第五部 閑話休題、連休二日目の病院 ・・・あるいは西村幸治の式条綾との約束。

 

あるひ、あるとき、あるばしょで。

幸治は白い部屋で目が覚めた。

病室である。

幸治はベッドに寝かされていた。

「・・・つっ」

頭がやけに痛む。

ここは、綾に殴られた場所だったか?

「お〜う、起きたか我が息子」

唐突に変なおっさんが医者と看護婦と共にはいってきた。

「なにほっとした顔してんだ。肉親の顔を見て安心したか」

変なおっさん(どうやら父親らしい)が豪快に笑いながら言う。

看護婦はそんな父の顔をにらみつけて、

「息子をひき殺しかけといて、よくそんな事が言えますわね」

・・・俺をひいたの親父だったのか・・・

幸治は文句の一つでもいってやろうと思ったが止めた。

この父の事だ。「なあに生きてるんだから大丈夫大丈夫」とか言うに決まってる。

案の定。

「なあに頭打っただけで、ほかはたいしたことないから大丈夫大丈夫」

「やっぱな・・・」

「ん? なにかいったか息子よ?」

「別に・・・」

疲れたように言って、幸治は身を起こした。頭は痛むが激痛というほどではない。

「まてまて、奇跡的に頭打っただけで助かったとはいえ、まだ安静にしてなければ・・・」

と、医者の話に無理矢理父が割り込んでくる。

「おお、そう言えばさっき綾がきていたぞ」

「綾が?」

「お? 綾の事はちゃんと覚えていたか。父の事は忘れてたくせに」

「何でわかったんだ?」

「馬ぁ鹿、何年貴様の父をやってると思ってる。・・・今から走って出口にいけば追いつけるんじゃねえかな?」

その台詞を聞くと同時に、幸治はベッドから飛び出した。

「あ、安静にしてなくては・・・」

医者と看護婦が止めに入るが、親父が両腕を広げ二人とも押さえる。

「親父・・・」

「いけ」

幸治はこくんとうなずくと、病室を飛び出した。

「親父の奴・・・なんでも知ってるって風に言いやがって」

口元がにやつく。

幸治は直感的に、階段を降り出口へと走る。

記憶力に疎いぶん、こういう時の直感はすごいのだ。

頭は痛むはずだがそんな事気にしてなかった。

なにより、忘れるのは幸治の十八番である。今は痛みを忘れていた。

人と人の間を風のように駆け抜ける。

そしてやがて出口が見え・・・

「綾っ!」

「え?」

綾が驚いて振り返る。

幸治は走ってきた勢いのまま抱き着いた。

「きゃ、きゃああああっ!」

綾は全力でふんばる。

何とか転倒は免れた。

「ちょ、ちょっと、はなれなさいよ」

「ご、ごめん。ちょっと走ってきたら疲れちゃって・・・もう少しこのままでいさせてくれないか?」

「いいわけ・・・」

言いかけて綾はふと気づいたように。

「あんた、車に跳ねられたんじゃなかったっけ?」

「うん、もう大丈夫。頭少し痛むけどな」

「あっそ・・・ところでいい加減離れてくんない?」

「ああ・・・ごめん」

幸治は慌てて離れる。

「それで? なんのよう?」

不機嫌な顔で綾はたずねた。

「なんのようって・・・」

ここで幸治はしばし黙考。

「・・・なんのようだっけ?」

「・・・」

はあ・・・と綾はため息をついた。

「おとといの事で謝りに来たんじゃない?」

「おお! そうだった気がするぞ。・・・よく分かったな、綾」

「・・・まあね。付き合い長いもの」

なにかあきらめるように綾はつぶやいた。

「で・・・?」

「許してあげないわよ」

きっぱり

「未遂とはいえ、襲いかかってきた事には違いないものね。あたしが空手二段の腕前を持っていなければどうなってたかわからなかったわよ」

「空手二段・・・」

これから綾は怒らせないようにしようと誓う幸治であった。

もっとも九十九パーセント不可能だが。

「でも、ま・・・」

あらゆる意味で青ざめた幸治の顔を見て綾はくすりと笑った。

「結局は未遂で終わったしね、条件付きで許してあげてもいいわよ」

「ほんと!?」

幸治は顔を輝かせたが、すぐに曇らせる。

「で・・・条件って言うのは?」

綾はにんまりと笑って、

「ひとつ、今日と明日あたしの宿題を手伝って、終わらせる事」

言われて幸治はほっとした。

「それぐらいなら何とか・・・」

自分が絶対安静の身だという事をすっかり忘れている幸治である。

「ひとつ、明日の午後一時、隣の海原町の水族館前に忘れずにくる事」

「え・・・? ・・・それはちょっと難しいかも」

「ひとつ」

不安げな幸治を無視して綾は続ける。

「水族館での入場料など、全部あんたのおごりね」

「あれ、それって・・・?」

デートである。

「俺も水族館に入るの?」

気づけよ馬鹿野郎。

綾は少しあきらめた様にため息をついた。実は幸治の慌てた顔を見たかったのだが・・・

まあこいつにそんな事を期待するのも無駄だわな。

「そうよ」

こともなげに幸治は言った。

「へえ、それってデートみたいだな」

おおっ、気づいていたのか!?

綾もそうとうびっくりしたらしく、目をぱちくりしてたっぷり一拍おいて答える。

「そ、そうね」

綾はそういうと、幸治に背を向ける。

「じゃ、あたし先に帰るから。約束どーりくるように!」

「・・・できれば、もう少しついててほしい・・・」

「え・・・?」

なぜか頬を赤らめながら綾は振り返った。

「なんか、忘れそうだし・・・」

というか、すでにどこへ行くか忘れてたりする。

そんな幸治に、綾はどこか残念そうに、あるいはほっとしたようにため息を吐く。

「はいはい、そんな事だと思ったわよ」

なぜか怒ったように綾はじと目で幸治を見る。

「そんな事言ってたら、これから先どうするのよ?」

「う〜ん・・・これからもずっと綾についててもらえばいいなあ・・・」

「ば、馬鹿、なに言ってるのよ!・・・ほら、いくよ。とりあえず退院しますって断っておかないとね!」

また顔を赤らめて綾は強引に幸治の手を引っ張って病室へ向かう。

「・・・なに怒ってるんだ?」

本気で不思議そうに幸治はつぶやいた。

しっかし、昨日まで出産だあ責任だあといっていた奴とは思えんな。

やはり自分に問題がなければそれでよしな男なのである。この男は。

 


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