第16章「一ヶ月」
AI.「君が好きだと叫びたい!(31)」
main character:ローザ=ファレル
location:バロン城下町・旧街区・教会

 

 当然だが、廃屋の中は外よりも暗かった。
 朽ちかけた教会の玄関を乗り越え、中に入ればそこは礼拝堂だった。

 礼拝堂とはいえ、それほど広くはない。
 普通の民家の部屋と同じ広さ。というか、普通の部屋を礼拝堂風に改装したのだろう。
 大人が三人、ギリギリ座れる程度の長椅子が二つ、入り口に背を向ける形で縦列に並べられ、それらと向き合うようにして教壇があるが、この “礼拝堂” には祈るべき対象がどこにも見あたらなかった。それは心ない者が盗んでいってしまったというわけではなく、ローザが初めてこの教会を訪れたときから無かったように思う。

 玄関から入った、礼拝堂の右手の壁にはドアがあった。
 うろ覚えながらに思い出す。そこからセシルが神父と住んでいた住居部分に入れるのだと。

「・・・・・・っ」

 逡巡する。
 別に潜むだけならばここでも良いのではないかと思う。
 二つある長椅子の内、一つは足が折れて倒れているが、もう一つはまだ健在だった。長椅子には背もたれがついており、足がはみ出さないように膝を折って寝ころべば、外から見えることはないだろう。

 というか。

「―――疲れたわね」

 ぽつりと、呟く。
 その声音は限りなく弱々しかった。

 長椅子の背に手を置く。
 今すぐここで眠ってしまいたい。眠って、眠って・・・―――そのまま目覚めることがなければどんなに幸せかと思う。

「私・・・どうして逃げているの・・・?」

 胸を押さえる。
 幻痛を感じ、「く」と苦痛の声を漏らした。

「なんで、こんな苦しい思いをしなければならないの・・・?」

 それは紛れもないローザの本音だった。
 なんとなくだとか逃げてみたいからだとか、そんな理由で今まで逃げ回っていたわけではなかった。
 ローザの心は最初から何も変わっては居ない。
 セシルに逢ってはいけない。セシルに求めてはいけない―――だから、逃げなければならない、隠れなければならない!

 ・・・だけども、逢いたい。

「苦しくて、死んでしまいそう・・・」

 なら、逢えばいいと心の隅で自分が囁く。
 逢って、抱きしめて貰えばいいと。
 そうすれば、こんな苦しみなど一瞬で吹き飛んでしまうだろう。

 しかし。

「それでも私は、セシルを求めてはいけないのよ・・・!」

 そう呟いたローザの言葉は弱々しかったが、しかし、一本芯の通った強さが秘められていた。
 どんなに弱々しくとも、折れることは決してない。断固たる思い。

「セシルが失われないのなら、私の苦しみなんて・・・・・・」

 自分を叱咤するように呟く。
 しかし、それでも―――

「・・・うっ・・・ふぐっ・・・」

 泣くのを堪えきることは出来なかった。
 誰かがいれば堪えることができたかもしれない。
 けれど、今は一人だ。

「・・・いい・・・わよね・・・」

 誰かに許可を求めるかのように言う。

「ここ・・・では、一人だもの・・・・・・泣き顔は、自分からじゃ見えないもの・・・だから・・・だから・・・―――」

 その後は言葉にはならず、ローザは嗚咽を堪えるようにして涙を流す。

 ここに居るのはローザ一人だ。
 その泣き顔を見れる者は誰もいない。
 泣き顔をみて、同情して、悲しむ者も怒る者も、慰めてくれる者も居ない。

 自分の苦しみのために、誰かが嘆くのはイヤだった。
 自分が悲しんで、同じように誰かが悲しむのはイヤだった。
 それが自分の知人や友人、大切と思える人達ならば尚更だ。

 その事を、ローザは金の車輪亭で思い知らされた。
 初めてリサに頬を打たれた時、その時のリサの怒っているような泣いているような表情は、セシルに遭えない苦しみと同等の痛みをローザの心に与えた。
 だからローザは、自分の哀しみを恍けてみせた。いつものローザ=ファレルを演じて見せた。

 けれど、それももう必要ない。
 一人きりならば、誰かに見せる演技は必要ないのだから。
 そして、誰かに見せたくないものをさらけだしても、見られることはないのだから。

 ローザは泣いた。
 さっきまで堪えていた分を解放するかのように。
 静かに、泣き続けた。

 

 

******

 

 

 がたんっ。
 と、不意に外から音が響いた、

 泣き続けていたローザは、その動きを止めて身を強ばらせる。
 割と長い時間泣き続けていたせいか、その緊張で涙は引っ込んだ。

「・・・・・・」

 息を殺し、衣服の布と布がこすれ合う音すら立てないように、ゆっくりと玄関を振り返る。
 見れば玄関の外、倒れた扉の上に、先程まではなかった黒い毛玉が乗っていた。
 両手では収まりきらないほどの、少し大きな毛玉だ。何かと思ってよくよく見てみると、ぴょこんと尻尾が飛び出た。

「!?」

 いきなりの形態変化にぎょっとして、さらによく目を凝らしてみれば、今度は毛玉から小さな毛玉が生える。
 それは頭の上に二つの耳を生やしていて―――

「・・・って、ネコ?」

 ローザの呟きに、猫は彼女の方を振り返る。
 薄暗い中、鮮やかに爛々と光る目を向け、少しだけローザと目を合わせた後―――

「な゛ぁーおぅ」

 と、一鳴きして、扉の上からぱっと跳び、どこかへと駆けていく。
 猫がジャンプした瞬間、扉がガタンと音を立てた。

 音の正体が判明して、ローザはほぅっと息を吐く。

「ええと・・・」

 何も居なくなって、ローザは少し困ったように呻く。

「見られちゃったかしら」

 呟きつつ、自分の涙の跡を手の甲で拭う。
 別に、猫に泣き顔を見られたからといって、猫が同情してくれるとは思わないが。

「・・・やっぱり、もうちょっと奥に行きましょう」

 ここでも潜むことは出来るかもしれないが、もしもまた哀しくなって泣いてしまえば、その泣き声は外に漏れてしまうだろう。
 だったら、もう少し奥に行った方が、安全だ。

 もう少し奥に行って、誰にも自分の姿も見えず、声も届かない場所に行ってから。

(もう少しだけ、泣こう。もう少しだけ・・・)

 そう、決めた。

 

 

******

 

 

 住居内に入ってから後悔した。
 自分がどうしてここへ入るのを躊躇ったのか、はっきりと解った。

 ここはセシルの家だ。
 セシルの想い出の詰まった家。
 その中には、ローザの想い出も含まれる。セシルとの共有の想い出。
 それを思い知らされて、ローザはまた胸が切なく締め付けられ、幻痛を感じた。

 薄暗い廊下。
 天井か壁のどこかが破れ、外の光が漏れているのか、完全な闇ではない。
 それでも足下すらはっきりと見えない、廊下を慎重に進んでいく。

 幼い頃にも何度か通った廊下。
 その時とは違う歩幅と違う目線の高さで進む。
 所々、朽ちて抜けている床に気をつけながら、ローザは廊下を進む。が、5歩ほど進んだところで。

「あ」

 すぐ脇に階段が見えた。

 その階段は見覚えがあった。
 というか、今歩いてきた廊下と、この階段、それからその先にある部屋にしか、ローザには想い出がない。
 幼かったローザは、いつもこの教会を訪れると、礼拝堂から廊下を抜け、階段を上ってその部屋へと向かう。そしてその部屋で過ごしたあと、階段を下りて、廊下を渡って、礼拝堂から外へ出る。たったそれだけで、そしてそれだけで十分だった。

「・・・・・・」

 今にも崩れそうな、朽ちかけた階段を見上げてローザは動きを止める。
 が、やがて意を決して、その階段を上り始めた。

 

 

******

 

 

 段を一歩一歩登るたびに軋んだ音を立てる階段を、なんとか上りきると、また廊下があった。そしてそこには部屋の入り口が二つ並んでいた。
 ローザは今度は動きを止めることなく、手前の部屋へと身を滑り込ませる。かつての自分と同じように。

「・・・・・・」

 部屋の入り口に立ちつくしたまま部屋の中を見回す。

 その部屋を一言で言うならば “子供部屋” だった。
 子供の体躯に合わせた小さなベッド、小さな机、小さな子供服しか入らない小さなタンス。
 それらが小さな部屋の中に納められている。

 もっとも、ベッドの上には人が寝られないほど、本などの雑貨が積まれ物置と化している。小さな机の前には、机には不似合いな大きさの椅子が置かれており、そしてタンスの中は。

「・・・・・・」

 ローザはタンスを無言で開く。
 タンスの中には子供よりも少しばかり成長した少年の服が入っていた。
 その殆どが、子供服を彼が仕立て直したもので、プロの仕立屋が作った者に比べて、つぎはぎなどが目立つ。もっとも、これらの服を彼は殆ど着たことがない。ツギハギの服を着ている彼を見かねたカインが、自分のお下がりを与えたからだ。

「あの時も、セシルは “ありがとう” って言いながら困ったように苦笑していたわね」

 遠慮する気持ちもあったのだろうが、カインの親切を無下にすることも出来ずにセシルは素直に受け取った。
 そのことを思い出して―――自分で彼の名を呟いて、ローザはそれこそ思い出したように、ここが誰の部屋だったのかを呟く。

「セシルの・・・部屋・・・」

 

 

 


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