第16章「一ヶ月」
AJ.「君が好きだと叫びたい!(32)」
main character:ローザ=ファレル
location:バロン城下町・旧街区・教会
もう少しだけ泣こう、とそう思っていた決意は何処かに消えてしまっていた。
幼い頃のセシルとの想い出がこみ上げてきて、切なさよりも懐かしさがこみ上げてくる。
そんな気分で、泣くことは出来なかった。逆にローザは微笑んでいた―――その場には彼女一人だったので、誰も彼女が微笑んでいることに本人ですら気づくことは出来なかったが。「・・・・・・」
懐かしそうに微笑んだまま、ローザは無言で一つだけある椅子に腰掛けようとする。
ずっと放置していたのだろう。部屋の中は埃が積もっていて、それは椅子の上も同様だった。
ローザは掌で無造作に埃を払う。と、舞った埃に、ローザは「くしゅん」とくしゃみを一つした。
改めて椅子に座る。
幼い頃は机に合った子供用の椅子で、それも肘置きのあるちゃんとした椅子だったらしい。
しかし成長するにつれ、子供用の椅子に身体が入らなくなってしまったという。だから、椅子だけは子供用ではなかった。ベッドの上に色々と物が置かれているのもそのためだ。
身長が伸びて、ベッドからはみ出してしまったので、ベッドを物置にして床のスペースを空けて、床に毛布を敷いて眠っていたという。もっとも、ベッドの上には大したものは殆ど残っていない。
セシルが教会を出るときに、大切なものは持って出たからだ。
残っているのはどうでもいいものか、或いはかさばるために残したものだった。「あ・・・」
と、ローザはベッドの上にあるものを見つけて椅子から腰を浮かす。
それは硬めの植物の皮で編まれた籠だった。
そして、その中には折れた木の破片がいくつも入っていた。「本当に、懐かしい・・・」
折れた木の欠片。
その一つを手にとる。木片はひらたく削られていて、先が少し尖っていた。
それは剣だった。
元は、もう少し長い、木で出来た剣の欠片。
全てセシルが自作したもので、それを使ってセシルは剣の練習をしていた。練習して練習して、剣の訓練を繰り返し、剣が折れてはまた木を削って木剣をつくっては、また剣を振るう日々。
それをローザは、ずっとずっと、毎日毎日眺めていた。そのことは、まるで昨日のことのように思い出せる―――
******
セシルは暇さえあれば本を読むか、剣を振るっていた。
一人で。時にはカインが相手となって。
軍学校に入るまで、セシルは一度もカインに勝つことが出来なかった。
セシルが自作の剣を使っているのに対して、カインは子供用とはいえ、ちゃんとした槍を使っていた。もっとも、両者の力の差はそれだけではなく、ほぼ自己流のセシルに比べ、カインは家で竜騎士団長であった父親や、その同僚達から戦い方を仕込まれていたからだ。それを知ったローザが「そんなの不公平だわ。たまにはカインが負けなさいよ」と言うと、カインは笑って「これでいいんだよ」と答えた。
「兵士の槍は王のためにあるんだ。なのに、王様がそれより強くちゃ槍の意味がない」
「別に僕は王様なんかになるつもりはないんだけどなあ・・・」カインの足下で、打ちのめされたセシルが弱々しく呻く。
それを聞いたカインが、「ならセシル、俺より強くなれ。ならば俺の槍は意味を失うのだから」
「解るような解らないようなことを・・・・・・」苦笑しながら立ち上がり、セシルはカインに向かってまた剣を構える。
そしてあっさりと倒される。カインとの訓練は概ねそんな感じだった。
今でこそ、最強の槍と剣などと並べて評価されるが―――それでもカインの方が評価は高いが―――幼い頃は、それくらいに力の差があった。というよりカインの力が抜き出ていた。親の英才教育の所為もあったが、幼いながらに戦いのセンスがあり、大人相手でも練度の低い新兵ならば相手にすらならない。正規兵とだって互角以上に渡り合えた。そんなカインも、父を始めとする竜騎士団の精鋭には手も足も出なかったが。だから、当時カインに敵わないのは当たり前のことであり、誰もカイン=ハイウィンドに立ち向かおうとする人間は居なかった。
剣の訓練とはいえ、カインと向き合うのはセシルくらいなもので、セシルもカインには絶対に敵わないと認めながらも、怯むことなく何度も何度も、身体の動く限り立ち向かった。カインの槍に打ちのめされ、動けなくなったセシルを介抱するのはローザの役目だった。
大好きなセシルのために、手当の仕方などを本で調べたり、キャシーに教わったりもした。
”白魔法” の存在を知ったのもその頃で、ローザは詠唱一つで傷を癒す治癒の術を学びたかったが、魔法が発展していないバロンでは、白魔法を使える者が周囲に居らず、魔道書もどこにも無かった(城の中では魔道研究は進められ、書庫には魔道書もあったが、なんにせよ幼いローザの手の届くものではなかった)。何度倒されるセシルを見たことだろう。
何度満身創痍のセシルの手当をしただろう。セシルが倒れることも、怪我をするのもローザはイヤだった。
だが、イヤと言って加減するような相手でもない。そして、セシルも剣の訓練を止める気は毛頭無いようだった。ならば、どうするか。
「カインを倒しましょう」
あるとき、セシルの怪我をしながらローザは言った。
カインは用事があるからと、先に帰ってしまった。「倒しましょうって・・・まあ、一本くらいはとれたらいいなあって思うけど」
ローザに軟膏を塗られながらセシルが呻く。ちなみにローザが塗っている軟膏は、ローザが元忍者であるキャシーの指導の元、薬草をあつめてつくったものだ。回復魔法や魔法薬には劣るだろうが、無いよりはマシである。
「でしょう! だからカインを倒しましょう! そうすれば私もセシルの怪我の手当をしなくて済むし!」
「あ、やっぱり迷惑だった?」申し訳なさそうに言うセシルに、ローザはブンブンと首を横に振る。
「セシルのお世話をするのは大歓迎よ! でも、セシルが傷つくのを見るのはイヤ」
「じゃあ、別に僕たちに付き合わなくても・・・」
「私の知らないところでセシルが傷つくのはもっともっともっと、ずーーーーーーーーーーっとイヤ!」ブンブンブンブンブンブンッ、と激しく頭を振ってローザは言う。
「セシルが傷ついているのも知らないでいて、後で知ったらもっと苦しいわ。だって、あなたが傷つくことを知らなければ、私は何も出来やしない。けれど、知っていれば私にだってなにか出来ることがあるでしょう。今みたいに」
そう言いつつ、ローザは槍で打たれ、痣になっているセシルの肩に薬を塗って、想いを込めるように優しく掌を添える。
「それに、傷つけないために守ることも出来る」
「いや、剣の訓練なんだから、傷つくのは当たり前で―――」
「それにしたってカインは容赦なさすぎるじゃない。別に手取り足取り、セシルに剣の使い方を教えるわけでもなく、ただ一方的に打ちのめすだけ」
「カインって人に何かを伝えるのが苦手だからなあ」カイン曰く、頭ではなく身体で覚えろ。
「とーにーかーく! カインを倒すの!」
「解ったよ。・・・でもどうやって?」セシルが尋ね返すと、ローザは舞ってましたといわんばかりに笑みを浮かべ、あるものをセシルに見せた。
それを見たセシルがきょとんとした表情を浮かべる。「それって・・・」
「そう! これで特訓するのよ!」
「特訓ってまさか・・・」段々と表情を引きつらせていくセシルに、ローザはにっこりと微笑んで。
「ええ、そのまさか。これならきっと、カインの槍よりも速いから、いい特訓になるわ」
******
物思いに耽っていたローザは、ふっと我に返る。
「そうだわ。これがここにあるという事は・・・」
ローザは手にしていた木剣の欠片を籠にしまうと、その籠の周りを見回す。
ほどなくして、それは見つかった。「―――あった」
ぱっと目を輝かせて、ローザは埃まみれのそれを手に取る。
「うわ、まだ弦もちゃんとしてる・・・」
埃を払ったそれは、 “弓” だった。
とはいえ、普通の弓よりも一回り小さい。おもちゃの弓だ。
何年も放っておいたせいで弦は少しゆるんでいたが、張り直せばまだ何回かは使えるだろう。きょろきょろと見回せば、すぐ近くに小さな矢筒があった。
筒の中には五本、矢が入っている。
その中の一本を抜いて手に取った。
矢の先に鏃(やじり)は無く、尖ってすら居ない。もしも矢が当たっても、よっぽど運の悪い場所に当たらなければ怪我をすることもないだろう。「ふふっ」
なんとなく笑みがこぼれる。
いつもいつも、カインの高速の突きの前に、あっさりと倒されていたセシルのために、ローザは親から買って貰ったおもちゃの弓で、特訓した。
真っ正面から矢を放ち、セシルがそれを避ける。最初、セシルは避けられなかったが、段々と矢を回避できるようになってきて、そしてついには―――「カインの突きを避けることが出来た」
だからといってカインを倒せたというわけでもなかったが。
突きを避けられたカインは、今度は横凪に払ってきた。
突きと払いのコンビネーションに、突きに対してしか対応できなかったセシルは為す術もなかった。
結局、この教会を出るまで、セシルは一度もカインを倒すことは出来なかった。軍学校でどうだったのか、ローザは知らない。
ただ、軍学校を史上最年少という記録で卒業したセシルは、幼かった頃とは比べものにならないくらいに強くなっていた。
ローザとの “特訓” など、ほんのお遊びに過ぎなかったかのように。「・・・・・・」
少しだけ感傷に浸り、ローザは弓の弦を張り直す。
なんとなく、この弓矢で遊んでみたくなった。
おもちゃの弓だ。手直すのもそう難しいことではない―――と。「本当にこっちであってるのかよ?」
外の方から声が聞こえた。
聞き覚えのある―――バッツの声だ。ローザはぎくりとして身を強ばらせる。
そして、自分が追われていることを思い出す。「多分ね。ローザは旧市街の街なんてはっきりと覚えていないだろうけど、自然と見覚えのある道を選ぶんじゃないかと」
その声が聞こえた瞬間、ローザは息を止めた。
それは、聞きたかった声。
でも、それを求めてはいけない―――(・・・セシル!)
部屋の中を見回せば、一つだけ窓があった。
窓、とはいえ朽ちて穴が開いている。そこから外の声が聞こえてきているようだった。「って、ありゃ教会か?」
バッツの声。
どうやらこの教会に気がついたらしい。「へえ、バッツ。よくアレが “教会” だって知ってるね。それともファイブルじゃ、教会って多いのかい?」
「多くはないけどよ、旅の途中で見かけた事があって、親父に教えてもらった・・・なあ、ローザはあの中にいるんじゃないか?」バッツの余計な言葉に汗が噴き出る。
外から見えないと解っていても、身動き一つ出来ない。「どうしてそう思うんだい?」
「だって、あれって昔お前が住んでた場所だろ?」
「ちょっと待て! どうして君がそれを知ってるんだよ!」
「知ってるって。なんかお前必死で墓掘ってたし」
「・・・・・・墓って・・・なんでそんなこと―――」
「知らね。忘れた」
「・・・・・・・・・まあ、いいや」考えることを放棄して、セシルはバッツの言葉を否定する。
「多分、ローザはあの中には居ないと思うよ」
「なんでだよ?」
「解りやす過ぎるだろ? あの教会は僕の昔の家で、ローザも何度も遊びに来たことがある―――そんなところ、隠れようと思う方がおかしい」
「まあ、言われて見れば」
「ローザはきっとまだ先だよ。急ぐとしよう」そのセシルの言葉を合図として、数人分の足音が鳴り響いて―――消えていく。
「・・・・・・・・・」
足音が消えた後も、ローザはじっとして動けないでいたが。
「・・・・・・・・・はあ」
やがて、何も物音がしないと判断すると、硬直を解いた。
そして、窓辺に近づいて窓を開ける。
外は薄暗かったが、先程と違って空を見上げれば青空ではなく、赤い空が見えた。もう夕刻だ。そう時間が経たないうちに夜になるだろう。「・・・・・・」
外を見回すが、辺りに人影は居ない。
どうやら本当にセシル達は行ってしまったようだ。ローザはほっと息を吐いて―――ギシリ・・・・・・
「っ!?」
いきなり何かが軋む音が響いて、ローザは心臓が口から飛び出るかと思った。
どくんどくんと鼓動が早まる胸を押さえ、後ろ―――部屋の入り口を振り返る。そこには誰の姿もない―――が。ギシッ・・・ギシッ・・・
軋む音はぽつりぽつりと聞こえてくる。
それもだんだんと近くに聞こえてくる。「まさか・・・」
咄嗟に、今一番逢いたい―――けれど逢ってはならない人の顔が頭に浮かぶ。
しかしそんな筈はない。
セシル達は道の先へと行ってしまったはずだし、なにより一人ではない。何人も屋内に入ってきたならば、どんなに慎重に歩を進めても、もう少し騒がしいはずだった。なら、誰が―――とローザが惑っているうちに、軋みは階段を上り、すぐそこの廊下にたどり着いて。そして―――
「ようやく―――逢えた」
そう言いながら。
苦笑して。
姿を現したのは―――「せ・・・しる・・・・・・?」
たった今否定したばかりの人が、部屋の入り口に立っていた―――