第27章「月」
A.「一方、その頃」
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character:ベイガン=ウィングバード
location:バロン城
ベイガンは上機嫌だった。
その日、夜が明ける前から登城した彼は、いつになくにこやかな微笑みを浮かべていた。
普段、しかめっ面―――とまでは行かないが、真面目に表情を引き締めている。
それが、にこにこにこにこと緩い笑みを浮かべ続けているのだ。「・・・どうなされたのですか?」
同じく朝の早いクノッサスが、そんな不気味―――もとい、機嫌良さそうなベイガンを見つけ、ぎこちなく声をかける。
ぎこちなくなってしまったのは、今言った言葉の最初に「頭が」と付けそうになったからだったりする。だが、機嫌の良いベイガンはそんなぎこちなさには気づかず(いや、おそらく普段でも気づかないだろうが)、クノッサスを振り返る。
「おお、これは導師。おはようございます」
「おはようございます。それで、機嫌が良いようですが・・・?」クノッサスの言葉に、ベイガンは「ぐふふふふ」と不気味な笑い声を上げる。
まさか魔物の因子が原因で気でも狂ったのかと思い、いつでも逃げられるように身構えていると、ベイガンは笑い声に続けて答える。「ええ。自分で言うのもなんですが、とても上機嫌です。なにせ久しぶりの登城ですからな!」
「ああ・・・」エブラーナの王子との “決闘” で、死のうとしたベイガンにマジギレしたセシルは、彼に対して城下での謹慎を命じた。
近衛兵長として、王の身を守ることが人生そのものとも言えるベイガンにとって、それは首をはねられるよりも重い罰だっただろう。それが今日、ようやく謹慎を解かれたのだ。
ベイガンがかつて無いほど上機嫌になるのも頷ける―――が。しかし理由を聞いて、クノッサスは暗澹たる気持ちになった。
何故なら彼は知っていたからだ。今、この城にベイガンが守るべき王がいないことを。「・・・あの、ベイガン殿。とても申し上げにくいのですが」
「なんでしょうか?」
「う・・・っ!?」にこにこにこにこにこ、と顔つきが変わるほどの笑みを向けられ、クノッサスは思わず顔を背けた。
正直、この場は誤魔化して逃げ出したい衝動に駆られる―――が、ベイガンほどではないが、クノッサス=アーリエも誠実な男だった。この場を誤魔化しても、いずれはすぐに解ってしまうことだ。ならば早いうちに教えて上げるのが人の道というもの。クノッサスは決意を固め、ベイガンへと告げる。
「実は今、陛下はこの城に居られないのですよ」
「・・・なんと? 今、なんと仰られた!?」ベイガンから笑みが消え、いつもの真面目な表情へと戻る。
安堵感と、相手にとって悪い事実を突き付けたことに対する罪悪感を半々に感じつつ、クノッサスは説明した。「ふむ。月へ行くための手段を調べるため、エンタープライズでミシディアに・・・」
「 “デビルロード” が使えたならわざわざ飛空艇を使う必要もなかったのですが」現在、デビルロードはダムシアンと新しく接続し、その実験だか調整のために使用不可となっている。
今日の昼頃には調整が終わる見込みだが、それまではミシディアに行くには船か飛空艇を使うしかない。「まあ、それならば仕方在りますまい。陛下も長くバロンを留守にする気はないでしょうし、今日か明日にでも戻ってくることでしょう」
「思ったよりも冷静ですな」クノッサスがそう言うと、ベイガンは苦笑する。
「今更、陛下が居ないくらいで取り乱したりはしませぬ。陛下が城を抜け出してどこかへ行くなど、日常茶飯事で―――」
言いかけて。
ふと、ベイガンは不意に怪訝な表情をする。
何か、自分の言った言葉に引っかかりを覚えたのだが。「どうなされた?」
「・・・・・・いえ。まあ、何はともあれ、デビルロードが復旧したら迎えに行けばいいですし」そう言って、ベイガンは穏やかに笑う。
さっきまでのような気味の悪い程の上機嫌では無くなっていたが、それでもまだ機嫌は良いようだった。―――そう。まだ、この時まではベイガンの機嫌は良かった。
後でデビルロードが復旧し、セシル達が乗った魔導船がいきなり空の彼方に消え去った、などという報告を聞くまでは―――