第16章「一ヶ月」
M.「君が好きだと叫びたい!(9)」
main character:セリス=シェール
location:ファレル邸
「―――貴女は、帰らないのですか?」
ファレル邸、ローザの部屋の前。
セシルが茫然自失と立ち去った後、セリスだけはその場に残った。問う、キャシーにセリスは同じく無感動に答える。
「私は帰れと言われては居ないからな」
言って、それからローザの部屋をノックする。
三度。
コンコン、という音を繰り返すが、反応はない。「開けろ」
命令口調で言う、が中から反応はない。
セリスは一度嘆息すると、静かに―――冷たい声で告げる。「・・・ブチ破るぞ」
ぴくり、とそれを見守るキャシーの身体が反応した。
僅かに嫌悪の表情をセリスの背中に浮かべるが、当然本人は気がつかない。セリスの “脅し” にもローザの反応はなかった。
やれやれ、とセリスはもう一度吐息すると、扉に掌を押しつける。「 “イフリートの吐息よ―――” 」
「待って!」魔法の詠唱を始めたセリスに、ローザの切羽詰まった声が飛んで、詠唱は中断された。
それから、少し間を置いて、かちゃり
と、扉の鍵が開く音。
「・・・・・・セリスだけ、入って」
弱々しいローザの声。
セリスはなんとなくキャシーを振り返る。ファレル家の使用人は、どことなく不機嫌そうな顔をしていた。それを見たセリスは小さく微笑して、ローザの部屋の扉を開き、その身を滑り込ませた―――
******
部屋の中に入ったセリスの感想は、一言で言えば “意外” だった。
室内はセンスの良い置き時計やランプや花瓶などのいかにも貴族が好むような上質の調度品で飾られ、まるで普通の貴族令嬢の部屋のようだった。・・・いや、ローザ=ファレルは一応、貴族令嬢ではあるのだが。
(・・・こいつのことだから、てっきり等身大セシル人形とか、セシルタペストリーとか、なんかもうセシル尽くしかと思っていたのだけれど)
なんとなく拍子抜けした気分で、セリスは何気なく花の入っていない空の花瓶を見つけ、そこに手に持っていた “セリス” の薔薇を放り投げる。好きな花であるし、贈られたときはそれなりに嬉しい気もしたが、持っているのも邪魔になってきた。花は手に持つものではなく、花瓶に生けるものだと思う。
(・・・って、無反応か)
薔薇の花に対して、なにかしら反応でもあるかと思っていたが、部屋の主はなにも言わない。
ローザは部屋の中央で静かに佇んでいた。
最後に見たときも、血の気のない青い顔をしていたが、今のローザは青さを通り越してまるで幽鬼の如く白い。まさに “佇む“ という表現がしっくり来る様子で、セリスは一瞬だけ声に詰まる。「・・・元気そうね」
「・・・・・・」皮肉を込めて言う、がローザは反応しなかった。
代わりに。「何の、用?」
その言葉に力はない。
だが、いつもの勢いが無くしおらしいローザは、セリスの記憶にある彼女よりも美しく思えた。生気のない、真っ白な肌も、病的な美しさに一役買っている。「・・・別に。ただ様子を見に来ただけよ」
そういって、セリスは入り口の近くにあった座椅子に腰掛ける。
安物ではないが、高級品というわけでもない。よくよく見れば、部屋にあるものの全てが、そういったものであり、実にファレル家の実情を表している家具だった。「・・・・・・元気よ。・・・それで気が済んだのなら、帰って」
「どうしてセシルを追い返したの?」
「・・・・・・」セリスの問いに、ローザは答えない。
真っ白な表情で、少し俯くだけ。「可哀想にあの男、この世の終わりみたいな顔をして帰って行ったけど?」
「・・・嘘」ふるふると、ローザは小さく首を振る。
「・・・セシルは、そんな人じゃない。私の事なんて、気にするはずもない・・・」
「その割にはゾットの塔では、なかなかの奮闘ぶりだったけれども」
「・・・!」おや、とセリスは気がついた。
ゾットの塔の話をした途端、ローザの表情に陰りが入ったように思えた。
だが、その疑問を問う間もなく、ローザはさらに否定する。「セシルは・・・優しいだけ・・・優しいから、私を助けてくれた・・・ただ、それだけだもの」
か細い、力のない声。
セリスは心の中で首を振る。(・・・優しいだけの人間が、あんな選択をするものかしらね)
ゾットの塔で、セリスに敗れたセシルは、自分とローザの命を二者択一で迷わず自分の命を選んだ。
それは、決して我が身可愛さの選択ではなかったが、しかし “優しい” 人間にできる答えでもない。そのことを言おうとして―――しかし口にしなかったのは、今のローザに言っても否定されるだけだと思ったからだ。
「それで、どうしてセシルを追い返したの?」
「・・・・・・」もう一度同じ問いを繰り返すが、ローザは俯いて視線を反らせたまま答えない。
そんな彼女にセリスは近づくと、両手でその頭を掴んで強引に目を合わさせる。「・・・ “親友” にも言えないことなのか?」
「う・・・」セリスの言葉に、ローザは困ったように呻く。
その一方でセリス自身も慣れない “親友” などという単語を使ったせいで内心、ドキドキだったりする。(とゆーか、そこはつっこむ所じゃないの!? なんかほら、別にセリスとは親友じゃないしー、とかそんな感じで。なんか、そんな反応されると肯定されたようで照れるというか、というかなんで私は親友だなんてうあああああああああああああああああああ)
表情は努めて真摯にローザを見つめているが、心の中では大パニック。
今すぐこの場から逃げ出したいとすら思うが、ローザがなにか反応してくれないとそれもそれで後々気まずいような気がして。「だって・・・」
セリスの内心の葛藤を余所に、しばらくしてローザがぽつりと呟く。
「私は・・・セシルに会う資格なんてないんだもの」
「・・・は?」
「セシルを愛する資格すらないわ。だって、だって・・・・私・・・・・・う・・・・・・ううっ・・・・・・ぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」とん、と、ローザはセリスに身体を預ける。反射的にセリスはローザを受け止めた。
セリスの胸の中で、ローザは嗚咽を漏らす。涙を流し、哀しみを吐き出す “親友” の身体を抱き止めて、セリスは―――(え、なにこの展開。私・・・どうすればいーの?)
―――ひたすら呆然としていた。
******
―――しばらく、ローザは静かに泣き続けて。
ようやく、嗚咽も収まってきた頃、セリスは抱いていたローザを、ベッドに腰掛けさせた。
同じ女性であるセリスから見ても、ローザの身体は細く軽く、すぐに折れてしまいそうなほどに華奢に感じられた。もしかしたら、しばらくまともに食事を取っていないのかもしれない。「・・・・・・落ち着いた?」
「・・・・・・ん」ローザがこくりと小さく頷く。
セリスは、まるで幼子をあやしているみたいだなーとか思いながら、「それじゃ、聞かせて貰いましょうか。どうしてセシルに会う資格がないなんていうのか」
「言わなきゃ、駄目?」
「駄目」上目遣いに少し甘えた声を出すローザに、セリスは厳しく言い捨てる。
ローザは少しだけ、しゅん、と気落ちしたようだが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。「・・・私がセシルを傷つけてしまったから―――」
******
ゾットの塔で。
セシルはローザを助けるために、セリスと戦い、そして傷ついた。
傷ついた―――それだけならば問題はなかった。セシルはローザが望むと望むまいと、勝手に窮地に飛び込み、傷つき続けるのだから。傷つくだけならば、いつものことだ。けれど、今回は違う。
確かにセシルは自分の意志でローザを救いに来て、傷を負った。
けれど、それはセシルの選択である一方で、ローザが望んだことでもあった。セシルが傷つき敗北すること。
そして、その時にどういった選択をするのか―――それを、ローザは知りたかった。知りたいと思ってしまった。塔で、ローザが捕われていたのは演技だった。
拘束椅子は、しかしその機能を果たして居らず、ローザは拘束されている振りをしただけだ。その気になれば、セリスとの戦いの最中に立ち上がり、自分が無事だと教えることもできた。そうなれば、セシルとセリスの戦いは、また違った結果になっていただろう。だが、ローザはとうとう最後まで演技し続けた。
セシルが戦い、傷つき、苦しむのを耳にしながらも、身動きしなかった。
それは知りたかったから。セシルがローザのことをどれだけ解ってくれているのか、それを知りたかった。
ローザ=ファレルはセシル=ハーヴィが傷つくことを望まない。セシルが失われれば、自分自身の命をも断つ覚悟がある。―――それを、セシルに解って欲しかった。そう思ってしまった。矛盾している。
セシルが傷つくことを望まない―――そのことをセシルが知っていることを確認するために、セシルが傷つくことを望んだ。ローザ=ファレルはセシル=ハーヴィを愛している。
でも、それは一方通行の愛だと割り切っていた。
セシルはローザの意志に関係なく、先へ先へと、己の正しさを持って前に進んでいく人だから。
ローザはそんなセシルに追いつくのが精一杯で、彼の背中を見失わなければそれで十分満足していた。人は、一人では生きられない。
けれど、ローザが初めてであったセシルという、家名も親も持たない少年は、一人で生きていこうとしていた。
だからローザは彼と一緒にいようと決めたのだ。彼は一人ではないと、それを思い知らせるために。
しかしそれは、彼にとっての枷であってはならない。彼と一緒に居る “誰か” のために、彼が傷つき倒れ、失うことがあってしまえばいけない。或いは、怒り、哀しみ、苦しむことがあってはならない。それならば、一人のほうが良かったと、彼は思ってしまうかもしれない。それでは駄目なのだから。だから、ローザは彼を愛しながらも、愛されることを望まない。
一方通行の片思いで満足だった。
彼が、セシル=ハーヴィが、自分は一人ではありえないと、そう思い知ってくれるだけで十分だった。なのに―――
なのに―――
それなのに―――――――――欲が、出た。
セシル=ハーヴィはローザ=ファレルの愛を受け入れてしまった。
それはとても嬉しいことだった。
片思いで十分だと思いながらも、心の奥底ではそれを望んでいたのだから。
愛し合えるのならば、それはそれで幸せだった。それを素直に受け入れていれば。そう。
素直に、セシルの愛を受け入れていれば良かった。
ローザがセシルを愛したように、セシルが愛してくれるというのなら、喜びをもって受け止めれば良かった話だ。けれど、欲が出た。
もしも本当にセシルが自分を愛してくれるというのなら。
本当の本当に、ローザ=ファレルという女性を愛してくれるというのなら。
理解して欲しいのだと。だから望んだ。
ゾットの塔で。ローザの目の前で。セシルが敗北することを。
愛する人が、傷つき、倒れることをローザは望んだ。
その時に、彼がどういう選択をするのか、それを知りたかった。そして―――全てはローザの思惑通りになった。
セシルはセリスに敗れ、倒れた。
最後の選択で、ローザが最も望んだ答えを出してくれた。
けれど、そのことでローザの胸に沸き上がったのは歓喜ではなく―――深い後悔。セシル=ハーヴィはローザ=ファレルのことを解ってくれていた。
解っていなかったのはローザの方だ。セシルの愛を、ローザは理解していなかった―――そう気づいた瞬間、ローザの全てが崩壊した。今までセシルに向けた “愛” が、なんとも薄っぺらいものに感じて愕然とした。片思いで良いと、ただ一緒に居るだけで満足だと―――そう思っていたのは上辺だけで、本当は “無償の愛” とやらに酔っていた、醜い女が独りいただけだったのだと。そのことを知った瞬間、死にたくなった。
ゾットの塔での空中決戦。あの時、魔物の攻撃からテラを庇い、そのまま死んでしまえば良いと思った。
だけど、それをあの人は絶対に赦さない。人は、死ぬということを知らなければならない―――
その言葉を胸に秘める青年は、無為に命が失われる事を赦さない。
セシルを愛する資格を無いと思いつつも、それでもローザはセシルに嫌われたくはなかった。
本当に情けなくて、醜い女だとローザ自身思う。自分のエゴを認めながらも、それを捨て去ることも出来ない、最低の女。最愛の男を愛する資格を失い、自分の命を断つことも出来ない。
だからローザは自分の部屋に引きこもった。セシルに会わないように。セシル=ハーヴィは強い人間だ。
ローザが居なくても、きっとそのまま己の正しいと思うがままに生きていくのだろう。
だから、ローザがセシルに会おうとしなければ、そのうちセシルは醜い女の事など忘れてしまうに違いない。それは、想像するだけでも心が砕けそうなほど苦しくて切ない事だったが、その苦しみも自分の罰だと思い、ローザは泣きながら部屋の中で一生過ごそうと決意した―――
******
話を聞き終えて。
セリスは嘆息してから、一言感想を漏らした。「最悪の馬鹿ね」
「う」
「というか、あなた自身言ってなかった? 愛というのは自分自身を満たすだけの感情だって―――セシルが傷ついて、だけどそれで彼の想いが解ったんでしょう? それならそれでいいじゃない」
「満たされてなんかない!」ローザは泣き喚く。
「セシルの想いは痛いほど解った。そして、あの人は私が傷つくことを望んだと知っても笑って赦してくれる―――でもそれが嫌・・・っ」
ぽろぽろと、また涙を流しながら彼女は言う。
「いつか、いつか、私のせいでセシルが失われてしまうかもしれない。私が、セシルを失うことを望んでしまうかもしれない。それでも彼はきっと私を笑って赦してくれる。そんなの・・・嫌、嫌、イヤ、イヤイヤイヤイヤイヤ、いやあああああああっ」
「落ちつきなさい! ・・・そんなこと、セシルを失うことを、あなたが望むわけ・・・」
「解らないわ!」涙に濡れた目で、ローザはセリスを見上げて言う、
「だって、私、セシルが傷つくことを望むだなんて、今まで考えもしなかった。これから、私がセシルを失うことを望まないなんていえるわけが―――」
「言える!」
「・・・ふえ?」ローザの言葉を断ち切って、セリスが言う。
そのきっぱりとした一言に、泣いていたローザは想わずきょとんとして親友を見上げる。「私が断言する。ローザ=ファレルは、セシル=ハーヴィを望み続けると!」
「でも、私はセシルが傷つくことを望んで―――」
「それは何故?」
「え・・・?」
「貴女がセシルが傷つくことを望んだのは、その想いを知りたかったから―――セシル=ハーヴィが欲しいと望んだからでしょう? 決して、彼を失いたいと思ったわけじゃないッ!」
「そ・・・え・・・あ・・・?」セリスの勢いよく放たれた言葉に、ローザは目を白黒させる。まるで理解が追いついていない様子だ。
そんな彼女に、セリスはさらに続けた。「もう一度繰り返す。ローザ=ファレルは、永遠にセシル=ハーヴィを望み続ける!」
「わ・・・解らない・・・」
「うん?」
「解らないわ! だって、今の私にはセシルを愛する資格もないし・・・望むだなんて・・・・・・」
「じゃあ、どうして貴女は―――ん?」ある疑問をぶつけようとして、ふとセリスはあらぬ方向を向く。
「ど、どうしたの?」
戸惑うローザには答えず、セリスは部屋の窓へと歩み寄る。
窓からは、丁度門の様子が見て取れた。「あれは・・・」
さっき入ってきた門の辺りで、誰かが騒いでいた。
一人はここの使用人であるキャシーで、なにやら3人の訪問者を追い返そうとしているようだった。
その訪問者を見て、セリスは口元がにやけるのが抑えられなかった。「ローザ」
振り返り、セリスは微笑しながら言う。
「貴女が望まなくても、彼は貴女を望むらしいわ」
「え・・・?」
「セシルが来てる」
「・・・っ」愛しい人の名前に、ローザは表情を歪ませた。
その様子を見て、セリスは尋ねる。「どうする?」
「どうする・・・って・・・」
「逢う? それともまた拒絶する?」
「・・・・・・」セリスの問いに、しかしローザは力無く首を横に振る。
「解らない・・・わ。私、どうすればいいのか―――」
頭を抱え、身を小さくして小動物のようにローザは震えていた。
セリスは「そう」とだけ呟いて、強引にローザの手を取って、立ち上がらせる。「セリス・・・?」
「逢うのも、拒絶するのもイヤなら―――」にっこりと笑って彼女は続けた。
「逃げましょうか」