第16章「一ヶ月」
AO.「君が好きだと叫びたい!(37)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城下町・旧街区・教会前広場

 

 

 居合いの構えの状態で、セシルはローザを見る。
 足の爪先を真っ直ぐこちらへと向け、まるで彫像のように先程と寸分違わない構えで弓を引き絞るその姿は。

(・・・美しいな)

 美人だとかそういう意味ではなくて。
 まるでそれが一個の芸術であるかのように、ローザの弓を構える姿は美しく感じる。
 実のところ、セシルはローザがフォールス一の美女だと言われてもピンと来ないが、弓を撃つその姿は誰よりも似合っていると、断言できる。

(・・・幼い頃も、二度に一度は彼女のこの姿に見とれて、矢を回避できなかったっけ)

 ―――って、今も見とれてどうする。

 頭にエニシェルのツッコミが響く。
 セシルは居合いの形を崩さないまま苦笑して。

(大丈夫だよ。見とれてはいるけれど、気は抜いていない)

 ―――それならば良いのだが。だが、居合いで迎撃するのはよいが、隙も大きい。一射防いでも、連射されて隙を突かれてしまえばどうしようもあるまい。

 エニシェルの忠告に、セシルは苦笑を崩さない。

(どうもしないよ―――ただ)

 ―――! 来るぞ!

 エニシェルの警告通り、ローザが矢を放つ。
 セシルは飛んでくる矢を見極め、前に一歩踏み出すと同時に鞘から剣を抜きはなつ。
 だんッ、という踏み込みの音を断ち切るように、ヒュッ、と剣が鞘を走り空を凪ぐ音が響いた瞬間、セシルに向かって飛んできた矢は真ん中で立ちきられ、落とされる。

 ―――セシル!

 エニシェルの再度の警告。
 見れば、ローザが弓をつがえようとしているところだった。エニシェルの警告通り、セシルの技の隙を突いて矢を放つつもりらしい、が。

 セシルは特に慌てずに、居合いを放ち伸びきった腕の先で、剣を握る手から力を抜く。握りを崩し、指二本だけで柄を支えると、それを支点に剣は重力に引かれてくるりと半回転。切っ先が地面に落ちる。
 すかさず逆手で握り直すと、セシルはそのまま剣を腰の鞘へと納めた。

「―――ッ!」

 ローザの息を呑む声に前を見れば、彼女はようやく弓を引こうとするところだった。
 対して、こちらはすでに居合いの体勢に入っている。もしも彼女がそのまま矢を撃っても、また撃墜するだけだ。
 そのことが解っているから、ローザは弓を引かない。

「ローザの放つ弓矢は絶対必中。だけど―――」

 セシルは苦笑して続ける。

「だけどローザは弓士でもなければ、弓の達人というわけでもない。ただ、放った矢が百発百中するという能力を持っただけに過ぎない」

 ローザの弓の扱いは、素人のようにおぼつかないというワケではなかったが、それでも弓を扱うことを生業とする、弓兵士や狩人といった熟練の弓使いとまでは行かない。

 弓士―――特に、達人や名人とまで言われるような者は、才能も必要かもしれないが、何千本、何万本と矢を撃って修行を重ね、最早弓が身体の一部であるかのように扱う。
 それに比べれば、ローザはただ矢を放っているだけだ。だから連射をしようとしても、二本目を放つよりも、それこそ何千回、何万回と剣を振るってきたセシルの居合いの技のほうが早い。

 連射が出来ない理由を、ロックが “天才だから” と言ったのはそう言う意味だ。
 命中率だけ見れば、それこそ本職の弓使いも敵わないだろう。だが、それが訓練で身に着けた能力ではない故に、弓の扱いまでは熟練していない。

 バッツやロックが気づいたそれを、セシルももちろん気がついていた。
 彼は、弓矢を構えたまま動かないローザに向かって言う。

「その矢を入れてあと二本―――まだ続けるつもりかい?」

 セシルが問うと、彼女はにっこりと微笑んで。

「もちろんよ。だって、まだ二本もあるんだもの」

 言うなり、彼女はセシルに向けた弓矢をあらぬ方向へと向ける。真っ正面のセシルにでもなく、下でもなく、横でもなく―――上空へと。

「まさか―――」

 ローザのやろうとしていることに気がついて、セシルの目から笑みが消える。
 対し、微笑みを浮かべたままでローザは言った。

「連射は出来ない―――なら、兎に角、二本の矢がほぼ同時にセシルに向かうようにすればいいわけよね」

 言い終えると同時、ローザは陽が落ちかけた赤焼けの空に向かって、おもちゃの矢を撃ち放つ―――

 

 

******

 

 

 セシルは矢を目で追う―――が、すぐにセシルは視線を降ろさざるを得なかった。
 たっ、というローザが地を蹴る音をが聞こえたからだ。

「!」

 見ればローザはすでに真っ正面にはなく。

 タッタッタッ・・・

 地面を走る音にセシルが横を向けば、ローザが弓に矢をつがえたまま走っていた。
 ローザに弓使いとしての技量はない―――だが、どんな状態でもその矢は必中の性能を持つ。もちろん、走っている途中で矢を放ってもだ。

(それがローザの “能力” )

 そのことを知っているセシルは、油断無く居合いの構えを崩さない。
 何時、ローザが撃ってきても良いように、片足を軸にして常にローザが目の前に居るように身体を回転させる。
 だが、彼女は矢を放とうとはせずに、さっきとは正反対の位置―――さっきまでセシルが向いていた真後ろへと回り込む。そこで、セシルに向かって弓矢を構え直した。

 ローザを真っ正面に見据えながら、セシルは内心では迷っていた。

 果たして、さきほどローザが天に向かって放った矢は、正確にセシルに当たるのか?

 空を見上げて確認したい衝動に駆られるが、彼女から視線を反らせば必中の矢が飛んでくるだろう。
 居合いの速度ならば楽に打ち落とせるとは言っても、余所見をしていて反応できるほど甘くもない。

 ―――教えてやろうか?

 エニシェルが問いかける。
 彼女ならば、セシルに矢が当たるか当たらないか、知覚できるだろう―――が。

(いや、いい)

 セシルはそれを拒否した。
 ローザが放った苦肉の策に対して、それではあまりにも小狡い。

 元々、ローザに分がありすぎる勝負だ。
 多少、ズルくても構わないとも思う。もしも今、エニシェルにカンニングしても、ローザは怒らないだろう。

 だけどそれでもセシルは正々堂々と勝負することを選んだ。
 それは誠実だからと言う意味ではなく、

(勿体ないからね)

 今、セシルはローザと “勝負” をしているのだ。
 彼女と出会ってから、初めてで―――そして、おそらくは最後になると思われる “勝負” 。

 今までセシルは何かでローザと争ったことはなかった。
 それは徒競走などの競技でも、ボードゲームなどの遊技でもそうだ。
 いつでもローザはセシルの味方であり、セシルと対立したことはない。

 こうしてローザから勝負を仕掛けてきたことは初めてだった。

 だからこそ正しく決着を付けたいと思う。
 誰かの横やりなどはなく。
 彼女が持てる全てを出し切って挑んで来るというのなら。

(それを受けて応えるのが男ってものだろう?)

 ―――妾は男ではないから解らん。

 返事は素っ気ないものだったが。
 それ以上、彼女は出しゃばる気はないようだった。

 セシルは改めて “矢” に集中する。

(考えろ―――)

 普通に考えて、空に向かって放った矢を、地上の目標に当てるなど、どんなに難しい芸当か想像すら出来ない。
 けれど、それをローザは難なくやるだろう。
 だから、問題は矢がセシルに当たるかどうかではなく―――

(ローザが何処を狙ったか、だ)

 今居る場所を狙ったのならば避けなくてはいけない。
 だが、もしも避けることを前提として放ったのならば、下手に動けば命取りになる。

 ローザは弓矢をこちらに向けたまま、微動だにしない。
 矢の威力と空に向けた角度からして、そろそろ矢が落ちてくるはずなのだが、ローザはまだ矢を放とうとしない。
 そんなローザを見つめて―――

(よし!)

 セシルは決めた。
 居合いの構えから、もう少しだけ身体を沈めて、前に出した爪先へと力を込める。
 矢よりも早い神速の太刀を、さらに速くしようとするかのように。

 上からの矢は気にしないことにした。
 空から降ってくる筈の矢が当たらないと踏んだ―――わけではない。
 ただ、真っ直ぐにこちらに矢を向けるローザを見ていて一つ思った。

(少しでも長く、彼女と向き合っていたい)

 誰かに言えば笑われるかもしれない。
 だが、それがセシルの本音だ。
 勝つ負けるの前に、セシルは彼女と本気で対峙することを選んだ。ローザは真剣な瞳でセシルを見つめている―――セシルに打ち勝とうと、己の能力をぶつけてくる。
 そんな彼女から目を反らすことは、セシルには出来なかった。

(・・・まあ、これで空からの矢が当たったら間抜けだよなあ)

 などと思った瞬間。
 ローザが矢を放った。

 

 

******

 

 

(勝った―――)

 セシルは勝利を確信する。
 ローザが矢を放った瞬間、その矢がどういう軌道を通るのかを把握する。
 如何にローザが絶対必中の能力を持とうとも、矢を撃つ直前に狙いをズラすことはできても、放った矢までは軌道を曲げることはできない。

 後は、飛んでくる矢に向けて居合いを放てばそれで終わりだ。

 セシルは確実に撃墜できるタイミングで剣を鞘から抜き放つ。
 抜き放たれた剣は、飛来する矢をあっさりと斬り墜とす―――はずだった。

(!?)

 異変に気がついたのは、剣が鞘からでる直前だ。
 飛んでくる矢に影が差したように見えた。
 それが見えたその時、背筋にヒヤッとしたものが感じて。

 危険信号が脳裏で喚きだし、緊急状態を感じ取ったセシルの神経が、極限にまで緊張する。
 そして気がつけば―――

(―――矢が、止まっている?)

 セシルの目の前で、ローザの放った矢が止まっていた。
 いや、矢だけではない。セシルの動きも止まっていた。

(これは―――)

 停止した時間の中で、セシルの思考だけが時を忘れてしまったかのように動いている。
 それはかつてにも感じたことのある感覚。
 集中力が最大限に高まった時、思考速度が加速したために生まれる現象。

(そうだ・・・ “斬鉄剣” を放つとき、僕はいつもこれを感じていた・・・・・・)

 バッツのそれとは違う。相手の全てを見極めて、確実に目標を “斬る” ―――必断の斬鉄剣。
 その “見極め” の時、セシルの思考は加速して、世界は止まり、無防備な瞬間をセシルにさらけ出す。
 止まった世界の中で、セシルは考える。どうすれば斬れるかを考えて、絶対に斬れる道筋を見いだし、その通りに斬るだけだ。

 だが、今セシルは斬鉄剣を放とうとはしていない。
 しかし、前にも似たような状態になったことを思い出す。

(あれは、ミシディアで―――)

 クラウドの必殺の一撃を受けかけたときだ。
 あの時も、 “嫌な予感” がして世界が止まった。

(何がイヤなんだ―――)

 居合いを放ちかけた体勢でセシルは考える。
 動くのは思考だけ。
 世界も自分の身体も凍り付いたように止まって動かない。

(さっき、見えたのは・・・)

 世界が止まる寸前、飛んでいる矢に影が掛かったような気がした。
 そう思いだし、セシルは矢をよく見る。
 確かに、細い矢に細い影がかかっている。
 それはなにかと思って空を見上げようとしても、視界は動かないため影の正体は見えない。しかし推理することは出来る。空にあって、しかも細いもの―――

(ローザの矢か―――)

 先程打ち上げたローザの矢だ。
 それが丁度、落ちて来ようとしている。
 太陽の位置と影を見る限り、セシルの頭の上には落ちてこないようだが。

(何かが引っかかる―――何かが)

 ローザは何を考えて矢を空にはなったのだろうか。
 それを考えて―――

(・・・まさか、あの時のバッツと同じ)

 それに気がついた瞬間、世界が動き出す。
 動き出す直前、セシルは気がついた。

(―――!?)

 ローザが、放った矢には目もくれずに、その場にしゃがみ込もうとしているのを―――

 

 


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