第16章「一ヶ月」
U.「君が好きだと叫びたい!(17)」
main character:マッシュ
location:金の車輪亭
ずがしゃああああんっ!
ヤンの身体が店のドアをブチ破り、通りへと転がり出る。
「ぬうっ!」
すぐさま立ち上がると、今し方ドアを破壊した “金の車輪亭” を見る。
と、店の中からゆっくりとマッシュが出てくるところだった。「この私を吹っ飛ばすとは・・・本気というワケか!」
当然、ヤンは自らドアを蹴破って外に出たわけではない。
マッシュの剛拳によって、外へと叩き出された結果だった。
その拳を放った当人は、いつになく厳しい表情でヤンを睨付ける。「・・・同じ格闘家として、俺はアンタを尊敬していた」
ぎりりっ、と奥歯を砕かんばかりに噛み、怒りを込めて言葉を放つ。
「だが・・・か弱い女を追い回すような人間だったとは!」
「待て。なにか誤解があるようだが、これはセシルの―――」
「知っている! セシルの命令だっていうんだろ!? だからこそなお許せん! 破廉恥な命令をしたセシルも、それに従う貴様も―――俺はどちらも見損なったぁっ!」怒号を放ちその勢いのまま駆け出す。
拳を握りしめ、それをヤンに向かって叩き付ける!放たれた打撃を、ヤンは両手を重ねて受け止めた。
「ぬおっ!?」
重い。
単なる力任せの一撃ではなく、腰の入った強打だ。
並の人間ならば、まともに受け止めても耐えきれずに受けた両手が砕かれ、身体は突風に巻き込まれた木の葉の如くに舞うだろう。
だが、そこはファブールが誇るモンク僧の長。
両の足で地面に踏ん張り、しっかりと受け止めた。「ふむ・・・良い打撃だ。力だけならば私を越えている―――」
「うおああああああっ!」しみじみ呟いたヤンの脇腹に、もう片方の拳が突き刺さった。
「ぐほはっ!?」
両足を踏ん張っていたヤンは、避けることも出来ずにその打撃を身に受ける。
肋骨が軋み、全身に衝撃が走る!「まだまだあっ!」
だんだんだんだんっ!
マッシュの両腕から繰り出される打撃が連続してヤンの身体を打ち据える。
雨、というよりは雹という表現のほうが正しいだろうか。決して早くはないが、間断なく打たれる連打に、ヤンの身体は下手な人形師に操られたマリオネットのように不格好なダンスを踊る。「ちょっとマッシュ君! 店のドアは借金に上乗せ―――うわ」
怒りながら外に出てきたリサが、その光景を見て唖然とする。
続いて、リサの後からギルバートにフライヤ、クラウドも外に出てきた。
外に出た瞬間、ギルバートもリサと同じように驚き、息を呑んだ。「い、一方的じゃないか・・・! マッシュってあんなに強かったのか・・・」
ギルバートはマッシュの戦いは何度か目にしている。
カイポの村とトロイア、さらにはゾットの塔を脱出した後での飛空艇の上で。
そこそこ強いことは知っていた。気の一撃でゾンビの群れをなぎ倒したり、バルバリシア配下のメーガス三姉妹の一人を撃破もした。
だが、それでも他の強者―――セシルやバッツ、ヤンやレオ=クリストフらに比べれば、多少見劣りすると思っていた。それが今、格闘家としてはフォールス最強とも言えるヤンを相手に一方的に攻めている。
驚きのあまり、ギルバートはもはや声も出ない。
しかし―――「―――まだまだだ」
「ほう・・・気づいたか、クラウド」
「ふん」クラウドが呟き、フライヤが目配せする。
そのやりとりの意味が解らずに、ギルバートがどういうことか問おうとしたとき。「・・・いいかげんに―――」
「ッ!?」
「―――せんかあああああああああっ!」怒りの声と共に、ヤンの頭がマッシュの顔面にぶつけられる。
突然のヘッドバッドに、マッシュは思わず攻撃の手を止めて、後ろによろめいた。「ぬううう・・・人が大人しくして居ればつけあがりおって・・・・・・!」
怒り心頭。
顔というか頭を真っ赤にしてヤンはギロリとマッシュを睨付けた。
エニシェルがこの場にいれば「タコじゃ♪ タコじゃ♪」とでも嬉しそうにはしゃいだかもしれない。ヤンの全身はマッシュの打撃により、あちこちアザになっていたが、意外なほど身体はしゃっきりとしている。まるでダメージなど無いと言わんばかりに自然体で立つヤンに、マッシュは思わずもう三歩ほど後ろに下がって間合いをとる―――
(・・・あ!)
十分に間合いをとってから、マッシュはギクリとした。
これは、ヤンが必殺の技を打てる間合いだと。「行くぞ」
思ったときにはもう遅い。
ヤンはすでに始動し、マッシュに向かって加速する。
一歩一歩を、地面を砕かんばかりに叩き蹴るその加速は、ほんの数歩で最高速へと到達する。
その身に纏うのは疾風。そして、共に駆けるのも疾風。ならばその身もすでに疾風―――
風神脚
疾風と化したヤンの蹴りがマッシュに向かって叩き込まれる。
あまりの加速に、マッシュは避ける間もなく、暴風の一撃を受けて真っ直ぐに後ろへと吹っ飛んだ。まるで先程のお返しと言わんばかりに、マッシュの身体は破壊された入り口をくぐり抜け、店の中へと叩き込まれる。どんがらがっしゃーんと、店の中から破砕音が響き、リサが顔を青くして頭を抱える。
「ちょっ、マッシュ君!? ていうかおいこらマーーーーッシュッ! さっきから借金が凄いことになってるよ!?」
まるでマッシュの借金が増えていくことを心配するかのように悲痛な―――実際は店を破壊されたからだが―――声を上げるリサ。どうやら全てマッシュに払わせる気でいるらしい。
「う、おお・・・・・・お・・・・・・お・・・・・・」
リサの声に激励となったのか、店の中からマッシュが現れる。
何かの破片で切り裂いたのか、それとも何かの角にでもぶつけたのか、マッシュの頭から血がひと筋、顔の輪郭を伝って顎から滴り落ちる。「今のは・・・効いたぜ・・・だがッ」
「ほう・・・まだ続ける気か?」
「当然! おおおおああああああああああああっ!」雄叫びを上げて、またマッシュが突進する。
連打で両の拳から拳打を放ち、ヤンの上半身に満遍なく浴びせる。
それをヤンは、特にガードもせずに黙って受け続けた。「ま、また・・・」
ギルバートが声を上げる。
それはまさしく先程と同じ、マッシュが一方的にヤンを攻め続ける光景。
だが、二度も見れば誰でもおかしさに気がつく。それは、ヤンが格下のマッシュに一方的に攻撃されている事に対する不思議さではなく、「どうして・・・ヤンは倒れないんだ・・・!?」
先程も、マッシュの猛打を浴びてなお倒れることなく、逆に反撃をした。
その反撃は頭突きと風神脚のたった二発。それだけで、マッシュはヤン以上にダメージを受けたようだった。如何にヤンの必殺技が強力だろうと、それはとても奇妙なことだ。ギルバートもマッシュの打撃は何度か目にしたが、今し方ヤンが賞賛したように、力だけならば並の人間を軽く凌駕している。そんな力を秘めた打撃を何発も受けて、しかしヤンは少しよろめく程度で決して倒れない。
「クラウド、君は解っているような事を言っていたけど―――」
「興味ないな」うん、言うと思った。
小さく溜息をついて、ギルバートは隣にいるネズミ族の女性に目を向ける。彼女は小さく苦笑して、槍の柄でクラウドを軽く小突いてから、「簡単な話じゃ。一件、派手なように見える連打じゃが、実際にはただの一発も有効打にはなっておらん」
「え・・・?」
「手数が多くなればそれだけ一撃一撃の威力が低くなる。それでもマッシュの力ならば、大抵の相手は為す術もなく倒れるだろうが、しかし相手は―――」
「ヤン=ファン=ライデン・・・というわけか」ギルバードが名を呟く。
よくよく見れば、攻撃を一方的に受けているにしては、ヤンの表情は平然。苦悶の一つも浮かべていない。「もう一つ。あの筋肉は無造作すぎる」
ぼそり、とクラウドが付け足す。
え? とクラウドを振り返るが、巨剣を背に負ったクラウドは、それ以上は語らない。代わりに、「狙いが甘い―――というか、狙ってすらないということじゃ。あれだけ打撃して急所らしい急所には一度も当たっておらん」
人間の身体には鍛えられない場所、鍛えにくい場所というのが幾つかある。
並の人間ならばともかく、ヤンのように鍛え抜かれた肉体では、それ以外の場所に打撃しても有効打にはならないと言うことだ。「じゃあ、このままだと―――」
「ああ―――動くぞ」クラウドが呟いたその瞬間。
ゴキィ、と鈍く不快な音が響く。
見れば、ヤンの拳がマッシュの鼻頭に叩き込まれるところだった―――
******
―――なにが起きたのか、マッシュには理解できなかった。
ヤンに向かって無数とも言える打撃を繰り出して。
不意にその打撃の一つがヤンの手によって払われ、軌道が変化し、ヤンの肩を掠めて外れたと思った瞬間。
顔面に、何かが飛んできた。「ぐ・・・あ・・・・・・」
なにが飛んできたのかも認識できないまま、衝撃と同時に目の前が一瞬だけ真っ白になる―――次に視界が開けた時には、目の前に地面があった。砂利が一つ一つ見えるほどに近く。―――つまり、地面に倒れていた。
「あ・・・うう・・・」
顔面が灼けるように熱く、痛い。
鼻が詰まって焦げた鉄の匂いがする。どうやら鼻血が出ているようだった―――それも尋常では無い量が。だというのに、その鼻のからは痛みがない、どころかなにも感じられない。灼熱のような痛みを感じる顔面の中で、その中心、鼻の部分だけがまるでぽっかりと穴が開いたように痛みを感じない。もしかしたら完全に砕けてしまっているのかもしれない。「・・・なんだ、もう終わりか」
声が上から降ってきた。
その声を聞いた瞬間、マッシュの身体に力が少しだけ戻る。
―――それは倒さなければならない敵の声。「く・・・・・・おおっ」
腕に力を込め、拳を地面について立ち上がる。
それをヤンは黙って見守っていた。「お、おれは・・・・・・まだ・・・おわらねえ・・・・・・」
鼻から血が溢れているせいか、発音が少しくぐもっている。
しかしそう言うマッシュの足はがくがくと震え、立つのにも精一杯という有様だった。「ほう・・・その根性だけは認めるが」
感心したように―――あるいは呆れたようにヤンが呟く。
瀕死のマッシュに対し、ヤンは所々痣を作ってはいるものの、しっかりと地面を踏みしめて立っている。その様子にはダメージは微塵もない。「素直に負けを認めたほうが楽だと思うぞ?」
「おまえなんかに・・・・・・まけられるかあああ・・・っ!」声を振り絞り、拳を固め、マッシュはヤンに向かって殴りかかる。
それは、先程の連打に比べても力が弱く、遅い打撃。
素人でも避けられるような一撃を、ヤンはなにもせずに受ける。マッシュの拳がヤンの胸の真ん中に当たった。「・・・・・・満足か?」
ヤンが尋ねると、マッシュは拳をヤンの胸に当てたままにやりと笑う。
「ああ―――おれのかちだ・・・!」
「!?」
タイガーファング
マッシュに残された力の全てが拳に凝縮し、その力がヤンの身体に叩き込まれる!
「がふっ!?」
流石にその一撃は堪えたのか、ヤンは目を見開いて呼気を漏らす。そこへ続けて、マッシュは全力で地を踏みしめ、全身全霊の一撃をさらに叩き込んだ!
「があっ!?」
「まけをみとめるのは・・・そっちだ・・・!」
「くっ・・・」ヤンはマッシュの拳から逃れるために後ろに逃げようとする。
バックステップで飛ぶ―――が、それはマッシュも追い掛ける。拳はヤンの身体に張り付いたまま離れない。「ぬっ!?」
「くらえッ」足が地面に着地した瞬間、マッシュは三撃目を叩き込む。―――後ろに跳んだ後は、着地して前に踏ん張らなければならない。そうしないと、そのまま後ろに倒れてしまうからだ。
そこをマッシュは狙い打つ。僅かな踏ん張りに反発するように、ヤンにさらなる衝撃が叩き込まれた。「がはあああっ!」
「無駄だ―――虎の牙からは逃れることは出来ない!」いつの間にか、マッシュの身体からは出血が止まっていた。鼻血も止まっている。
代わりに、ゆらりとマッシュの全身から金色の湯気のようなものが立ち上る―――それを見てクラウドが眉をひそめた。「あれは・・・」
マッシュの師匠、ダンガンと戦ったときにも見た金の光―――闘気。
もっとも、ダンガンに比べれば薄ぼんやりとした闘気ではあるが。ただ、クラウドは知っている。
ダンガンもマッシュと同じように、ダメージを負った状態から復活して見せたことを。
チャクラ
マッシュの身体の内から溢れる闘気が自身の体を回復させる。
瀕死の状態から一転。全力全開の “虎の牙” がヤンの身体に打ち込まれる。先程の無造作な連打とは違い、渾身の力を込めた打撃だ。
多少、急所からズレていても問題ない。許容できない衝撃がヤンの体内に蓄積されていく。何度目かの “一撃” にヤンは「ごふ」と口元から赤い血を零す。
「勝負あったな」
ふん、と興味なさそうにクラウドが呟く。
「実力では圧倒的にあのハゲのほうが上だった―――敗因は、相手を甘く見すぎた」
「いや、甘く見ていたわけではないと私は思う」クラウドの言葉に異を唱えたのはフライヤだった。
「私もあのハ―――もとい、モンク僧の事は良く知らぬ。じゃが、相手を見くびったのではなく、その力を真っ向から受け止めようとしていたように思うのじゃ」
それに、とフライヤは血を吐きながらも―――それでも未だに倒れようとしないヤンを見やり、
「まだ、終わってはおらん」
「なに?」興味を失っていたクラウドは、フライヤの言葉にヤンの方を見る。
マッシュのタイガーファングから逃げることも出来ずに、ただ一方的に強打を受け続けるヤン。最早半死半生で、立っているのが不思議なくらいにダメージを負っている。どう見ても、あの筋肉の勝ちだろ―――とクラウドが思った瞬間。
ヤンの口元が動いた。
「フ―――・・・流石だ」
血を吐きながら、ヤンはマッシュに賞賛の言葉を呟く。
対し、マッシュは熱した身体とは相反した、冷めた視線でヤンを見る。「今のアンタに褒められても嬉しくないな―――そろそろ終わりにしようぜ」
「そうだな」ヤンが頷く。絶体絶命だというのに、何故か余裕を感じさせる―――それがマッシュの気に障った。
「退くつもりならそれで終わりにしようと思った―――だけど気が変わった! アンタを完全に打ち砕くッ!」
宣言して、マッシュは僅かに足の爪先に力を込める。
それは微細な力の動き―――だが、足の爪先から足を通り腰を通り身体を通り行く過程で少しずつ運動エネルギーを蓄えていく。そしてそれがヤンの身体にピタリとあてられたマッシュの拳に到達するときには、絶大な “力” が打撃となって叩き込まれるッ!
タイガーファング
ゼロ距離の超打撃。
渾身の最後の一撃がヤンの身体に叩き込まれ、くしゃり、と骨の砕ける手応えをはっきりと感じ―――・・・
******
「・・・・・・・・・え・・・?」
何故かマッシュは空を見上げていた。
頭がくらくらと揺れる。「・・・あ・・・・・・・・・?」
空を見上げている視界は時折白くチカチカと明滅する。
全身から力が抜けていく―――・・・「・・・・・・・・・・・っく」
思わず気持ちよく倒れそうになって、マッシュは必死でこぼれ落ちていく力をつなぎ止める。
ふらついていた足下をしっかりと地面に立たせ、マッシュは見上げていた視線を前に向ける。
前を見れば、そこには変わらずヤンの姿があった。彼は、「ほう」と感心したように呟き。「良く耐えたな」
「な・・・・・・なにを・・・した・・・?」渾身の一撃が決まったはずだった。
だというのに、ヤンは未だ健在で、逆にマッシュがダメージを負っている―――いや、ダメージを実感出来てすらいない。なにしろ、なにをされたのかも解らないのだから。「大したことじゃない」
はっはっは、と笑うヤン。
その口元に、血の零れた痕がなければ、今までのは全部夢だったのだと思うってしまうほどに、彼の様子は軽快だった。「それよりも、拳を離さないとは見上げた根性だ」
言われて気がつく。マッシュの拳は、まだヤンの身体に密着していた。
まだ必殺の一撃は打てる―――そう思った瞬間、マッシュは動きを開始する。「おおおおおおおおおおっ!」
突然のダメージに困惑する身体を雄叫びで奮い起こし、マッシュは小さく踏み込んで必殺の一撃を―――
「ッ!?」
踏み込んだ瞬間、膝が小さく震えた。
膝にダメージが来ていたわけではない。ただ、本能的に恐怖した。また理解できない攻撃が来ることを。しまった、と思ったときにはもう遅い。
爪先から伝わった力は、膝から逃げて霧散する。それでも腕に力を込めて打撃を放とうとするが、ゼロ距離では打撃にすらならず、ヤンの身体を少し押しただけだ。「なにをしたかというとだな」
押されたヤンは、そんなことを呟きながら逆にマッシュの拳を身体で押し返す―――同時、ヤンの頭が勢いよくマッシュの頭に叩き付けられた。
「ぐがっ!?」
ぐわんぐわんと、脳を揺らす衝撃に、マッシュは今度こそよろめいて拳をヤンから放す。
軽い目眩と共に、マッシュは揺れる視界の中にヤンを認め、「まさか・・・さっきも―――」
「うむ。大したことではなかっただろう?」胸を張って言うヤンに、マッシュは違う意味で目眩を覚えた。
さっきの一撃は、マッシュの最大級の渾身の一撃だった。
だというのに、それに対して前に出てヘッドバッドを喰らわせたというのだ。「なんで・・・たっていられる・・・?」
渾身の一撃を、前に出ながら受けたと言うことは、それだけ威力も増加するということだ。
だというのに、ヤンは平然と立っている。「俺の攻撃が・・・効いていないのか・・・?」
声が震えていた。
自分の攻撃が全く通じない相手―――これが例えば相手が鉄の塊だとか、ゾンビだとか、そもそも打撃が通用しない相手ならば話はわかる。しかし相手はマッシュと同じ人間で、しかもマッシュの拳には確かに手応えを感じられた。それなのに。「あんた、バケモノか・・・?」
呟きながら、マッシュの身体は自分でも意識しないうちに、後ろに下がろうとしていた。
「それは褒め言葉ととって良いのか?」
「そんなわけ、ないだろ・・・」
「もっとも、褒め言葉だったとしても、素直に受け取る気にはなれないがな―――なにせこの世界にはヒトのカタチをしたバケモノが多すぎる」言って、まっさきに思い浮かんだ “バケモノ” はこの国の王だったことに気がついて、ヤンは苦笑する。
「私などまだ人間だ―――腹ただしいほどにな」
「だったらどうして倒れない! それほどまでに俺の打撃は弱いのか!?」
「いや? さっきも言ったがお前の力は私よりも上だ。当然、その打撃力もな」
「だからッ! それならなんで―――」
「大した理由ではない―――それよりも良いのか? その位置」
「え?」尋ねられて、とん、とマッシュのカカトがなにかにぶつかった。
振り向くと、そこには “金の車輪亭” の壁があった。「マッシュ君、なに逃げてるの?」
すぐ隣で、リサが呆れたようにこちらを見ている。
「逃げていた・・・? 俺が?」
ヤン=ファン=ライデンに対してマッシュは恐怖を感じていた。
自分の力が全く通用しない相手に対して逃げようとしていた・・・・・・「とりあえずそこの観客は離れていろ。これで終わらせるのでな」
ヤンが宣言すると、リサ達はそそくさとマッシュから離れる。
リサが引きつった笑みでヤンの方に懇願するように、「あのー、出来ればこれ以上、店を壊さないで欲しいなー、なんて」
「うむ、無理だ」
「うわさっくり言われた―――ちょっと、マッシュ君! 死んでも良いから死守してよ!」
「え・・・? あ・・・!」自分が知らずのうちに逃げていたことに困惑していたのか、リサの叱咤によってようやくマッシュは気がついた。
ヤンが「その位置で良いのか?」と聞いた意味。「この間合い―――」
いつの間にか―――いや、マッシュが退いたせいで、ヤンとの間に距離が開いていた。
それは、ヤンが必殺の蹴りを放つのに十分な距離。「折角だから面白いものを見せてやろう―――」
言うなり、ヤンはマッシュに向かって駆け出す。
一歩一歩を爆発的な瞬発力で際限なく加速し続ける。
数歩加速しただけで、最早その身を疾風と変えてマッシュへと肉薄する!「う、うわああああああっ!?」
恥も外聞もなく、マッシュは悲鳴を上げて自分の上半身を庇うように両腕でガードする。
避けようとはしなかった。リサの命令に従ったのか、それともこれ以上逃げることを良しとしなかったのか―――それとも逃げても無駄だと悟ったのか。
しかし、そのガードでさえも、ヤンは「無駄だ」
と短く呟いてさらに加速。
その加速はさらなる風を生み、新しく巻き起こった風は、ヤンが身に纏う風とぶつかり合い、こ擦れ合い、静電気を生む。ヤンの身体の周りで風同士が摩擦して幾つもの雷気が生まれ、やがてそれは近くの雷気と繋がり、集まり、大きな一つの雷気となる!疾風と雷気を身に纏ったヤンのそれは、疾風迅雷と呼ぶに相応しい。即ち。
雷迅脚
ばちいいいっ!
「うわっ!?」
雷気がマッシュのガードをはじき飛ばす。
バンザイ、と間抜けにも両手を上げた状態で無防備を晒すマッシュの身体に、疾風の一撃が容赦なく叩き込まれた―――
******
「う・・・・・・あ・・・・・・」
「ほう・・・まだ意識があるのか」がらがらと、あちこちから崩壊の音を響かせる店内で、マッシュは瓦礫に埋もれて沈んでいた。
ヤンの蹴りを受けて、全身バラバラになるかと思うほどの衝撃を受け、店内の色々なものを巻き込んで破壊して倒れて。一応、マッシュの意識はあるが、視界は先程以上に明滅して、もう意識が飛ぶ寸前だと自覚する。身体に至っては、本当にバラバラに成ったのかと思うくらいに指一つ動かせそうにない。
「まだ続けられるか?」
それは冗談のつもりだったのだろう―――と、後になった気がついたが、その時は悪い冗談以上のものではなかった。
「俺の・・・・・・負けだ・・・・・・」
言葉には恐怖感と悔しさが滲んでいた。
ヤンという男を、同じ格闘家としてマッシュは尊敬していた―――だが、今日になってか弱い女性を追いかけ回すような最低な男だと見損なった―――しかし今、何よりも怖ろしい存在として目の前にある。怖いと、感じる。
だが、それ以上に悔しくもあった。
全力を出し切って、しかし全く通じなかった事が。だから。
「一つ・・・教えてくれ・・・」
「なんだ?」
「俺の攻撃は、なんで通用しなかったのか・・・?」問う。
自分の渾身の一撃を受けても平然としていた理由。
ヤンはマッシュの打撃は自分よりも上だと賞賛した。それならば何故、倒れなかったのか、気を失う前に聞いておきたかった。「本当に大した理由ではないのだがな」
やれやれとヤンは苦笑して。
「単に我慢していただけだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」一瞬、言われた意味が理解できなかった。
「実を言うと、もう限界でな?」
にこやかにそう言って―――そのままその場にブッ倒れる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
気を失うことも忘れ、マッシュは瓦礫に埋もれたまま、目の前で倒れたヤンを見やる。
自分も倒れているのでよく見えないが、倒れたままピクリとも動く気配がない。完全に気を失っているようだ。「が、我慢って・・・」
本当に大したことのない単純な理由だった。
「は・・・」
口から息が漏れる。
「はは・・・は―――はははっ」
笑う。
笑うしかなかった。自分の攻撃が通じなかったわけではない。
単に、相手がそれを真っ向から受け止めて―――耐えきっただけだった。笑うしかない。
そして、理解する。「俺は・・・負けたんだな・・・」
人間でも、バケモノでもない。
ヤン=ファン=ライデンという格闘家に敗れたのだと。
それを理解して、マッシュもまた瓦礫に埋もれたまま意識を失った―――