第16章「一ヶ月」
AQ.「君が好きだと叫びたい!(39)」
main character:セリス=シェール
location:ファレル邸
「―――お待ちしておりました」
ファレル邸に辿り着いたローザ達を出迎えたのは、キャシーのうやうやしいお辞儀だった。
ローザが連れてきたセリスとリサの存在にも特に驚く様子はなく、邸内をエスコートする。まるで最初から来客の予定があったかのように客室が用意されていて、セリスはあまりの用意の良さに驚いたが、リサは「いつものことだよ」と笑って言う。聞いた話ではキャシーは元忍者だったという。
ならば、ちょっとした情報網がバロンの街中に張り巡らされているのかもしれない。
となれば、 “追いかけっこ” の結果も知っているのだろうかと、使用人の顔色を伺ってみるが、微動だにしない無感情が浮かんでいるだけで何も読み取れない。通された部屋でお茶を振る舞われてくつろいでいると、程なくしてキャシーが再び現れて、
「お食事のご用意が整っております」
「そうね、街中走り回ってお腹も空いたし、頂こうかしら」と、食堂へと赴いて、セリスはそこでまた驚いた。
ちゃんと三人分の食事が用意されていたことも驚きだが、食卓に並べられた料理はガストラでもバロン城内でも見たことのない料理で、かぐわしい香りが胃を刺激してくる。
席について、味を見てみても、見た目以上に深く豊かで幸福な旨味が口の中を満たしてくれた。思わずマナーを忘れてがっつきそうになるのをなんとか抑え、セリスは前菜を食べ終えると一息ついた。「はあ・・・」
「お気に召したかしら?」ローザが問いかけてくるのを、セリスは素直に頷く。
思わず「こんなに美味い料理を食べたのは初めてだ」と言いそうになるが、それで自分が普段はロクなものを食べてないのだと思われるのは恥ずかしくて、それは自制する。しかしローザはセリスが素直に美味しいと答えた事で満足したようで、心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。きっと、お母様も喜ぶわ」
「・・・・・・は?」一瞬、ローザの言葉が理解できなかった。
やや混乱する頭の中で、ふと疑問が過ぎる。そう言えば、この食卓には三人分の食器しか並んでいない。ローザの父、ウィル=ファレルはまだ城にいるとしても、母であるディアナが居るはずだった。「すごいよねー、ローザのお母さん。貴族なのに、そこらのコック顔負けなんだもん」
感心したようにリサが言うのを聞いて、セリスはさらに混乱した。
「え、ちょっと、どゆこと?」
「あっははははっ! セリスの顔っ。やっぱりセリスも驚いたね!」愉快そうにリサが爆笑する。
ローザは不思議そうに首を傾げて。「お母様の手料理を食べると、皆、驚くのよね。そんなに妙な事かしら?」
「みょ、妙どころか! 貴女の母親ってコックだったの!?」
「ううんお母様の実家は商人よ。フツーの商人」
「いやフツーじゃないでしょ!?」
「ああ、うん。武器商人だったわね」
「そっちじゃなくてっ!」
「え、どっち? ちゃんと方向を指さしてくれないと解らないわ」
「わかんないのはアンタの家だあああああああっ!」思わずガタンッ、と立ち上がる。
そんなセリスの目の前に、次の料理をキャシーが運んできた。
その料理の前に、セリスは素直に椅子に座り直す。一口味を見れば、それは前菜以上にふくよかな味わいだった。
実のところ、前菜で舌は満足しきっていたのだが、どの満足感を上回る味が脳天に突き刺さる。満足以上の満足を与えられて、しかしまだメインディッシュではない。そのことが次なる期待を呼び起こす。涎があふれ出てきて、舌が次の料理を要求し、食べれば食べるほど腹が減っていく。料理を楽しみ、悦に入っていたセリスは不意に我に返った。
空になった食器を、音もなく片づけていたキャシーに呼びかけて。「ちょ、ちょっと! この料理って、貴女が作ったものじゃないの?」
セリスが問いかけると、キャシーは動きを止める。
ややあって、まるで錆び付いた扉が開くように、重々しく口が開かれて答える。「・・・はい、これは奥様が作られたものです」
そう言い残して、彼女は食器を片づけて奥へと引っ込む。
キャシーがいなくなったのを見て、ローザがこっそりとセリスへ言った、「キャシーはね、一人でこのお屋敷のことをなんでもできるけど、料理だけはお母様に敵わないのよ。だから、普段はキャシーが食事の用意をするんだけれど、なにか特別なお祝いの時なんかは、お母様が厨房に立って、キャシーは給仕に徹するの」
くすりとローザは笑って。
「使用人として、自分の主が厨房に立つ事が、キャシーにとっては許せないことなんでしょうね」
もちろん、ディアナのことを疎んじるわけではなく、自分自身の力量の無さを恨むのだろう。
セリスはローザの話を普通に聞いていたが、ふと疑問に気がつく。
「特別なこと?」
引きこもっていたローザが外に出たお祝いだろうか、と思っていると。
「セリスがウチに来たことよ」
「は?」
「というか、私の友達が来てくれたからかしら」
「それが、特別・・・?」セリスは呟いてから―――ローザを、憐れむように見やる、
「貴女、友達居ないの?」
「え、居るわよ。割と」きょとんとするローザに、リサが苦笑してフォローする。
「ディアナさんはね、ローザの友達が来るたびに手料理を振る舞ってるのよ。どんな身分の相手でも、どんな大人数でもね―――例外はセシルくらいかな」
「でもセシルにはいつも私の分を分けて上げてたから大丈夫よ!」何が大丈夫なのか良く解らなかったが、解ることが一つ。
ローザ=ファレルは母親から愛されて育ってきたのだと。
末席とはいえ、貴族の身分でありながらも、娘の友達には自ら手を汚すことも厭わない。(なるほどね。だからこんな脳天気な娘に育ったわけか)
心の中で皮肉を呟きながら、セリスはうらやましさも感じていた。
セリスは自分の両親の事を知らない。
気がつけば、ガストラ帝国の魔導研究所で育てられていた。自分の両親が今どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかも解らない。誰も教えてくれなかったし、セリスも誰かに聞こうと思わなかった。
セリスを育ててくれた研究所の所員達は彼女に良くしてくれて、血は繋がって無くとも本当の家族のようだった。特に、所長は一番可愛がってくれて、幼い頃に「おじいちゃん」と呼んだら嬉しそうに破顔したことを覚えている。
魔導の使い方を覚え、剣の手に取り、戦うことを覚えた頃になると、そういった “家族ごっこ” がなんだか気恥ずかしくなり、彼らとは少しだけ距離を置くようになってしまった。だから、久しぶりに暖かいものに触れたような気がして―――・・・
「いいな・・・なんか・・・」
思わず、呟きが出た。
「え?」とこちらを向くローザに、セリスは赤面して顔を横に振る。「な、なんでもない」
なんだかとても恥ずかしくなって、カーッ、と顔を真っ赤にしてセリスはうつむいた。
(ガストラの将軍が、 “家族” に憧れたなんて恥ずかしくて誰にも言えたものじゃない!)
けれど、と思う。
(それでも “私” は―――ガストラの将軍ではない、ただの “セリス=シェール” は・・・・・・)
ありえない想像が脳裏に浮かぶ。
もしも、自分がガストラには生まれずに、このバロンに生まれ落ちて、ローザとも幼馴染だったなら―――。(私は、もっと笑っていたのだろうか・・・)
下らない想像だ、と。
セリスは浮かんだ夢想を強引に打ち消した。
******
「ふう・・・お腹一杯・・・」
苦しそうにリサが呻く。
メインディッシュを食べ終え、デザートまで振る舞われた。
女性と言うことで、一皿一皿の量は控えめだったようだが、何種類も料理を運ばれては意味がない。「ローザの家に来ると、いっつも食べ過ぎるから困るよね」
にへら、とリサが苦しそうに笑う。
“いっつも” はともかく、食べ過ぎて困るというのはセリスも同意見だった。
リサほど表に出しては居ないが、食べ過ぎたのは彼女も同じで、出されたお茶も唇を湿らせた程度で、全然量が減っていない。ローザだけが、平然とお茶を飲んでいる。
三人の中では一番細身の身体をしていて、同じくらいの量を食べたというのに、食べ過ぎに苦しんでいる様子はない。貴族らしく優雅にお茶を楽しんでいる。と。
食堂にディアナが入ってきた。
なんとなく、コック姿で現れるかとセリスは想像していたのだが、今朝であったときと同じ貴族の装いで登場する。まさか、その格好でコース料理を作っていたわけではないだろうが。「料理はどうだったかしら?」
ディアナの問いに、リサが「はーいっ」と手を挙げる。
「すっごく美味しかったです。いつもと同じに!」
元気よくリサが答えると、ディアナは嬉しそうに微笑んで。
「ありがとう。リサはいつも嬉しいこと言ってくれるわね」
「ホントのことですよっ! もう、ホントのホントのホントに美味しすぎて、尊敬してますって」
「それにしては初めて来たとき、私のことを怖がって、一番ビクビクしていたわよね?」
「う・・・」痛いトコを疲れたと、リサはバツが悪そうな顔をする。
「だ、だって、あの頃は貴族や騎士って言うのはみんな敵だと思っていたもん。父さんの影響で」
リサの父はバロンにその人有りと言われた、飛空艇技師シド=ポレンティーナだ。
当時、まだバロン初の飛空艇を開発しようとしていたシドは、騎士や貴族達と衝突を繰り返していた。
人や荷物の運搬を主として、遠くの地域との交流のために飛空艇を作っていたシドだったが、騎士や貴族達はそれを戦争のために使おうとしていた。それを良しとしなかったシドは、事あるごとに貴族と口論し、騎士とは取っ組み合いまでして、怪我をしたり、牢屋に入れられたりを繰り返した。だからリサは貴族というものを信用していなかったのだが。
「そうだったかしら?」
とローザが首を傾げる。
「昔のことは、セシルやカインの事以外はあまり覚えていないからわかんない」
「・・・ホントにローザは、ずーっと “セシル” しか見えてないんだから」リサが苦笑する。と、ローザは少し困ったように、
「う、うん、そうね・・・」
少し口ごもって答える。
その様子に、セリスはふと違和感を覚えたが、それを言えなかった。
ディアナがこちらを向いたからだ。「それで、貴女は確かセシル=シェールだったかしら?」
「・・・セリス=シェールです」
「あらごめんなさい。誰かさんと名前が似てるものだから」・・・やっぱり親子だ。
と、セリスは暗鬱に思った。まさかまだ名前ネタが続くとは思っていなかった。「あなた、ガストラの将軍なんですってね」
「はい」
「常勝将軍とか呼ばれているとか」
「・・・はい」
「実は私も、若い頃は “突剣天女(ニードルダンサー)” と呼ばれていてね?」
「・・・・・・は?」いきなり妙な方向に話が転がって、セリスはきょとんとする。
そんな彼女には構いもせず、ディアナは何か思いついたように、ポン、と柏手を打って。「そうだわ! 貴女に “突剣天女2” の異名を上げるわ!」
「・・・は!?」
「そうよ、常勝将軍だなんて可愛くない名前、女の子が名乗るのはどうかと思うわ」
「いや、私は女である前にガストラの将軍で―――」
「そうよお母様!」セリスの否定を遮って、ローザが叫ぶ。
「突剣天女もかなりどうかと思うわ! とゆーか恥ずかしいって何回言えば良いの!」
「ならローザ、貴女は彼女にどんな名前を付けるというの!」
「・・・いや、勝手に人の名前を―――」
「そうね、私ならやっぱり可愛らしさを前に出すわ―――例えば、プリティピンク・セリリン♪ とか」
「何その恥ずかしい名前―――」
「そうよローザ! セリスのどこら辺がピンクなのよ!」
「ツッコミどころはそこじゃないだろ!?」
「フッ・・・そうね、お母様の言うとおり、今のセリスはピンクっぽくないわ。・・・でもそんなもの、ピンク色の塗料を頭からかぶれば解決よ!」
「クッ・・・確かに!」
「確かにじゃなくて!」ファレル母娘がどこかズレた感性でセリスの異名のことで激論し、それにセリスがいちいちツッコミを入れる。
それをリサは腹を抱えて笑い転げ、キャシーは平然と目立たぬように立って成り行きを見守っていた。「―――でも私としてはもう少しセリスらしさを出したいのよ!」
「具体的に言うと?」
「セとリとス」
「それはもっともな注文だわ」話はさらに訳の解らない方向へとヒートアップしていく。
ツッコミするのも疲れ果て―――というか二人とも聞いていないので無意味なことにようやく気がついて、セリスはどうするか考える。(このままじゃ私の二つ名が大変なことに・・・!)
“常勝将軍” の名はそれほど好きではなかったが、 “プリティピンク” だの “爆裂女の子” だの “わくわくセリスランド” だの、どんどんとおかしくなっていく名前よりはよっぽどマシだ。
・・・というか、勝手に名前を決められても、名乗らなければいいだけだと言うことに、 “ファレル時空” に呑み込まれたセリスは気づかない。
(なんとか・・・なんとかしなければ―――話を変えろ、私!)
意を決して口を開く。
「そ、それにしても、夕食は美味しかったわ〜」
もの凄くわざとらしい話の振り方だ。
自分でも凄く間抜けだと思いつつ反応を見ると、意外なことに二人とも口論を止めてセリスの方を見る。「もう、リサに続いてセリスまで。そんなに褒めても、これ以上は―――ああ、そういえば昨日買ったケーキが残って・・・」
「いやいやいや、もう入らないからっ」
「あらそう?」残念そうな口調で、しかし自分の料理が褒められたことが嬉しいのか、ディアナは上機嫌の様子だ。
このまま話をそらせるか―――と思ったその時。「お母様の料理を褒められて私も嬉しいわ。お返しに、気合いの入った名前を考えるから覚悟してね、セリス♪」
こちらも上機嫌でローザが言う。
どんな覚悟だーッ!? と突っ込みたいのを堪え、セリスはローザの言葉を無視してさらにディアナに、「とっ、ところで、どうしてあんなに料理が上手なのか、私知りたいなー。貴族なのに、あれだけ料理が上手いって凄いなー」
なんとか無理矢理にでも話の流を変えようとしているためか、口調がかなりわざとらしい。
だが、そんなセリスの棒読み台詞を聞いて、今まで傍観者として笑ってみてたリサが顔色を変えて叫ぶ。「馬鹿っ、セリス!」
「えっ?」リサから叱責の声が飛ぶが、セリスは意味が解らずに困惑する―――が、その意味はすぐに知ることになった。
「・・・聞きたい?」
きっらーんっ☆
ディアナの目が光った―――いやむしろ眩いばかりに輝いたようにセリスには見えた。「聞きたい? どうして私がこんなに料理が上手いか―――」
「あ、いや、その、別に―――」嫌な予感がして、セリスは首を横に振るが、ディアナはそれを無視―――というか見えていない。
「私が料理を始めたのはね、ウィルの為なの」
「は、はあ・・・」
「私ね、とってもウィルのことが大好きなの。愛してるの。ラブなのよ! だからそんな彼のために何かして上げたいと思うのは当然のことでしょう? 最初は護身用に習った突剣でボディーガードをしようと思ったのよ。だって私、ウィルより強いし。でもそう言ったら彼は『そんな危ないことディアナさんにさせられないよ』って嬉しいこと言ってくれて。なら他に私に出来ることと言ったら詩集を読むことくらいだわ。でもウィルったら、私よりも学があって、私が知っている詩は全部知っているし、例え知らなかったとしてもそれが何になるというの? 詩を読んで聞かせてもそれで彼が元気になるわけじゃないし―――そう! 私はウィルの力になりたかったのよ。だから―――ねえ、ちょっと聞いてる?」いきなり話を振られ、セリスは反射的に首を縦に振った。
「き、聞いてます聞いてます。ええと、そのウィルの力になりたくて料理を作ろうとしたのね。素晴らしいわ」
「ありがとう、セリス。それでね」
「いや、もう解りましたから―――」
「あら、まだ私全然話してないわよ。良いから聞きなさい。それでなんで私がウィルに料理を作ろうと思ったかというと―――」ディアナの話は続く。
ひたすら続く。
数十分たっても終わらなくて、セリスはリサの叱責の意味を十分すぎるほど理解した。えんえんと続く惚気話。
逃げようと椅子から腰を浮かせると、「まだまだ話は終わらないわよ♪」と有無を言わさず座らされる。結局、ディアナの惚気話は日が変わるまで続けられた―――