第16章「一ヶ月」
AH.「君が好きだと叫びたい!(30)」
main character:ローザ=ファレル
location:バロン城下町・旧街区

 

 狭い路地。

 建物と建物との間に出来た道。
 それは曲がりくねっていたり、鋭角に曲がったりして、どんなルートを行くのか全く想像できない。
 時折、少し開けた場所に出るが、そこも周囲を建物に囲まれているせいで、空は見えているのに薄暗い。まだ、陽は落ちきっていないはずだが、自分の影が見えないほどに暗かった。

「はぁ・・・はぁ・・・」

 息を切らせながらローザは旧市街を行く。ここへ飛び込んだ時には活発に動いていた足も、今は鈍くただ前へ前へと進んでいた。

 辺りに人は居ない。
 だが、こちらを伺うような気配はある。
 旧市街の住人―――街の発展に取り残された人々。旧市街へ置き去りにされた者たち。
 下手に旧市街に入り込めば、彼ら(もしくは彼女ら)に身ぐるみ剥がされ、殺されてしまう―――そんな都市伝説を、街の人間は囁く。

 しかしローザは知っていた。
 彼らは取り残されたわけでも、置き去りにされたわけでもない。
 自らの意志で留まった者―――或いは、外から訪れて住みついた者達だ。彼らはこの旧市街という小さな世界の中で生活を確立している。別に外の人間を襲うことはないし、それどころか普通に外の人間と付き合っている者もいる。

 その例がセシル=ハーヴィだ。

 この旧市街で育ち、ここで生活しながらも、街の学校へ通い、ローザやカイン達と少年時代を過ごした。
 セシルの事を ”旧市街の住民” ということで貶したり蔑んだり、逆に必要以上に怯えたりする子供達も少なくはなかったが、セシル自身はそのことに負い目はなく、ただの一度も気にした素振りを見せたことはなかった。

(そうよね)

 息を切らせ、のろのろと見知らぬ道を歩きながら、ローザは心の中で呟く。

(セシルにとってそれは当たり前で当然の事だったのだから。私だって、西街区に住んでいることをとやかく言われて気にしたことはなかったわ)

 末席とはいえ、古くからある貴族で街の西側に住んでいるのはファレル家だけだった。
 あとは没落した貴族か、貴族の遠い親戚だとか、その程度だ。
 貴族学校に通っていた頃、そのことで級友に何度か馬鹿にされたが、腹も立たなかった。だってそれはローザにとって当然のことだったから。

(そうよ。当然と思っていたのよ、セシルは)

 ローザが出会ったばかりの頃のセシルは全てを受け入れていた。
 旧市街に住むのも当然であれば、それをネタにちょっかい掛けられるのも当然だと。親がないのも当然で、周りの子供達にいじめられるのも当然。

 ―――セシルがいじめられていた事をローザは知っていた。カインも知っていた。
 けれど、カインは全く気にしていなかった。ローザも見て見ぬふりをしていた―――というか、基本的に皆はカインやローザの居ないところでセシルに手を出していたが。

 カインに言わせれば「そんな程度で俺の認めた “王” がどうにかなるものか」らしい。
 ローザもカインと同意見だったが、ただカインとちょっと違っていたのは。

(私もリサ達の気持ちがわかっていたからかしらね)

 リサ=ポレンティーナの名は、実は暫く忘れていた。
 彼女の事を思い出したのは、彼女がバイトしている “金の車輪亭” で偶然に再会したとき。
 その時、ローザもカインも、幼い頃に一緒に遊んだ彼女のことを忘れていたが、セシルだけは普通に覚えていた。その時のリサの表情は、きっと忘れられない。今にも泣き出しそうな、けれど心の底から嬉しそうな複雑な笑顔。

(あの顔が見れたから、私はリサと親しくなれたのよ)

 セシルに声を掛けられて、彼女は即座に反応した。
 それはつまり、リサはセシルの事を覚えていたと言うこと。
 そして、いじめっ子が昔いじめた子の事なんて、いちいち覚えているわけがない。それを覚えていたと言うことは―――

(リサも、私と同じ。 “セシル” が特別な存在だった)

 リサだけではなく、あの頃、セシルをいじめていた子供達全てが同じだった。
 セシルをいじめていたのは嫌いだったからなのかもしれない。けれども、それだけではなかった。

(みんな、セシルを振り向かせたかったのよ)

 セシルに構って欲しかった。セシルに自分達を気にして欲しかった。セシルに自分のことを考えて欲しかった。

 ローザはセシルを愛した。
 リサ達はセシルを嫌悪した。
 けれども、求めたのは同じ事。セシルという自分たちとはどこか違う少年を、支配したかった、屈服させたかった。100%完全とは行かなくとも、少しでも良いから。

(振り向いて欲しかった)

 だけどセシルは自分の身にかかるほとんど全てのことを “受け入れていた” 。
 何故なら、彼はたった一つだけ “許せない” ことがあったからだ。

 それは―――

「―――あっ」

 気がつけば、少し開けた場所に出ていた。
 そして、目の前にあるその建物を見た瞬間、ローザは呼吸するのも忘れ、呆けたように呟いた。

 見知らぬ街。見知らぬ道を辿り巡って辿り着いたのは―――見覚えのある建物だった。

 バロンの街中―――どころか、この旧市街でも他には見ない建物。
 三角屋根の建物で、それ自体は珍しくもないが、屋根の上には十字架が立っている。
 十字架は魔や邪を払い、死者を鎮めるシンボルであることは有名だが、そのルーツが遙か昔にあった宗教であることを知るものは少ない。十字架が立つ建物のことを“教会” と呼ぶが、その教会と呼べる建物は、このフォールスではおそらくこの建物だけだろう。

 その建物は朽ちていた。
 幾つかある窓は全て割れていて、半分でも硝子が残っていれば上等だった。
 正面にある入り口のドアは外れ、入り口の真ん前に倒れている。白かったと思われる壁は灰黒く汚れ、薄暗くても見えるくらいのはっきりとしたヒビが、あちこちに走っている。

 ローザの記憶にある建物は、ここまで朽ちてはいなかったが、しかし紛れもなくここは―――

「セシルの・・・育った場所・・・」

 軍学校に入り、寄宿舎で生活するまで、セシルはずっとここで一人で暮らしていた。
 ローザも何度か遊びに来たことがある。
 遊びに来た、と言っても遊べるようなものはなく、セシルの方も歓迎するわけではなかったので、単に日が暮れるまでセシルと一緒にいただけだが。

「きちゃ・・・った・・・」

 呆然と呟く。
 この建物はセシルにとって特別な場所だった。
 セシル=ハーヴィ最大の後悔―――彼が何よりも “許せない” 事、その原因が眠っている。

「・・・・・・」

 ローザは無言で視線を移す。
 建物の正面にある玄関。その脇の地面に十字に組まれた木の枝が立てられていた。その木の枝も、建物同様にほとんど朽ちかけていたが。
 木で出来た十字架の周りは、十字架と同じくらいの高さの草が生い茂り、そこに十字架が立てられていると知るものでなければ、気づくのは難しいだろう。

 そしてローザは知っている。その十字架の下にセシルの後悔―――彼の養父が眠っていることを。

 

 

******

 

 

 養父に養われていたセシルのことを、ローザは知らない。
 セシルがどういう少年だったのか、カインですら知らないらしい。

 聞いた話に寄れば、セシルはずっと旧街区の外に出ることはなく、ほとんど毎日をこの教会の中で暮らしていたという。
 そして物心ついた頃から、セシルは彼の養父―――セシルは “父親” とは呼ばずに “神父” と呼んでいたが―――に様々な事を教わっていたらしい。文字の読み書きは当然として、ものの数え方、魔法や魔物などの世界の理、料理や掃除などの家事の仕方など。神父は特にセシルとは家族らしい会話をせず、ただ単にそう言った勉強を教えるだけだったという。そしてそれをセシルは文句も言わずに学び続けた。

 神父はセシルが失敗したり、解らなくても叱る事は決してなかった。ただ、セシルが出来るようになるまで何度も何度も根気よく丁寧に教えた。逆に褒めることもなく、一つの課題が終われば、淡々と次の課題に移るだけだった。

 家族らしい温もりなど何処にもない。冷え切った生活。
 そのことを聞いたとき、ローザはセシルに同情した。家族の絆や温もりを知らないセシルのことが可哀想だと。

 だけど、セシルはいつものように苦笑して、首を振って否定した。

「そんなことはないよ」
「でもでも、本当の家族というのはもっと暖かくて楽しくて、一緒にいてほっとするものよ」
「例えば?」
「例えば、誕生日には私が生まれたことを祝ってくれるわ。あなたの “神父様” がそんなことをしてくれたことがある?」
「一度もないなー」
「何か嬉しいことがあったとき、一緒になって喜んでくれるわ。あなたの “神父様” は一緒に喜んでくれる?」
「それどころか、笑ったところを見たこともほとんど無い」
「それなら本当の家族とは言えないわ」

 ・・・今にして思えば、かなり残酷なことを言ったと思う。
 ローザがセシルと出会った頃、すでに神父は他界していて、セシルは天涯孤独だった。
 なのに、セシルにとって大事なその人をなじるようなことを言ったのだ。

 それは、リサ達がカインやローザと一緒に居るセシルを憎むと同じ感情―――嫉妬だ。

 そして、そんな酷いことを言ったのに、セシルはいつもと同じように苦笑しただけだった。

「確かに僕と神父は家族とは呼べなかったかもしれないね」
「でしょう?」
「でも、僕は彼のことが好きだったし、家族とも思っていた。そしてそれは彼も同じだったと思うよ」
「なんでそう思えるの!?」
「僕が今、ここにいるからだよ」
「どういうことかしら?」
「彼は僕の誕生日を祝ってくれなかったけれど、誕生日を迎えることを与えてくれた。彼は僕と一緒に笑ってくれることはなかったけど、誰かと笑い合う機会をくれた。そして―――」

 セシルはローザに微笑みかける。
 それはいつもの苦笑ではなく、本当に優しい微笑みだったから、ローザは神父への嫉妬も忘れて、胸を高鳴らせた。

「僕は神父と一緒にいて、暖かくて楽しかったということは無かったかもしれないけど―――暖かくて、楽しくて、ほっとして、それでいて一緒に笑えあえて、ついでに誕生日まで祝ってくれる、君に出会えた」

 その言葉は、とても嬉しかった。
 だけど、一つだけ引っかかった。

「でも、そんなのは神父のお陰でもなんでもないでしょう?」

 嬉しさが急速に冷める。
 自分とセシルの出会いも、神父の掌にあるようなイメージがわいて気分が悪くなった。

「セシルの言うことは間違いよ!」

 喚き、セシルの想いを否定しようとした。
 だけど、セシルはただ苦笑するだけ。
 何を喚いても、何を叫んでも、困ったように微笑むセシルに、ローザは泣きたくなって―――でも泣き顔を見られるのがイヤで、涙を拭いながら家に逃げ帰った。

 それから一週間ほど、ローザはセシルに合おうとしなかった。
 やがて、心配したセシルがファレル邸を訪れて、ようやくローザは仲直りした。その代わりに、セシルはディアナから何度も平手を喰らったが。

 そんなことがあったから、ローザは二度と “神父” に関する話はしなかった。
 何を言ってもセシルは自分の考えを曲げなかっただろうし、言うたびにケンカ―――ローザが一方的に―――すると解っていたからだ。

 セシルが旧市街を離れてからは、二度とこの教会に近づくこともなかった。

 

 

******

 

 

「もう何年も来ていなかったけど・・・」

 改めて教会の廃墟っぷりを確認する。
 そして、ぼうぼうの草に囲まれた神父の墓も。

 はっきりと解るのは、全く手入れされていないということ。
 おそらく、セシルが教会を出ててからずっとだろう。その間、セシルは教会には戻っていない―――戻ったとしても、一度や二度に違いない。

「・・・やっぱり、一度離れてしまうと、戻りにくいのかしらね・・・」

 後悔のある場所だから。
 と、そう思いながら、ローザは教会の方へと歩みを進める。
 倒れたドアの上を踏み越えて、教会の玄関に立つ。

「・・・ここなら隠れられるかしら」

 盲点かもしれないと思った。
 まさかセシルが良く知る、自分の育った教会に潜むとは思わないだろうし、何よりここはセシルの後悔の場所だ。心理的にも近づきがたいだろう。

 そう思って、ローザは廃屋となった教会の中へ足を踏み入れた―――

 


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