第24章「幻界」
B.「戦いの意志」
main character:リディア
location:幻界への扉(イメージ)
リディアの閉じた眼前には懐かしい生家の扉。
鎖でがんじがらめに封じられたその扉は、リディアがイメージする、こことは違う世界――― “幻界” へと続く扉だ。それは幼い頃にもイメージした扉。
しかし、あの頃とはイメージの意味が違う。
幼い時は、単に馴染みのある扉をイメージしただけだった―――が、今はその逆だ。すでに故郷は遠く、二度と帰る事があるかも解らない。
帰ったとしても、おそらくボムの指輪によるボムボムたちの暴走で、生家は焼け落ちてしまっているだろう。
二度と開くことは敵わない、断絶の扉。
ゆえに、幼い頃よりも強固に鎖で封印されている。(まずはこれを解かなきゃ、幻界へは行けない・・・!)
幻界へ行くには、他にもルートはある。
リディア達が幻界からこの現界に戻ってきた時と同じルートを辿れば、確実に幻界へたどり着けるだろう。
だが、それでは時間がかかりすぎる。そうなれば間違いなく手遅れとなり、ロックの “生命” は星に還り、復活させることは永遠に不可能となってしまうだろう。だからこそ、セリスやブリットの秘める “幻獣” のエッセンスを使って、直接的に幻界へ跳ぼうというのだ。
帰巣本能というわけではないが、幻獣としての要素はそのまま、幻獣達の住む世界である幻界に通じるものがある。リディアはそれを利用して、幻界への道を見いだした。だが、現界と幻界の間には “魔封壁” という壁がある。
その壁をリディアがイメージしたものが、目の前の鎖に縛られた扉というわけだった。(前回はお兄ちゃんが助けてくれた・・・)
リヴァイアサンを元の世界へと帰すために見いだした幻界への扉。
しかしその扉を開ける力はリディアにはなかった。
ブリットやボムボムの力を借りて、けれどそれでも駄目で―――そこへバッツが助けに現れた。それは通常では有り得ない―――奇跡と呼ばれる類のモノだ。
魔道の素養すら持たないバッツの思念が、リディアの所まで届いたのは単なる奇跡だ。
そして、奇跡というモノは何度も起こらないからこそ奇跡と呼ばれる。(今回はバッツの助けは期待できない―――ううん、期待しちゃいけない・・・!)
あの時とは違う。
幼くてちっちゃくて力が無くて。大好きな人を助けることも出来ず、一人ではなにも出来なかったあの頃とは違う。セリスに言ったことは本音だった。
ロックを救おうとしているのは、何もロックのためではない。ましてやセリスのためでもない。こういう時のためにリディアは幻界で修行して力を得た。
誰かを助けるために。何かを守るために。
もう、力が無いと嘆いて、大切なものを失わなくて済むように―――そのために。(あたしは、強くなったのよっ!)
今ここで、その力を発揮しなければ強くなった意味がない!
リディアは力強く意志を持って、彼女はイメージの中で目を見開く。
眼前に立ち塞がる扉を睨み、精神を集中させる。扉を開く方法―――封印された鎖を断ち切る術は、すでにリディアは持っていた。
「その剣は必殺の剣―――」
呟く。
それは全てを断ち切る技を持つ存在を呼びだす詠唱。
かつて幻界への扉を切り開いた、バッツ=クラウザーと同じにして異なる秘剣を知る騎士王。(オーディン・・・! あれなら、封印を断ち切れる!)
「剣を知り理を―――」
と、そこまで詠唱をして、リディアの背筋にぞくりと寒気のような戦慄が走る。
(くっ・・・また―――)
脳裏にオーディンに “殺された” 時の事が蘇る。
殺されたのは一瞬。しかも仮初め―――だったと思い込もうとしても、心の中のトラウマはそう簡単に消えてはくれない。「・・・・・・っ」
それ以上続けることは出来ず、詠唱は止まってしまった。
ただひたすらに怖かった。
かつて自分を殺した存在を、己の意志で呼びださなければならないということが怖かった。(しっかりしなさいよ、あたしっ!)
叱咤する―――が、それで拭いさることができる程度の “恐怖” ではない。
(なんでよ!? あたしは強くなったはずでしょ! こう言う時、無力を感じずに済むように強くなったんじゃ―――)
―――変わってないよ、お前は。
不意に、いつか言われた言葉を思い出す。
それはリディアが大好きな人の言葉。
再会した時に、言われた時の言葉だ。それはリディアは成長していないと侮蔑した言葉ではない。
リディアが昔から変わらぬ強さを持ち続けていると、彼は言ってくれたのだ。
(変わらない、か・・・)
幼い頃の事は、もう朧気にしか覚えていない。
ただ、自分一人ではなんにも出来なかったといった、無力感だけが印象に残っている。(でも―――)
逆に言えば、誰かの力を借りれば、幼くて弱っちくってちっちゃなリディアでも、出来ることがあったということだ。
そしてそれができたのは―――“戦いの意志”
バッツが口にした単語だ。
戦うための意志。何かに立ち向かい、挑むための勇気。
自分が幼いとか、力が無いだとか関係ない。
ただ、自分がやるべき事を見いだしたなら、そのまま踏み出すための意志。「―――その剣は必殺の剣」
不意に、リディアは再び詠唱を始めていた。
無意識のうちに口から零れた呪文に、自ずと驚きながらも、しかし停滞させることなくそれを続ける。「―――見るは剣、見切るは理(ことわり)・・・・・・」
オーディンに対する恐怖はまだある。
今すぐにでも詠唱を止め、召喚することを諦めたいとすら想う。けれど―――
「―――剣を知り理を知り、剣技剣斬の全てを知る!」
(あたしはまだ “戦って” すらないっ!)
オーディンには立ち向かう間もなく一瞬で “殺され” ―――そのままだった。
幼い頃の自分は、少なくとも無力なりに立ち向かおうとしていたはずだった。
“最強” の旅人であるバッツ=クラウザーが打ちのめされたほどに、意志の力だけは誰にも負けてはいなかった。「―――故に斬断を必然と成す騎士たる王、王たる騎士!」
(負けたくない・・・!)
いつしかリディアは詠唱と共に “想い” を絶叫していた。
それはかつてありし自分への想い。
最早、よく覚えていない、弱っちくてキライだった自分への想い。兄が認めてくれた “強い” リディアという名の少女への―――
(あたしは自分に負けたくない!)
「我が元に来たれ!」
オーディン
詠唱を完結した瞬間。
リディアのイメージの中に、別のイメージが上書きされていく―――
******
かつて、バッツの思念が助けに来てくれた時、幻界への扉―――リディアの実家の扉しかなかったイメージの世界は一変し、風が吹き、青空が広がる草原へと塗り替えられた。
しかし今回は違う。
周囲を石を積み重ねて作られた壁や床が形成し、それはまるでバロンの城の中の情景だった。
石を組み合わせ作られた “城内” にはあちこちに松明が掲げられ、周囲を薄暗く照らし出している。そしてリディアの眼前には―――
「私を呼んだか―――召喚士の娘よ」
「・・・!」巨大な馬にまたがった、全身を甲冑で包んだ騎士王が存在していた。
馬上から見下ろしてくる甲冑に、恐怖に震える身を必死で抑えながらも、リディアはオーディンをにらみ返して、己の気力を総動員して言葉を放つ。「・・・リディア、よ!」
「む?」
「あたしの、名前」怖い。
と、素直にリディアは思った。
目の前にいる存在は、なんの苦労もせずにあっさりとリディアを屠ることができる。
抵抗することも無意味だ。リディアが魔法の一つを唱えるよりも、オーディンの刃がリディアを貫く方が圧倒的に速いだろう。それでも、彼女は真っ直ぐにオーディンを見返す。
恐怖のあまり、瞳に涙を潤ませながらも、かつての自分を思い返しながら、必死でその場に踏みとどまった。
幼い “リディア” は、怖いと思っても、泣き出したとしても、絶対に退こうとはしなかっただろうから。(だったら、あたしだって負けられないじゃないのっ!)
自分を殺した存在を見返し続ける。
それは永遠に続くと思われた長い時間のように感じられたが―――実際は一瞬にも満たなかった。ふむ、とオーディンは頷き、彼は馬から降りると、リディアの目の前に跪く。
「―――失礼した “リディア” 」
高みから見下ろすのではなく、目線を同じ位置にして―――対等であると示したのだろう―――彼は名前を呼ばぬ非礼を詫びた。
解ればいいのよ―――と、リディアは言おうとしたが、言葉には出来なかった。
下手に見栄を張る余裕はない。相手はこちらを対等として見てくれているとしても、まだまだ圧倒的な威圧感はある。
自分の意志が挫けてしまう前に、さっさと用件を済ませるべきだと判断して。「あの・・・」
「解っておる」リディアの言葉を遮り、オーディンは背後を振り返った。
そこには、幻界へと続く鎖に縛られた扉がある。その扉だけはまだリディアのイメージのままであり、城内の風景に民家の扉という、なんともミスマッチな光景だった。「斬ればよいのだろう?」
オーディンの言葉に、リディアは声無くこくん、とだけ頷いた。
リディアに背を向けているはずのオーディンは、しかしリディアの仕草を見ていたかのように「承知した」と頷き返すと。
「ミストルティン」
己の剣の名を呼び、光と共に神剣がその手の中へと現出する!
その剣を両手で握り、大上段に振りかぶると、そのまま扉へと大きく一歩を踏み出すと―――
斬鉄剣
―――振り下ろした剣は、扉に届いていない・・・・・・ように、リディアには見えた。
何故ならば、なにも “音” がしなかったからだ。
鎖を斬る音も、鎖がぶつかる音も、剣が空を切る音すら、リディアには聞こえなかった。「ちょっと―――」
―――何をやっているのよ、とリディアが思わず口にしかけたその瞬間。
じゃららららららっ、と、扉を縛り付けていた鎖が縦一文字に断斬される。
口を「と」の形にして開けたまま、呆けたように動きを止めるリディアの目の前で、扉を覆っていた鎖はいとも容易く地面へと一つ残らず落ちてしまった。「うむ―――」
と、己の断斬の結果を満足げに頷いた後、オーディンはリディアを振り返る。
「これで良いかな?」
「・・・・・・」なんてことでもないように聞いてくるオーディンに、リディアは数度こくこくと頷きを返す。
それを見て、オーディンはさらに満足そうな笑みを浮かべた―――甲冑で顔も覆われているために表情は見えないはずだが、なんとなくリディアは彼が満面の笑みを浮かべているように思えた―――後、その手にしていた神剣を光の粒子と変えて消失させ、「それでは私の役目は終わったか? それとも他に力が必要かね」
「いえっ、そのっ・・・こ、これで十分です!」(って、なんで敬語で答えてるのよあたしーっ!)
心中で絶叫しつつ、リディアは違和感のようなモノを感じていた。
先程まで感じていたはずの “恐怖” はいつの間にか消え去っている。
代わりに、どういうわけか “緊張” していた。(な、なんだろ。なんていうか・・・なにこれ?)
“緊張” の正体が解らないでいるリディアに、オーディンはもう一度「うむ」と頷く。
「そうか。私の剣で汝の望みが叶えられたというのなら、それは喜ばしいことだ」
そう言って、オーディンはリディアの頭をその手で優しく撫でた。
「ふ、ふえっ!?」
慌てるリディアの頭を撫でる手は、手甲で覆われているはずなのに、どういう訳か暖かみを感じる。
じんわりと頭の天辺から心にまで染み渡る “暖かさ” にリディアは我知らず顔を真っ赤にしていた。(なにこれなにこれ!? ていうかあたしっ、さっきまでこの人の事 “怖い” って思ってたはずだよね!?)
背筋が凍るような恐怖とは対極にある暖かみを感じて、リディアは混乱していた。
自分でもよく解らない感情に混乱しているうちに、不意にオーディンの手が離れる。「あ・・・」
思わず名残惜しそうに顔を上げるとオーディンと甲冑越しに目があった。
「それではリディアよ。また何か必要とあらば私を喚ぶがいい。いつ何時でも駆けつけ、そなたの剣となろう」
「あ、ええと、あ・・・ありがとうございます」(だからなんでわざわざ礼を言ってるのよあたしー!)
目の前が白黒明滅するほど訳解らずに混乱するリディアの前で、オーディンの姿が馬―――スレイプニル共々静かに消え去っていく。
同時に、周囲を構成していた “城” のイメージも陽炎のように消え去っていく。
それを見送り、しばらくして落ち着きを取り戻したリディアはぽつりと呟いた。「・・・あれが、オーディン王・・・か」
話にしか聞いたことの無かったバロンの王。
リディアがハッキリと覚えているのは、その偽物が故郷であるミストの村を襲わせたり、クリスタルを奪ったりさせたということで、あまり良い印象は無かったのだが。生きているうちに会ってみたかったかもしれないと思いつつ、再度呟く。
「あれが、本当のオーディン王かあ・・・」
彼に撫でられた頭に手を添える。
まだ温もりが残っているような気がして、リディアは少しだけぽーっとする。(なんとなく、セシルに似てたかも・・・)
そんなことを思って、彼女は顔をほころばせる。
―――リディアはまだ気づいてなかったが、先程のように緊張したり、温もりを感じているのは、オーディンに対する “敬愛” と呼べる感情だった。
オーディンの事を “自分を殺した存在” というトラウマではなく、 “道を切り開いてくれた味方” と認識した時、彼の “王” として器―――いや “人徳” というものに我知らず感銘を受けてしまったのだ。「・・・ま、まあそれはともかく!」
とりあえずオーディンのことはさておいて。
リディアは鎖が断ち切られた扉へと目を向ける。幻界への扉に手をかけて、それを押し広げる。
扉を開いた向こう側から光が溢れ、それはリディアのイメージの世界を全て塗りつぶしていった―――