第16章「一ヶ月」
N.「君が好きだと叫びたい!(10)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ファレル邸
ファレル邸の門の前。
「・・・なんの御用ですか?」
キャシーが険悪―――というか、若干戸惑ったように尋ねてくる。
ファレル邸を後にしてまだ一時間程度。まさか、戻ってくるとは思っていなかったに違いない。しかしそれはセシルも同じだった。
思えば、ローザに拒絶されて、即座にここを後にしたセシルは、 “逃げ道” を探していたように自分で思う。
ローザのことは諦められない―――ならばどうするか―――ローザを “諦める” にはどうするか―――そういった逃げ道を探していたように思う。.だが、今は違う。
ファス=エルラメントによって逃げ道は塞がれた。ならば、もはや前に進む以外に道はない!「―――逢いに来た」
簡潔に告げる。
そもそもの目的はそれだった。
逢いに来た―――セシル=ハーヴィは、彼がもっとも愛しいと―――もっとも望む女性に逢いに来た。
そんな、単純な目的。けれど、単純なほど解りやすく力が出る!
「あなたは・・・ッ」
門を挟んだ向こう側で、キャシーは無表情の上に少しだけ眉をひそめる。
その声音には、ほんのわずか苛立たしさを隠し切れずに、「お嬢様の嘆きを聞いたでしょう! 貴方には逢いたくないと、あの涙交えた慟哭を聞かなかったとは言わせません!」
「聞いたよ。正直、こたえた。死にたくなるほどにへこんださ」言って、そしてさらに告げる。
「だけど、だからどうした?」
「なっ―――」不敵に笑うセシルに、キャシーは鉄面皮を崩す。
苛立ちを怒りをあらわにして、セシルを睨付ける。「どうしたと!? 貴方が言うのですか! 貴方は、お嬢様の哀しみを感じなかったと!」
「感じた。だけど気づかされた」ふと、セシルは背後にロックと並んで控えるファスを振り返る。
「ローザが悲しもうが、苦しもうが僕には関係ない。僕は―――俺は―――ッ!」
セシルは、言う。
常に、彼がそうしてきたように。
常に、彼女の前では出来なかったことを。「誰がどうだろうと関係ないッ! 俺はローザ=ファレルを望む! 絶対に!」
セシルの絶叫を聞いて、キャシーはもはや敵意を隠すことすらせずに。
「貴方は・・・やはり最低です」
セシルに向けて迸るのは殺気。
今、セシルの目の前にいるのは、 “ファレル家の使用人” ではなく、“元・エブラーナの忍者” としての彼女だった。並の人間ならば、畏れ、尻込みするであろうキャシーの殺気に、しかしセシルは平然と―――それどころか不敵に笑う。
「知っているよ、そんなことは」
「貴方はローザお嬢様とは吊り合わない。それでも無理に押し通るというのならば」す―――と、彼女は握りしめた両手を前に突き出して。
「貴方を、物理的に排除します」
「うわ物騒」良いながら、セシルは一歩だけ後ろに下がり、上体を僅かに反らせる。
ヒュッ、と音が鳴った。
その直後、キャシーが舌打ち。対して、セシルは変わらず笑みを浮かべたまま、「危ないな。今、本気で殺すつもりだったろう?」
「当然です」キャシーは両腕を突き出したまま、
「貴方が死ねば、お嬢様もこれ以上貴方のために嘆くこともないでしょうから」
それは間違いだ―――そう、セシルは思った。
セシルが死ねば、ローザも自ら命を断つ。
けれど、それを言ったところでキャシーは信じないだろう。セシル自身、理解しがたい話でもある。けれど、それは絶対に確実だ。「・・・って、なんだ!?」
今の一連の動きが解らず、しかし何かが起きたことだけは解って、ロックが声を上げる。
その隣のファスは、何かが起きたことすら解らずにきょとんとしていた。「鋼線」
セシルが短く答える。
「エブラーナ忍者が使う武器の一つだよ。糸のように細い鋼で、敵に巻き付けて切断する―――あまりにも細いから、その攻撃を見切るどころか、知覚することすら難しい」
「とか言う割にはあっさり回避してたように見えるけどな」ロックが表情を引きつらせて言う。
淡々とセシルは言ったが、ロックにはそれがどれだけ厄介なシロモノか判断できた。
武器と言うよりは、まるで見えない罠だ。存在に気づかなければ、気づくのは死ぬ直前だ。だが、セシルは笑みを崩さない。軽い調子で「まあね」と答える。
「確かに難しい相手だけど―――」
くん、とキャシーの手首が僅かに動く。
それだけで、ヒュッ、と空気を裂く音が響き、鋼線がセシルへと襲いかかる。
目には見えない鋼線が、キャシーの手首一つで跳ね、たわみ、捻れ、一つの円を描き出す。その円の中にセシルの頭を入れ、勢いよく絞めれば、その首は簡単に飛ぶ。それだけの切断力が、キャシーの鋼線にはあった。見えない必殺の武器。
しかし。「―――残念」
セシルがそれだけを呟く。
それで終わり。なにも起こらない。「・・・!?」
キャシーが怪訝そうな表情を見せる。どうやら攻撃は外れたらしい。
舌打ちして、もう一度手首を返し、仕掛ける―――だが、それも外れた・・・らしい。幾度かキャシーの鋼線がセシルに飛ぶが、セシルはその場に佇んだまま、攻撃が当たらない。
「・・・つか、傍から見てるとなにがなんだかわかんねえな」
ロックがぽつりと呟く。
隣で、チョコに乗ったファスも頷いた。良く目を凝らしてみれば、鋼線の影は見えるし、空気を裂くような音も聞こえる。
しかしそれもはっきりとは見えず、どんな攻防が繰り広げられているのかは解らない。
ただ一つ解っていることは―――「・・・まあ、セシルのヤツにしてみれば、大した罠じゃなかったってことだ」
少しでも緊迫したのが馬鹿みたいだ―――とでも言わんばかりにロックは脱力する。
ファスはそもそもなにが起きているのかすら理解できていないので、先程からきょとんとしたままだ。「どうして、当たらないの・・・!?」
常に無感動な使用人が、珍しく焦りをあらわにして呟く。
「回避する動きを見せていないのにどうして―――」
キャシーの攻撃に対して、先程からセシルは動いていない―――ように彼女には見えた。
実際には、キャシーの攻撃の直前、僅かに動いている―――それだけで、セシルはキャシーの動きを回避していた。“見切りの極み”
かつてバロン王オーディンが得意としていた究極の完全回避。
相手の動きを完全に読み切ることによって、相手が攻撃する前に回避する―――そのため攻撃した相手は、自分が外したようにしか思えない。
もっとも、対等以上の相手では、手を読むことなど困難であるため、 “見切りの極み” はできない。逆に言えば、セシルとキャシーにはそれだけレベルの差があるということだ。「さて・・・」
ぽつり、とセシルが呟いた。その表情には薄い微笑を浮かべ、
「君は僕を殺すと言った―――それなら」
「・・・!」セシルから、静かな気迫を感じてキャシーは動きを硬直する。
息も止まる。認めたくない感情が心の奥底からわき上がってくる。「それなら、自分が殺される覚悟もしているんだろうね・・・?」
「・・・ッ!」キャシーは身体を無理矢理に動かす。そうでなければ、竦んでしまう―――心が “恐怖” に埋め尽くされてしまう。悲鳴すら喉の奥から漏れそうになったが、それはなんとか飲み込んだ。
自分の懐から何か、丸い玉を取り出して、それを足下へと叩き付けた。
ボムッ、という小さな爆発音とともに球が弾け、中から煙が溢れ出した―――忍者が逃げるときに使う、煙玉だ。しばらく、煙がキャシーを覆い隠す。だが、煙が晴れる前に、その中からキャシーが飛び出してきた。
鋼線を両手に握りしめたまま、セシルへと真っ直ぐに突進する。「セシルっ!」
初めてはっきりしたキャシーの攻撃に、ファスが叫ぶ。
しかしその隣で、ロックはのんきに耳などを掻いていた。最早、セシルとキャシーの実力の差は解りきっている。なにも心配することなど無い。セシルの眼前にキャシーの姿が迫る。
対し、セシルは一言。「無駄だ」
言って、左足を後ろに下げる―――同時に、左手を後方に突き出した。
「な・・・っ」
どんっ、と手がいつの間にか後ろに回り込んでいたキャシーの胸に当り、突き飛ばす。
そして、前から迫っていたキャシーの姿は掻き消えた。「・・・悪くない戦法だけどね。煙玉なんか使ったら、何かあるって解るさ」
セシルが余裕ぶったように言うと、キャシーは顔をしかめながら、突き飛ばされた上にさらに自らも飛んで間合いを取る。
「・・・くっ」
「さて―――そろそろ終わりにしようか。・・・在れ」セシルの腰に、漆黒の剣が現れる。
それを鞘から引き抜いて、セシルはさらに呟いた。「―――その剣は真なる一太刀」
「斬鉄剣!?」キャシーが驚愕する。
斬鉄剣は元々はエブラーナの秘伝だ。元エブラーナの忍者であり、王子の婚約者であった彼女だから知っていた。
しかし、秘技そのものは知っていても、使える人間はオーディン王以外には知らない。
まさか、セシルが―――・・・という想いで半信半疑に戸惑うが、セシルから発せられる “殺気” にキャシーの身体は反応した。頭で考えるよりも、身体が感じ取っていた。このままでは殺される―――死の恐怖を。「―――ッ」
鋼線を構え、前に出る。
セシルに向かって真っ正面から不用意に飛びかかる。直後。「! セシル!?」
ファスが叫ぶ。
セシルの背後。太陽の光を背に浴びて、もう一人のキャシーが音もなく出現する!
もう一人と同じように、鋼線を構え、セシルの首を狙う―――が、そのキャシーの姿は、背の太陽が影を作り、セシルにも見えていた。「理の中に斬れぬ物は存在せぬと見いだせば、我が斬断は必然と成る―――」
しかしセシルは振り向かない。
ただ真っ直ぐに目の前のキャシーに向かって剣を振るう!「・・・ぁ・・・っ・・・・・・」
小さく、キャシーの口から声が漏れた。
それは、セシルの背後のキャシーではなく、目の前の彼女の口から。
途端、逆光を背負っていたキャシーの姿が消える。もう一人の―――本物のキャシーも、糸が切れたように、かくん、と力無くセシルの足下に膝をつく。「―――これこそが究極奥義」
斬鉄剣
セシルの言葉と同時、キャシーの握っていた鋼線が真ん中から断ち切られる。斬る、と言っても糸を切るのとは全然違う。細くて硬いものを斬るのは非常に難しい。普通に斬ろうとすれば力が逃げるため、まともに斬るつもりならば、鋼線の両側を強く引っ張り、力の逃げ場を無くしたところで斬るしかない。
だが、当然、キャシーは斬りやすいように鋼線を引っ張って張りつめたりしはしていなかった。
むしろ、セシルの首に巻き付けるために鋼線はゆるんでいた―――それを斬るなど、キャシーが知っている忍者の中でもできる者は居ない。その上、キャシー自身には怪我はないようだった。
「さて、と―――じゃあ、行こうか」
セシルはそんなキャシーに背を向けて、ファス達に顔を向けると、ロックはにやにやと笑い、ファスは「え? え?」と困惑していた。
「い、今の・・・なに? セシルの後ろからあの人が飛びかかって、でも消えちゃって―――それにさっきのも」
「分身の術ってヤツだ。確か、忍者の使う、 “忍術” って魔法の一種だったか」ロックが説明する。
ちなみに、忍術は魔法とは系統が違う。
どちらかと言えば、マッシュの使う “闘気” に近いのだが、セシルもロックも魔法や忍術の知識は必要最低限のものしかないため解らなかった。「自分と同じ姿の分身を生み出して、攪乱させる術だ。・・・まあ、見破られちゃ全然意味がないけどな」
最初は煙玉を使い、分身を正面から飛び込ませて、自分は大きく迂回してセシルの背後に回り込んだ。
次は、自分は正面から、分身だと思わせるためにわざと無防備に飛び込んでみせて、セシルの背後に分身を生み出した―――ご丁寧に、気づかせるために影でその存在をアピールさせて。けれどどちらもセシルは見切っていた。
そして、この手の戦法は見切られてしまえば逆に大きな隙を生む。「どうして・・・・・・見破られたのですか・・・・・・」
膝をついたまま、震える声でキャシーが問う。
セシルは困ったように苦笑して、「や、怖かったし」
「・・・ふざけないでください」
「ふざけてないんだけどな―――まあ、強いて言うなら、ブランクの長い忍者に負ける程、僕は情けない男じゃないってことで」
「! 待ちなさい・・・っ」セシルが屋敷の中へと入っていこうとするのを見て、キャシーが立ち上がり追い掛けようとする―――が。
「―――え!?」
かくん、と膝が折れ、また地面につく。
足に力が入らない。セシルの剣は、鋼線を斬っただけでキャシーの身体には届いていないはずだった。(なんで・・・どうして・・・っ!? 力が入らなくて・・・震えて・・・・・・っ)
がくがくと、キャシーの足は震えている。恐怖で。
それは、何故なのか。考えなくても身体が解っている。確かにセシルの剣はキャシーには届いていない。
しかしそれは “届かなかった” わけではない。セシルが、 “届かせなかった” のだ。
その気になれば、キャシーの身体を両断することもできたはず。それを、感覚的に身体が解っている―――だから、恐怖で動けない。死ぬことが怖いわけではない。元とはいえ、エブラーナの忍者の中で死ぬことが怖くて動けなくなるような臆病者は居ない。忍者としての修行に入る際に、恐怖に対する精神の抵抗力は徹底的に鍛え上げられる。死、などという解りやすい恐怖などには屈しないはずだった。
(あの男・・・何者なの・・・・・・!?)
恐怖を感じているのはセシル=ハーヴィそのものにだった。
今までのセシルに対する印象はただの “さえない男” だった。赤い翼の隊長、そしていまやバロンの王となり、暗黒騎士の中では最強と謳われていても、キャシーの知っている彼は、いっつもローザに迷惑そうに引っ張り回されているだけの情けない男だった。つい直前までのその印象を、いきなり覆された。
今、キャシーに背を向けて屋敷の中へ入って行こうとしている男は、まるで未知の存在だった。笑いながら、致死的な攻撃を回避して、キャシーの鋼線を切断した。一つその気になれば、キャシーすらも斬殺できた。
だというのに、セシルの雰囲気はまるで変わらない。ずっと感じていた印象そのままの、 “情けない男” だ。先程垣間見せた殺気すら、夢幻だったかのように消え失せている。だからこそ、わけがわからない。だからこそ、恐怖する。
なにが本当のセシル=ハーヴィなのか、解らずに。キャシーは、ただセシルの後ろ姿を見送ることしかできなかった―――
******
「―――殺気、だろ?」
セシルの横に並んで、ロックが呟く。
すると銀髪の青年は苦笑して、「当り。・・・まあ、君なら解るとは思ったけど」
セシルが何故、キャシーの分身を見破られたか。
それは、キャシーの放つ殺気のためだった。
本人は殺気を放っているが、分身からは殺気を感じられない。ロックはトレジャーハンターという職業柄か、気配を察知するのが上手い。殺気を嗅ぎ分けるのもお手の物だろう。
「俺だったらそんなミスはしないな―――ミラージュダイブに隙はねえ」
「はいはい」
「あ、おい、なんだよその生返事!」やる気の無さそうなセシルの返事にロックが苛立ち声を上げる。
セシルは、ファレル邸の玄関扉の前に辿り着くと、ロックを振り返って。「所詮幻影だろう? 偽物じゃ―――そうだな、君流に言えば “大した罠じゃない” 」
「・・・幻影だってなめてかかると、現実に痛い目見るぜ?」
「それを僕に言うかな」セシルは手にしたままのデスブリンガーをロックに見せて。
「見えない形のないものって言えば幻影もダークフォースも変わらない―――比べてみるかい? 君の幻影と、僕の恐怖を」
「・・・・・・いや、やめとく」ロックが肩を竦めると、セシルはまた苦笑してデスブリンガーを手の中から消す。
「お前とやり合う気はねえよ。怖ろしい」
「それは有り難いね。正直、僕も君とはやり合いたくない」
「は? なんだよソレ」
「簡単な話だよ。君が僕と戦おうと思ったなら、それは僕が負けるということだから」セシルは苦笑、ロックは渋い表情で片目を閉じて頭を掻く。
後に付いてきていたファスだけが、意味が解らずにきょとんとしていた。(俺がセシル=ハーヴィと戦う? 有り得るか、そんなこと!)
セシルが扉に向き直り、その取っ手に手を掛ける。
扉を開くセシルの後ろ姿を眺めながら、ロックは心の中で叫ぶ。(ヤバいと解ってる罠のボタンを自分から押すような真似、誰がするかっていうんだよ―――!)