第16章「一ヶ月」
O.「君が好きだと叫びたい!(11)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ファレル邸

 

 

 セシルが扉を開けると、まず細剣の切っ先が点として見えた。

「!?」

 思わずセシルの身体が緊張して強ばり、その後ろに居たロックも身構える。
 ファスだけは「ふえ?」ときょとんとしていたが。

「―――ようやく来たわね」

 剣を辿っていったその先、それを手にしていたのはローザの母、ディアナ=ファレル。
 彼女は待ちくたびれたと言わんばかりに、少しつかれたような声を出し、

「待ちくたびれたわ」

 態度だけではなく、ちゃんと言葉でも伝える。

「待ちくたびれたって・・・・・・僕を待っていた・・・?」

 セシルが問うと、ディアナは剣を突き出したポーズを崩さないまま、ほんの僅かに頷く。

「疲れたわ」
「って・・・え? まさか、ずっとその体勢で・・・?」
「まさかもなにもずっとこの体勢よ。この体勢以外で居る意味があるとでも?」

 その体勢で居る意味もあるんだろーかと、ディアナ以外の全員が思ったが、そこは触れないでおく。
 代わりにロックが、

「ずっとって・・・いつから?」
「そこのへたれが逃げ帰ってからよ!」
「へたれー・・・・・・」

 あう、とセシルは苦笑いして呟く。
 言い返せる言葉はなにもなかった。

「全く。すぐ戻ってくると思っていたら、全然、来ないんだもの」
「えーと、あのー、すいません・・・」

 何故か謝るセシル。

「・・・ところで、なんでそんな格好で?」

 やっぱり嫌われてるからかなあ、とセシルが思っていると、ディアナはあっさりと答えた。

「ビックリするかと思って」
「いや驚きましたけど」
「人と相対するときは先手必勝だってファレル家の家訓にあるの」
「聞いてませんが・・・そうなんですか?」
「ええ。もちろん、ローザにも教え込んであるわ」

 良い迷惑だ。
 心底セシルはそう思った。

「先手を取って自分のペースに巻き込めば、あとはこっちにものって感じなのよ!」
「それは解りましたけど・・・・・・なんでまだ僕は剣を突き付けられて居るんでしょうか?」

 セシルの目の前には、未だ切っ先が点として見えていて、それが降ろされる気配はない。
 やはり認められていないんだろうか―――と、セシルが少し心苦しく思っていると、ディアナがフ―――と不敵に笑う。

「解らないかしら? いいえ、解っているはずよセシル、貴方なら」
「・・・・・・やはり、僕を―――」
「そう! 貴方をずっと待っていたから!」
「嫌って―――は? 待っていたから・・・?」
「ずっと同じポーズを取って待っていたから、身体が強ばって動かなくなっちゃったのよ!」

 コケた。
 それはもう盛大に。

「・・・あら? どうしてズッコケているのセシル。今の貴方、割と愉快よ?」
「うう・・・・・・」

 やはりこの人は苦手だ―――20歳の年月の中で、幾度と無く思ったことをまた心に刻み込む。
 基本的にはローザと同じ性質ではあるが、苦手意識が強いので、ローザ以上に厄介だった。

(・・・しまった、無理にでもウィルさんを連れてくるべきだったか―――)

 ファレル母娘に唯一対抗できる存在を思い浮かべ、心の中で舌打ちする。
 だが在る意味究極的に厄介な男かもしれないと思い直す。なによりも、恋人にプロポーズしに行くのに相手の保護者同伴ってどうよ? とかも思ったり。

「というかコケていないで、さっさと私を動かしてくれないかしら? このままだと絶対に筋肉痛になるわ。そしたら貴方のせいよね?」
「どうしてですか!?」

 思わず立ち上がる。
 ディアナは平然と答えた。

「だって、貴方がコケたから、私は筋肉痛になったんだもの」
「いや、意味が解りません」
「いいから早くなんとかしなさい! 早くしないと、このまま貴方の方へ倒れ込んじゃうわよ!」

 よく見れば、目の前の剣が小刻みに揺れている。
 どうやら限界が近いらしい。

「ロ、ロック、手伝ってくれ!」
「お、おうっ!」

 セシルとロックは慌ててファレルの身体を支え、強ばった筋肉をほぐすようにして、ゆっくりと体勢を崩していった―――

 

 

******

 

 

 ―――数分後。
 ホールの中央で、ディアナはセシル達の前で椅子に座りくつろいでいた。

 ちなみにその椅子は、ようやく立ち直ったキャシーが用意したもので、彼女はディアナの後ろに控えている。
 その表情はいつもの無感動だ。

「さて―――何の話をしていたのかしら?」
「いや、ローザに―――」
「セシル様がへたれという話でございます。奥様」
「ちがうよ!?」
「そうよ、キャシー」

 セシルが否定すると、ディアナが窘めるように使用人に言う。

「セシルがへたれなんて、もう何年も前から知っていることだもの。再確認する必要もないでしょう?」
「いやその・・・そうじゃなくてですね。僕はローザに―――」
「振られましたよね、先程」
「ぐっ・・・」

 言葉尻で切り替えされ、セシルは言葉に詰まる。
 どうにも先程のお返しをされているような気がする。見た目、普段と変わらない無表情だが、内心でははらわた煮えくりかえっているに違いない。

「そうじゃなくて、僕はッ!」
「―――お帰り下さいセシル様。お嬢様に否定された貴方は、ここに来る資格はありません」
「・・・ッ」

 流石にセシルは苛立ちを覚えた。同時に感心すら覚える―――先程の戦いで、キャシーはセシルに恐怖を覚えたはずだった。それで完全に屈服させたとは思わなかったが、それでもこんなに早く立ち直ることができるなんて。

(・・・それほどまでに、ローザの事を大切に想っていると言うことか)

 恐怖がないわけではないだろう。
 それでもその恐怖を振り切って、セシルの前に立ちはだかる。それはキャシー自身のためではなく、全てはローザのため。
 そこまで考えたら、セシルの気が抜けた。
 セシルもローザの事を想っている。それと同じくらいにキャシーもローザの事を想ってくれている。

 自分が愛している人のことを、想ってくれている相手と、これ以上衝突する気にはなれなかった。

(・・・本当にへたれだなあ、僕は)

 そう想い、苦笑。
 ここは一旦、退こうかとも思った。

(焦る必要はない・・・よね)

 ローザのことを諦めたわけではない。
 ただ、今すぐどうこうする必要もないはずだ。
 明日でも明後日でも、その次の日でも―――毎日でもくればいい。そうすれば、そのうちキャシーもセシルのことを認めてくれるかもしれない。それが甘い考えだとしても、もう一度くらいなら逢わせてくれる気になるかもしれない。

(問題は、どうやってベイガンから逃げるかだけど―――)

 そんなことを思いながら、セシルは踵を返そうとして。

「一つ疑問なのだけれど」

 と、ディアナが不意に呟いた。
 彼女は、背後に控えるキャシーの方を顔だけ振り向き見上げて、

「そんなこと、誰が決めたのかしら?」
「え?」

 まさか自分の主人からそんな問いをされるとは思わなかったのか、キャシーは目を見開いてきょとんとする。

「だから、資格とやらのことよ。ローザに振られただけで、どうしてここに来る資格がなくなるのかしら?」
「お、奥様・・・?」

 真意が掴めず、ディアナは困惑する。
 戸惑うのはセシルも同じだった。今のディアナの言葉はまるで―――

(僕を肯定してくれている・・・?)

 なんで? という疑問がセシルの心に浮かぶ。
 ディアナはキャシー以上にセシルの事を嫌っていたはずだ。子供の頃、ローザに引っ張られて連れてこられたセシルを、ディアナは汚物でも見るような侮蔑の表情で睨み、その存在を否定した。それどころか、わざわざ街の治安を守る騎士達を呼んで乱暴に追い出させたこともある。
 セシルがディアナに苦手意識を持つのは、そういった子供の頃のトラウマが原因でもあった。

 だから、そんなディアナがセシルの肩を持つというのは、感謝よりも強い不安を感じてしまう。

「一体、どうして・・・?」

 思わず、セシルの口からそんな言葉が出た。
 すると、ディアナはきょとんと首を傾げ。

「どうしてもなにも、貴方はローザに逢いに来たんでしょう?」
「だって、僕は彼女の言うとおり、ローザに否定されて―――」
「だからなに?」
「だから・・・なにっ・・・て・・・?」

 わけが解らない。
 ずっとずっと、否定されてきた。嫌われ、憎まれ、疎まれていると思い続けてきた。
 だというのに、なんでこんなにあっさり受け入れられているのか。

(僕が・・・バロンの王になったから・・・かな?)

 ただの親無しだったセシルが、バロンの王になるまでに出世したからディアナも見直してくれた―――

(そんなわけないな)

 即座に否定する。
 相手はローザ=ファレルの母親だ。そんな理由で自分の好みを変えるとは思わない。
 ではなにが原因なのだろうか、と考えるが―――解らない。

「ローザの事は関係ないわ。貴方はどうなの?」
「関係ないってことはないんじゃないでしょうか」
「・・・だから」

 はー、とディアナは深く静かに息を吐く。
 まるで、教師が出来の悪い生徒に言い聞かせるように、

「貴方はどうなの? ローザのことをどう思っているの?」
「愛しています!」

 反射的に言ってしまってから。
 もの凄い勢いで頭に血が昇り、顔が火照るのを感じた。

「あ、ああああ、そうじゃなくてですね! ぼっ、ぼくは―――」

 クス―――

 顔を真っ赤にして慌てるセシルを前に、ディアナは柔らかく微笑んだ。

「それでいいのよ」
「へ?」
「あの娘を愛しているんでしょう? だったら、私はもう何も言うことはないわ」
「奥様!?」

 キャシーが非難めいた声を上げる―――が、ディアナが一睨みすると、キャシーは不満そうに押し黙る。

「ローザに逢いたいならさっさと行きなさい」
「あ、ありがとうございます―――」
「でもさっき逃げちゃったけど」
「は?」

 ディアナの隣りをすり抜けて、二階のローザの部屋へと向かおうとしたセシルは、ぴたりと足を止めた。

「逃げた?」
「ええ。私がさっきのポーズでいたら、後ろから階段を下りる足音が聞こえたから。多分、あのセリスって娘と一緒に裏口から逃げたんじゃないかしら」
「ローザ・・・そんなに僕が―――」

 そんなに自分と逢うのがイヤなのかと、セシルは肩を落とす。そこへロックが急かすように、

「おいセシル、がっくりきてる場合じゃねえぞ。早く追い掛けないと、もしもバロンの街を出られたら―――」

 広いバロンの街の中を探すのも難しいが、街の外に出られたらさらに困難になる。
 もしもフォールスの外の地域まで逃げられたら、どうしようもない。

(・・・まさかセリスがガストラまで連れ帰る、なんてことは考えたくないけど)

 そうなればお手上げだ。
 ロックの言うとおりに急がなければならない。

「ロック、頼む! 探すのを手伝って―――」
「セシル」
「はい?」

 突然ディアナに呼ばれ、セシルは振り返る―――と。

 ぷすり。

「ぎえ」

 細剣の切っ先がセシルの額にちょびっとだけ突き刺さった。
 ディアナが剣を退くと、ぷつ、と額から血が細く流れ落ちる。

「貴方、本ッッッッッッ当に駄目ね」
「駄目出し!? しかも精一杯力強く!」
「ローザが街の外に出る? そんなこと絶対にあり得ないわ」
「だ、だって、僕から逃げたいんだったら・・・」
「じゃあ、どうして今まで逃げなかったのよ?」
「え?」

 なんでローザが逃げなかったのか―――

「逃げる必要がなかったからじゃ・・・?」

 こうしてセシルがローザに逢いに来なければ、別に逃げる必要は無かったはずだ。
 でも、こうやって逢いに来てしまったから、逃げなければならなくなった。

 しかし、セシルの答えを聞いて、ディアナははあ、と溜息をついて。

「繰り返して良いかしら?」
「はい?」
「貴方、本ッッッッッッ当に駄目ね」
「繰り返されたッ!?」

 二度も駄目出しされて、がーん、とショックを受けているセシルに対し、ディアナは明らかに苛立っているようだった。
 彼女は、険悪そうにセシルを睨付けて、

「も、良いからウチの馬鹿娘をさっさと探しに行きなさいな。そして考えなさい。どうしてあの娘は今まで逃げなかったのか―――それが解らなければ、貴方はあの子を愛する資格はないわよ」
「ええと、どうして愛する資格がないんでしょーか?」
「私が決めたから」
「横暴ー!」
「いいからさっさと行きなさいな―――あ。日暮れまでに捕まえられなくても失格だから」
「あの、どんどん条件が厳しくなっていくんですが・・・」

 するとディアナはにっこりと微笑んで、

「もっと厳しくして欲しい?」
「失礼します!」

 慌ててセシルは、ロックとファスと共にファレル邸を飛び出した―――

 

 

******

 

 

「不満そうね」

 セシル達が立ち去ってから。
 ディアナは傍らに佇むキャシーに声を掛ける。彼女は「いえ」と首を振り。

「不満など。使用人たる私が―――」
「どうして私がセシルの味方をするのか、知りたくない?」
「・・・・・・」

 ディアナの言葉に、キャシーはしばらく悩んでから―――「はい」と頷く。

「正直に言わせて頂ければ、奥様の心が私には解りません。ずっとセシル=ハーヴィを疎んでいたのに、どうして―――」
「どうしてだと思う?」
「・・・セシル様が、王になられたからですか?」

 先程、セシルが思い浮かべた理由を、キャシーは告げる。
 すると、ディアナはクスクスと笑った。

「そう思う?」
「いえ」

 キャシーは首を横に振る。
 彼女がファレル家に仕えてからもう十年以上にもなる。未だにディアナの真意が掴みかねるときはあるが、それでも権力などで右往左往するような人間ではないということは知っている。
 だからこそ不思議に思っていた。ディアナがセシルの事を “親無し” と蔑んでいたり、疎んでいたことを。そんな風に、生まれや境遇で人を差別するような人間ではない。キャシーもまた親の顔を知らないが、そのことでディアナに罵倒されたことはない。

「貴方は、どうして私がセシルのことを否定していたか解るかしら?」

 キャシーがそんなことを考えていると、それを見透かしたようにディアナが問いかける。
 素直にキャシーは首を横に振る。解らない、と。

「理由は簡単よ。セシルではあの子を幸せには出来ない」

 それはキャシーも感じていた。
 セシル=ハーヴィは危うい。 “死” の匂いがする。
 己が正しいと信じた事ならば、なにがあっても突き進む。時に誰かを犠牲にしようとも、時に自分自身を犠牲にしてでも。
 そんなセシルに付き合っていれば、ローザもいつか不幸な目に逢うとキャシーはずっと思っていた。

(それでも私は、お嬢様が望むならばそれでいいと思っていた)

 しかし結局、ローザはセシルを拒絶した。
 ならば、もう二度とセシル=ハーヴィとは関わらないことが、ローザにとって一番の幸せなのだろうと、キャシーは思った。

「私が考えていることと、貴方が考えていることは違うわよ?」
「え―――」
「貴方はローザの身を案じていてくれているのでしょうけれど、そんな話じゃないのよ、これは」

 クスクスと、笑みを口の中に含み、ディアナは楽しそうに続ける。

「私はね。ローザと一緒になるのは、セシル以外の誰でもいいと思った―――けれど、セシルだけは駄目だと思った・・・何故なら、セシルはローザのことを愛していなかったから」
「あ・・・・・・」
「ローザが一方的にセシルの事を愛していただけ。セシルはそれを望まず、逆にローザのことを持てあましていた―――あの馬鹿娘はそれで満足だったのでしょうけど」

 ふう、とやれやれとでも言うかのように、吐息。

「愛し合わなければ幸せなんかあり得ない。片一方だけの恋にしがみ続けても不幸になるだけよ」
「で、でも、セシル様以外の誰でも良いというのは―――」
「セシル以外の誰だってあの子のことを愛するもの」

 きっぱりと、ディアナは告げた。

「言っておくけれど、親馬鹿のつもりはないないわよ? 客観的に見て言うのだけれど、あの子は美しく育ったわ。親の私から見ても、少し嫉妬してしまうくらいに。その外観だけで大半の男はオチるわね」
「あの、もう少し上品な言葉遣いを使われたほうが」
「うるさいわね。いいじゃないの―――で、さらにあの子には人を魅了する不思議な魅力があるわ。外観のお陰もあるのでしょうけれど、男女問わずあの子に惹かれない人間は居ないわ」

 聞いていると親馬鹿以外の何者でもない気がするが。
 しかしキャシーにはディアナの言いたいことは解った。キャシー自身、ローザ=ファレルに魅了されてしまった一人なのだから。

「表面上、嫉妬したり嫌ったりする人間はいるかもしれない―――けれど、誰よりも美しくて、天真爛漫で、強く一途なあの娘を心の底から疎んじる人間は存在しないわ―――たった一人を除いて」
「セシル・・・ハーヴィ」

 キャシーが呟いた名前に、ディアナは頷いた。

「だから私はセシル以外なら、誰でもよいと思った。けれども―――」
「セシル=ハーヴィも、お嬢様のことを愛した・・・」
「そ」

 頷いて、ディアナは嬉しそうに―――本当に嬉しそうに表情をほころばせた。

「嬉しそうですね」
「ええ、もちろん。とても嬉しいわよ。娘が命を張ってでも愛する人と愛し合うことができるなんて! これ以上嬉しい事なんて、想像すら出来ないわ!」
「・・・・・・」
「あら? キャシーは不満そうね?」
「・・・・・・愛し合うというのは間違いだと思います」

 ぽつりとキャシーは、雇い主の言葉を否定する。
 冗談ではなく、本意で敬愛する主の言葉を否定するのは今日が初めてだったと思いながら。

「確かにセシル様はお嬢様を愛すると言いました―――けれど、お嬢様は・・・」
「貴方も解っていないの?」
「え?」
「セシルと同じね。そんなんじゃ、ローザに仕える資格はないわよ?」
「どういう・・・意味ですか?」

 困惑し、キャシーが問う。
 するとディアナは苦笑して、

「貴方も考えなさいな―――どうして、あの子が今まで逃げ出さなかったのか。それはとても、とっても簡単な話で―――」

 クスクスクスッ、とディアナ=ファレルは笑う。

「―――あの子がとっても臆病ってだけの話なのだから」

 

 


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