第16章「一ヶ月」
AU.「バロン海兵団・その後」
main character:ローザ=ファレル
location:バロン城・軍港

 

 ぴちゃぴちゃと足下で水音が鳴る。
 遠くからはざーっと潮騒の音も響いてきて、潮の香りが鼻孔をくすぐる。

 城内で一番海に近い場所。
 そこにローザ=ファレルは立っていた。

 時刻は朝と言うにはもう遅く、正午にはまだ早いくらいの時間。
 眼前に広がる海原は陽光でキラキラと反射して眩しいくらいだ。

 バロンの城。
 城と海の境界である崖の下に作られた軍港だ。
 二十年ほど前までは、バロン軍の主力の一つとして海兵団が毎日訓練を繰り返し、戦が始まれば矢のような勢いで軍船が次々と出航していった。
 だが、それもつい最近まで見る影もなく寂れていた。

 それは突如としてバロン内海に出現したリヴァイアサンの所為だ。

 

 

******

 

 

 海王リヴァイアサン―――小島ほどもある、巨大な海竜だ。
 かつては伝説であったその名が何故、現代に復活したのか、バロンの者たちは知らない。
 ただ、王に召喚された当時のミストの召喚士の長は言った。

『リヴァイアサンは封印により現世には現れることは出来ないはずです』

 その言葉に、当時のバロン王―――新王となったばかりのオーディン王は疑問を返した。

『しかしあれは現に出現している』
『はい。ですから、彼の者は苦しんでおります。封印に反発され耐え難い苦痛を感じているはず。本来リヴァイアサンは知性ある幻獣たちの王。それが無差別に近づく物を襲うのは、激痛のために理性がなくなっているためかと』

 すでに大小種別を問わず、何隻ものの船が沈められている。
 時折、海岸近くにまで出現する事もあるが、陸地まで襲いかかっては来ない―――それは、自分の領域である海のほうが苦痛に耐えられると言うことかも知れないが、或いはリヴァイアサンに残った最後の理性がそうさせているのではないかと、召喚士の長は感じ取った。

『それにしても・・・何故、リヴァイアサンはこのフォールスに現れたのだ・・・』
『解りませぬ』

 王の問いに、召喚士は首を横に振る。
 だが、本当は召喚士には解っていた。
 別の地で人間が幻獣達の住まう場所に攻め込んだこと。そのために、幻獣たちは現界との間に “壁” を作り上げたこと。その時に、リヴァイアサンが現界へはじき出されてしまった事。おそらく、リヴァイアサンは幻獣界に帰るために、召喚士を求めてバロン―――というよりはミストの近くまでやってきたのだということ。

 けれど、それを言うわけにはいかない。
  “壁” が作られたせいで、召喚士は幻獣界からの召喚が出来なくなってしまった。せいぜいが、現界に生息している幻獣を召喚するのが関の山。もっとも力のある召喚士の長でも、下級の幻獣を召喚するので精一杯だ。リヴァイアサンを送り返すことなど絶対不可能。 

 ミストの召喚士は、クリスタルの監視者である。
 クリスタルを奉ずるミシディア・ダムシアン・ファブール・トロイアの四ヶ国、そしてのその盟主であるバロンと対等としてやってきた。だから、バロンが敵国であったエブラーナと戦争している間も、その絶大なる召喚の技で協力することもなく、また要請されても突っぱねた―――それだけの力がミストにはあった。

 ミストの召喚士がオーディン王の御前に呼ばれたのも、あくまで対等の立場で王に相談されたためだ。
 ミストの村に力が失われたことをバロンが知れば、対等ではなくなる。
 だから召喚士の長はそれを言うわけにはいかない。知られるわけにはいかなかった。

『ほう・・・解らぬと申すか』

 だが、そんな秘め事も新しい王には無意味であったようだ。
 オーディンは鋭い眼光で射抜くように召喚士の目を見る。ミストは目を反らしたかったがそれも出来ない。目を反らせばそれこそ全てがばれてしまうような恐怖に、身動き一つ出来なかった。

『ならば、召喚士殿にもう一つだけ聞きたい。あれをどうにかできるか?』
『ど、どうにか・・・とは?』
『そうだなぁ・・・例えば、リヴァイアサンを元いた場所へ還す・・・とか?』
『!』

 まさに核心を突かれたとミストは息を止める。

 ・・・実は、オーディンにしてみれば思いつきを口に出しただけに過ぎない。
 剣に置いては剣聖ドルガン=クラウザーと並ぶ “最強” と謳われているが、魔法に関してはそれほど詳しくはない。疎いと言っても良いくらいだ。
 召喚士の召喚魔法についても、 “魔物を呼ぶ魔法” という認識しかない。ただ、呼べるんだったら戻せるのではないかなあと、やや自信なく思っただけなのだ。

 だが、そんなことテンパってる召喚士の長は気づかない。

『リ、リヴァイアサンは幻獣の王! それに触れるのは禁忌でありますれば・・・!』

 力を失ったことを気取られぬために、できない、と言うわけにはいかない。
 しかし、できる、と言ってしまえば、やれと言われるだけだ。
 だから、ミストは有りもしない禁忌―――そもそもミストの歴史を紐解いても、幻獣の王に触れた召喚士など存在しない。つまり、そんな掟が存在するはずもないのだ―――を述べると、

『も、申し訳ありませんが、もう戻らねばなりませぬ』

 何故に? とはオーディンは問わなかった。

『あいわかった。わざわざ呼び立てて済まなかった』

 オーディンは玉座から立ち上がると頭を垂れる。
 あくまでも対等の立場であることをわきまえたオーディンの対応に、ミストは少しだけ安堵するが、特に引き留めなかったのはすでに見限られているからではと疑心暗鬼も沸き上がる。

 そそくさと退出する召喚士を見送ると、オーディンは玉座に座り込んで嘆息する。

『やはり、ミストの召喚士でも無理か・・・』

 ミストの懸念は半分は当たっていたとも言える。
 オーディンは召喚士の長を呼ぶ前から、あまり期待はしていなかった。
 何故なら、

『まぁ、どうにかできるならば、すでにどうにかしているだろうしな』

 或いは自ら進んで進言しに来るだろう。
 だが、それもなく、オーディンがミストの村の長を呼んだのは、リヴァイアサンが暴れ始めて半年ほど経った頃の事だった。
 呼ぶのが遅かったのは、単にそれまで生存者が無く、船が沈む原因が不明だったためだ。
 先日ようやく生存者が現れ、話を聞けば巨大な竜に襲われたのだという。だから、ただの海竜ではないとオーディンは感じ取り召喚士を呼びつけたのだ。

 オーディンが詳しく説明する前に、ミストは事情を把握しているようだった。
 海竜の正体を問うと、即座にリヴァイアサンの名前が出て、冒頭に繋がる。

『ミストの村になにかあったか―――ともあれ、あれは放置しておくしかあるまいか』

 相手が陸の獣だというならば、剣を振り回して戦う気にもなるが、海ならばどうしようもない。
 海に潜られて船の下から攻められればどうしようもないし、必殺の斬鉄剣も相手に届かなければ意味がない。

『・・・かのドルガン=クラウザーならばどうなのだろうなあ』

 まだ当時のオーディンは会ったことはないが、その名前だけは知っていた。
 自分と同じ、しかし違う斬鉄の技の使い手。
 いつか剣を交えてみたいとも思う。どちらの剣が上であるかを試したいと思う。

 などと。
 オーディンはいつの間にか、リヴァイアサンのことは置いて、まだ見ぬ剣聖とどう戦うかを夢想していた―――

 

 

******

 

 

 余談。

 力を失ったことが知られることを怖れたミストの長は、その後何度か城に呼ばれるも、 “体調が悪い” と仮病を繰り返し、そのうち本当に体調を崩して倒れてしまう。
 そのため、その娘に幼い頃から次の長としての教育を叩き込み、さらには “強い力を持つ” というだけで流のモンク僧(元暗黒騎士)を婿として子供を産ませるというかなりブッ飛んだ事をするのだが、それは別の話。

 結果として、その時生まれた幼子が、リヴァイアサンを幻獣界へ還すことになるのだが。

 

 

******

 

 ―――とまあ。
 そんな事情があったりして、今、ローザが居る軍港は寂れていた。
 過去形である。
 今、港内は熱気に溢れ、活気に満ちていた。

 小舟が忙しなく港から出ては戻ってきて、さらに出て戻る。
 それら小船に乗るのは海兵団の面々だ。もっとも最近までは船はあっても出航することはなく、だから陸兵団などに組み込まれて、ほぼ消滅状態だったのだが。

 彼らは小舟を巧みに操り、作業をこなしていく。
 だが、何故か彼らの背中には哀愁が漂っていた。

 時折、港に佇むローザの姿に気がついて、険悪そうに睨んでくるが、彼女がにっこりと微笑んで手を振れば、釣られてにへらと笑って余所見をした挙句に誰かとぶつかったり、つまづいて転んだり。

「うおーいっ、 “石” の運搬状況はどうなってるんだゾイ! まだまだ全然足りんぞーいっ!」

 大きながらがら声を上げながら風よけの眼鏡をトレードマークに額に掛けた老年の男が城の中からやってくる。
 シド=ポレンティーナ。
 バロンが誇る飛空艇団 “赤い翼” その飛空艇を作った男。

 ―――とはいえ、現在、バロンにある飛空艇はたった一艇。彼が作った最新鋭の小型飛空艇エンタープライズのみ。
 他の飛空艇はゴルベーザの奪われて、今どこにあるのかも解らない。

 シドは、 “運搬作業” の状況をギョロリとした大きな目で眺めていたが、やがて港に立つローザに気がついた。

「おう! ローザ、きとったんか」
「こんにちわシド―――ええ、セシルが一度見ておけって言うから」

 そう言って苦笑する。
 ちなみにそのセシルは謁見の間で、国民の陳情を聞いている頃だ。
 本当は傍にいたいところだが、真っ赤な顔をしたベイガン(怒りのために顔を赤くしているわけではなく)に閉め出されてしまったのでここにいる。

 シドはローザに並んで、ローザが見ていた方向に視線を向ける。

「なかなか送還じゃろう」
「ええ、本当に」

 頷いて、ローザもそれを見る。

 海に、あるものが立っていた。
 それはつい先日まで無かったもの―――具体的に言うと、ローザが捕われていたゾットの塔、そこから脱出する時までここにはなかったものだ。

 はあ、とローザは息を吐く。
 苦笑―――というか苦笑いを浮かべて、

「まさか、私の魔法でこんなところまで跳んできたなんてねー」

  “ゾットの塔” が港のすぐ傍に立っていた―――

 

 

******

 

 

 早い話が。
 塔を脱出する時に使ったローザの転移魔法テレポが、次元を越えて塔をここまで跳ばしたらしい。

 もちろん、こんなものがいきなり海に出現してなにも無いわけがない。
 大波―――いや津波が起こり、リヴァイアサンが居なくなったことで整備して、さあそろそろ海兵団復活だー! と勢い込んでいた海兵団所有の軍船がことごとく波に呑まれて沈没したり、港や他の船と激突したりでほぼ壊滅。その時、港にいた海兵団の何人かも大怪我をして未だ寝込んでいるものもいる。

 で、船を修理するのも時間が掛かる。
 ならばいっそ、ゴルベーザに奪われた飛空艇の代わりを作ってはどうかとセシルが思いついて、シドが実行に起こした。幸い、飛空艇の必要な “飛行石” は、ゾットの塔に大量にある。というかシドが調べたところによると、塔の外壁は全て飛行石で作られているという。

「私のせいで忙しいと言ったのは、こういう意味だったのね?」
「うむ。だがまあ恨み言ではないゾイ。お前さんのお陰で、こんなにも天然の浮遊石を得ることが出来た。これがあればエンタープライズが何艇も―――いや、あれ以上の飛空艇を作ることが出来る!」
「天然・・・?」

 気になる単語を聞き返すと、シドは頷いて。

「今、 “赤い翼” に使われておるのはワシが数十年前に偶然手に入れた、本物の浮遊石を研究して作り上げたレプリカじゃよ」

 とはいえ、シドが言うには天然に比べてレプリカの飛行石のほうが、浮力を生む能力は高いのだという。
 だが、天然と違ってレプリカの方は浮力を調整できない。だから、 “赤い翼” の飛空艇は、艇本来の重量を半減させる程度しか浮遊石を積んでおらず、後は別の動力を使って、プロペラの力で空を飛んでいる。そのためにプロペラは姿勢制御・上昇用・推進用の三つに分かれ、しかもそれらがバランス良く機能しなければ、すぐに艇はひっくり返ってしまうため、操縦には熟練の乗組員が必要となる。

 天然の浮遊石は、浮力をコントロールできるという。
 新型飛空艇エンタープライズには天然のものとレプリカのものが積まれており、天然の浮遊石で上昇下降をコントロールしている。姿勢制御も、ある程度までならば浮遊石で調整でき、推進力も同様だった(微調整のために姿勢制御用、加速のために推進用のプロペラがそれぞれついてはいるが)。

 姿勢制御・上昇下降・推進という飛空艇が飛ぶために必要な三つの要素が、浮遊石だけでまかなえるため、操縦も簡単でたった一人でも動かせるほどだ。しかもただ飛ぶだけならば、浮遊石の力で無限に飛んでいられる。

 ひととおり話を聞いたローザはふうん、と呟き。

「でも、浮いたり浮かなかったりってどうやってコントロールするの?」

 と、ローザはゾットの塔を見る。
 つい先日まで浮いていた塔は、今は空の飛び方を忘れてしまった鳥のように、じっと海に沈んでいる。そこへ小舟が群がっては、外壁から浮遊石を採掘しては城内へ運んでいく。

「それを説明すると長くなるからまた今度、興味があれば話してやるゾイ。・・・ただ」
「ただ?」
「ワシのエンタープライズにはワシが作った浮遊石のコントロール装置がある。じゃが、あんな塔を浮かせるほどの能力を持っとらん」
「? 艇を浮かせるのも、塔を浮かせるのも同じではないの?」

 ローザが首を傾げると、シドはぶるんぶるんと首を横に振る。

「全然違う! ローザ、あの塔に捕われている時、傾いたり揺れたりしたことはあったか?」
「・・・そう言われれば無かったけど」
「ワシのエンタープライズだって真っ直ぐに上昇しようとしても少なからず揺れる、傾きもする―――そのためにプロペラがついておる。じゃが、あの塔にはそんなもんはついとらん。だというのに、あんな塔が空に真っ直ぐ立っておったのは、浮遊石の制御が完璧じゃったからだゾイ」
「シドの作ったものよりも高度な装置・・・? それっていったい・・・」

 ローザが疑問を呟くと、シドが意外な単語を呟く。

「―――クリスタル」
「えっ?」
「あの塔の制御装置にはクリスタルが使われておった」
「それって、奪われた―――」
「いいや。国が奉じていたものとは違うものじゃ。なんというか、白濁とした色の―――まあ、地水火風のクリスタルの劣化版みたいなものじゃな」
「ということは―――」

 ローザの脳裏に、以前にギルバートが言っていた言葉が思い出される。
 クリスタルとは “彼方へと至る扉を開く鍵” であると。
 だが、それは違うような気がした。浮遊石を制御していたクリスタル―――そこから導き出されるのは・・・

「もしかして、クリスタルって “鍵” ではなくて何かを “制御” するためのもの?」

 つまり、地水火風のクリスタルは扉の鍵ではなく、扉を制御するためのものということではないだろうか。

「ほう。よく思い至ったのう。セシルも同じこと考えたらしいゾイ。もっとも、それが正解だったとしても、まだ解らないことが多すぎると苦笑しておったが」
「ところで、そのクリスタルって使えるの?」
「まだ試しておらん」
「なんでー?」

 詰まらなそうにローザが口を尖らせる。
 シドはやれやれと言いたげに半目でローザを見やり、

「使い方も良くわからんものを迂闊にさわれるか。どうやればどう浮遊石が反応するか解らんからな。それをいじるのは、石を引きはがしてからだゾイ」
「その時は私にもやらせてね」
「・・・安全と解ったらな」

 とかいいつつ、シドにはローザに触らせる気は毛頭無かったりする。
 例えばもしも魔力で動かすような代物だとしたら、規格外の白魔法を使うローザが操ってどうなるかわかったものではない。

「でもクリスタルと言えば、ゴルベーザはクリスタルを全て集めたのよね? 今頃何をしているのかしら」

 あれからゴルベーザがなにかを仕掛けてきたという話は聞かない。
 シドは肩を竦め、

「さあのう、天に消えたか地に潜ったか・・・」
「ふふっ、飛空艇で地面の下に潜れたら面白いわよね。空陸海を制覇って感じで」
「確かに飛空艇も船ではあるからのう、海に浮けるが―――そうじゃのう、ドリルでも付けてみるか」
「あ、ちょっと格好良いかもー」

 などと言って、ローザとシドは笑いあう。

 ・・・この時の冗談が、実は冗談では済まなくなることを、当然今の彼女らは知る由もなかった―――

 

 


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