第16章「一ヶ月」
AS.「君が好きだと叫びたい!(41)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロンの街
「―――お待たせ」
という声と共に、自分の足下に影が出来る。
振りかえればローザが外灯を手にしてそこにいた。「やあ」
セシルは片手を上げて微笑む。
「全然待ってなんか無いよ―――思ったよりも早かった」
セシルが外に出て五分たったかどうかくらいだ。
そういうと、彼女ははにかんで、「腕は・・・大丈夫なの?」
「腕?」尋ね返して、すぐに「ああ」とセシルは自分の右腕を振ってみせる。
「覚えたての回復魔法を使ったから大丈夫。一応、城医にも見てもらったし」
「・・・セシル、白魔法が使えるの?」少し驚いたようにローザが言う。
実はセシルも驚いている。おそらく白魔法が使えるようになったのはパラディンになった恩恵だろうが、(まさか自分が魔法を使えるようになるなんて思っても見なかったからなあ)
「セシルは凄いわね。どんどん強くなっていく―――私なんか置いて、どんどん・・・」
「ローザ?」彼女の呟きに、セシルは気遣うように声を掛ける。
しかし次にローザがセシルに向けた表情は明るく、「それじゃあ行きましょうか―――そう言えば、貴方と夜のお散歩をするなんて初めてね」
「そうだね」屈託無く笑う彼女に、セシルも微笑んだまま頷いた。
******
街は静かだった―――と言うのも、ここが住宅街で、繁華街まで行けば、まだやっている酒場の一つや二つはあるのだろうが。
ローザが持っていたカンテラをセシルが持ち、二人は静かな夜の街を歩く。
セシルが前を歩き、ローザがそのやや斜め後ろを付いていく。
二人の間に会話はなかった。無言で、ただ歩く。「・・・ねえ」
やがて、沈黙に耐えきれなくなったのか、ローザが口を開いた。
「どうしてこんな夜更けに来たの?」
「迷惑だったかい?」
「迷惑というか・・・」ローザは口ごもる、がすぐに続けた、
「・・・なにか、話でもあるんじゃないかしら?」
「まあね」素直に認めて、セシルは足を止めた。
それに釣られるようにして、ローザも立ち止まる。
セシルがローザを振り返り、カンテラの灯りを挟むようにして二人は向き合った。「君を追いかけているあいだ、ずっと考えていたんだ」
「なにをかしら?」
「どうして君は僕から逃げようとしたのか」
「それは―――」一瞬、ローザは表情を強ばらせる。
だが、すぐに微笑みを浮かべ直して。「ちょっと、そうして見たかっただけよ」
「だけどローザ―――あれ? セリス」ふと、セシルがローザの肩越しに何かを見つけたように目を開く。
「え?」と反射的にローザが振り返るが、そこには誰もいない―――その隙に、戸惑うローザの手をセシルの手が掴んだ。「ようやく―――」
「あ・・・っ」
「―――捕まえた」視線を戻すと、どこかホッとしたように苦笑するセシルの表情が目の前にあって。
「・・・っ」
ローザは想わず逃げようとする―――が、セシルはローザの手を掴んで離さない。
「は、離してセシル。手が、痛いわ」
「離さないよ。君の本音を聞くまでは離さない」
「本音って―――私が逃げたのは・・・」
「じゃあ、どうして僕を拒絶したんだい?」
「・・・・・・っ」
「君の家の君の部屋の前で、教会の僕の部屋で、君は僕を拒絶した―――あれは、どうしてだい? まさか、ただ僕のことを嫌いになってみたかっただけ、なんていうつもりじゃあないだろうね?」それは教会でも交した会話。
あの時、ローザはセシルのことをはっきりと “嫌い” と言った。
もう一度、同じ言葉が返ってくるのかと、覚悟する。(さあ来いいつでも来い僕は大丈夫だどんなこと言われたって平静を保ってみせるけどでもできたら言わないで欲しいなあ―――)
思い出しただけで叫びたくなる。
それだけセシルにとって、ローザの “否定” はショックだった。
今も、その時のことを思い返して、内心傷ついていたりするのだが、それは我慢して外には出さない。外は平静を装って、心の中で歯を食いしばって覚悟する。
だが、ローザは戸惑ったように口ごもるだけ。「それは・・・私は・・・」
なにを言えばいいのか解らない―――というよりは、どうするべきか迷っているような雰囲気。
とりあえず、こちらを拒絶する言葉が来ないことに安堵して、セシルは言葉を吐く。「あの時、僕は聞いたよね? 君が僕を拒絶するのは、僕を傷つけたせいじゃないかって」
「それは―――違うわ」
「僕を傷つけて―――いつか僕を失ってしまうって・・・」
「違う!」ローザは激しく首を横に振る。
「違うの! 本当に! これは、そんな話じゃなくて―――」
「そうだね」
「え・・・?」あっさり頷くセシルに、ローザはきょとんとする。
「最初は僕はそう思ったんだ。僕を傷つけてしまったから、これからも傷つけてしまうかもしれないから、だから僕から離れようとした。でもそれは―――」
自嘲気味にセシルは笑う。
「それじゃ僕と同じだ。君を不幸にすると思って、君からの愛を拒絶し続けた僕と何も変わらない。そして、それがどんなにくだらないことか、一番良く知っているのが君のはずだから」
昔の自分はなんて愚かだったのだろうかと思う。
素直に彼女を受け入れていれば、今こんなことにはなっていなかっただろうに。「だけど教会で、君が必死に誤魔化そうとするのを見てはっきりと解った」
「なにを、かしら・・・?」そう尋ねるローザの声は震えていた。
怯えるような、それでいて期待をするようにセシルの返事を待つ。「君が逃げようとしていたもの―――誤魔化そうとしていたものの正体に」
「あ・・・ああっ」ローザがあえぐように言葉にならない声を上げる。
構わずに、その声にかぶせるようにセシルは強い声音で続ける。「君は僕への愛を誤魔化そうとしていた!」
「―――っ」
「違和感はあったんだ。僕が死んだら自分も後を追って死ぬような人間が、どうして僕を傷つけただけであれほどまでに泣いて謝ったのか。そもそも、僕を失うこと―――死ぬことを怖れるはずがない」セシルが死ねばローザも死ぬ。それを彼女は怖れない。
だから、セシルが死ぬことをローザは怖れないはずだった。「そこまで考えたとき、ふっと思ったんだ。君は僕の愛を試すために芝居を打った。そして僕は君の望む選択をした。だけど!」
「やめて・・・それ以上は・・・言わないで・・・!」何も聞きたくないと、ローザは耳を塞ごうとする。
だが、彼女の片手はセシルが握りしめている。片手では両方の耳を塞ぐことは出来ない。
だからセシルは続ける。ローザの本音を暴くために。「だけど・・・もしも、あの時。僕が君を裏切ったら?」
「やめて・・・っ」
「僕が君の望まない選択をしたら? そしてその上で―――僕と君が生き残ったら?」
「お願い・・・言わないで・・・っ」ローザは目を閉じて首を振り、その目からは涙がこぼれる。
悲痛な彼女の様子にセシルは胸を痛めたが、それでもその言葉を止めようとしない。「君はそれでも僕のことを愛することが出来ただろうか?」
「―――っ」がくんっ、とローザの身体が落ちる。
力無く地面に膝をついて、項垂れる。セシルが手を掴んでいなければ、そのまま地面に倒れてしまっただろう。「うっ・・・うっ・・・ううっ・・・」
項垂れたまま、ローザは泣いていた。
それを、セシルは彼女の手を掴んだまま、ずっと聞いていた―――
******
「幸せ、だったのよ・・・」
しばらく泣き続けた後、涙も枯れ果てたのか、彼女は不意にぽつりと呟いた。
まだ、うつむいたままでセシルのは顔を見せず、そのため声はくぐもっていたが。「生まれてきて幸せだった。貴方に会えて幸せだった。貴方を愛することができて―――本当に幸せだった」
まるで今は幸せではないようだ、とセシルは思った。
そして、その感想が間違っていなかった。
今、間違いなく彼女は幸せではないのだから。不幸を知ってしまったのだから。「だから、貴方を愛せない私なんか想像できない。貴方に会えなかった私を想像するだけで気が狂いそうになる―――だって、私は貴方に会うために生まれてきたんだから!」
いや、それはどーかなー、とセシルは思ったがとりあえず黙っておく。
ここは茶々を入れて良い場面ではないと判断して、代わりに。「僕と君が出会ったのは子供の頃だったけれど―――でも、それ以前の君は不幸だったっていうのかい?」
セシルが問うと、彼女はうつむいたまま首を横に振る。
「不幸ではなかったわ。けれど幸せを知らなかった―――貴方という幸せを知らなかった」
ローザは顔を上げる。
涙に濡れた表情・その瞳がカンテラに赤く照らされて、爛々と揺れている。「だから私は貴方を失うことが何よりも怖い―――私の中から貴方が失われることが!」
ローザはセシルが死ぬことを怖れない。
いつもセシルが死ぬことを覚悟して―――そしてもしも本当に死んでしまったのなら、己も後を追うつもりなのだから。
だからこそ、それほどまでに愛する彼を失うことを怖れる。「セシルのさっきの疑問・・・」
「ああ、もしも僕が君の望まない選択をしても、君は僕を愛せるかという疑問?」
「その答えは私にも解らない―――ううん、きっと愛せると思う。けれど、私は貴方に失望するでしょう」ギ・・・と彼女は奥歯を噛み締める。何かを堪えるように数秒、そうしてから。
「その失望が積もり積もって、もしかしたらいつか貴方を愛せなくなってしまうかもしれない。貴方のことをどうでもよく思ってしまうかもしれない―――別の誰かを愛して、結婚して、子供を産んで家庭を作って、誰もが思い描く幸せを手に入れてしまうかもしれない―――」
そこまで言って、彼女は首を横に激しく振る。
「―――反吐が出る」
「・・・貴族のお嬢様がそういう言葉を使うもんじゃないと思うけどなあ」
「お母様に教わったのよ」
「何を教えてるんだあの人。ディアナさんだって貴族だろうに―――」
「ううん、お母様は元々は貴族の生まれじゃないわよ」
「は? そうなの!?」
「うん。元々は武器商人の生まれなのよ」
「うわ初耳。そういえば、君の家ってやたらと武器が飾ってあったね―――まあ、全部女性用の軽いものばかりだったけど」
「まあ、お母様のお父様―――だから私のお爺さまはもう隠居して店を閉じてしまったから」
「へえ、今は何をやってるんだい?」
「お祖母様と一緒に世界を旅しているわ。死ぬまでに全世界を見てやるんだって」
「・・・それは元気だね・・・」ローザの祖父母が何歳かは知らないが、老年で世界の旅に出るなど並大抵のことではない。
同じく旅人であるバッツに話したら、どんな反応をするだろうかと考えていると、いきなりローザがかんしゃくを起こしたように暴れて叫ぶ。「だから違うのよ!」
「な、なんだいきなり?」
「だから、今はそう言う話をしているんじゃないでしょう!」
「いや、脱線したのは君だろう」
「うっ・・・と、とにかく! 私はイヤなの! 私が貴方以外の人を愛して、幸せになるなんて考えるだけで―――」
「考えなければ良いだろう?」
「考えちゃうの! だって私は―――」そこで、言葉が途切れる。
再び彼女はうつむいて、「・・・私は、貴方のことを心から愛せると思ってた。いつまでも変わらずに、永遠に、貴方を愛し続けることが出来ると思ってた。貴方に愛されなくても、私の愛は変わらないと思っていた。でも・・・違った」
絶対だと思っていた自分の気持ちが、絶対ではなかったと知ったときの不安。
不安を覚えてしまったから、だから彼女はセシルを失うことを怖れた。「私は自分勝手で最低の女よ。貴方のことを愛していると言いながら、自分のことしか考えていない」
「誰だってそうじゃないかな。他人の事を想っていたって、結局それは自分のため」
「セシルもそう・・・?」
「そうだよ。僕が君を拒絶していたのだって、君が僕のせいで不幸になるのが耐えられなかったからだ。僕のために君が傷つくのがイヤだったから、僕は君を遠ざけようとした」苦笑してセシルが言うと、ローザも顔を上げて力無く微笑んだ。
「だったら、私も同じ」
彼女は立ち上がる。
力を失っていた膝に力を入れて、涙で濡れた地面に手をついて、未だにセシルに掴まれている腕に力を込めて立ち上がる。「セシルは違うって言ってくれたけど、私も変わらない。私は私の中からセシルが消えるのが怖くて貴方から逃げ出した。でも、逃げているうちに気がついたの。私が逃げることに手を貸しくれる友達がいる、セシルが追いかけるために力を貸す人もいる。・・・みんな、私達のことを心配してくれているんだってことに気がついたの」
それに気がついたら、ローザはもう逃げられなくなっていた。
これ逃げ続ければ、それだけ周りの人に心配をかける。自分の大切な人に―――その中でも一番大切なセシルも心配する。それはとてもイヤだった。「貴方の言う通りよ。だから私は誤魔化そうとした。曖昧な形でこの追いかけっこを終わらせてしまえば、全部無かったことにできるって思った」
そこまで言って、彼女はぺろりと可愛らしく舌を出す。
「まさか、最後のあのゲーム、負けるとは思わなかったけれど」
五本の弓矢を放つゲーム。
ローザは絶対に勝てる自信があった。
セシルが居合いの技を使う事まで計算に入っていた。誤算は、天に向かって撃った矢をセシルが無視したこと。
少しでも、セシルが空の矢に気をとられれば、当たるはずだった。
“六本目” の矢は苦肉の策だ。五本目を撃った時に当たらないと気づいていた。その時、たまたま足元に、一番初めに撃った矢が落ちていることに気がついたのだ。―――まさか、それまで防がれるとは思いもしなかったが。ローザは内心では負けを認めていた。
けれど、強引に自分の勝利にしたのは、あれが単なる茶番劇だったと周囲に知らせるため。
そうして、ローザがセシルを拒絶したことなど “無かったこと” にして、うやむやにしてしまえばいいと思った。「貴方は言ったわね。あべこべだって。いつも追いかけるはずの私が逃げて、逃げるはずの貴方が追いかける―――そう、だからこれを “無かったこと” に出来れば、もう貴方は私を追いかけないと思った。そして私は、貴方を拒絶もせず、少し距離を置いていけばそれで上手く行くと思っていた」
「なにが上手く行くって?」
「貴方を愛することが」ローザはくっつきもせず、逆に拒絶もせずに、微妙な距離を保つことで、自分の想いを保とうと考えたのだ。
だけどそれは大きな間違いだとセシルは気づいていた。
極端にくっつけば些細なことで失望して、いつかは愛が失われてしまうかもしれない。拒絶し続けていれば、周りの大切な人達が心配する。(けど、距離をとっていればいつかは感情も冷めてしまう。結局は、愛は失われる・・・)
しかし、セシルはそれを口には出さない。
もしかしたら、それこそがローザの本当の願いなのかもしれないから―――彼女が本当に幸せになれる方法かもしれない・・・そう思うと、セシルはローザの選択を否定する気にはなれなかった・「上手く行くはずだったのよ。絶対に上手く行くと思っていたのよ」
「・・・・・・」
「でもどうして? どうして貴方が来るの・・・!?」ローザはセシルに顔を向ける。
まるで非難するかのように、下からセシルを睨め上げる。「ずっとずっと私を拒絶していたのに、どうして今になって追いかけてくるの! どうして私を訪ねてくるの!? どうして・・・っ!」
怒っているような、泣いているような、そんな感情。
セシルはその言葉を自分の中で咀嚼すると、ふ、と小さく息を吐いてから、「本当はここで君を強く抱きしめて “愛しているから” とか言えば格好良いんだろうけど」
「え・・・? あ―――」セシルが、ずっと掴んでいたローザの腕を放す。
それから彼は、一歩だけ下がってローザとの距離をとった。
ランタンの灯りが遠ざかる―――ほんの少しだけ灯りが遠ざかっただけなのに、何故かとても淋しく感じる。その淋しさを吹き飛ばそうとするかのように、彼女は叫んだ。「どういうことっ!?」
「ずっと君は僕を求めてくれたね。出会った時からずっと、僕を追いかけてきてくれた」静かなセシルの声音がローザの耳から身体に染みいって、なぜだか胸を締め付けられるような不安感が沸き上がる。
「けれど僕は君のように君を求めることは出来ない。追いかけることも出来ない」
「嘘よ! だって昼間散々―――」
「僕は君を求めない。代わりに僕は君を望む」
「・・・えっ?」
「君が望むことを望む―――君が僕を厭うなら、僕は二度と君には会わないだろう」そう言って、セシルはその場にランタンを置くと、ローザに背を向ける。
そのままランタンの照らす明かりの中から、夜の闇へと身を溶かすように消えていく。セシルが居なくなってから、ローザはやや呆然としていたが。
「嘘つきッ!」
叫ぶ。
セシルが溶けてしまった夜に向かって。「何が私のことを望むですって!? ずっとずっと私のことを受け入れてくれなかったくせに! 今日だって、追いかけて欲しくなかったのに追いかけて、さっきも離してって言っても離してくれなくて! 私の望みなんか何一つ応えちゃくれないくせに!」
カンテラ一つに照らされた闇の中で、ローザは叫ぶ。
だが、返事は何も来ない。
セシルは、もう声の届かない場所に行ってしまったのかもしれない―――そんな考えが頭に浮かんで、ローザは溜まらなくなって叫んだ。「嫌いッ! セシルなんか大ッ嫌いッ! 二度と顔も見たくないッ! どこからも居なくなって、消えちゃって、死んじゃえええええええっ!」
そんな風に自分が叫んだことを、ローザ自身驚いていた。
が、すぐに納得する。「そう・・・そうよ。私、セシルの事なんて嫌いだったんだわ。ただ好きな振りをしていただけ。結局、セシルは私のことなんかなんとも思ってないんだもの。そんな人、どうして好きにならなければならないの?」
これでいいのよ、と彼女は力無く笑う。
「セシルを愛したことなんて間違いだった―――ううん、最初っから嘘だった。あんな人を愛して幸せだったなんて、ただの幻想。でもそれももうお終い。私は生まれ変わるのよ、これから幸せになるの。セシルなんかとは全く違う、心の底から私のことを愛してくれて、優しくしてくれる人。私もその人を愛して、結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を作って―――」
半笑いのまま、ローザはぶつぶつと呟いて、幸せな未来予想図を頭に浮かべる。
それはそれはとても幸せな想像だった。
実際は、色々と困難もあるだろうが、それでも幸せなことには違いない。
そんな想像を思いめぐらせて、ローザは―――「――――――やだ」
泣き笑いの表情で彼女は呟く。
「そんなの・・・いや・・・」
妄想が―――
「セシルがいないなんて・・・やだ」
―――崩れていく。
「いやよ・・・こんなの・・・セシルがいないなんて耐えられない・・・・・・」
再びその場に膝をついて泣きじゃくる。今度はセシルが支えてくれない。だからローザの身体は地面に倒れ込んだ。
全て、嘘だった。「セシルが嫌いなんて嘘。顔も見たくないなんて嘘。居なくなって、消えて、死んで欲しいだなんて嘘ぉ・・・・・・」
嗚咽混じりに呟くが、しかし誰も答えない。
「本当はセシルに愛して欲しいの。抱きしめて、キスをして、愛してるって言って欲しいのぉ・・・・・・わたし・・・わたし・・・セシルが・・・ほしいよ・・・」
その呟きは闇の中に消えて―――しかし何も応えない。
ローザはしばらく地面に突っ伏して泣きじゃくっていたが、やがてふと顔を上げる。
目の前では相変わらずランタンが灯りを放っていて、ローザを含む、狭い闇を照らしていてくれる。そしてそれ以外はなにもない。「ほら」
失笑。
「やっぱりセシルは嘘つきよ。私はこんなにセシルのことを望んでいるのに、来てくれないもの」
そのまま再び地面に伏せて泣こうとした時―――
じゃりっ、と歩いてくる足音が聞こえた。
はっ、としてローザは顔を上げる。じゃりっ、じゃりっ、と足音は近づいて来て、そして―――「・・・こんなところで何をしとんるんだ?」
闇の中からランタンの灯りの中に出てきたのは、まるで爆発したようなボサボサの髭をたくわえた、老年の男だった。
「って、シド・・・?」
「如何にも。天才飛空艇技師のシド様とはワシことだゾイ―――で、ローザ、お前さんは一体ここで何を?」
「な、なんでもないわっ」焦って慌てて立ち上がる。
シドは服に付いた地面の砂埃を叩いたおとすローザを、呆れたように眺め、「なんでも無いようには見えんゾイ。―――どうせまたセシルのことでなんかあったんじゃろ」
「ど、どうして解るの!?」本気で驚いて目を見開くローザに、シドはやれやれと溜息をつく。
「・・・お前さんに何かあるとしたらセシル絡み以外で何がある? 全く、さっきのセシルもそうだったが、本当にお前らは変わらんゾイ。こっちはローザのお陰でてんてこ舞いだというのに・・・」
「私のお陰って―――じゃなくて、さっき・・・セシル・・・?」ローザが言うと、シドは「ああ」と頷いて。
「さっき、ここに来る途中。道端で体操座りをしてなにやらぶつぶつ呟いとったが」
「!」
「立たせてウチに連れて行こうとしたら、腕を振り払われたゾイ。ローザがどうとか呟いておったから、どうせいつものようにお前さん絡みで落ち込んでるだけだと思ったから放置しといたが」
「いつものように・・・って?」
「なぬ? お前さん知らんかったのか? セシルのヤツはいつも―――っと、これはワシが言う事じゃあないな」
「教えて!」
「どうしても知りたいならセシルに聞けぃ。ワシぁもう家に帰って休みたいゾイ」そう言えばとローザは思い出す。
リサが言うには、シドはなんでも仕事が忙しくてあまり家に帰っていないらしい。「そうね・・・ごめんなさいシド、引き留めちゃって」
「なんのなんの。それよりもセシルと仲良くな―――というかいい加減にお前ら結婚でもせんか。ロイドのヤツも、自分が身を固めるのはセシルの後だと言うてなあ」
「そうね。結婚式には絶対に来てよね、シド」
「おっ、キメる気じゃな? モチロン行くにきまっとろーが。呼ばれんでも行くわ!」
「シドを呼ばないなんて、絶対にあり得ないわ! というか仲人もお願いするわよ! スピーチの準備は大丈夫!?」
「お主らのことならば幾らでもネタはあるゾイ」そんなことを話しながら、ローザは地面に置いていたカンテラを拾い上げる。
「あ、シド、灯りは?」
「要らん要らん。この街に何年住んでいると思っておるんじゃ。目を瞑ってたって家にたどり着けるゾイ」
「そうね、それじゃシド。私、行くから!」そう言って、ローザは元気よく駆けだしていく。
ローザが灯りと共に駆けていって、シドは夜の闇に包まれる。
闇の中で、シドはクックック、と笑い。「全く、本当に変わらんのう。どんなに落ち込んでおっても、セシルの話をするだけで、すぐに元気になる―――そう言えば、バロンを出てからあの二人、少しは進展したんかのう・・・?」
カイポの村やゾットの塔などで色々あったのだが、ずっとバロンの城にいたシドは何があったのか詳しくは知らない。
今日のことも、ずっと作業に集中していたシドは、城が騒がしかったことには気がついてはいたが、なにも聞いては居なかった。娘のリサや、その恋人であるロイドなどの繋がりもあって、シドはセシルとローザとは割と深い付き合いだったりもする。
特にローザはセシルとのことを何度も相談に乗ったりもした。
シドにとってあの二人は、ある意味で息子や娘のようにも思っている。だからこそ、実の娘であるリサは当然として、セシルとローザにも幸せになって欲しいと思っていた。さて、仲人のスピーチはどんな事を言おうかと、シドは嬉しそうに笑いながら帰路についた―――