第16章「一ヶ月」
AL.「君が好きだと叫びたい!(34)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城下町・旧街区・教会
ローザが窓から飛び出して、セシルは慌てて窓へと飛びついた。
ここは二階だが、下手に頭から落ちれば危険な状態にもなる。
窓枠に駆け寄り、下を覗き込む―――と、ローザがふわりと地面に着地するところだった。「浮遊魔法・・・」
そういえばそんなものもあったなあ、と思い出してほっとする。
と、道の向こうから騒がしい足音が聞こえてきた。見れば。「おーい、セシル。こっちは行き止まりだったぜ」
先へ行ったバッツ達だ。かれは、教会の窓から身を乗り出すセシルを見て手を振る。
先程、バッツとの会話は演技だとローザに言ったが、全て演技というわけでもなかった。セシルが言ったように、この教会にローザが居ない可能性もあった。だから、バッツ達は道の先へと行って貰ったのだ。「! バッツ殿、あれは―――」
暗黒騎士の一人がローザに気がついて言う。
バッツもそれを見て。「お、ローザ。・・・って、逃げられてるじゃんか」
呆れたように言うバッツに、セシルは苦笑する。
別に逃がす気はなかった。窓から逃げたのは予想外だったにしても、外へ逃げられたからといって、もはや逃げ場はない。
何故なら―――「あれは・・・ローザ―――ようやく捕捉できたようだね」
バッツたちが戻ってきた道の反対側―――つまり、セシル達がさっきやってきた方の道から、さらに騒がしい足音がやってくる。
先頭に居るのはギルバートとフライヤだ。その背後には、セシルがローザ捜索のために刈りだした兵士達の何割かがぞろりとついてきている。「さて、と」
高みからセシルは場を見下ろす。
教会の前は広場になっていて、そこそこ広い―――が、そこから出る道は二本しかない。
バッツ達が戻ってきた道と、ギルバート達がやってきた道。
ローザは教会を背にして、二つの道をふさぐ面々を見て、戸惑ったように動けない。「これで、詰み、かな」
そう呟いて、セシルは部屋を出て階下へと向かった―――
******
ローザは動けずにいた。
道は完全に塞がれている。
もしもこの状態がセシルの想定したとおりだとしたら、今更ながらにその先読みの能力に震撼する。(結局、私はセシルの掌で踊らされていたって事かしら)
そのことを悔しいとは思わない。そういうことが出来る相手だとも知っているから。
だからといって、屈しようとは思わない。ローザにとっての敗北条件とは、追いつかれ、囲まれて、捕えられることではなく―――(私が、セシルを受け入れてしまわなければ、それでいい)
セシルを拒絶する。どんな事があっても受け入れない。
それが、今のローザの勝利条件だ。
そのためにどうするべきかを考える。一番始めに浮かんだのは死ぬことだった。
死んでしまえば、受け入れることも拒絶することもしなくて済む。でもそれだけはできなかった。
命が惜しいわけではない―――普通に考えて、自分の愛する人を拒絶するために命を捨てるなどと言うのは正気の沙汰ではないが、ローザ=ファレルは本気だった。もしも、セシル以外が相手ならば迷わずに今すぐ自分の舌を噛み切るだろう。(でも、そんなことをすればセシルは私のことを怒るでしょうね)
セシルの事を拒絶しながらも、セシルに嫌われたくないと思う。
街から逃げ出すことなく、自室に籠もっていたのも、できるだけ彼の近くに居たかったからだ。それだけセシルの事が好きなのだ。
さっきも、彼と会話を交しただけで幸せに流されそうになった。
あのままいつまでもセシルの傍で、セシルとお喋りして、一緒に過ごせたらどんなに幸せだったのだろう。そのまま彼に触れられて、抱きしめられて、キスされたら、もうきっと抗う事なんてできやしない。ローザ=ファレルは、セシル=ハーヴィを愛しているのだから。
だから考える。
愛する者を受け入れない方法を。
彼を自分のせいで失わないために。「そろそろ鬼ごっこも終わりにしようか」
背後から声。
振り返らなくても解る。だからローザはその声に押されるように、前に一歩だけ大きく足を踏み出して―――そして、その足を軸にくるりと半回転。セシルの方を振り向きざま、手に持っていたおもちゃの弓を構えた。「そうね、これで決着をつけましょう」
******
「・・・は?」
セシルは思わず、間の抜けた声を上げる。
目の前にローザが居る。距離は自分の歩幅に換算して、5歩といったところか。
それだけ離れた場所で、セシルに向けて弓を構えていた。弓と言っても、おもちゃの弓だ。
つがえられた矢の先には鏃(やじり)は無く、しかも張られた弦は子供でも引ける程度のものだ。飛距離も貫通力もなく、急所に当たっても致命傷にはなりえない。
いくらなんでも、そんな弓でこの状況をどうにかできるとは思えない。「なんの・・・つもりだい?」
本気で困惑してセシルが問う。
ローザの行動の意味が解らない。単に追いつめられて自棄になっているというのなら話はわかるが―――(本当に自棄になったというなら、おもちゃなんかよりも魔法を使うだろうし)
なりふり構わないというのなら、それこそ転移魔法で逃げようとするだろう。
あるいは、今使った浮遊魔法でこの場から跳んで逃げるとか―――それで、前にカインを相手に、バロンの城から逃げ出したことはセシルも聞いていた。ただし、この間合いならば、ローザが魔法を完成させるよりも、セシルが彼女に飛びかかって口を塞ぐ方が早いだろう。
そのことを解っていて弓を選択したのだろうかと、セシルは推測したが。「・・・勝負、しましょう」
「勝負」その弓矢で戦うつもりなのかと、まだセシルは困惑したままだ。
そんなセシルに、ローザはにっこりと微笑んで頷く。「ええ。勝負、というかゲームね。ここに5本の矢があるわ」
と、ローザは持っていた矢筒を揺らしてみせる。矢筒は小さなもので、子供が肩に掛けるように出来ているらしく、肩掛けの紐がついていた。それをローザは腕に引っかけて下げている。
ローザの腕の下で揺れていた矢筒の中には、短いおもちゃの矢が4本入っていた。あと一本は、今、ローザが弓につがえている。「今からこの5本の矢を放つから、それをセシルが全部避けきれれば貴方の勝ち。一本でも当たれば私の勝ち―――どう? 簡単なゲームでしょう?」
そう言って微笑む彼女の表情には、さきほどまでの悲壮感はなかった。
これから始まるゲームを楽しもうとしている―――そんな表情。
彼女の雰囲気の変化に、セシルは戸惑いながら考える。(ここに来てゲーム・・・? 本当に、ローザは何を考えているんだ・・・?)
ローザの考えが読めない。
「まさか、それで僕に勝ったら、もう二度と追いかけてこないで欲しいとでも?」
「そう言ったら、その条件を呑んでくれる?」
「イヤだよ」セシルは首を横に振る。
「この勝負、どう考えても君に有利すぎるだろ」
「あら? 天下のバロン王が、女の子のおもちゃの弓矢を避けられないのかしら?」
「下手な挑発だね。君の腕前がどんなものか、僕が一番良く知ってるんだ」セシルが挑発に乗らないのを見て取って、ローザは構えていた弓矢を降ろす。
「そういうと思ったわ。じゃあ、こうしましょう―――貴方が勝ったら私はなんでもいうことを聞くわ。けれど、私が勝ったら一つだけ “あること” をさせて欲しいの」
「あることって?」
「いやんもう、セシルったら。そんなことを聞くなんて恥ずかしい」(・・・どんなことを聞いたんだ、僕は)
頬を染めて身をくねらせる彼女に、セシルは寒気を感じる。
(嫌な予感がする。とてつもなく嫌な予感がする―――)
「ローザ、僕がそんな条件を呑む義理が―――」
「お願い、セシル」楽しげな微笑みの中で、一瞬だけローザの目に真剣な光が灯る。
真っ直ぐに見つめられ、セシルはそれ以上言葉を続けられない。「お願い―――これで私が負けるようなら貴方に従うから」
「・・・僕は、今すぐ強引に君を奪うことも出来る」言いながら、セシルは心中で諦めていた。
結局のところ、自分は彼女には敵わない。「今すぐ君の腕を捕まえて、そのまま抱きしめて、二度と離さずに、僕の物にすることだってできるんだ。さっきだってそうだった」
「そうね。そうされてしまえば、きっと私は抗えない。二度と貴方から離れられない」そう言って、彼女はまた微笑む。
「でも貴方はそれをしないわ」
「しないんじゃないよ」セシルは苦笑した。
「できないんだ」
そんな度胸があれば、こんな馬鹿な大騒ぎにはならなかっただろう。
今朝、最初にファレル邸を訪れたとき、彼女に拒絶されても逃げ出さずに、引きこもったドアを打ち破って、部屋に踏み込んで、彼女を強引に抱きすくめてからキスをして、愛の言葉の一つでも囁けば終わっていた程度の話だ。『貴方、本ッッッッッッ当に駄目ね』と彼女の母親の罵倒やら、『セシル様はへたれでございます』という慇懃無礼なメイドの言葉がセシルの脳裏でリフレインするが、できないものはできないんだから仕方ない。
「いいよ、ローザ。そのゲームを始めようじゃないか―――負けた方が勝った方のいうことをなんでも聞く。それでいいね」
「あら? それで良いの? 私が勝ったら、 “もう追わないで” って言うかもしれないわよ」
「そうだね。そう言われてしまえば、もうお終いだ―――だけど」さっきのお返しとばかりに、セシルは微笑みを返す。
「でも君はそれをしないだろう?」
さっきとは同じ、しかし逆のやりとりに、彼女はクスっと笑い。
「さて・・・どうかしらね」
同じ言葉を返さずに、もう一度弓矢を構えた。
矢は真っ直ぐにセシルを狙っている。「さあ―――始めましょう」