第16章「一ヶ月」
AK.「君が好きだと叫びたい!(33)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城下町・旧街区・教会

 

「そんな・・・どうして・・・?」

 道の先に行ったはずのセシルの姿に、ローザは戸惑う。
 そんな彼女に、セシルはいつもどおりの苦笑を浮かべた。

「さっきのバッツとの会話の事かい? あれはちょっとしたお芝居だよ。踏み込んで、下手に逃げられても困るしね」

 そう言いつつセシルは一歩部屋の中に踏み込む。
 ローザはびくりと身を震わせ、反射的に一歩下がった。そんな対応に、セシルの苦笑がほんの少しだけ歪む。

(拒絶されてるって、解っていてもキツいなあ・・・)

 どんな苦しみも。
 どんな哀しみも。
 どんな恐怖も。
 どんな後悔でさえも、噛み締めて、けれど押しつぶされずに生きてきた。
 自賛する気はないが、それでもある程度の痛みに耐えて生きてきたという自負はある。

 だというのに―――

(たった一人の女の子に拒絶されるのが、溜まらなく辛い)

 自分を養ってくれた “神父” を亡くした時よりも辛く感じる―――というのは、比べるものが間違っているような気もするが。

 けれど、そんなことを考えてしまうくらいに自覚する。

(僕は、何よりも誰よりも、彼女に嫌われるのがイヤなんだ・・・!)

 愛を求めているわけではない。
 彼女の天衣無縫な愛をことごとく拒絶してきた自分が、今更彼女に愛して欲しいと求めるなんてことはできやしない。

(もしも彼女が―――)

 思う。

(もしも彼女が、 “本気” で逃げようとしたなら、僕はどうしたんだろう)

 こんな鬼ごっこの延長みたいな追いかけっこではなく。
 彼女が本気でセシルを拒絶し、嫌悪して、バロンの街を出て遠くまで行ってしまったとしたら。

(きっと僕は追いかけないんだろうな。それが彼女の望んだことなら)

 彼女に嫌われたくないから。

 今だって本当はこのまま回れ右して逃げ帰りたい。
 そして城で玉座に座って、ベイガンの小言を聞きながら毎日を過ごせば、そのうちローザもコロっと気が変わって逢いに来てくれるかもしれない。なんて甘い事を考えていたりもする。

(というか、目の前で一歩逃げられただけで死にたくなるほど辛いんですけど。もしも、はっきりと拒絶されたら僕はどうなっちゃうんだろうか)

 などと、ちょっとふざけたように心の中で呟くのは、そうでもしてないと緊張で心が張り裂けてしまいそうだったからだ。
 全く、本当にローザが関わると情けなくなるなあ、と自嘲しながら彼女の様子を伺う。

「・・・・・・」

 ローザはセシルから視線を反らしたまま、無言。
 その表情は、何かを堪えるかのように口をつぐんでいた。
 と、その手に持っている物に気がつく。おもちゃの弓と、その矢が入った矢筒だ。セシルの記憶にあるそれらは、ローザにぴったりの大きさだったが、成長した彼女が持つと、随分と小さく見える。

「随分と懐かしいものを持っているね」
「・・・っ」

 セシルの言葉に、まるでムチで打たれたように身体を震わすローザ。
 そんな彼女に、セシルは精一杯、笑顔を保たせる。

(・・・泣きたい)

 思いを噛み締めつつ、努めて明るく呼びかける。

「懐かしいね。あの頃からローザは弓の扱いが上手で―――」
「やめてっ!」

 セシルの言葉を遮るようにローザが悲鳴を上げる。
 その声を聞いて、セシルは表情を張り付かせた。

(・・・・・・耐えろ、僕)

 腿の横にだらんと下げた拳をぎゅっと握る。
 ローザの “拒絶” に耐えるセシルに、さらに追い打ちが飛ぶ。

「どうして、追いかけてくるの・・・?」

 疑問、ではなく批難の言葉だ。
 しかし、先程までとは違ってさほどダメージは受けない。なぜなら―――

(そうくるだろうなと思っていたしね。だったら返す言葉は決まってる)

 セシルは予め用意していた言葉を口に出す。

「君を―――」

 愛しているから。

 と、言おうとして言えなかった。

「・・・・・・」

 いつの間にか、ローザがこちらを見つめてきていた。
 窓から入る夕明かりが逆光となって、彼女の表情は上手く見えない。
 だが、その瞳に涙をたたえているということだけは解った。

 その涙に言葉を打ち消されたわけではない。
 ただ、その涙を見てセシルは気がついた。

 ローザは別に本気でセシルから逃げようとしていたわけではなかった。
 本気だったのなら、セシルが訪れる前に、とっととこの街から居なくなっていただろう。今だって、転移魔法一つで簡単に街の外へと逃げられたはずだった。

 だから、セシルはこの街の中限定で、ローザがどう逃げ回るかを予想しきることができた。
 逆に、ローザが街の外へ逃げることを考えていたなら、あっさりと逃げられていただろう。

 ローザは本気で逃げてはいなかった。

 ただし。

 ローザは本気でセシルを拒絶していた。

「追いかけて・・・こないで」

 はっきりとした拒絶の言葉。

 ファレル邸で同じように拒絶されて、セシルは完膚無きまでに打ちのめされた。
 さっきは、彼女が否定する素振りをみせるだけで耐え難い痛みを感じた。

 けれど、もうその言葉でセシルは怯まない。

 彼女に拒絶されるのは怖い。否定の言葉一つ一つが、セシルの精神を切り刻む。
 それでもセシルはもう逃げようとは思わない。

 ローザが本気だと知ったから。
 ならば、こちらも本気にならざるを得ない。

 別に、さきほどまでが冗談だったというわけではない。
 それなりに真剣だったが、楽観していたのも事実だ。
 きっと、ここでしくじってもまだ大丈夫だと―――先程の甘い考えのように、ほっといても元通りになるのだろうと、思っていた。

 だけどそれは間違いだと、今気がついた。

 ここでしくじれば後はない。
 今、彼女を捕まえられなければ、もう二度と届かない。
 直感的に感じて、そしてそれが間違いではないと断言しきれる。

 拒絶しても動かないセシルに、ローザはさらに続ける。

「お願いだから、私の前から―――」

 少し、ローザの言葉が途切れる。
 だが、一拍の間を置いて、彼女は吐き出すように言った。

「―――消えて」

 

 

******

 

 

 涙ながらの言葉に、セシルは数秒息をするのを忘れた。
 完全拒絶の言葉が胸に突き刺さり、心の傷だけで死んでしまいそうになる。
 それでもセシルは退かない。

 ただ言葉を返す。

「どうして、だと思う?」
「え・・・?」
「どうして、僕は君をここまで追いかけてきたんだろうね?」

 問いかけた言葉は、考えてでたものではなかった。
 今し方、彼女に問いかけられて、ふっと思った疑問。

「だって、おかしいよね? 僕がローザを追い掛けるなんてさ。これじゃあ、いつもとあべこべだ」

 いつもはローザがセシルを追い掛けていた。
 なのに、今はセシルがローザを追いかけている。

「どうして僕はここまで君を追いかけたんだろう?」
「・・・そんなの、わからないわ」
「いいや、解るはずさ」

 ローザの言葉を即座に否定する。
 その表情は、いつもの苦笑ではなく。

「解るはずだよ、ローザ。君になら」
「・・・いやらしい顔」

 軽く頬をふくらませて言うローザに、セシルは眉根にシワを作って、

「なんか今、酷いこといわれたような気がする」
「だって、今のセシル、私が二番目に嫌いな顔をしているもの。ずっと子供の頃から変わらない、私のことをからかおうとしている笑い顔。貴方は頭が良かったから、いっつも馬鹿な私を馬鹿にしていたんだわ」

 ローザの言うとおり、セシルはいつもの苦笑じみた微笑みではなく、にやりとした不敵な表情を作っていた。
 それをセシルは苦笑に変えて、

「学歴は君の方が上だろ」
「そんなものが何の役に立つの? 白魔道士になって役に立ったことは一度もないわ!」
「まあ、大学出て軍に入る人間っていないだろうしねえ」

 バロンでは、普通は軍に入る人間は大学ではなく軍学校へと入る。
 ローザの言ったとおり、高学歴があっても、実力主義のバロン軍で役に立つことはほとんど無い。それは、一件知能が必要に見える魔道士でも同じ事である。

 というか、魔道士になりたいのなら普通はミシディアへと行く。今の白魔道士団、黒魔道士団も、殆どはミシディアで修行した経験のある者たちだ。

 大学を出て兵士になるとしたら、普通は近衛兵団である。
 王の身辺を守る彼らは剣の技量だけではなく、公の場でのマナーな一般常識、知性なども重視されるためだ。

「わ、私だけじゃないわ! ほら、貴方の副官だって!」
「・・・名前くらいは覚えてあげてよ。君の先輩だろう」
「えー、でも、 “セシルの副官” で普通に通じるわよ? 誰にでも。名前知らなくても、 “セシルの副官” って言えば『あー、あの人かー』って頷いてくれるし。あの人、セシルの副官って言うだけで得しているわよね」
「得・・・なのかなぁ」

 セシルは困ったように苦笑。
 するとローザは「当然よ!」と強く頷いて、

「だって私なんかセシルと出会えてとっても幸せよ! むしろ、貴方に会えなかった自分を想像するだけでとかなにいってるの私ーーーーーっ!」

 セシルトークに入っていたローザがそのままの流れで絶叫する。
 なんとなく予想していたのでセシルは特に騒がない。

「だから駄目なのよ!」
「なにが」
「私今とっても幸せっぽいわ! さっきまでの悲壮感は何処へ行ったの!?」
「さあ?」
「だからセシルは何も喋らないで! 私に声を聞かさないで! 今すぐ居なくなってーーーーーーっ!」

 弓矢を持ったままの手で耳を塞ぎ、目を閉じて、ローザは頭を振って喚く。
 セシルは、はあ、と嘆息して。

「というか、それ僕の台詞だよ」

 セシルは呟いて、ベッドの上に置いてあった色々なものを床に降ろす。
 人が二人、座れる分くらいのスペースを空けて、ベッドの埃を軽くはたいてから、

「ローザ」
「ふえ?」

 耳を塞ぐ彼女の腕を掴むと、彼女は驚いたようにこちらを見上げる。
 セシルはやや強引に彼女の腕を引っ張ると、

「ほら、座って」
「え、あ、セシ―――」

 呆気にとられてつつも何か言いかけた彼女に構わず、ベッドに腰掛けさせると、セシルはその隣りに座る。

「・・・・・・そーいや聞いてなかったけど、なんで僕、こんなに拒絶されてるんだ?」

 思えば一番最初に問わなければならなかった気がするが。

(まあ、聞く暇もなかったし)

 なんとなく心の中で言い訳していると、ローザはそっと腰を浮かせてセシルから離れようとする。
 そんな彼女の腰に手を回すと、セシルはそのまま引き寄せる。

「きゃっ!? ・・・セ、セシルったらセクハラよ!」
「・・・これがセクハラなら、僕は君にどれだけセクハラされてきたんだろうね」
「えー、私、そんなことしてないわ」
「いきなり公衆の面前で抱きついたり押し倒したりキスしたりするのは?」
「女が男にするのはOKなのよ」
「・・・男女差別だ」

 はあ、ともう一度溜息をついて、

「それで? どーして君は逃げたんだ?」
「まるでセシルったら、食い逃げした人を詰問する警備員みたいね」
「・・・そうさせているのは誰だろうね」
「セ、セシルが悪いのよ! セシルが追いかけてくるから、私はつい逃げちゃって・・・」
「先に逃げたのはそっちだろ」
「別に逃げていないわ。セリスとご飯食べてたら、お店にハゲの人が踏み込んで来て、それで・・・」

 すっかりヤンは “ハゲ” 扱いである。

「なるほど。元々逃げる気なかったんだ」
「当然よ。どうして私がセシルから逃げなくちゃならないの?」
「うん。それで? どうして僕を拒絶するんだい?」
「・・・・・・」

 続けて問われて、ローザは押し黙る。
 セシルは相手が答えるのを待たずに続けた。

「逃げ出した理由は解ったけれど、それは僕を拒絶する理由にはならないよね」
「・・・・・・」
「ねえ、ローザ―――」
「・・・・・・・・・ったから」

 答えられた声は、小さくて聞き取れなかった。
 思わず「え?」とセシルが問い返すと、

「嫌いになったから」
「・・・っ」
「セシルの事、嫌いになったから―――だから! 貴方の声も聞きたくなくて、貴方の顔も見たくない!」

 ローザはベッドから立ち上がる。
 セシルはローザの腕を掴もうとして―――

「触らないで!」

 ぱしん、と叩かれて、セシルは思わず手を引っ込めた。
 やや呆然とした表情で、彼女を見上げる。

「馴れ馴れしくしないで・・・・・・気持ち悪いから」

 そう言って、彼女はセシルが抱き寄せた腰を、手でごしごしとこする。
 まるで、汚れを払うかのように。

「私は・・・セシルの事なんか大ッ嫌いなんだから・・・・・・だから、もう関わらないで・・・ッ」
「・・・傷つくなぁ」

 セシルは苦笑してローザを見上げる―――ただし、その笑みは何かを堪えるようで、とても辛そうだった。

「嘘だとしても、すごく胸が痛いよ」
「う、嘘なんかじゃないわ! 私は本当に!」
「まあいいけどさ。ようやく解ったから」
「解ったって・・・なにが・・・?」

 そう、問い返すローザの声音は、何かを恐れるような響きがあった。
 セシルもベッドから立ち上がると、答える。

「君がどうして僕を拒絶するのか―――君の態度で・・・君が誤魔化そうとするのを見てようやく気がついた」

 拒絶するならその理由をはっきり言えば済むことだ。
 なのに言わないのは、その理由をセシルに知られたくないからなのだろう。
 何故、知られたくないのか―――その理由を考えて、セシルは苦笑した。

 そんなセシルに、ローザが必死で否定の言葉を吐く。

「だから言ったでしょう! 貴方のことを嫌いになったから!」
「色々あってすっかり忘れてたけど。ええと、あの空に浮かぶ塔―――なんて言ったか忘れたけど・・・」
「違うわ! そんなの関係ない!」

 ローザがさらに否定するが、セシルは構わずに続ける。

「あそこでセリスとの決着が着いた後、君は泣きながら謝ったよね―――その事と関係あったりするかい?」
「全ッ然!」
「例えば、あのことで、自分のせいで僕を傷つけたと思い込んで、それで後悔して―――」
「違う! そんなんじゃないわ!」
「自分のせいで、これ以上僕を傷つけたくないから―――失いたくないから・・・」
「違う・・・! 違うッ!」

 ローザは、泣いていた。

「勝手なこと、言わないで・・・ッ! 私はセシルの事なんて何も―――思ってなんかない! ただ、自分勝手で・・・自分のことしか考えてなくて・・・だから―――」
「ローザ・・・」

 セシルが泣きじゃくるローザに向かって手を伸ばす。
 だが、それから逃げるようにローザは後ろに下がった。

「私は・・・貴方に愛されるような女じゃないわ」
「ローザ・・・僕は・・・」
「来ないで・・・ッ!」

 尚も手を伸ばそうとするセシルから逃げるように、ローザは身をよじらせて、後ろに逃げながら振り返る。
 その向かう先には―――開け放たれた窓があった。

「まさか―――」
「―――ッ」

 セシルが手を伸ばしたその目の前で。
 ローザは窓から外へと身を投げ出した―――

 

 

 


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