第六部 約束の連休最終日 ・・・あるいは西村幸治の長い長い一日。

 

あるひ、あるとき、あるばしょで。

「え〜と・・・海原海原海原・・・」

幸治は呪文のように「海原」をしつこく何度も唱えていた。

電車の中である。

電車の中は、冷房が壊れてるためか蒸し暑く、そのせいか乗客の数はかなり少ない。

が、幸治にはぜんぜん関係なかった。

時刻は十二時を少し回ったところである。

綾の強引な説得で、幸治は交通事故のあった翌日に退院していた。

・・・綾の強引な説得

「あたしの宿題のために幸治が必要だからもらってくわね! ・・・絶対安静? 関係ないわよ。だって幸治なんだもの。ほらっ、幸治、大丈夫よね!」

酷い幼なじみだこと。

困った医者は患者のただ一人の肉親に助けを求めた。ところが・・・

「いやあ、頑丈に育てといてよかったよかった。これで入院費がうかるなあ」

ひでえ父親。

もっとも本人もぜんぜん気にしていのも問題だが。

まあとにかく、昨日の午後と今日の午前中を使って、綾の(ついでに自分のも)宿題を終わらせた幸治は、一人で海原町にむかっていた。

綾とは別行動である。

綾曰く。

「いーい? これはあんたへの罰なんだからね! がんばって一人できなさい!」

「・・・なんか、綾って母親みたいだな」

これは幸治の感想。言った瞬間、空手二段の実力を見せつけられた。

もっとも、顔を赤くしていたのは怒りのせいばかりではなかったように思えるが。

ま、幸治を殴ったのは照れくさかったからだろう。

・・・照れ隠しに空手の技を使う女って言うのも恐いが・・・

「海原海原海原海原海原・・・」

本人は気にしてないようである。

いや、それどころか覚えてすらないんじゃないだろうか。

「海原海原海原海原海原海原海原海原海原海原・・・」

しかし、ぶつぶつと同じ単語を繰り返しつぶやいている幸治って思いっきり不気味なんではないだろうか。

と、思いきや。

何と同じぐらいかそれ以上怪しい奴がいた。

幸治とは離れた席に座っている男(暫定)で、時折幸治のほうをこっそり伺っている。

それだけならまだしも、その格好がすごい。山高帽にサングラス。なおかつ口にはマスクをして、偽装のためかたまにおもいだしたように咳をして風邪のふりをしている・・・が、不自然すぎてばればれである。

そしてきわめつけが長くて厚い外套と首に巻いているマフラーである。

今は八月である。

この電車、故障のためか冷房がほとんど効いていない。

暑くないんだろうか?

『海原〜海原〜・・・』

車掌が駅の名を告げる。

「よし!」

幸治は自信たっぷりに立ち上がり、そのままドアの前に出る。それにつられて怪しい男も立ち上がった。細いからだの割に結構背が高い。

やがて、電車は止まり、幸治の目の前でドアが開く。

「・・・・・・」

しかし、幸治は無言で立ち尽くしていた。

「・・・?」

怪しい男がふしんそうに(かどうかはわからないが)幸治を見る。

幸治は呆然とつぶやいた。

「・・・なにするんだったっけ?」

忘れるか? 普通。

なんか知らんが怪しい男もこけてるぞ。

「う〜ん・・・・どうするんだったっけ・・・?」

「・・・・・・」

怪しい男は、起き上がると幸治の背後に立つ。

そしてそのまま幸治の後ろからタックルを仕掛ける。

「のわ?」

強い衝撃を背に受けて幸治はプラットホームに転げ落ちた。

「いって〜・・・」

怪しい男もプラットホームに降りて、幸治を無視してそのまま改札に向かう。

「なんなんだ?」

打ったところをさすりながら幸治は立ち上がった。

その後ろで電車のドアが閉まる。

幸治はしばらくぼうっとしていたが、やがて手を打って。

「そうだ、確かこの町で綾と待ち合わせをしてたんだっけ」

転んだショックか、やっと思い出したようである。

幸治は思い出すと何とか改札口をクリアして、駅の外に出た。

「あー・・・・・・っと」

幸治は軽く伸びをした。その後ろでさっきの変な奴が陰に隠れて幸治のほうを見ている事には気づいていない。

・・・もっとも、幸治以外の辺りの人間には思いっきり注目を浴びていたりするが。

「さて!」

幸治ははっきりと何かを区切るように声を吐くと、辺りを見回した。

そして一言。

「・・・何しにきたんだっけ?」

変な奴は盛大にすっころんだ。

「んーと・・・」

幸治はしばし考えて、やおら本能的というか習性的にメモ帳を取り出す・・・

「ん?」

なかった。

いつも習性的に持ってきてあるはずのメモ帳はどこにもなかった。

「・・・あれぇ?」

あれぇじゃないぞ、鳥頭。

メモ帳がなければおまえなんぞ、何もできないじゃないか。

幸治はほとんど欠片すらない記憶力を総動員して必死で思い出そうとした。

「・・・たしか・・・」

かすかに綾の顔を思い出す。

「そうだ、綾と約束が・・・」

そこまでいってふと疑問が浮かぶ、

「綾って誰だっけ?」

またかおまえは!

もうこけるのにも疲れたのか、変な奴は深く長く嘆息しただけだった。

「とりあえず、誰かと約束したんだったよな・・・」

そこまで思い出しただけでもこの男には奇跡的な所業なのかもしれない・・・

「なにを約束したんだっけ・・・?」

幸治はつぶやくと、再び辺りを見回した。なにかヒントを探すかのように。

と、観光客か、親子連れが談笑しながら通りかかった。

「ほうら、ここから歩けばすぐ海だぞお」

「海ぃ?お魚さんがたくさんいるところだよね!」

「そうよ。これからお魚さんがたくさんいる、水族館にもいくのよ」

「わあ、楽しみだなあ」

幸治はそんな親子三人連れの会話を聞くとも無しに聞いていたが、やがて手を打つ。

「そうか」

そうだ

「海にいくんだったっけ」

ちがうぞ、びみょーにちがうぞ。

「よし! 海にいくか!」

宣言してはたと気づく。

「海ってどこだ?」

 

ざざーん…

「海だ…」

ざっぱーん、ざざーん・・・

PM0:30

幸治は白波押し寄せる、海にいた。

夏で連休だというのに、人はあまりいなかった。

海の行き方は駅の署員が快く教えてくれた。

もっとも、駅から海までは一直線である。

いくら幸治でも、迷う訳がなかった。

もっとも、幸治は物忘れが多いだけで、方向音痴という訳ではない。

・・・まあ、「海にいく」という事すら何度か忘れかけたが・・・

「さて・・・」

幸治は手元で開かれたメモ帳を見てつぶやいた。

メモ帳はいつも幸治が愛用しているものではなく、途中のコンビニで買ったものである。

「・・・こんなところに来てなにしようとしてたんだ、俺は?」

幸治は頭を抱えた。

メモ帳の開かれたページにはただ一言、『海』とだけでかく書かれていた。

「うみにきたぞぉぉぉぉぉぉおっ!」

とりあえず吠えてみた。

しかし取りたてて変化はない。

近くで遊んでいた子供がびっくりして逃げただけだ。

「・・・」

幸治は遠い目で海の向こうを見た。

「むなしい・・・」

そりゃむなしいわなぁ

「ねぇねぇ、変なお兄ちゃん」

いきなり、一人の六歳ぐらいの子供が幸治のズボンを引っ張る。

「なんだい」

変といわれた事も気にせず、幸治はしゃがみこんで子供と同じ目線にする。

「これー」

子供は一枚の紙を差し出した。

「なに?」

「変なおじちゃんが渡せって」

「変なおじちゃん・・・?」

幸治はまわりを見回した。

と、海とは正反対の、砂浜が途切れ、コンクリートの道上にこちらを伺う、コート姿の怪しい男を見つけた。

電車の中から幸治をうかがっていたあの男である。

・・・あれか?

ほかに『怪しい』という形容詞に該当するような人間はいない。

と、幸治が気づいた事に気づいたのか、怪しい男はきびすを返すと、慌てて駆け出した。

「?」

幸治は追いかける事もせずに、男を見送ると、手もとの紙を広げてみた。

「・・・なるほど」

そこに書いてある文章を見た幸治は何と無くわかった気がして、にやりとした。

そんな幸治のズボンを、手紙を持ってきた少年が引っ張って、

「ねー、ちゃんとわたしたからねー」

「ああ、ありがと。助かった」

幸治が微笑んで言うと、少年は手を振りながらいってしまった。

「さて・・・と」

幸治は手紙をポケットに突っ込むと歩き出した。

手紙にはかすかに見覚えのある字で一言。

『水族館へ行け』とかかれてあった。

 

「遅いじゃないの!」

幸治が指定された水族館の前までくると、綾は開口一番文句を言った。

そんな綾を幸治は笑いながら黙って見つめた。

体中汗まみれで、なぜかかなり疲労しているようだ。

「な、なによ・・・」

「いやべつに。ただ、綾も今来たばかりなんじゃないかと思ってさ」

「は、はあ? そんなことないわよ」

焦ったようにそういって、そっぽを向く。これでは肯定しているようなもんである。

幸治はくっくっくと笑いながら。

「どうでもいいけど・・・」

「なによ!」

綾は幸治よりも高い目の高さで睨み付けた。

「シークレットブーツも脱いだほうがよかったんじゃないか?」

「え・・・」

言われてやっと気づいたようである。

綾は顔を真っ赤にして慌ててしゃがみこんだ。

スカートがふんわりと沈み、ブーツも隠れるが、だからといってどうなる訳でもない。

「・・・よく気づいたわね」

綾はしゃがんだまま幸治を見上げていった。

「なんとなくな。・・・っていうか、俺に『水族館へ行け』なんて指示を出してくれるのは綾ぐらいしかいないじゃないか」

にっこり微笑んで幸治。だが、綾はじと目で、

「あたしの事忘れかけたくせに・・・」

微笑みが凍りつく。

「まったく…駅で、『綾って誰だっけ?』なんて台詞を聞いたときには、本気で抹殺してやろうかと思ったわよ」

「じょ、冗談、冗談だってあれは」

うそこけ。本気で忘れてたろーが。

綾は静かにため息をついて、立ち上がった。

「まあいいわ、いつもの事だし」

「そうそういつもの事だし」

「あんたが肯くなっ!」

と、綾は叫んでから気づいた。自分らがかなり注目を浴びている事に。

「・・・ほらっ とっとと行くわよ」

綾は赤面しつつ、幸治の腕を引っ張って水族館の中へと入って行った。

 

水族館の中はかなり涼しかった。

綾の機嫌もかなりよくなったようだ。

周りの目も気にせずに子供のようにはしゃぎまくった。

「わ、すっごーい! 大きな魚」

「あ、あの魚かわいー」

「あれぇ? 変な魚。なんていう魚かなぁ?」

幸治はガラスの水槽に張り付いて、歓声ばかり上げている綾を見てただ微笑んでいた。

微笑みながら、頭の中では、

・・・そういやなんで俺って綾に付き合ってこんなところにいるんだっけ?

とか疑問に思って、鳥頭ぶりを発揮していたが、

「幸治、幸治」

綾に呼ばれて、幸治は頭の疑問を打ち消した。

・・・ま、綾は喜んでるようだし、どうでもいいか。

「ねぇねぇ、シャチのショーがあるんだって。見に行こうよ」

「あ、うん。・・・それにしても」

「? なに?」

「綾って魚好きなんだな」

幸治がいうと、綾は露骨に不機嫌そうな顔をしてため息をついた。

「あんたねぇ・・・」

「え? なに? 俺、なんか悪い事聞いた?」

焦ったように幸治が聞くと、綾は幸治の鼻先に指を突きつけて、

「今日これであんたのその質問、二十三回目よ! 二十三回目!」

「え・・・そうなの?」

幸治は指を突きつけられたまま、ひきつった笑いを浮かべた。

それとは対照的に幸治を綾は睨み付けた。

「ぷっ、ふふっ」

と、不意に綾は吹き出す、

「え?」

「あはははっ、でたらめに決まってるじゃない」

「え? なんだ・・・」

「ほんとは五十回以上よ」

さらりといわれて、ほっとしかけた幸治の動きが止まる。

「ま、気にしちゃいないけどね」

「・・・ほんと?」

「こんなの気にしてたら、あんたの幼なじみなんかやってらんないわよ」

ごもっとも。

「そういわれればそうだなあ」

「だから、あんたがゆーなっ!」

「あっはっは、でも、なんで魚が好きなんだ?」

再び聞かれて、綾はため息をつきながら答えた。

「・・・あたしの父さんの実家がこの町の漁師で、小さいころから釣りとかにつれてってもらってたからじゃないかなあ・・・たぶん」

「ふーん・・・」

「この近くにおじいちゃんたち住んでてね、今日着てきた変装用のコートもそこにおいてもらってるの」

「で、シークレットブーツはいまだ履いてると・・・」

「もう! いいじゃないそんな事。早くいこ、ショーが始まっちゃうよ」

怒った綾は行って歩き出す。ちなみに、替えの靴はないので、今もシークレットブーツは履いたままだ。

「しっかし、よくシークレットブーツなんてものあったな」

変なところに感心しながら、幸治は綾の後ろを追う。

「怒るなよ、綾」

「怒ってなんか・・・」

振り向いた瞬間、綾の足がつまづく。

「あ・・・」

「え?」

そのまま綾は幸治のほうに倒れ込み・・・

「んっ・・・!?」

「・・・」

二人の唇と唇が触れ合う・・・

「き・・・・・」

「わっ」

綾は慌てて幸治を突き放す。

そして

「きゃあああああああああああああっっっ!!」

「・・・・・・」

顔を真っ赤にした綾の正拳突きを顔面にもろに食らって、幸治は声もなく地に沈んだ・・・


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第七部 存在しないはずの弟との邂逅、再び・・・あるいは、西山幸治、昭の運命の分岐点。