時は少し遡る。
バロンの街中を巻き込んだ、セシルとローザの追いかけっこに決着が着いた頃の話だ。セシルは謁見の間で、民達の陳情を聞いていた。
先王オーディンの頃に溜まりに溜まった陳情は、話を聞くだけで年老いてしまうような量だったが、事前に陳情の内容を書類にしてもらい、吟味して、大したことのないような陳情は弾き、選り分けることによって、その量を減らしていた。さらにはセシルの判断力の高さによって、一つの陳情もそれほど時間かけずに終わり、陳情のために城へ集まる人数は、次第に少なくなっていった。
王に謁見を求める人数が、セシルが王位についた時の半分ほどになった頃のことだ。
「―――はあ。今日は次で終わりかな?」
うーん、と玉座の上で伸びをしつつ、セシルは呟く。
玉座のすぐ傍に控えていたベイガンは「みっともないですぞ」と軽く窘め、それから頷いた。「次は南部地域にある漁村の者ですな。なんでも、漁船を盗まれてしまったので取り返して欲しいと」
「ああ、それか」セシルは陳情の内容を、書類によって前もって確認していた。
と、ベイガンは小さく首を傾げる。「しかし・・・こんな陳情など、聞かずともよいのでは? 船を盗まれたからと言って、王が責任取る必要は全くないですし。だいたい、船を盗まれたのも管理を怠った自業自得では?」
「さてね・・・ただの盗賊の仕業ならいいんだけど・・・」
「と、申しますと?」
「エブラーナだよ」
「エブラーナ? 確かに南部沿岸から近いと言えば近いですが・・・王は、その船を奪ったのがエブラーナの忍者であると?」ベイガンの疑問に、「さてね」とセシルは肩を竦める。
「ただ・・・ベイガン、盗人が船を盗む理由ってなにがあると思う?」
「それは・・・売る、にしては大きすぎて運搬が不便であるし、なにより足が着きやすいですな。魚を獲るにしても、漁船を奪うのは大げさすぎる。となれば、海や川を渡る―――」
「そうだね。で、南部沿岸からどこに渡ると言えば―――」
「・・・エブラーナ、ですか。ふむ、確かにエブラーナならば、漁師に頼んで乗せて貰うというわけにも行きませんな」休戦しているとはいえ、つい二十年ほど前まで戦争していた相手だ。
特に、バロン南部はエブラーナに近いこともあり、何度か占領されたりして、住民も直に被害に遭っている。今でも、エブラーナの忍者を怖れ、憎むものは多いだろう。「もう一つ、この訴えが出たのは、エブラーナがバロンに攻め込んできた少し後だ」
「・・・ああ、あの時ですか」渋い顔でベイガンは呟く。
エブラーナが攻めてきた時、ベイガンはまだゴルベーザのダークフォースに惑わされた状態だった。
今にして思えばこんなにも悔しく、恥ずかしいことはない。
もしも正気ならば、エブラーナ王を死なせることもなかっただろうに・・・。(エブラーナ王はオーディン様の友人関係にあったと聞く。それを、私は・・・)
「悔やんでいる時ではないよ、ベイガン」
「・・・はっ! すみませぬ」セシルの言葉でベイガンは我に返る。
「・・・しかし陛下。だとすれば、船を盗んだのはその時逃げ延びたエブラーナ忍者では・・・?」
「そうだろうね」正直なところ、セシルは何かが得られるとはあまり期待していなかった。
しかし、今、情報が少ないのも事実。
ゴルベーザがエブラーナにあるバブイルの塔に居るというのなら、エブラーナの協力は必須だ。もしかしたらその船泥棒が、エブラーナに繋がるとっかかりになるかもしれない。ちなみに。
実はセシルの読みは当たっていた。
船を盗んだのは、バロンから逃げ出したジュエル達であり、エブラーナの重要人物である。
もっとも、それはまだセシルがバロンを奪い返す前の話であり、今更捜査したところで何かが見つかるはずもないのだが。「とりあえず話を聞いてみて、ただの盗人ならば良し、エブラーナ―――或いは、可能性は低いだろうが、ゴルベーザが関係している可能性が感じられるなら、兵を派遣する事も考えている」
「ふむ・・・では、話を聞いてみるとしましょうか」そう言って、ベイガンは扉に控えている兵に、謁見の間に入れるように告げる。
すぐに扉が開き、そこから姿を現わしたのは―――「お初にお目に掛ります。セシル王―――」
―――豪奢なドレスに身を包んだ、お嬢様だった。
******
「えーと・・・」
謁見の間に入ってきた、どこぞの姫かと思わせる、貴賓ある女性。
年の頃はローザと同じくらいだろうか。ローザと同じように、気品と自身に溢れ、何も後ろめたく思うことはないとでも主張するかのように、豊満な胸を張って堂々と謁見の間の中央に歩いてくる。
ただ、ローザと決定的に違うのは、少し高めに顎を上げているところだった。吊りがちの目と相まって、真っ正面から見れば、どこか相手を見下しているように見えるだろう。「・・・誰、あれ?」
間違っても漁師には見えない。
セシルは傍らのベイガンに尋ねると、彼は即座に答えた。「カルバッハ公爵のお嬢様ですな。メルビア=カルバッハ様と申されますが―――」
「カルバッハ・・・ああ、確かバロンの有力貴族で、一番大きいトコだったっけ?」
「ほほお、よくご存じですな。貴族との会食に、一度も出席されない割には・・・!」ベイガンはギロリとセシルを睨む。
この近衛騎士団長は、確認するまでもなくバロンで一番忠義に厚い男だ。王を睨んだり、皮肉を言ったりするなどという不遜なことは滅多にしない。
逆に言えば、滅多にしないことをしてしまうほど、セシルの行動に腹を据えかねていると言うことでもある。「いや、悪いとは思っているよ。毎度毎度、ベイガンには苦労をかけて―――」
「労いの言葉など聞きたくはありませんな! どうぞ行動で示されたく思いますが!」
「ええと・・・ご、ごめんなさい」などと、セシルとベイガンがそんなやりとりをしていると。
「あの、セシル王?」
「え? あ、ああ―――なにかな?」メルビアに名前を呼ばれて、セシルは慌てて振り返る。
すっかり彼女のことを忘れていたらしい。
そんなセシルに、メルビアはぼそりと呟く。「・・・ふん、これだから成り上がりは困りますわ」
「―――!」その声を聞き咎めたベイガンが鋭い視線をメルビアに送る。
それから口を開き―――「衛へ―――」
「さて! それで何用ですか、メルビア嬢? というか、次は南部地域の漁師の番だったはずですが」王を侮辱する言葉に、ベイガンが兵を呼ぼうとするのを遮って、口早にセシルが尋ねる。
ベイガンは納得行かなさそうに振り向くが、セシルはそんなベイガンを一瞥して “まあ落ち着け” と合図を送る。「あの漁師ならば、大型船を返る程度の宝石を渡したら、私に順番を譲って帰りましたわ」
「はあ、なるほど・・・」これは別に珍しいことではない。
オーディンの時代、陳情しようにも、あまりの人の多さに、一年以上順番待ちするのは当たり前だった。
だが、すぐに自分の訴えを聞いて欲しい人間は少なくない。そう言う時は、金を払って番を譲ってもらったり、或いは賄賂やコネなどで強引に割り込ませてもらったりと言う事が頻繁にあった。
そのお陰で、貧しい者の訴えは届かずに、金や権力を持つ者だけの話が通るというハメになってしまったのだが、それはまあ別の話。「さて、セシル王。本日はとても良いお話を持ってきましたの」
ふふふ、と微笑むその笑顔は、とても美しく。まるで高貴なバラを思わせた。
その微笑みは、それまで憤っていたベイガンも、思わず怒りを忘れて見とれてしまうほどであった。「はあ・・・いい話ねえ・・・」
しかしセシルには通じなかったようだ。
それどころか、どちらかというとイヤな予感でもしているのか、少し眉根を寄せている。
そんなセシルには構わず、彼女は続けた。「この私、メルビア=カルバッハが貴方の妃になって差し上げますわ」
「んなっ!?」と、驚いたのは勿論ベイガンだ。
セシルの方は、なんとなく予想していたのか、驚くこともなく表情が動いていない。「貴方のような “家無し” には有り難くも、不相応すぎる申し出でしょう?」
「何を不埒な! 王を侮辱するおつもりか!?」先程、見とれたのが一生の恥とでも言うかのように、ベイガンは顔を真っ赤にして怒る。
その両腕が少しばかりぴくりと盛り上がるのがセシルには解った。キレかけて魔物化しかけている。「ちょっと、ベイガン落ち着いて―――」
「別に。私は本当のことを言ったまでですわ」
「まだ言うか! 大体、王にはすでにローザ様がいらっしゃる! お主のような者がでしゃばる必要はない!」
「あらあら。あーんな、家が古いだけの小娘より、私の方が良いに決まってるでしょう?」ちなみに、今でこそ没落して力の失ったファレル家だが、その家柄の古さだけはバロンでも一、二を争う。メルビアのカルバッハ家よりも古い。
「お、おのれ・・・ローザ様まで侮辱するか―――」
「ベイガン、落ち着けと言ったぞ!」
「ぐ・・・セ、セシル王・・・」今にも剣を抜くか魔物化しそうなベイガンに、セシルの叱責が飛ぶ。
その一声で、ベイガンは少し冷静さを取り戻した。
それを見てメルビアは甲高い響きの笑い声をあげる。「ホホホ・・・近衛兵団の長からして躾がなっていないわね。まあ、成り上がりの王には相応しいですけれど」
「・・・・・・ッ」
「でもご安心なさい? 私が立派な王に仕立てて差し上げます。貴方は何も考えず、そこに座っているだけで―――」
「衛兵! その女をつまみ出せ―――いや、牢にぶち込め! 侮辱罪で死刑にしてくれる!」叫ぶ、が謁見の間に居る兵達は戸惑ったまま、動こうとしない。
「し、しかしベイガン様。カルバッハ家のお嬢様を牢に入れるというのは―――」
「うるさい! 私の命令が聞けないのか!」
「あー、ベイガンベイガン。君こそ僕の命令が聞けないのかな?」やれやれ、とセシルは嘆息して、
「落ち着け―――僕はそう言ったよね」
「しかし王!」
「少し黙っていろ。これが聞けないのであれば、君こそ牢に入れなければならなくなる」
「・・・・・・っ」ベイガンは悔しそうに唇を振るわせ、しかしそれ以上何も言うことはなく、押し黙る。
そんなベイガンを見て、実に愉快そうにメルビアは笑う。「言いざまですね。騎士の分際で、この私を捕えようなどと・・・勘違いも甚だしいですわ」
「そういう君も、もう少し口を慎むべきだと思うけどね。それで? 他に用件は?」
「ありませんわ。―――それで、式はいつにしますの? こういう事は速い方が宜しいでしょう」メルビアの頭の中では、すでにセシルと結婚することになっているようだった。
セシルは苦笑して。「はあ? なんで僕が君ごときと結婚しなければならないんだ?」
「―――なっ!?」それまで余裕だったメルビアの顔が、怒りで朱に染まる。
「公爵の娘だかなんだか知らないけど、僕と結婚したいなら―――」
と、セシルが言いかけた瞬間。
いきなり、謁見の間の扉が開く。そこから現れたのは―――「セシルっ。そろそろ終わった頃だと思って迎えに来たわよ―――・・・って、あら? まだお仕事中だったかしら?」
謁見の間に入ってきたローザは、メルビアの姿に気がついてセシルに問いかける。
セシルは婚約者に目を向けると、意地悪く微笑んで、「―――少なくとも、ローザよりは素敵な女性になってくれなきゃね」
「・・・えっ?」セシルの台詞に、ローザがきょとんとする。
メルビアは、一度、キッとローザを睨付けて。「わ、私が・・・この貧乏貴族よりも劣っていると・・・?」
「当然。ローザの方が君の何万倍も美しい」セシルが言うと、瞬時にローザの顔が真っ赤に染まった。
「ちょっ、やっ・・・せ、せしるぅ? ひっ、ひとまえで、そんな・・・はずかしいこと・・・・・・」
ローザは夕日のように顔を真っ赤にして、何故か呂律も幼くなる。
意外すぎるその反応に、逆にセシルの方も妙に照れた。「ええと、ローザ? なんでそんなに照れてるんだい? 人前で愛してるって言ったり、キスしたりしても平気なくせに」
「だ、だってそれは当たり前のことだもの。愛しているのも、キスしたいのも全部本当。で、でも・・・そんな・・・そんな風に、ほ、ほめられるのは・・・なんか、はずい・・・」
「あー・・・」言われてみれば、ローザの事をそう言う風に褒めたりしたことはあまりない気がする。
二人きりの時に「綺麗だよ」とかそんなことを言った覚えはあるが、人前では確かに無い。
ふむ、とセシルは一つ頷いて。(これは・・・使えるかも! ローザのパワーに気圧されそうになった時、思いっきり褒めちぎれば―――)
「・・・セシル。なにか企んでないかしら?」
「え? いやべつに?」ははは、と苦笑するセシル。
と―――。「・・・帰らせて頂きますわ!」
突然、メルビアが叫び、くるりとセシルに背を向ける。
あ、忘れてた―――と言いそうになるのをなんとか堪えて、セシルはそれを見送った。
と、数歩ほど歩いてメルビアは立ち止まると、一度だけセシルとベイガンを振り返る。「今日のこと、後悔しますわよ」
「・・・・・・」メルビアの激情のこもった視線を、セシルはにらみ返しただけで何も応えない。
しばらく見つめ合い、メルビアは再び、セシルに背を向けて歩き出す。
謁見の間から出る寸前、ローザの目の前で立ち止まると、激しくローザを睨付けた。「この没落貴族が・・・! 何度、私の前にその小汚い顔を見せる気なんですの!」
「え? 貴方、誰?」
「! この・・・っ!」メルビアはローザの顔を思いっきり叩く。
突然の不意打ちに避けることもできず、平手がローザの白雪のような頬を打ち、赤く色を付けた。「え? え?」
「いずれ、二度とそんなふざけた口を叩けなくなるようにしてあげますわ!」そう言って、メルビアは謁見の間を去っていった―――
******
「ローザ、大丈夫?」
セシルは玉座から立ち上がると、呆然と立ちつくすローザへと駆け寄った。
ローザは叩かれた頬に手をやって。「・・・痛いわ」
「まあ、そりゃ痛いだろうね。ケアルは?」
「魔法を使うほどじゃないけど・・・というか、なんで私、叩かれたのかしら?」などと呟くローザの表情に怒りはない。理由が解らずに、ただ困惑しているだけのようだ。
「ローザ、彼女と会ったことは?」
「さあ・・・? 今の貴族よね? だったら会ったかもしれないけれど―――」ローザの家は落ち目とはいえ、貴族の通う学校にも通っていたし、何度か両親に連れられて社交場に連れて行かれたこともあるはずだ。
ファレル家とカルバッハ家では力が違いすぎるため、そうそう接点は無いだろうが、ゼロではない。「―――私、あまり興味ない人の顔って覚えにくいのよね。セシルはすぐに覚えたけど」
そう言えば、昔は再会したリサの顔も忘れていたなー、とセシルは思いだす。
「セシル王! もう喋っても宜しいか!」
いつの間にか傍にいたベイガンが尋ねてくる。
セシルは苦笑して、頷きを返した。「・・・しかしあの娘、大貴族とはいえ、その娘が単身城に乗り込み、挙句の果てに王と結婚してやるだのと・・・・・・それなりの処罰をした方が良いのでは?」
「カルバッハを敵に回せばどうなるか解っているだろう? 最悪、ローザの家以外の貴族全てが反乱を起こすことになる」
「しかし―――」
「・・・問題はあの娘じゃない」
「は?」
「ベイガン、今ウィルさんは何処に?」セシルはきょとんとするベイガンに、ローザの父の居所を尋ねる。
ベイガンは首を傾げて、「さて。あの人は常にあちこち飛び回っておりますからな。兵を使って探しますか?」
「頼むよ」
「いえ、その必要はないわよ」走り出そうとするベイガンを、ローザが制止する。
「お父様なら、屋敷にいるもの。大事な話があるからセシルを呼んでこいって―――だから私が迎えに来たのよ」
「成程ね。ウィルさんはもう情報を掴んでいたか。じゃあ、早速行くとしようか」
「へ、陛下? 今日のこれからの予定は―――」というベイガンに、セシルは大きく手を振って、
「全部キャンセルだ。ベイガンも来い、ローザの家に行くよ」
「は、はあ・・・?」困惑するベイガンを強引に引き連れて。
セシル達は慌ただしく謁見の間を飛び出した―――