第16章「一ヶ月」
AT.「君が好きだと叫びたい!(42)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロンの街
セシルは道端に座り込んでいた。
シドの言ったとおり体操座りで、しかも膝を抱えた両腕の中に顔を埋めて。「は・・・はは・・・」
漏れてくるのは失笑だった。自嘲かもしれない。
「死んじゃえー、か。流石に応えたな・・・」
ローザの絶叫を、セシルはちゃんと聞いていた。
心にぐさぐさと突き刺さるローザの口撃に、なんとか耐えて城へ戻ろうとして街中を歩み―――けれど途中で気力が尽きてこの有様だった。「死んじゃおうかな・・・それがローザの望みなら・・・僕は彼女を望むっていったんだから―――」
駄目だ駄目だ! と心の冷静な部分が叫ぶ。
けれど、沈んでいく気持ちは止められない。
自分でも信じられなかったが、本気でローザに否定されてここまで駄目になるとは思わなかった。―――人は死ぬということを知らなければならない。
一瞬、 “神父” の言葉が脳裏に浮かぶが、それすらも気持ちの中に沈んでいく。
どんな時もくじけることの無かった心がぽっきりと折れている。
こんなザマを、カインが見たら失望するだろうか、などと考えて。「・・・あれ?」
足音が、聞こえたような気がした。
いや、気のせいではなかった。足音は段々と近づいていく。それも駆けてくる足音だ。
さっき通りかかったシドだろうか、とも思ったが、彼の駆け足にしては軽快だ。
なんだろう、と顔を上げて足音のするほうに顔を上げれば、「灯り・・・?」
足音が灯りと共にやってくる。
その灯りを持っているのは―――「ローザ・・・?」
「セシルッ!」ローザはセシルの姿を見つけると、手にしていたランタンを放り投げる。
ランタンは地面に落ちて、ぐしゃりと潰れた音を立てた。と、同時、ローザがセシルに向かってダイブする!「セシルーーーーーーーッ!」
「ロ、ローザ!? なんで・・・」
「セシルッ! セシルッ! セシルだぁぁぁっ! セシ―――うわあああああああああああああああああああああああんっ」
「え、え!? ええっ!?」ローザはセシルの身体にすがりつくようにして自分の顔を押しあてると、そのまま泣き出した。
突然の展開に、セシルは呆然として。「ローザ・・・? なにが、どうなって・・・・・・?」
「わあああああああああああああああああああああああ・・・・・・」ローザは泣いたまま、なにも答えない。というか泣き声でセシルの声が届いていないようだった。
とりあえず事態を把握するのは諦めて、セシルは彼女の背をあやすように軽く叩いてやる。そう言えば、今夜は泣きっぱなしだなあと苦笑して、セシルは自分の自分の気持ちが沈んでいないことに気がつく。(・・・ローザが傍にいるから? 僕もかなり現金だなあ)
さっきまでは死にそうな気分だったのに。
今ではそんなこと気のせいだったかのように、気持ちが浮上している。「ほら、ローザもそろそろ泣きやんで―――え?」
ふと、気がついた。
なんか辺りが明るいなあと思ったら、さっきローザが床に投げたランタンから油が漏れて、それに火が引火している。
火はどういうわけか、じわりじわりと近くの建物へ向かっていた。しかも木造。「げ。早く消さないと―――」
「あああああああああああああああああああああんっ!」
「って、ローザ! 泣いてる場合じゃないって! 火事が―――」しかしローザは泣きやまない。
すがりつくローザを引きはがそうとしても、ローザは二度と離すものかと必死にしがみついている。というか、セシルもローザと離れたくないので、力が入らない。(って、そう言う場合じゃないだろ僕! 早く火を消さないと―――)
そうこうしているうちに、火は建物に接近して―――
「『ウォータ』」
ばしゃっ、といきなり水が振ってきて、燃えさかっていた火を消した。
「今の、声・・・」
ローザの泣き声で上手く聞き取れなかったが、こんな時にこんなところで魔法を使うとしたら一人しか考えられない。
「・・・もしかして、ずっと覗かれてた・・・?」
その可能性を考えていないわけではなかったが、
「うえええええええええええええええええええええええんっ」
セシルの呟きに応えるのは、ローザの泣き声だけだった―――
******
暫くして、ローザは唐突に泣きやんだ。
「嘘つきー!」
セシルにすがりついたまま、下からセシルの顔を見上げるようにして唐突に言う。
「いきなりなんの話?」
「セシルは嘘つきって話よ! さっき、セシルに逢いたいって言ったのに来てくれなかったわ!」
「へ? 僕には二度と会いたくないって聞こえたけど・・・?」
「その後で言ったの! でも来たのはセシルじゃなくてシドだったわ! シドのほうがよっぽど私の望みを叶えてくれるじゃない!」
「そんなこと言われても・・・」セシルにはローザの声は聞こえなかったし、シドがこんな夜遅くに通りかかったのも偶然だ。
「今の話だけじゃないわ! 今日だって、追いかけて欲しくないのに追いかけてきた!」
「それは―――でもローザ、聞いてくれ。僕が君を追いかけたのは・・・」
「わかるわよ!」
「は?」
「セシルがどうして私を追いかけてきたのか、そんなことは分かり切ってる話なのよ! だって、教会で追いつかれた時のセシルは、私が一番大好きなセシルだったもの!」と、そこでセシルを見上げていたローザは、ぷいっと横を向く。頬をセシルの身体に押しつけるような体勢で、彼女は口を尖らせた。
「でも今のセシルは嫌い」
「え゛」
「今の貴方は、私が一番大ッ嫌いなセシルだわ! そう―――バロン王の命令で、ミシディアに向かった時と同じ、私が一番見たくないセシル」
「ローザ・・・」教会での会話を思い出す。
からかうセシルに、ローザはそんなセシルを「二番目に嫌いな顔をしている」と言った。「セシル」
いつの間にか、またローザがこちらを見上げていた。
思わず目を反らそうとしたその頬を、ローザが両手で押さえる。「あなたは、今、正しい?」
「・・・・・・」
「私のことを望んで、私が望んだから背を向けるというのは、本当に正しいの?」
「・・・正しいさ」息を溜めて、それを吐き出すようにしてセシルは言う。
そうでもしないと、声が出ないというように、言葉に力を込めて。「正しいと思ったからそうしたんだ」
「嘘つき」さっきから何度も言われている言葉。
セシルは少しむっとして否定する。「嘘じゃない! 僕は―――」
「嘘よ。貴方は正しいと思い込もうとしているだけ。そうすることしかできないから、そうであることが正しいと―――ミシディアの時もそうだった」
「・・・・・・・・・」
「バロン王に言われて、それが間違っていると解っていても、でも王の言葉に逆らえずに出立した―――私は一生忘れないわ、あの時のセシルの事を。自分を押し殺して行ってしまった貴方のことを」長い言葉を喋って、ローザは少し息を切らせた。
息を整えて、そして続ける。「・・・今の貴方はあの時となにも変わらない。無理に正しいと思い込んで、自分を殺してる。間違いだって解っていてもそうすることしかできないから」
「そんなことは―――」
「いつもそうだったの?」
「え・・・?」
「シドから聞いたわ。こうやってセシルが落ち込んでいるのはいつものことだって―――私は知らなかった。だって、セシルが落ち込むなんて、それを見たのはミシディアから帰ってきた、あの時だけだもの」ローザはセシルの服をぎゅっと握る。
それはまるで、愛しい人が何処にも行ってしまわないようにと願うように。「セシルはずっと強い人だと思ってた。どんな辛いことや哀しいことがあっても、それを背負って生きていける人だと思ってた」
「僕は・・・君が思っているほど強い人間じゃない」
「なら教えて? 貴方はどういう時に弱いのか。どういう時にこんな風に落ち込んでいたのか」
「う・・・」気まずげに、セシルは押し黙る。
そんなセシルにローザは自分の考えを―――いや、望みを言う。「自惚れても良いかしら? もしかして、私が貴方を愛するたびに、そして私の愛を拒絶するたびに、貴方は落ち込んでくれていたのかしら?」
「・・・・・・」
「答えてくれないの?」
「そんな恥ずかしいこと―――」言いかけて、即座に口をつぐむ。だが遅い。
これでは白状したも同然だった。
ローザは嬉しそうに微笑んで。「教えてセシル。どうして貴方は、今日私を追いかけてくれたの? 私を愛してくれているから?」
「そう、だけど・・・ちょっと違う」観念したように、セシルは吐息する。
「君を愛しているから―――だから君に逢いたいと思った。会って、君に僕の想いを―――君を望むという事を、伝えたいと思った」
そこまで言って、セシルはローザを見る。
彼女はずっと微笑んでいた。まるで、中身の解っているバースデープレゼントを披露する気分だな、とセシルは思った。これからセシルが何を言うかをローザは解っていて、それを待ち望んでいる。「それが、正しいと思ったから―――たとえ間違っていたとしても、今の僕にとってそれが何よりも正しいことだと思ったから」
「だから貴方は私が拒絶しても追いかけてくれた」なのに―――
「どうして今、間違えてるの?」
「いやその、間違っているとか正しいとかじゃなくて・・・」真っ直ぐに見上げる視線から逃れようと、セシルはあさっての方向に顔を向ける。
「単に伝えてしまったら満足してしまったというか、それ以上のことは考えてなかったというか、あれで精一杯だったというか―――」
早い話が、自分の想いを伝えることしか考えていなかった。
伝えた後のことを考えていなかったというだけの話だ。ぶっちゃけてしまえば、想いを伝えたら、
『僕は君が望むことを望む!』
『ああっ、セシル! 私は貴方を愛するわ!』
『なら僕は君の愛を受け入れるよ。ローザ―――愛してる』星空の下で抱き合う二人―――そして愛は永遠に。
・・・などという展開になると妄想していたりする。
それこそ恥ずかしすぎて、口が裂けてもローザには言えないが。ごにょごにょと言い訳じみたことを呟くセシルを、ローザは暫く眺めていたが、やがてハッとする。
「ちょっと待ってセシル! 今、私、とんでもないことに気がついたわ!」
「へ・・・?」
「もしかしてセシルって――――――へたれ?」
「ぐっはああああああああっ!」まるでアッパーカットでも喰らったかのように、顎を天へと跳ね上げるセシル。
ディアナに言われ、キャシーに言われ、ついにはローザにも言われてしまった。「えー、でもなんか今のセシルってうじうしててへたれで、見たこと無いくらいに格好悪いわよ?」
「う、ううううううう・・・」
「え? セシル泣いてる? 嘘泣きじゃなくて本気で―――あ、ええと、ごめんなさいセシル! 別にそこまで追いつめるつもりはなくて・・・だ、大丈夫よ! ちょっとくらい格好悪くても、私は貴方のこと大好きだから!」気を遣われて、さらに切なくなる。
「へたれへたれって言うけど! どーしろって言うんだよ! あれでも僕はかなり頑張ったんだよ!? それなのに君はずっと僕のことを拒絶して! 挙句の果ては死ねとまで言われて! 僕はどうすれば良かったんだよ!」
逆ギレってみっともないなあと自分でも思いつつ、それでもセシルは自分を抑えられなかった。
しかしそんなセシルに、ローザは特に怒りを返すわけでも、逆に引くでもなく、ただにっこりと微笑んで、「格好良いことをすれば良かったのよ」
「か、格好良いこと?」
「セシルが自分で言ったでしょ? 強引にぎゅーっと抱きしめて、耳元で愛してるって言いながらキスをしてくれればそれで良かったのよ」
「な、な、な・・・」セシルは言葉にならない声を出す。
闇夜でローザには解らないが、その顔はお湯でも沸かせそうなほど熱くなっている。「ちなみにそれはさっきの話だけじゃないわよ。教会でもそう。そうしていれば、それでハッピーエンドで終わっていたのよ、きっと」
「そ・・・そんなこと、できるわけないだろ!」
「あらどうして?」
「は・・・恥ずかしくて」
「えー、そうかしら?」
「そりゃ君なら簡単だろうさ! いつもやってることだし!」
「でもここには私達以外に誰もいないわ。恥ずかしがる必要なんて無いじゃない」確かにローザの言うとおり、街はしんと静まりかえって、この場にいるのはセシルとローザの二人だけ―――のように思えるが。
「・・・いや、居る。ずっと覗いていたのが最低一人」
「セシルの気のせいじゃないかしら?」
「気のせいで水の魔法が降ってくるかああああああっ!」セシルのツッコミに、ローザは「んー」と考えてから、不意に。
「ね、セリスそこに居るー?」
夜の闇に向かって聞いてみた。すると闇の向こうから、
「居ないわよー」
「あ、ほら、居ないって」
「なんのコントだよッ!? てゆーか、セリスって名前確定してるし! 君、もしかして最初から気がついてたのか!?」
「んー、まあこっそり付いてきてもおかしくはないかと思っていたけど―――それよりも」ぐっ、とローザは自分の顔をセシルへと向ける。
星明かりしかない夜闇の中、互いの息と息が交わるような距離まで顔を近づける。「セシルは・・・私のこと、嫌い・・・?」
「そ、そんなわけないだろ・・・」
「ならどうして抱きしめてくれないの? 愛の言葉を囁いてくれないの? 私のことが嫌いじゃないならどうして―――」
「だ、だからその―――ああっ、もう!」セシルはローザの肩を掴むと、強引に引きはがす。
「好きとか嫌いとか言うなら君はどうなんだ! さっきまで僕のことを拒絶していたくせに、どうしていきなり掌返したように・・・!」
「あ、ごめん、さっきの嘘」
「嘘って。いやそんなあっさり―――」
「だって私がセシルのこと嫌いになったり死んで欲しいとか思ったりするわけ無いでしょう?」
「・・・それは解ってるけど」セシルにも解っていた。ローザの拒絶が “嘘” だということは。
「だけど、それでも痛かった。嘘だと解っていても、本当に死んでしまいたいとさえ思った」
「ごめんなさい、セシル―――だけど、今までのことは全部嘘だから」
「・・・今までのこと?」セシルが問い返すと、ローザはこくりと頷く。
「貴方に死んで欲しいと叫んだこと、二度と顔を見たくないと否定したこと―――それから貴方を愛したこと」
「・・・え」
「今まで、貴方に会った時から、ずっと貴方を愛しているって言ったけれど、ぜーーーーーーーーーーーー・・・・・・」と、ローザは息の続く限り音を伸ばして―――息がきれたところ、一呼吸してから。
「・・・んぶ、嘘♪」
やったら楽しげに言い放った。
ローザの言葉の意味に混乱したのはセシルだった。「ちょ、ちょっと待って。じゃ、じゃあ、僕のことなんか愛していないって・・・こと?」
おそるおそる尋ねる。
だが、ローザはあっさりと首を横に振る。「いいえ。私は貴方のことを誰よりも愛しているわ」
「じゃ、じゃあ嘘って・・・嘘?」自分でも少し何を言っているか解らなくなっている。
だが、ローザはまた首を横に振った。「嘘だって言うのは嘘じゃないわ―――って、変な言葉ね。ともかく、私が今まで貴方に向けた愛は全部大嘘だったのよ」
「ちょっと待って、意味が解らない!」
「だから、私は貴方以上に大嘘つきだってこと!」
「わかんないってば!」頭を抱える―――と、その隙をついて、ローザは再びセシルに懐に飛び込んだ。
甘えるように体重をセシルに預ける。「うわっ。ロ、ローザ・・・?」
「私はね、貴方と出会った時からずっと貴方を愛してきた―――愛するだけで満足してきた。・・・ねえ、ファブールで私が言ったことを覚えてる?」
「ファブールで?」
「 “別にセシルを責めてるわけじゃないの。ただ知っていて欲しいだけ。私は、ローザ=ファレルはセシル=ハーヴィのことを愛していて、だからこそ一緒に居たいと思うし、一緒に居る以上のことを求めない” 」
「・・・ああ、そう言ったね―――そうだ。確かに君の言うとおりだ」ローザの言うとおり、ローザ=ファレルはずっとセシルを愛してくれていた。
セシルがどんなに拒んでも、彼女は愛することを止めなかった。一方通行の愛。
片想いではない。片想いは一度想いを伝えてしまえばそれで終わる。想いが成就しても振られても、それで終わり。
けれど彼女はずっと愛し続けた。どんなにセシルに振られてもへこたれなかった。「だけどそれは嘘よ」
今までの自分自身を、ローザは否定する。
「自分が傷つかないための嘘。愛しているだけで、一緒にいるだけで満足だなんて、振られて傷つくことを見ないフリしていただけなのよ。だって私は貴方に会えて、貴方を愛することができて何よりも幸せなのだから―――貴方を愛さない私なんて考えるだけで泣きたくなるほど嫌だから。だから、振られて傷ついてそれで終わりなんて嫌だったから、振られても大丈夫なように自分に嘘を吐いただけ」
「ローザ・・・」
「本当は私を受け入れて欲しかった! “僕も愛してるよ” って抱きしめて欲しかった。―――だからカイポの村で、貴方が私を受け入れてくれた時は本当に嬉しかった・・・!」カイポの村で。
追いかけるのはもう嫌だとローザは嘆いた。ずっと一緒にいて欲しいと彼女は懇願した。
そしてセシルはそれを受け入れた。
思えば、あれが唯一、ローザが本心を晒した時だったのかもしれない。「だけど嬉しくて―――幸せだったから、逆に怖くなったのよ。貴方が私を想ってくれるのを感じて、愛してくれるのが解って―――それで幸せを感じれば感じるほど、それを失うのが怖くなって」
すがりつくローザの力が少しだけ強くなる。
「いじわる問題だったのよ」
「え?」
「ゾットの塔で。自分と恋人の二択になったら普通は恋人を選ぶでしょう?」
「そうかなあ。誰だって自分の命は惜しいよ?」
「セシルも?」
「・・・・・・」無言。
それに躊躇いなく頷けるほど、自分の命を大切に扱っていないと自覚していた。
そんなセシルに、ローザはクスリと笑って。「あの時、セシルは私の命を選んでくれると思っていた―――間違うと思ってた」
「けれど僕は正しい選択をした・・・いやちょっと待ってよ、それ、間違ってたら僕はセリスに殺されてたんじゃないか?」あの時のセリスとローザの賭けの話はセリスから聞いている。
セシルが間違えれば、ローザもセシルも殺されるはずだった。
けれどローザは微笑んで、「どっちにしろセリスは殺さなかったわ。というか賭けの通りだったら、私は今ここにいないはずよ?」
セシルが正しい選択をしたら、セシルだけは助けて欲しいとローザは言ったという。
だが、あの時ローザは拘束されておらず、彼女の命を奪うはずだった処刑装置もカウントダウンだけで、機能は停止していた。「間違えてくれれば良かったのよ。そうすれば私は安心できた。けれど貴方は私が望んだ選択をしてくれた」
その瞬間、ローザは幸せによる喜びを感じたなかった。
感じたのは、失う事への不安。
セシル=ハーヴィはローザ=ファレルを本気で想ってくれていると解ってしまったから、それを失うことの不安が膨れあがってしまった。だからローザはセシルを拒絶した。
いつか失ってしまう不安に怯えるくらいなら、自ら拒絶してしまったほうが耐えられると。(なんて・・・愚かしいのかしら、私は)
自分の本当の望みに背を向けて、自分に嘘を突き続けてきた。
挙句に望みが叶えば、逆にそれを失うことを怖れて、自ら望みを放棄した。「私は大嘘つきよ」
セシルにすがりついて彼女は独白する。
「愛する人にも、自分自身すらも偽って来た大嘘つきなの。だけどそれももう終わり」
ローザはセシルの顔を見上げる。
はっきりとその顔を見る。
いつの間にか、闇は晴れていた―――まだ朝というわけではないが、東の空が白み始めている。夜と朝の境界の時間。セシルはまっすぐにローザを見つめ返していた。
ただ、その瞳は少し揺れて、どこか不安そうに口元を強く閉じていたが。「私は、貴方を愛しています」
何度も、何百回、何千回と口にした愛の言葉。
それだけならば今までとなにも変わらない。
だから彼女は続ける。本当の自分の望みを。「だから―――」
声が震える。
それはとても勇気の要る言葉だった。
初めて口にする、彼女の望み―――「だから・・・どうかお願いします。貴方も私を愛してください・・・・・・!」
長い沈黙―――のようにローザは感じた。
だが、実際は数秒ほどで、セシルは即答を返す。「当たり前だろ」
そう言って、セシルはローザを抱きしめる。
「言っただろう? 僕は君を望むって。だから君が望むことを―――」
言いかけて。
止める。
セシルは苦笑して、自分の言葉を否定する。「いいや違うな。僕は君のことを愛しているから。だから、君に愛して欲しいって望む」
一拍おいて、セシルはローザの耳元で囁くように。
「ローザ・・・君も僕を愛してくれるかい・・・?」
「・・・駄目よ」
「へっ」まさか否定されるとは想っていなかったので、想わず硬直する。
そんなセシルにローザは笑って、「それじゃ私と変わらないでしょう。私の真似ではなくて、貴方の言葉で私を求めて」
「あー・・・」セシルはローザを抱きしめたまま、困ったように声を漏らす。
言葉が見つからないわけではなく、それをいきなり言う度胸がセシルにはなかった。
だからセシルは勇気を求めるように、ローザの身体を抱く腕に少しだけ力を込めて。「あ、あのですね、ローザさん」
「・・・どうして口調が変わるの?」
「君だってさっき違ったろ! ・・・あー、コホン」咳払い一つして。
彼は言った。「ぼ、僕と、けけけけけけけけっ」
「なんでいきなり笑い出すのかしら?」
「笑ってないよ! ただ僕と結婚して欲しいって――――――あ」なし崩しにプロポーズ。
一瞬時間が止まった後(錯覚)、セシルは慌てて、「い、今の無し! やり直し!」
「セシル」
「な、なにロー」ザ、と発音する直前で唇で口を塞がれる。
いきなりキスされて、目を白黒させるセシルに、ローザは生まれてから一番素敵な笑顔をセシルへ向けて。「こんな私でよろしければ、有り難くお受けしますわ♪」
「え・・・あ・・・う・・・」ローザの微笑みの前に何も言えなくなって呆然とする。
彼女が言った言葉が、プロポーズ了承の言葉だと、ようやく理解し駆けた頃。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
歓声が、上がった。
続いて、どどどどっ、という地響き。「な、なんだっ!?」
「な、なに!?」セシルもローザも同じように驚いて辺りを見回せば、辺りの建物影や路地から何十人―――下手をすれば百人単位の人達があふれ出る。
付け加えると、それらはセシルが知っている面々―――というか、バロンの兵士達で。「「「うおおおおおおお! バロン王! ばんざーい、ばんざーい!」」」
「ぬうううおおおおっ! このベイガン感涙の極みぃぃぃぃっ!」
「って、ベイガン!?」何故かセシルとローザを取り囲んで万歳を繰り返すバロン兵の中で、むせび泣くベイガンの姿をセシルは捕まえる、
「これはどういうことだ!?」
「どういうこともなにも、王が妃を娶ったことを、兵士一同お祝いを―――」
「じゃなくてっ! どうしてここにいるのかって事だよ!?」城は寝室に入る時に魔法で抜け出してきた。
少なくとも、朝までは城にいないことがばれるはずがない。
と、兵士の間から、スッ、とすり抜けるようにして、使用人が現れる。「私がお呼び致しました」
「あら、キャシー」
「お嬢様、この度のご婚約、ご愁傷様です」
「いやねえ、キャシー。それじゃ不幸があったみたいじゃない」ぺこりと礼をするキャシーに、ローザが笑いながら訂正する。
(・・・絶対わざとだ)
セシルがそう確信していると、キャシーはセシルの方へ振り向いて。
「セシル王もおめでとうございます―――ところで分不相応という言葉は知っておられますか?」
「おおい、朝っぱらから超ご挨拶だね」というか僕王様なのになー、と呟いてみるがキャシーは無視。
(まあ、下手に王様扱いされるよりは気楽だけどね)
「・・・っていうか、君がベイガン達を呼んだって?」
「はい、セリス様に言われて」と言ってると、セリスがリサと連れだってやってきた。
リサはセシルを見るなり、にたりと笑って。「へったれー♪」
「・・・悪かったな」一部始終見られていたのだろう。ならば反論のしようがない。
セリスも、やれやれと肩を竦めて、「ふん、最後の最後まで面倒な奴らだ」
「・・・す、すいません」二人して、セシルに挨拶(?)したあと、ローザのところへ
ローザには「よかったね」とか「ま、おめでとうといっておこうかしらね」などと、普通にお祝いの言葉を伝える。
それを見てセシルはがっくりと肩を落とし、「・・・なんか、さっきから僕だけ苛められてないか―――」
「おーっす、セシル」
「その声は・・・バッツ?」振り返れば、すぐ後ろにバッツが居た。すぐ傍には相棒のボコもいる。
「ようやく結婚したって?」
「いやまだプロポーズしただけだけど」
「伝言預かってるぜ」
「伝言?」
「ヤンとマッシュから。あの二人、ついさっきまで死にかけてて、ようやく意識を回復したところでなあ」そのことは、セシルも知っている。
自分のためにそんな目にあわせたことは悪いとは思うが、だが話に聞けば半分はヤンが悪ノリしただけの気もするから気にしなくても良いかなー、なんて思っていたり。「ヤンからは “人生の墓場へようこそ! 歓迎する!” だとさ」
「・・・・・・」
「マッシュからは “この外道野郎” だと」
「・・・・・・ホントにイジメかこれは!? とゆーか、ヤンはともかくなんでマッシュのコメントが憎しみに満ちてるんだ!?」
「そりゃあ、か弱い女性を国家権力で追い回したからじゃねえ?」
「そ、そういう言い方をされたら僕が外道みたいじゃないか!」
「だからそう言ってるじゃねえか」
「うううう・・・」まるで祝われていない現状に、セシルが嘆いていると、今度はギルバートがフライヤを連れ立ってやってきた。
「やあ、セシル王。おめでとう」
「ギルバート! あなただけですっ、そうやって普通に祝ってくれるのは!」一応、祝うだけならば万歳をひたすら繰り返すバロン兵達とか、ひたすら爆涙するベイガンとか居るのだが、それは勘定には入らないらしい。
「はははは、大げさだなあ」とギルバートは朗らかに笑って、ぽん、とセシルの肩を叩く。「ま、僕たちの分まで幸せになってくれよ」
「・・・は、はい」“僕たちの分” というのがずっしりと肩にのしかかる。
ギルバートは、婚約者をゴルベーザの攻撃で亡くしてしまった。つまりはそういうことで。(お、重い、重すぎる言葉だ・・・)
「おやセシル。そんな顔しなくても、別に深い意味はないよ。ただ僕たちが掴めなかった幸せを、代わりに噛み締めて欲しいと願ってるだけなんだから」
「あ、あの・・・ギルバート? もしかしてわざと言ってます?」
「あはははははは、なんのことかな」
「・・・だからどうして僕を素直に祝ってくれる人は居ないんだ・・・」がっくりと肩を落としていると―――
「セシルっ♪」
いきなり横から抱きつかれる。
倒れそうになるが、なんとか踏ん張って耐える。誰だ? と疑問に思う必要はない。こうやって抱きついてくるのは世界中でたった一人だけ。「ローザ・・・」
「世界で一番愛してるっ!」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
また歓声。
今度は間近で声が上がったために、音が歓声だけに塗りつぶされる。
バッツやリサも、ヒューヒューと口笛なんか吹いているが、声にかき消されていた。セリスとフライヤは苦笑して、ギルバートは微笑み、キャシーはいつもの仏頂面で幸せなカップルを見守っている。上空では、実はさっきから黒チョコボの背に乗ったファスが、なんとかセシルのところへ降りようとしているが、歓声に気圧されて―――というかそもそも人見知りな少女が、大勢の兵士達の中に降りるのも抵抗があるのだろうが―――近づけずにまごまごしていたりもする。周囲の面々が囃し立てる中、セシルはローザに「僕も愛してる」と言ったが、ローザは首を傾げるだけだ。どうやら周囲が騒がしくて声が届かないらしい。
だからセシルは思いっきり息を吸い込んで叫ぶ。「ローザあああッ、好きだああああああああっ! 愛してるううううううううっ!」
叫ぶ。
叫ぶ直前、ピタリと周囲の騒音が掻き消えたりして。思いっきり、セシルの激しい絶叫が、早朝の街中に響き渡る。
見れば、セリスがオーケストラの指揮者のように兵士達に向けて両手を上げていた。それを見て、計られたことに気づくがそれに文句を言うよりも早く、セシルに抱きついたままさらに地面を蹴ったローザによって、セシルはその場に押し倒されていた。
******
その後、兵士達だけではなく、住民達もぞろぞろと集まってきて、なしくずしに大騒ぎ。
そこへダムシアンから流れてきた商人達も合流し、酒や食べ物を扱っている商人が、ご祝儀と称して周囲にばらまいて、そのまま街を上げたの大宴会に。
流石にベイガンは止めようとしたが、ローザの上目使いにお願いされてノックアウト。
皆が笑顔で楽しく笑い声を上げ、新しい王様の新しい妃に杯を掲げて盛り上がった。その大騒ぎは、明くる日の朝まで続き、その間、酒に弱いセシルは何度も飲みつぶれ、逆にローザは何人ものの猛者を呑み潰して伝説を作ったとか作らないとか―――
******
ちなみに街で宴会している頃―――
「くっそー、セシルのやつ・・・ちょっとしたお茶目じゃねえか。なのに牢屋にブチ込むなんて・・・」
「いや当然だろ」
「お前、なに済ましてるんだよ。俺と同じくせに」
「俺は愛に殉じたんだ! 後悔などなにもないさ」
「・・・でもさ、ファンクラブとして王様に逆らったんだから、潰されるんじゃねえか?」
「・・・・・・」
「プチっと」
「いや、まさか、いくらなんでも――――――ありうるかも」
「・・・・・・」
「・・・うあああああああっ! ちょ、ちょっとしたお茶目だったんだああっ!」
「馬鹿なヤツだなあ。お茶目、なんて理由で許されるもんかよ」
「お前に言われたくねえよ! なんだそのバンダナ、全然にあってねえ!」
「なんだとコノヤロウ! ケンカ売ってんのか!?」
「上等おおおおおっ!」などと、城の地下牢で馬鹿二人が喧嘩していたり。