、観客から笑い声が飛ぶ。
声が収まるのを待って、少年は右手を掲げて叫んだ。
「つーわけでフェニックスの召喚! いでよ、フェニックス…ルートゥ・メグド!」
ぶわっ、と少年を中心に熱風がふき、思わず目を閉じた。
めをあけてみると…
「おおーっ!」
「すっげぇっ!」
「燃えてるぜ、燃えてる」
炎を身に纏った鳥が、少年のドラゴンが乗っている反対の肩に留まっていた。
大きさは金色のドラゴンと同じぐらいだ。
「さ、触っていい?」
恐る恐るミストが近づいて聞く、
「馬鹿、燃えるぞ!」
言いながら俺は平然と炎の鳥を肩に乗せている少年を不思議に思った。
俺の疑問に少年は笑いながら
「大丈夫だって、こいつは炎の温度を調節できるんだ」
「調節? フェニックスって炎の温度を調節できるのか?」
「そうなんですか? 私、初めて知りました」
テレスが素直に感心する。
「わ、ほんと、熱くないよ」
ミストは嬉しそうに炎の羽を触った。
「あ、私もいいですか?」
とことこテレスも近づくと、鳥は飛び立ち、テレスの肩に止まった。
「あ、本当に熱くない…」
不思議そうにテレスは鳥の頭を撫でる。他の観客も炎の鳥に触ろうと集まってきた。
「くー」
鳥は迷惑そうに一声鳴いて飛ぶと、再び少年の肩に止まる。
「さて、パフォーマンスはここまで」
そういって少年は、傍らにおいてあった旅人用の大きなリュックから毛布を取り出すと、ばっと広げる。そしてその上にリュックから色々取り出して並べ始めた。
鍋、短剣、ペンダント、手鏡、コップ、耳掻き…
脈絡も鳴く出てくる品々に俺は感心してみるだけだった。
「さて。ここに並べましたのは、古今東西から集めしマジックアイテム! 本来ならば、とてもとても高価な代物ですが、今日は出血大サービス! お手頃価格でご奉仕しましょ! さあ、お気に召す物が…」
「それよりも、他になんかないの? 天使とか、悪魔とか」
いきなり少年の口上に割り込んだ馬鹿がいる。そう、ミストだ。
少年は困ったように首をかしげて、
「いやあお姉さん、俺の本職は大道芸じゃなくて、商人だもんでここら辺で我慢しといてくださいな」
「あ、その言い方だと他にまだ出し惜しみしているんでしょ。だしなさいよ」
こ、この女は…
周りの連中もミストにつられて騒ぎ始めた。
「そうだそうだ、もっとみせろー!」
「ものたりねーぞ」
…あれだけ見て、まだものたりねーとか言うか?
「はあ、しかたありませんなぁ」
困ったように少年は頭を掻いて、ミストを見た。
「その代わり、これ見たら絶対なんか買ってくれよ」
ミストは肯いた。
「いいわよ。ね、シード君」
「何故俺に聞く?」
あら、とミストは作り笑いを浮かべ、
「だって、シード君が払うんだもん」
「誰が払うかっ!」
「けちぃ」
「何とでも言うがいい。だが、俺は払わないからな」
「はいはい、痴話喧嘩はそこまでにして」
「おいおまえ。そういう冗談は己のみに不幸を呼ぶだけだと忠告しといてやるよ」
「はいはい、ご忠告、ありがたく受けとくよ、シード君。それから俺の名前は「お前」じゃなくてセイっていうんだよ。ま、覚えなくてもいいけどな」
そういって、少年―――セイはにっと笑うと、右手を掲げて叫ぶ。
「いでよっ! テラビースト…ザルム・フィース!」
ごうっ、と突風が少年の方から吹き付けてきた。
「きゃっ!」
少年の一番近くにいた、ミストの悲鳴が風の中聞こえた。
「…ふぅ」
突風が収まると、少年の前に、成長した狼よりも一回り大きい、蒼い毛並の狼のような魔獣がいた。
魔獣は魔の物の証である赤い目をぎらりと光らせて、威圧するように牙をむき出した。
「ぐるるる…」
魔獣がうなるのを聞いて、集まっていた観客が悲鳴を上げて逃げ出し始めた。
「ま、魔物っ?」
「うわわわっ」
あっという間に人込みは散り散りになって消えしまった。後に残ったのは俺達だけ。
「あーあ。みんな逃げちゃった」
「他人事みたいに言うなよ、ミスト」
「他人事じゃない」
…お前が原因だろうが。
とも思ったが、まあ他人事には変わりはないか。
俺はあたりを見回す。
少年の半径百メートル以内にいるのは俺とテレスとミストだけになってしまった。
それ以外の人間は遠くから様子を見ている。
やれやれ…
「おい、大丈夫か?」
さっきから硬直しつづけている少年に声を駆けた。
「はっ」
少年は我に返ると魔獣を睨み付けた。ちなみに魔獣は猫のように毛繕いをしている。
「おいてめ犬っ!」
「誰が犬だっ!」
……
反論したのは当然俺でもテレスでもミストでもない。
ミストが驚愕の声で叫んだ。
「い、犬が喋った!?」
「犬じゃないといったろう!」
そう、犬…もとい、魔獣が喋ったのである。
もっともミストは驚いたようだが、別に俺はあまり驚かなかった。組織にいた時に、喋る魔獣というのを見た事があるからだ。
隣を見ると、テレスも驚いてはいない様だった。もっとも、おびえて俺の腕にしがみついていたが。
「はじめて見たわ、喋る犬って!」
「だから…」
「んなこたあどーでもいいっ!」
反論しようとした魔獣の台詞を遮ってセイが叫んだ。
「どーしてくれんだ、てめーが脅かすからみんな逃げちまったじゃねえかっ!」
「ふん、人間とは臆病な物だな」
「魔獣が犬歯むき出しにしてうなりゃ、普通の奴は逃げ出すに決まってんだろ!」
「我ら魔獣の挨拶とは威圧する事から始まるのでな。つい…」
「ついじゃねえ! わざとだろ、わざと!」
「当然だ。だいたい、貴様は我らを何だと思っている! 他の二匹はともかく、我は見世物などではないぞ!」
「あ、あの…」
恐る恐るテレスが声を上げた。
いったん口論を止め、セイと魔獣はテレスの方を向く。
テレスは震える声で、
「だ、大丈夫なんですか、その魔獣…」
「大丈夫よ」
根拠もなく、何故かミストが答える。
「所詮犬だもの、ただの畜生にできる事といったら、吠える事だけよ」
「なにっ!」
魔獣が怒り、青い毛を逆立てて怒鳴った。
ミストはそれに対して半眼で冷たく告げる、
「あら? 怒ったの? こうも簡単に牙を向くなんて、やっぱりそこら辺の野獣と同類ね!」
「ぐううう…」
魔獣は怒りを押さえ、歯を食いしばっている。
…しっかし、ミストって人?をからかう天才だな。
「おい、ミスト。そこら辺にしとけよ。食い殺されるぞ」
一応、すぐ反応できるように意識を魔獣に向ける。
ミストは手を振って、
「大丈夫大丈夫、少しでも知能があって、ほんの少しでもプライドがある魔獣様なら、少しぐらい人間にからかわれたといって怒り狂うはずないもの」
「あほっ! 知能があるっつっても所詮は動物だぞ! つい本能が働いて、猫がボールにじゃれるがごとく、お前の首に噛み付くかもしれんだろうが」
「あ! そうよね。…ああ、あたしまだ、知能あるくせにプライドの欠片もなく本能に突っ走った魔獣に食い殺されたくないわ!」
「わかったらとっとと離れろ! いつ理性をなくして襲い掛かるかわからんぞ!」
俺は思わず緊張しながら、叫ぶ。と、冷めた顔(のように見えた)で魔獣がセイに向かってつぶやく。
「おい…こいつら殺していいか…?」
問われてセイは困った顔で、
「…んーと、姉ちゃんの方はともかく、兄ちゃんの方は本気で言ってるみたいだしな…ま、多分悪気はないんだ許してやれよ」
「ならせめて、女の腕ぐらい食いついていいだろう?」
魔獣の低い声に、俺はぞくりとして魔獣を見た。
毛と同じ蒼い目。
その奥底に蒼く燃える炎の揺らめきを見た様な気がした。つまり…
「…おまえ、目がマジだぞ」
である。
「私は冗談が嫌いだ」
低く、静かにつぶやいて、魔獣は体勢を低くしてミストに飛びかかった。
「きゃああっ、シード君!」
「ちぃっ!」
ナイフを抜きつつ、ミストの前に飛び込もうとする、が、
―――間に合わないっ!
ミストは慌てて横に飛び、よけようとする。が、魔獣は一本の足だけで地面を蹴り、それだけで難なく軌道修正をした。
ミストが倒れる。その上に魔獣が覆い被さり、ミストの右腕に食いつこうとする!
俺は必死で飛び、右足を前に出す。ミストの腕の前へと、
―――とどけっ! 間に合えっ!
確実に俺の右足は食われるだろうが、代わりに虚空殺を食らわせてやる!
俺の爪先が魔獣の鼻先をかすり、俺の脚が魔獣の口の中に飛び込んだ。
―――間に合った!
俺は直後に来るはずの激痛に対して身構え、ナイフに意識を集中する。
一撃で…決める!
が、魔獣の牙が俺の脚に食い込むよりも早く。
「ザルム・フィース!」
セイが叫び、それに応じて魔獣の体が蒼い光の粒子となって、セイの右手に吸い込まれるように消えていった。
「へ?」
俺が呆けていると、少年商人はやれやれと頭を掻きながらつぶやいた。
「無理をするお兄さんだねえ。俺が何もしなかったら、あんたの脚、洒落抜きで食いちぎられてたぜ?」
「代わりに俺の一撃で魔獣は死んでたさ。そして俺は危険な魔獣を倒し、街を救った大英雄。街のお偉いさんから礼金もらって、お前から謝礼もらって、ミストからは慰謝料と医療費もらって、さらには保険もおりてきて俺は万々歳。ってとこかな」
「へへえ、あんたそんな事考えてたのかよ」
「まあな」
あきれていうセイに、俺はにやりと笑って答えた。
もっとも、『街を救った〜』あたりからは今思い付いたんだが。
なんにせよ、俺は安堵のため息をつき、起き上がって今だ呆けているミストを見下ろした。
「大丈夫か?」
「…うん」
小さく肯く。俺は手を差し出していった。
「立てるか?」
「うん」
だがミストは俺の手を無視して、一人で立ち上がった。
「ミステリアお姉様!」
同じく放心してたテレスが駆け寄ってくる。
「お怪我はありませんか?」
「うん。大丈夫」
ぎこちない笑みでミストは答えた。
「勘弁してくれよな」
俺はため息をつきつつ(そういやこの街にきてから、癖のようにため息ついてるな、俺)ミストに向かってつぶやいた。
俺のため息に、ミストは真顔、というよりは無表情になる。
「まったく、魔獣相手に挑発するなんて…」
「シード様も結構挑発してましたけど?」
テレスが分けわからない事をいう。俺がいつ挑発したというんだ?
「この前の時もそうだ。子ども相手に攻撃魔法使ってくるような奴に調子に乗って挑発しまくったり…」
「ええっ? そんな魔導師がいたんですか?」
「お前もやってきただろうが」
「私は子どもだからいいんですよ」
こいつ、ミストに感化されてないか?
「ああいう奴等…腹立つのよ…」
ミストは無表情のまま、ぼそりとつぶやいた。
「え?」
「むかつくって言ってるの! ああいう、自分以外を見下してるような偉そうな奴等!」
「え? え?」
…な、なんだいきなり。
いきなり感情を爆発させて、俺に向かって怒鳴るミストに俺はただ戸惑うだけだった。
「あんな…たいしたことできないくせにふんぞり返る奴等…ほんとの事言ってなにが悪いの!」
「な、なんか、お前性格かわってないか?」
「シード君が…」
ミストは首を激しく振る。零れる涙。
涙?
俺はミストの顔を見た。
「シード君が、なにも私の事知らないくせに、勝手な事ばかり言うからでしょ!」
「……」
何も言えずに、俺はただミストの涙を見つめていた。
別に、ミストの台詞にショックを受けたわけではない。
俺はミストの事をなにも知らないかもしれないが、ミストだって俺の事はしらない。
ただ、ミストを泣かせたと言う罪悪感だけが俺の心を重くしていた。
しばし、沈黙。
ミストは涙を流しながら怒りの形相で俺を睨み、セイとテレスは二人して傍観している。
そして俺は、ミストの視線を受け止める事ができずに、ミストの視線をわずかに交わしてミストの耳たぶを見つめていた。
こ、このままじゃだめだ。
黙っていても状況が好転するとは思えない。いや、むしろ逆だ。へたをすればミストはそのまま本当に泣き出してしまうかもしれない。それだけは避けねば!
俺は意を決して口を開いた。
「…え、えとだな」
笑顔だ。
『女の子を接する時には笑顔。さわやかな笑顔を絶やさない事。まぁこれが最低条件だな』
昔の友人の言葉が頭に浮かぶ。
できるはずだ俺には。
俺は親友のようにナンパなどした事ないが、今の俺の名はその親友の名を借りている!
俺は必死で笑顔を取り繕った。
ミストの表情は変わらない。
ふと、思い出した。
…そういえば、あいつ、女の子の話はよくしたけど…フロア以外の女の子と一緒にいるのを見掛けた事なんてほとんどなかったな…
―――駄目だ! あいつじゃ駄目だ!
「あーもー、とにかく!」
親友の真似事を止め、俺は頭をかきむしった。そして、ミストに指を突きつける。
「俺が言いたいのは、悪い悪くないって事じゃなくて、死ぬのが怖くないのかって事だ!」
「怖い? 死ぬのが?」
俺の言葉を不思議そうにミストは繰り返した。
と、その時。
「あそこです! あいつらが魔物を召喚して…」
「そうか、よし! まかせろ!」
聞こえて来た声に振り向くと、誰かが通報したのか、警備隊のおっさん方がどやどやと押し寄せてきた。
「やべぇ、逃げろっ!」
セイが叫んで一目散に逃げ出した。
「捕まったらめんどくさい事になりそうだな…俺達も行くぞ!」
「あ、待ってください」
俺の後にテレスが続く…が、
「ミスト!」
「お姉様!」
ミストは動かない。ただ、うつむいているだけだ。
「ちっ、テレス! お前は先に逃げてろ!」
俺はそれだけ言うと、急ブレーキをかけ、反転してミストに駆け寄ろうとする…が、すでに警備隊にミストは捕まっている。
…仕方ない、ここはおとなしく捕まるか…
まあべつに、事情を説明すればなんとか…
と俺が思いかけた瞬間!
「ガァァァァッ!」
蒼い魔獣―――ザルムが、唸り声をあげながら警備隊の中に飛び込む。
「う、うわわわ」
「こらあ、逃げるな! 応戦しろっ!」
隊長らしきおっさんが叫ぶが、誰も従わずに雲の子を散らすように逃げ出した。
「ミスト!」
「……」
駆け寄って呼びかけるが、ミストは何も答えない。
「あー、とにかく逃げるぞ!」
「……」
だが、またもや無反応。
「くそっ」
「あっ」
俺はミストを強引に背に背負うと、駆け出した。蒼い魔獣も俺の隣を並走する。
「おろしてよ! …あたし、一人ではしれる…」
「黙ってろ」
「……」
俺の注文どうりに、ミストは静かになった。
「…おまえ、なんかさっきからおかしいぞ。どうかしたのか?」
「……」
何も、答えない。
…ま、何も言いたくなければ、それでもいいけどな。
「…ありがとう」
「へ?」
「さっきはありがとう。助けて、くれて…」
「別に・・・たいしたことじゃねえよ。―――スピードあげるぞ、しっかり捕まってろ」
ミストらしかぬミストの声に、俺はなんとなく気恥ずかしくなって、照れ隠しにスピードを上げた。
「よお兄ちゃん。無事だった様だな」
追っ手を完全に撒いた頃、どこからかセイがひょっこり近づいて来た。
「お陰でな。大丈夫なのか? この魔獣」
俺はセイの傍らにいる蒼い魔獣を見た。
魔獣は鼻を鳴らし、
「ふん。人間ごときに罵倒された程度の事を、いつまでも根に持つ我ではない」
「でも、人間ごときに馬鹿にされただけで、我を忘れて飛び掛かってきたわよね」
俺の背から降りながら、ミストがさらりと返す。
「だから、お前は…」
「女。よほど死ぬのが怖くないと見えるな…」
怒りを押し殺した声で、魔獣が唸る。その魔獣をミストは嘲るように見下して、
「死ぬのが怖くない? 当たり前でしょ。母さんは…母さんは、微笑んで、静かに天国へいったのよ。
それなのになんで怖いの?」
「ミスト…」
ミストは魔獣を睨んで叫ぶ。
「殺したいんだったらころせば? 死んだら…母さんのところに行けるんだから―――」
パンッ
快音が響いた。
無言で、ミストの頬を平手で殴ったのだ、俺が。
「シード…君?」
頬を押さえて、ミストが放心してつぶやく。
やがて、自分が何をされたのかを理解し、怒りの表情へと変わる、。
そんなミストの様子を、俺は無表情に眺めていた。
「お前がなにをわめこうが勝手だがな。今の台詞は許せねえ」
心の、奥底が痛む。
「亡くなった…大事な者の事を思うのはかまわない。
だが、それに縛られ、それを追って死を受け入れた時点で、人間は終わりなんだよ!」
脳裏に浮かぶ二つの顔。
「死を怖れずに…死を受け入れるというなら―――」
目の前のミストに、俺の…俺自身の姿が重なった。
「勝手に一人で死んじまえ!」
「っ!」
ミストは頬押さえてた手を離すと、きっと俺を睨んで怒鳴った。
「ばかぁっ! あんたなんか嫌い! 大嫌い!」
「うるせえ! 俺だって…」
パシイッ
言い返そうとした俺の頬にミストの平手が決まった。
そして、俺の顔を一回だけ睨むと、ミストは駆け出していってしまった。
「ってぇ…」
俺は殴られた頬を押さえた。
わずかに熱を持っている。
「シード様! 今のは酷すぎます! 私、シード様を見損ないました!」
それだけ俺に言うと、テレスもミストの駆けて行った方へ駆けて行った。
……
「…泣いてたな…あの姉ちゃん」
セイが確認するかのようにつぶやく。
「…ああ」
しばらく間をとって俺は答えた。
セイはにやりとそんな俺を見て、
「やーいやーい、なーかせたなーかせた、せーんせにいってやろ」
「うるさいっ!」
俺は怒鳴ると、セイを殴り倒した。
…泣きたいのはこっちの方だ…
「ひまだなー」
「そーですね」
俺がつぶやくと、テレスが答えた。
次の日
俺は、テレスと二人で当てもなく散歩していた。
ちなみに、ミストとはあれから一言も話してない。
まぁ、マスターが用事があるとかで昨日から学院長と一緒に中央区に行ってるお陰で、色々と追求されなくて助かってるが。
お陰で、俺もテレスも暇人である。
ふと、気になって、隣を歩くテレスに尋ねる。
「テレス。俺の事見損なったんじゃなかったのか?」
「ええ。今でも見損なってますよ」
「じゃあ、ミストのところに行けばいいだろ。家で自分の部屋に閉じこもってるぞ」
「行きました。そしたら、『誰にも会いたくない』って…」
「そうか…」
俺はため息をついた。
「クレイスは?」
「いますよ。だけど、お兄様と一緒に行動する気にはなれません。だから仕方なくこうして、シードさんと一緒にいるんじゃないですか」
呼び方が、『様』から『さん』に変わってる。ま、別にどうでもいいけど。
「そういえば、何でマスターが学院長に呼ばれたか知ってるか?」
俺が尋ねると、テレスは軽く肯いた。
「はい。実は今度、セイルーンから王族の方々がこの街に訪問に来るんですが」
「セイルーン? そりゃまた遠いところからくるんだな…」
聖王都セイルーン…この大陸の隣のファレイス大陸唯一の人間の王都である。
ファレイス大陸とは、人間以外の他の種族が多く住む大陸で、昔は人間の踏み込めない領域だった。
だが二百年ほど前、この俺達の住む『フィアルディア大陸』のすべてを戦火に巻き込み、暗黒時代の幕開けとなった『大戦』が終わった後に、神の子どもと名乗る男が『大戦』で帰る家をなくした難民を引き連れてファレイス大陸に渡り一つの国を作った。
それが聖王国セイルーンである。
「そんなところからなんで…」
「一応、親善のためだといってますけど…どうも、単なる親戚旅行のようですよ」
「親戚旅行?」
「ええ。だから、王族全員で来るんですよ」
「ふーん…って、おい、いいのかよ。セイルーンって言えば、何年か前に国王の弟だかが魔族にそそのかされて反乱を起こしたとこだろ? そんな事があったばかだっのに王族が全員来るのか?」
「大丈夫じゃないんですか? あ、さっき王族全員って言いましたけど、シャイル王子とリセス王女は来ないですよ」「そりゃあそうだろ」
シャイル王子というのはセイルーン国王の長男で、今は武者修業の旅に出ているらしく、国にはいない。
で、リセス王女というのは、金髪碧眼の王族の中で、何故か黒目黒髪で生まれた王女で、『忌み子』と言われていた。セイルーンの王族が使う、『神術』を使えずに逆に、セイルーンの王族は使えないはずの『魔導』を操り、剣の腕もすごいらしい。
さっき言った、『国王の弟の反乱』に一枚かんでいたそうで、事件の後、セイルーン王に追放され、現在行方不明。以来つけられた名が、『セイルーンの魔女』。
「ところで、それでなんでマスターが呼ばれるんだ?」
「脅迫状が届いたんですよ。セイルーンに。アバリチアにきたら殺す…って」
「はぁ? そんなことしてなんの意味があるんだ」
セイルーンは国といってもそんなにたいした力はない。脅迫状の意味が俺には理解できなかった。
「私怨ですよ。差出人、誰だと思います?」
「セイルーンの魔女か?」
冗談めかして俺はいった。
テレスは驚きの表情を見せ、
「あれ? よくわかりましたね」
「って、本当なのか? おい!」
「本当ですよ。もっとも、セイルーン王はいたずらだといって、握り潰したらしいですけどね」
「ふーん、で、学院長は用心のために元傭兵のマスターに警護につくように頼んだわけか」
「はい」
…なるほどね…
「じゃあ、しばらくマスターは帰らないわけだ」
「はい、そうなると思います。なにか不都合でもあるんですか?」
「いや、逆。好都合だ」
「…お姉さまの事ですか? だいたい、何であの時あんな事を…」
「俺は確かにあいつの事をなにも知らない。あいつの気持ちもわからない。だが、それはあいつだって同じだ。俺にだって大事な者を亡くした経験はある。死に安らぎを求めた事もある。だが、それを乗り越えたからこそ俺はまだ生きてる」
…もっとも、乗り越えれたのはミストのお陰かもしれないけどな。
「…だが、あいつはまだ乗り越えてない。悲しみを忘れて、無視してただけだ。だから通り過ぎても、いつかは乗り越えなきゃいけない」
「……」
「あいつが変わったのは、セイの魔獣に食いかけられた時だ。あいつの前にあらわれた具体的な『死』と言う瞬間に自分の母の死が再び目の前に現れたんだろうな。…今回、また通り過ぎたとしても、乗り越えない限り同じ事が起こる。何度でも」
「…でも、ああいう言い方は…」
「あいつは過去から逃げる術を知ってしまった。なら、過去と言う現実をはっきり認識させ、逃げられない様に、乗り越えられるようにしなきゃいけないんだよ」
いいながら、昨日のミストを思い出していた。
何故か…心が痛む。
「ふーん…」
何故かにこにこと、テレスは俺の顔を見上げた。
「な、なんだ?」
「別に、ただ…」
いいながら、テレスは顔を背けた。
「ただ、シード様って、ミステリアお姉さまの事を大切に想っているんですね」
「は?」
「…すこし、嫉けちゃいます」
「ちょっとまてっ! なんでそーなるっ!?」
「いいなあ、ミステリアお姉さま」
「違うっ、誤解だっ! 別に俺はそんな事っ…」
慌てて俺は弁解する。が、テレスは寂しげに笑って、
「照れなくてもいいですよ。お似合いです、二人とも」
嫌みにしか聞こえんぞ、その台詞。
「だから違うって言ってるだろがあっ!」
「そこの痴話喧嘩してる色男」
「だれがだっ」
いきなり呼びかけられて振り向くと、昨日の少年…セイが立っていた。昨日と同じ服装だが、行水でもしたのか髪とか顔とかの汚れが落ちてきれいになっている。
「よう奇遇だね。こんなところで会うなんて」
「…なんでお前、こんなところにいるんだ?」
「そりゃ商売のためさ。東区にはしばらく行けなくなっちまったからな」
「しばらく…? じゃあ、お前、しばらくこの街にいるのか?」
「ああ。人も多いし、法律もないに等しいし、物価も安い。何より…」
と、セイは意味ありげに俺達の方を見て、
「退屈しなくてすみそうだしな」
「どういう意味だ、それは」
「悪気はないから気にしないでくれ」
あっけらかんとセイは言う。
「ところでセイさん。旅してきたんですよね。どこから来たんですか?」
テレスがセイに尋ねた、
「実は俺、この大陸の出身じゃないんだ。隣のファレイス大陸の…名もない村から来たんだ。…それと、さん付けは止めてくれないか? どうみてもあんたと俺じゃ歳はあまり違わないだろ?」
「あたし、十四ですけど」
「じゃあ俺より一個年上か」
「そうなんですか。…じゃあセイ、あたしの名前はテレス=ルーンクレストと言います」
「ルーンクレスト? ってことは、あんたルーンクレスト学園の…」
「院長の孫です」
「へえ。あ、俺はセイ。セイ=ケイリアック。それから…」
セイは昨日と同じように右手をかかげ、軽く息を吸い込み、一息に叫ぶ。
「シャイル=セイン! ルートゥ=メグド!」
かっと光が溢れ、セイの両肩に昨日のドラゴンとフェニックスが止まっていた。
「で、こいつらがスタードラゴンのシャイル=セインとスターフェニックスのルートゥ=メグド。そんでもって、昨日の蒼い魔獣がスタービーストのザルム=フィース」
「シャイル・セインって、魔法語で『輝きの星』って意味ですよね」
テレスが言うと、セイは少し驚きながら肯いた。
「さすがによく知ってるな…ちなみにルートゥ・メグドは『再生の炎』。ザルム・フィースって言うのは『破壊の風』」
セイの言葉に、テレスが頷くが…
俺にはさっぱりわからない。
「セイってけっこう物知りなんですね」
「いやいや、姉ちゃんこそ魔法に詳しいじゃねえか」
「はい。お爺さまから魔色々教わってますから」
…俺を置いてかないでほしいんだが。
あれ? まてよ、そう言えばさっき…
「なあ、さっきあの魔獣の事を、スタービーストって言わなかったか? 昨日はテラビーストとか言ってたような・・・」
俺が聞くと、セイは『よく気づきました』とでも言うような表情でにやりと笑った。
「ああ、実はスタービーストってものは存在しない。っていうか、こいつらホワイトドラゴン、フェニックス、テラビーストを参考に創られたんだ。だから、知名度の高い方で紹介した方がいいだろ?」
テラ ・ビースト
「古代の魔獣なんて、誰も知らないと思いますけど…」
うん。俺も知らない。
「そうか? まあ気にしない気にしない」
「って、ちょっとまてよ。こいつらお前が創ったのか?」
「まさか。これを創ったのは…まあ気にすんない」
朗らかに笑う。一瞬、セイの顔に暗い影が落ちたのは気のせいだろうか?
と、不意に思い出したように。
「おっと、そういや昨日、色男が泣かせた姉ちゃんはどうした?」
「誰が色男だっ!」
「まだ仲直りしてないんですよ」
困ったようにテレスが答える。
「へえ、ならこれやるよ」
と、何処からか、二つのネックレスを取り出した。
一つは赤い宝石。もう一つは青い宝石のネックレスで、宝石に細い鎖をつけただけの物である。それ以外の装飾はされてない。
「通称『恋人たちのアミュレット』」
「なんだそりゃあ…」
ペンダントの通称に俺は脱力した。
「俺の姉貴は『絆のアミュレット』だって命名したけどな。これ、俺の姉ちゃんが創ったんだよ」
「創った? ってことは…」
「そ、マジックアイテムさ。効果はそれをつけているお互いの居場所が分かるって所かな」
つまり、これの片方を俺がつけて、もう片方をミストにつければミストに会いたくない時には避けれる…いや駄目か。結局ミストにも俺の位置は分かるんだし…って、考えてみれば、ミストっていつも俺のそばにいるよな…これじゃ意味ないか…
そこまで考えて、なんとなく気づく。
…そうだよな…ミストっていつも俺の側にいたんだ…
そう思うと、何故かミストが近くにいない事に違和感を感じる。
「…もっとも、二人の心と心が通じ合ってなきゃ行けないとか…言ってたけどな」
「なんだ、それじゃ意味ないな…」
「そんなことありませんっ!」
何故かテレスが力いっぱい否定した。
「お姉さまとシード様の心はつながってるんですっ!」
「お、おい、そういう事大声で言うなよ」
うわ、なんか人に注目されてるぞ、俺達。
だが、テレスはあたりの様子など気づかない風に続ける。
「だって、シード様はお姉さまの事を想ってるし、お姉さまは―――」
だああっ、もうっ、
「と、とにかくこの場から離れるぞ!」
俺はテレスの手を引き駆け出した。
セイも後に続く。
「―――お姉さまは、シード様に出会ってから、元気になったんだもの!」
「……」
俺は公園のベンチに座り、無言で目をつぶっていた。
「あの…シード様…」
テレスの声に目を開ける。テレスがもうしわけなさそうな顔をして立っていた。
「すいません…あの…私、興奮しててその…きゃ、恥ずかしい」
「……」
俺は無言で再び目をつぶる。
「しかし、こういう展開になろうとはねぇ…」
セイの声に俺は目を開け、セイの方を見た。セイはにやにやと笑っていた。
「これから、恋愛バリバリ一直線か?」
「うるさいっ!」
俺は勢いよく立ち上がり、駆けるように歩き出す。
「シード様。どちらへ?」
慌ててテレスがついてきながら、聞いてくる。
「家に決まってるだろ!」
「なにが決まってるんだ?」
セイがついてきながらいちいち目ざとく突っ込む。
「考えてみれば、こんな展開になったのは誰のせいだ? 全部あの馬鹿が自分で招いた事だろが! なら、俺のとるべき行動は一つ!」
「なるほど、あの姉ちゃんにガツン、と言ってやるわけだな」
かってに納得してセイが肯く。
「違う」
俺は一言のもとに否定した。
「じゃあどうするんですか?」
「決まってる。今回の事で、俺は被害者だ」
「わかったぁっ!」
セイがぽんっと手を打ち答える。
「つまりは、心に受けた精神的で甚大な被害に応じた額の慰謝料を有無を言わさずぶん取るわけだな?」
「そのとうりっ!」
俺は勢いよく答え…た瞬間、何かにつまずいた。
「おおっ、と」
何とかバランスを取り転倒を防ぐ…が、いきなり後ろから押され、俺は無様に地面に転んだ。
「いってぇ…」
「お兄さま!」
テレスの声に顔を上げると、確かにクレイスが仁王立ちで俺を見下ろしていた。
「くっくっく…ふわっはっは!」
「クレイス…」
俺はゆらりと立ち上がり、クレイスを睨み付けた。
「…な、なんだ? そんな目をしても怖くないぞ、怖くなんかないからな!」
完全にびびった顔でクレイスは後ずさった。
あたりを見回す。つまづいたのは長い木の棒だった。その両側を、トレンとカリストが握っている。
「シード=ラインフィー! 貴様、ミストを泣かせたそうだな!」
「…それがどうかしたか?」
「迷惑だ! 今から土下座して、許しを請うてこい!」
「はあ? なんでお前が、迷惑するんだ?」
俺が聞くと、クレイスはふっ…と寂しげに笑い、
「ライバルがいなくなるというのも寂しいものだからな…」
「つまるところ、遊び相手がいなくなって寂しいって事か」
「そうとも言う」
胸をはるな胸をはるな。
「まあ、そういうわけで早急にミストの機嫌をとれ! ではさらばだっ!」
言いたい事だけいって、クレイスたちは走り去っていった。
…しかし、そんな事を言うためだけに、俺の足を引っかけたのか?
「くそ…」
俺は毒づきながら拳を固めた。
「どした? シード」
セイが俺の顔を覗き込む様にして聞いてくる。いつのまにか、名前を呼びすてで呼んでいるが、まあどうでもいい事だな。
「こけさせられたぶん、殴り返すの忘れてた」
駅のあたりでテレスと別れ、アパートの前でセイと別れた時には、赤い夕日が沈もうとしていた。
「ミストー」
家に入るなり、俺はミストを呼んだ。
返事はない。
「ミスト、いるんだろ?」
言いながら、俺はミストの部屋をノックした。
返事はない。
「…開けるぞ」
一応そう断ってから、ドアを開ける。
中には誰もいなかった。
「何処行ったんだ…?」
と、ふと手がズボンのポケットに当たった。
「あれ…?」
ズボンの中に何かが入っているのに気づき、俺は手を突っ込む。
「これは…セイの奴の…」
ポケットに入っていたのは、昼間、セイが俺にくれるといった、あのネックレスだった。
受け取った記憶はない。
いつのまにか、セイが俺のポケットに入れたのだ。
「…いつのまに」
俺はため息をつくと、ネックレスの片方―――青い宝石の方を再びポケットに入れて、赤い方をもってミストの部屋に入る。
「別に、ご機嫌取りとかそういうわけじゃなくて、もらいもんだから、くれてやるだけだからな」
一応断って、ミストの机の上に置く。
「ん?」
と、ミストの机の上に手紙らしきものが乗っているのに気づいた。
表になにか書かれている。
「なんだ…? ……遺…書ぉっ!?」
あの馬鹿! なにいきなり早まった事しやがるっ!
俺は遺書をつかむと、そのまま外に飛び出した。
「はぁはぁ…くそ、あの馬鹿…どこ行ったんだ…」
街はすでに薄暗く、街灯を点ける役人の姿がちらほら見えた。
俺はそんな町の中を駆け回り、人に尋ね、いたるところを探し回ったが、ミストは見つからなかった…
「はぁっ…はあっ…くそっ……ぁあっ!?」
唐突に脚に力が入らなくなって、そのまま地面に倒れた。
全力で走りまわっていたのだ…今まで体力が持った方が奇跡だ。
そんな簡単な事さえも、その時の俺にはわからなかった。
「はぁ…はぁ…くそっ、くそくそくそぉっ!」
俺は膝をついて立ち上がると、地面に何度も拳を叩きつけた。
「俺がっ…俺のせいでっ…!」
まただ…また俺は仲間を…仲間の命を奪った…
「シードも、フロアも…ミストも俺が殺したっ! なのに何故、何故俺は生きてるっ!?」
心が痛む…激しく、えぐられるように…
「畜生っ、ちくしょおっ」
叫びながら、俺は俺を傷つけるために地面を殴った。
すでに痛みは感じなくなっていたが、それでも俺の拳は止まらなかった。
ふいに、腕が動かなくなる。
「なにやってるんだよっ!」
誰かに腕を押さえられたと気づくのに少し間がかかった。
「…セイ?」
振り向くと、セイが俺をじっと見ていた。哀れみの混じった眼差しで…
「いったい、どうしたんだよ?」
「……」
俺は、セイから視線を逸らすと、無言で立ちあがった。
「血が出てるぜ、手当てしないと―――」
「いらない…」
虚しい。
さっきまでの激情は何処に行ってしまったのか。
いま俺の心は、虚しさと孤独感で一杯だった。
「どうしたんだ? おかしいぜ」
「ミストが…死んだ」
「なんだと? ちょっと待てよ!」
肩がぐいと引っ張られ、気がつくと目の前にセイの顔があった。
俺はセイから目をそらす。
「ミストが…死んだんだ。俺が殺したんだ…俺が…あんな事言ったから…」
「…死んだって…いつだよ?」
「わからない…お前とわかれて、家に帰ったらミストの部屋の中にこれが…」
俺がミストの遺書を見せると、それをひったくるように奪うと、中身を読み始めた。
「どうして…どうしてみんな死んで、俺だけが…」
「おい…」
遺書を読み終えたセイが顔を上げて、あきれたように俺を見た。
「…白紙だぞ、これ」
「白紙?」
俺が聞き返すと、セイは遺書の中身を俺に見せた。
何も、書かれていない。
「馬鹿にされたんだよ。お前」
あきれた声で、セイが言う。
俺は無言で遺書を捨てると、そのまま駆け出した。
「あ、おいまてよっ!」
セイの声を無視して、俺は全速力で突っ走った。
何故か限界のはずの体は飛ぶように速く駆けていった。
「ミストっ!」
「おかえり。遅かったわね」
ドアを開けて、飛び込むように家のなかに入ると、ミストがにこりともせずに応えた。
震える声で、絞り出すように声を出す。
「今まで何処に…」
ミストは、食卓に座って俺の方を見ようともせずに答える。
「家にいたわよ。…もっとも、あなたが帰ってきた時には父さんの部屋にいたけど」
「おいおい姉ちゃん、そりゃないだろ」
後ろから、セイが入ってきて笑いながら言う。
「この兄ちゃん、さっき死ぬほど悔やんでたんだぜ。昨日の台詞」
セイの言葉に、ミストはセイの方をきっと睨んで言い捨てた。
「ばっかじゃないの。人に死ねって言っといて、本当に死ぬと思ったら馬鹿見たいに必死になってさ」
「ミストっ! お前!」
「なによっ!」
俺がミストの前まで来ると、ミストはがたんと椅子を蹴って立ち上がった。
憎しみのこもった眼差しで、俺を睨む。
「憎い、あたしが? あたしは憎いわよ、あんたなんて!」
怒り、憎しみ、そして苦しみ…
そのすべてが俺に向けられ、俺にぶつけられる。
「あたしが憎いでしょ! だったら、あたしを殺しなさいよ! わかってるわよ! あんたが暗殺者だって事―――」「ミストっ!」
俺はミストの肩に手をかける。
一瞬、ミストはびくっとしたが、やがて再び憎しみを俺にぶつける。
「へー、あたしを殺したいほど憎い? 暗殺者! 殺せるものなら…」
「よかった…」
俺はミストを抱きすくめた。
「なっ…!?」
「良かった…本当に、よかった…」
涙が溢れる。
「生きてて、生きててくれてよかった…」
心の中の虚しさが消えていく…
俺は止まる事の無い涙を流しつづけ、俺はミストのニオイとぬくもりを感じていた。
「まったく…」
ミストは困ったように嘆息した。
「どうでもいいけど、今度あたしを探す時にはちゃんと靴を履いてよね、床が汚れて仕方ないわ」
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B【セイルーンの王族】