第16章「一ヶ月」
AR.「君が好きだと叫びたい!(40)」
main character:セリス=シェール
location:ファレル邸
「そんなわけで、ようやくここまでの腕前になったというワケなのよ。ウィルのために」
ようやくディアナの話は一段落ついたようだった。
聞き疲れたセリスとリサは机に突っ伏している。
ローザは慣れているのか、それとも自分も同類であるためか―――彼女もセシルに関する話なら、延々と話し続けていそうではある―――特に変わらずにいた。流石にお茶はもう飲んではいなかったが。もう日は変わっていた。
それを告げる柱時計の時報を聞いたとは思うが、それがどれくらい前のことなのか解らない。
ひたすら続く話のせいで、時間感覚がぐちゃぐちゃになっていた。(或る意味拷問ね、これは・・・)
何度 “ウィルのために” という言葉を聞いたか解らない。
ディアナの言葉が止まって数秒して、ようやく話が終わったことを理解すると、セリスはゆっくりと顔を上げた。見ればディアナはとてもイイ表情で満足そうにお茶を飲んでいる。
湯気が立っているのはキャシーが入れ直したためだろう。なにせ話をしているあいだ、言葉を吐くだけでなにも口には付けていなかった。噺家もかくやという持久力である。そんなディアナの惚気話に付き合って平然としていられるローザとキャシーも尋常ではない。
などと思いながら、ずっと立ちっぱなしのキャシーを見れば、ぴくり、と何かに気づいたように眉を上げる。「―――誰かが来たようです」
もう夜も遅い。
そんな時間にやってくるのは、まともな来客ではないだろう。
そう思って、セリスは意識を切り替える。まず自分の状態を確認し、次に状況を把握する。(・・・魔力はまだ完全でないにしろ、少しは戻ってる。ただの泥棒なら十分だ―――それに)
と、キャシーを見やる。
元忍者だというこの使用人もそれなりの戦闘力を持っている。強盗如きに遅れを取ることはないだろう。そう思いつつ、セリスは席を立とうとしたその時、ディアナがぽつりと呟く。
「あら、随分と遅かったわね」
まるで誰が来たのか解っているような口ぶりだ。
それを聞いて、セリスは自分が思い違いをしていたことに気がつく。(・・・考えてみれば、こんな時間でも不自然ではない客がいたな―――いや、客ではないが)
ウィル=ファレル。
この屋敷の主人である。
城勤めだということは知っているし、バロン城内で何度か見かけたこともある。仕事が長引いて、帰るのが遅れてこんな時間になってしまった―――といったところか。そうセリスが考えていると、ディアナはさっさと席を立って食堂を出て行く。その後にキャシーも続いた。
万が一、不法な侵入者である可能性もあるが、キャシーがついているならば大丈夫だろうと、セリスは判断して椅子に座り直す。
「・・・おかしいわね」
ディアナが出て行って暫くして、ローザが疑問を呟く。
「なにが?」
「今のお母様の行動よ。お客が来たからって、わざわざ出向くなんて・・・・・・」
「客・・・というか貴女の父親が帰ってきたんじゃないの?」ディアナの、自分のウィルへの熱愛ぶりは、ここ数時間に及ぶ惚気話で脳にすり込まれている。
相手が愛する夫ならば、迎えに行くのも不自然ではないだろう。「相手がお父様だとしたら、それこそ不自然よ。普段のお母様なら、お父様の気配を感じただけで狂ったように踊りながら飛び跳ねて、愛の言葉を撒き散らして突進していくのよ!」
「・・・・・・それが普段なのか」
「そうよ。もう、お母様も歳というものを考えてくれないと、こっちが恥ずかしいわ」ふう、とローザは仕方ないわね、とでも言いたげに吐息する。
自分自身、セシルが絡んだときと大差ない、ということには当たり前のように気がついていない。「しかし、お前の父親ではないとしたら一体―――」
セリスが呟いたとき。
コンコン、とノックする音が聞こえた。
音のする方―――食堂の入り口に顔を向ければ、ドアを開いてキャシーが入ってくるところだった。彼女はこちらの方を向くと、静かに一礼する。
それから顔を上げた―――その表情は、どことなく不機嫌であるようにセリスには感じられた。「・・・どうしたの? 不機嫌そうな顔をして」
ローザもそう感じ取ったらしい、尋ねるとキャシーは「いいえ、特には」と簡潔に答えた。
それから、ローザの方を見て。「お嬢様にお客様です」
「私?」
「はい」頷いてから一拍おいて、彼女は心底イヤそうにその名前を告げる。
「セシル=ハーヴィ様が玄関でお待ちしています」
******
「随分と遅かったわね」
ファレル邸の玄関ホール。
壁に掛けられたランプの明かりに薄暗く照らされた中で、ディアナは食堂でも言った言葉をもう一度告げる。「本当はもう少し早く来たかったんですけれどね」
言われた相手―――セシルは苦笑して言う。
自分でも言い訳じみているなあ、と思いつつ。「バロンに流れてきた商人のことをウィルさんと話したり、ベイガンの説教をずっと聞き続けたり、あとは慣れない魔法を使ったりして―――」
「言い訳ね」
「はい自分でもそう思います。・・・というか、まるで僕が来ることを解っていたような口ぶりですけど・・・?」セシルがここに来ることは誰も知らないはずだった。
ベイガンの説教が終わった後、寝室に引っ込むと即座に転移魔法テレポを使って城を抜け出した。もっとも、慣れない魔法を使ったせいで、街の端に転移したお陰で、ファレル邸に来るのはさらに遅くなってしまったが。「当然でしょう」
ふん、と彼女は鼻を鳴らす。
「あの娘のことを見てれば解るわよ。あなたが来ることくらい」
「ローザが僕が来ることを予想していたと言うことですか?」
「いいえ。想像すらしていないでしょうね」
「では、何故貴女は予想できたと・・・」セシルの問いに、ディアナは「簡単よ」と答えた。
「あの娘がここにいるということは、貴方はまだ捕まえていないと言うことでしょう?」
そう言って、ディアナは掌を上へ向けて、人差し指でセシルを指さす。
「なら、貴方が諦めていないのなら、貴方は来るに決まってるでしょう」
「わ、解るような解らないような」
「でも失格よね」
「う」昼間、この屋敷を出るときにディアナは言った。
日暮れまでにローザを捕まえられなくても失格だと。「貴方はローザを愛する資格がないということよ」
「でもそれは―――」ディアナが冷たく告げる―――だが、セシルは怯まずに、まっすぐにディアナを見返して言い返す。
「―――それは、ディアナさんが勝手に決めたことですよね」
セシルの言葉に、ディアナはふっと微笑する。
「そうよ」
「貴女に失格と言われようと構わない。それでも僕はローザを望みます」
「良い返事ね」くすり、と笑ってディアナは後ろを振り返る。
そこに、ローザの姿があった。その後ろにはキャシーが控えている。「・・・セシル」
半ば呆然とした様子で、ローザは愛する者の名前を呟く。
セシルはそんな彼女の様子を見るだけで、心が痛むのを感じたが、それを振り切って、「こんばんわ、ローザ」
「・・・こんな夜遅い時間に、なにしに来たの?」なにかに怯えるように、おそるおそる問う。
セシルは問われてセシルは―――「・・・・・・」
「どうして黙っているの?」何も言わないセシルに、辛辣な口調でディアナが言う。
セシルは困ったように、引きつった笑みを浮かべて、「いや、あの・・・ちょっと人が居る前では言いにくいというか―――できれば、ローザと二人きりにして欲しいんですが」
「・・・ほんとにへたれね、貴方」
「うっ・・・」傷ついたように顔を歪ませるセシルに、ディアナは嘆息してローザを振り返る。
「ローザ、少しこのへたれと散歩でもしてらっしゃいな。今夜は星が綺麗よ? 多分。見ていないから知らないけど」
適当なことを言う。
それに反発したのはキャシーだった、「奥様、もう夜も遅いですし外出は―――」
「セシルが一緒なら問題ないでしょう。それは貴女もよく解ってるのではなくて?」
「・・・・・・」ディアナは暗に昼間、セシルとキャシーが戦闘したことを言っているのだ。
戦闘、というのは不適切かもしれない。なにせキャシーは軽くあしらわれてしまったのだから。「で、でもお母様。そろそろ寝ないと美容に悪いわ」
「その時はこのへたれに責任取ってもらえばいいでしょう」
「だ、だけど・・・」尚も渋る娘に、ディアナは軽く睨んで、
「いいから行って決着を付けてきなさい」
「け、決着って、何の話?」
「貴女とセシルがくっつくか離れるかという話よ」
「それならもう決着は着いたわ! 私はセシルのことを愛しているし、セシルだって私のことを―――そうよね、セシル?」ローザに話を振られて、セシルは苦笑しながら。
「そうだね。僕も君のことを愛してる」
「ほ、ほらっ。だから―――」
「だから二人して散歩にでても何も問題ないよね」
「え?」
「愛しあう二人が星空の下を散歩する―――とてもロマンティックだとは思わないかい? ちなみに星空は本当に綺麗だったよ。月が無い夜だから、星達の輝きがよく見える」
「え、えと、あの・・・・・・」ローザは困ったように立ちつくす。
上手い反論が見つからないのか、「あの」と「ええと」を繰り返すだけ。
そんな彼女を見かねて、セシルは苦笑したまま背を向ける。「いいよ、ローザ。無理強いする気はないから―――門のところで待ってる。気が向いたら出ておいでよ」
そう言い残して、玄関から外へ出て行く。
ぱたんと閉じられたドアを見つめ、ディアナはやれやれと肩を竦めた。「本当にへたれね。強引に奪い取るくらいできないのかしら」
そう言ってローザの方を向く。
「それで、どうするの?」
「どうするのって・・・私は―――」
「解ってると思うけど。あのへたれ、貴女が行かなければ朝まで門のところに突っ立ってるわよ絶対。馬鹿みたいに」
「・・・・・・」
「ま、私には関係ない話ね。今夜はウィルも帰ってこないようだし、さきに寝させて貰うわ―――おやすみ」そう言って、ディアナはローザの隣をすり抜けて、自分の部屋へと向かう。
後にはローザと、それを心配そうに伺うキャシーが残り。「なんで、セシルが来たの・・・? なんで・・・? これじゃ、私―――」
「お嬢様・・・」
「わかんない―――
「お嬢様?」キャシーがローザを呼ぶ、がその声もローザの耳には届かないようだった。
彼女は、セシルが出て行った玄関のドアをじっと見つめたまま、呟きを繰り返す。「私・・・どうしたらいいの・・・? どうすればいいのか―――わからない」
まるで泣きだしそうなその声に、キャシーは声を失い、その誰に言うともなく呟かれた問いかけに、答えるものはなかった―――